Return to'(ダッシュ)   作:茄子林檎柘榴

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4.襲撃

「ばっか……マジに意識飛びかけたぞ、安易に人の頭を殴り飛ばすんじゃねーよ。大事な大事な部分なんだぞ?」

 

「私は大悪魔だからそんなの知らないわ」

エリは大泣きしていたのを掘り返されたのがよっぽど恥ずかしかったのか相変わらず頬を膨らませて頭からプンプン蒸気を発している。

 

鈴はそれを部分的に青くなった右頬を自由の効く右手で抑えながら暖かい目で見守っていたが、思い出したかのように眉を下げ顔色を真面目なものに変えると疑問を口にした。

 

「ところで、この『胡蝶の夢』ってのから抜ける方法ってのはあるんだよな?」

 

「うん、胡蝶の夢っていうのは中級位相(ミドルフォン)以上の悪魔が持つ権限によって展開された擬似的な第五要素(だいごようそ)の具現、つまりは自分の世界を創ることが可能なの。けど人間は地球という世界に生きているわけで、神秘か精霊でもない限りは人間を長時間そこに縛り付けることはできないわ。地球の意思が「特定の人間が存在していない、観測の埒外にある」という矛盾を修正するために無理やり人間を引き剥がしに来るの。だからこのまま待っていれば勝手に元いた世界に戻れるのよ、もっともあなたはこの世界の始点である悪魔を殺したからその例に漏れて少し早かったり遅かったりするかもだけどね。」

 

固有名詞の多さにゲンナリとしていた鈴は戯けに

「んーじゃ、まあこのまま待ってれば戻れるってことでいいの?もっと端的に伝える努力をしろよ、俺はお前らの事情なんて分からない一般人なんですよ」

 

「なんであなたはそう二言も三言も余計なのかしら……扇情の意図があるとしか思えないわ」

エリは呆れてものも言えないわ。という顔で嘆息するとすぐに周囲を回し見てから怪訝そうな顔色を浮かべる。

 

「なんか……気配がする。それに鋭利な刃物が体を這い回っているような緊張感も……鈴、あなたは感じないの?」

怪訝そうな顔はやがて青く染まり、鈴の左袖を握り明確に恐怖を露見させていく。

 

「……緊張感って、まさか……また悪魔か?世界を作った悪魔以外がこの世界に入ってこれるものなのか?」

周囲を睨み回し、無意識に少女を後ろにやるとそう問いかけた。

彼女の緊張感に当てられたのか、鈴の方もまた頬を気持ち悪い冷や汗が伝って不安な気持ちに包まれている。

 

「世界の中に世界を創るってことは気泡の中に気泡を作るみたいでデリケートな行為なの、それだから通常は極小のものから目に見えて分かるようはものまで入口の役割を果たす“歪(ひず)み“が生じるわ。もっとも中級位の悪魔ともなると器用に世界を創るから同じ“悪魔“や精霊か、それか先天的に霊的要素(エレメンツ・オブ・スピリッツ)を持った“人間“くらいしか世界の歪みを視認できないでしょうね。逆に言えば悪魔か精霊の類、それかごく一部の人間に限定できるわ。それにしてもこの凄まじい気は……とても人間や並の悪魔のものとは思えないわ、だから……」

 

「だから、悪魔だと考えるのが妥当なわけか。もっともお前は理由こそ忘れど特定の個人に追われる身だったわけだ。お前を追ってるのがさっきの悪魔一人だけって方が常識的に考えると不自然かもしれねーな。アイツよりももっとヤベー悪魔が来るのを予測しておいたほうが身のためか……」

額に浮かんだ脂汗を掌で拭うと鈴は遠い向こうの見えない強敵の存在を予見し悪寒が走るのを覚える、さっきの勝負の帰趨が不明瞭で発想の転向が僅かな勝利の可能性を掴み取った綱渡りの戦いの記憶を明確に思い出して思わず地面を硬く踏みしめていた脚が震える。自分で聞いて驚く程に声は上ずり、追われる者を想起した。

 

瞬間、左袖にぐいと力が入る感覚を覚えると後ろから微かな飾り気のない寂寥の声がする

「恐らく“たった今“入門してきたわ……気配が一気に強まった」

 

エリは思わず鈴の右脚の裏側に隠れる。気付いてしまった、さっきの悪寒を感じた時点であの凄まじい瘴気は世界に入った時点のものではなく、歪み越しに自分達を見ていた段階でのものだということに。今そう遠くない方向からヒシヒシと漲ってくる押し潰されそうなほどのおぞましい瘴気に思わず身が強ばる。

 

