戦艦探偵・金剛~比叡の悲劇~   作:瀬場拓郎

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あの日、何が起こったか?

 五日目の朝になった。比叡は着物に着替えながら、金剛が帰って寂しいという気持ちと、ほっとしたという気持ちを胸の中でない交ぜにしていた。

「本当にこれでよかったのかしら」

 化粧台の鏡を前に比叡がつぶやく。

 比叡の顔は自分で見てもひどいものだった。睡眠不足のせいか、肌は荒れて、口元にニキビが出来ている。目の下にはうっすらと隈が出来ていて、目もショボショボとしていた。これじゃあ、心配されるのも無理はない。

 明日は………いや、お姉様が帰られたらお休みを頂こう。どの道、こんな顔ではお客様に心配されてしまう。

 寮を出て旅館へ出勤する。空はひとしきり雨が降ったせいか、からりと晴れ上がっていた。裏口から受付の方へ上がると、受付の方で準備をしていた田島が比叡に気づいて、

「あら比叡ちゃん。おはよう」

「おはようございます」

「金剛さんから言伝よ」

「姉様から?」

「ええ、十番の部屋に来て欲しいって」

 その言葉に、比叡はドキリと胸が高鳴る。

「でも、仕事が………」

「なんでも、日暮さんの事件を解明したそうよ。女将さんと宗助さん、それに刑事さんもいらしてるわ」

 田島の言葉を、比叡は半ば放心状態になりながら聞いていた。自分がどう返事したのかも分からないまま、処刑台を上る死刑囚のように、比叡は二階への階段を上って行った。あるいは本当に、これがそのまま処刑台へ続く階段になるやもしれぬ。

 いや、でも、全部バレたとは限らないじゃない。お姉様だって、失敗することはあるわ。

 そう言い聞かせながら比叡は十番の部屋の襖を開けた。障子戸の奥には既に金剛、野々江、宗助、大取警部がいた。その光景は比叡が見た夢とまるで同じである。しかし何故か五月雨の姿は無かった。

「グッモーニン、比叡」

 このときの金剛は笑っていたものの、いつものようなハイテンションな声ではなく、腕を組んで落ち着いた様子だった。

「おはようございます………」

 比叡が力なく挨拶をすると、

「では、金剛さん。あんたが呼んだのはこれで全員かね」

 大取警部が確認し、金剛が頷く。

「じゃあ、さっそく聞くが、あんたはこの事件の犯人が分かったのかね」

「イエス」

 と、金剛は言った。

「犯人はこの部屋にいる一人デース」

 全員に緊張が走った。

「そ、それは私も含めてかね」

 大取警部が何だか焦ったように言うと、金剛は笑って、

「オオトリ警部は例外デース!」

 と答えは。大取警部はほっと胸を撫で下ろす。本当は結構、小心な人なのかもしれないと比叡は思った。

「ならいったい誰なのかね」

「まぁ、落ち着いて下サーイ。それは順番に、順番に説明しマース」

 金剛はゴホン、と咳払いすると、

「まず事件の状況を整理するデース。まず八時五十分前、比叡が日本酒を持って私のところへ、そのあとすぐにヒグラシ=サンのところへビールを運んで行ったネ。しかしそのとき、ヒグラシ=サンは酔っ払って暴れ回っていたデース。同時刻、比叡の後から、ヒグラシ=サンへ会うためにノノエ=サンが、それを追ってソウスケ=サンも二階へ上がったネ。ノノエ=サンはソウスケ=サンに比叡のヘルプを頼んで一階へ戻った。そのころ八時五十分。隣のサカタ=サンが隣で大きな物音を聞いていマース。その後、比叡はサカタ=サンの母上を一階へ下ろし、ソウスケ=サンからヒグラシ=サンの介抱を引き継いだ。その直後に私と五月雨がやってきて部屋を冷やかしたデース。比叡は私たちを部屋に連れて行き、あらためてヒグラシ=サンの様子を見て手拭いを焼却炉に捨てて宴会場の片づけの方へ回った」

