ouroboros clepsanmia   作:月神 朧

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第3話

 

 その場を重く、痛々しい沈黙が支配していた。ファミリーレストラン内の座席の一角だというのに、周囲に聞こえてくるわずかな喧騒が酷く遠いものに感じられる。外から見れば、この座席のある場所だけどんよりとした空気が覆っているように見えたかもしれない。それほどにこの場にいる全員の表情は暗く微妙なものになっている。

 わかってはいたことだけれど、わたしの話の内容が相当衝撃だったようだ。佐倉杏子にいたってはわずかに口元を歪めているあたり、どこまで信用していいのか疑問に思っているのかもしれない。むしろ信じてもらえない方が当たり前のような荒唐無稽なものなのだから、いきなり否定されないだけマシなのだろう。その理由は、やはり公園でのまどかの様子と、インキュベーターの言葉にあるのだという点は認めざるを得ない。事前情報が何も無ければ、話を聞いた瞬間に正気を疑われてもおかしくない内容なのだ。以前のループ時に信じてはもらえないだけでそれ以上の追求が無かったのは、同じ魔法少女同士である程度耐性があったからなのだろう。

 改めて見回してみれば、インキュベーターを除いて皆戸惑っているのがわかる。ある程度信用に値するのだとしても、それと心の中での整理がつけられることとは別の問題なのだから仕方のないことだけれど。

 

「なるほど……ね」

 

 どれほど沈黙していたか分からなくなっている中、インキュベーターがポツリと何かに納得したかのような呟きをこぼす。それが何に対するものなのかは分からないけれど、彼のなかで何かが噛み合ったのだろう。そうでなければ口にしない言葉だった。

 

「お待たせしましたー…………」

 

 注文した食事を持ってきたウェイトレスの言葉が尻すぼみに消えていく。おそらくこのテーブルを包む雰囲気に気付いたのだろう。けれどそれも一瞬で、即座に配膳に移るのはプロとしての矜持なのかもしれない。普通なら避けて通ろうとしてもおかしくないほど、重苦しい雰囲気なのだから。

 

「Aランチセット二つ、Bランチセット一つ、ソーセージとフライの盛り合わせのランチセット、ライス大盛りが一つ、以上でおそろいですか?」

 

 注文したものが揃っているか確認してくるウェイトレスに問題ないことを伝え、その去っていく後姿を見るけれど、それがどこかそそくさとしているように見えるのは気のせいだろうか。今の状況も含めて、変な噂が流れなければいいと場違いな事を考えてしまう。

 

「冷めないうちに食べようぜ。話の続きはそれからでもいいだろ」

「食べ終わってからも長時間居座るのはお店に迷惑だから、終わったら私の家にいきましょう」

 

 佐倉杏子の催促を引き継ぐように出た巴マミからの提案に、わたしは頷いていた。まどかや佐倉杏子自身もそれに異論はないらしい。それに時間もだいぶ遅くなってきてしまっていて、食事が終わったあとも話を続けては警察に連絡されてしまうかもしれない。幸いといっていいのかどうか分からないけれど、まどかは家に連絡を入れれば少しくらい遅くなっても問題はないようだし、わたしを含む三人はそもそも連絡を入れるべき相手がいないので問題はない。とはいえ、ここで話を続けるのは別の問題があるので、巴マミの提案はありがたいと思う。佐倉杏子は多少悪い噂がたっても気にしないかもしれないけれど、わたし達はそういうわけにはいかないのだ。

 

「しっかし、なんでこんなことになってんだろうね……」

 

 やや重い雰囲気の食事が続く中、佐倉杏子がぼやくように口を開いた。それが誰に向けられたものかはわからない。あるいは自分自身に対して向けたものなのかも知れない。当然だけれど、それに答えられる人間はここにはいないので、誰も返事はしなかった。

 夕闇の帳に閉ざされた空にグリーフシードの集合体が静かにその身を晒しているけれど、それがどうなるのか予想がつかない。インキュベーターは推測から何かをつかみかけているようだけれど、先ほどの口ぶりから考えても仮定に仮定を重ねた上で導き出した信憑性の無い結論なのだろう。おそらくは補足情報としてわたしの話を聞かなければ明言しないと思う。完全な虚偽の情報を出さない事と信憑性の低い情報を断定しないという二点においては最低限信用できるのだから。

 結局、食事が終わって巴マミの家に移動するまでの間、会話らしい会話はほとんどなかった。何か話さなければ不安で仕方ないのに、何を話題に話したらいいのかわからない、そんなもやもやとした気持ちを抱えているのが全員顔に出てしまっている。当たり前だが、インキュベーターだけは何を考えているのか表情からは読み取れないけれど。

 巴マミの家に到着してからも、しばらくは誰も何も話さなかった。わたし自身何をどこから話せばいいのかわからなかったし、他の皆も心の中の整理がついていないのだろうと思う。こういう時にこそインキュベーターが空気を読まずに話し出すだろうと思っていたのだけれど、意外なことに自分からは何も切り出さず、待っているかのように静かに佇んでいる。気を利かせるなどということとは無縁の存在のはずなのだけれど、それだけに、何か裏があるのではという疑惑がいつまでも意識の中から消えてくれない。もう他に手段が無いであろう事もわかっている。それなのに、以前の詐欺同然だったインキュベーターのやり方が記憶にこびりついているために、どうしても躊躇ってしまう。

 

「あの話、普通なら信じないだろうけど、あなたが嘘をついているようにも見えないし、キュゥべえも何かつかみかけてるみたいだし、本当のことなんでしょうね」

 

 巴マミが疲れた声でつぶやくと、それまで黙っていた他の皆も緊張を解くかのように息を吐き出した。それはどこかため息のようにも聞こえる。

 

「……にしても、魔法少女が魔女になる世界、ねぇ。ヘマして魔獣に食われちまうヤツがときたまいるのは事実だけどさ」

 

 佐倉杏子がどこか呆れを含んだような口調でこぼした後、「そういやジェムが濁りきるとどうなるんだったっけ?」とこぼして巴マミに小突かれていた。

 

「杏子が忘れてるみたいだし、ほむらへの説明もかねて僕から話そう」

 

 それまで黙っていたインキュベーターが話に割り込んでくる。その事に巴マミも佐倉杏子も何も言わなかった。まどかが苦笑いを浮かべていることにもどうしたのかと疑問に思う。けれど、そのことには答えを得られぬままにインキュベーターの話が始まってしまった。

 

「魔獣と魔女、そして魔法少女の関係について最初から説明するよ。今のほむらが知っていることとはかなり食い違う部分も多いだろうからね」

 

 そう言って続けられた話には、確かにわたしが知るものとは異なる部分が多く存在していた。まず、魔獣という存在について。人間の恨みや憎しみ、絶望といった負の感情が凝り固まって形を成した存在。インキュベーター曰く、一定以上の強さの感情を持つ種族の住む星では形こそ違えど同じような現象が発生するようだけれど、地球人のそれはとりわけ強力なものだという。他の種族のそれと比べるのが馬鹿馬鹿しいほどに。

 そして、魔女。この時間軸世界においては魔獣が人を食らい、取り込んだ負の感情や思考を糧に固有の能力や性質を得た存在。それ故に魔獣とは異なり、固体ごとに異なる特性を持っている。個体能力も魔獣よりも高い。これについては全てではなかったけれど、これまでも何度か巴マミから話を聞いている。

 魔法少女については、ある一点を除いて大きな違いは無い。でもその違う部分があまりにも大きい。魔法を使うとソウルジェムが濁る点は変わらない。けれど、ジェムが濁りきったとき、その内部に溜め込んだ穢れを周囲に撒き散らしながら消滅して、魔法少女自身は死亡する。

 

「それは……」

「うん。君が考えている通り、魔法少女が死亡したその場所は数日間魔獣が大量に湧き出すホットスポットになってしまう。普通に魔獣なり魔女なりを狩って鍛錬していれば、そこまで追い詰められる事はまずないけど、時々そういうことをやっちゃう娘がいるんだよね」

 

 絶句したわたしの後を引き継ぐように、インキュベーターが淡々とした声で説明を続ける。その内容は、わたしの脳裏に浮かんだものとほぼ同じものだった。これは、もしかするとある意味で魔女化するよりも性質が悪いかもしれない。いや、方向性が違うだけで内実はそれほど違うものでもないのかも知れないけれど。

 

