気を抜くとついのじゃのじゃ言ってしまう。
事の始まりは大猪の
なんでも、
そこは大層立派な屋敷があり、その
もしその幸運に恵まれたのならば、決して礼節を欠いてはならぬ。
屋敷に住まうものを
隠れ里の
さすればこの世の物とは思えぬ美味を口にする事が叶うこともあるだろう。
天を冠する狐にその知恵を授る幸運に恵まれたならば、七難八苦もたちまちに消え失せる。
ただし覚悟せよ。
もしも礼を弁えず、侮り軽んじ、身に余る欲を出したなら、悪鬼羅刹すらも逃げ出すほどの恐ろしい目に遭うだろう……と。
その侍が言うには自分の差している刀はその隠れ里で賜った妖刀であり、いかなるものであろうと一刀両断できるのだそうな。
見栄っ張りの法螺話と切って捨てる事は出来ぬ。
その腰に差した刀はそれほどまでに立派であり、見る者が見れば一目でわかる程に強大な力を秘めた妖刀であった。
たまたまその場で
なるほど確かに
じゃが、その先が追えぬ。
余程力ある者が関わっているのか、縁の先を見通すことが出来ぬ。
ならばこの侍の言う事は事実なのであろう。
試しに心を読んでみたが、少なくともこの侍は自分が嘘を言っているとは思っておらぬ。
ただ、のう。
言っては何じゃが、
異界に通じやすい格の高い境界があるにはあるが、古くからあるというだけの
そのようなところに強大な隠れ里が出来るとは考えづらい。
ワシは
それほど強大な隠れ里であれば、道の神でもあるワシが見逃すなどあり得ぬ。
であるならば、どこかの隠れ里と境界を通じて繋がったと見るのが無難じゃろう。
となれば、直接様子を見に行ってみねばいかんのう。
あまり考えたくはないが、場合によっては周囲の勢力図に影響を及ぼす場合もある。
幸いにしてこの侍が無事という事は、それほど危険性は高くないと考えられる。
招かれた者しか入れぬというのが気がかりではあるが、なに、駄目ならその時はその時よ。
「なるほど、ここの
それからワシは
突然のワシの訪問に驚いた山神であったが、とりあえず隠れ里についての心当たりを問う。
曰く去年の夏頃に突然現れた隠れ里があるらしい。
最初にそれが現れたときは近くにいた侍が取り込まれ、しばらくして何とも奇妙な狐が出てきたそうじゃ。
その狐は真っ白な体毛をしており、狐を象った面を付けていたらしい。
しかもその狐にはほとんど霊威を感じなかったにも関わらず動きは普通の狐のそれではなく、目にも止まらぬ速さで駆けて行ったという。
白い体毛というだけであれば、北の方にミシロキツネというのが生息しているというのは知っておる。
ただ、面を付けていたというのと狐離れした動きを考えれば何らかの
じゃがそれにしては大した霊威を持っていないというのが気になる。
本当に見た目通りの霊威しか持っていないのであれば、目にも止まらぬ速さで駆けたという証言の説明がつかぬ。
それが出来るというのであれば、並の
であるならば、その
その後に戻って来た狐と入れ替わるように件の侍が出てきたという話を考慮すれば、面を付けた狐は隠れ里の
案外狐に取り憑いて自在に操る能力を持っていたりするのかも知れんのう。
それからしばらくして、今度は妖狐が取り込まれた。
その時は隠れ里から出てきた者はおらず、妖狐も次の日の朝には戻って来たそうな。
しかも取り込まれる前は明らかに弱っていた妖狐が、戻って来た時にはすっかり元気になっていたというではないか。
そしてこれは件の侍もだが、戻って来た時には取り込まれる前には身に着けていなかった物を身に着けていたそうだ。
件の侍は妖刀、妖狐は
なるほど、よくあると言えばよくある隠れ里じゃな。
隠れ里に招かれて持て成しを受けた、土産を貰ったという話はそれなりにある。
その土産が妖刀のような道具の妖怪という事も、ままある。
侍の少し後に何匹か面を付けた狐が出てきたことがあったが全員隠れ里へ戻っており、その際に何も持ち帰った様子はないとのこと。
おそらくは辺りを
妖狐以降は特に動きもなく、取り込まれた者もいないそうじゃ。
それゆえにここの山神もそれをよくある隠れ里と見て放っておいた。
山神からすれば、まぁ妥当な対応じゃろうな。
隠れ里へ通じる事自体はただの現象であり、隠れ里そのものは異界に存在する故に神々にもそちらへ何かしらの命令を下す権限はない。
この世の側から道を閉じる分には権限の内であるが、ここの山神には難しいじゃろう。
残念ながら
それはそのままここの山神の神格があまり高く無い事を意味しておる。
山神によっては複数の山を領域としている者もおるが、ここの山神はそうではないしのぅ。
要するに道を閉じるほどの力は持っておらぬのだ。
藪をつついて蛇を出すよりは、害が無いのなら放っておいた方がいいじゃろう。
それに隠れ里が出来た事で山の格が上がる可能性がある事を考えれば、損害が出ないうちは閉じてしまうのも惜しいじゃろうからな。