「日暮さんはそのあとで殺されて、階段の方へ運ばれた」

 大取警部が言った。

「そうだろう?」

 すると金剛は、

「それが最初の問題デース。果たしてヒグラシ=サンはいつ殺されたか? それがまずこの事件最初の疑問デシタ。私の考えではおそらく―――」

 そういいながら、金剛はテーブルを広縁の方へ回り込んで、

「ヒグラシ=サンは八時五十分の時点で頭に既に一撃を受けたものと思いマース」

「なんですって!」

 大取警部が驚きの声を上げた。

「おそらくヒグラシ=サンは暴れた拍子に転んで、テーブルに頭を打ち付けたネ。サカタ=サンが部屋を見に行った時に、既に障子の向こうには倒れたヒグラシ=サンがいたデース」

「ちょっと待ってください」

 宗助が声を張り上げる。

「するとあなたは、僕と比叡ちゃんのどちらかが犯人だと?」

「いえ、それは違いマース」

 比叡は首を横に振った。

「その時点であなたは、いや、あなたとノノエ=サンはこの部屋には近づいてもいなかった。あなたたちが来たのは比叡がサカタ親子と一階へ下りる途中デース。何故なら私がその後に来た時、廊下の外には空のビール瓶が置いてあったネ。もし本当にあなたたちの二人が来ていたなら、間違いなくどちらかがが気を効かせてビール瓶を引き取っていたネ。そうしたことを踏まえ、総合的に事件を考えると犯人は―――」

 比叡の頭から血の気が引いた。そうだ、確かに私がビール瓶を引き取ったのは最後の最後だ。それは板前の市川さんも見ている。

「ノノエ=サン、あなたデース」

 その一言で、比叡は横面を引っ叩かれた気分になった。大取警部も、宗助も野々江も、誰もが唖然とした表情を浮かべている。

「なっ、なっ、なっ、何を言ってるんですかお姉様! 日暮さんをテーブルに突き飛ばして殺したのは私ですよ! あの人が酔っ払って、無理やり私を………」

 比叡の自白に金剛は首を振って、

「ヒグラシ=サンが死んだかどうか、確かめたネ?」

「そ、それは………」

「比叡さん。日暮さんはね、テーブルに頭をぶつけた後、何者かに殴り殺されているんだよ。少なくとも日暮さんは一度蘇生して、自分の頭の傷を確かめている。血痕が、彼の指に付着していたんだ」

 大取警部が説明した。

「そ、そんな」

 比叡はわなわなと震えて、畳の上にへたりこんだ。

「じゃあ、なんで………」

 比叡が宗助を見上げると、宗助は手を固く握りしめて比叡から目を逸らした。

「ソウスケ=サンを責めることは難しいデース。彼は恋人と母親、二人に挟まれてちょっと辛い立場にあったネ」

 金剛が言った。

「私は当初、この事件を単純なものだと考えてたデース。ところがこの事件には動機もなく、計画性も無く、証拠も乏しいの三重苦だったネ。今言った通り、事件の発端は比叡がヒグラシ=サンを突き飛ばして気絶させたことにありマース。そしてそのあと、犯人によって改めて殴り殺されたネ。そうすると見方が変わってきマース。事件は一つではなく、二つ発生したのデース。さて、前提が色々と変わって来たところでもう一回、事件を再構成するネ。比叡は気絶したヒグラシ=サンを部屋に残し、サカタ=サンを一階へ案内したネ。その間に部屋に来たのがノノエ=サンデース。ノノエ=サンは頭から血を流して、起き上がろうとするところへ栓抜きを一撃したネ」