「迷惑な話ではあるけどさ、だからってやらかしたヤツを責めるわけにもいかねーし。湧いてくる魔獣を放置するわけにもいかないからな。魔女にでもなられたらもっと厄介だしよ……」

 

 不機嫌そうな声で佐倉杏子が口を挟んでくる。話しぶりからして、そんな経験があるのかもしれない。実際に目にしたのか、それとも後始末をしただけなのかはわからないけれど。ただ、どう転んでも気分のいい話ではないことに変わりはない。

 

「ほむらちゃん……」

 

 まどかが心配そうな表情で私の顔を覗き込んでくる。わたしはそこまで痛々しい表情を浮かべていたのだろうかという疑問が浮かぶほどにその声は悲哀に満ちているように思えてしまう。それはインキュベータが話した内容についてなのか、わたしが話した内容についてなのか、それともその両方についてなのかの判断はできないけれど、まどかにそんな顔をさせてしまったという事実に胸が痛む。現状では仕方のない事だとわかってはいても、それをそのまま受け入れられるほど懐は深くないし諦観もしていない。

 

「大丈夫。でも……」

 

 続けようとした言葉を遮るように、まどかがゆっくりと首を横に振る。

 

「わたしも、マミさんも、きっと杏子ちゃんだってそう。みんな何もかも知った上で契約したの。バカだって思われるかも知れないけど、目の前に何とかする手段があるのに何もしないのは嫌だった。それで自分自身を追い詰めているんだとしても、忘れられない後悔を抱えたままでいるよりはずっといいって、そう思ったの」

 

 どこか寂しそうな笑顔を浮かべながらも、まどかはそう言い切った。そこに、迷いのようなものは感じられない。

 そこで微妙な表情を浮かべていたのは、佐倉杏子だった。巴マミがバツの悪そうな表情で彼女に視線を向けているあたり、わたしが知る内容と同じ願いをしたのだろうか。完全に同一ではないかも知れないけれど。

 

「あんたは知らないだろうし詳細を話す気も無いけど、あたしは願い方を間違えたんだ。でも、その事を後悔することはあっても願った事自体を後悔したことはないよ。あれは、あたしの考えが足りなかったから起きたことなんだから」

 

 悲しげな表情でありながらも、さらりと答える佐倉杏子の口調は、どこか吹っ切れたものだった。おそらく、心の中での折り合いはもうついているのだろう。少し慌てた様子で謝るまどかに対して、苦笑いを浮かべながら「気にすんな。もう過ぎたことなんだ」と責める気配も見せない彼女は、今までと違って眩しく映っていた。

 

「なんにせよ、ほむらが言うように魔法少女がいきなり魔女になることはない。そんな事が可能なら確かに効率良くエネルギーを集められるだろうけど、あまりいい方法とはいえないかな。後先を考えずにやるのならそれもありだろうけどね」

「……どういうこと?」

 

 かつての繰り返しの中で聞いた言葉とは違う内容の言葉に疑問を感じて問い返すと、インキュベーターは首を傾げる様な動作をした後に解説を始めた。

 その解説によれば、魔法少女が魔女になるシステムは酷くリスクが大きなものらしい。それは使い魔が魔女に成長すること、産み落とされたグリーフシードが魔女として孵化することとも関連が深い。

 

「何故かって? 君の話では、使い魔も成長すれば魔女になるうえに、魔女が産み落としたグリーフシードも魔女として孵化するんだろう? しかも魔法少女さえ最期には魔女になるのなら、一つ間違えば魔女の処理が追いつかなくなって、この惑星の地表は魔女に埋め尽くされることになってしまうだろう。そうなってしまったら本末転倒だ」

 

 地球人ほど良質で莫大なエネルギーを提供してくれる種族は他におらず、可能なかぎり長い時間、地球人類には存続して欲しいという。そのためにこれまでも発展に手を貸してきたのだとも。彼らにとって地球人類は良質のエネルギーを提供してくれる良き隣人であり、これからもその関係を続けたいのだと語った。

 

「生かさず殺さず……ってわけ?」

 

 思わず、冷たい声でそう聞き返してしまう。これまで繰り返してきた時間の中でも、その度に彼らの考え方や価値観にわずかながらも差異があることは理解している。けれど、わたしにとってはまどかが魔女と化した時の、絶望のエネルギー回収をノルマと言い切り、自らが投げ込んだにもかかわらず、魔女を地球人の問題だといってはばからなかったあの姿が脳裏に焼き付いてしまっている。

 

「人聞きの悪いこと言うね……」

 

 抑揚のない声ながらも、表面上は呆れているという内容の返事が返ってくる。わかってはいても、やはり彼らとは馴れ合うような関係にはなれそうもない。他の皆も、わたしの言葉に対してか奇妙な空気を漂わせている。

 

「ねぇ……暁美さん」

 

 そんな中、巴マミがわたしに声をかけてきた。

 

「なにかしら?」

 

 それに対する返答が酷く冷たいことを自覚するけれど、どうしても止まれない。自分でもわかってはいるのだ。ここはこれまで繰り返してきた時間軸世界とは全くの別物で、インキュベーターとの関係も違うものだというのはこれまで自分の目で見てきたのだから。

 

「あなたが話してくれたことが全て真実なら、そんな態度をとることも理解できるわ。でも、今のあなたにとって、それは意味のあることなのかしら。少なくともわたしたちの知っているキュゥべえは、あなたが言うほど悪辣な事はしていないわ。性格的にドライなのは確かだけれどね」

 

 その言葉に、わたしは反論することができなかった。わかっていはいるのだ。主観的事実だけで話をしてしまっている事は。それでも、わたしが真実を知ったときの衝撃の大きさゆえか、どうしてもそれを前提にしてしまう。先入観というよりも、もはやトラウマになっているのかもしれない。

 

「とりあえず、話を続けさせてもらってもいいかな? 全部終わってから判断してくれればそれでいいよ」

 

 巴マミの後を引き継ぐようにインキュベーターが語りかけてくる。それに対し、わたしは小さく「そう」とだけ答えてそれ以上口を開く事はやめることにした。口を開くと、どうしても辛辣な物言いになってしまうのを抑えることができそうになかったから。

 そうしてインキュベーターの口から語られた話は、わたしにいくつかの驚きと納得をもたらしてくれた。

 ソウルジェムとは、魔法少女の魂が霧散しないように納めておくためのものであり、同時に、正の感情を削る事で消費した魔力と入れ替わりに溜まっていく負の感情である穢れからの影響を最小限にとどめるための保護器でもあるという。当然上限が存在するため、限界を超えてしまえば内部崩壊を起こして溜まった穢れがばらまかれてしまうけれど、同時に魔法少女の魂は消滅してしまう。穢れが瘴気となって魔獣として具現するには、ある程度の濃さで一定に時間空気中に澱んでいる必要があるため、ソウルジェムの崩壊と同時に魔獣が生まれて魔法少女を食らうことはないらしい。もちろん、ソウルジェムの状態に関係なく、直接魔獣に食われた場合はその限りではないけれど、とすまし顔で語る彼は、やはりいつもどおりの彼であるのだろう。

 

「改めて聞いてみても、やっぱエグイ話だよなぁ…… まぁ、全部聞いた上で選んだんだから今更だけどよ」

 

 微妙にげんなりとした口調で佐倉杏子が語るけれど、たしかに聞いていて気持ちの良い話ではないし、かかわらずに済むのならそれが一番であるかも知れない。彼女の言うとおり、本当に今更な話ではあるけれど……

 

「それでキュゥべえ、暁美さんのことについては?」

 

 巴マミがインキュベーターに話の先を促す。まだ話の本題に入っていなかったのだから当然ではあるけれど、魔獣と魔女、魔法少女のついての関係もわたしが未だ知らない情報が幾つか含まれていたため充分に有意義だった。

 

「事実関係の確認のしようがないから、あくまでも仮説に仮説を重ねた上で導いた結論であることを念頭において聞いて欲しい。ほむらの話が仮に本当だったとしても、どこまで正確に記憶しているかもわからないからね」

 

 そうして、インキュベーターはいつもと変わることのない淡々とした口調で話し始めた。わたしが話した内容から推測した仮説と、その結論を。

 

 

  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 

 

 インキュベーターの話が進んでいくにつれて、わたしは酷く気分が悪くなっていた。全身から冷や汗が流れ落ちている事を自覚する。おそらくは顔色も相当酷い事になっているのだろう、まどかや巴マミが心配そうな表情でこちらに視線を向けている。けれど、今のわたしには、話すどころか顔を向けるだけの余裕さえも持ってはいなかった。

