俺と天狐の異世界四方山見聞録   作:黒い翠鳥

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私の妖怪観その2。


単語の意味としては正確ではなかったため、過去話における「実体」という表現を「肉体を持つ」等に修正しました。
過去話にでてきた設定を踏まえてFile No.21-2の梟の表現を化生(けしょう)から魔獣に変更。


File No.32  『教うるは学ぶの半ば』

「妖怪には実体(からだ)を持つものと持たないものがいる訳じゃが、人間の認識において────」

 

今日も今日とてミコトは妖怪の学問のお勉強。

講師はもちろんコンだ。

 

今回の講義内容は「見える人」と「見えない人」の認識の違いらしい。

所謂霊感というやつだが、これが人間と妖怪でその捉え方が異なっている。

というのも、妖怪側からすれば霊体を認識する能力が全くない人間というのはいないそうなのだ。

何故なら人間は肉体と霊魂が重なり合って出来ているため、物質的に感知できなくても霊魂部分で認識する事が可能だからである。

 

しかし実際には霊が全く見えない人というのはいるし、何なら現代社会においてはそっちの方が多いだろう。

それは何故か。

その秘密を解き明かすカギは脳の機能にあるのだ。

 

人間の脳には他雑な情報の中から必要なものを抽出する機能や足りない情報を補完する機能がある。

例えば前者は『カクテルパーティー効果』というのが有名だろうか。

多くの人がそれぞれ雑談しているような騒がしい中にあっても、自分の名前や興味のある会話については自然と聞き取れたりするアレである。

 

つまり実際に聞いた音を脳が認識しやすいように再構築しているのだ。

霊視に関してもこれと近しい現象がおこる。

 

人間が一度に認識できる量には限界がある。

そのため霊視も含めたすべての視覚情報の中から、脳が生きるためにより重要な情報として光学情報をメインに再構築してしまうのだ。

 

これだけならあくまで通常の視覚による光景が見えやすいというだけで霊体が見えなくなる理由にはならないと思う人もいるだろう。

しかしここで以前にも話した「妖怪はこちらの意思によって在り方を変える」という話が関わってくる。

人間が認識しなければ妖怪はそこに存在する意味を失う。

人は成長していくうえでその事を無意識のうちに学習してしまい、少しでも生存率を高めるために霊視情報を遮断するようになってしまうのだ。

 

実際に大人よりも子供の方が妖怪を認識しやすく、意図的に霊視を使わなければ子供にしか見ることが出来ない妖怪もいたりする。

あくまで大人に比べて多いというだけで視えない子供も少なくないし、視えていてもそれを霊や妖怪だと認識していなケースも結構あるが。

 

また子供の頃に妖怪や幽霊に怖い目にあわされたりすると、逆に危険を避けるために通常の視界よりも霊視を脳が重要視してしまい、大人になっても妖怪が視えるままという人もいる。

まぁ、この辺は個人差の範疇だ。

特に何もなくても見える人はいるし、小さい頃は妖怪と仲が良かったのに大人になったら見えなくなってしまったという人もいるからな。

何なら霊体を見る機能自体がなくなる訳ではないから、訓練によって再び見えるようにすることも出来るし。

 

これは霊視以外の霊感についても同じである。

心霊スポットへ行くと普段霊の見えない人でも何かいると感じたり、怖くなって寒気がしたという話を聞いたことがあるだろう。

あれは命の危険を感じ取った脳が霊感からもたらさせる情報を必死になって伝えようとしているからなのだ。

そこで霊が見えるようになったりしないのは、普段使っていないから認識の切り替えが上手くできないせいである。

 

ああいう所にいる霊や妖怪は既に何かに執着している場合がほとんどなので、こっちが認識していようがしていなかろうがお構いなしに影響を与えてくるから興味本位で行ったりしないように。

場合によっては普通に死ぬからな。

 

ちなみに俺の場合は幼いころに妖怪に取り憑かれた事で霊的情報の洪水が押し寄せてしまい、霊感がオーバーフローしてしまうという事があったらしい。

そのせいで防衛本能によって霊的情報を脳が遮断するようになり、コンに会うまで妖怪を認識する事が出来なくなってしまっていた。

前にコンとの縁が深まったことで霊視が開眼したと言ったが、厳密に言えばあれはリハビリに成功したというのが近いそうだ。

その妖怪にも悪気があった訳じゃないらしいけどな。

 

「という訳で、霊体の妖怪が人間と関わる場合、自身が人間からどう見えているかを把握する必要がある訳じゃ」

 

「ふんふん」

 

「この場合の人間の反応はその感覚の度合いによっておおむね三種類の認識に分かれる。ふむ、タケル、答えられるか?」

 

