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近くのスーパーで和菓子詰め合わせを買い、坂町の家に向かう。やはりウチの屋敷とはとは違い、ごく普通のありふれた一軒家だ。むしろ、ウチが無駄に大きすぎるのだ。菓子は経費で落とそう、いやそれだとスバルが困るか。ともかく、だ。まずは紅羽に頭を下げねば。インターフォンを押し、少し待てば、坂町当人が現れた。
「どうした?お前一人で」
「ウチの女2人の詫びに来た。スバルは何度も君らをぶっているしな、流石にスジは通さねば」
「律儀だな……。そんな気にしなくていいって。ま、遊びに来てくれたんだ、上がってくれよ。お茶くらいは出すよ」
――坂町が心の広い男で良かったな、奏。常人だったら怒り狂っていたぞ。
坂町の言葉に甘え、彼の家に上がる。靴を揃えて、彼の後ろについていけば、惨状を示すリビングまで招かれた。壁には包丁を刺した跡。そしてテーブルには裁縫道具と熊のぬいぐるみ。狂気すら感じられる。
「紅羽は相当キテるみたいなんだ。あいつ余程ショックっぽい」
「心から謝る、本当にすまなかった。それで……紅羽はどこに?」
「多分、自分の部屋か、道場か、だな」
「そうか。案内してくれないか?」
「おう、でもくれぐれも気をつけろよ」
坂町の念押し。しかし、私は彼女には殺されるつもりはない。スバルに軽くあしらわれてしまっていたのだ、そんなレベルでは、私に傷一つ負わせられん。大丈夫だろう。
坂町の後ろに続き、2階に上がる。彼の妹の部屋のドアを、私が軽くノックする。返答が帰ってこない。塞ぎ込んでいるようだ。
「紅羽、お前にお客さんだぞ」
「……」
「坂町。ここからは、紅羽と2人にしてくれ。お前に八つ当たりされたら、敵わん」
「お、おう……」
彼の話を聞いていたらやりかねん。毎朝、ルチャ――いや、プロレスか。その技を食らい続けているくらいだ。如何に彼がタフとはいえ、怒りの矛先を向けるのは、私にしてほしい。そういう想いで彼には戻っていてもらい、鍵のかかっていないドアを開けると、電気が付いてない暗い部屋で、隅のベッドで体育座りをして俯いている、桃色の髪の、小さな女子。間違いなく、公園で見たあいつ。
服の上からでしかないが、大した怪我はないようだ。妹も頑丈なのだな。骨格からして、普通の女子よりも逞しく見える。だが、やはり華奢だ。
「紅羽、と呼ばせてもらうぞ。先程は済まなかった」
「どちらさまですか……?」
「涼月狼。近衛スバルの相棒、そして涼月奏の弟だ。先程の相棒の不祥事について、謝罪しにきたんだ。これ、和菓子だけど、よかったら」
私の顔を、興味津々に見つめる彼女。サングラスは流石に失礼か。それを外して、彼女の眼を見ては、そのまま地べたに正座し、床に手と額を着け、深々と彼女に平伏す。これは土下座といって、日本で筋を通す時に使う、一番の作法らしい。
途端、紅羽が慌て出す。おや、私もやらかしたのか?