 最初は、インキュベーターが時間遡行についての考察について語り始めた事。それが最初だった。

 

「かつての君が持っていたと言う時間遡行の魔法。それはおそらく擬似的なものでしかないんじゃないだろうか。君にも薄々とではあるけれど自覚があったはずだよ。でなければ時間軸の移動なんていう言葉は出てこないはずだからね」

 

 その言葉に、わたしは否定の言葉を返せなかった。なぜなら、わたし自身が自分の扱う魔法の本質を理解しきれていなかったし、初めての魔法行使のときの感覚から、こういうものだろうという曖昧な把握しかしていなかったから。

 どう魔法を使用するのかについては理解を深め経験を積み上げていったけれど、魔法がどのような作用をしてわたしの認識している結果をもたらしたのかということについては目を向けてこなかった。ただ使うだけならば必要がないし、家電製品を使用するときと同様、どんな原理で動いているのかわからなくても、使用方法さえ理解していれば運用できてしまっていたからだ。ただ、わたし自身の行動に関連しない部分でも異なる状況が発生していたため、時間というのは一本道ではないのだろうという漠然とした考えは持っていた。インキュベーターはそこに踏み込んできたのだ。

 

「そもそも時間が一本道のものであるのなら、時間遡行という概念そのものが成立しないからね。タイムパラドックスぐらい君達だって知っているはずだ」

 

 そう。時間というのは可能性によって無限に分岐しているもの。もしも一本道のものであるのなら、仮に時間遡行ができたとしても記憶をとどめたままでいることも魔法少女のままでいることも不可能なのだ。なぜなら、それらは戻った時点で存在しなかったことにされてしまう。過去である時間に未来にあたる時間の要素や情報を持ち込める時点で、時間というものは可能性によって分岐するのだという証だとも考えられる。そしてそれは、わたしが可能性に気づきながらも極力考えないようにしていたこと。それを全面的に認めてしまえば、わたしは自分自身を許せなくなるとわかっていたから。

 

「おかしいとは思わなかったのかい? 可能性によって無限に分岐する時間概念において、過去とは不変ではあっても確定した事象ではない。異なる可能性を持つ過去の時間軸に移動するという行為は、肉体ごと全て移動するのでないのならもともとそこにいたはずの君自身を乗っ取る行為にほかならない。それがどういうことか、理解できないなんてことはないはずだ」

 

 インキュベーターの言葉に、わたしは歯の根が合わなくなっていた。時間に関わる魔法を得て、それを使用しているうちにおぼろげながらも理解していた本質。無意識に目を向ける事を避け続けていた事実を目の前に突きつけられた。

 他の可能性の時間軸に存在する自分。それは自分自身でありながら、同時に他人でもある。時間遡行の魔法は、他の時間軸に存在している自分の意識と記憶を消去して肉体を乗っ取る行為だ。ありていに言ってしまうなら、魂を抹殺して肉体を奪う行為に等しいのだ。それが、もしかしたらと思いつつも無意識に否定していた事。

 

「……もっともこれは、仮定のうえに推測を重ねたものにすぎないから、事実かどうかなんてわからないけどね。でも、その様子を見る限りあながち間違いというわけでもないようだし、ほむらの妄想というわけでもなさそうだ」

 

 首を傾げるような動作とともに、インキュベーターがそんなことを言う。それを見た佐倉杏子は低い声で「……おい」といいながらジト目で睨みつけ、巴マミは「キュゥべえ、あなたねぇ……!」と激昂しそうになっているのをまどかに抑えられている。それらの出来事を視界に納めながら、わたしは何も言葉を発する事ができなくなっていた。

 吐き気にも似た息苦しさと、揺れ動いて定まらない視界。身体の感覚とともに意識が遠のいていくのがわかる。強い光に目が眩むように視界が白く染まっていき、そのままわたしは意識を失った。

 そして、目が覚めたとき最初に見えたものは、インキュベーターと向かい合っている巴マミと、そんな二人の姿を苦笑いしながら見ているまどかと佐倉杏子の姿だった。

 

「……前から考え方がドライなのはわかっていたけど、あなたデリカシーもなかったみたいね」

「えーと、僕はただ、得られた情報から推測した事柄を述べただけに過ぎないんだけど……?」

「言い方ってものがあるでしょ! だいたい……」

 

 なんだろう。まるで友人同士の口論のような、どこか場違いにも思える会話が聞こえてくる。困惑した表情で二人を見れば、彼女達もまた苦笑いとともに微妙に困惑した表情を浮かべている。

 その理由自体は簡単で、巴マミがあんな態度をとることは全くないわけではないけれど、とても珍しい。友人の間違いを気付かせるために怒っているのだといえば聞こえはいいけれど、インキュベーター相手に意味があるとは思えない。けれど、わたしの事を心配してくれているのがわかるのは素直に嬉しいとも思う。以前のわたしだったなら、絶対にこんな事は考えなかっただろう。当時のわたしは、ただまどかを救う事だけに目を向けていて、他のことには目を向けているつもりでしかいなかったのだから。

 長く入院していて人付き合いが希薄だったわたしは、どうすればきちんと話を聞いてもらえるのか、それに対する理解をほとんどしていなかった。魔法少女が魔女になる、そんな荒唐無稽な話をいきなりするべきではなかったのだ。何も証明するものがない状態で話しても信じてもらえるはずがなかった。それを理解していなかったのだから、こじれるのも当たり前だった。

 

「暁美さん! 気がついたのね」

 

 ほんの少し考え事をしている間に巴マミはインキュベータとの会話を終わらせていたらしく、いつの間にかわたしが寝かされていたソファの傍らに寄ってきていて、身を乗り出すような態度で不意に声をかけられた。

 

「え、あ、はい……」

 

 あまりにいきなりすぎて、ずいぶんと間抜けな返事をしてしまったけれど、正直引きたくなる勢いだ。心配してくれているのはわかるのだけれど……彼女、こんな性格だったかしら……?

 環境が人の性格に大きな影響を及ぼすのはわたし自身が良く分かっているけれど、巴マミが性格に影響を与えるほどの出来事に出会ったという記憶はない。もしくは、わたしの知らないところでなにかあったのだろうか。

 考えてみたところで、答えなど出ないのはわかっているけれど、気にしないというのも無理な話だ。彼女自身の寂しがりやなところは変わってはいないだろうし、それが理由で時折積極的な態度をとることがあるのも知っている。けれど、その、なんというか、こういう感じに迫るような態度をとるところは見たことがない。もしかしたら、わたしが知らないだけでもともとそういうところも持っていたのかも知れないけれど、なにかこう、わたしが巴マミに対して持っていたイメージと少し違うような気がして仕方がない。

 けれど、わたしがインキュベーターの真意を知り、伝え方にも問題があったとはいえ、それを信じてもらえず、受け入れてももらえなかったあのときから深く関わる事をやめてしまっていたのだから、わたしが知らない一面を持っていても不思議はないのだけれど。

 

「暁美ほむら、気分はど……むぎゅ」

 

 不意に視界に姿を見せて問いかけてきたインキュベーターの顔を、わたしは反射的に鷲掴みにしてしまった。考えてした行動ではなく、気がついたらそうしていたのだ。でも、これまでの経緯から生まれた印象と先ほどのやり取りの後では無理もないのではないかと思う。むしろ同じような経験をして思うところなく普通に接する事ができる人がいたら会ってみたい。

 ふと視線を周りに向けてみれば、まどかは何か苦笑いしているし、佐倉杏子はざまあみろといわんばかりの溜飲を下げた笑みを浮かべているし、巴マミは拗ねたような表情でインキュベーターの方を見ようともしない。わたしが気を失っている間に、一体何があったんだろう。疑問が浮かぶけれど、どうも何かを聞くという雰囲気ではない。

 

「放して……くれないかな。テレパシーを使うから会話には困らないけれど、痛いし動きが取れないじゃないか」

 

 何事もないかのようにいってくるインキュベーターに、わたしは掴んでいる手にさらに力を込めた。魔力強化できるわけではないので大したことはないだろうけれど、平然と言葉を放つ彼に腹が立ったのだ。

 指がわずかに食い込むものの、それ以上はどれだけ力を込めようとも何も変わらない。結局数分と持たずに指が痺れてきてしまった。やはり魔力強化無しのわたしの身体は、並以下の力しかないらしい。

 

「気は済んだかな。それにしてもひどい事するね」

「あなたにいわれる筋合いはないわ」

 

 どういう意図かわからないけれど、非難するような事を言ってきたインキュベーターに、わたしは冷たく言い返した。本人には自覚がないのだろうけれど人の心を踏みにじるようなことを言ってきたのは向こうなのだから、まともにとりあう気は全くない。

 

「皆の反応を見る限り、どうやら僕が対応を間違えたようだ。だから、細かい説明は抜きにして結論だけ話そう。その後で聞きたい事があれば質問して欲しい」

 

 インキュベーターの言葉に、わたしはソファに座りなおしながら無言で頷いた。他の皆も真面目な顔で頷いている。どんな事を言われるのかはわからないけれど、どんな言葉が出てきても驚かない、その覚悟を決めていたはずだった。

 

「全ての始まりである本当の特異点、それは…… 暁美ほむら、おそらく君だ」

 

 だから、インキュベーターが語ったその言葉に、わたしはこれまで出一番大きな衝撃を受けた。今、目の前にいる白い生き物は何と言った?

