微睡みの中、何故か段々と目の前の景色が鮮明に見え初めて来た。
何も見えない暗闇……いや、闇では無いな、周囲が一面黒いだけで自分の身体はちゃんと見えている。
此処は、何処だ……?
考えた末に、医務室で眠りに就いた事を思い出した。
あぁそうか、これは夢の中という事だな。
「左様にございます」
「…………はっ?」
その言葉に、思わず声を漏らしてしまった。
そこで初めて気が付いた。
横になっていた俺の目の前に、見知らぬ女がいる事に。
訳がわからず混乱するが、その声に聞き覚えがある。
「お前、まさか……黒狼……なのか?」
「はい、この姿ではお初にお目に掛かりますが、主様の専用機の黒狼にございます」
そう言って普通に見れば見惚れる程の笑みを浮かべる女……いや、黒狼。
漆黒の和服を身に纏い、同じく漆黒の流れる様な長髪、その瞳は満月の如く金色に煌々と輝いていた。
そしてその顔立ちは、まるで彫刻の様に整い過ぎていて幻想的にも思える。
「これは、どういう事なんだ……?」
「ここは潜在意識の中、所謂主様の精神世界という場所にございます。 そこに私が入り込み、こうしてお会い出来たのです」
精神世界……成る程な、だからISである筈の黒狼がこうして人間の様な姿をしているのか。
「……その姿は、どうした?」
「元々ISは女性にしか使用出来ない物、必然的にそれぞれに宿る意思もそれに近い物になります。 この姿は私が創造したものですが、お気に召しませんでしたか?」
「いや、別に構わないが……それより、これはどういう状況なんだ?」
「はい、主様のお言葉通り、私なりに考えまして私のやり方で休ませて頂いております」
……駄目だ、全くもってわからん。
「お前が休むのに、何故俺に"膝枕"をする必要がある?」
そう、黒狼は正座をしながら、自らの膝の上へと俺の頭を乗せていた。
先程から後頭部が自棄に柔らかいと思っていたが、そういうことだったのか。
「主様もお気付きかと思いますが、そもそもISに休むという概念はありません。 その為休む時間を主様に尽くす時間に変えようと考えました」
何故、そうなる?
そもそも、例え夢の中……所謂精神世界の中だとしても、セシリア以外にこういった事をして貰うのは許される事では無い筈だ。
「主様の考えている事はごもっともでございます。 私もISの分際で奥様に無断でこの様な事をするのは言語道断とわかっております。 ですから近い内に、奥様へときちんと御挨拶をしたいのですが、宜しいでしょうか?」
「挨拶って……つまり、セシリアをこの俺の精神世界とやらに連れて来るという事か?」
「はい、主様は近い内にまた奥様と御一緒にお休みになられますよね? その時に奥様の意識を此方へと呼び寄せてきちんと御挨拶したいのです」
いや、勝手に決め付けないで欲しい……まぁ、確かに部屋に戻ったらそのつもりではあったが。
しかし、セシリアの意識を呼び寄せると言ったが、上手く行くのか?
「それに、私は普段主様の脳内に直接語り掛けているだけで、こうして直接主様に御奉仕する機会はありませんので」
「……わかった、好きにしてくれ」
「ふふっ、そうさせて頂きます」
そう言うと、黒狼は俺の頭を優しく撫で始めた。
精神世界だと言っていたが、まるで直接触れられている様に錯覚してしまう程の感触だ。
そのままされるがままでいると、やがて視界が段々と暗くなって行く。
「主様、変わらずISとしてこれからもお側に仕えさせて頂きますが、こうしてまた会う日まで暫しの別れにございます。 私の我が儘を聞いて頂き、誠にありがとうございます」
「……別に我が儘でも、何でも無い……お前は俺の専用機なら、遠慮する必要は……無い」
「……ありがとうございます、主様」
頭に伝わる温もりと黒狼の声を最後に、俺の視界は完全に暗くなり何も見えなくなって行った。
「ん……」
目を覚ますと、目の前には眠る前と同じ医務室の天井が広がっていた。
『おはようございます、主様』
脳内に聞こえる黒狼の声。
あれは、夢という訳では、無いんだよな?
