化身とは──
元々は仏教用語で、仏様が
現代日本では神や妖怪、あるいは悪魔などが人間や動物の姿を取って現れたものに使われるのが一般的だろうか。
(ふむ、魂魄が噛み合っておるから
分霊とは大雑把に言うと神霊を分けることを言い、他の神社にその神を
神祭などにおいて降神の際に現れるのも分霊の一種であり、コンの言い方からしてこの人はこっちだろう。
それで問題はこの人がどんな神の化身かという事だが……正直名乗りの時点で予想はついた。
(おぬしの予想通りじゃな。こやつは
穀物を司る女神であり、父に三貴子の一柱である
稲荷神としては穀物に限らず産業全体の神ともされ、その御神徳も五穀豊穣に始まり家内安全・商売繁盛・開運招福・諸芸上達などなど、おおよそ人が望むものが一通り揃っている。
神使は狐。
そのほとんどが白狐であると言われており、コンも天狐ではあるが体毛は白い。
ちなみに勘違いされがちなのだが、御稲荷様自身は別に狐ではない。
これは
ただ化身先の姿として狐を選ぶ事はままあるようで、狐自体を稲荷神として祀っている所も結構あるそうだ。
それで、
(縁自体は無くは無いが、その細さを考えればサルタビコ神と同じじゃな)
つまり名前が同じだけの
これでもし
「なるほど、私の試練に挑む資格はあるようですね」
あんまり何も言わないのも怪しいので適当にそれっぽい事を言う。
実際にどんな人物かを考察していた間であり、立場上よろしくない相手ではないと判断した故なので出鱈目を言っている訳ではないし。
そう言うとウカさん(俺のお仕えしている
どうやら緊張しているようである。
「ではワシは席を外した方がよいかのぅ」
「そうですね。一人で挑んでいただくことを想定したものですし、その間サルタビコ神には別室で寛いでいただきましょう」
サルタビコ神が気を使ってかそう聞いてきたので、そうしてもらう。
もともと何らかの理由をつけてこの場を離れてもらう予定だったので有難い。
化身と言うのは想定してなかったが、一期一会の俺達はともかく
側頭部に付けているこんごうさん経由で他の面霊気達を呼び、サルタビコ神を離れ座敷に案内する。
ちなみにフェルドナ神がお役目時に寝泊まりするところとは別の離れ座敷である。
目的別に複数の離れ座敷があるのだ。
サルタビコ神が出ていくのを見届けたあと、ウカさんに向き直る。
「さて、ウカさんと言いましたね。サルタビコ神からどこまで聞いてます?」
「は、はい! 異界の
ふむ。
この様子だとウカさんはウカノミタマ神の化身としてではなく、あくまで
リスクを考えたらそれもありか。
もしくは人間相手だと無茶な試練は課すまいと踏んで、人の身でありながら高い能力を持つ化身を送り込むことで少しでも事を有利に運ぼうとしたとも考えられるが。
相性がいいってのはアレかな。
仕えている神と同じ名前の神だから無意識にでも手心を加えられる可能性があると判断したか。
あるいは……
「あの、試練って何をすればいいんですか」
さて、どんな試練だろうね。
というのも、俺にも試練の内容は分からないのである。
以前コンと百重が悪乗りして作った疑似試練だが、あれから更に手が加えられている。
もともと疑似試練はコンの幻術を使用したものであったが、これだと幻術耐性の高い相手には使えないという弱点が当初より指摘されていた。
「
「はい、こちらに」
それを解決したのがミコトが取り出したこれ。
そして悪夢を食べられるという事は、夢に干渉できるという事でもある。
その伝承効果を使う事により、この妖怪獏枕に触れて目を閉じた者に試練を行う白昼夢を見せられるようにしたのだ。
しかも自らそれを使って試練に挑むという手順を挟むことにより、自分で発動した効果として幻術耐性や睡眠耐性をすり抜けることが出来るのである。
夢の中ではそれが夢と認識できないため、その試練を乗り越えなければならないと思いつつも、これが夢であるという安心感が無い。
これにより高い安全性と、命の危機すら感じられる緊張感を同時に持たせることに成功したのである。
更に無意識下に干渉する関係上、試練にはその相手の本質が反映される。
簡単に言うと、根が(百重御殿の基準で)善人である程試練が簡単に、逆であれば難しくなり一線を越えると攻略不可能になる。
基本的にはコンの過去視で十分ではあるが、今回のような百重御殿が呼んだ相手以外を試す場合に重宝する機能だ。
ちなみにこの獏枕、結構大きめなサイズな上に木製なので普通の枕としては使いづらい。
