「生きててほしかった」
鈴の胸の中で瞳を重く閉じた少女は最後には笑っていた。体には損傷の後が絶えず残されていて、袖が引きちぎれて露出した右腕とスカートから力なくぶらさがっている左脚のようなものは皮が剥げて赤い血液に彩られた黄色い脂肪と骨のようなものが見て取れる。おそらく切断されるか粉微塵に粉砕されるかして一から再生した結果だろう。
こんな姿になっても少女は笑っていた。自分が生きていることを願って、それが成就したことを嬉しく思って。
痛烈の極まった傷跡を見ていると瞼の奥に酸鼻極まる阿鼻叫喚の地獄絵図が再生される。自分の目的が分からなくなると泣きじゃくってしまうような見た目相応の一面もあるが根は本当に強い女の子だと思った。
こんな姿になって、血まみれになってもなお人のことを考える心の余裕を持てる、そんな時でも人のことを尊重できるそんな彼女を尊敬した。
そして何より、生まれて初めてかもしれない胸の温かさ、充実感に包まれた。「生きること」を誰かに望まれるなんてきっと生まれて初めてだ。
「心が綺麗だな、お前は。待ってろすぐに片付けるから」
今は自分の胸の中で深く眠っている彼女を強く抱いて、自分のリュックが血で汚れるのも厭わず彼女の頭の下に敷いて寝かし付ける。
「魔の気配は全く感じなかったので人間と断定しましたが、誤算だったようですね。その再生能力は悪魔もしくは悪魔の隷属のそれです。私の暗器(アサルト)は対象を生かしている部分を破壊する概念を内面化した制裁の神器です、それでもなお生きているということは」
「ごちゃごちゃと固有名詞並べてうっせえんだよッ」
無機的に述べる少女の語りに割り込んで心の奥底で煮え滾る怒りの念を発露する。
「俺はあんたをぶちのめすぜ、あんたは俺の大切な友達を傷付けすぎた。鼻っ柱へし折って半殺しにしてやんよ」
「もっとも、それが出来るかは別ですがね。あなたは一度既に私の神器の前に敗北しています」
「「人間は考える葦である」って言うよな、俺は勉強は苦手だがよ人間は学習できるところに強みがあるんだぜ?同じ手は食わねえ」
「出来るっていうならやってみろよ〜この私を相手になァ!」
言って少女は地面にハンマー状に変化した十字架を打ち付け、目も開けていられない程の激しい粉塵を撒き散らす。しかし、そんな状況にあっても鈴の思考は理路整然としていた。
『怒り狂ってハンマー振り回す……ってのはイマイチ妥当性に欠けるな、相手は見た感じだが「殺し合い」に慣れている。そんな人間が理由のない行動を取ると考えるのは妥当じゃない。だから粉塵を振り切ってアサルトとか言った形態に変形させて殺しに来るだろう』
ハンマーを振り下ろし粉塵が巻き上がるまでの間にこれだけのことが考えられるのか。と思念が頭を過ぎる。
鈴はそれに端を発し子どもと老人では体感時間が違うと言う話をTVの民放番組で見たのを思い出す、命が危まれるこの状況で「火事場の馬鹿力」とでも言おうか自分のそういった機能が限定的に覚醒したのだろうと納得させる。
粉塵を掻き切って憤怒に顔を染めた少女が先端が鋭利な状態に変形した十字架を天に掲げ暴走列車よろしく飛び出してくる、が鈴は驚愕した様子もなく筋反射速度を凌駕した速度で少女の右に回り込む。
「ほら、な━━━━」
と、折り曲げた膝を少女の腹部に思い切り叩き込む━━━━
「が━━━━はッ」
ドッと地面を骨肉がバウンドする音がする。
『アイツを極力エリから避けよう』
考えて間も置かず粉塵を越え少女の跳んだ方、五メートル程先へと駆けていく、その間0.4秒。人間の運動能力を凌駕したその速度に鈴は気付かなかったが心做しか体が軽いと感じたがそれも「アドレナリンの過剰な分泌」と思考の埒外に流す。
粉塵の奥では少女が地面に片膝をつき、上半身を折り曲げ痛苦に悶えていた。それでも右腕には十字架が握られている。粉塵の奥から野生動物の如き速度で駆けてきた鈴を視認して目を丸くする。
「なん、なの……その力はッ」
「━━━━らあッ!」
少女が起き上がる動作を取るとほぼ同時に鈴の全力の回し蹴りが彼女の横腹に炸裂、破砕音に似た音を立てて右に吹き飛ばす。
「がッ、はッ、あああああああああああ!!」
受け身も満足に取れていない体制で地面を横に転がる。肋骨と肋の肉が発熱を伴って酷く痛む。あまりの痛みに何本か折れているのではないかとすら思われた。
「まず……い、富永さ……呼ばないと」
痛みが意識を蝕むのも構わずスカートのポケットに入っていた白いスマートフォンを取り出し電源を入れようとする、が━━━━
鈴の足蹴によって邪魔される、スマホは少女の後方に吹き飛ぶ。
