俺と天狐の異世界四方山見聞録   作:黒い翠鳥

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File No.37  『味噌に入れた塩は他所へは行かぬ』

俺が部屋に入ると、ミコトは上機嫌で紙に筆を走らせていた。

 

紙は枠線(コマ)によっていくつかに分割され、その中で二人の人物がやり取りしている様子が描かれている。

何を隠そう、ミコトは漫画を描いているのだ。

しかも現代的にデフォルメされた画風に大和絵調の色彩で色付けされている。

 

ミコトは元々作者である狩谷(かりや)栄玄(えいげん)由来の大和絵の技術を受け継いで生まれてきた。

そこに廻比目(めぐりひもく)となった事で俺の持つ漫画の知識が加わったのだ。

俺自身は漫画も絵も描かないので専門的な知識や技量なんてものはないが、それでも効果線といった技法や漫画的表現の概念くらいなら知っている。

 

あくまでミコトが受け継いだのは技術と知識であって記憶ではないし、全部が全部受け継いでいるわけでもない。

というか、むしろ受け継げない知識の方が大多数である。

そんな中で(えが)くという行為に関連する知識はほとんど受け継げているのはミコトが凄いのか生み出した狩谷(かりや)栄玄(えいげん)が凄いのか。

残念ながら現代の文字の知識は受け継げなかったので勉強する必要があったが。

 

ミコトはそんな漫画の知識を取り入れ、自分なりの漫画に挑戦していた。

どうやら以前の試練でウカさんが四コマ漫画を描いているのを見て自分でも書きたくなったらしい。

狩谷(かりや)栄玄(えいげん)は絵巻物も書いていたらしく、漫画という概念さえ理解出来ればそれに落とし込むことは難しくなかったそうだ。

 

内容的には日常系の四~六コマ漫画にイラストが添えてある感じ。

登場人物は妖怪屋敷の住人たち。

まぁ、モデルは俺らだな。

 

「できたのだ~」

 

丁度描き上げたらしいので覗いてみると、紙の左右に一つづつ合わせて二つの漫画が描かれていた。

こっちは見た事あるやつで、こっちが新作か。

 

そのオチにクスっと笑うと、ミコトの顔がほころぶ。

感想までは聞いてこない。

その反応だけで十分だったらしい。

 

ふと気が付くと、いつの間にか十二単(じゅうにひとえ)羽織(はお)り眼鏡をかけた長髪の女性がミコトの隣に座っていた。

百重御殿の蔵書の管理を一手に担っている文車(ふぐるま)の付喪神、文車妖妃(ふぐるまようひ)である。

 

文車(ふぐるま)とは寺院や公家などで使われた移動書庫であり、公事(おおやけごと)や儀式で使われる書籍など必要に応じて持ち運ぶ必要のあるものが納められていた。

現代で言えば仕事先で使う書類をあらかじめ車に積んでおく感覚に近いか。

これを人力あるいは牛などが引くことで移動させるのである。

 

また火災などの災害時に重要な蔵書を守る役割もあった。

木造建築の日本家屋では一度火が回り出すと書庫から蔵書を運び出すのは非常に困難である。

しかし、それ自体が移動可能な文車(ふぐるま)であればまるごと持ち出して火災から守ることが出来るという訳である。

まぁ蔵書を満載した文車(ふぐるま)は非常に重く移動速度は御察しであり、その負荷故に肝心な時に車輪が壊れて役に立たないとかもあったようだが。

 

そして文車妖妃(ふぐるまようひ)はそんな文車(ふぐるま)の付喪神だ。

江戸時代の浮世絵師である鳥山(とりやま)石燕(せきえん)曰く、執着のおもひをこめし(情念の籠った)千束の玉章(千通もの手紙)が変じた妖怪であるという。

その手紙とは主に恋文であるという解釈がされる事が多く嫉妬深いなどのキャラ付けをされる場合もあるが、百重御殿の文車妖妃(ふぐるまようひ)は別にそんな事は無い。

 

