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「大概にしろ、馬鹿共が。貴様ら二人のエゴのぶつかり合いで、どれだけ坂町と奏が迷惑を被っているのかわからんのか?」
「君には父親がいないから――」
狼が怒っている。口調は穏やかながらも、怒気はかなり含まれているのがわかる。その背中から溢れ出す、怒りの感情。それと同時に、哀れみさえ見える。
私はまだいい。いつも迷惑をかけている方だもの。でも、ジローくんまで巻き込んでしまうなんて。そういう意味では、お灸を据える必要があったかもしれない。でも、スバルの口から飛び出したのは、一番聴きたくなかった言葉。
貴女の相棒、そして私の愛する人。それの出自を馬鹿にする、なんて。許せない。流石に執事といえども、そんな言葉は見逃せない――と思っていたら、狼はまたスバルの頬を引っ叩いて、怒りを露わにした。
「だからどうした」
「ぐ……うっ!」
「確かに親はおらんさ、喧嘩もできん。だが、今のお前より、親のありがたさはわかっているつもりだ」
涙を目に溜めるスバルの胸倉を掴み、引き寄せる。額を合わせ、説教を続ける。羊を躾ける狼、本来は私や流の役目。でも、どっちもスバルを
だから、狼は手を上げた。大分加減しているにせよ、その平手には想いが乗っていた。寂しさとはまた違う、実の親と言ってもおかしくのない流を、実の娘が馬鹿にしたから。
「唯一存在する血縁である流と決別しようとする……。子供にも程があろう。その程度で、奏の執事だ?ふん、笑わせる」
「今は……っ!ジローの執事で……っ!」
「なら、お前が女だと知られても、もう困るまい。約束したことを破ることになるのだからな。ふん、所詮はその程度のやつだったか」
「もう……っ!黙れ……っ!」
「――何故、下らん意地を張り続ける。何故、貴様らはエゴのぶつかり合いだけで、互いを認めないんだ」
煽るに煽る。それでいて、噛みつこうとするスバルだけど、狼は正論で迎え撃ち。それで、平手でまた打とうとする――と思えば、近づいて来た流の胸倉も掴んで、より二人の身体を身体を持ち上げた。
叩きつけるのか、少しだけ息を呑む。そんなバカな真似はしない、とは言っても、この状況はやりかねない。タダでさえ、スバルの尻拭いを何度もしているんだから、愛想だって尽かされる。でも。
ごちん、という音。目を丸くした。スバルと流の額をぶつける、彼なりのお説教。ホッと胸を撫で下ろしたのは、ジローくんも同じ。それよりも、彼の言うことは至極正論。それに、私もスバルがいないとかなり困る。今のままの彼女は、私の側には置けない。
「なぜ貴様らは、私の言っていることを理解せんのだ」
そのまま草むらに乱暴に降ろし、何時もより輝いている
「なぜ貴様らは、互いを許し合えんのだ……」
△▼△▼△▼
狼の平手打ちは、心が痛かった。まさか手を上げるとは思っていなかった。狼に、凄い酷いことを言ったのがいけなかったのか。いや、それを言って、彼が感じる寂しさを、怒りに変えて怒ったのか。
いや、違う。彼は、ボクのお父さんへの暴言に怒っていたのだろう。冷静さを欠いたボクには、確かに、お嬢様に仕える資格はない。吐いた言葉を呑み込まず、そのまま出してしまった。夜風は寒くて、狼の言葉に従う様に、少しだけ強く、ボクの身体を撫で付けた。
「貴様ら、そこで頭を冷やせ」
狼はジローを背負い、そこから立ち去る。背中からも哀しみが漂う。少なくとも、彼はボクに愛想を尽かしていない。そうだったら、怒らない。これは、彼なりの優しさ。それでいて、ボクのお父さんへの、彼なりの愛情。
涙が溢れた。こんなに真剣に怒ってくれる人、いなかったから。もちろん、怖いってこともあった。だけど、それよりも、彼の言葉が心に響いて、ボクの過ちを振り返らせてくれる。何度も何度も迷惑をかけて、いつも彼が処理をして。そんな彼の優しさに、ボクは甘え切っていた。きっと、お父さんにも。
「ごほっ、ごほっ……。あのクソガキ、俺に風邪を移しやがったな……」
「流、大丈夫?」
「はい、見苦しい姿を見せてしまい申し訳ございません」
立ち上がりながら咳き込み、それでもお嬢様に伝染さないように距離を取るという気遣いをして、深々と頭を下げるお父さん。そして、お父さんはボクに手を差し延べ、立ち上がらせてくれた。不思議とボクは、その手を払い除けずに、素直に受け入れた。ボクは袖で涙を拭く。だけど、自然と流れ続けていて。でも、それには触れないで、お父さんはボクに向かって言った。
「狼様と、あのクソガキに感謝しなくちゃな」
「……クソガキっていうな。だからお父さんは嫌いだ」
「嫌いでも構わない。だけど、もう娘じゃないなんて、言わないでくれ。俺は、一人娘のお前を愛している。唯一の家族のお前がいなくなったら、俺はどうすればいい?」
お母さんはとっくの昔に死んでしまって、肉親はお父さんだけ。狼はそれすらもいない、家族ゲンカも出来ない。姉弟喧嘩はできるだろうけど、狼はお嬢様を守る存在なのだ。喧嘩など絶対に出来ない。だから、ボクは酷く後悔した。親がいないから――ボクが怖がっている刃物を、言葉という概念に変換して、彼に突き刺してしまったのだから。
