戦艦探偵・金剛~比叡の悲劇~   作:瀬場拓郎

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来客

 午後三時から、再び比叡の仕事が始まった。予定ではまさに今から金剛と五月雨がやってくるはずである。

 二人とは除隊以来、一度も顔を合わせたことは無かった。それを言うなら、比叡はあれいらいどの艦娘とも会っていない。ただ金剛だけは、

「何かあったら言うネ!」

 と、比叡に事務所(と言っても、当時はまだ開設予定地に過ぎなかったのだが)の住所が書かれた名刺を渡してくれたのだった。

 探偵事務所など、この日本で本当に需要があるのだろうか? そう心配していた比叡であったが、読者もご存知の通り比叡の活躍は全国紙の新聞に載るほど名だたるものであり、つい最近も東京の資産家から盗まれたダイヤモンドを取り戻して表彰されてと言う記事を読んだばかりだ。ミーハーな同僚も、やってくる宿泊客ですら挨拶代わりに金剛の話をするという有様で、比叡はそんな姉が誇らしいと同時に、自分がそんな姉の妹で何だか恐縮してしまうような、複雑な気分になるのだった。

 だから、金剛に暑中見舞いのハガキを送って、返事が返ってきたときは自分から誘っておいて驚いてしまった。

 お姉様、私のことをやっぱり気にかけてくれていたんだ。

 そう思うと、比叡は背中がしゃんとする気分だった。

 一方で、五月雨が金剛の助手をしていることがちょっと意外だった。あの二人が特別、仲が良かったという記憶は比叡の知る限りでは無かった。それに五月雨は除隊する前に、客船の乗務員に就職が決まっていたはずだ。いったい、どういう経緯で金剛の助手をするようになったのだろう?

 まぁ、それは直接聞いてみればいいか。

 気を取り直して比叡が玄関口で客を待っていると、道路から一台のタクシーがやってきた。後部座席に座っているのは、一人でどうやら金剛ではないらしい。

 ちょっと残念だが、当然、顔には出さない。比叡はタクシーに向かって笑顔でお辞儀をした。

 すると車の中から肥満体の男が姿を現した。髪は少々禿げ上がっていて地肌がうっすらと見える。太い黒縁の眼鏡をかけていて、肌は浅黒いが日焼けと言うよりも病的な感じだった。ワイシャツと黒いズボンを履いていて、腰に巻いたベルトはなんだか今にもはち切れそうだった。

 タクシーから荷物を出して、首にかけた手拭いで顔を拭き拭き、男は向かってくる。

「いらっしゃいませ!」

 男が玄関口へ上がる。比叡はスリッパを出して、男の靴を揃えた。それからふと、受付を見ると、野々江が男の顔を見て表情を固くしているのが見えた。

「やぁ、久しぶりだね野々江さん」

 男が言った。傍から聞いてもねっとりとした、何だかいやらしい声だった。野々江は表情と同じく固い声で絞り出すように、

「ええ、そうですわね。日暮さん」

「何だぁ、つれないな。そういえば、宗助くんが復員してきたんだってね。最後に会ったときは、十二歳くらいだったが、月日が流れるのは早いねぇ………」

「今日は何の御用かしら?」

「部屋は空いているかい?」

「ええ」

「じゃあ、一泊させてもらうよ。積もる話もあるしね」

 そこへ宗助がやってくる。

「やぁ、宗助くん!」

 日暮が宗助へ向かって手を挙げて挨拶した。

「復員おめでとう! 覚えているかな? 君のお父さんの友達だった日暮恭平だよ」

 宗助は一瞬、ポカンとした後で思い出したように、

「日暮さん………」

 と、野々江と同じくやや固い表情で答えた。

「宿の景気はどうだい? 傷病兵の慰安施設に指定されて、がっぽりと儲かったんじゃないか?」

「比叡、日暮様を十番の部屋へお連れして」

 野々江がぴしゃりと言って、比叡は背筋をぴしゃんと伸ばした。

「はっ、はい!」

 比叡は慌てて返事をすると、

「鞄をお持ちします」

 と、日暮の持っている黒皮の鞄を手に取った。

「おや、悪いねぇ」

 日暮はそう言いつつ、嫌らしい笑みを浮かべた。

「じゃあ、お二人とも、後でね」

 捨て台詞を残して、日暮は比叡と共に二階の隅にある十番の部屋へと向かった。そこは受付から最も遠く離れた部屋で、比叡は何となく日暮を遠ざけておきたいという野々江の心理を感じた。

「ところで、君はこの辺では見たことない顔だね。新入りさんかい?」

「はい」

「ふぅん」

 比叡は男が背後から自分の体を上から下まで舐めまわしているような視線を感じた。こういう客は初めてではないが、日暮には底意地の悪い、性根の濁ったようなものを感じて比叡は何だか恐ろしかった。

 とっとと案内して逃げてしまおう。

 そう思って日暮は少々足早に十番の部屋へ向かい、扉を開けて荷物を置いて失礼した。部屋を後にしようと振り返ると、

「ふふ、一晩だけどよろしく頼むよ」

 日暮にそう言われながら尻を撫でられ、比叡は背筋がぞっとするような思いで、

「しっ、失礼いたします!」

 と、部屋を後にした。日暮の手の感触をかき消そうと、尻を摩りながら、比叡は泣きそうになりながら受付へ向かった。

 もう、なんなのあの人!

