Return to'(ダッシュ)   作:茄子林檎柘榴

6 / 19
6.逃避行

ゼェゼェと肺が悲鳴を上げている。鈴と別れてしばらく経った気がするが現実時間はそう経過していないだろう、世界の主が死んだことで多少の誤差はあれど世界は崩壊せずに残っている。つまりは主が死んでから世界が崩壊するまでの僅かな時間の中に収まる短期間の逃避行であるということを意味している。

 

「この世界が崩壊したところでその先はどうしようか」「自分を庇って身代わりになった少年はどうなっただろうか」「少年は抵抗も虚しく殺され追っ手は今も距離を詰めているのではないか」複数の疑問や不安が去来を繰り返す。しかし思考に気を取られて足を遅めるわけには行かない、この時間に一歩でも遠く逃げることが少年への応えとして正しいのだろう。

 

恐らく、いや確実に自分を追って世界に入門してきたあの少女は唯神教(ゆいしんきょう)の人間だ、神を背にする悪魔という陰の立場の自分を滅せんとしているのだろう。もちろん自分をこの世界に閉じ込めて殺そうとしたあの鬼と同じく別の理由を持つ可能性もあるが、現実としてあのロザリオ、聖神器(オリジン・ノモス)を持っているのだから彼女は唯神教に属していてその理念に基づいて発見した自分を殺そうとしているというのが現実的な推論だろう。

 

駆ける、駆ける。息が苦しくなって楽になることない。あまりの苦しさに誰かを憎みたい気持ちすら浮かんでくるがそれでも駆ける。駆けなくてはならない理由がある。

 

矮躯に合うようにデフォルメされたローファーのようなゴスロリ風の黒いなめし革の長靴が白い地面を規則的に叩く音と、ドッドッと胃を揺らす鼓動音だけが響いていた白い、狭い世界にシュッという空気を切り裂く裂破音。

 

その刹那、前に運ぼうとしていた左脚から力が抜けて派手に地面に倒れる。

腕を擦りむいたのか、服から露出した肘から下の部分が激しい熱を持っている。顔も強打したらしく猛烈な痛みを感じる。しかし、それ以上に━━━━

 

左脚に熱した鉄の棒でも差し込まれたような激しい熱と気を失いそうになる痛み。首を傾けて思わずヒッと声を上げてしまう。左脚に十字架を捩った細い持ち手に長い刀身の短刀が二本突き刺さっている。

このナイフを投擲したのは━━━━

考えるまでもない、教会の人間であるあの少女だろう。痛覚が緩和されていき回復しているのを感じる、が恐怖に脚が笑って上手く立ち上がれない。

しかしこのまま止まっているわけにもいかない、少女が自分を追ってきたということはとどのつまり少年を何らかの方法で押し退けたか、始末してきたということ。いや、深い絶望に備えて希望的観測は捨てておこう、彼女は恐らく鈴を殺して自分を追ってきた。

 

恐怖に震える暇はない、絶望に打ちひしがれる暇もない。今この命は全ての体は少年の期待に応える為だけにある、少年が与えてくれたと言っても過言ではないこの命を無駄にしないことが彼への弔いでもある。

 

左腿を貫通している二本の短刀を一思いに引き抜く。脳に焼き付く激しい痛みに悶絶しそうになるが正気を保つ、傷の再生も満足にいかない体で無理に体を立ち上がる姿勢にしたから傷口が開き、再び熱した棒をゆっくりと差し込まれるような痛みに澎湃と涙が溢れてくる。思わず力の限りに歯を食いしばり奥歯が割れる、欠片をプッと吐き出すと振り返ることもなく駆けていく。

 

「またナイフを投擲されるかもしれない恐怖」と「いつ後ろから仕留められるかも分からない恐怖」に麻痺することなく確実に怯えながらも駆ける。

こんなことを願うのも自分勝手に程がある話だが、己の命を蔑ろにしても自分の命を救ってくれたあの頼れる少年がどこからか現れてまた助けてくれないだろうかと最低最悪の危機的状況に夢を見る。

 

タタと地面を軽やかに地面を革靴が踏む音が聞こえてくる、さっきの損傷からの立ち直りは思った以上に失速だったらしい。少女が背にいる気配を嫌でも感じる、鋭利な刃物で切り裂かれるような尖った視線。

直感的に「第二の攻撃」を予見したその刹那━━━━

 

右鎖骨中部から右肩部がゴシャという破砕音を立てて地面に右肩部から先が“崩れ落ちた“。

右肩部が赤黒い肉片となって体から落ちたということに理解が及ばずに目を傷口と前とに行き来させていると、後ろから一声。

 

「殺したつもりだったんですけどね〜〜」

さも愉快という口振りでそう言うと少女は自分の血で先端が血濡れになっている鈍器型の神器を180°回転させて地面に突き立てる、地面を打つ金属の重い音が耳に届いて思い出したように右肩を失った痛苦に悶える。確実に意識を失うがそのありえないほどの痛みで現実に戻ってくる、失涙と流血が溢れて止まらない。

骨ごと粉々に逝っているからすぐに回復することはなく、痛みも長く脳を蝕む。

 

「唾液と血液を撒き散らして汚らしい、いかにも悪鬼の最期って感じ」

笑いながら一歩一歩と少女が迫る。

 

それでも、死ぬわけにはいかない。

今、自分は生に必死になり。形容し難い猛烈な痛みに悶え。決して来ることのない助けを求めて非常に醜い顔をしていることだろう。

 

それでも、死ぬわけにはいかない。

この命は既に自分だけのものではないのだから。

 

自分が何をすべきか分かると、あとは簡単だった。痛みは依然、緩和されることはない。少女との距離は縮むばかりだ。しかし━━━━

 

やれるだけのことはやってみよう、とそう思った。

 

 

〜〜〜〜〜

「小さい見た目によらず、おっきいの持ってるんですね」

少女が笑う。なんだか見るもの全てが非常に愉快で笑いを誘う。恐らく自分も笑っている、が口角が上がっている感覚が分からない。

 

右腕を失った痛みはとうに消えていた。新しい右腕はとても大きくて自分を包み込んでしまいそうな温もり、紫色を帯びた漆黒の色は見ているだけで恍惚として理性的な判断を鈍らせる罪深い色、そしてその全ては視界に入るもの全てを切断したくてたまらないというばかりに尖っていてとても大きくて自分を包み込んでしまいそうな温もり、紫色を帯びた漆黒の色は見ているだけで恍惚として理性的な判断を鈍らせる罪深い色、そしてその全ては視界に入るもの全てを切断したくてたまらないというくらいに尖っていてこの世の何よりも愛おしく感じる。

朧気な意識の中で自分が生きるか死ぬかよりも、こんな姿を見た鈴(かれ)は私をどう思うだろうという確かな疑問を持った。

 

しかし、それも血肉の咀嚼を求めて止まない真っ赤な暴力衝動の前に忘却する。

理性的な判断をする回路が蝕まれる、この世の全てが愛おしく同時に憎く感じる、筆舌に尽くし難い強烈な熱に浮かされる。

 

「随分と醜い姿になって、まあそっちの姿の方が貴方らしいですよ?」

目の前に余裕綽々という具合に、構えることもなく立つ少女を最後に意識が途絶える。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。