ある日のこと。
百重御殿の庭先で、ヤシロさんが七変化の術*1の練習をしているのを見つける。
人に変化する
その頭を見れば
変化に関する術は結構難易度が高い。
妖狐や化け狸のような元々化けられる能力を備えている妖怪でもなければ、新規に習得するのは大変なのだ。
ヤシロさんが印を組む。
忍者が術を使う際に組んだりするイメージがあるが、こと妖術においては印を組む必要は無い。
しかし無意味かと言われると実はそうでも無いのだ。
術を使う際の印にはいくつかの役割がある。
一つ、印をルーティンや手続き記憶に結び付けて術の精度を高める。
ルーティンとは決まった動作を繰り返すことを言い、毎日同じ動作をするものと特定の場面において決まった動作を行うものがある。
術の場合は後者だな。
スポーツ選手にも競技前にこのルーティンを行う人たちは多く、集中力を高めて自身のパフォーマンスを最大限発揮させるのに役立っている。
手続き記憶というのはいわゆる体で覚えるというもの。
代表的な自転車の乗り方とかだろうか。
印から術の発動までの一連の動作を体に覚えさせておくことで、最初の印さえ組めばあとは無意識にそれを行うことが出来るようになる。
思考するという手順を省略できるぶん、発動までの時間が短くなるのだ。
印を必要としない術を使う場合でも、最大出力で放つときは印を組むという術者も珍しくない。
二つ、術を使うのに適した形にする。
これは印というよりは構えと言った方が分かりやすいか。
手は霊的な力を集めやすい場所でもあるので、それを適切な形にすることで妖力を効率よく変換することが出来る。
霊波を使う際に直立不動の姿勢で使うのと手を前に突き出して使うのとでは、後者の方が容易に放出できるのは想像しやすいだろう。
印を組むというのは言葉の響き的に左右の手を重ねる必要があるように思えるが、実はそうとは限らないのである。
三つ、印そのものに意味がある。
これはどちらかというと儀式の場合が多いだろうか。
特定の存在を表す印を組むことでその力を借りるというものだ。
当然力を貸してもらえるだけの何か*2が必要になる。
術ではないが九字護身法が有名かな。
この手の印は素人がやっても効果がないどころか、場合によってはかえって悪いものを引き寄せてしまう場合がある。
きちんと修行して神仏との契約を結んでいるのでもなければやらない方がいいだろう。
細かいものを除けばだいたいこの三つか。
ヤシロさんが印を組んでいる理由は一つ目。
術を使う為の補助としての印だ。
七変化の術自体に印は必要ないため、気持ちを切り替えて集中するのに使っている。
「七変化の術」
ヤシロさんがそう口にすると、その衣服が着物のようなものに変わる。
コンが普段人に化けている時に着ているものに近い。
妖力を込めた葉っぱがあれば、ヤシロさんもそう失敗しない程度には術の精度が上がっている。
ちなみに妖力を込めたと言っているが、厳密にいえば込められているのは変化に使う術の一部だ。
あらかじめ術の一部を妖力込みで仕込んでおくことでその部分をスキップする、あるいは多少失敗しても仕込まれている術が失敗部分をカバーして正常に術が使えたりするのだ。
自転車の「バランスをとる」という技術を補助輪で補うようなものである。
「七変化の術」
「七変化の術」
「七変化の術」
そう繰り返しながら、ヤシロさんは次々と衣服を変えていく。
術の名を口にしているのも、印を組むのと理由はだいたい同じだ。
言葉にして発する事で今から自分はその術を使うと自分に意識させる。
それをトリガーに術を使う状態へと自分を切り替えるのだ。
もちろん言葉自体が意味を持つ場合もある。
言霊をのせたり、祈りを込めたり、術そのもののトリガーだったり。
言葉には霊力が宿るとされ、口に出したことは実現するという考え方がある。
これが言霊であり、どのようになって欲しいかを語る事で術を発動させたり効果を底上げしたりできる。
痛いの痛いの飛んでいけという呪文もこれにあたる。
祈りを込めるのは神仏に助力を願うときが多いか。
単純に神様や仏様に言葉を捧げるという場合もあるが。
術のトリガーは家電の電源スイッチのようなものと考えてもらえればイメージしやすいだろうか。
術自体は別に用意しておいて、呪文によってそれを使える状態にする感じ。
逆に言葉そのものは何だっていいパターンも多い。
術の名前を叫ぶ場合、言霊やトリガーである事もあるが単純に気合を入れているだけという事も結構ある。
言葉の内容ではなく言葉の長さが重要になってくる場合もある。
霊力をチャージしたり薬を作ったりする際に呪文が用いられることがあるが、実は呪文を言い切るまでの時間でチャージ量や煮込み時間を計っていたりするのだ。