しかし、場合によってはワシが強権を使ってでも閉じる必要があるやもしれん。
そうならない事を願っておくとしよう。
隠れ里へと続く道に足を踏み入れる。
ふむ、招かれた者だけが行けるというだけはあって結界のようなものがあるのぅ。
正確に言えば結界ではないが、まぁ似たようなものじゃ。
試しにそれに触れてみるが、拒まれるような感じはない。
これは招かれたとみて良いのか。
道なりに少し歩くと何やら気配を感じる。
これは
当然と言えば当然か。
先触れ*1もない知らぬ客じゃ。
追い出しはしなかったとて警戒はするじゃろう。
しばらくして立派な門が姿を現し、開かれた扉の先には立派な屋敷が見える。
そしてその門の前に一匹の面を付けた白狐がいた。
「ようこそおいでくださいました、お客様。お名前を伺ってもよろしいですか?」
名を聞いてきた白狐に、特に隠す理由も無いので普通に名乗る。
こやつ、仮面の方が本体か。
それも隠してはいるようだが中々の霊威を持っている。
これほどの
この隠れ里に入った時から感じている神気。
これが
更に感じる神気はこれだけではない。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、……残り香程度のものも含めれば実に六柱分もの神気がある。
一つの隠れ里に何柱もの神が住んでいるとは考えづらいので、それほど頻繁に神々が出入りしているという事なのだろう。
しかし山神の話しには神が取り込まれたというものは無かった。
であれば、この隠れ里に繋がる道は一つではない。
それに加えてワシにはこれらの神気の持ち主に覚えがない。
無論全ての神を知っている訳ではないが、これほどの神気の持ち主が
であるならば、外の神という可能性が高いか。
これは、少し厄介な事になるかもしれん。
それから白狐にここに来た目的を聞かれた。
なのでここに来た事があるという侍の話を聞き、興味を惹かれて足を運んでみればなんとも見事な隠れ里があったので、ついついここまで足が向いてしまった。
そのように伝えた。
正直にこの隠れ里が
しかしいきなり嘘をついては後々に響く。
嘘は言わぬが理由をぼかし、ただの興味本位のように語る。
頭の回る輩であれば気づくだろうが、それならそれで構わぬ。
「でしたら、屋敷の方で少し寛いでいかれませんか? この隠れ里の
ぬっ、これは。
これは僥倖と言うべきか否か。
ここの主にワシが来たことを既に知られているのは良い。
隠れ里に入った時から感じていた視線はここの主か、あるいは見張りの者で先回りして伝えたのだろう。
しかし相手方からすればワシはいきなり現れた不審な輩ではないのか?
ワシもそれなりに名の知れた神であるから、
ただの迷い込んだ人間ではないのは分からない筈がないじゃろうに。
それをいきなり内側に招くとか、ワシが
大胆なのか考え無しなのか、それとも
いや、ここに満ちる神気を考えれば後者じゃろうな。
せっかく自然に屋敷の中を探れる機会をふいにする訳にはいかぬ。
ここの
これを断るという選択肢はない。
もし何らかの罠であったとしても、旅の神としての権能をもってすれば逃げる事くらいはできる。
そういった意味では
「おお、それは願ってもない事。是非おじゃまさせていただきたい」
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
玄関から廊下を通り、一室へと案内される。
見た限り建物の様式は
案内された部屋に入ると、三人の……いや、二柱と一人の姿があった。
そのうちの一柱に促されて、座卓の反対側へと座る。
相手方の中央に座る神からはただ者ではない雰囲気があるが、なんというかそれほど力を持っていそうには感じぬな。
力を隠している可能性も無くは無いが、それならば雰囲気の方も変えねば意味がない。
おそらくは権威によって信仰を得る、力そのものは持たない神なのじゃろう。
というか、その身は人間じゃな。
信仰を得て神となったか、はたまた人に生まれ変わった神か。
向かって左側にいるのは、こちらもなかなかの神じゃな。
抑えてはいるようじゃが
あまり考えたくはないが、争いになればワシであっても分が悪い
ましてやここは隠れ里。
地の利は相手方にあるのは間違いない。
しかも隠れ里に満ちる神気はこの二柱のものではない。
まさかこれ以上の
向かって右側の者は……それなりに力のある普通の
座っている位置的に中央の神の神使かなにかか。
「この度は屋敷に招き入れていただき、感謝しますぞ。ワシの名はサルタビコ。見ての通りしがない神じゃて」
礼を述べつつ、比較的気安い口調で話す。
木端の神では無い事くらいは理解しているだろうが、さてどう反応する?
