俺と天狐の異世界四方山見聞録   作:黒い翠鳥

74 / 93
File No.36は少し短め。


File No.36-1 『碁打ちに時なし』

囲碁、という盤上遊戯をご存知だろうか。

結構前だが囲碁を題材にした漫画が流行った事もあり、ルールは知らなくても聞いた事はあるという人も多いだろう。

 

奈良時代以前には既に大陸から日本へと伝わっていたようで、飛鳥時代の頃*1に唐の国で校訂された隋書倭国伝にも日本人が囲碁を好んでいるという記述がある。

源氏物語(げんじものがたり)枕草子(まくらのそうし)にも囲碁は登場しており、その様子から当時は宮廷を中心とした貴族社会で流行っていたようだ。

 

ちなみに正倉院(しょうそういん)にも木画紫檀棊局(もくがしたんのききょく)という碁盤が宝物として収められている。

 

武家や庶民に広まるのは室町時代に入ってからといわれており、武田信玄をはじめ多くの戦国武将が碁を好んでいた。

戦国三英傑として知られる織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も碁をたしなんでいる。

また当時、日海(にっかい)というお坊さんがおり、織田信長からその腕を称えられ豊臣秀吉が催した御前試合で優勝して徳川家康に名人碁所(めいじんごどころ)に任命されたほどの碁打ちであった。

後の本因坊(ほんいんぼう) 算砂(さんさ)である。

 

この頃には今の盤上に石がまったく無い状態から打ち始める自由布石が広まっていった。

それまでは四隅の星の位置に白黒の石を2子づつ置いてから打ち始める事前置石制*2が一般的だったのだ。

 

なんでこんな話をしているかというと、今目の前でその事前置石制の碁が打たれているからなのである。

 

 

 

事は百重御殿が新たにお客を招くという話で始まった。

それもどうやらミルラト神話圏からではなく日乃國(ヒノクニ)からである。

 

百重御殿から日乃國(ヒノクニ)までは距離が遠い、厳密には縁が細いため境界を使っても簡単には行き来できない。

しかし紅一文字の執念によって日乃國(ヒノクニ)永幡山(ながはたやま)というところに強力な縁が結ばれており、そこの周辺に限れば呼ぶ事が可能なのだ。

サルタビコ神も基本的にここを通ってやってくる。

 

それでいつものように異界神(キツネツキ)として待機していると、お客さんを案内してきたのは珍しい事に面霊気達ではなかった。

お客さんの方は多分二十代くらいの男性だが、案内してきたのはゆうに百は超えていそうな老爺(ろうや)であった。

いやまぁ、妖怪なので見た目が老いていても中身がそうとは限らないのだが。

 

その名も碁老人(ごろうじん)、囲碁の精である。

囲碁関係の妖怪なら二人組の碁石の精である「知玄(ちげん)」と「知白(ちはく)」も存在するが、こちらは百重御殿にはいない。

 

それで少し会話した後、なんか碁を異界神(キツネツキ)に奉納するみたいな流れになってお客さんと碁老人(ごろうじん)が打ち始めちゃったのである。

 

それにしても異世界で碁か。

俺も碁は打てはするが、素人に毛が生えた程度でしかない。

そんな俺から見てもお客さんの手つきは慣れていて、日頃からそれなり以上に碁を打っている事は分かる。

つまり日乃國(ヒノクニ)には碁があるのだ。

もちろんたまたま碁という言葉に翻訳できるほど似通ったゲームが異世界で生まれていたという可能性も無くは無いが、これはかつて日本から日乃國(ヒノクニ)にやって来た人物がいたという説が濃厚になって来たな。

 

とはいえ現代で打たれている碁とは異なる点がいくつかある。

先ほど言った事前置石制というのもそうだが、先手であるお客さんの方が白石を持っている。

また、コミと呼ばれる先行有利を補うためのハンデキャップが無い。

 

これらは昔の碁にみられる特徴だ。

ただ、いつ頃のものかまでは判別できない。

 

自由布石が広まったのは室町時代後期なのでそれ以前とも考えられるが、それ以降事前置石制が完全になくなった訳ではない。

先手が黒を持つようになったのも江戸時代に入ってからだが、それ以前にも黒が先手の棋譜は存在している。

コンに聞いてみても、『儂も碁は嗜む程度にしか打たんからのう。気づいたら先番が黒を持つのが流行っておったくらいにしか思っとらんかったから詳しい事は知らん』とのこと。

コミに至っては最初に記録が残されているのが江戸時代後期*3である。

ちなみに先行有利なのに長い間コミが無かった理由は、先手と後手では要求される技術が異なるため、先手後手を入れ替えて何度も打つことが前提にあったからだそうな。

 

それで盤面の方だが素人目には今のところどちらが有利かはよく分からん。

何となく碁老人(ごろうじん)の方が余裕があるように見えるが。

 

 ・

 ・

 ・

 

おっ。

 

 ・

 ・

 ・

 

おおっ!?

 

 ・

 ・

 ・

 

すげぇ! そんな手が!

