1.新たな厄介事
「ねえ鈴ねえ鈴〜お腹空いた〜」
エリの耳を劈く高い声が耳元でして強制的に意識が覚醒させられる。枕元に充電器を差して置いてあったスマートフォンの電源を入れ今の時刻を確認する。
「ゲッ!朝の三時かよ!」
今日も学校と住み込みの喫茶店のバイト、そしてこの手のかかる悪魔少女エリの世話があるというのにこんな時間に起こされては体が持たない。
「あーあーめんどくせえな、俺の部屋の冷蔵庫にあるの、酒以外ならなんでも食っていいから、7時までは起こさねえでくれよな」
朝練のある運動部なんてやっていなくて本当に良かったと心の底から思った。
「うん〜わかった〜」
エリは少し寂しそうな顔をすると四畳ほどの部屋の隅に設置してある小さな冷蔵庫に向かう。
その寂しそうな顔に思慮を走らせる。彼女はてっきり腹が減っただけかと思ったが、自分と食事がしたかったのではなかろうか。そう考えるとなんだか悪いことをしたように思えるがこの眠気には敵わない。
概算であと三時間半は眠れると思ったのだがその期待は一瞬にして打ち砕かれた。
ガリガリガリガリバリバリバリ
ポリパリポリパリパリ
う、うるさい……何を食っているんだこの成長期悪魔は……とてもじゃないが眠れない、と鈴は観念する。
休もうかとも思ったが、唯一の肉親である母親により学費が工面されている以上は休む訳にはいくまい。
母さんは自分が実質六歳児のおまけに大悪魔なんて変わった属の子どもの育児をしているなんて夢にも思わないだろうな、と考えるが今はいない実家のことしいては自分が今こうして喫茶店に住み込みしている理由について考えるとナーバスになるのでやめようとしたが、考える余地があれば考えてしまう、あれはそういう奇妙な疑問の残った話なのだ。
鈴本人は今に至るまでの経緯は全く覚えていないが、幼少の頃から小学四年の春までに当たり自分を虐待していた養父を中三という実に五年間も間の空いたその年に空の酒瓶で何度も頭を強打し半殺しにした、とのことだった。(これは警察から聞いた話である。)
珍しく遅れてパートから帰ってきていた母親の通報により家にやってきた二人の大柄の警官に取り押さえられ留置所で三週間を過ごしていたことくらいしか当の本人は覚えていない。多感な時期とは言えそんなことがあるだろうか。本人自身も思い当たる動機もその時の記憶も全くないと警察に述べたところ警察は酷く頭を悩ませた。
そもそも何故義父は自分に対しての虐待をやめたのか。というところまで記憶から飛び抜けている。「前の夫(鈴の実父は彼の友人であった)に笑った顔が似ていてイラつく」だとか「本心を見せないのが気持ち悪い」とかそう言った理由で日頃から殴られ蹴られという具合であったがその本心は八つ当たりであると知っていた。鈴の母親である妻に依存し切っていた彼は実に三一になるまで童貞であり初めて出来た恋人である彼女を失いたくないと考えていた、しかし非常に短気で手取りも少なく趣味でストレスを発散することもできない。そんな時に目に付いたのが鈴だったという話だ。
そんな彼は鈴が小学四年になった年の春頃を境にピタリと虐待をやめたのも謎である、給料が特別上がったわけでも、何か趣味を見つけたわけでもない、特段変化があったと言われれば「鈴に対して怯えたような態度を取り、自分から話しかけることが無くなった」ということくらいで見当もつかない。
それから三週間の間で大人達の間でどういったやり取りがあったのか、鈴はこの東京の郊外に店を構える個人経営の喫茶店の元休憩室(今は日に数人という客だが、全盛期は初老の店主と高校生一人で店を切り盛りするには広すぎるフロアの客席が埋まるほどには人気で多数のバイトが必要とされていたため)にて保護観察下に置かれることとなった。
店主は元警察官僚らしく、定年を迎えた現在も腕っ節には自信のあるらしく前歴持ちの鈴を前にして一歩も引かず「もし何かやらかしたらとっ捕まえて警察に突き出してやるからな」と高圧的でいる、そのくせ未成年喫煙・飲酒を見逃したりと元々、法に携わる職業に就いていたのに法律への意識に欠ける一面があるが嫌いではない。現に一昨日、店に初めてエリを連れてきた時には「不良のくせにま、真面目に学校に通ってると思ったら影で孕ませていやがったのかッ!」と激昴してきた辺り、人間としての最低限の倫理観は持ち合わせているらしいが解せない人物である。