マヨイガ妖怪なので偶には使ってあげたいのだが、そのまま使うと首が痛くなるのでもっぱらインテリアとして寝ている傍に置いておき、俺がうなされたら悪夢を食べてもらうという使い方になっている。
……最近獏枕を触るとなんか手が沈み込むような気がするのだが、俺が百重御殿の主になった事で材質が変わり始めているのだろうか。
「試練に挑戦するという意をもってこれに触れ、目を閉じなさい」
「はい」
ウカさんが妖怪獏枕に触れて目を瞑ると、そのまま動かなくなった。
どうやら夢の世界に落ちたようだ。
妖怪獏枕にはどんな体勢でもそのまま寝続けられるという能力もあるので、ウカさんが倒れることもない。
加えて胡蝶の夢の如く、年単位を夢の中で過ごしても外では数時間もたっていないという事も可能なので時間のかかる試練にも対応可能だ。
「それじゃぁ、夢の内容を見てみるか」
懐から妖怪銅鏡を取り出す。
古来より鏡には異なる世界を映す力があるとされてきた。
鏡の中にはもう一つの世界がある、という概念は世界中にみられるという。
それを反映してか、この妖怪銅鏡は目には見えない世界、例えば夢の世界を覗く力があるのだ。
ちなみに名前は
全体が金色をしているが、これは金メッキだとのこと。
ウカさんの前に
見た感じ、どこかの部屋か?
そこで文机のようなものに向かって、ウカさんが一心不乱に何かを書いている。
いや、書くじゃなくて描くの方だな。
ちょっと遠目で分かりづらいが、何かの絵を描いているようだ。
「少し縁を辿って視てみたんじゃが、こやつは絵で生計を立てているようじゃな。あまり名は広まっておらぬようじゃが」
化身と言えど人として生きているなら食べていく必要があるからなぁ。
逆に言えば人の世に生活基盤を持っているという事は、人の世で生活しているという事でもある。
つまりウカさんは神託などで一時的に降臨する為の体ではなく、ましてや今回の為にわざわざ化身を用意してきた訳では無いという事だ。
もう少し詳しく見ようと視点を近づけてもらうと、
なお、ミルラト神話圏では文字を書く場合は羽根ペンが、絵を描く場合は毛筆が主流である。
というか、なんか消しゴムらしきものもあるんだけど。
もしかして
絵の方はどうやらデフォルメされた人間同士がなにやらしている図のようだ。
頭身としては三といったところか。
実際の人間に比べて目がかなり大きく書かれている事もあり、現代日本でちびキャラと呼ばれている画風に近い。
日本では
まぁ五郎左殿が絵には縁がなかった事もあり、
「あ、これ知っているのだ。四コマ漫画っていうやつなのだ」
俺の横で一緒に覗いていたミコトがそう言った。
サルタビコ神がいる間は無言で控えていたミコトだったが、現在はウカさんも試練にかかりきりなので素を出してきたようだ。
最近知ったのだが、ミコトは
これはフォレアちゃんが産まれた時から普通に喋っていたのと同じ現象だと思ってくれればいい。
以前のケーキ入刀やファーストバイトらしきものの知識の出所は、コンが教えた訳ではなく受け継いだ知識の中にそれがあったみたいなのだ。
ミコトが四コマ漫画という概念を知っているのも、おそらくそういう事だろう。
言われてウカさんの絵を見てみれば、四つの絵に描かれた人物が同じで何らかのやり取りを行っているようにも見える。
文字と思われるものもあるが、残念ながら読むことはできなかった。
「なんかそれっぽいが、
印刷技術がそれほど発達しているような感じではなかったから、精々が直筆本が出回るくらいだとは思うけど。
「そこまでは分からんのう。本霊の影響力もあってあやつからこれ以上縁を辿るのは難しい」
「そっか。というか、これ何の試練なんだ?」
「異界神への捧げものを作る試練じゃな。何を作るか、そして何をもって達成あるいは失敗とするかは、本人の無意識から得意分野かつ全力で挑めば何とかなる内容を汲み取って設定されるようになっておる」
いつの間にかそんな事までできるようにしてたのね。
つまりウカさんは俺に捧げる為の漫画を描いているのか。
異界神の課す試練の内容が漫画を描けだったら疑問に思うことだろうが、夢という形をとる事で違和感を覚えさせないようにしているらしい。
夢だと理由も無いのにこうしなきゃいけない、しないとこうなるって思うことあるよね。
しばらく様子を見ていると、
制限はあるが映像といっしょに音も出力できるのだ。
その音を聞いた映像の中のウカさんが、絶望の表情をしながら机に突っ伏した。
よく聞けば『もう終わりだぁ……締め切り過ぎちゃったよぉ』と嘆いているようだ。
え? まさか失敗?
