戦艦探偵・金剛~比叡の悲劇~   作:瀬場拓郎

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起こる悲劇

 それから客が何人かやってきて、珍授荘は今日もすぐに満室となってしまった。特に今日は団体の客が宴会にやってくるから、夕方になると比叡は同僚の女中と共に宴会場の準備やら夕食の準備もしなければならない。その合間を縫って、客室で布団を敷いたりしなければならなかった。

 また、今日は宴会の予約が事前に入っていたにも関わらずビールなどのお酒は、酒屋の事情で仕入れが遅れているようだった。比叡がやきもきして待っていると、なんとか五時半には到着した。女将の野々江にも手伝ってもらって、五ケース分の瓶ビールを業務用冷蔵庫へ入れると、比叡はほっと一息つくの束の間で、すぐに部屋へ夕食を配膳しなければならない。

 ただ、また金剛と顔を合わせることが出来ることを考えると、体にいくぶん活力がみなぎってきた。

 立ち上がって両手を握りしめ、気合いを入れなおす比叡を見て、女将は、

「さすが若い人は違うわ………」

 と、感心したような呆れたような声を上げた。

 さっきの会話は忘れてくれているといいけれど。

 夕食の配膳盆を抱えて、比叡は金剛の部屋へ向かう。

「金剛様、夕食をお持ち致しました」

 つい、いつもの癖で『様』を付けて声をかけてしまう。

「どうぞ」

 という五月雨の声に、比叡は扉を開ける。

「何だ、比叡さんじゃないですか。余所行きの声だったから気づきませんでした」

 五月雨が驚いたように言うと、金剛も、

「金剛様なんて水臭いネ」

 と言った。二人とも浴衣姿で髪が濡れている。どうやらついさっきまでお風呂に入っていたようだった。

「いやぁ、つい癖で」

 比叡がペコペコしながら言うと、金剛は微笑んで、

「冗談デース。比叡がちゃんと旅館の女中をしていて安心したネ」

「ははは………それじゃあ、ご夕食の説明に入らさせて頂きますね」

 比叡がお品書きを説明し終えると、金剛と五月雨は、

「いただきまーす」

 と、よっぽどお腹が空いていたのか食事にがっつき始める。

「もう、ゆっくり味わって食べて下さい。今日は料理長の市川さんが腕によりをかけて作ったんですからね」

「おいひいでふ」

 五月雨がご飯を口いっぱいに頬張って言った。

「ああ、もうご飯粒がついてるわよ」

 比叡が五月雨の口元についたご飯と取ってやった。

「そういえば、お姉様はどのくらいここへお泊りになられるのですか?」

 五月雨から予約の連絡を受け取ったのは野々江だった。だから比叡は、金剛たちが泊まりに来るとは知っていても、詳細な宿泊日数までは知らなかった。

「だいたい五日を予定していマース」

「このところ、ずっと仕事でしたからね」

 五月雨が言った。

「先生をのどかな場所でゆっくりと静養させてあげたいんです。実は先生、ちょっと前に過労で倒れてしまったんですよ」

「過労で倒れ、って! 大丈夫ですか? お姉様!」

「心配することないネ比叡。ただちょっと四日くらい寝るのを忘れて考え事をしていて、ふっと目の前が暗くなって気が付いたらベッドの上にいただけヨ」

 いや~、あれは驚いたデース、と笑いながら言う金剛に比叡は、何だか凄まじいものを感じた。

「すいません比叡さん。私が寝る前と、寝た後でずっと同じ姿勢を取っているからおかしいとは思ったんですが、まさか寝てないとは思わなくて」

「同じ姿勢………」

 関節とかバキバキになりそうなんですけど。

「まったく、ちょっと目を離すとすぐそうなんだから」

「ちょっと目を離すとすぐ………」

 すぐ四日ぐらい不眠不休で考え事を?

 比叡の知る金剛は、それはとても頭が良くて変わってはいるが、鎮守府にいたときはそこまでの無茶はしなかった。

 自分のように、探偵と言う職業もまた、お姉様を変えていったのかしら?