 全ての始まり、本当の特異点、それが……わたし?

 そこから語られた内容は、私の心をもう一度真っ白に塗りつぶすのに十分な内容だった。まどかと魔法少女に関わる出来事のほぼ全てがわたしに端を発する事、わたしが契約をしていなければ最悪の魔女が生まれるような事もなかった事、そしてなにより、境遇に少々変わった点があるとはいえ一般人でしかないわたしの抱える因果では、どれだけ才能があって強い願いがあろうとも時間と平行世界の移動に関わるなどという能力が発現することは普通ありえないということ。最低でも英雄と呼ばれるレベルの因果が必要になるはずだからね、と語った。

 

「ただ、これは君の主観で語られた内容を元に仮説を重ねたものだ。あくまでも納得できる仮説がこれだというだけで、最初に説明したように事実である保証なんてどこにもない」

 

 何事もないかのように語るインキュベータの前で、わたしは何も言い返すことができなかった。確かに事実ではないのかもしれない。けれど思い当たる節があまりにも多すぎる。

 確かにわたしが何もしなければ、まどかに途方もない量の因果を背負わせる事も、最悪の魔女が生まれるような時間軸世界が存在するような事もなかったかもしれない。でもそれだと、わたしはまどかを見捨てる事と同義になってしまう。身勝手なエゴでしかないとわかっていても、わたしにはまどかを助けないという選択肢は在り得なかった。でもそれだと、結局はまどかを追い詰める事に……。

 思考が、同じところを何度も繰り返す。どうすれば良かったのか、どうするべきだったのか、余計にわからなくなっていく。

 

「あ……ああ……あああ…………」

 

 意味のない嗚咽が口からこぼれ出す。声も涙ももう抑えることができなかった。わたしのしたことは、してきたことは、結局絶望を積み重ねるだけに過ぎなかったのだろうか。

 

「ねぇ……キュゥべえ、その話って……」

 

 誰も口を開かずにいた中、まどかがインキュベーターに声をかける。

 

「僕や君たちにとっては推測、仮説でしかないけれど、この反応を見る限り彼女にとってはそうではないらしい。少なくとも意味のない妄想ではないことだけは確かだよ」

 

 普段と変わらぬその物言いに、まどかも「そうなんだ……」と呟いたきり何も言わなくなってしまった。その中で、わたしの嗚咽だけが小さく響く。わたしは、何もするべきではなかったんだろうか。まどかに死んでほしくない、助けたいと思った気持ちを否定したくはない。けれど、全てはそれこそが始まりだった。救えない結末に至るたびに時間を巻き戻してきたけれど、それも同一の時間を逆行していたわけではなく、他の時間軸の過去にあたる場所へと移動していただけのこと。主観的に、戻ったように見えるだけ。移動する前の時間軸がどうなったのかはわからない。そのまま続いているのかもしれないし、何らかの要因で消滅しているかもしれない。ただ、もし続いているのであれば、その時間軸のわたしは時間遡行をすると同時にその場で息絶えていたのかもしれない。

 失敗するたびに、わたしは自分自身の身体を捨てて、他の時間軸のわたしの身体と可能性を奪い取る。そんなことを繰り返してきたのだとしたら、わたしはどれほどの罪を重ねてきたというのだろう。見捨てることも、諦めることも、全て受け入れてきたつもりだった。必要とあればまどかとその家族以外の誰かを切り捨てることも躊躇しなかった。けれど、この時間軸世界に来て思い出してしまった。何度もの失敗を重ねて心を凍らせる前に目指そうとしていた温もりを。

 

「ああああああああああああああああ!!!!」

 

 嗚咽が号泣に変化するけれど、止まらないし止められない。

 きっとまどかや佐倉杏子は泣いているわたしにどう接するべきか困惑しているだろう。巴マミはまたインキュベーターに説教をしているかもしれない。誰かの前で恥も外聞もなく声を上げて泣くことにがあるなんて、何度か繰り返した後は考えもしなくなっていたけれど、いまはそんなことも気にならない。

 

「ほむらちゃん……」

 

 まどかの呼びかける声に顔を上げると、そこには酷く心配そうな表情で私を見つめているまどかがいた。気づかなかったけれど、いつの間にかわたしのすぐ近くにまで移動してきている。涙でぐちゃぐちゃの酷い表情を間近で見られるのが恥ずかしいという考えが頭をよぎったけれど、涙を拭おうとするよりも早くわたしはまどかの腕の中へ抱え込まれていた。

 

「私は信じるよ、ほむらちゃんの話。だって、作り話でここまで泣ける人なんていないって、そう思うから」

「まーなぁ…… 演技でそんな号泣ができるなら役者になれるだろうとは思うけどよ」

 

 まどかの言葉に、佐倉杏子がやや呆れたような声で答える。なんだかんだ言いながらも、もう疑ってはいないとわかる口調だった。

 情けない、と思う。まどかを守りたいと願って契約し何度も時間を繰り返したけれど守ることができず、今またまどかや他の皆に支えられている。どこまでいっても、わたしは守られるだけだった。

 

「キュゥべえ、この話って……」

「不確かではあるけれど、ほむらの話が全て真実なら可能性は高いと思う。それに、ごまかす意味も理由もないからね。君たちにとってはあまり良くないやり方なのかも知れないけど」

 

 聞こえてきた巴マミとインキュベーターの会話に多少引っかかるものがあったけれど、今のわたしはそれについて考える余裕は持ちあわせてはいなかった。

 流れ落ちる涙が乱れた心をゆっくりと洗い流していく。どれだけの時間泣いていたのか、自分でもよくわからない。それほど長い時間ではないと思うけれど、大声を上げて泣いてしまったのは恥ずかしい。近所に聞こえていたりしなければいいけれど……

 

「……っく…………んくっ…………」

 

 いつまでもこうしている訳にはいかない。そう考えて、嗚咽を強引に飲み込み涙を拭う。三人が気遣わしげにわたしを見てくるけれど、わたしはそれに大丈夫だと答えて大声で泣いてしまったことを謝罪した。

 

「落ち着いたかな? 暁美ほむら」

 

 唐突に、インキュベーターの声が聞こえてくる。それにわたしは、睨みつけるように視線を向けた。まどかと巴マミが表情をひきつらせていたから、相当に怖い顔をしていたのかも知れない。

 

「そんな顔で睨まれても僕は困るんだけど、まだ終わってないよ。君の言う最大の魔女、『ワルプルギスの夜』と君自身の関わりについての話が残っている」

 

 インキュベーターの持ち出した話に、わたしは奥歯を強く噛み締めていた。ここまできては聞くしかないということは覚悟している。でも、その内容がきっとろくでもないものだということが容易に予想できてしまったから。

 

 

  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 

 

 ワルプルギスの夜、と呼ばれる魔女がいる。

 いつから存在しているのか、何故生まれたのか、詳しい事は誰も知らない。

 そういう名で呼ばれる強力な魔女がいるという噂だけが、口伝として魔法少女の間に伝わっていた。これまで立ち向かった者たちは皆例外無く敗れて死んでいるのだ。詳しい話が伝わらないのも当たり前の事だと思う。後に残された惨劇の現場と、おそらくは本体に到達する前に道化の使い魔に勝てず、逃走した者たちの話しから伝承が始まったのだろう。