頑張ればぎりぎり、あるいはなんやかんやで突破できるように設定してある筈だけど。
「手を抜いているようには見えなかったが」
「ウカさん、頑張ってたのだ」
「これで突破できないほどの悪人ではないと思うんじゃが、何でかのう。とりあえず少し設定を甘めにして再挑戦してもらおうか。それなら行けるじゃろう」
そうだな。
妖怪獏枕から『もう起こしていい?』という意思が伝わってきたので、そうしてもらう。
目を覚ましたウカさんは映像の中で見たものと同じように絶望の表情をしている。
「ふむ。どうやら駄目だったようですね」
「あ、あの」
「
何かを言おうとしたウカさんに
「えっ! いいんですか!?」
「ええ。そのつもりがあるのなら」
それからウカさんはもう一度試練に挑み、
条件を甘くした分だけ最初よりはゴールに近づけたようだが、それでも届かなかった。
コン達と協議した結果、更なる条件の緩和を行う事にする。
これなら次は行けるだろう。
「もう一度、挑戦するかい?」
三度目、今度はギリギリではなく余裕をもって攻略できる条件を設定した。
設定基準自体はウカさんの無意識由来なのだが、流石に自己評価を実際の倍くらい盛ってなければ大丈夫だろうと判断された。
そんな試練を、ウカさんは
「もう一度、挑戦するかい?」
四度目はもうやけくそで思いっきり設定を甘くした。
ぶっちゃけ、昼寝休憩を挟めるくらいの余裕があるレベルである。
あくまで参照するのはウカさんの無意識なので直接的にゴールを設定できる訳ではないが、流石にこれなら大丈夫だろう。
途中でルミナ神が遊びに来たと言う報告があったが、取り込み中なのでどこかの部屋で待ってもらえるように伝言とその間の相手をマヨイガ妖怪の誰かにしてもらうよう百重に頼む。
そこまでやっても、
いや、どうなってんだこれ。
「もう一度、挑戦するかい?」
通算五度目の挑戦。
試練から戻る度にウカさんの顔色は悪くなり、素人目にも今回でダメだったら無理矢理中止にすべきかというところまで来ている。
一応肉体的疲労はほぼ無いはずだが、精神的にはきついのだろう。
外にいる俺達からしてみれば数分で終わる程度の試練だが、ウカさんの体感時間は毎回数時間に及んでいる筈だ。
加えて失敗したという結果と、次があるか分からないという不安がその精神に重くのしかかる。
それでも挑戦を止めないあたり、成し遂げたい理由があるのだろう。
そんなウカさんの努力を見守っていると、コンが「あっ」と声を上げた。
「そうか、そういう事じゃったのか。元々化身が挑戦する事なんぞ想定しておらんかったから」
「どうした、コン」
「何故こやつが何度もこれを失敗するのか分かった。肉体性能と自身の能力の認識の齟齬が大きすぎたんじゃ。じゃからどうあがいても出来ぬ目標をできると判断して設定しておったようじゃ」
「ウカさんが自分を過大評価しまくってたって事か?」
でもさっきからそれを想定して難易度を下げまくっている筈だが。
「いや、おそらく自己評価はそれほど間違っておらんじゃろう。問題は評価の対象が化身ではなく本霊の方なんじゃ」
「あっ」
化身にもよるが人間の肉体という枷がある以上、神の身であれば簡単な事でも人の身では難しいを通り越して不可能という場合もある。
そのせいでウカさんが全力で頑張ってもウカノミタマ神を基準に考えれば大して努力していないレベルの事しかやっていないと判定されてしまっていたのだ。
「…………」
「…………」