 

 ・

 ・

 ・

 

「参りました」

 

この一局は最終的に碁老人(ごろうじん)に軍配が上がった。

非常に見ごたえのある一局で、時間を忘れて見入ってしまった。

コンからしても非常に評価の高い碁だったようである。

 

「双方、見事。とても楽しませてもらったよ。何か褒美の一つでも……そうだ、君にその碁盤をあげよう。帰るまでには包ませておくよ」

 

「ありがたき幸せに御座います」

 

お客さんは一瞬驚いた表情をした後、そう言って嬉しそうに頭を下げた。

正直重い物を持って帰らせることになってすまないとは思うが、これが今回お客さんのもとへ行くマヨイガ妖怪、碁老人(ごろうじん)の本体なのである。

碁盤自体はシンプルながら上質の木材で作られている事が一目でわかる逸品だ。

 

さて、後は食事でのお持て成しだな。

なんせ半日以上ぶっ続けで碁を打ってたからな、碁老人(ごろうじん)とお客さん。

まだ外は明るいが、これは百重が気を利かせてくれただけで本来ならとっくに日が沈んでいる時間帯である。

途中で菓子を多めに出したとはいえ、お腹もすいていることだろう。

ぶっちゃけ俺も腹減った。

 

 

 

その後、お客さんは風呂敷*4に包まれた碁盤(とついでに碁笥(ごけ)に入れた碁石*5)を背負って帰っていった。

境界の時間を調整してもらったので外に出たら多分夕方くらいだろう。

気を付けて帰って欲しい。

 

『二人とも、長い時間お疲れ様じゃな』

 

「コンもお疲れさん」

 

「お疲れさまなのだ」

 

霊狐形態に戻ったコンが大きく伸びをする。

俺は経立(ふったち)形態(モード)のミコトを膝にのせてモフモフ分を補給中だ。

あぁ、癒される。

 

日乃國(ヒノクニ)の人間はあちら(ミルラト)に比べて異界(隠れ里)との接し方を心得ているようだね。これならもう少し欲張ってもいいかな」

 

「似たような話は多いらしいな」

 

突然現れた百重に相槌を打つ。

 

日乃國(ヒノクニ)にも異界(隠れ里)は多く存在している。

以前五郎左殿も鶯浄土(うぐいすじょうど)という異界を知っていたし、隠れ里に行ったという話は怪異や妖怪関連の話としてはそれなりにメジャーな部類なのだ。

そしてわりと(あやかし)の類が身近にいるせいか、それらの対処の仕方を心得ている者も多い。

具体的には注意事項を破らない、長居しない、欲をかかないあたりか。

ルールを破ったことで追放された、数日いただけなのに帰ってみたら数年経っていた、良い思いをしていたのに欲をかいたせいで全てを失った。

そんな教訓めいた逸話を持つ異界(隠れ里)も多いのだ。

 

まぁ、異界ではなく単に妖怪に化かされていただけというパターンもあるのだが。

 

そんなわけである程度招く人間が多くなっても面倒な事にはなりにくい。

ならばもう少し招く人間を増やして妖格(かく)を高めようというのが百重の「もう少し欲張ってもいいか」という発言の意図だ。

今回は碁盤だったのであまり関係ないが、百重御殿の道具(妖怪)の中には現在の日乃國(ヒノクニ)の技術レベルの先を行っているものも多い。

それらの道具(妖怪)によって百重御殿には最新の道具より更に便利な道具があるという霊柱(はしら)を得ようとしているのだ。

ミルラト神話圏だと文化が違いすぎて神秘性の方が強調されやすいので、こういうのはある程度文化が似通っている日乃國(ヒノクニ)の方がやりやすい。

 

なお日乃國(ヒノクニ)でも活動する事は既にサルタビコ神にも伝え、了承を貰っている。

別にサルタビコ神は日乃國(ヒノクニ)の代表ではないし妖怪(百重御殿)としての活動(在り方)を申告する義務も無いが、積極的に干渉するとなると意図せず日乃國(ヒノクニ)の情勢を荒らしてしまう事も考えられる。

それは此方も本意ではないし、日乃國(ヒノクニ)の神々に睨まれてまでやる程の理由ではないのだ。

どちらかと言えばどのくらいまでならやっても問題ないかを日乃國(ヒノクニ)をよく知る神に確認を取ったという意味合いの方が強い。

 

外を見れば夕日が差し込み、もういくばくかすれば夜の帳が降りるだろう。

 

「皆さん、お夕食持って来ましたよ」

 

ヤシロさんが膳に乗せた夕食を持ってくる。

流石に立場的にもお客さんと一緒に食事する訳にはいかなかったからなぁ。

 

メニューはご飯と焼き魚に汁物と冷奴か。

今日は俺達がずっとお客さんの相手をしていたから、夕飯を作ったのはヤシロさんだ。

まだ凝った物は作れないが、それでも随分と上達したものである。

 

ちなみにお客さんが食べていたのはあらかじめ俺が作っておいた料理。

妖怪蠅帳に入れておいたから出来立てのままダヨ。

 

「コン、後で久しぶりに一局どうだ?」

 

「お、良いのぅ」

 

コンが子供の姿に変化して答える。

碁老人(ごろうじん)は貰われていったが、百重御殿には他にも碁盤や碁石がある。

そのうち次の碁老人(ごろうじん)になるかもしれないが。

 

自分でも打ちたくなってくる。

そんな良い碁だったと思い返してから、俺は食事をとるべく手を合わせたのだった。

*1
628年

*2
互先置石制とも

*3
1837年

*4
非妖怪

*5
共に非妖怪




碁打(ごう)ちに(とき)なし』

碁打ちは碁を打ち始めると夢中になって時間を忘れてしまうという意味。
実際には碁に限らず好きな事に夢中になると大体そうなるので気をつけよう。
碁に夢中になりすぎて結果的に(いくさ)が起こった話とか実際にあるからね。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。