 抗う事すら難しい暴風と、その中で踊る魔法少女の影の姿をした道化の使い魔たち。それらの情報から、中欧や北欧に伝わる春祭りの前夜祭になぞらえてワルプルギスの夜と呼ばれるようになったのではないだろうか。厳密には魔女そのものをワルプルギスの夜と呼んでいる訳ではなく、出現する日のことをそう呼んでいるはずだけれど、実態がつかめないこともあり、そのあたりの認識はまちまちだった。

 わたしは確かに、これまでの繰り返しの中でワルプルギスの夜を倒す事に執着してきたけれど、それ以外でのつながりはないはずだった。そのはずなのに、なぜグリーフシードの集合体を目にした後に見えた映像はワルプルギスの夜の誕生を表すものだったのだろう。そもそもあのときに何かしらの影響を受けたと思われるのは、わたしとまどか、それにインキュベーターだけだった。同じ場所に居合わせていた巴マミと佐倉杏子には何も起きてはいないし、その理由もわからない。

 

「ワルプルギスの夜と自分には直接的な関連などなかったはず……そう思っているんだろう? 暁美ほむら」

 

 口を開かないわたしを待っても仕方がないと考えて話を進めようとしたのだろうか、インキュベーターが話しかけてくる。それに対してわたしは何も言わずに視線を向ける。もちろん、ただ見るだけではなく睨みつけるようにして。たいして意味のないことだとわかっていても、そうせずにはいられなかった。

 

「私達には見当もつかないけど、なにかあるの?」

 

 巴マミがインキュベーターに対して疑問をぶつける。まどかと佐倉杏子はよく分からないと言いたげな表情をしているけれど、彼女だけは何か引っかかるものを感じたのだろう。このあたりはやはり一番のベテランの面目躍如といったところだろうか。

 インキュベーターが何を言いたいのかわからないけれど、これまでの話もあくまで仮説、推測だと言っていた。事前にそう断っている以上、彼らにも確証はないのだろう。もっとも可能性が高いと思われる仮説を重ねて導いた結論であるからこそ推測だと言ってるのだろうけれど、わたしにとってはそれら一つ一つに心を抉られるような気さえしていた。なぜなら、それはわたしが考えたくないと目を逸らしてきた可能性にとても近いものだったから。たとえそれが事実ではないとわかっていても、絶対に違うという保証もなければ、もしかしたらという不安を振り払う事もできない。だからこそ、何の解決にもならないと知りながらも考えないようにしていたのだから。

 

「ほむら、君は話の中でワルプルギスの夜にほとんど攻撃が効かなかったと言っていたね?」

 

 改めて確認を取るようにインキュベーターが問いかけてくる。それに対してわたしは「そうよ」とだけ返事をして次の言葉を待った。相手が相手でもあるし、今は自分からあれこれ話そうという気分でもない。もしインキュベーターの話の中におかしな点があれば容赦なく指摘してやろうと考えながら耳を傾ける。

 あくまでも仮説だと、念を押すように断ってからインキュベーターは話し始めた。それによれば、どんなに強大であっても魔力を用いた攻撃であればまったく傷つける事ができないなどということは考えにくいという。全く同質の魔力でもない限り干渉し反発しあう性質があり、それがダメージになるらしい。物理攻撃に関しては強い魔女ほど耐性が高くなるものの、これも全く傷つける事ができなくなるということはないようだ。ただ、わたしの話す魔女とこの時間軸世界の魔女が同一のものでない以上、参考になるかわからないとインキュベータに言われたけれど。

 

「あくまでもひとつの仮説としてだけど、ほむらがワルプルギスの夜に敗れて取り込まれてしまった時間軸世界があったんじゃないのかな。そして、いくつもの時間軸を渡り歩いていると考えれば、まどかには倒せて君にはまともに傷つける事ができなかったことへのひとつの回答になる」

 

 インキュベーターのその言葉を、ばかばかしいと笑う事はできなかった。もしわたしがワルプルギスの夜に敗れていれば、そうなっていてもおかしくはなかったはずなのだから。

 魔女の能力は、必ずしも魔法少女の時のものと同一であるわけではないけれど、願いを根幹にしたものであるという点は共通している。だからこそ、可能性を否定できない。自分が魔女になった姿なんてわかるわけもないけれど、わたしの場合似たような能力である可能性が高いと自分でも思う。

 

「でも……それって」

 

 まどかがポツリとこぼした呟きに、全員が視線を向ける。一斉に見られてやや戸惑いながらも、浮かんだであろう疑問を口にした。

 

「ほむらちゃんが同時に二人存在してる事にならない……?」

 

 それは、詳しいことを知らないなら抱いて当然の疑問だった。可能性によって過去も未来も無限に分岐して存在しているものだという事は知らなくて当たり前なのだ。可能性の一つとしてそれを考える人はいるだろうけれど、確認も検証もできないのだから結局は夢物語の範疇から逸脱する事はない。

 

「……まぁ、そういうことになるね。でも、時間が一本道のものではなく過去も未来も可能性によって無限に分岐しているのであれば、それは矛盾しない。分岐した時間軸である以上は他人も同然だからね。肉体ごと時間軸を移動する方法が存在するのなら、複数の同一人物が同時に存在する事は決して不可能ではないと思う。確認する方法なんてないけれどね」

 

 いつもと同じ調子で話すインキュベーターが腹立たしくもあり、同時に羨ましくもある。わたし達に比べて感情がほとんどないという彼らは、きっと動揺したり必要以上に思い悩んだりする事はないのだろう。けれどそれは、喜びを感じる事もないということ。苦しむ事がないかわりに心が弾む事もないということだ。

 

「結局のところ、そうかもしれないってだけなんだろ? だったらこれ以上話してもあんま意味ないだろ。それよりもアレどうにかする方法考えようぜ」

 

 微妙に苛立った様子で佐倉杏子が会話に割り込んでくる。彼女には少し難しい話だったのかもしれないけれど、正直わたしだって充分に理解しているとは思っていないし、巴マミだってわたしよりも理解しているという事はおそらくないだろう。まどかにいたっては先ほどの様子から考えても言わずもがなだ。

 

「そうね……いつまでもあのままでいるなんて保証はないし、あれがもし一斉に魔獣として孵化するようなことがあれば大惨事になるわ」

 

 巴マミが眉間に皺を寄せながら考え込む。佐倉杏子も難しい顔をして考え込んでいるようだけれど、彼女はどちらかというと考えるよりも先に動くタイプの人間だ。決して頭が悪いわけではないけれど、あれこれと考えるのは向いていない。

 それよりも、わたしにはひとつどうしても引っかかっている事があった。もしも、もしもだ、あのグリーフシードの集合体と、近くに行った時にわたしが見た映像というか夢のようなものに関連性があるのだとしたら、あれは……

 浮かんできた考えを、軽く頭を振りながら中断する。ひとつの可能性としてあり得ないとは思わないけれど、明確なつながりを確認できないまま決め付けて考えてしまうわけにもいかない。

 

「え……これ……って」

 

 まどかの戸惑いの声が聞こえてくるのと同時に、わたしも気付いた。窓の外に、いつの間にか霧が立ち込め始めている。ただの霧ではなく、魔獣が出現する前兆の、瘴気を含んだ白い幻霧。夜で暗い中に立ち込めているせいか、どのくらいの範囲に発生しているのかよくわからない。ただ、かなり大規模である事は間違いがなさそうだった。

 

「これは……まずいわね。まだ魔獣は出現していないみたいだけれど、これじゃいつどこに現れてもおかしくないわ。それに……」

 

 一度言葉を切って視線を向ける先は、見滝原中央公園の上空に鎮座するグリーフシードの集合体。

 おそらくは巴マミが考えている事と同じ、最悪の可能性が脳裏をよぎる。今のこの状況下で、何もないまま済むはずがないのだから。魔獣の一斉孵化か、最悪なのは強力な魔女が生まれてしまう事。

 焦りを抱えつつも、周囲から見て不自然ではないように巴マミのマンションの外に出る。普通の人間には感知できない異常であるのだし、目立つ行動をして注目を集めるようなことはしたくない。暗くなってきている時間帯とはいえ、まだ外を歩く人がいなくなるほど遅い時間帯でもないのだから。

 狙ったかのような、酷くいやらしいタイミングだ。明るい時間帯でもなく、外を歩く人々がいなくなるほど遅い時間帯でもない。夕方から夜にかけての時間帯。人間の目の調光機能よりも早い速度で暗くなっていくため、自動車事故などの危険も増す。逢魔ヶ刻とは言うが、ここで活動を開始するなんて、なにか影響でもあるのだろうか?

