川の流れの水源。
山の中腹にある湧き水。
そこにこの川の神たる水神の神座はある。
久々の異世界。
稲荷下げを行い天狐の面をかぶる。
コンが
かつて以上に思考は澄み、霊気──いや神気は張り、振るえる力の大きさが感じ取れる。
以前とは違う、神であるという認識を持っての憑依。
異界神という自覚がもたらす神性の発露。
なるほどこれほどの力がもたらす万能感は、人を傲慢に変えるに不足ない。
故に、この行為に名をつける。
俺が俺であるために。
いや、カッコつけている訳じゃないんだ。
そうでもしないと荒ぶる神気に押しつぶされそうなんだよ。
名をつけ、意味を持たせ、型にはめる。
そうする事でようやくコンの神気を制御できる。
もっとも、コンはコンで俺の自我が塗りつぶされないようにコントロールはしてくれているんだけどね。
荒れ狂うほど強大な神気とは裏腹に、俺の魂には台風の目のように穏やかなのがその証拠だ。
流石に魂がこの神気の暴風に晒されたら、あっという間に削り取られてしまうだろう。
それほどの力なのだ。
なんでこんな神気を纏っているかというと、相手の神に侮られては困るというのがある。
今から会いに行く水神とは面識が無いので、そうなると話を聞いてもらえない恐れが出てくるのだ。
コン曰く格の高い神であれば抑えていても察してくれるが、それほど格が高くない相手だと分かりやすく力を見せておいた方が良いとの事。
最初に格付けを済ませてしまった方が結果的にスムーズにいくらしい。
神々が面子に拘ったりするのもこの辺が理由の一つだ。
特に今回は人命が掛かっているからね。
とはいえいざという時の助っ人もいるし、流石に大丈夫だろう。
境界を越えて相手の神域に足を踏み入れる。
そこに居たのは荒々しさを纏った……えっと、でっかい山椒魚?
するとこちらを認識した水神の神気が乱れた。
(こちらを
ならよかった。
「ナニモノダ。ココハ我ガ神域。無断デ立チ入ッテ良イ場所デハナイ」
荒魂と化しているせいで以心伝心の呪いを使っても少々聞き取りづらいが、会話自体は可能そうだ。
最悪の場合は溢れた神気に自我を呑まれている恐れも考慮していたが、これなら大丈夫だろう。
「これは失礼した。しかし此方も悠長に正規の手順を踏んでいる時間は無くてね。名乗りが遅くなったが私はキツネツキ。異界の神だ」
そうは言うもののまるで悪びれていないように振舞う。
これも交渉を確実に成功させるための演出の一つだ。
どうやら最初の一手で決まっていたようなので、この辺は駄目押しに近いが。
「ソノ異界ノ神ガ何ノ用ダ」
「その前に、もうすぐこの川が氾濫するというのは理解しているかい?」
「……当タリ前ダ。ソウデナケレバコノ身ガコレホド荒ブル事ハナイ」
理解しているなら結構。
「それも自然の摂理。とはいえ、麓の村の人間達からすれば黙って受け入れられるようなものではない。故に彼らは水神に生贄を差し出して乞うた。川を氾濫させないで欲しいとね」
「ソノ様ナ供物、届イテイナイガ?」
「それが不幸なことに生贄となった人間と私が試練を与える為に呼び寄せた人間が被ってしまってね。私としては試練を乗り越えた人間がすぐに死んでしまっては面白くない。かといって君も供物を横取りされてはいい気はしないだろう」
「当然ダ」
ここで別に生贄はいらないとか言ってくれれば話は簡単だったんだが、流石に無理か。
「だから交渉に来た。生贄の捧げ方を変えてもらえないかと思ってね」
「ドウイウ事ダ?」
「生贄は捧げる。しかし、身命は他の物で
命を捧げる印象のある生贄だが、そもそも殺さない生贄というのもあるのだ。
動物の場合は現世側の神域(神社とか)で飼育される事もある。
神域にとどめる事で生きたまま神に全てを捧げるという形を取るのだ。
人間であれば生涯を捧げるという形で神に仕えたり、そもそも名目は生贄だが実際に捧げるのは
本人を模した人形だったり人の頭に見立てた饅頭だったりな。
今回は蜀の宰相、諸葛亮孔明にあやかって
彼は『川の氾濫を鎮めるため、人の首を切り落として捧げる』という風習を改めさせるために、小麦粉を練った皮で動物の肉を包んでそれを人間の頭の代わりにするという方法を取った。
すると川の氾濫はおさまり、孔明の狙い通りに
この時捧げられたものが
「人間の代わりとなる供物を捧げよう。獣の肉を小麦粉で作った皮で包んで蒸した物を
「フム……」
