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「ジローくん!?」
「ジロー!」
よほど心労をかけたのだろうか、坂町の顔色がより悪くなり、倒れ込もうという時に、私はゆっくり彼に近付いてその身体を受け止める。
抱いた瞬間にわかる、とても熱い。一時の湯冷めだろう、と思ってはいたが、風邪か。無理もない、流の肉体言語を受け止めて、後からダメージがきたこともある。それに、風呂場から臭うは、少し温かな湯の香り。額に手を置けば、7度8分程度か。大したことはなさそうだ。
「ど、どうしよう……」
「紅羽ちゃん?」
「兄さんまで死んじゃう!!」
だが、厄介なのは紅羽の方だった。過去になにかのショックがあったのだろうか今の彼女はヒステリックになっている。落ち着き払った私を見て、少し安心しているスバルが声を掛けるも、そのヒステリックは止められずにいた。PTSDまでとは言わんが、手を焼くな。
スバルと奏にその場を一旦任せ、私は坂町をおぶって彼の部屋に連れていき、ベッドに寝かせた。タオルと掛け布団を彼の身体の上に覆わせ、そのままリビングにまた戻る。紅羽はまだ、落ち着いてはいない。だから、奏が一肌脱いだ。
「大丈夫、死なないわ」
「お、お姉様……!?」
「ただの風邪よ。ジロー君なら、すぐに治るわ」
ぎゅう、と紅羽を抱き締める奏。いつもの様子とは違い、本心からの言葉だった。眼が、きちんと透き通っている。母性を発揮し、優しく包み込んで、優しい声音で声をかけてやり。段々と心拍数が落ち着いてきて、冷静さを取り戻してきた紅羽は、はい、と言って立ち直る。
スバルが抱きしめていたら、女だとバレてしまうだろう。それに、私がやっても、あまり効果はなさそうだ。だとしたら、やはり適任だったのは、奏。本題に戻ろう。先程作っておいた氷嚢は、スバルが坂町の自室に持っていってくれた。私もそちらに向かっては頭にそれを乗せ、切った林檎を彼の学習机に置いておく。
「飲み物はあるか?」
「水じゃダメか?」
「スポーツドリンクがいい」
「わかった、買ってくる!」
「頼んだ。奏、紅羽を頼む」
「ええ。任せて」
各々に指示を下し、私は台所に入って、冷蔵庫にあるうどんや卵などで、鍋焼きうどんを作る。一応、紅羽の分も作っておくか。落ち着いた時に食べればいいさ。張り切っているスバルは台所に立たせられん。絶対に悲惨なことになる。
手早く作り上げたそれを坂町の部屋の机に置く。坂町が辛そうながらも起きたようで、私に声をかけた。男二人、腹を割って話すのも良いが、今はその時じゃない。
「迷惑かけちまった……」
「気にするな。私達の所為でこうなったんだ、謝るのはこちらの方だ」
「紅羽は……大丈夫か?」
「奏が落ち着かせてくれた。うどん、食うか?」
「ああ……。お、美味そうだな」
「林檎もあるぞ」
「いただきます」
食欲はあるそうで、鍋焼きうどんをゆっくりと食べている。風邪は引き始めが肝心だからな、きちんと対処すればすぐ治るさ。はふはふ、と冷ましながら食べる坂町を見て、腹が減っていたようにも見える。そういえば、食卓にカップ麺があったな。あれはもしかして、スバルに譲ったのだろうか。だとしたら、一食は食いっぱぐれていることになる。
もきゅもきゅと咀嚼する坂町、その中で私に話しかける。食べ終わってからでもいいだろうに。せっかちなやつだな。
「……でさ、お前らが来たのは、なにか訳があるんだろ」
「食べながら喋るほどの元気はあるのか。よかった」
「まあな。これ誰が作ったの?」
「私だ。それで、質問の答えだがな」
今朝、奏に告げられたことを話す。熱まで出している彼に言うことではないとは思ったが、彼自身が聞きたがっているのだから仕方ない。
最後には、坂町は悪くない、ということを付け添えた。責任の所在は私にある、と奏も庇っておく。この計画は、流と私による、スバルが立派な執事になるための試練。そう、聞こえはいいようにした。紅羽を宥めた後に戻ってきた奏も、その話に参加し。
「弱点を見つけられた後、付け入れられるのは時間の問題。私と共に奏を守る者ならば、刃物恐怖症は治すべきだ。私と流はそう考えた」
「なるほどな……。それに俺が割り込んじまった、と」
「スバルは、流を許さない、って言っているわ。そこで、ジローくんが流を許してくれれば、スバルも流を許して仲直り、ということになるかもと思ったけど」
