今日は厄日だ……本当にそう思う。
空は生憎の雨模様。
ここしばらく水の力が流れ込みすぎた山は、木々の結束をもってしても抑え込めない程に地盤が緩んでいた。
これでは遠からず一部が崩れてしまうだろう──というか崩れた。
この雨がとどめとなった。
不味かったのはそこに近くの村の人間の娘がいた事、そしてそれを見つけてしまった事か。
朝は晴れていたからか、どうやら山菜を取りに来て立往生してしまったようだ。
ここの村の人間には良くしてもらったから、助けてあげるのもやぶさかではない。
ほいっと、これでいい。
あとは雨宿りなりなんなりして晴れたら勝手に帰ればいいさ。
そこまで面倒見てあげる義理はない。
適当なところで一晩明かせば雨も上がるだろう。
そう思って放置したのがまず失敗だった。
雑な救い方をしたせいか、彼女がどこに辿り着いたのか気にしていなかったのだ。
ふと、神殿の扉を叩く音がした。
そちらの方を見れば、なんと先ほどの人間が神殿の中に入ろうとしている。
ちょ、ちょっとまて!
いくら古びているからって、そこは私の神殿!
せめて泥くらいは落としてから!
この時私は平静を失っていた。
とっさのことで完全に距離感を間違えたのだ。
人間でいえば大声で「入るな!」と叫び相手を突き飛ばしたようなものか。
拒絶する神威が
結果、その人間を別の動物──クロゲヤマネコ──に変えてしまった。
あ、やべっ、とそれを見て急に冷静になった私はすぐに神威を止める。
それが良かったのか悪かったのか、彼女は完全にクロゲヤマネコになる事は無かった。
しかしだからと言って人間に戻る訳でもない。
獣人と言うには獣で、獣と言うには人間で、そんな中途半端な姿になってしまった。
まるで話に聞く異界の神の眷属のようだ。
あまりの奇妙さに、これ途中で止めたらこんなことになるのかと現実逃避気味に呆けてしまう。
その次の瞬間に彼女は恐怖に顔を歪ませながら飛び出していった。
あ、待て!
そう叫ぶも彼女の耳には届かず──そもそも神の声が聞こえるかもわからないが──雨の中を何度も転びそうになりながら走り去っていった。
すぐさま彼女を探すも、完全に見失った。
私の山で、神の目から。
最悪だ、おそらくどこかの境界に墜ちた。
神隠し……どこに繋がったかは知らないが、あの人間の娘が無事に帰って来られる可能性はかなり低い。
せっかく助けたのにこんなつまらない失敗で台無しになるとは。
そんな憂鬱な気分になる。
だがしかし、話はこれで終わらなかった。
夜の帳が降り月が昇り始めたころ、新たな訪問者が現れる。
「貴方がこの付近の山の神ですわよね」
ル、ルミナ様!?
何という事か、死と標を司る月の女神がおいでになられた。
しかも名指しで私を指定してらっしゃる。
私、何かやってしまったか!?
神々の集会の時に……いや、心当たりがない。
もし無自覚に何かしていたとして、今になってというのも変だ。
しかしそれ以降は他の神々と会う機会も無ければ外への干渉もあまりしていない。
しいて言えば今日人間の娘を誤ってクロゲヤマネコに変えてしまったくらいだが、それでルミナ様がいらっしゃるような事態になるとはとても──
「今日、
──思いっきり影響あったぁ!
異界神キツネツキって神々の集会で貴高神の連名で許可なく手出しすることが禁止された
なんでもそのただ一柱の為だけに貴高神直属の新たな役職が設けられたとかなんとか。
しかもその為に適当な使いではなくルミナ様がおいでになられる、え、これもしかしてかなり不味いことになってる?
や、やらかしたーー!
「えっと、その、あれは半分事故といいますか、そこまでするつもりは無かったといいますか、解いていただく分には何の問題も無いです、はい」
情けない話だが嘘はつけない。
ミルラトの世をあまねく見通すルミナ様に嘘は通じない。
下手な誤魔化しはより悪い方へところがるのが目に見えている。
あぁ、さっきから動悸が止まらない。
「なるほど、では問題ないですわね。邪魔をしましたわ」
問題ない。
その言葉は私に向けられたものか、それとも異界神に向けられたものか。
どちらかは分からないが、想像する最悪の事態は避けられたことは理解できた。
「あ、そうそう」
は、まだ終わりじゃない!?