「増援なんか……させっかよ、俺はアイツを絶対に守っからな」
鈴は流石に追撃に次ぐ追撃が答えたのか肩で息をしながら少女を睨み付けてそう言った。
「そう……ですか、なら仕方……ありません。私も本気を……出すまでのこと」
身体をピクピクと震えさせ息もたえたえの少女のその言葉は虚勢のように思えた、さっき倒した相手にここまで痛手を負うことを想定していなかったとはいえ彼女は何度も殺し合いを乗り越えてきた歴戦の勇士だろう。力を出し惜しみすることなどないと、そう思っていた。
「主よ、唯一にして真の創造主よ、主の秩序を伝令する私に加護を━━━━」
言って、少女は右腕を天上に掲げる。すると手の先から順を追って身体中が「手のひらを太陽に翳した」時のように、それから光を増して白い色で発光した。
鈴はあまりの光量に反射的に目を瞑る。と、腹部にゴキという何かが割れる音。そして激しい風圧の後に背中を打つ感覚、思わず「ウッ」と呻き声を上げる。
目をゆっくりと開けると少女は凝視しないと顔が見えないところまでいた、少女が移動したわけでは無い。自分が吹き飛ばされたのだ、ハッタリだと思っていた彼女の言葉が頭の中に蘇る。
そして何よりも驚いたのが、少女のさっきまでの憤怒に歪めていた顔が「安心感すら覚える安寧の顔」に変化していたことであった。さっきの発光で少女は何らかの確実な変化を遂げた。
「がはッ!う、ぐッ」
思い出したかのように襲ってきた腹部を強打した一撃による激しい痛みに悶える。吐瀉物が食道まで上がってくる感覚を覚えて吐き出すとそれは血が大半の赤いものであった、胃液の酸っぱい臭いと共に血液のサビ臭さが鼻に残り喉を焼く。
立ち上がろうとしても体が言うことを聞かず、脚は痛みに震えている。
「私がこの世界にいられるのは3分ほどなんです、そして依代になったこの少女は理性の一部を天上の意思に捧げることになる。だから渋っていたんでしょうね」
刹那、耳元で鈴ような場違いが過ぎる安寧の声がする。
「依……代って、てめえ、な……中身でも変わったんかよ」
「説明している暇はありません」
刹那、眼前が白一面に染まる。
すると最後まで聞き取ることもなく爆音に少女?の声が掻き消える━━━━爆発。
理解不能な爆発の原理に思考を当てる余裕もなく、全身を走行車両に強打したような激しい痛みに悶えながら後ろに二転三転と吹き飛ぶ。
「死……ぬ━━━━」
痛みに喘ぐことすら許される薄い意識の幕間。酸鼻極まる阿鼻叫喚の地獄絵図、エリが苦しめられる姿、右腕を切断される、左脚を圧砕されるイメージが頭を過ぎる。
『こんなところで死んでいられるか、アイツをエリを守るんだ。またあんな目に遭わせてたまるかよ』
指が形を成していない骨肉が露出した左脚、皮膚が部分的に再生している黄色い脂肪を赤い血液が塗らす右腕。
『二度とあんな目に遭わせない、守ってやるって決めたんだから』
エリのことを考えていると心は満たされ、無敵感すら覚える。メラメラと立ち上がる気力が湧いてくる。
傷も癒えない、痛みも緩和することがないがなんとか体勢を持ち直す。
「二分とちょっとと概算して、もう一人いますので。あなたを殺すのに一分とかける余裕はありませんね。第二一霊装「弩(シエル)」」
少女の姿をした何かが右手に軽々と握られていた十字架を「手に収まるサイズの持ち手が付き、その全体像を巨大な金属で組まれたバリスタのようなもの」に変形させ、その引き金と思われる部分(パーツ)に指をかける。
「これで詰み(チェックメイト)です」
まるで重くないと言わんばかりにそれを右腕一本で持ち、銃口を機械的な動作で鈴の眉間に向ける。
その刹那、銃口から射出せられた「鋭利な先端を持った棒状の槍のような何か」は亜光速の速さで真っ直ぐを飛び、直径一.五メートル距離三〇〇キロを轟音を立てて焼いた。
「━━━━させるかよッ」
銃口を向けられると同時に横に跳ねて一撃を避けていた鈴の姿が少女の姿をした何かの前に現れるとその頬に鋭い拳の一撃をぶち込む。
「ようは三分稼ぐか、てめえをぶち殺せばいいんだろ」
言って、ゴフと鈴の口から瀉血された血が地面に垂れる。亜光速で射出された何かは風圧だけで人体に損傷を与えたのだ。
彼女は特段驚いた顔をする訳でもなく、ただ怪訝そうな顔色を浮かべる、と一瞬にして鳥肌を起こす戦神や修羅の如き殺意に満ちた憎悪と憤怒の表情に変化させる。
「いってええええええなああああああ、悪魔の隷属如きが図に乗りやがって。ぜってえええええええええにぶち殺す!!」
「言ったよな、てめーは半殺しだってよ」