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パーティーからしばらく日にちが経った。奏が出掛ける度、私達がついていく、というルーティンワーク。平日の日中は、奏とスバルには家庭教師がついていて、そこで教育を受けているそうだ。私には縁のない話、とは言っても、これから文字の読み書きが出来ないと困る。そう考えた当主から、プレゼント、として流づてで渡されたのは、「ひらがなれんしゅうどりる」。
開いてみれば、ファンシーな絵と、点線で印刷された、丸みを帯びた文字。日本語は、平仮名、カタカナ、漢字、という風に、文字種が多い。喋ることはできるのだが、少し鈍りが出てしまう。それは、ここにいる人間の会話を聞いて、真似をすればいいだろう。
鉛筆と消しゴム、そしてノート。これを書けばいいのか、と流に聞けば、ええ、と頷いた。左手で鉛筆を握って、その点線をなぞる。やたらと右に曲がる字だ、とはいえアルファベットもそうだ。左利きというのは、デメリットがストレスに直結してしまうそうで、私も拳銃を選ぶ時には、なるべくアンビデクストラスを重視していた。右手で撃てばいい、だからそちらの訓練もしたが、やはり左で撃てる、という銃の特性は外せない。
「あら、狼もお勉強?先生は流?」
「ええ。お嬢様、お疲れさまです」
休憩時間を取って、私を覗きにきた奏とスバルに、流が応対する。これでどうだ、と彼に見せれば、上出来です、と褒められた。海外から来た人間だから、スバルも奏も笑わない。寧ろ、サラサラと書けていく私に感心しているようで。レベルが低かった、ということで、今度は漢字練習。プライマリースクールのレベルからの漢字を、プリントを渡されてはなぞっていく。
左に三つ線を、そして右には、車の中での看板で見た、東京の京の字。そして、月、最後に、爪のような、曲線と横の線を交え、どう表していいのかわからない文字を書く。
「よく書けたわね。それが、貴方の名前の漢字よ、狼」
今度は、奏から称賛される。なるほど、これが、私が貰った名前か。「すずつきろう」……ふむ。見た目は、どこか荒々しい。
止め、跳ね、払い。この3つのアクセント。そして、漢字の作りの、形のバランス。なるほど、この点線はお手本なのだ。この通りに書けば、綺麗に、そして読み易くなる、ということなのだな。なにも、漢字の大体の形を示しているだけではなかったのだ。
中々どうして、日本語という言語は趣深い。三種の使い分け、それによって意味が変わる。その点は、英語にはない。
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新しくウチに来たボディガード、私が名付けた『狼』って子。あの子は、何かとても純粋で、正直な子で。初見は少し汚く見えたけど、きっちりお風呂で汚れを落とせば、凄く男前な子だった。それよりも、傷だらけの手に顔に首に、それが少し怖くて、私は壁を作ろうとしていた。
スバルとは明らかに違う、生きていた世界が壮絶な男の子。男の子と話すのも初めてだし、それも怖かったのはあったけど。何より、雰囲気が少しピリッとしていて、なにか踏み込んじゃいけないものがある気がしたの。私には『きょうだい』はいないから、お父様から『弟ができるよ』って聞いた時は嬉しかった、のに。なんでだろう、あの感情は、どこに行ってしまったのかしら。
家のしきたりで仕えてくれているスバルは、私の心情を察してか、少し彼に攻撃的になっていた。そのスバルを抑えなきゃいけない、っていうのは、外での私の姿。演じているだけで、本音をぶつけたら、皆が離れていってしまう、って、思って、大人を演じていたの。だけど、本音は言わなくても、狼にバレていて。それどころか彼は、私がしたいことを、すぐに察していたの。
そうよ、パーティーなんて出たくない。おうちでゆっくりしていたい。誰にも寂しさを悟られたくない、だから引きこもっていたい。でも、お父様の顔に泥は塗れないから、私は我慢して、パーティーに出席した。もちろん、それはスバルの顔にも泥を塗ることになってしまうんだもの。私のわがままでそんなことをしていい理由はない。
お
私の気持ちを、こんなにも早く見据えてくる人、いなかった。しかも、見据える人自体もはじめて。飄々としたポーカーフェイスで言い放つ彼、そして、ボディガードとしての仕事を全うしたあの瞬間。無意識に、狼への信頼は急に高まっていたの。
あの姿は、まさしく銀狼。静かに事を運び、仲間への危害を許さない。お金の為、とはいえ、あれだけアクティブに動いてくれるなんて思わなかった。しかも、その後のスバルの失態もカバーして。なんだ、怖いっていうのは、ただの杞憂に過ぎなかったのかもね。現に、真面目に平仮名を覚えてる狼は、本当に弟に見えるし。バックグラウンドがどうであれ、私の為に全力を尽くしている、そう見えるのは、とても嬉しい。
この短時間で、小学生の範囲を全て終えたのは、彼がハイスペックであるからね。お昼のチャイムが聞こえれば、スバルは私を食堂に、そして狼もその後ろをついてくる。お箸の使い方も覚えちゃって、とても綺麗に食事をする彼の姿、なぜか映えて見える。
