明らかに凶器と見て取れる少女の背の丈以上の十字架を背負って彼女は一歩二歩とこちらに歩み寄ってくる。
寂寥さを感じさせる光の入らない黒目がちの目は自分の後ろに立ち、伏せている少女エリへと突き立てられている。
地獄で血釜を掻き回す修羅の如く熱気を持って近付いてくる少女から反射的に目を逸らしてしまい、後ろを振り向く形になる。
「━━━━」
エリは目を割けんばかりに見開き、歯をカタカタ言わせている。あまりの恐怖に足腰が機能しないらしい尻もちをついている。
「逃げろッ!!」
後ろを振り向いて吐いた電光石火の如く少女に響いた一言の真意はその言葉を少女に届けることではなく自分に喝を入れる、踏ん切りを付けさせるところにあったのでは無いかと思う。
それが元から決めていた合図であるかのように少女は一喝にビクリとすると、一度だけこちらを振り返ると頷き、消え入る様に後ろに儚いままに駆けて行った。
「……何の、つもりですか?」
背の丈以上は軽くあるところ、表面は抽象的な己の鏡像を写しているところから見るからに軽く100kgは超えているのではあるまいか。そんなものを引き摺るでもなく十字架の交差しているところを持ち手に片手で持ち上げている。
その目、温度を感じない人殺しの目は少女から自分へと向けられた。
鈴も今にもここから逃げ出したくなるような恐怖を抑えて負けじとあえて少女を睨みつける。
「あんた、そのでっけえ武器でアイツを殺すんだろ?そんなのを見過ごせるかよ」
「私は小悪魔(あれ)を殺します。しかしそれは正しい行いです。神が定めし法の元に許容される殺害なのです。そこを退きなさい」
目には目を歯には歯をという具合か、睨み返された。しかしそれは素人のファイトなんかではまずお目にかかることのない“本物の戦士の目“であった。威圧に足が竦む。コイツは本当に殺るという確信がある。
しかし、引き下がる選択はない。鬼から庇った時点で地獄の秘奥まで着いていく覚悟である。
「神だかなんだか知らねえが、そんなのが女の子を殺していい理由になるのかよ。俺たちと同じように考えて生きてる彼女を殺していい理由になるよかよって聞いてんだよこのカルト狂いのクソアマが」
少女は一瞬、歳相応の可愛げのある怪訝そうな顔をするとすぐにその表情を崩しさっきまでの人を殺す顔に戻る。
「あなたに分かってもらう必要はない。ただ、あれはこの世界にいていいモノじゃないから消しに来ただけの話。「情けは人の為ならず」って言うでしょう、アレを助けたところで背負うリスクと利益がまるで見合わない、もっとも何かを得ることもなく逝くことになるんだけどッ」
少女は歩みを止めると上腕部を持ち上げる予備動作。
来るッ━━━━!
ブォンと、蝿が耳の横を走るような音が聞こえて反射的にしゃがみこむ。と、その刹那━━━━頭部のわずか数ミリというところを強風が吹き抜ける感覚。コンマ秒の判断で生死が決まっていた。
それからは自分の中の「感覚」そして「予感」に従って動くことに決めた。予感に従うという普段ならリスクの問題から埒外に追いやっていた要素もきっと無駄にはならない。
横に振り抜いて避けられたら次はどうする━━━━ゴゴ……という重機で地面を抉りとるような強烈な擦過音。視覚情報だけで処理できない速度の応酬、無意識に感じた嫌な予感で後ろに跳ぶ。
瞬きすら許されない僅かな時間、眼前を鉛色が覆う。あの強大な十字架でアッパー攻撃を狙っていたのか、避けられた感慨に浸る暇すらない。
背を見せずに大きく後ろに退く、とその勢いも生きたまま地面を蹴って最大限左に跳ぶ。
『巨大な十字架、そしてそれを持ち上げて思いのままに動かす腕力は脅威的だががむしゃらに動いていれば案外当たらないものなのか?』
そう思った矢先に━━━━
左胸を重い鈍器で思いっきり叩かれた痛みを何倍にも増幅させたような気の狂う痛みを受けて後ろに五メートルは吹き飛ぶ。
顎が強く打たれて脳がシェイクされる感覚、食道まで胃液が這い上がってきそうな悪寒に耐えながらなんとか視界を開くと少女は三歩ほど奥でこちらを見下す冷たい目線を向けていた。あの十字架で胸を強打、そのまま吹き飛ばされて俯せに転がっているというところかと状況の悪化に伴わず冷静な思考を広げる。
「本来は決して人間に使うものなんかではないのですが……時は一刻を争います。神器(ノモス)・解放(オープン)第一霊装『暗器(アサルトモード)』━━━━」
十字架から発せられる暖かい光に打たれて無意識に目を綴じてしまう。
「ッ━━━━」
間を置かずしてなんとか目を見開くと、眼前には人影が迫っていた。「うわッ」と声を上げそうになるもすぐにその人影は気配諸共消えてしまう。
それから意識がそれ以外の物事に向かうまでの短い間、ふと口の中で空気でも溜まったような感覚を覚えると緩んだ口元からゴボッと大きく音を立てて口から塊の混ざった喀血を盛大に吐き出す。
「障害を排除。標的を追跡します」
胸が熱くってたまらない、声が出そうだ。
視界が狭窄して、目に映るのは一面の赤で。
一面の赤━━━━血の泉、その鏡像に左胸部がガランと空いてしまった自分の姿を見る。顔は苦痛に苦しむでもなく力なく笑っていた。
ああ、俺は━━━━死んだのか。
そこで葛上 鈴の思考は途切れた。