「五月雨ちゃん!」

 比叡は五月雨の肩を掴んでガクガクと前後に揺すりながら、

「お姉様をお願いね!」

「はわわわわ、大丈夫ですよ。最近は私がちゃんと先生が寝ているかどうかを確かめてから、寝ているようにしてますんで~」

 五月雨がそう言うと、金剛は、

「うふふふふ」

 と、怪しい笑みを浮かべて、

「ベッドに入って目を瞑ってるだけで、本当にこの私が寝ていると思って―――」

 しかし比叡がキッと睨みつけると、そのまま押し黙ってしまった。

 

 八時を過ぎて、比叡は宴会場へ料理やお酒を運んだり、客室のお膳を下げたりしていた。この峠を越えれば、今日の仕事はおしまいになる。あとは宴会場の片づけが残っていた。あらかた料理もお酒も運んでしまったから、宴会の終わる九時ごろまでは一息つけるだろう。

 最後の料理を運び終えた比叡がロビーに戻ると、野々江が電話で話しているのが見えた。どうやら宴会場の客を送迎するためにバス会社へ連絡を取っているらしかった。

 野々江はロビーの比叡を見つけると、

「ああ、比叡。丁度良かったわ。一番の部屋に日本酒を徳利で、十番の部屋にビールを持って行って差し上げて」

「はい、わかりました」

 一番と十番か、金剛お姉様の部屋と、日暮様の部屋ね。

 はぁ、とため息を吐いて比叡は調理場から日本酒の入った徳利とビール、それから瓶を開けるための栓抜きを取って、まずは金剛の部屋へと向かった。

「金剛様、お酒をお持ち致しました」

 比叡がそう言って部屋へ入ると、

「わぁ、ヒエーさんだぁ」

 と、既に顔を赤くして出来上がった五月雨が畳の上を転がっていた。浴衣がめくれ上がって、白いパンツが丸出しとなっている。

「駆逐艦五月雨、抜錨しま~す」

 そういって五月雨はご機嫌な表示で畳の上を這った。テーブルの上には既に空となったビール瓶が二つ転がっている。

「さ、五月雨ちゃん!」

 比叡が驚くと、

「あー、五月雨? ここは陸地ネ?」

 畳の上を這いまわる五月雨を、金剛が羽交い絞めするように抱え上げて座布団へ座らせた。

「えへへ~間違えちゃいました~」

「あーソーリー、比叡。五月雨ってば、酔っ払うとすぐこうなるネ。ああ、お酒はそこへ置いといてヨ」

「駄目です」

 比叡が徳利を隠すと、

「ノー、比叡。五月雨には飲ませまセーン。それは私の分デース」

 比叡はしばらくジッと金剛を睨んでいたが、

「もう、飲み過ぎないで下さいよ」

 と、渋々とテーブルの上に徳利を置いた。

「ヒエーさーん、私と飲みましょうよぉ」

 五月雨は再び座布団から這うように比叡に近づいてくる。その様子は軟体動物を連想させて滑稽であった。

「駄目よ、私はこれから十番の部屋のお客様にビールをお持ちしなければならないんだから。お姉様も、ほどほどにしてくださいな」

 比叡は空いたビール瓶を下げて、次に日暮の部屋へ向かった。日暮の部屋の前には、既に二本ほど空になったビール瓶とその蓋が置かれていた。金剛の部屋に置いてあったビール瓶をその脇に置いて、

「日暮様、ビールをお持ち致しました」

 比叡が呼びかけると、

「いいぞぉ、入れぇ!」

 機嫌のいい声が襖の向こうから聞こえてきた。

 比叡が襖を開けると、テーブルの傍に座りながら煙草を吸う日暮がいた。

「もう無くなっちまったぞ~」

 空っぽのコップを振りながら、日暮が言った。

「はい、ただいま」

 比叡は襖を閉めて部屋へ上がり、ビールの栓を抜いて日暮の持つコップに注ぐ。

「いやぁ、今日は暑いからビールがおいしいよ」

 日暮はそう言って、泡立つビールを美味そうに口へ運んだ。

「あまり飲み過ぎないでください」

 営業スマイルを全開にする比叡であったが、日暮の醸し出すどこかねっとりとした妖気に口角を引きつらせた。テーブルには既に誰かが持ってきていた栓抜きがあった。比叡は持ってきた栓抜を握ったまま、ビール瓶をテーブルの上に置いて部屋を出ようと立ち上がった。