お嬢様の心配げな顔。向いている先は、消えていった狼達の行く先。
「狼……」
「お、お嬢様、病院行ってきます……」
「気をつけてね」
お嬢様と二人きり。いつもの事が、こんなに幸せなことだとは。――ああ、幸せなんだな、家族がいるって。甘えられる人がいる、って。お父さんが足早にいなくなった途端、お嬢様はボクに向き直り、少しの怒りを瞳に浮かべて、いつもは絶対にしない、怒気を含んだ声で話す。
「狼に謝りなさい、スバル。あなたの言葉、無自覚にあの子の傷を抉ってる。私の
「……申し訳ございません」
「一時の感情に任せて、その時思い付いた言葉をすぐに発しちゃダメ。今度、同じ様なことをしたら……。私は、貴女を切り捨てる」
あいつ、何言われようが構わないって言ってたくせに、気にしてるじゃないか。いや、気にさせるような事を言ったのがいけないな。メンタルは強い奴だとはわかっていたけど、弱点だってある。そこを突いてしまったのだろう。ボク達の、くだらない意地の張り合いの所為で。
――ボクの
わかった。ボクの気持ち。都合が良すぎるけど、ボクは、彼を失いたくない。彼を護りたい。
――狼を、愛している。
「私も一緒に着いていってあげる、だから謝りましょう?」
「……はい」
もう、二度とこんなことは口にしない。そう、自分の中で約束した。
◆◇◆◇◆◇
坂町をベッドに寝かせ、はぁ、と溜息を付いてしまう。あいつは多分、相当怒っているだろうな。だが、二人とも、つまらないことにいつまでも時間をかけている必要はないだろう。自分の行動に悔いはない。だが、あれで直らねばもう他に手はない。
「やらかしたなぁ……」
「あの馬鹿共には、調度良い薬だ。二人しかいない家族なのに、どうして仲良くできんのかわからん。お前と紅羽を見習って欲しいところだ」
「ウチは、親父が大分前に亡くなったから。でも生前の親父のお陰で、今、紅羽とあんなに上手くやってると思っているし、親父が死んでから、より一層絆が深まったって感じかな」
「だから、紅羽はあんなに取り乱したのか」
「それよりも、さ。ありがとな?やっぱり、お前がいなかったら、多分ダメになってたよ。俺も、近衛も」
「礼には及ばんよ」
坂町も、色々な苦労をしているんだな。辛いのは、私だけじゃない。皆、生きていく上で辛いものと付き合っている。今のスバルも辛い状況にいるだろう。だが、それを克服してこその私の相棒なのだ。特に親子ゲンカごとき、さっさと終わらせて欲しいものだな。
そう思っていると、インターフォンが鳴り響く。恐らくスバルだろう。全く、やっと頭を冷やしたか。坂町が動こうとするも、それを制して、彼に聞く。もちろん、答えは決まっている。
「上げていいか」
「ああ。ケジメ、つけさせてやってくれ」
「恩に着る。終わったらすぐ帰る」
玄関のドアを開けると、やはりスバルと奏。彼女らを上げ、坂町の部屋にてスバルの話を聞く。幸い、紅羽はリビングで寝ている。泣き疲れた上、満腹になって落ち着いたのだろう。
もじもじとするスバルの背中を、奏が軽く叩いた。泣き腫らしたような顔を向け、少し俯きながら口を開く。
「お父さんとは、和解した。接し方はどうなるかはわからない。ジロー……迷惑かけて、ごめん」
「嫌なら嫌と言えばいい。親子といえども礼儀はある」
「近衛、狼の言う通りだ。それと、俺は気にしてないぞ。謝る奴は、他にいるだろ?」
「――うん。狼。酷いこと言って、ごめん」
酷いこと?こいつは何か言ったか?坂町に聞くが、彼は呆れ顔をして、奏は説明をしてくれる。そんなに私は無神経なことを言ったのだろうか、と思いきや、どうやら、私に父親がいない、と言ったことを気にしているようだ。
なるほど、事実にしか過ぎんことだ。それを気にしているのだろう、とは。優しさもあるんだな――いや、本来、スバルは優しい。少し周りを見失いがちなだけだ。それが冷静になった今、表面化しているだけだ。私は口を開く。気にしていない、と許したつもりで答え。
「確かに父親はいない。涼月の当主を親とは、私自身認めていないし、実父も……いないか、殺してしまったか、だ」
「え?」
スーツの言葉が脳裏を過ぎる。こんなに焼き付いている、ということは、あれは事実なのだろう。ドラッグで意識が朦朧としていた時だろうから、覚えていなかったのは不思議ではない。
気を取り直そう。ともかく、私は気にしていない。
「だが、私は、流を父親だと思っている。私をあんなに想ってくれる男は、坂町と流しかいない。流は、優しい人間だ」
「そっか。ボクのお父さんは、君のお父さんでもあるわけだ」
「そうだ。奏には悪いが」
「いいえ?お父様と狼って、何だかお友達みたいだし。構わないわよ?私もあまり会わないけど……。でも、信頼はしてるの」
実父にここまで感情を持てる人間を見ると、羨ましく思う。私も流に尊敬の念を抱いてはいるから、幸せな部類の人間に入るのだろうな。
ハル・ケーニッヒという人間は、存在しない。その人間は、父も母もいるのだろう。私は涼月狼、父母はいないが、それに近い人間と相棒、そして姉がいる。「家族」の一員として、私は存在している。今、ここで。
「そういえば、流は?」
「ジローの風邪を貰ったから病院に行ったよ」
「……腑抜けたな、流」