『左様にございます、ちゃんと私は主様とお会いしました』
……そうか。
そのまま、ゆっくりと身体を起こす。
昨日はそのまま眠りに就いた為に何も確認出来なかったが、身体を細部まで確認する。
無人機に蹴られた腹部に微かに鈍い痛みはある、しかし厚く包帯の巻かれた右腕はそこまで痛みは感じない、出血があった為に重症かと思っていたが恐らくはそこまで酷くは無いのだろう。
いや、そういえば医療用ナノマシンがどうこう言ってたな、それの影響か。
元より怪我の無かった左腕と両足は特に問題は無い、織斑千冬が言っていた通り、これなら二日もあれば部屋へと戻れるな。
「失礼します……って、悠斗さん!?」
医務室の扉が開かれ、セシリアが入って来ると同時に俺を見て慌てて駆け寄って来る。
「おはようセシリア」
「あ、おはようございます悠斗さん……い、いえ! そうでは無く起きても大丈夫なんですの!?」
「あぁ、今一通り確認してみたが見た目程重症という訳では無さそうだ」
「よ、良かった……」
心底安心した様に胸を撫で下ろすセシリア、それ程までに俺の事を心配してくれていたのか。
セシリアの頬へとそっと手を伸ばして優しく触れる。
するとセシリアも俺の手に自らの手を重ねて来た。
「……ゆっくり休めた様だな」
「えぇ、あの後悠斗さんに仰られた通り、直ぐに休みましたから」
「そうか、いつもと同じ、綺麗な姿だ……」
「あら? 昨日の私はそうでは無かったのですか?」
悪戯っぽく微笑むセシリアに、思わず俺も笑みを溢してしまう。
「そんな事は無い、セシリアはいつも綺麗だ」
「ん……悠斗さん……」
そのまま、ゆっくりと互いに顔を近付けて行き……。
「待てえええええええええい!!」
突然、そんな大声が響いたかと思えば俺とセシリアの間に何者かが割って入って来た。
「こんのバカップル! 朝っぱらから何してんのよ!?」
視線を向ければ、何やら目くじらを立てている鈴の姿が。
更には扉の方には織斑が頬を掻きながら気まずそうに立っていた。
「何だ鈴、邪魔をするな」
「いやするわい! まだ朝だからね!? しかも私と一夏も一緒に来てたのに目の前でいきなりおっ始めようとしないでよ!?」
「……一緒に来てたのか?」
「申し訳ありません、悠斗さんの姿を見たら二人の事を忘れてしまっていました……」
「いや普通忘れる!? 寮で会って、一緒に行こうって言ったのセシリアよね!?」
「そう、でしたか……?」
「あ、これ駄目だわ、私達完全に忘れられてるわ」
「鈴、お前こそ朝からうるさいぞ?」
「誰のせいよ誰の!?」
本当に朝からうるさい奴だ。
だがまさか、こんな朝早くから来てくれるとは思っていなかった。
「朝早くから、悪いな」
「……まぁ、昨日来るって言ってたし」
視線を逸らす鈴、その横顔は耳まで赤くなってしまっている。
……まぁ、鈴はそういう奴だからな。
「あいつからは二日もあれば部屋に戻れると言われた、身体の方もさっき確認したが問題は無さそうだ」
「そうですか……本当に、良かった」
「……心配を掛けて悪かったな」
「そんな事ありませんわ、悠斗さんが無事なら私は……」
「セシリア……」
「悠斗さん……」
「だあああああああっ!? だから直ぐにイチャイチャすんなー!?」
また隣で騒ぐ鈴、来てくれたのはありがたいが、セシリアとの時間を邪魔しないで欲しいんだがな。
「ほらセシリア! 私達は授業があるでしょ!? 早く行くわよ!」
「うぅ……余り悠斗さんとお話出来ませんでしたのに……」
「セシリア、また後で会える。 それに授業を休む訳にはいかないだろう?」
「むぅ……わかりましたわ、後で必ずまた来ますわね?」
「あぁ、また後でな」
そこで一瞬の隙を突き、セシリアは俺にキスをしてから医務室を後にした。
「だぁっ!? こらセシリア! 待ちなさい!」
その後ろを、鈴が騒ぎながら慌てて追い掛けて行った。
そうなると、必然的に織斑だけが医務室に残る事になる。
「……お前は行かないのか?」
「あ、あぁ、行くけどさ、まだ時間はあるから……」
そう言うと、昨日セシリアが座っていた傍に置いてある椅子へと織斑は腰を降ろした。
その表情は、何処と無く真剣なものに見える。
「なぁ悠斗、悠斗はオルコットさんと付き合っているけどさ、それってどういう切っ掛けで付き合い始めたんだ?」
……ほう?
こいつの口からそういう質問が出るという事は、鈴と何かあったな?