おっと、話がこっちに飛んできた。

 

「妖怪に反応する、結果に反応する、結果を補完するの三つだな」

 

思考を停止させて事象を認識しないようにするなどもあるが、おおまかに三種類に分けるならこの三つだ。

 

「正解じゃ」

 

「あなた、凄いのだ」

 

一度はこの教育課程を終えた身としては、これくらいはね。

 

妖怪に反応するってのは文字通りの意味だ。

反応の結果はともかく、妖怪に対して何らかのリアクションを取る。

 

あえて無視する事で妖怪からの干渉を回避しようとするのも、あくまで反応の結果なので分類としてはここだ。

基本的に霊や妖怪が視える場合の反応であるが、視えずとも声は聞くことができるといった場合でもこの反応になる。

 

結果に反応するというのは妖怪や霊自体は見えていないが、他の事象によってその存在を認識できる場合の反応だ。

ポルターガイストのように家具などがひとりでに動いたり、ラップ音のように音だけが響いたりといった現象があげられる。

 

あくまで物体の移動や音などの結果としてその存在を推測しているだけで、霊感自体はほとんどない場合が多い。

妖怪を認識できなかった頃の俺がこの状態だな。

コンの姿は認識できなかったけど、物質的な音声(空気の振動)は聞くことができた為にコンの存在に気付く事が出来たのだ。

ちなみに最初コンは霊声(霊的な声)で話しかけてきたが、反応が無かったので妖術を使って肉声で話しかけてきたという経緯があったりする。

 

最後の結果を補完するは、これも霊感が無い場合の反応である。

これは先ほど話した脳の足りない情報を補完する性質によるものだ。

 

例えば中心角270°の扇形を開いている面を向かい合わせにして上下左右に配置した時、ない筈の四角形が見えるようにならないだろうか。

あるいは水着の人物が写っている写真の水着部分を指で隠したら、まるでその人が裸でいるように見えたりしないだろうか。

これは脳が見えていない部分を周囲の状態から補完しようとする事で起きる現象なのだが、これと同じようなことが起こるのだ。

 

例として妖怪や幽霊がコップを移動させたとしよう。

するとコップが移動したという事象に対して、その原因を自分の都合がいいように補完してしまう。

近くの人が動かしたと知覚を誤魔化したり、最初からそこにあったと認識を改ざんしたり、自分で動かしたと記憶を捏造したりする。

 

これらは妖怪や霊を認識しない事で身を守ろうとする防衛本能からくるものであり、当然ながら本人に自覚は無い。

妖怪をいないと断言する人の反応はだいたいこれだそうな。

 

最近は霊柱(はしら)を構成するために必要な未知の多くが科学によって暴かれることで妖怪の絶対数が減ってきている。

妖怪が身近なものではなくなった事でかえって耐性がなくなり、いざ怪奇現象に遭遇した際にこの反応を起こす人も多いと聞く。

 

「────とまぁ、こんな感じじゃな。次に実体(からだ)を持つ妖怪の場合じゃが、これは物体を核として魄様(はくよう)を構成しておる場合と、妖術などにより実体(からだ)を得ておる場合がある」

 

実体(じったい)という言葉の本来の意味は正体や実質というものである。

しかし妖怪の学問において『実体(からだ)』と読む場合は、物質に直接干渉可能な体の事を指す。

分かりにくければ物に触れる事のできる体くらいのニュアンスで考えてもらえればいいだろう。

 

これは肉体に限らず金属や陶器などで構成される場合も含まれる。

よく霊体の対義語として語られる場合が多いか。

俺やコンが「実体」と表記して「からだ」と読んだ場合は基本的にそういう意味だと思って欲しい。

 

「まぁ、この辺はお主もよく知っておるじゃろうが」

 

ミコトは元は屏風覗きという付喪神であり、その本体は屏風そのものだった。

その屏風に書かれた絵に妖術で実体(からだ)を持たせる事で、人間のように活動していたのだ。

 

妖術により得たものであっても実体(からだ)があるなら、霊が視えない人でもその姿を見ることが出来る。

なんならカメラとかにも普通に映る。

 

現在は廻比目(めぐりひもく)となった事で常時実体(からだ)を持っているが、これも妖術によって得ているものと本質的には同じであり、その気になれば霊体になる事もできる。

ただ、元屏風覗きだからか霊体になると物の表面に入り込んでしまうらしい。

やろうと思えば服の表面に入り込んで一緒におでかけとかもできるそうだが、生物や妖怪の表面には流石に入り込めないようだ。

 