「頼みを聞き届けてくれるなら、代わりに此度の洪水は此方で鎮めよう。そちらは労せず供物と信仰と、人間の願いを聞き届けて洪水を静めたという功を得る。如何かな」
「良カロウ。元ヨリ人間ガ生贄ヲ差シ出シテキタノハ他ニ供物ガ無カッタカラニ他ナラヌ。供物ガアルトイウノデアレバソレデ良イ」
あ、そうなんだ。
(おそらくじゃが、飢餓と重なった時代があったんじゃろうな。口減らしを兼ねた生贄をせねば誰も助からなかった時代が)
それで時代が下がると理由の方が失伝して、やり方だけが現代まで続いてしまったという事か。
(多分じゃがの)
「では、交渉成立という事でよろしいかい?」
「アア、構ワヌ」
神域を抜け、
「どうだい、交渉は上手く行ったかい?」
そこに居たのは一柱の神。
「ええ、何とか。これで
喋り方をプライベート向けのものに戻す。
楽な喋りができるならそちらの方がいい。
「とはいえまだまだやる事は多いんですけどね」
とりあえず水神に関してはこれでいいが、まだまだやる事はいっぱいある。
まずマヨイガの客である水牛人の少女を起こしてマヨイガ妖怪を渡す。
そして彼女を村に帰す際にそれっぽい演出をして、
でないと命惜しさに生贄の役目を放棄して逃げてきたと思われたら彼女がどんな目にあわされるか分かったもんじゃない。
それから生贄代用饅頭の作り方を教えて作ってもらい、生贄の代わりに水神に捧げてもらう。
でもって川の氾濫を何とかすると。
ここまでやってようやく今回のキツネツキの御役目は完了である。
「時間制限もありますし、できれば今日中、遅くとも明日には終わらせますよ」
なんせ数日後(正確には五日後らしい)には雨が降るからな。
それまでに終わらせられなかったらアウトだ。
「だったら僕はそれまでに川の氾濫の原因を取り除く準備をしておけばいいんだね」
「はい。お手数ですが────」
俺とコンで川の氾濫を何とかするのは、出来なくはないが割りが悪いので避けたいところ。
ならばそれが問題なくできる
そして俺たちには一回限りではあるものの、それが頼める
正直これは俺も持て余し気味だったので、いい機会だからこの
本来であればとっくに使っている筈なのにイレギュラーで使わずに終わってしまったものでもある訳だしな。
そういえば俺のキツネツキとしての話し方ってこの神が由来なんだよな。
正確には俺の話し方は劇の方のキツネツキをもとにしているが、その劇の方のキツネツキの話し方のもとになったのはこの神なのだそうだ。
ルミナ神が仮台本を作る際に手っ取り早く身近な神の話し方を使ったと言っていた。
実際に合うのは今回で二度目だが、そういった方面でも縁はあったんだな。
「────よろしくお願いします。
「ああ、任せておきなさい」
時間が惜しいのでここからは一気にいくぞ。
とりあえず水牛人の少女を起こして状況を説明するとしよう。
まずは川の水上と水中を分ける境界を利用してマヨイガまでワープ。
すぐさまコンが式神に精神感応を飛ばして準備をさせる。
現状彼女は少し刺激を与えるだけで目を覚ます段階まで回復しており、俺たちの留守中に起きないよう妖術で眠らせているのだとか。
離れ座敷に着くと座卓の前に眠ったままの少女をコンが念力で座らせ、俺も対面に座る。
目覚めたらいつの間にかどこかの屋敷で誰かと向き合って座っているという非現実的な演出をしたいのだ。
夢だと思ってくれればなおいい。
妖術を解除すると、すぐに彼女は目を覚ました。
状況が理解出来てない内に畳み掛けるとしよう。
「お目覚めかな、人の子よ」
俺の言葉に少女が反応する。
「えっ、ぁ、誰……ですか」
「私はこの異界たるマヨイガに住むもの、異界神キツネツキ。人の子よ、異界へようこそ」
とりあえず名乗っては見るが、反応は芳しくない。
ああ、これはあれか。
(どうやらこやつはキツネツキの名を耳にした事は無いようじゃのぅ)
まぁ、ミルラト神話圏の情報伝達速度を考えればキツネツキの名前を聞いた事のない人の方が多いよな。
出典が劇二本だもの。
サツマイモの普及に伴う逸話の広がりを加味しても、まだまだマイナーに毛が生えた程度の知名度だ。
むしろエルラさんは良く知ってたなってレベルだよ。
「その様子だと私の事は知らないようだね」
「ご、ごめんなさい」
「構わないよ。知らずとも、特に問題がある訳じゃないしね」
それでコン、彼女はどう思ってる?