基本的に無口で必要な時にふっと現れ、役目を終えればいつの間にかいなくなる。

普段は文車(ふぐるま)の中で書物系の妖怪たちと共に長編小説とか書いているようだ。

俺も新刊が完成したら見せてもらうことがある。

 

そんな文車妖妃(ふぐるまようひ)に、ミコトは描いた漫画を渡す。

後は乾かして保管するのだが、その辺りは文車妖妃(ふぐるまようひ)に任せているのだ。

数えてはいないが、これまで描かれた漫画は結構な数になっている。

その内和装本(わそうぼん)に製本するつもりのようだ。

 

「ところであなた、どうしたのだ?」

 

「ああ、おやつを一緒に食べようと思ってな」

 

「食べるのだ!」

 

懐に入れた妖怪巾着袋から飴の入った袋をいくつか取り出す。

袋から飛び出している棒を引き抜くと、その先に魚の形をした飴が姿を現した。

 

「おお、金魚さんなのだ」

 

日本の伝統文化、飴細工である。

 

飴が庶民のお菓子として日本で親しまれるようになったのは、江戸時代からと言われている。

それまで雨は現在のようなものではなく米を原料にした粘液状の水あめであり、直接食べると言うよりも甘味をつける調味料として使われる事が多かったそうな。

その歴史は古く、日本書紀にも紀元前500年以上前に水飴を作ったとみられる記述が存在する。

それに関してはあくまで神話の部類とするにしても、少なくとも日本書紀が編纂された奈良時代には既に水飴は存在していたのだろう。

 

現在のような固形の飴になったのは江戸時代に入り原料となる砂糖の流通が増えてからになる。

それによりべっ甲飴や黒飴と言った種類の飴が作られるようになっていった。

江戸の下町では熱する事で形成しやすくなる晒し飴の特徴を利用し、鋏や筆を用いて客の前で様々な動植物を造形する飴売りが現れ、彼らが加工した飴は『飴細工』と呼ばれるようになる。

彼らが作り出す飴細工は江戸の住民の心を掴み、江戸の、そして縁日などでの風物詩となって各地に広まっていった。

 

今回の飴細工は妖怪菓子箱に出してもらった既製品だが。

 

金魚の飴細工をミコトに渡し、自分用に新たに棒を引き抜く。

棒の先にあったのは(かえる)の飴細工。

無事カエル(帰る)という縁起物だ。

 

飴を口に入れると、その甘味が口の中に広がっていく。

同時に感じるのは滑らかなメロンのような味。

江戸時代の飴細工にメロン味なんてものは無いが、そこはパワーアップした妖怪菓子箱。

現代でそれなりにメジャーと言える味の飴であれば出す事ができるようになっている。

 

ミコトの方に目をやると、飴の棒を加えたまま一生懸命嘗めているのが口の動きから見て取れる。

甘いものは人を幸せにすると言うがそれは妖怪も同じらしい。

ついついその姿に目が行ってしまい、気づいたらミコトは一つ目の飴を嘗め終えてしまったようだ。

名残惜しそうに棒を口から離すと、用意しておいた塵紙(ちりがみ)の上に捨てる。

そして二本目の飴に手を伸ばした。

どうやら今度のは(うぐいす)の形の飴のようだ。

 

 

 

口の中で小さくなった飴を嘗めながら、ふと考える。

マヨイガの外はそろそろ冬と呼べる時期。

まだ雪は降っていないが時間の問題だろう。

 

現在急ピッチで進められている異界神(キツネツキ)の神社建立計画であるが、この分だと来年の春には一区切りつきそうだとルミナ神から連絡があった。

もちろんそれで完成という訳ではなく、あくまで異界神(キツネツキ)が降臨して神社(神殿)として最低限機能するだけの建物が揃うという意味だが。

 

