暗澹とした彼の未来を映さぬよう、視界さえ奪い去りそうな濃霧に紛れ、母親を殺した後、彼は宛もなく歩いていた。
今が朝なのか夜なのか、そんな判断すら下すことも億劫になり始めていた頃、彼は、路地の闇に溶け込むことを止めた。
しかし、そこで少年を待っていたのは、気品のあるスーツやドレスに身を包んだ大人の刺すような鋭い視線だった。
汚れの目立つ服、ボサボサの髪、なにより、濁った瞳は、鋭さどころから、光も宿していない。それに比べ、この街の光景はなんだ。なにもかもが、異質、異常、光の当たる表の世界は、あまりにも全てが眩しく、あまりにも、自身からかけ離れている。
少年は、記念すべき新たな世界へ旅立つべく、怖々と足を伸ばす。
だが、そこで、予期せぬ言葉を飛ばされた。
「物乞いって、ああいう人のことを言うの?」
ぱっ、と顔をあげた少年の瞳に、自身と年齢が近そうな男の子が指をさしている姿が写る。続けて、僅かに目線を右へ流せば、鼻に白い布を当て、眉間を狭める女性がいた。
本来、高貴な人間の嗜みとして用いられたハンカチは、産業革命により爆発的に普及を始めてはいた。しかし、少年にとって、それは不可思議な光景となる。
何故、そんな物が必要なのだろうか。
布で口と鼻を覆い、嫌悪感を剥き出しにして睨み付けてくる。何をした、という訳でもなく、ようやく、暗い淵から抜け出してきたばかりの少年が受けるには、あまりにも酷な眼光だ。踏み出そうと伸ばされていた右足が、徐々に下がっていく。
耐えきれなかった。これまで、母親以外との交流を絶たれてきた少年でも、その目付きが何を現しているのか、理解できる。
あの大人は、僕を敵として認識している。
少年は、踵を返し、再び深い闇へと戻る。
しかし、目にした表の世界への憧憬は、萎むことはなかった。
早鐘のように鳴る心臓が胸骨を内側から砕き、飛び出してきそうだ。
腹の底にある黒い渦が唸りをあげて口から飛び出しそうだ。これは、高揚だ。広く、明るい世界へと進むことができるという解放感だ。
少年は、両手を開いて高々と頭上に挙げた。街を照らす太陽が自らの掌の中に収まる。注がれる光を妨げるものはなにもない。
いや、ひとつだけあった。街を歩く大人達の、街に蔓延る様々な人間達の視線だ。あれから逃れるには、どうすれば良い。
少年の目に自身の前髪が垂れた。
そうだ、まずは、身なりを整えよう。けど、どうやって整えようか。簡単なことだ、夜に紛れて奪えば良い。幸いにも、闇には慣れているのだから……