 疑問を抱きながらも外に出て、初めて気付いた。それほど強くはなかったけれど、風が出始めている。湿り気を帯びた、不快感を煽る生ぬるい風。幻霧に遮られてはっきりとは分からないけれど、空には雲も出てきているように見える。

 

「嫌な感じね……」

 

 巴マミの呟きが、全員の気持ちを代弁していた。風は湿り気だけではなく、濃い瘴気も含んでいたからだ。それほど強くもない風が、酷く不吉なものに感じられる。

 

「チッ……おいでなすったぜ」

 

 佐倉杏子の低い声に視線を向ければ、その先には白い影。意思を感じさせずに佇むその姿は間違いなく魔獣のもの。少し離れた周囲にもところどころで同じものが立ち上がっているのが見える。

 

「あ……あちこちに……」

 

 泣きそうな声のまどかが言うように、魔獣は見通せる範囲内だけでも数体出現している。しかも、固まらずに一体ずつバラバラだ。これは、非常にまずい。こういう状況のときにこそ最も効果的に動けるのが、かつてわたしが持っていた時間停止能力なのに、今は何もできない。その事を悔しく思いながら見回せば、何か様子がおかしい。魔獣どもは出現した位置から動く素振りさえ見せずにじっと立っている。わたし自身魔獣との遭遇回数は少ないけれど、こんなことは初めてだ。他の三人もやはり魔獣に対して警戒を向けながらも訝しげな表情を浮かべている。

 

「なんだ……?」

 

 佐倉杏子の疑問の声。まるでそれに応えるかのように、一呼吸置いて突然強風が吹き抜けていく。

 

「きゃあっ!?」

「うわっ!?」

 

 悲鳴を上げつつも、風に煽られないように腰を落として両足に力を入れる。正面からではなかったけれど、驚いたせいで一瞬目を閉じてしまった。

 風はそれほど弱まる事はなく吹き続ける。落ち着いてから確認のために周囲を見回せば、風の流れに従うかのように魔獣たちがゆっくりと移動を始めていた。何事かと思い視線を向けてみれば、風の流れの先にあったものは、あのグリーフシードの集合体。雲が上空でそこを中心に渦巻いているような流れの動きを見せていることを考えると、魔獣たちはグリーフシードの集合体の下に集まっているのかも知れない。

 なにが起きようとしているのかはわからない。でも、酷く嫌な予感がする。魔獣たちの様子から人が襲われる可能性は低いと考えて問題はないだろうけれど、このまま様子を見ていてはなにか大きな動きがあったときにはすでに手遅れだった、なんてことになりかねない。

 

「……暁美さん」

 

 厳しい表情で魔獣たちの動きを目で追っていた巴マミが、視線をこちらに向けないままに声をかけてきた。何を言おうとしているのか、何故それを言われるのかは自覚している。今の私は戦う術どころか自分自身を護る術すら持っていない。これ以上わたしが同行すれば、足手まといにしかならないだろうということも理解している。

 

「これから先、戦いがどうなるか予想もできないわ。だから、これ以上あなたを連れて行くわけにはいかない。酷な言い方かも知れないけど、あなたを護りながら戦えるほどの余裕はなくなるかも知れないから」

「ほむらちゃん……」

 

 巴マミの言う事はごく当たり前のこと。誰かを護りながら戦うなんてことは、自分よりも弱い相手か数の少ない相手の時にしかできないことだ。互いの力の差が少なければ少ないほど、自分以外のものに意識を向ける事ができなくなってくる。だから、これはいつか必ず言われるはずだった事。むしろ今までわたしの同行を認めてくれていたことのほうが異例なのだと思う。わたしに向けられたまどかの声も、今までとはどこか響きが違うように聞こえる。それが何に起因するものかはわからないけれど、きっとわたしに避難して欲しいと思っているのだろう。

 

「……っ」

 

 悔しいけれど、確かにこれ以上同行するのは難しいのかもしれない。グリーフシードの集合体がどうなるのかはわからないけれど、今まで戦ってきた魔獣や魔女とは比較にならないことが起きようとしているのだという予感がある。このままわたしが留まれば、三人は全力で戦えないばかりか、最悪の場合わたしをかばって死んでしまうなどという事が起きかねない。目の前でそんなことにはなって欲しくないし、三人に死んで欲しくもない。わたし自身が戦いの場において邪魔者でしかない事も理解している。

 それなのに、わたしは自分だけこの場から去ることに納得する事ができなかった。状況全てがこれ以上同行するのは無理だと告げているというのに、わたしの心はまどか達三人から離れたくないと思っている。

 

「……わたし……は……」

「なにか……聞こえねぇか……?」

 

 俯いていたわたしは、答えの出ないままに口を開きかけたけれど、それを遮るように佐倉杏子の呟きが聞こえてきた。

 

「なに……この音……」

 

 まどかも怯えるかのように周囲を見回しながら同じような事を呟いている。

 そして、言われてみて初めて気がついた。吹き荒れる風の音に混じって、かすかに聞こえる異質な音。金属を捻り上げ軋ませているかのような音をいくつも重ねたかのような不協和音。風にのって聞こえてくるのかとも思ったけれど、どうやら違うらしい。なぜなら、グリーフシードの集合体の周囲の景色が歪んでいるのが見えたのだから。おそらくではあるけれど、これは空間そのものが軋んでいる音なのかもしれない。

 

「これは……ヤベェんじゃねぇのか?」

 

 佐倉杏子の焦りを含んだつぶやきも、この時わたしにはまともに聞こえていなかった。何故なら、グリーフシードの集合体が融け合うように形を失って生まれた闇の奥から垣間見えたその姿に目を奪われてしまっていたから。全体像が見えたわけではないけれど、闇を押しのけるようにして僅かに姿を見せた巨大な歯車の一部。その近くで翻る白いフリル付きの青い衣。そんな特徴を持つ存在を、わたしはひとつしか知らない。

 空間の軋む音が大きくなるにつれて、その姿が少しづつ顕になっていく。そのあまりの光景に、誰も動くことはおろか言葉を発することさえも出来なかった。わたしを含め、全員がその光景に注意を注いでしまっている中、それは突然に訪れた。

 背中に感じた小さな衝撃。それに疑問を感じる前に、わたしの胸元から突き出る黒いナニカ。

 

「……え?」

 

 理解が追いつかず、小さなつぶやきだけが口からこぼれた。

 

「あ……え……?」

 

 息ができずにまともな言葉を発する事ができなくなる。それを自覚するのと同時に、激痛が全身を走り抜けていく。けれど、それも長くは続かない。手足の先から痺れるような感覚の後に何も感じなくなってゆく。首だけを半ば強引にまわして後ろに視線を向ければ、そこには剣を手にした黒い影法師のようなモノ。

 

「ほむらちゃん!?」

 

 わたしの様子に気付いたらしいまどかの悲鳴のような声を耳にしながら、わたしの意識は急速に遠のいていく。

 

「暁美さんッ!?」

「ほむらぁっ!!」

 

 暗くなっていく視界と遠のいていく音の中に巴マミと佐倉杏子の声を聞きながら、わたしの意識は暗い闇の中に飲み込まれていった。この感覚は二回目だなぁと、妙に冷めたことを思い浮かべながら。

 

 

  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 

 

 意識が目覚める感覚とともに、身体の感覚も戻ってくる。その事に気づき身体を動かそうとして、胸に激痛が走った。

 

「あぅっ!?」

 

 口からこぼれ出た小さな悲鳴とともに、視界に明るさが戻ってくる。閉じていた瞼を開き、目に飛び込んできた光景はまだぼんやりとしていた。

 目が慣れてきて、ようやく気づく。泣き出しそうな表情で私の顔を覗き込んで座り込んでいる巴マミと、その傍らに鎮座する白い小動物──インキュベーターの存在に。

 

「よかった、気がついたのね」

 

 目尻に浮かんだ涙を拭おうともせず、巴マミが声をかけてきた。わたしの胸元に添えるようにして置かれた手から柔らかな黄色い輝きが溢れているのは、彼女の治癒魔法によるものなのだろうか。

 

「まだ、動いては駄目よ。魔法による治療が間に合ったから助けられたけれど、普通なら治療する方法の無い致命傷だったのよ」

 