(
普通に怪しいもんな。
まぁ、とりあえず信じてくれなくとも表面上は神として扱ってくれるようなら問題ない。
「さて、本題に入ろうか。君は
「はい、荒ぶっておられた川の神様に鎮まっていただく為に……そうだ、村は、村は無事なのですか?」
生贄になった筈の自分が何故か異界にいるからね。
そりゃ、心配にもなろう。
「無事だよ。
ここであえて含みを持たせる。
「生贄の筈の君がこの異界に流れ着いて、奇しくも私が掠め取ったような形になってしまった。だから少し彼の神と話をしてきたよ。」
実際は偶然ではなく、マヨイガは生贄だと知っていて呼び込んだようだけどな。
「最初に言っておく。
「えっ!」
これは事実だ。
そもそもあれは自然の
これを静めるには、本来であれば一度神気を発散させなければならない。
そして発散させようとすると雨を待つまでもなく洪水が起こる。
「単純な話さ。足りないのだよ、一人ではね。彼の神に鎮まって欲しいならば十人は必要だ。ああ、信じられないというのなら構わない。君一人しか捧げずに彼の神が鎮まらずとも、私にとっては関係のない事だ」
ちなみに生贄が十人必要というのは、それだけの畏怖を持って神格を一時的にでも高めれば何とか制御できるかも、という意味だ。
流石に十人も生贄を用意など出来るはずもなく、彼女も青ざめているのが分かる。
「とはいえ、せっかく異界にまで流れ着いた人間をそのまま放り出すというのも私の沽券にかかわる。もし、私の出す試練を乗り越えることが出来たのなら、彼の神を鎮めるための方法を教えようじゃないか」
彼女の心が揺れた。
おそらく俺の言葉が本当かという懸念と、藁にも縋りたい気持ちの間で揺れ動いているのだろう。
ここでもう一押し。
「まぁ、君からすれば私は聞いた事もない神だ。信用できないのも理解できる。だから
「太陽神様に……」
「太陽神と直接言葉を交わせる程度には伝手があってね。太陽に私の言葉を問うといい。それが誤りであるのなら、太陽は雲を纏って身を隠すだろう。そうなれば逆説的に、君が生贄となる事で村が救えると証明される」
ちなみに三日間くらいは快晴の予定である。
「太陽が隠れぬなら一度私の言う方法を試してみるといい。それで
この辺は
神の盾が何なのかはまた後で。
「では、試練に挑むか否か、決めるといい」
実は結構虚勢を張っている水神。
水神としての格はそんなに高くなかったので、コンの神気は刺激が強かったようです。
『挨拶は時の氏神』
争いごとを仲裁してくれる人は氏神のようにありがたい存在である。
だからその仲裁にはちゃんと従いなさいよという意味。
氏神とは先祖代々一族で祀って来た神の事。
最近は土地神と区別されなくなっている事も多いとか。
ちなみにこの場合の「挨拶」は「仲裁」の意味。