軽く、中央にいる神の心の内を覗く。
流石に謙遜である事は理解しているようじゃが、感じている感情は安堵。
これは気安い口調で話したのは正解だったか。
覗いたのは軽くであるから考えている内容までは分からなかったが、これ以上は無理そうじゃな。
深いところは
元より神の心を覗くのは人の其れよりも難しい。
ふむ、過去視も駄目か。
まぁ、普通に警戒されておるよな。
この分であれば他の一柱と一人も表層を攫う程度にしておいた方がよさそうじゃ。
機微を察せられるだけでも十分じゃし、無理に覗き込んで逆鱗にでも触れてはかなわん。
「ご謙遜を。挨拶が遅れましたが私は
返答したのはその神。
なんと、この者が
続いてもう一柱の神が
やはり聞いた事のない名だな。
そして最後に
神使ではなく妻であったか。
まぁ、
「それで、わざわざこのような異界にまでおいでなさるとは一体どのような用向きで?」
「いやはや。実は
少し入り込み過ぎた感はあるがな。
本来であれば一度屋敷の門を確認した辺りで引き返す予定であった。
じゃが中の様子を見る機会が降って湧いたのであれば、それを無駄にするのは惜しい。
神使かどうかは別として、あの白狐はその
分かっていて招いたのであれば、誘い込まれたと考える事もできる。
であれば
単純に己が領域を自慢したいといったものであればむしろありがたいんじゃがな。
普通に考えれば自分に有利な状況で招かれざる客であるワシを見極めたいといったところか。
もちろんそれは防いでいるしなんなら偽装の思考を被せてはいるが、偽装の方は見破られているようだ。
先に心を読もうとしたのは失敗じゃったかもしれん。
相手を警戒させた上に、予想より心を読むのが上手い。
この分であれば表層は読み取られておる事じゃろう。
読心による情報戦はお互いに牽制にしかならなかったといったところじゃが、選択肢を自ら狭めた感はある。
とはいえそれが通せれば圧倒的な優位性を得られていただけに、仕掛けぬという選択を取るのもまた難しい。
結果だけ見ればお互いに損害無しの引き分け。
相手方も防げない方が悪いと考えているのか、反感のようなものは無かったので悪手ではなかったようだが。
「それはそれは。どのような話を聞かれたかは存じませんが、実際に見てみていかがでしたかな」
「ワシも役目柄
これほどの神がいるのもそうだが、隠れ里自体がこれほど強い力を持っているというのが珍しい。
ワシが知る限り、
「そういえば里に入った折に二柱とも違う強い神気を感じたのじゃが、他にも誰か神がおるなら紹介してはもらえんかな」
それほどの隠れ里であるから、これは調べておかねばならない。
幸いにしてそれなりの神であればここに満ちる神気には気づかぬ方が考えづらい。
故にその神にも挨拶せねばと紹介を頼む……という行為に不自然さはない筈じゃ。
「それはおそらく
しかし、その告げられた名は予想外のものであった。
「
ウカノミタマと言えば
ワシも何度か見かけた事はあるが、とてもこれほどの神気を持てる神には見えなかった。
いや、名の音は同じであるが意味が異なるように感じる。
どうやら違う言葉をお互いに聞き取れるようにする
ここにきてワシはようやく
それほどにまで、おそらく白狐の時から自然に行使されていた
「ええ。そういえば
「確かにおりますな。ワシも顔を知っている程度で言葉を交わした事は無いが」
あくまで話に聞いた程度のものであるようだが。
「この地にも分社はありますが長らく
それと、ここで
もし
考えられる関係性はいくつかあるが、一番あり得そうなのはお互いに同格ではあるが
もちろん社を預かっているという言葉から
「なら仕方ない。なに、少し気になっただけじゃわい」
ここは今踏み込んでも仕方がない。
長期的に不在でいつ戻ってくるかも不明であるという事が分かっただけでも十分だ。
隠れ里の主はあくまで
あとはもう三柱分の神気の持ち主か。
痕跡程度しか残っておらなんだが、そこから推測できる神気の内の一つがかなり強力な神のものである事が察せられる。
ともすればワシより上かも知れぬ。
しかもかなり新しいものである事から、最近ここを訪れた神である可能性が高い。
これは確認しておきたいが、さてどう切り出したものか。
「あとはミルラト神話の神々が何柱か来られる事がありますから、そちらの方かもしれませんね」
その答えは聞かずとも
ミルラト神話と言えば、海を隔てた西の大陸にある国々の神話であったはず。
少数ながら
当然の事ながら、ミルラトの神々を直接目にした事もない。
「ほう、あの。という事はここはミルラトの神々とも交流があるのですな」