「切っ掛けらしい切っ掛けは無いな、元からセシリアには惹かれていた。 クラス代表を決めるあの試合の時に、告白出来る機会があったから俺が告白したんだ」
「惹かれていた……そ、それってさ、普通の事なのかな?」
「……普通がどういうものか俺にはわからない、だが俺は自分の気持ちに嘘を吐きたく無かったし後悔もしたく無かっただけだ。 まぁ、相談して考えた上で自分の感情に気付く事が出来たんだがな」
「……そ、そっか」
「……鈴と、何かあったか?」
そう尋ねれば、迷いながらも織斑はゆっくりと話し始めた。
「その、鈴に……こ、告白、なのかな? えっと、好きだって言われたんだ」
「それはどう考えても告白だろうが……それで答えたのか?」
「……まだ、少し考えさせてくれって言ってる」
その言葉に、思わず溜め息を溢してしまう。
告白は出来た様だが、織斑にはその気は無かったという事になる。
なら、俺の協力は結局無駄になってしまったのか、やはり鈴には申し訳無い事を……。
「……俺さ、好きっていうのが、よくわからないんだ。 仲の良い友達とか家族の事は好きだけど、恋愛感情としての好きっていうのが」
「……ん?」
「昔からよく鈍感って言われるけど、自分でもわかってるんだ。 でも、考えてみても、やっぱりわからないんだよ……」
「……なら、鈴の事が嫌いという訳では無いんだな?」
「嫌いな訳無いだろ、幼馴染みでずっと仲の良い友達だったんだから……でも、恋愛対象として見るってなると、よくわからなくなって、そんな中途半端な気持ちで答える訳にはいかないし……真剣に思いを伝えてくれた鈴にも、申し訳無いだろ」
そう言って俯く織斑、だが、それを聞いて安心した。
「……焦る必要は無いんじゃないのか?」
「……えっ?」
「俺は単に運が良かっただけだ、セシリアも同じ気持ちだと言ってくれたからな。 だが恋愛というのはそんな簡単なものじゃない筈だろ? お前が考えて、その上で出した結論なら鈴も納得する筈だ」
「悠斗……」
「……鈴には黙っていて欲しい。 お前には悪いが、鈴が学園に来てから俺とセシリアでずっとお前との事で相談を受けて、協力していたんだ」
「そ、そうだったのか? 全然知らなかった……」
驚いた表情を浮かべる織斑に、俺は頭を下げた。
「初めは鈴の事情を聞いて、俺もセシリアもお前に対してキツい言い方をする事があった……すまなかった」
「い、いや! 俺は何も気にして無いから謝る必要は無いって!」
「そういう訳にはいかない、どんな事情があれどお前に対する態度や物言いは理不尽過ぎるもので、鈴の事だけしか考えていなかった。 セシリアも鈴の事を思っていたからこそ強くお前に当たっていたと思う、だが決してお前の事を憎く思ってはいない筈だ……だが結果的にお前に不快な思いをさせた。 だから、謝るのは当然の事だ」
俺の言葉に織斑は暫く黙っていたが、やがて左肩へと拳を軽くぶつけて来た。
「……ならさ、これからも変わらずに俺に接してくれよ。 自分でもわかってるけど俺はISの事も何もわからない馬鹿だからさ、悠斗やオルコットさんにはこれからも色々迷惑掛けたり教えて欲しい事が沢山ある。 だから悠斗には友達として、それから同じ男子として、これからも宜しく頼むよ」
そう言って眩しい程の笑みを浮かべる織斑。
……こいつは、強い奴だな。
あんな態度を取っていた俺に、そんな事を言ってくれるとは。
「……ありがとう、織斑」
「良いんだよ、昨日鈴も言ってたけど、友達だろ?」
「……そうか」
それから互いに無言になるが、やがて先程の話の続きをした。
「お前を見ている内に、お前にはお前の考えがあるし事情だってあるんだとわかった。 今お前が言ってた、鈴に対して中途半端な気持ちで答える訳には行かないという言葉、それでお前が鈴の事を大事に思っている事もわかった」
俺の言葉を、織斑は何も言わずに真剣な表情で聞いている。
「それなら俺は無理に直ぐ答えを出せとは言わない、無理強いもしない、答えを出すのはお前なんだからな。 まぁ、俺としては鈴とお前は友人だから正直報われて欲しいとは思っているが」
鈴は仲間想いの優しい奴だ、そんな鈴には報われて欲しいと強く思ってしまう。
そして織斑も、今まであれ程に散々な仕打ちを受けていた筈なのに鈴の事を大切に思い、更には俺の事を気にしていないと、許してくれた。
何故ここまで人に優しく出来るのか俺にはとてもじゃないが真似は出来ない、だがその優しさが、織斑の良い所でもあり強さでもあるんだろうな。
「……あくまで俺個人としての考えだから当てにはならないだろうが、俺から言えるのはそれだけだ」
「うん……ありがとな、悠斗」
「礼なんていらない、だがこの事を間違っても鈴には言うなよ? またうるさく騒がれるからな」
「ははっ、わかったよ」
そう言って織斑は立ち上がる。
時計を見れば、間もなく授業開始の時刻が迫っていた。
「話を聞いてくれてありがとう、俺なりにもう一度考えてみるよ」
「あぁ、だがまだ答えを出せないとしても、鈴には変わらず接してやってくれ、あいつは変な所で繊細な所があるからな」
「わかってるよ、そうしないと"悠斗兄ちゃん"に怒られちゃうしな」
「……待て、今何て言った?」
「ん? 何か相川さん達が言ってたぜ? 悠斗は鈴の兄ちゃんポジションだって」
……あいつら、怪我が治ったら覚えておけよ。
「じゃあ俺も行くよ、また放課後にな!」
「……あぁ」
医務室を出て行った織斑の後ろ姿を見送ってから、再びベッドに横になる。
……そうか、鈴はちゃんと告白出来たか。
織斑の答えはまだ出ない様だが、間違い無く大きく一歩前進した筈だ。
これからどうなるかは二人次第だが……いや、この先は二人に任せるべきだ、俺がとやかく言うべきじゃない。
叶うのなら、二人には上手く行って欲しいな。
そんな事を考えながら、再び目を閉じるのだった。