「凶器は栓抜きかね。しかし、現場の栓抜きからは血痕の反応は無かったぞ」

 大取警部の質問に、

「この部屋には栓抜きが二つあったデース。最初に部屋へビールを持ってきた女中と、比叡が持ち込んだ分の二つネ」

「先生ェー」

 襖が開かれて、服を泥だらけにした五月雨が現れた。

「見つけましたよぉー」

 その手には、輪っかの変形した、少しさび付いている栓抜きが握られていた。

「そんな! どうして!」

 宗助が狼狽した。

「教えてくれたのは池の鯉ネ。鯉の色合いは、餌や水中に含まれる鉄分によって変わるデース。池の中に栓抜きを隠したのは、ソウスケ=サン、あなたネ?」

「しかし金剛さん、母が日暮を殺した証拠はあるんですか? 指紋は拭き取ってありまずから、その栓抜きが誰によって使われたかは分からないでしょう」

「うーん、痛いところを突かれたデース」

 金剛は笑って、困ったように頭をかいた。

「だけど、あなたはノノエ=サンの持って行った伝票を追いかけて二階へ来たデース。少なくとも、比叡が去った後でこの部屋を最初に来た人間はノノエ=サンということで間違いありまセーン。確かに合流したソウスケ=サンがヒグラシ=サンを栓抜きで殴りつけたという解釈も出来なくもないデース。でもそうすると後の話がおかしくなりマース」

 そう言って金剛は五月雨のそばを通り過ぎ、部屋と廊下を隔てるふすまの近くへ来た。

「比叡、あなたがサカタ親子を一階へ下ろすときに、廊下に誰かいたネ?」

「いえ………」

 比叡は首を横に振った。

「するとそのとき、まだノノエ=サンとソウスケ=サンは受付のところへいたデース。ここは受付から最も遠い部屋、さっき計ってみましたが端から端まで少なくとも二十秒かかりマース。比叡がサカタ親子と下へ降りるわずかな間に、ヒグラシ=サンを殺して廊下を歩き、下へ降りるのは厳しいデース。走ってもドタドタと足音が響きマース。比叡が戻った時、部屋にはソウスケ=サンがいたデース。ソウスケ=サンは事件の発覚を隠ぺいするために、比叡は自分が殺したと思い込んで死体を階段へ運ぼうとしたネ。そのとき、思わぬ乱入者が部屋に現れたデース! それこそ私と五月雨ネ」

 金剛は出入り口のふすまから、当時の状況を再現するように再び部屋へと戻った。

「そこで二人は急きょ、死体を広縁の椅子に座らせたデース。ソウスケ=サンは自分が隠れると同時にあたかもヒグラシ=サンが生きているように見せかけるために手を動かし、比叡は恐らく手拭いでテーブルに残る血痕を拭いていた、そうじゃないかネ?」

 金剛の問いに、比叡は頷く。

「だけど、この作戦、ひどくリスキーデース。もし私がズカズカと奥へ進んで、ヒグラシ=サンの死体やソウスケ=サンを見つけていたらどうするつもりなのデショー? 現場には既に布団が敷かれていて、押し入れは空っぽデース。それなら死体を押し入れに隠して、奥に隠れてた方が簡単デース。一緒に掃除をしててもいいネ。ヒグラシ=サンはトイレにでも行ったと理由を付ければいいデース。では何故、そうしなかったのデショー?」

 金剛は比叡と宗助の間に入り、押し入れの前に立った。

「オオトリ警部、ちょっと手伝うネ」

「おう」

 金剛は大取警部と共に押し入れの下から布団を出しながら推理を続ける。

「先ほど述べたように、ヒグラシ=サンを殺して一階へ行くまでの時間はありまセーン。ではノノエ=サンはいったいどこへ行ったのデショー?」

 たがて押し入れが空っぽになり、金剛がその中へと入った。

「人が忘れ物をするときと言うのは、いつもと違った行動をした場合に起こるデース」

 そう言って金剛が押し入れから出てきたとき、その手には一枚の紙が握られていた。

「それは!」

 野々江が思わず口を押さえた。

「そう、あなたが失くしたという伝票デース。しっかりと、事件当日の日付が書き込まれていマース。あなたは私と五月雨が部屋に来た時、この押し入れに隠れていたのデース!」