「なにか、私の顔についているか」
「いいえ。人と一緒に食事をする、っていうの、あまりしたことなくて」
「奇遇だな、私もだ」
彼は、恐らくジャングルでの食事がメインだったのだろう。火の起こし方も、水の殺菌の仕方も知っていそう。その想像は難くない。それにしても、はじめてここで食事をした時とは違って、落ち着いて食べるのね。それほどお腹が空いていた?満足に食事すらできなかったのかしら?そういう世界だったとはいえ、それは少しかわいそうに思えて。
そんな中、スバルは狼を見て、ごくりと喉を鳴らし、そして可愛らしいお腹の虫も悲鳴をあげていた。無言で狼は卵焼きを彼女に差し出して、食え、と言う。
「ボクは執事だ、お嬢様以外からの施しは受けない」
「いいから食え。執事なら、腹拵えして備えろ」
執事なら、を、兵士なら、にすれば、しっくりくる。だけど、狼の言う通りではある。しっかりご飯を食べなきゃ、頭も回らないのだから。
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涼月狼。唐突に現れては、涼しい顔でお嬢様の後ろに立ち、仕事をこなしていく。ボクの、執事のしての自信が少し薄れてきてしまったのは、確実に彼の存在にある。お嬢様を御守りするのはボクだけでいいのに、実力も未だ分からない彼に、どこか嫉妬をしている。
体格差では絶対に勝てない。だが、力はどうなのか。お父さんに鍛えられたボクは、簡単に負けるつもりはない。生憎、この目と身体で体感しなきゃ、ボクは納得できないタチなんだ。あの大捕物じゃ、彼の力は計れないし。だから、ボクは彼に、決闘を申し込んだ。
午後の勉強が終わって、お屋敷にある道場で。ボクは道着に着替えたけど、狼はスーツのまま。服がないはずはない。舐められている、ということだ。
「手加減はしないぞ」
「構わん。いつでもかかってこい」
いつものペースを崩さず、構えすら取らない。それに痺れを切らし、先手必勝、動いたのはボクだった。踏み込んで、右の拳を一線。だけど彼はヒラリと避けると同時、ボクの頭に手をやり、馬鹿力でそのまま地面に叩きつける。幸い、下は畳。動きは早く、受け身を取れず。ごほ、と咳き込んでしまうボクだが、そんなことをお構いなしに、狼は貫手をボクの喉元に突きつける。
一瞬。音よりも早く、機械のように正確に、人間の死点を狙う彼。仰向けのボクの鳩尾を膝で押さえ、動けなくして。ああ、ボクの慢心か。いや、これが実力差か。その目は殺気に満ちていて、ぶるりと身体が震え、冷や汗が止まらず。抑えきれない恐怖が、涙となって頬を伝っていく。
終いだ、そう呟いて彼は脚を外す。背を向け、道場を後にする彼。卑怯だが、倒すなら背後からしかない。そう決めたボクは涙を拭き、狼に後ろから飛びかかった。
「阿呆め」
――ああ、わかっていたさ。歯が立たないことなんて。
こちらを向かず、肘でボクの鳩尾を打ち。そのままボクは、遥か後方へ吹っ飛んで行き、壁に頭を打ち……。モノの見事に、意識を断ち切ってくれた。
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愛娘のスバルが狼様に喧嘩を売った。それをお嬢様から聞きつけた俺は、すぐさま道場へ向かったが、ついたのは後の祭りであった。
スバルは完全に伸びていた。狼様がその身体を横たわらせて、その場を後にしようとしていたが、親心か、闘争心か。俺の身体は、支えるべきその男に対して構えていた。
「何の真似だ」
「失礼します。ですが、私も……。愛娘を傷つけられていて、黙っていられないので」
「その割には顔がにやけているが。ふん、いいだろう。相手してやる」
対峙するその少年は構えない。だが、空気がヤケに張り詰めている。今まで、生命をやりとりしていた人間が放つオーラか否か。下手に動いたらやられる、本能がそう教えてくれていた。
見え隠れする、鋭い牙。毒はなく、純粋に研ぎ澄まされている。それを持ちながら、無造作にこちらに近づいてくる恐怖。こんな感覚は初めてだ、俺が鳥肌が立っているのが、すぐにわかった。何もしなければ、殺られる。その恐怖心から、無意識に俺は左でジャブを放っていて。
ひょい、とかわされる。動きが読めない。とにかく、間合いに入れてはいけないと、ジャブを打つも、全く当たらず。何を考えているのか、さっぱりわからない。ただ、俺は狼様に勝てないのは、もう充分わかっていた。
鍛え抜いた俺の体術が、児戯のように避けられる。蹴りを放っても、ガードすらせず、飛びもせず。少しのスウェイだけでギリギリに回避され、なす術がない。なら、と、グラップルに掛けたが、それは狼様の十八番であることは重々承知していた。
動作の最中に、俺に僅かに産まれた隙。それを見逃さず、体を屈めた狼様は、カウンターの様に左のストレートを俺の胸に突き刺していた。気付けば、俺は宙に吹っ飛んでいて、壁に叩きつけられていた。ああ……スバルも、吹っ飛ばされたんだな、と、意識が薄れゆく中で確信をし、なぜか満足感を得て、ゆっくりと夢の中に堕とされた。