1.始動
━━━━16:54
葛上 鈴(くずがみ りん)16歳、彼は今日も鬱屈とした気持ちでいつもの街並みを歩ていた。
彼は社会から不良、無頼漢、クズといった不名誉なレッテルを貼られている。
がしかしそれは何も意図してそうなったわけではない、ただ物心ついた時から他人、社会、集団という大きくて理解しがたいものが怖くてたまらなくてそれから逃げていたらいつの間にかそうなっていた
それだけの話、陰鬱な気分とは対照的な明るいパッケージのソフトタイプのタバコを学ランのポケットから取り出す。
いつもの街並み、タバコの香の染み付いたゲームセンター、中身に準じた薄汚い看板の風俗、黄色い声をあげる下校中の小学生、俺に白い目を向ける【他人(にんげん)】。
そう……いつもとさして変わらないはずだった。
しかし、そこには「いつもの」の一言では片付けられない非日常さをこれでもかと言うほどに物語るものがあった。
全身を血塗れにし体を引きずりながらゼーハー言っている絵に書いたような角の生えた女の子が俺に半ば睨むような視線を向けている。
彼女の雪のように白い肌と対照的な漆黒のミニワンピースには所々損傷があり、刷ったのか解れた穴から血が吹き出ている。
止血のつもりなのか損傷の度合いの高い腹部には小さな左手が心許なく当てられている、右腕はもはや腕の役目を果たしていないのか力の入らずぶらりと肩から垂れ下がっているだけのような様子。
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「へぇ?」
自分でも驚くほど間抜けな声が出た。
『なんだコイツは、また俺の悪癖が面倒事を寄せ付けたのか?』
思わず、この異常な状況を解す前から「はぁ」とため息をついてしまう。
口に咥えていた茶パッケージのタバコを右手の親指と人差し指で摘むように持って電柱で火の灯った先端部を潰し、ポイと選挙ポスターの貼られたコンクリートの壁の下、その溝に捨てる。
その子が憂いを帯びた瞳で、今にも死にそうなツラでバツの悪い鈴を見上げながら言った。
「もし……鬼がこっちに来ても何も見なかったことにしてよね」
言って、意識的に目を逸らし、顔を壁に向けて他人ですというオーラを出す。
「最近の小学生は随分と《Violenceな鬼ごっこ》してんだな……とりあえずこういう状況だと救急車を呼ぶのか?」
俺が類まれなる状況にあたふたして、携帯電話で最寄りの病院の電話番号を検索したりしていること数分、後ろに気配を感じる。
女の子ら無理矢理引きずり出したような声で
「逃げ…」
言われて、反射的に振り返ると━━━━
そこには緋色の巨躯。
火を想起させるその肌の色は日に焼けたそれなんかでは決してない。
ひたすらに赤い体には黒い綿のような体毛が部分的に生え、通俗小説に出てくる“鬼“を想起させる容姿。
「な━━━━」
言葉が詰まる、何を言うでもないが。
驚きのあまりに出さんとしていた声すら引っ込んでしまうという具合。
しかし、あえて負けじと四股を踏む力士の如く意識的に大股開けた脚で巨躯の前に立ち塞がる。
鈴は若干の震えを含んだ声で
「あんたが鬼役か?いくらなんでも、弁えろよ━━━━」
「退(ど)け」
犬歯の見え隠れするその重々しい印象を与える口が開かれ一言が聞こえてその刹那、肩部に鋭い痛み。
気が付けば、コンクリートの壁にもたれかかっている形となっていた。
「な━━━━」
そして岩盤のように歪に尖った肩に担がれた少女の姿。
考えるまでもない、痛む肩部も忘れて巨躯に突撃する、しかしピクリとも動くことはない、滑るように前に周り股間を轟と風を切る音を立てながら蹴り上げる━━━━
「ガッ」
鈴を敵、いや障害物とすら認識していなかった巨躯は低い唸り声を上げると地面に倒れ込む形になり、少女を持つ剛腕の力が抜ける。
それをチャンスと鈴は少女を半ば引き抜くような形で巨躯から奪取し、リュックを肩にかけることで出来た背中に出来たスペースに少女の体を乗せ、駆ける。
しばらく見慣れた街頭すら情報として脳に入り込まず、ただひたすらに走れるところを進んでいると、背負った少女が目をシパシパさせながら口をゆっくりと開き
「な……んで、わた━━━━し、を」
「目の前で殺されそうになってる女子(ガキ)を見逃しちゃ夢見が悪ぃってそれだけだ、そんなこと気にしてんじゃねえ。アイツは何者なんだ」
鈴は首を回し少女を一瞥すると、それから少しペースを落として歩き始める。
少女は一息おいて
「アレは鬼、元を辿れば私達と同じ源流にあるのに些事の繰り返しで袂を分かった結果あんな醜い姿になったの」
少女の言葉は固有名詞が数多に散りばめられているでもないが、前提条件として一般的でない認識が介在しているようで、鈴は「?」という記号を頭の上に浮かべる他なかった。
「待って━━━━来た!」
安堵に身を緩めていた鈴の体を撃つように少女の声が鼓膜に響く、と反射的に走り出す。
こちらは少女を背負うというハンデがあるが、相手もあの巨躯ではあまり四肢の自由が効かないのかかなり遅いスピードで後を追ってくる。
30kgを越すかどうかという少女を背負った鈴の方がまだ優勢(アドバンテージ)にあるだろう、しかしその眼前を過ぎるのは数多の車。
「まさか、こんな時に限って渋滞かよッ」
鈴は前進を止めると左右を確認する、左にはいつ行き止まりになるかも分からぬ田に囲まれたコンクリートの地面、右には「唯神教○○○支部」と表記されたプレートが貼り付けられた窓もろくにない長方形のビル。
人がいるかは分からない、迷惑をかけるも承知だが、そんなので少女が死ぬのを許せないそれになんたって自分はクズなのだからと考え、ビルの方向へと体を向ける。
「そ、そっち……は、ダメなの」
喀血混じりの掠れた言葉でビルに向かわんとしていた鈴を静止する。
「じゃあ━━━━」
消去法的に左しかない!とついに眼前まで迫ってきていた巨躯より振るわれた剛腕をしゃがむ形で避けるとそのまま、転(こ)けかけない動きで体勢を走るそれにして左の道へと駆けるのだった。
その刹那━━━━━
重機で地面を削り取るようなけたたましい轟音と共に鈴が認知していた建築物が、濃灰の地面が尽く白に染まっていく━━━━
気付けば遠くに見えた人の姿も消え、眼前を過ぎっていた車も動きを停止している。
これはどういうことだと思慮を巡らすことも許されない薄い時間の中
「胡蝶の夢……厄……」
少女は最後の体力を消費しきったのか、そう言うと顔を鈴の肩に落とし意識を失ってしまった。
「よォ兄ちゃん、散々走らせてくれたじゃあねェか。その餓鬼ィさっさと寄越せよ、そうしたら痛みなく殺してやるから」
緋色の巨躯は、さっきの淡白な言葉とは対称的な実に人間らしい言葉を吐く。
それに対して鈴は、背負った少女を降ろしたリュックを枕にする形で横にしてやり
「どうせ殺されるなら痛みなく、じゃなくてよ。この女の子を守ってやったって満足感に包まれて死にてえな俺は」
目付きが強者から逃げる弱者のそれから、対象を射殺すような鋭いものへと変えてそう言った。
「……馬鹿めが」
悪魔のその一言を皮切りに、両者は作られた拳を眼前の敵へと投擲した。