だが、霊が視えない人にも見えるとは言っても妖術によって得た実体(からだ)は霊体と同じような性質も併せ持っている。

その為、霊感のない人が見れば脳が違和感のないように修正してしまう。

 

例えばミコトの獣人形態(じゅうじんモード)には狐の耳と尻尾があるが、その状態でも霊感のない人が見れば普通の人間に見えるだろう。

経立形態(ふったちモード)なら二足歩行していても普通の狐と認識されるだろうし、そこから目の前で人間形態(にんげんモード)になったとしても最初からそうだったように思ってしまうのだ。

 

これは例えカメラ越しの映像でも同じである。

あくまで見る側の脳の性質の問題だからな。

もちろん霊感が強ければ普通に見ることが出来るが。

 

妖怪を認識できなかった時期の俺でもミコトと遊ぶことが出来たのは、ミコトが実体(からだ)を持っていたから普通の人間として見えていた(視覚で認識していた)からだ。

コンの時も人間にでも化けてくれれば普通に認識できていた筈なのだが、俺の反応を見る為にわざわざ声だけを肉声にして話しかけてきたようだ。

コンはあれで結構悪戯好きだったりするんだよな。

 

ちなみに声に関しては実体(からだ)があれば霊感のない人にも聞こえるが、経立形態(ふったちモード)で喋っても特に違和感を持たれなかったりする。

何故なら狐も鳴き声を発する(声を出す)ことが出来るからだ。

話の内容を認識できるか(言葉に聞こえるか鳴き声に聞こえるか)はまた別の話だが。

 

付喪神のように物体を核に実体(からだ)を持つ場合は、別の物に化けでもしない限りは核となる物体に見える。

百重御殿の妖怪はだいたいこれなので、マヨイガに来ることさえできれば霊感が無くとも日本屋敷を見ることは可能だ。

それにマヨイガ妖怪に所有者と認められれば、縁が深まる事で霊感が無くともその妖怪に関してだけは妖怪(不思議な道具)と認識できる場合もあるだろう。

 

まぁ、今までの話はあくまでも統計的な傾向であって例外も山のようにある。

妖怪は見えないけど幽霊は見える、とかな。

 

「────という事じゃ。ここまでで何か質問はあるか?」

 

「はいなのだ。幽霊とかが物に取り憑いてたりしても同じ反応になるのだ?」

 

「ああ、その場合も同様じゃな」

 

地縛霊とか何かに執着している霊の類だな。

あれも霊感が無いと認識すらできない。

 

今更であるが、俺たちの言う『霊感が無い』とは妖怪や幽霊の情報を脳が遮断してしまうという意味だ。

それ以外は結果のみを認識できる場合も含めて『霊感がある』というカテゴリーに含まれる。

後はその強弱の問題だ。

 

昔はともかく今の俺は霊感があるが、実は一定以下の強さの(もの)()や幽霊は意図的に認識を遮断して見えないようにしている。

というのも、数が多いので全部見えてると色々と面倒だったりするからだ。

例外的にマヨイガ妖怪は弱くても認識できるようにしていて、訓練次第ではこういった事も出来たりするのだ。

 

 

 

そう言えば異世界だとどうなるんだっけか。

 

確かルミナ神の話しではミルラト神話圏だと信仰の有無という絶対的な違いはあれど性質的には妖怪に近しい『神』を見る事ができる人間は希少なんだとか。

 

妖怪は動物あがりのものは魔獣と呼ばれ普通に動物の一種として広く認知されていると聞くが、植物や道具から変化したものは化生(けしょう)*1と呼ばれ、現世における妖怪と似たような立ち位置だった筈だ。

 

道具の場合は化けずに特殊な力を発揮するだけなら神器という分類になるんだっけか。

 

あくまで今までの話を総合するとその筈、というだけなので間違っているかも知れないが。

 

日乃國(ヒノクニ)では元が動物であっても道具であっても事象であっても(あやかし)*2と呼ばれているそうだ。

ただしミルラト神話圏では動物の妖怪も()()()使()()()()()()()()も纏めて魔獣と呼ばれるのに対し、日乃國(ヒノクニ)では前者が(あやかし)であって後者はただの動物と分けられる。

 

五郎左殿の過去を見たコン曰く、日乃國(ヒノクニ)において(あやかし)は有害無害を問わなければ普通に暮らしていてもそこそこ遭遇する結構一般的な存在らしい。

 

逆にサルタビコ神のような『神』と会えるような人間は限られているそうな。

視える人が少ないのか、単に人前に出てくることが少ないのかは不明。

 