流は、河川敷で生きている。川の魚や虫などを食べているのかはわからん。もしかしたらあいつもカップ麺で生き延びているのかもしれんな。しかし、仲直りをさせるとはいえ、そこまで坂町を連れていくには、今は状態が悪すぎる。
私が招いてしまったミスだ。スバルを大人しくこちらに戻していれば、という念が頭を
「――俺が、オッサンの所に出向くよ」
「正気か?お前は病人だ、無理するな」
「無理なんてしてねえよ。それに、お前には、まだ、庇われた時の借りを返してない」
「あれは貸しじゃない。私の注意力不足が招いたミスだ」
「でも、守られたことに変わりはない。それに、こうやって看病までしてもらってるんだ。また借りが出来た」
「……そこまでせんでもいいのだが。バカなやつだ」
「おうよ」
漢気は買う。だが、無理をさせて外に出すのも考え物だ。スバルはまだコンビニから戻って来ない。
言っても聞かんだろうな、ここは坂町の好意を買おう。辛くなったら言えよ、と言葉をかけて坂町をおぶり、玄関を出て、流のいる河川敷へ向かう。5月とはいえ、夜は肌寒い。私のジャケットも貸し、Tシャツになった私は、ニオイを頼りに流の居場所を突き止めた。
古ぼけたテント、ガスの匂い。私の気配に気付いた流が、モソモソと中から出てきた。
「お嬢様、に狼様?と、この前のクソガキ!?こうなったのも全て、お前の所為だ!屋敷の中で無視されるわ、おはようのキスはしないわ、ハグも避けるわで」
「明らかに!アンタの接し方に!問題があるんだよ!!」
「い、言うなそれを!」
正論をぶつける坂町、それに返す言葉もない流。前にも言ったな、流の接し方は過激だ、と。それを改めないのは、やはり一人娘だからなのだろう。手塩をかけて育てあげた、それで今は反抗期。愛が足りないのか、と勘違いして、更に勘違いを重ねて過激なスキンシップ。
熱がある中で言い合う坂町、この状況で身体もすっかり元気になってしまったのだろうか。それにしても、お前らは本当に仲いいな。だが、早く本題に入れ。奏、説明頼んだ。こんな綺麗な夜の空に、こんな下らん話をするのは嫌だしな。――本当、私は変わったな。以前は、空を見ても何とも思わなかったのにな。
「ジローに……触るな!」
「うぉっ!?」
説明をし終わったところで空を飛ぶ燕尾服。綺麗な流線を描き、流の頬にローファーが見舞われる。本当に、無粋だな。スバルが、坂町に近付いた流に飛び蹴りをしたのだ。そして、山程買ってきたスポーツドリンクを片腕に抱え、坂町の手を引っ張り、家に帰ろうとする。
――余程張り切っていたんだろうな。看病など、したこともなかったろう。
「お、おいスバル……待て!」
「お父さんなんて……嫌いだ」
ドスの効いた声でつぶやかれる一言。それを受け、流は陥落。無駄になったのか、今までの行為は。 はぁ。
無理矢理引っ張っていくも、坂町はそれを止めようとする。なんとかこの場を取り持とうとしているのだろうが、風邪はぶり返しはしないだろうか。私のレザージャケット、割と保温性は高い。それでも、あまりよろしいことではない。スバルとエンカウントしたのが、より彼の熱への拍車をかけねば良いが。
「おい近衛、少しでもいいからお前の父さんと……」
「いやだ!ジローは風邪なんだから、外に出たらまた熱が上がってしまう!それに、ジローに手を上げるお父さんなんか、ボクは嫌いだ!」
「――スバル。いい加減にしろ」
呆れてきた。時間も無駄にしたくはないし、お前の子守はもうゴメンだ。貴様はもう子供じゃないというのに、いつまで意地を張るつもりだ。
スバルを見る。少しだけ、顔が強張っている。睨んでいるつもりはないのだが、なにか怯えているような態度。しかし、前までのスバルとは少し違い、臆することなく噛み付いてきた。
「黙れっ!ボクはジローの執事だ!!」
「奏を捨てるのか、ほう。流、お前の教育じゃ足りんらしい」
「そ、そんなこと……言ってないだろっ⁈」
「なら、お前のその態度、なんなんだ。流も奏に支える執事だ、お前はまだまだ流から学ぶことがあるだろうに。全てを許せ、とは言わんが」
「ボクは……っ!ボクはもう、その人の子供なんかじゃないっ!」
――おい、貴様。今なんと言った?
「そんなこと、言っちゃダメ――狼!?」
スバルの手から坂町を離す。力を込めて抗おうとするものの、私の力に敵うわけはない。奏の言葉が聞こえるが、この馬鹿には、今はそんな言葉は届かん。それよりも、お前の今の発言は許さん。
「――っ!」
静寂を切り裂く、一瞬の破裂音。私の平手が、スバルの右頬に、ぶち当たった。