そんな事をぼんやりと考えていたところ、一息ついたらしいヤシロさんがこちらに気付いた。
「あ、タケル様。何か御用でしょうか」
「いえ、たまたま通りがかっただけです」
このまま通り過ぎても良かったが、せっかくの機会なので軽く話をしようと近づく。
俺とヤシロさんが二人だけで話す事って実はあんまりないんだよね。
短いやり取りなら結構あるんだけど、大概は仕事中か皆揃っているかだし。
ヤシロさんはプライベートだと大体水中にいるからというのも大きいのだろう。
「精がでますね。かなり上手くなってきたじゃないですか」
「いえ、恥ずかしながらこれが無いと半分は失敗してしまいまして。もっと頑張らないと」
そう言いながら頭に乗せた葉っぱに触れるヤシロさん。
いや十分凄いよ。
先ほども言ったが、変化に関する術は難易度が高い。
その習得には適性の高い妖怪でもなければ数年、数十年と必要になってくる。
ヤシロさんが百重御殿に来てから一年と半年あまり。
いくら
ミコトは割とすぐに使えるようになったが、ミコトはその適性の高い妖怪側なので。
なお動物系妖怪は人に化ける術に高い適性がある場合が多い。
他人そっくりに化けたり望んだ姿に化ける術とかだとまた話は変わってくるが、人に化けるだけならヤシロさんも一か月かそこらでできるようになった。
「無理はしないでくださいね。疲れているとイメージも上手くできませんし」
「はい、お気遣いありがとうございます」
術というのはイメージが重要である、と言われている。
自分が術を使うというイメージがしっかりできていないと、コントロールはおろか発動させることすら難しい。
想像することができない術は、使う事ができないのだ。
これは何もイメージによって術が変化している訳ではない。
イメージが影響を与えているのは自分自身なのだ。
例えばこぼれた水をタオルで拭くとしよう。
そのとき自分はタオルを持った手をどう動かすかイメージして、実際にその通りに手を動かす。
結果としてこぼれた水をふき取ることが出来る。
無意識にできる人もいるかもしれないが、それはあくまで意識しなくてもできるだけで頭ではちゃんと考えているのだ。
妖術に限らず仙術や陰陽術でもそれは変わらない。
元々人間、というか生き物にはある種の霊的エネルギーを扱う機能が備わっている。
呼ばれ方は様々だが、術の多くはそれを使って力を発揮する。
原理を知らなくとも手足を動かせるように、自覚せずともそれの扱い方は魂が知っている。
自身の想像を、その魂が出力してくれる。
道具がその辺を肩代わりしてくれるタイプは別として、言霊や動作を補助に使う事はあってもそれだけで術を発動させることはできないのだ。
あと当然ながらイメージが完璧にできたとしても自身の能力がそれに追いついていなければ使う事はできない。
何百㎏もあるバーベルを持ち上げる想像が出来たところで、それが可能な筋肉がなければバーベルは持ち上がらない。
ヤシロさんが今やっている練習はイメージを無意識レベルでできるようにすることと、霊的エネルギーを扱う機能の強化あるいは最適化。
反復練習は基礎をつくるうえで重要な練習方法だ。
それから少し話をしたあと、練習の邪魔にならないようにその場を離れた。
ヤシロさんはもうしばらく練習を続けるらしく、向上心が高いのは良い事だ。
この後は別に予定も無いし、少し運動でもするかな。
そう考えていると、どこからか百重がやって来た。
「
「あぁ」
「少しお願いがあってね」
百重が言うには、どうやら
「別に追い出してしまってもいいのだけど、良い子だしそうするには少し不憫かなって」
「不憫? まぁ、それなら招けばいいんじゃないか? 俺は構わないぞ」
百重御殿は善良な人間に報いるという
同様に招き入れるのはただ一度のみという制限もあるが、これはそうしないと入れ込み過ぎてしまうという意味もあるらしい。
人との縁を深めすぎるのを嫌うのも、マヨイガ妖怪を授けた後は関わらないようにするのも、未練を持たないようにするためだ。
しかしというか、だからというか、なんだかんだで百重は善人には甘い。
とはいえ
「そうなんだけど、一つ懸念があって」
気になる事があると。
良い子と言っていたし、性格的な問題ではないだろう。
なら立場上の問題か?
どこかの神に仕える神官とか。
「その子、ある神に呪われているんだ」
あぁ、頼みってそういうことか……
『
明日できるからと言って学ぶことを後回しにしてはいけない。
その時その時で真剣に学びと向き合うべきという、学問に励むうえでの心構えを説いたもの。
後に「謂う勿れ、今年学ばずして来年ありと」と続く。