「ええ、その隣を借りている縁で少し」
隣……隣か。
そう表現するという事は、この隠れ里はミルラト神話圏に近い位置にあるのだろう。
やはり
それに借りているという言葉を使ったという事は、正式にそちらの所属ではない。
この隠れ里自体が移動する、いわゆる「
様式や文化は
しかし、そうなると境界を閉じるのは逆に危険か。
出入り口があそこだけならばよいが、これまでの話をまとめるとこの隠れ里は遥か海の向こうから
二度はそれが出来ないと考えるのは楽観が過ぎるじゃろう。
ならば確実にこの隠れ里に辿り着ける境界はあえて残し、こちらからもある程度干渉できる手段を確保しておいた方がよい。
幸いにして隠れ里の方から積極的に
ふむ、少し探りを入れてみるか。
「ということは随分と遠いところから縁が繋がったのですな。館や内装が
「そうですね。こちらとしてもまさか
おや、という事は
少なくとも嘘をついているような感情は見られない。
「元々この異界は別の世界にあったのですが、とある災害に巻き込まれてこちらへ来てしまっていましてね。幸いにして帰る目星はついているのですが、それがいつになるかは何とも」
「なんと……」
非常に珍しい事ではあるが確かにそういった事例が無くはない。
例えばワシらの神話を纏めた書物を時の
しかし当時の
さらにその人物は当時としては革新的な技術や思想を数多くもたらし、
当時は地上への干渉が少なかったせいか神々ですらよく覚えている者がいない話なのだが、それらの事からその人物は違う世界からこの世にやってきたのではないかと
それに地上の人間はともかく、神々の間では違う世界がいくつも存在している事は知られている。
このような隠れ里も、言ってしまえば地上とは異なる別の世界だ。
あとはその境界の壁が厚いか薄いかの違いでしかない。
「それは災難でしたな」
「まぁ、苦労する事もありますが百年はかからなさそうですし、時折こうしてお客さんも来られるので退屈せずに済んでいますよ」
そういう事であればむしろ放置しておいた方が無難じゃな。
あと百年もいないというのであれば、下手に手を出して火傷をするよりはその方が良い。
もし
それからしばし会話を続け、そろそろ正午は過ぎたかといった頃。
「そういえばサルタビコ神は昼食はお済みですかな? まだのようでしたら一緒にいかがでしょう。大したものではありませんが、
異界の食事ともなれば気を付けねばならない事もいくつかあるが、だからといって断るには惜しい。
なにせ件の侍がこの世の物とは思えぬ美味と評したのだ。
何とも興味をそそられるではないか。
「おお、実はまだでしてな。よろしければご
「ええ、是非に」
そして出てきたのは
食器は
ワシの所にだけあるのであればわざわざ用意したとも考えられるが、
それにどうやら
手を合わせ、箸を手に取って炊き込み飯を頂く。
!?
口に入れた瞬間に感じるのはふっくらと炊き上がった米にしみ込んだ出汁と油揚げの濃厚な旨味。
噛めばしっかりとした歯ごたえを残しながらも柔らかな食感を返す筍。
米そのものが持つほのかな甘味。
それらが絶妙な味の調和を作り出している。
調理技術もさることながら、食材自体の味が半端ではない。
信仰心によってその質を大いに高めた食材であれば、これほどの味も納得できる。
しかし、これらは隠れ里にあるだけのただの食材から作られている。
無論、隠れ里の性質によって美味さが引き出されているというのはあるだろう。
それでも、それを差し引いたとしても食材自体の持つ味が圧倒的なのだ。
それが分かる。
分かってしまう。
もしこれが
汁物を口に含む。
おそらくは味噌汁。
出汁は
断言できないのは、これまた今まで口にした事のないほどの旨さであったからだ。
味噌とはこれほどのコクを産み出せるものなのか。
これはいかん。
ここを放置などとんでもない。
何としてもこの隠れ里と友好を結び、これらの食材を譲り受けられるだけの関係を作らねば。
それが
いつの世も
時に外の国々や神々との交渉の手段にすら使えるほどに。
しかし焦ってはならぬ。
こちらはまだこの隠れ里の事をほとんど知らない。
無理に事を進めて反感を買ってしまえば、せっかくの機会が無に帰してしまう。
だが悠長にもしておられぬ。
それを過ぎればこの隠れ里は
時期が分からぬという事から、場合によっては十年もない事も考えられるのだ。
急いでその為の案を検討せねば。
そういえば
ふむ、一考の余地はあるか。
戻ったら早急にスサノオ神に話を持っていく必要がある。
後は…………そうじゃな…………
最初は単なる興味本位であったが、いやはや面白いことになったものじゃ。
ワシも