「ああ……今は俺も感じる、凶器で体を撫で回されてるような悪寒をな。けどそれ以上に……俺には確かに地面を踏む靴の音が聞こえるぜ」

カッカッという硬質のものが凹凸のない地面を規則的に叩くような音が確実に二人の耳に届く。

 

エリは何かを察したような顔をすると、末期ガンに侵され生に諦念を抱いた老人がするようなひ弱なため息をつくと。

「鈴……何かあったら私を置いて逃げて、この気は普通じゃない。さっきの悪魔なんか比じゃないくらい、元よりあなたは関係のないことなんだから……さっきみたいに私を庇うなんて馬鹿なことは考えないでね」

鈴の右脚に掛かっていた僅かな圧が消える。

 

鈴は首を傾けて自分の脚から身を離して青白い顔で明日の方向を見ている少女を見やる。

「馬鹿野郎、何言ってんだよ。俺はぶち殺される覚悟でお前を守ったんだぜ?今更、怖がるものがあるかよ」

怖がるものがあるかよ、本当に心にもないことを口にしたものだと自分でも驚く。

今にも自分の想像を超えた異形が眼前に現れて自分を八つ裂きにするイメージが容易にできるくらいに世界に漲った狂気は凄まじい、怖くないわけがない。少女の手前だからそんなことが言えるが本心では今すぐに意識を埒外に追い出したいくらいに恐ろしく思っている。

 

「鈴……ありがとう、でもなんであなたはそんなに私のことを守ろうと」

 

エリの言葉が緊張感に満ちた鈴の声で途中で掻き消される。

「きたぞ」

 

カッカッと茶色く、丸みを帯びた革靴(ローファー)が白い地面を踏みしめる音。革靴からは濃紺の靴下が膝下まで伸びていて、膝丈の黒いプリーツスカートと靴下の間から少しだけ覗ける脚は雪のように白く、シミひとつなくハリのある若い肌をしている。

風の吹いていないこの世界でもファサと音のしそうなくらい鮮やかな印象を受ける、艶のある黒髪のショートボブ。寂寥な印象を覚えるが綺麗な瞳の上で真っ直ぐに切り揃えられている。

そして首元に線対称に結ばれたの紺色の紐タイとそれぞれに校章の入ったカッターシャツと少しサイズに余裕のある灰色のセーター。

 

どこから見ても普通の女子高生だ、それに緊張感に満ちたこの場所に似合わぬ可愛らしい雰囲気も醸し出しているし顔も整っている方だと思う。

 

しかし、何を見たか。この少女が凄まじい気配(オーラ)の起点、困惑を拭えずにいた鈴は改めてこの少女が悪寒の正体だと感じる。

 

鈴と少女の間隔が五メートルを切る、互いの表情をしっかりと認識できる距離。

 

いつ四肢が吹き飛ぶとも分からぬ緊迫した空気の中、先陣を切ったのは少女だった。

「私は唯神教(ゆいしんきょう)の修道女(シスター)です。その悪魔から離れてください、貴方に危害は加えません」

 

言って、少女は左手を徐ろにスカートのポケット部に突っ込むと何かを掴んだのか握られた手からは銀色の何かが見え隠れしている。

 

銀色の何か、緊迫した空気の中では一瞬それは自分を害する凶器のように見えたが、右手首に垂れ下げられたそれはロザリオであった。

 

「道理に背く悪魔には神罰を。主よ、今より悪を葬り去らんとする私に加護を」

何を言っているんだ?何をしているんだ?鈴の脳内は混乱していた。

自分のイメージしていた狂気とは対照にあると言ってもいい女の子が現れて、銀色のロザリオなんて制服には似合わないものを取り出して、意味のわからない呪文のようなものを唱えている。

しかし、全くもって不理解な呪文のようなそれは「自分を呪い殺さんとして吐かれた呪詛」のような禍々しいもののように幻聴(きこ)えた。

 

「地は人を生し、天は人を統べる。私は天に代わりこの世に秩序を振り撒こう。聖神器(オリジン・ノモス)、展開……「十戒の神槍 (ロンギヌス)」ッ」

その言葉を合図にしたように少女の手首にかけられてきたロザリオが激しく輝きだし、反射的に右手で視界を遮る━━━━

 

目を開くと、そこには「背丈以上の大きさのある線対称の禍々しい断末魔の顔が複数彫刻された、金色に光る大鎌のようなモノ」を持った少女があと数歩というところにいた。

そんな明らかな凶器を持った少女は心做しか自分に冷たい人殺しの目線を向けているように幻視した。

 

「対象の駆逐、開始━━━━」

少女の冷淡な声が瞬く間に広大な白い世界に掻き消えた。

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