「これはこの件とは関係ない単なる好奇心ですが」
あ、はい。
「貴方、向こうの方に立派な神殿を持っていますでしょう。何故此方の方に?」
「それは……こちらの方が落ち着くので」
祭りの日などは流石にあちらに行くが、普段から居るには広すぎて落ち着かない。
五十年かそこら前に必要な機能は全部あちらに移し、かつてこの神殿で行われていた祭りもあちらを中心に行われるようになった。
ここはもう役目を終えて人が来なくなった、多分
それでも私にとっては大切な思い出の場所だ。
……いや、本当はちゃんと引っ越しするつもりだったのだ。
思い出は大切だが、今を生きる者達はもっと大事だ。
ただ場所を移す程度の話だった筈だが、知らない間に何か凄い神殿が建っていた。
頑張りすぎだぞ当時の人達、私そんなの聞いてないぞ。
人間でいえば五十人は住めるような豪邸に一人で暮らすような感覚。
正直持て余すというか。
これで常駐の神官が何人かでもいればマシなのだろうが、普段は誰もいやしない。
村の規模的にそんな事できる余裕なんて無いからな、仕方ない。
「それであちらに行っても誰もいなかったのですわね」
あ、先にあちらに行かれていましたか。
雨が止み、朝日が昇る。
その日差しに照らされて、彼女は戻って来た。
その姿は中途半端なクロゲヤマネコのそれではなく、人間のものだ。
神殿の前で祈りと共に供物を捧げられる。
そもそも発端の呪いは怒りからではなく驚きからのもの。
私の神殿に無断で入ろうとしたことは水に流しても良い。
というか、これで許さないのは流石に不味い。
なにせ見られている。
めっちゃ見られている。
神殿の外にいる明らかにこの山のものじゃない蟹とミシロキツネが見ている。
蟹は言わずと知れたルミナ様の眷属。
そして件の異界神はミシロキツネを眷属にしていると聞く。
ルミナ様の眷属の蟹は解る。
理由はどうあれ自身がおいでになられたのだ。
その結末がどうなったのかを眷属に確認させているのだろう。
問題は異界神の眷属だ。
ルミナ様は彼女を異界神が拾ったとおっしゃっていた。
つまりそれまでは彼女と異界神の間に接点は無かったということ。
それが中途半端で逆に解き難いまである呪いを解いて?
もとの場所まで無事に戻ってこさせて?
後方から眷属に見守らせて?
そんな彼女が無断で神殿に入ろうとしたことを謝罪しに来た。
無理だよこんなの。
心情的にも立場的にも別に許さない理由はないが、仮にあったとしても許さない選択肢はないよ。
なにせ貴高神直々に手を出すなという神だ。
たった一人の人間の事でルミナ様が動くほどの神だ。
絶対にまともじゃない!
そして何でこの娘はそんな神に気に入られている?
わざわざ呪いを解いて帰したということは、そういう事だよな。
この短い時間で、一体何があった。
とりあえず、彼女に
しばらく祈りをささげていた彼女は、供物をささげる儀式を終えてその場を去った。
言葉を発しても何の反応も無かったが、再び呪われなかった事から許されたと判断したようだ。
儀式的にいってもそれは正しい。
それに伴い、蟹とミシロキツネもまた去っていく。
空に昇っていく蟹と違い、ミシロキツネは一瞬でその姿を消し去ってしまった。
山の神が自身の領域たる山でその行方を捉えられないとなれば、おそらく境界を渡ったのだろう。
異界神の眷属だけあって、異界への移動はお手の物という訳か。
いや、さらっと流したけど結構とんでもない事やってるな。
まてよ、つまりこれ異界神もこっちに来れるって事では?
そして私の神殿がある村に異界神に気に入られたと思われる人間が一人。
いや、流石に考えすぎだろう。
気に入られたとは言っても手元に置いておくでもなく、眷属や何やらを憑けて自分のものと主張するでもなく。
やって来た眷属はもう帰ってしまった。
おそらく気に入ったので助けたが執着はしていないということ……のはず。
あーもう、やめやめ。
考えても仕方ない、来たらもうその時はその時だ。
その時は今回みたいにルミナ様も来られるだろうから、私が関わる事は無いさ……たぶん。
はぁ、本当に厄日だった。
予定通りに行けば完結まであと三話(本編+他者視点+エピローグ)。
追伸:ひつじねこ様、誤字報告ありがとうございます。