 廊下を歩いていると、同じく女中の田島がいた。田島はこの温泉宿で、野々江が女将になる前から働いていた古参の女中だった。さすがに寄る年波には勝てず、布団を運んだり、配膳は比叡などの若い女中に任せているが、忙しい女将に代わって女中に指示を出したり、掃除をしたり、道具の管理なんかを任せれている。

 田島は比叡をみるなり、

「やっぱり日暮様ね」

 と、ため息を吐いた。やはりあの日暮と言う男はこの旅館と何か因縁があるらしい。

「いったい、何なんですかあの人」

 比叡が小声で田島に訊ねた。いつもなら客の悪口を許さない田島であったが、今回ばかりは別らしかった。困ったような顔で床を見つめて、

「あの人はねぇ、この宿のパトロンなのよ。正確にはあの人のお父さんが出資したのだけれどね。戦争が始める前、世界恐慌があってこの温泉宿の経営が悪くなってた時期があってねぇ。そのときの旦那様が方々に当たってようやくお金を貸してくれたのが、日暮恭介と言う、今やって来た恭平様のお父様なの」

「え? ということは珍授荘はあの人に借金があるということですか?」

「ええ、まぁ、そういうことになるわね。先代の恭介さんはおおらかな人で、宿の経営状態が良くなるまで返済を待っていてくれてね。特に返済期限なんか決めずにいてくれて、おかげで前の旦那様の代で大部分は返し終えたのだけれど、恭介さんが亡くなられて恭平さんに債権が移ると途端に返済を迫るようになったのよ。返済と言っても、全額を一気に返せという風でもなく、思いついたように数年ごとにやってくるのよ。ここ最近は、この宿が療養施設に指定されたこともあって近づかなかったようだけれど、聞くところによれば日暮家もあの人が旦那になってだいぶ、経営状態が芳しくないらしいわ。おおかた、家にお金が無くなったからこうしてチマチマとはした金を絞りに来たのよ、きっと」

 田島が珍しく吐き捨てるように言うと、途端に我に返ったようになって、

「いけない私ったら。部屋を見回る途中だったのに。ごめんなさいね比叡ちゃん。何だか引き留めちゃって」

「いいえ、いいんですよ」

 そう言って階段を下りて、ロビーへと向かった。

 すると、

「ヘーイ! 私の名前は金剛! こっちのちんちくりんは五月雨デース!」

 という心底能天気な声が玄関から響いた。比叡が階段を降りると、そこにはロビーの受付に向かう金剛と五月雨の姿があった。

「いえ、ですからこちらの台帳に名前のご記入を………」

 野々江が困ったような笑顔を浮かべて、クリップボードに留められた台帳を差し出す。

「オー、ソーリー」

 金剛はペンを取って、台帳に名前を記入する。

「お姉様! 五月雨ちゃん!」

 比叡が声をかけると、金剛も比叡に気が付いたようだった。

「ワオ! 比叡!」

 二人は近づいて抱き合った。

「本当に久しぶりダヨ! 全く!」

「ひえええ、すいませんお姉様」

 そう言いながら、比叡は言った。金剛から体を話すと、自分が泣いていることに気が付いた。

「お久しぶりです比叡さん」

 五月雨がペコリとぎこちなくお辞儀をする。

「うん、本当に久しぶり」

 比叡が涙を拭うと、

「比叡、金剛様を一番の部屋に案内して差し上げて」

 と、野々江が言った。それから比叡の肩にそっと手を置いて、

「少しくらいならお姉さんとゆっくりしてていいわ」

「ありがとうございます」

 比叡はそう言って金剛と五月雨の荷物を持ち、

「さ、着いてきてください!」

 比叡が言うと、金剛は、

「イエーイ! 縦隊陣形で行進デース! ヨーソロー!」

 と腕を振り上げた。

「先生、他のお客さんに迷惑ですよ」

 五月雨が慌てて窘める。

 金剛と五月雨の来訪により、比叡は日暮が振りまいた黒い瘴気は跡形もなく消し飛んでしまった。

 

 