「すっ、涼月先輩!?」
「本当に申し訳なかった。君に手を上げるつもりも、あいつには微塵もなかったはずだ。しかし、結果的にアイツは蹴って、君を傷付けた。許してほしい、この通りだ」
「あ、頭を上げて下さいっ!わ、私は別に……というか逆に……収穫というか」
――いま、この子はなんと言った?収穫?もしや、こいつ……。
思わず顔を見上げ、彼女を見直す。ああ、やはりな。そういうことか。
「あの、近衛先輩の相棒って言いましたよね!?好きな食べ物とか、映画とか、趣味とか、知りませんか?」
「……ころっ、と惚れたって訳か」
「い、いやぁ……。あんなに強くて逞しくて、凛々しい人なんて、見たことなかったもので」
謝り損か、私は。頭を上げて、立ち上がり、紅羽の顔を見て呆れた。と同時、少し安心した。
面倒なことではない。坂町の妹だろう、なら手を焼かん。推測にしか過ぎんが、そこまで迷惑なヴィジョンは見えない。奏を蚊帳の外に置いたら、だが。
「スバルが好きなのは、沈黙ヒツジ。それと、所謂かわいい系のキャラ物だ」
「なるほど、流石相棒!!情報は確かですね、ありがとうございます、涼月先輩!!」
――スバル。どうやらお前の心配も稀有に終わったようだ。よかったな。
挨拶して部屋を出、リビングで待ってくれていた坂町にも菓子折りを渡し、頭を下げる。そして、彼に促されて、ソファに腰掛けた。何も手を出された痕跡がないのは、他人から見ても一目瞭然。それでも、気遣ってくれた坂町は、私に声を掛ける。
「どうだった?」
「お前の妹は、女に恋をした」
「それって……つまり。近衛に惚れたってことか……?」
「そういうことだ」
坂町の驚愕。無理もないな。紅羽はスバルを女だと知らないからいいものを、事実を知ったら凄いことになる。奏の思う壺だ。
出されたお茶を啜り、坂町の驚きの言葉を聞きつつ、これをスバルにどう伝えようか、と考える。いや、明日謝らせるから、伝えなくてもいいか。そこで知るも知らぬも、アイツ次第。お茶を飲み干してソファから腰を上げ、坂町に告げる。
「今日は邪魔したな。明日もよろしく」
「ああ、また明日。近衛にもよろしく言っといてくれ」
「承知した」
また明日、か。初めてそんな言葉を交わすかもしれん。そうして彼に玄関まで見送られ、革靴を履いてドアを開ける。玄関先にはうちの車が止まっていて、苺が窓を開け、指をくいくいと曲げて、乗れと示す。
そして、ドアを開けて迎え入れるは、流。ありがとう、と礼を言って車に乗り込み、帰路に着く。娘の尻拭いに感謝します、といつも通りの彼の言葉には気にせず、隣に座った流に、ある一枚の写真を渡してやり、彼に言った。
「日頃の感謝だ」
「ありがとうございます――これは……」
今日のスバルの制服の写真だ。奏が私のスマートフォンのカメラで撮影したデータを、和菓子を買うついでにカメラ屋でプリントしてきた。勿論、奏のお使いなのだが。私情ではあるが、彼に見せてやるのもいいか、と思い、二枚。彼も人の親、自分の娘の制服姿ぐらい、拝みたいだろう。
彼の眼鏡越しの瞳から、ぽつりと一滴の涙が零れるのが見えた。写真にそれを垂らさないように気をつけている。やはり、見たかったのだな。本心は、執事になどならなくて良い、そう思っていることだろう。
「スバル……。お前こんなに綺麗な女の子に……」
「奏も、中々乙なことをする」
「妻にも見せたかった……」
「だろうな。残念だ――次は、スバルの着物姿でも見せてやりたい。成人式でも、正月でも」
「但し、ウェディングドレスは私は認めません」
「流……。お前も、子離れしなければならない日が来るんだぞ。確かに、子育てに愛情は必要だが、お前は少し過剰すぎやしないか」
「いいえっ!足りんくらいです!私は、スバルの結婚は、狼様以外は認めません!!」
「何で私だ……。全く、あいつの結婚相手くらい、あいつの好きにさせてやれ」
私は、こんな流を嫌いにはなれない。非常に人間臭くて好きだ。奏や当主の前ので機械的な態度と違い、流は私に気さくに、しかも我が子のように扱ってくれる。だから、邪険になど出来ん。彼の肋骨を折ってしまった過去、だが、拳を交えたという経験から、友情のような物を私達は抱いていた。
屋敷に車が着き、玄関でスバルが私を出迎えてくれる。紅羽はどうだったか、と神妙な面持ちでスバルが聞いてくる。明日自分で確認したほうがいい、と不安を少し煽っておいた。ただ、実際は深刻なものじゃないから、彼女が事実を知ったときにはホッとするだろう。
手を洗って、我が家のリビングに向かい、奏と共に食事を摂り、自室に戻ってスーツからジャージに着替える。今日はもう風呂に入って寝よう。今だと奏が多分乱入してくるから、彼女が寝た1時頃に入ろう。予想した通り、ドアがノックされている。匂いも奏のものだ。
「狼?」
「どうした」
「今日の紅羽ちゃん、どうだったの?」