それまでに降臨の方法を考えておく必要がある。

それもなるべく派手に、というのがルミナ神のオーダーだ。

別に一般人を巻き込むほど盛大にやれという訳ではないが、イナリアの神社に駐在する神官たちが神の降臨を確信できる程にはインパクトが欲しいらしい。

神官とは言っても全員が神の姿を見る事が出来る訳ではない。

辛うじてお告げを聴きとることが可能なレベルというのがほとんどらしい。

 

むしろ神官のほとんどが一応でも神の声を聴く事が出来るというのがミルラト神話圏の神官の質の高さを物語っていると思うのだが。

 

まあそんな訳で百鬼夜行でもしようかなと考えている。

百鬼夜行とは文字通り百──この場合の百は沢山のという意味なのできっちり百体である必要は無い──もの妖怪が練り歩く事を言う。

異界神(キツネツキ)の一般人からのイメージは神器を授けてくれる神だそうなので、付喪神達を伴ってねり歩けばそれなりに様になるだろう。

百も集まれば妖怪が視えずとも何かいることを肌で感じ取れる者は多いだろうし。

 

 

ここで問題になるのがとりあえず二つ。

距離の問題と俺の肉体の問題だ。

 

前者は言わずもがなだろう。

百重御殿からイナリアまでは相当な距離がある。

ルミナ神に眷属蟹を借りることができれば話は早いだろうが、流石にそこまで頼りすぎるのもどうかと思うし。

異津神(ことつかみ)となって神足通を使えば30分もかからないと思うが、それだと連れていけるのが少なすぎる。

近場に強く縁を結べる場所があれば境界を通じて数を送り込めるのだが。

 

一応、百重御殿にも大量輸送能力を持つ妖怪は存在する。

御座船 (ござぶね)の付喪神、仙極丸(せんごくまる)である。

 

御座船 (ござぶね)とは日本において貴人を乗せるための豪華な船の事。

仙極丸(せんごくまる)は上口長47m以上、幅12m余りの巨体を誇っているため、百鬼夜行をする為のマヨイガ妖怪達を連れていくには十分な大きさだ。

 

なんで海もないマヨイガに御座船 (ござぶね)があるのか気になって以前コンに聞いたところ、実は仙極丸(せんごくまる)は宝船の一種なのだそうな。

七福神が乗っているアレである。

 

そもそも御座船 (ござぶね)自体、河川用の川御座船とかあるらしい。

とはいえ、実は仙極丸(せんごくまる)は海洋航海も可能な海御座船である。

昔の日本の船にしては珍しく、竜骨を持つ船でもあるし。

 

これは仙極丸(せんごくまる)が他の船の妖怪から霊柱(はしら)を得ているからである。

妖怪は類似性の高い妖怪と重ねられることで同様の性質を獲得することが出来るのだ。

これは未知のものに既知のものを当てはめて推測しようとする人間の心理から来ている。

同様の現象を利用したものに『名を纏う』なんてのもあるが、話が逸れるので説明は省略する。

 

そしてその他の船というのが江戸時代に建造された軍船形式の御座船 (ござぶね)安宅丸(あたけまる)

かの船には舟霊が宿っており、(こころざし)の低いものや罪人が乗る事を嫌い唸り声をあげて乗船拒否をしたとか、望郷の念に駆られて「伊豆へ行こう」と泣き喚いたとも言われている。

その結果仙極丸(せんごくまる)安宅丸(あたけまる)に近い姿を持つ海御座船になったのである。

 

あと、七福神を乗せて海の外からやってくる宝船のイメージも影響していると思われる。

普段は百重御殿(マヨイガ)の奥にある山に囲まれた湖に停泊しており、湖と川の境界から外の世界へ出るのだとか。

 