母親は自分のことをどう思っているだろう、面倒事を極端に嫌う性格であるから虐待には気付いていても直接それを言及するということはせずに、学校帰りの鈴に積極的に幼馴染の女の子と外に遊びに行かせ、家にいさせる時間を極力減らす等といった手段に出ていたのだから自分に対する愛はなくとも、産んだ責任感というものはあったのだろう。また、読書家であり家の中でも静かで何を考えているか分からない人物だったので自分に対して愛情表現をしてきたことはないと記憶している。
しかし、そんな関係であっても唯一の肉親であり、自分を高校へ通わせてくれている以上は何かしら気遣いをしないと天罰でも下されそうな気がする(もっとも、最近その神の遣いとやらを半殺しにしたが)のと単純に自分を産んだ親として思うところがあるのだ。
いくら考えても答えが出てこない疑問や最近の出来事に思慮を及ばせていると自然と眠気は覚めてくる。
菓子パンの貯蔵も切れたのか必死になって空いた腹を次めるために冷えた生の野菜に齧り付く少女を見守りながら机の引き出しに入っている紙パッケージの三級品タバコ(エリの飯代以外の生活費は自腹なので普通のタバコを買う余裕はない)を取り出して口元に運び火を灯す。紫煙を思いっ切り吸い込んで吐き出すと完全に意識が目覚める。寝起きで、安タバコで高ニコチン高タールのためか脳の血管が急速に締まる感覚がする。
「おい、てめえ今右手に持って噛み付かんとしているそのジャガイモって皮付きで食うもんじゃねーぞ。茹でてきてやるから待ってろよ」
口に加えていたタバコを人差し指と親指でつまみ持って透明なガラス製の一般的な形の灰皿に先端を押し付け火を消すと鈴はジャガイモを持って部屋の外、台所へと向かった。
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もう七時か……シャワーを浴び終え、隅の客席で安タバコ特有の独特な匂いの紫煙を吐きながら朝のニュースを横目でボーッと見ていた鈴の脳に嫌な情報が過ぎった。
そろそろ家出る用意をするか……陰鬱な気分で鈴は重い腰を椅子から持ち上げる。
「鈴〜今日こそはがっこーとやらに連れてってほしいな?」
エリは瞳をキラキラさせると鈴の脚に抱き着く。
「素行の悪いことで有名な不良この俺葛上 鈴が金髪の幼女なんか連れてたらあらぬ疑いを持たれるに決まってるだろうが答えはノー、ダメだ」
「ぶー」
エリはバツの悪そうな顔をすると不満の声を漏らし2階のほとんど倉庫みたいな部屋に上がっていく。
二人のやり取りを皿洗いしながら見ていた店主(マスター)は俺たちを「朝っぱらから馬鹿やってんじゃねーよ」という具合に鼻で笑う。
ドアを開けクローズの札を裏返しオープンに変え、カバンを肩からかけ、気まぐれに2階の窓を見やるとルイが顔を出して手を振っている、俺は彼女に向かっていってきますの意の微笑みを飛ばす。
見慣れた石造りの街並を超えて駅に着くと改札を抜け電車に乗り、徒歩で無駄に長い通学路を超えると汚い校舎が見えてきた。その刹那、後ろから甲高い耳障りな声がけたたましい足音と共に聞こえる。
「やあ葛上おはよう!ところでタバコ持ってないかね?出来ればメンソで!」
コイツは俺の一個上で哲学研究部(というのは名ばかりで部として成立した数年前から未成年喫煙者の集まり、この部の創設者は哲学者に謝れと思う)に所属する、白髪に近いくらいの薄い金髪と丈の恐ろしく短いスカートがチャームポイントの半グレJK『古坂(こさか) 麻衣(まい)』
ほとんど毎日、便宜上哲学部に身を置いている鈴にタバコの工面をしてくる、彼女は鈴やヘビースモーカーと言われる店主をも凌駕する程のチェーンスモーカーなので1時間も同じ空間にいると結構ごっそり持ってかれる。
「ほらよ3級品タバコ、俺がハッピーストライクとゴールデングローブしか吸わないのは知ってるだろメンソールは嫌いなんだよ歯磨き粉みたいで」
彼女のいやしく伸ばされた手のひらにタバコを2本落としてやると彼女は「ん、ありがと」と淡白な礼をするやいなや足早にコンビニに設置されているタバコ専用ゴミ箱に向かって行った。