 野々江が金剛と五月雨にあてがった一番の部屋は、文字通りお風呂もトイレも近い一番いい部屋だった。

「遠いところからお疲れになったでしょう?」

 荷物を下ろして比叡が三人分のお茶を淹れる。

「ええ、まぁ」

 五月雨がぐったりとした様子で答えた。一方、金剛は広縁の窓を開けて、

「いい景色デース!」

 と、窓の向こうに広がる雄大な飛騨山脈の前で仁王立ちした。明かりを点けてはいるが、窓から日差しが差し込むと相対的に部屋の中が暗く感じた。逆光の中で金剛の暗いシルエットが浮かんでいるのが、比叡にはこの上ない風情に感じられた。

「お姉様、お茶が入りましたよ」

「サンキュー」

 金剛が身をひるがえして机へ戻ってくる。比叡は金剛と五月雨にお茶と茶菓子をすすめた。

「変わったお菓子ですね」

 五月雨が白い長方形の菓子を明かりに透かして言った。

「富山の銘菓、月世界です」

「ふぅん」

 五月雨が齧ると、白い粉が口元から飛んだ。

「ところで、お二人はどうやってここまで来たんです?」

 比叡が訊ねた。金剛が答えるところによれば、東京駅から新潟までだいたい上越線を上り、昨日は群馬で一泊したという。その後、上越線から宮内駅で信越本線に乗り換えて富山市へ辿り着き、そこから上滝線と立山線を乗り継ぎ、タクシーでここまで来たのだという。東京から群馬まで十一時間、そこからここまで九時間近くの長旅だった。

「あと少しで戦艦じゃなくて鉄道になるところだったデース」

 金剛がそんな冗談をいいながらお茶を啜って、月世界をかじった。

「鉄娘ですか。何だかいそうですね」

 五月雨が口をモグモグさせながら言った。

「いそうって、どういうこと?」

 比叡が訊くと、

「いえ、別に」

 と五月雨はお茶を飲んでその場を濁した。

「しかし比叡が旅館の女中デスカー」

 金剛は机に肘をついて比叡を面白そうにジロジロと見た。

「何か変でしょうか?」

 襟足を指で触りながらドギマギとしていると、

「ノー、そんなことないデース。とっても似合ってマース。問題はどうしてこの旅館で働こうかと思ったかデース」

「そうですね………」

 比叡は遠い目をして、ポツリポツリと話し始めた。

 

 みんなが海軍を除隊して、就職していく中で私は自分がどんな仕事をやりたいのか、よく分かりませんでした。というより、今、決めていいのかと思いました。私たちは太平洋の色々な場所で戦いましたが、日本へ帰って地図を眺めていると、実際には日本のことさえ何も知らないような気がしたのです。しばらく日本を回って、色々なものを見たり聞いたり食べたりしてからでも遅くはないんじゃないかと。

 ここへ来たのは、ちょうど九州の方から適当に電車でふらりと立ち寄っただけのことでした。地図を頼りに宿を探している内に、ここへ辿り着いたのですがそこは傷病兵の療養施設に指定されていて、帰ろうかと思った矢先にここの女将から働かないかと打診を受けました。

 ま、路銀も少しばかり減っていたしアルバイト感覚で最初は始めたのですが、みなさんのお役に立つ内に居場所が出来てしまって、こうして人の役に立つものいいかなぁ、なんて思えるようになってきました。

「まぁ、要するに色々と遊び回っている内にここへ辿り着いて、いつのまにか働くようになってしまったということなんですけどね」

 色々と見て回りたいと言っておきながら、結局は地方の旅館の女中に行き着いてしまったあたり、自分の浅はかさを呈したようで比叡は自分から話しておいて気恥ずかしさを覚えた。しかし金剛は首を横に振って、

「そんなことないネ。遠回りのように思えても、それは比叡が安易な結論に飛びつかずに、最後まで考え抜いた結果デース。なかなか普通の人には出来ないことダヨ」

「そうです。私も立派だと思います。何より、今の比叡さんは何か、その、前よりもずっと綺麗で女らしいというか………」

 五月雨が言うと、金剛は口元を怪しく歪めて、

「さては恋人でも出来たネ?」

「ヒエッ」

 比叡は思わず短い悲鳴を上げて、

「いっ、いやですよぉ、お姉様。私はそんな」

「誰です? 誰です?」

 五月雨までもが目を輝かせ、テーブルに手を突き身を乗り出して聞いてくる。

「だっ、駄目です! これ以上は駄目! 下手したらクビになっちゃう!」

 そう言って比叡は慌てて立ち上がると、逃げるように扉の方へ向かって、

「それじゃあ、お二人共、ここの温泉は心地いいですよ! 是非、ゆっくり入ってきてください!」

 と言い残して去っていった。

「あっ、逃げたぁ!」

 五月雨の声を背中に、比叡は顔を赤くして受付へ戻った。三十六計逃げるにしかず、金剛の推理を逃れるにはこれが一番いい方法だった。

 

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