しかも何とこの仙極丸(せんごくまる)、空が飛べるのである。

この辺も宝船のイメージの影響だろうか。

おかげで内陸にあるイナリアにも行くことができるが、異世界でそれをやるとなると必要な妖力(運用コスト)が跳ね上がる。

異界神(キツネツキ)としての信仰によって得られた神気を妖気に変換すれば運用自体は可能だが、だからと言って湯水のように使える訳ではない。

 

とはいえ仙極丸(せんごくまる)を使えばもう一つの問題の方も大きく前進するのも確かだ。

もう一つの問題である俺の肉体の問題だが、俺自身は現人神となったとはいえ肉体的には普通の人間と大差ない。

つまり霊感が無くとも俺を見る事は出来るのだ。

 

想像してみて欲しい。

百鬼夜行を引き連れてやってくる俺────から他の妖怪要素を全部失くした状態を。

 

常時実体(からだ)を維持しているミコトは見えるだろうが、それでも妖怪要素は全て認識されず普通の人間として映るだろう。

神の降臨でこれは無い。

 

コンを始めとしてヤシロさんや宵桜のように変化で実体(からだ)を得られる妖怪もそれなりにいるが、霊感が無い人間からは人が増えただけにしか見えない。

そして声を聴くことは出来ても見る事は出来ない人間は降臨に対応する事になる神官の中にも大勢いるのだ。

異界神(キツネツキ)のイメージを考慮するならば逆効果にしかならない。

 

しかし仙極丸(せんごくまる)で直接乗りつければ、そこまで俺の姿が見られる事は無い。

イナリアの神社まで来てしまえば注連縄(しめなわ)の付喪神の力を使って神官たちを神域の内側へ入れる事ができるので見られても問題なくなるのだ。

 

流石に神域の内側にまで入ってしまえば中にいる間は肉体における魂の影響力が高くなるので霊感が無くともマヨイガ妖怪達を見ることが出来る。

百重御殿にも似たような効果はあるのだが、神域のそれは訳が違う。

完全に霊感が無かったとしても神の姿を見る事が叶うだろう。

 

コストを考慮しなければ仙極丸(せんごくまる)を使う案が今のところベスト。

ただ、まだ時間的な猶予もあるので他の案も考えてみるが。

 

 

 

また一本、ミコトが飴を嘗め終えた棒を塵紙の上に置く。

一つの袋に入っていた飴が無くなり、次の袋から新たな飴を取り出す。

そこでミコトの動きが止まった。

 

「あなた、コレあなたが作ったのだ?」

 

「ん? ああ、コンに習ってな」

 

ミコトが取り出したのは飴細工と一緒に用意しておいた妖怪用油飴だった。

肉食や雑食の動物妖怪にはだいたい好まれるらしく、ミコトも以前コンの作った油飴を美味しそうに食べていたのを覚えている。

なお、妖怪用に調整されているので人間が食べるのはお勧めしない。

 

「ミコトの好きな物なら俺も作れるようになりたいなって思って」

 

途中でなんか小恥ずかしくなって妖怪菓子箱に出してもらった飴細工の袋に混ぜたんだがミコトには一瞬で看破されてしまった。

 

「ふふん。あなたの愛情がいっぱい詰まってたからすぐに分かったのだ」

 

ストレートにそう言われると恥ずかしいものがあるな。

ルミナ神も言っていたが、ミコトにもそういうのが分かるのか。

 

「あなた、ありがとうなのだ」

 

そう言って顔を近づけたミコトの唇が俺の唇に触れた。

何をされたのか認識する前に、ミコトは俺の腕なかにするりと入り込んでくる。

そしてそのまま俺に背を預けて油飴を嘗め始めた。

九本の尻尾が揺れ、俺の体を撫でる。

 

きっと今の俺の顔は赤くなっていることだろう。




味噌(みそ)()れた(しお)他所(よそ)へは()かぬ』

他人の為に尽くしたことは、一見無駄なように見えて結果的に自分の為になるという意味。
味噌に入れる塩は溶け込んで見えなくなるが、味を調えたり保存を助けたりする。
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