「ああ。お前が期待したような結果になった」
「期待……なるほど、スバルに惚れちゃったのね」
「直に謝ったら、スバルの好みを聞かれてな。坂町に言ったら狼狽していた」
「これは面白い事になりそうね。明日も面白くなりそうだわ」
「明日、身体測定か。――面白くなるわけなかろう……」
明日はスバルの性別がバレる可能性が高い。何か手を打たなければならないな。掛かり付けの医者に頼むしかないか、私がやるか。しかし、私は医師免許は無いし、知識もあまりない。去年は確か急病で休ませた筈だ。今年はそういう訳には行かないか。
爛々とルビー色の目を輝かせ、私に聞いてくる奏。ああ、南無阿弥陀仏。耐えてくれ、明日の坂町。
「そこで!ジローくんはどう出るでしょうか?」
「あまり坂町に酷いことをするなよ。私だけにしておけ」
「あなたは優しいのね、でも友情があれば乗り越えられるんじゃないかしら」
「他人事みたいに言うな。お前の執事、それに私の相棒だ」
「でも、今年のお医者様は、事情は知っている筈よ」
「……早くそれを言え」
「てへぺろっ」
「お前は……」
こいつ、確信犯だったな。座っていたベッドから私が立ち上がり、ドアの前で立っていた奏を押し退けて廊下に出るが、最近こいつは私の腕に引っ付いたままついて来る。歩きにくいし、鬱陶しい。だから彼氏を作ってからやれと言っているのに。お前の望みを満たす人間は他にいるだろう。
「奏、やめろ」
「嫌よ?貴方は私の理想の男性、というか私の彼氏はあなただもの」
「付き合ってないからな?」
「学園だと坂町くんと付き合っている設定にするわよ?紅羽ちゃんの為に。でも私は……」
長い。そして、興味がない。語っている最中悪いが、腕を抜いて、奏から離れる。自分の部屋だとすぐに奏が入ってくるだろうから、誰もいないような書庫に入った。ここで時間を潰せばいいか。特に読む本は無いが、椅子の埃を払ってそこに座った。窓から差し込む月の光がとても美しく見えるという、この部屋の秘密は、私だけが知っている。だから、天体の本を買ったのだ。
ここにもあるかも知れん、だが探す気にはならん。第一、こんな膨大な本の中で、見つけ出すのは骨が折れる。それよりーー今日は幸運にも満月が出ている。蒼い光にふっと笑い、それを見つめた。
「狼、ここにいたのか」
「よくここがわかったな、スバル」
「君がここに入るのは、結構見ているからね」
幅広い脚立の隣にスバルが座った。燕尾服が汚れるぞ――言っても聞かないだろうがな、この石頭は。にしても、どういう風の吹き回しか。
「月、綺麗だな」
「何かあったか」
「お父さん……君が制服の写真を見せた所為で、超鬱陶しい」
「そう言ってやるな、君は流の唯一の子供なんだから」
「そういう君も、カナちゃんを鬱陶しがってるだろ」
「ああいうのをまともに相手するのは時間の無駄だ」
「あ、ああ……そう、だよな」
「なんだ?奏を取られると思ったのか?私は、あいつをお前から取り上げたりはしない」
「だよな、うん。何か心配して損した」
スバルと奏は、私よりも長い付き合いなはずだが。変な心配をするものだ。こいつも最近、不思議な考えを持つようになったな。第一、お前は執事だろうに。離れてはならん。
にしても、月明かりが、私達を微笑ましく照らしてくれているな。蒼い光。スバルの茶色の髪が、いつもより輝いて見える。私の銀髪と違って、彼女の髪は鮮やかでいつも美しい。彼女の髪を軽く触ると、スバルの顔が赤くなりながらこちらに向けられた。
「なにするのさ」
「綺麗だな、と思った」
「……恥ずかしいから、やめて」
「すまんな」
照れているのか、こいつ。初めて私に褒められたくらいで。なるほど、可愛い一面もあるじゃないか。
顔を俯き、顔を隠すスバル。頭から手を離せば、もっとして欲しいのか、上目遣いでこちらを見てくる。子羊の様なその姿、だが私はなにもしない。うう、と唸っても、窓を見つめたまま。
「……狼。今日は、ありがと」
「気にするな。お前の尻拭いなら、いつでもやってやる」
「うん……。ねえ?お礼させて」
「気にするな、って言っーーむぐっ」
様子がおかしいと思ったら。スバルに頭を抱き寄せられて、そのまま唇を奪われた。一体どういうことか、私にもよくわからない。唐突過ぎる。
何故、キスする必要があったのか、私にはわからない。思考が少し止まるも、礼と言っていたな。ふむ、これがコイツなりの礼か。なら、断るのは失礼だ。私はスバルの今だけのわがままを聞いてやり、こちらからはなにもせず、唇を重ねて1秒ーー彼女から顔を離せば、唇を繋ぐ銀の糸。それを見たスバルは、顔を更に赤くし俯いた。
「そんなになるなら、しなければよかったろ」
「うっ、うるさい……。カナちゃんとお前がしてたのを見たら、羨ましくなって……」
「なら、奏にすればいい」
全く、近頃のこいつらの行動は理解に苦しむな。