総じてミルラト神話圏・日乃國(ヒノクニ)問わず動物あがりのように肉体を持つ妖怪は誰でも認識できるようだ。

逆に神のように物質的な肉体を持たない場合は視える人が非常に限られてくる。

幽霊とかも見える人はほとんどいないとの事。

 

現代日本に比べて霊感を持っている人自体は多いが、霊感が強い人となるとそうでもないといった感じか。

ちなみにフェルドナ神は動物あがりの神だが、既に肉体は失われている*3そうで完全霊体である。

 

「────という傾向になる訳じゃな」

 

「ふんふん」

 

コンの講義はまだまだ続きそうだ。

記憶にあるものと変わらない内容の講義を聴きながら、ふとそういえばトマトケチャップが少なくなってたなと思いだす。

 

マヨネーズもそうなんだがトマトケチャップなんてマヨイガには無かったので、異世界に来てわりとすぐに作っておいたのだ。

やっぱりこういうのがあると食事の味付けに幅が出るし、トマトはマヨイガにあったからな。

特にトマトケチャップはルミナ神が気に入ったらしく、ちょくちょく作り足してはいるものの結構減りが早いのだ。

 

そういえば結構前に気に入ったならとルミナ神に作り方を教えたところ、マヨネーズといっしょにミルラト神話圏で生産を始めたとか言ってたっけ。

ミルラト神話圏にもトマトはあるらしい。

 

現世の歴史においてかつてトマトには毒があると思われていた。

というのも、トマトを食べた貴族がよく中毒を起こしていたからだ。

もちろんトマトそのものに毒があった訳ではなく、当時貴族の間で使われていた食器に(なまり)が含まれており、それがトマトの酸で溶け出してしまっていたからだと言われている。

 

そしてこの誤解が解けた後も、しばらくは観賞用に育てられるのみで食べられてはいなかったらしい。

日本に最初にトマトが入って来た時も、観賞用だったそうだ。

トマトが広く食べられるようになったのは品種改良の結果という話もあるし、単純に当時はそれほど美味しくは無かったのかもしれない。

 

ミルラト神話圏でも似たようなことがあったらしいが、その後に食用として広まるのは早かったそうな。

神々の助言により原因の究明が早かった事と、異世界の野生種はそのままでも結構おいしかったのが理由と思われる。

ただ、トマトのソースはあったそうだが現代日本においてトマトケチャップと呼ばれるようなものは無かったとのこと。

 

現在はルミナ神の領域では結構な人気を博しているそうで、多くの店でトマトケチャップを使った料理が提供されているそうな。

逆にマヨネーズは貴族が訪れるような高級店でもないとなかなか取り扱ってはいない。

ほら、異世界だと卵の衛生管理と賞味期限がね。

 

それを考えると中に入れた物が腐らず劣化せず黴菌も増えない妖怪蠅帳(はえちょう)の有難さが身に染みる。

 

大量の食材などを保管するのであれば、内部が低温なうえに経過時間を調整できる妖怪氷室(ひむろ)が活躍する。

実際に新年会の料理を作る際にルミナ神から譲ってもらった肉類が、まだ結構な量貯蔵されているのだ。

 

ただ妖怪氷室(ひむろ)は台所から割と離れた場所にあるので、よく使う調味料などを置いていおくには少し不便だったりする。

逆に妖怪蠅帳(はえちょう)はその気になれば移動も出来るので調味料や作り置きの料理を入れておく分には優秀だが、中に入れられる量がそれほど多くは無い。

この辺は適材適所だ。

 

せっかくだし、トマトケチャップを作り足すついでに自家製豚カツソースにも挑戦してみようか。

作り方を見たのはもうかなり前の事で覚えていないが、コンに記憶を覗いてもらえば大丈夫だろう。

もしかしたらいつもの妖怪本に載っているかもしれない。

 

上手くできたら今日の夕食はコモカツだな。

元気よくコンの講義を受けるミコトの声を聞きながら、俺はそんな事を考えるのだった。

*1
日本語的には妖怪と同じような意味。以心伝心の呪いがニュアンスの異なるほぼ同一の言葉を無理やり翻訳した結果である。

*2
化生と同じく日本語的には妖怪とほぼ同じ意味。

*3
本神曰く何十年か前に寿命で死んだとのこと。実はラクル村の(やしろ)白蛇のミイラ(フェルドナ神の遺体)が安置されているらしい。




実体(からだ)という読み方は創作なのであしからず。


『教うるは学ぶの半ば』

人に教える為にはその知識を深く知っておかねばならず、半分は自分の勉強にもなるということ。
知識が曖昧では教えることはできませんし、思いもよらない質問が来るかもしれません。
そんな時はそれを自分から調べ、勉強する事でその内容をより深く理解できるようになるのです。
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