やれやれ、なんだってアイツはそこそこの金が毎週末講座に入ってくる(本人談)というのにどうして自分のタバコも満足に確保できないんだか……自分の周りには変人が集まる結界でも張ってあるのだろうか、一瞬本気でそう考えるが馬鹿な考えだと頭から追い出す。
家を出てから一時間ほどかけて学校に着き、下駄箱から慣れた動作で上履きを取り出し今度は長い階段を昇る、やっと教室に着いた、早朝から子どもと一個歳上の同級生の相手をして疲れ切った体をイスに落とす、と同時に一瞬空気が凍る、がしばらくするとまた元の賑わいが戻る。ここ布津野高等学校(ふつのこうとうがっこう)は俗に言う底辺校で生徒は主に努力を怠った無才の人間や先天的に頭が悪すぎるヤンキーで構成されている、が鈴のような前歴持ちは流石に類を見ないようで教室に入るといつもこの調子である。
「……やれやれだぜ。」
一時限目は神経質そうな顔をしている地学担当国木田の授業、鈴は瞼を閉じるとストーブの放つ熱気が心地良くあっという間に眠ってしまった。
━━━━次に起きた時には四時限目になっていた数学の授業みたいだ、机の上に並んでいるのは筆箱のみ、とまるでやる気がない様子。三回指されたが全部無視したら関わってこなくなった。
数学の担当教師がわざとらしく足音を立てて教室を出ていくと昼休みになった。物好きな同級生の女子『』が話しかけてくる、顔はメイクしているのか分からないが年頃の女の子という風な顔で普通に可愛いと思う。といっても彼女とは幼稚園からの仲なのだが自分は彼女と小学校の実に六年間、同じクラスで低学年の頃はよく放課後に遊ぶ関係にあったということしか記憶していない。恋愛雑学や教育論、好きな異性のタイプの話を一方的にされた、自分の意図の外で義父からの虐待避けに利用されていたので無視するのは気が咎めたので一応相槌を打ってやっていると嬉しそうにしていた。今日一緒に帰りませんか?と言われたが断る余地が残されていたので問答無用で断った。
キンコンカンコンというチャイムの音で目を覚ます。
たっぷり一二〇分眠れて満足の鈴が大きく背伸びをすると六限目の化学の太ましい体をした角刈りに白衣の教師が睨んできた。
この調子で一日を終え、HR(ホームルー厶)、そして帰宅……というところで後ろからガシッと肩を掴まれる。
「葛上!あなたまた人のこと殴ったり女の子のおっぱい触ってないでしょうね!タバコもやめなさい!臭いでわかるんだからねッ」
このあることないことを吹かし、声を荒らげている女子生徒は『津島(つしま) 碧子(あおこ)』という生徒で学級委員の副会長だったか?の役職に着いていてテストは毎回上位という具合に真面目という言葉を体現したような生徒である。
「生憎だが今日はまだ殴ってないあれは誤解だし、それと俺は尻のが好き、タバコは気のせいだよ、はいバイバイおやすみグッド・バイ」
鈴は淡白な返答を返すと足早に彼女の説教を後にする、後ろから叫び声に似た自分を呼ぶ声がする気がするか気にしない、喫茶店には腹を空かせた成長期の悪魔っ娘が待っているのだ。
鈴はまた長い通学路を歩き、電車に揺られ、疲れた体で石造りのカラフルは地面を歩き喫茶店に向かう。この後エリの世話と喫茶店の手伝いもといバイトがあるのだ疲れてはいられぬ、と喝を入れる。
それからしばらくフラフラ揺られるように歩き喫茶店に辿りつく、ポストに手を突っ込み郵便物の有無を確認する、いつもの日常の当たり障りない習慣だ。
入っていたのは夕刊…と自分宛の手紙だ封筒の口はいかにも女子という感じのくまさんのシールで止められている。俺に手紙なんて珍しいな、それにこんないかにも女の子って手紙……鈴はドアノブに手をかけながら怪訝な顔でその封筒を開けると中には
「先日あなたに鼻っ柱へし折られた者です。本日18時、池袋駅から徒歩三分の所に構える唯神教本部大聖堂まで来てください。要求が飲めないようであれば私はまた神器を持ってあの悪魔とあなたの首を狩りに参りますのでその際はよろしくお願い致します。今度は負けませんので。 三上(みかみ) 美佳(みか)」と殴るような筆跡で脅迫地味たメッセージが連ねられたいた。
こうして葛上 鈴の日常は一瞬にして崩れ去った。