 その言葉を聞いて、わたしは自分の身に何が起きたのかを思い出した。影法師の使い魔に背中から貫かれて、そのまま死んでしまってもおかしくなかったのだ。また足を引っ張ってしまったことに気分が暗くなるけれど、その事を悔やんでも何も変わらない。それよりも、確認しなくてはいけないことがある。

 

「まど……か……達は……?」

 

 声を絞り出して巴マミに問いかける。意識を失っている間の体力の消耗と、覚醒直後に無理をして起き上がろうとしてしまったことの影響か、途切れ途切れにしか言葉を発することができなかった。

 焦点の甘い視界の中で、巴マミが悲痛な表情で俯くのが見える。それだけで、どうなっているのか予想がついてしまった。

 

「ごめん……なさい。私は、あなたを助けるだけで精一杯だったの」

 

 未だぼやけ気味の視界の中で、巴マミが涙を浮かべているのを、自分でも驚くほど冷静に見ていることに気づく。予想はできていたからだろう。目覚めたとき、まだ戦いが続いているにしてはあまりにも周囲が静か過ぎたし、意識を失う直前に受けた傷を思い返してみても、数分で癒せるような軽い物ではなかったのだから。

 それに、あの子自身が無理を言って巴マミにわたしの治療を優先するように頼み込んだのだろうということが予想できてしまった。何度も繰り返した時の中で、あの子はただ一度の例外も無く、自身を省みることなく他者を優先する行動をとっていたのだから。違っていたのは対象となる者だけ。『自分のため』が『誰かのため』より優先することはただの一度として存在しなかった。

 もし何かあれば、友人たちや家族がどう思うのか、事実を知ることができないままにどうなるのか、そんなことも考えられなかったのか、それとも全て承知の上であえて踏み込んだのか、今となってはもうわかるはずも無いのだけれど。

 わたしだって似たようなものなのだから、人のことは言えないし、言ってはいけないのかもしれない。でも……

 

「……マミ」

 

 それまで無言だったインキュベーターが、唐突に巴マミに呼びかける。普段と変わらない、淡々とした口調。けれど、その呼びかけにわたしはひどくいやな予感めいた物を感じていた。

 

「キュゥべえ、暁美さんのこと……お願いね。グリーフシードももう無いし、私も限界……みたい……」

 

 脱力するかのように、巴マミの身体が横たわっている私のほうに向かって傾いでくる。その時視界に飛び込んできたのは、漆黒に染まりひび割れている彼女のソウルジェム。ほんの数秒前まで確かに会話をしていたはずの巴マミの魂が、ひび割れから噴出する穢れとともに、わずかなきらめきを残して消え去ってゆく。それとともに肉体もまた、細かな光の粒子となり、溶けるかのように空気中に消えていく。

 目の前で起きたその光景を、わたしは言葉も無くただ呆然と見ていることしかできなかった。

 わたしを救うために魔力も手持ちのグリーフシードも全て使い切って消えていった巴マミ。

 正面から戦えば決して勝てないとわかっている相手に挑んでいったまどかと佐倉杏子。

 

「バカよ……みんな……!」

 

 気がつけば、そんな言葉をこぼしていた。わたしも、まどかも、美樹さやかも、巴マミも、佐倉杏子も、結局みんな似た物同士だったということなのだろうか。後悔と悲しみと腹立たしさがごちゃ混ぜになったような、もやもやした気分を抱きながらも、その気持ちをどうしたらいいのかわからずにただ嘆くことしかできなかった。

 

「暁美ほむら」

 

 巴マミが消えた空間を見ていたインキュベーターが声をかけてくる。

 

「今の君であれば、契約することもできるだろう。その気があるのなら、願うといい。また繰り返すつもりであればお勧めはできないけれど、引き止めもしないよ。願いの内容に直接干渉する権限は僕たちには無いからね」

「……どうして、そう思うの?」

 

 耳に飛び込んできたインキュベーターの言葉が、わたしの心に動揺を生む。顔に出てしまっているかもしれないと思いながらも、今更そんなことを気にしても仕方ないと思い直し、わたしがまた繰り返そうとしているといわんばかりのインキュベーターの言葉に対してその根拠を問いかけてみた。

 

「いくら地球人類と僕たちが異なる考え方や価値観をしていたとしても、あれだけ執着しているのを見ればある程度の予想はつく。それを愚かだとは言わないよ。きっと、正解とか間違いとかそういう概念で論じることが無意味だろうからね」

 

 相変わらず、淡々とした事務的な口調で話しかけてくる。予想はつくといっても、それはその行動の理由を理解してのものではなく、これまで見てきた人間の行動パターンのデータから割り出して把握したというだけに過ぎないのだろう。けれど、今はそんな無機質な在りようがありがたい。もしもここで変な気遣いを見せてくるような相手だったなら、きっと苛立ちを抱え込んでいただろうと思う。

 あの日、あの時、あの場所で、わたしが口にしたのはささやかな願いのはずだったもの。けれど、最初に感じた歓喜は、すぐに戸惑いと怒りへと取って代わられた。救いの無い未来を変えたいと思って始めた行動は、失望と後悔を積み重ねて無自覚のままにわたし自身の心を歪ませ、さらに深みへとはまってしまった。

 わたしは途中から、本当は何がしたいのか見失っていたのだろう。だからこそ、何かをするたびに自分自身を追い詰めていることに気づかなかったのだ。

 同じことを願えば、同じことを繰り返してしまうだろうか。それとも、少しでも違う結末にたどり着けるだろうか。答えなどわかるはずの無い疑問が頭の中に渦巻いていく。どちらを選ぶにしても、今の状態ではわかることなど無いに等しいのだから、考えるのは無駄なのだろう。

 

「契約……するわ」

 

 後戻りのできない言葉を口にしながら、表情に出さずに心の中でほくそ笑む。望むとおりに契約してやっても、その結果まで思い通りになるなんて思わないで欲しい。わたしは、こいつらに益となることをする気は全く無い。けれど、それでも問題は無いはずなのだ。

 おそらく、彼らは提示された願いを叶えることに対しての拒否権を持っていない。もしくは拒否するという発想が無い。そうでなければ自分たちに都合の良い願い事だけを叶えているだろうし、かつてのわたしが口にした『やり直したい』という願いを躊躇無く叶えてきたことに対しても説明がつかなくなる。だから、わたしは今思い描いている願いを拒否されることは無いと確信している。資質が足りずに叶えられない可能性は否定できないけれど、自ら積極的に事実を捻じ曲げることはしないという点においてのみ、彼らは信頼できる。

 それは、愚者の選択なのかもしれない。けれど、それならそれでかまわないと思う。愚者なら愚者なりの悪あがきをしてみるのも良いだろう。

 

「……ならば、教えてごらん。今の君がソウルジェムを輝かせる、その願いを」

 

 インキュベーターの言葉に、思い描いていた願いを口にする。わたし自身の希望と、インキュベーターへの怒り。それらをないまぜにした、自身でもよくわからない感情を言葉に乗せて。

 

「……わたしは、みんなを助けるためにやり直したい。あなたたちと共に、結末をより良くするために。こんな悲しい結末にならないための戦いをあなたも見届けなさい。インキュベーター」

 

 睨み付けるようにして吐き出した言葉にも、インキュベーターは表情を変えることは無い。当然だろう、彼らは表情を変化させる能力をほとんど持ち合わせていないのだから。生理現象に必要な物ものとして、口と瞼を動かすくらいのことしかできなかったはずだ。けれど、そのまとう雰囲気にわずかながらに変化があったことは感じ取れる。だというのに、その口から吐き出された言葉は、憎たらしいほどに今までと同じ口調だった。

 

「……やれやれ、そうまでして君は鹿目まどかから僕たちを引き離したいのかい? あまり意味は無いはずだけど。それとも、なにか別の意図があるのかな」

 

 わずかに戸惑いのようなものを感じさせつつも、呆れとも受けとれる言葉。感情の希薄な彼らをうろたえさせるほどのものではなかったけれど、予想外のものではあったようだ。反応が薄いのは仕方の無いことかもしれないけれど、少し悔しい気もする。どうせならあからさまにうろたえるのがわかるくらいのことをしてやりたかった。

 

「まぁ、いいけどね。どんな内容であれ願いであることには変わりないんだし」

 

 インキュベーターのそんなつぶやきと共に、胸元から何かが引きずり出されるような苦痛が生まれ、小さな輝きが浮かび上がってくる。それは、わたしの魂そのものであるソウルジェム。以前に比べて少し色が濃いような気もするけれど、紫色の輝きを湛えている点は変わらない。