「だから何なんです!」

 宗助が声を張り上げた。

「それが、母が日暮を殺したという証拠になり得ますか! 第一、母には日暮さんを殺す動機なんてないじゃないか!」

「ノノエ=サンは時折、ヒグラシ=サンからお金を無心していたようデスガ?」

「そ、それは……確かにそうですが、額は少額でしたし、それで人を殺すなんて」

「そう! それがこの事件のラストクエッションにして、ファーストの事件ネ。失礼ながら、私はヒグラシ=サンとこの珍受荘の関係を調べましタ。現在、この二つの債務関係はとっくの昔に終わっていて、ノノエ=サンがヒグラシ=サンにお金を渡す理由はナッシング! ではどうして現在位に至ってもノノエ=サンはお金を渡し続けているのかナ? 恐らくヒグラシ=サンはノノエ=サンを脅迫していたネ」

「脅迫ですって?」

 大取警部が狼狽して言うと、野々江の顔が青くなった。

「手掛かりは二つありマース。まず、ヒグラシ=サンの部屋に残されたノート。これはどうも日記のようデース。日付と共にこんな記述を見つけました。

『一九三九年 五月一日 珍受荘、裏手の庭にて大変なことが起こる。』

 この日記はこれ以降、白紙デース。どうも大変、ショッキングな出来事が起こったようデース。次に、新聞広告デース。ノノエ=サン、あなたはこの年の五月九日と、七月七日、それから十一月八日に新聞広告を出してマース。旦那様が失踪したネ?」

「ああ!」

 野々江の身体が畳の上に崩れ落ちる。

「そして何故か手の付けられていない珍受荘の裏庭、私の推理はこうデース。ノノエ=サン、理由はわかりませんが、あなたは一九三九年五月一日、旦那様を殺して裏庭に埋めたネ! そのとき、ヒグラシ=サンに見られたか、あるいは二人で共謀して旦那様を殺したか、私は恐らく後者だと考えマース。戦中のことで警察もろくに捜査できなかったとはいえ、無実を立証する証人がいなければ追及をかわすのは厳しいデース。この事件のゼロタイムはそこなのデース!」

 金剛が指をパチンと弾くと、野々江の身体が正気を取り戻したように震えた。

「ノノエ=サン、正直なところ伝票だけではソウスケ=サンの言う通り、証拠としては弱いかも知れまセーン。ですが、裏庭を捜索すればそこには十数年前の事件の確かな証拠が出てくるネ。あなたの旦那様、ソウイチ・シキシマ=サンの遺体が!」

金剛の言葉が雷のように部屋の人々を一撃した。何という事件であろうか。今の今まで自分が事件の当事者であると思っていた比叡は、この事件の全貌から比すると端役に過ぎなかったのだ。

野々江が宗助に支えられながらよろよろと立ち上がる。

「押し入れに隠れたのは、顔に返り血がかかったからです。その他は、全てあなたのおっしゃる通りでございます」

 野々江が頭を垂れた。

「母さん!」

「あとは警察署の方でゆっくりと調べるデース。さ、行くネ五月雨」

 五月雨を伴い、金剛は部屋を出て行こうとする。

「ど、どこへ行くのかね金剛さん」

 大取警部が訊ねると、

「私たちはこれでチェックアウトしマース! あとはよろしく頼むデース。ああ、あとこのノートと伝票をお願いしマース」

 金剛は大取警部に伝票とノートを渡す。

「金剛さん! あなたは比叡ちゃんを何が何でも守るつもりでは無かったの!」

 野々江の声に、金剛は背中を見せたまま、

「自分が人を殺したと思ったまま、ずっと生きる方が辛いと思いマース。今のあなたのようにネ」

 と答えて廊下の向こうへと消えていった。

 比叡は警官に立たせられ、事後従犯の容疑で逮捕されることになった。キラリと、部屋の中で手錠が光った。

 そこへ、

「手錠は勘弁してやれ」

 大取警部が渋い顔を作って言った。

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