「……でもそんな試練に諦めずに五度も挑んだとなれば、諦めない意思を試す異界神の試練を突破したと言っても過言ではない……よな」
「……そうじゃな。百重御殿もそれをもって
そういえば疑似試練ってコンと百重の合作だったか。
まさか化身が試練を受けに来るとか普通は想定外よな。
妖怪米俵は妖気さえあればいくらでも米を生み出せる妖怪で、白米だろうが玄米だろうが籾だろうが出す事ができる。
百重御殿で食べている米は全部この妖怪米俵が作っているが、ウカさんにあげても分霊して増えるのでこちらには特に影響がない。
というか、そもそも蔵にいっぱいいるしな。
とりあえずそういう事に──
「あなた、あなた」
そう考えていると、ミコトに呼ばれた。
どうしたのかとそちらを見ると……
「ウカさん、頑張ったからちゃんと見てあげて欲しいのだ」
『やったぁ! 間に合った!』
そこには完成した捧げものを掲げ、喜びをあらわにするウカさんの姿が
「おめでとう、君は私の試練を乗り越えた。これを授けるに相応しいと認めよう」
運んできてもらった妖怪米俵にポンと手を置く。
まさか散々緩くしたとはいえそもそも無理な設定だったと判明した直後に突破するとは。
その執念に敬意を表さざるを得ない。
「ありがとうございます。よかったぁ、これでお父様に仕送りを止められなくて済むよぅ」
無意識に漏れたと思われる小さな声は聞かなかったことにした。
「よもや不屈の精神を試す為に失敗し続けることを前提とした試練を成功させて突破するとはね」
そういう事にしておく。
でないと失敗しても何度も受け直す事が可能だった理由が説明できないからね。
ウカさんが「えっ!?」と小さく驚きの声をあげるが、気づかないふりをした。
試練は終わったのでサルタビコ神を呼んでもらうよう面霊気達に言う。
(あの、それなのですが)
こんごうさんを通して
(途中でお越しになられたるみな神がさるたびこ神と意気投合なされまして)
ルミナ神が来たと言うのは聞いていたけど。
そういえばサルタビコ神が寛いでいる離れ座敷って庭を一望できるところにあるやつだったよな。
ルミナ神が暇つぶしに庭を散策したいと言えば面霊気達は止める理由もないだろう。
そうなれば、出会う事もあるか。
(ずいぶんとお話が盛り上がっているようなのですが、お呼びしますか?)
別に呼んでも問題は無いが……
いや、やっぱり俺らが行こう。
そろそろお昼だ。
サルタビコ神も昼食は食べて帰るだろう。
ならルミナ神も巻き込んで皆で一緒に食おうじゃないか────という建前で直接様子を見ておいた方がよさそうだ。
百聞は一見に如かず。
伝え聞くのと直接見るのでは大違いなのである。
そう考えてなでしこさんも確認を取ってきたのだろう。
直接そう言わない辺り、百重御殿的にはどっちでも問題ない程度の内容であると思っていそうだが。
そういう訳で、全員分の昼食を離れ座敷に持ってきてくれ。
(畏まりました)
さて、それではどうなっていますかねっと。
その後離れ座敷では何故かルミナ神とサルタビコ神が持ってきていた神酒による酒盛りが始まり、お互いのお国自慢をつまみに夕方まで飲み続けたあと、夕食まできっちり食べて二柱と一人は帰っていった。
こっちとしては色々な話が聴けて悪くない時間だったが、ウカさんは始終うちの神がすみませんみたいな表情をしていたのが印象的だったな。
『
毎日炊いているご飯ですら固かったり柔らかすぎたりすることがある。
世の中思ったようにはいかないものだという例え。