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狼からデートに誘ってくれるなんて、思いもしなかった。裸のままの私を抱き締めて、優しい声音で誘ってくれたのは、とても嬉しくて。私の自我が崩壊しかけていたのを勘付かれていたように思えた。
あの格好で、抱いて、なんて。でも、本当に抱いて欲しかった。身体の深くまで、狼の体温を刻み付けたくて。彼の証を、私に残してほしくて。苺に知られたら、狼と苺は大喧嘩になるかもしれない。あの子も私を好いてくれてるんだから。でも、苺とは、そういう関係になるのは想像できない。好かれるのは嬉しい、だけど狼のように深くを知り合った仲じゃないと。
そんなこんなで翌日、悶々とした気持ちを抑え付け、いつもの髪を下ろして、白いワンピースを着て。玄関で待ってくれていた狼も、今日はスーツでもレザーでもない。よりラフな格好――カーゴパンツにタンクトップ、白のワイシャツを羽織った――で、私の手を取ってくれた。
「どこに連れて行ってくれるの?」
「お前の知らない所だ、まず足を踏み入れん」
彼の言葉に期待をして、少し歩いてバスへ、そして駅へ。公共機関もあまり使わないから、これ自体が新鮮な気がする。秋葉原に行った時以来かしら。駅構内のざわつき、ピンポンと繰り返し鳴るスピーカー。人はあまりいないけれど、それでも無人ではない。
慣れた手つきでICカードにチャージ、それで改札を通る。ホームに上がって、すぐにきた緑色の電車に乗り込む。ニカ国語でのアナウンス、ひっきりなしに変わっていく液晶。山手線、ってこんな感じなのね。あんまり揺れないけど、わざと彼に抱き着いちゃおうかな、って思っていたのに。
「これなら転けないだろう」
「あっ……。ふふ、優しいのね」
先回りして、彼は電車の隅で、私を保持するように、腰に手を回してくれていた。それも、強めに、その逞しい腕で。ガタゴト、とそのうち揺れ出すも、彼の身体に自分を預けていれば、そんな揺れなどヘッチャラ。
これはつまり…。そういうことよね?勝手に解釈して、私は狼に抱きついてみせた。彼の胸に顔を埋めるようにして。この一面、本当の恋人の様。周りの視線も総ナメ、この時だけは、私は彼だけのもの。少しの間はこのままで。空いている電車に揺られて着いたのは、有名な下町で。
「上野?」
「来た事はないだろう?」
「ええ、でもどうして?」
「一風変わった世界を見せたいからな」
ホームに降りれば、恐ろしいくらいの人の数。迷いなく狼は私の手を取り、転ばない様に改札まで連れて行ってくれる。公園改札、そこにはストリートパフォーマンスなどをやっている。駅を出ても、人の数は減るばかりか、増える一方だ。何を見せていようとも、すぐに人は寄ってくる。路上ライブ、漫才、軽業……バリエーションに富んで、いかにも下町ってイメージ。
芸達者さんならパーティーで見た事はある。だけど、この人集りの中で見るのは初めて。皆楽しそうに笑って、何も隠そうとしないでいる。 その披露者さんが、私達を見て、喋り始めた。素敵な2人組、と紹介しては、私達に腕を出す様に促して。それに乗ったのは狼で、何も疑う様子もなく、私の腕もその人の前に出した。
さん、にい、いち。ぽん、と軽く叩いた私達の手首に、一瞬で現れた、お揃いのブレスレット。シンプルなクロスのチャームがついた、ダークブラウンのナイロン製。ペアルックなんて、初めてかも。でもこれ、買わなきゃいけないんじゃないかしら?
「お似合いですよー!ふふふ、幸あれ、若きカップルさんっ!」
狼がお礼を言って、地面に置いてあったキャリングケースに100円玉を入れる。ストリートパフォーマンス、ってたしかにこんなものよね。礼に礼を返す芸達者さんを後に、私達は公園の中を進んでいく。カップル……ふふ、そう誤解されるのは、とても気分がいい。
そういえば、先程から狼が私の手を握ってくれている。白く大きな優しいその手で、私の心すら鷲掴み。ブレスレットどうしが少し当たり、私達の心の距離がより縮まっているように見えて。こんな一日もいいわね、と思って、狼の腕に絡みつく様に、私は抱き付いた。前まで振り解こうとした彼は、もうそんなことはなく。
「離すなよ」
「ふふっ、もちろん」
私を受け入れる彼。こんな細やかなことがこそばゆく、幸せ。エメラルドの様に輝くその目に見つめられれば、視線を外したくはないと、彼の眼を見つめ。自然と和らぐ顔の筋肉が、狼の気持ちに応えられているようで。
そうやって連れられた先には、美術館やら、科学館やらと、目新しいものばかり。だけど、私達が行くのは、その先で。青々とした水草が生茂る
そして、いつの間にか、池の真ん中に私達はいて。ひゅう、と風が吹いて、狼の銀髪を乱れさせる。
「心地いいだろう?」
「ええ。貴方と二人きりだから、より、ね」
「そうか。私と2人が嬉しいか」
サングラスをかけていない、素顔の彼の笑顔は、とても新鮮で。それだけでも胸は高まるのに、今日の彼は、更に大胆で。
――おいで。
思わず疑ってしまった。彼の口から、そんな言葉が出るなんて。嬉しい、のだけれど。夏の所為じゃない、顔が熱い。ドキリと尚更、心動が強まる。
彼の言う通りに、近寄っていく。そうして、背中を彼に預ける様に座れば、私の肩に腕をかけてきて、きゅっと優しく抱き寄せられて。心臓が、やたらとバクバク暴れる。いつはちきれてもおかしくないような、鼓動。密着していれば、バレてしまう。
こんなに大胆な男の子、だったかしら。それとも、私が大胆にさせているのかな。風に押されていくボートは、人目のつかない所まで私達を運んでくれていた。自然の力さえも、私を応援しているかの様。ひゅう、と音を立てる凪風に乗せ、いつも言っている言葉を投げ掛けた。
「ねえ、狼?」
「なんだ?」
「好き……」
「ありがとう」
この単語を口に出すのは、彼の前だと妙に恥ずかしい。今迄好意を伝えていたのは、嘘じゃない。本心からだ。だけど、今、こんなに恥ずかしいのは、彼が私を意識してくれているからなのかしら。ありがとう、なんて。そんな言葉で返すのは、反則。何度でも、そういうことをしてほしいの。
ボディガード、っていう立場の彼。私はご主人様。首輪を着け、リードで繋いで、離れない様にしているのが、『涼月として』の私達なのだろう。でもね、涼月じゃない。『奏として』、リードも首輪も外して、私達の心を結び合いたい。本当の私を余す事なく見せているから、こそ。
すり、と彼の腕に頬擦りして見せた。数多の古傷に覆われる、彼の手。優しく握り締めて、甘える。
「ねえ……。どこにも行かないで?」
「行かないさ。私は、私の意思で、ここに残る」
「うん……。私から離れないでね」