 輝きが落ちつき、手の中に降りてきたソウルジェムに懐かしさと妙な安心感を抱いてしまうわたしは、やはり後戻りなどできなかったのだろう。辛く嫌な思いしかしてこなかったはずの魔法少女というその在り方に、そんな思いを抱いてしまっている時点で壊れてしまっているのかも知れない。

 でも、それでもいいと思っている。違う選択肢もあっただろう。もしかしたら、とても充実した日々を送ることができたかもしれない。けれど、きっと後悔は消えなかっただろうとも思う。結局、どちらに転んでもまともな人生にはならなかった気がする。

 思考を中断して身体を起こす。魂がソウルジェムへと変化した際に肉体の修復が行われたのか、思っていたほど重くは感じられなかった。

 

「行くのかい?」

 

 短いその問いかけの言葉に、短く一言だけ「ええ」と言葉を返す。ソウルジェムが手の中に納まった時点で。わたしの魔法が時間に関係する物だということは理解できているけれど、願いの内容が以前とは違うのだから使用できる魔法が全く同じだとは思えない。似ているけれど何かが違うということになっていてもおかしくは無いだろう。

 そんなことを考えながら、魔術を起動する。紫の輝きを放つ魔力が全身を覆い、服が魔法少女のものへと変化した。左腕に現れた盾型の魔導具も、以前と比べて変わったところは見受けられない。やり直し、繰り返していることに皮肉をこめてウロボロスの砂時計と呼んでいるその魔導具の変わらぬ姿に安堵してしまうあたり、わたしはやはり壊れた人間なのだろう。

 

「……本当に、これで良かったのかい?」

 

 時間遡行の魔術を発動させようとした瞬間を狙ったかのように、インキュベーターが話しかけてくる。すでに契約は成されているし、この世界において魔法少女の心に揺さぶりをかける事はあまり意味が無い。そうなると、今ここで話しかけてくることに何の意味があるのかと疑問を抱いた。目的の達成と、その為の効率を最も重視する彼らには、こんな質問はたいした意味など持たないはずなのに。

 

「どういう意味?」

 

 無愛想に聞き返してみる。質問に質問で返す形になるけれど、意図が読めず答えようが無いのだから仕方が無い。何か少しでも情報を引き出せれば、そんな考えでやってみただけだった。

 

「そのままの意味だよ。終わりの無い時間の中、何度も繰り返しを行うのは、人間の精神にとってひどく重い負担になるんじゃないのかい? 君自身が一番そのことを理解していると思っていたんだけどね」

 

 これまでと変わらぬ口調でさらりと言い放ったその言葉に、湧き上がってきた衝動を無理矢理に押さえ込む。腹は立つけれど、ここで殴り飛ばしたところで何も変わらないのだから。

 それに、これはわたし自身が自ら望んだこと。どれだけ危険で、それでいて無意味になりかねない行為であるかもわかっている。でも、それでも、皆を見捨てて自分だけが一般人の生活に戻るには、知ってはいけない事を知りすぎてしまっているし、何よりも思い出したこの気持ちを自分から踏みにじることになると思う。

 

「嫌になるくらい、よくわかってるわ。それでも、やらずに後悔するよりは、やって後悔するほうがずっとマシなのよ」

 

 インキュベーターにこの気持ちは絶対に理解できないだろうと思いつつも、そう宣言する。彼らはきっと、結果がどうなったのかという部分にしか興味を示すことは無いはずだ。

少しでも理解できるのなら、命や魂、肉体といった生物を構成する要素を、ただのモノと同列に扱うような考え方はしなかったはずなのだと思う。彼らなりの良識はあるのだろうけれど、それは私たちのものとはあまりに相容れないものだ。

 

「うーん、よくわからないな。結局それは、方向性が違うだけで結果としてはほとんど変わらないじゃないか」

「わかってもらう必要はないわ。最初から理解できるとも思っていないしね」

 

 冷たい口調で告げてみるものの、インキュベーターは首をかしげているだけで何も感じてはいないようだ。ある意味予想通りでもあるその反応に、小さくため息を吐いてしまう。

やはり、彼らにとっては過程の違いなど誤差程度の認識しかないのかもしれない。

 

「まぁ、僕たちとしては最終的に宇宙が存続できればいいし、君についていくことでその為の情報が得られるならいいんだけどね。一つ問題があるとすれば、得られた情報をきちんと伝える手段があるかどうかなんだけど……」

 

 微妙に言葉を濁してはいるけれど、彼らにとってそんなものは何の障害にもならないだろう。同一の記憶を共有する彼らにとって、同族に対して能動的に情報伝達が必要になることなどほとんど無いはずだ。そうなると、今の言葉は彼らなりの皮肉だろうか。そんな気の利いた真似のできる連中ではないはずだけれど。

 

「……それにしても、魔獣と魔女って今ひとつ関連性が薄い呼び名よね。どうしてこうなったのかしら?」

 

 堂々巡りを始めかけている思考に気づき、それを強制的に終わらせるために不自然を承知で疑問をぶつけてみた。内容自体はこの時間軸世界に来て魔獣のことを知ったときからずっと心に引っかかっていたことなので、いい機会だろうとも思ったからだ。だいたい、魔獣にしろ魔女にしろ、その呼び名から連想できる姿とはあまりにかけ離れていることが多い。

 

「あまり深い意味は無いよ。ただ、この星では自分達に理解できない技術を使う者を総称して『魔女』と呼んできたじゃないか。その呼称を使わせてもらっただけさ。いつ、誰が始めたのかまでは正確な記録が無いけれどね」

 

 口調はいつもと変わらないし、インキュベーター自身に何か変化があったようにも感じられない。内面的にどうなのかはわからないけれど、表面上だけとはいえ全く変わった様子が無いのはどうにも神経を逆撫でされる。

 

「魔獣についてはもっと単純で、理性の抑制が効かなくなった男性を狼や獣にたとえたりするだろう? 魔獣が人間の男性に近い姿をしていたから、それを当てはめただけにすぎないよ。事実、本能だけで動いてる存在なんだしね」

 

 淡々と話しているに過ぎないのに、どことなくはしゃいでいるような印象を受けるのはなぜだろうか……。 

 おそらくインキュベーターにしては珍しく、丁寧に説明しているからなのかも知れないけれど、それだけではない気もする。そもそも、どこまで情報を開示しているのか、それすらも怪しいのだ。以前の世界よりははるかにマシになっているみたいではあるけれど、だからといって信用はできない。油断すると知らないところで勝手に何かやっていても不思議ではないのが奴等なのだから。もっとも、今目の前にいるインキュベーターはわたしと一蓮托生なのだから、協力的ではないにしろあからさまに妨害になるようなことはしてこないだろうとも思う。

 

「これ以上おしゃべりしてても仕方ないわ。行きましょう」

「やれやれ、契約は契約だし、仕方ないね」

 

 だらだらと話が長引かないうちに切り上げることを宣言して、わたしは左腕に具現した盾に手をかける。『ウロボロスの砂時計』と呼称してずっと使い続けてきた、わたしの魔法の象徴にして魔導具たる盾。繰り返してきた時間の中で、意識しなくとも望むとおりに行使できるほどなじんだ相棒ともいうべきもの。

 意識を集中して盾の縁に手をかける。そうして、心の中に描いた砂時計を反転させるイメージと共に盾を回転させた。腕の中でわずかな振動と共に内部機構の作動する駆動音が鳴り響く。同時に視界に真っ白な光があふれ、浮遊感に包まれるのを自覚しながら、わたしの意識は遠のいていった。

 これから先、どれだけこの感覚を味わうことになるのかはわからない。目的を達成できるのか、できないままに心を磨耗させて壊れることになってしまうのか、どうなってしまうのだろう。けれど、それでもかまわないと思う。たとえどんな結果になろうと、わたしは見つけた目的に向かって進むだけだ。永劫に同じ時を繰り返す時間の狭間で迷子になったのだとしても、きっと後悔することはない。わたしの歩む道が破滅の道であるのなら、最期は笑いながら逝けばいい。以前は失敗する度に少しずつ心を凍らせ、忘れていった気持ち。ようやく思い出したこの想いを、今度は決して捨てることはしない。ひどく往生際が悪くてみっともない姿を晒す事になっても、手を伸ばし続けよう。身も心も壊れる、その時まで。


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