 すると、

「何だよう、もう行くのかい」

 日暮が比叡の着物の裾を掴んだ。

「ヒエッ!」

 突然のことでバランスを崩す比叡だったが、何とかたたらを踏んで踏みとどまる。手にしていた栓抜きが、ゴトンと畳の上に落ちた。

「もうちょっとゆっくりしていけよう」

 比叡の腰回りに日暮が抱き着いた。

「やめて下さい!」

 比叡がそれを突き飛ばした。

「あだっ!」

 畳の上に尻もちをつく日暮。しかしすぐに仄暗い情念を目に宿らせて、比叡を睨みつけた。酒が回っているせいか、元々そう言う性質なのか、自分の思い通りに行かないとすぐに癇癪を起す彼の幼児性が、火山から噴き出すマグマのように噴出した。

「このアマ!」

「きゃあ!」

 比叡に飛びかかる日暮であったが、肥満体の体格から来る鈍重な動きに、彼女はひらりと身をかわす。そしてついに二者はテーブルを挟んでジリジリと回りながら、動物のように睨み合うこととなった。

 だがいつまでもこんなことはしていられない。

 比叡は、今では日暮の後ろになってしまった、出口の襖を見る。このままテーブルを回って外に出て、誰かに助けてもらおうと考えた。

 そのとき、日暮がテーブルを踏んで、一直線に比叡に飛びかかった。

「うがあ!」

「ひえええ!」

 日暮に組みつかれる比叡だったが、とっさに艦娘時代に習得した格闘術を発揮して、両手で頭を押さえて引きはがし、足を払った。技は上手く決まった。しかし場所が悪かった。日暮の軸足はこのときテーブルの奥に敷かれた布団を踏んでいたのだが、比叡に足を払われてそれが勢いよく滑ったのだ。

 結果、日暮はその巨体を大きく空中で回転させ、ドカンと大きな音を立ててテーブルの角に頭を打ち付け、ゴロンと転がって畳の上にうつ伏せとなった。

 比叡はほんの数秒間、日暮へ技をかけた体勢で固まっていた。やがて日暮が一向に動き出さない日暮を見て、

「ちょっと、日暮さん」

 と、声をかけた。

「日暮さん?」

 肩を揺すってみたが、返事がない。やがて首筋から血が垂れてくるのが見えた。

「ひっ!」

 悲鳴は短く悲鳴を上げて布団の上に尻もちをつき、後退った。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

「ねぇ、ちょっと!」

 殺しちゃった、殺しちゃった、殺しちゃった!

「おーい!」

 そこで比叡は部屋の外から聞こえてくる声に気が付いた。

「何をどんちゃかやってるんだ。うるさいぞ!」

 比叡は立ち上がって素早く着物を直し、部屋を出て日暮の死体が見えないように障子をしめると、何食わぬ顔で部屋を出た。そこには三十代くらいの男が、憮然とした表情で立っていたが、比叡の姿を見ると意外そうな顔をした。

「申し訳ありません。どうも悪酔いしてしまったようで、今しがた静かにさせたところです」

 すると男は、

「そうですか。酒癖の悪い奴はどこにもいるもんだ」

 と、腕組みした。

「そうだ、君、ちょうどいいところにいて下さった。これからうちのおふくろを、風呂に入れてやろうと思っていてね。ちょっと手伝いを頼めませんかね?」

「え?」

「何せうちのおふくろは最近、ちょいと足が悪くてね。それでここへ湯治に来たんだよ。何でもここの温泉は足によく効くっていうじゃないか」

 確かに珍授荘の温泉は、足にいいと近所からも温泉だけ入りに来る客が多かった。特に露天風呂は混浴となっており、男の人が年老いた両親を介助しながら入ることが出来た。

「はぁ」

 と、比叡が生返事をすると、

「別に風呂まで来て欲しいとはいいませんよ。階段のとこまででいいから。いやね、本当は一階の部屋が良かったんだけど満室って言うじゃありませんか。あんたのとこの女将さんだって、階段を使うときは遠慮なく申し付けて下さいと言ってたし………」

 ど、どうしよう。

 比叡の脳裏に、部屋でうつ伏せに倒れた日暮の姿が浮かんだ。あれを放っておいて、この人に付き合ってもいいのだろうか? 仕事があるので代わりの者を寄越しますと誤魔化そうか? いや、それで再びこの部屋に戻るのも不自然だ。だけど隠したところでどうなるの? ああ、どうしよう、どうしよう!

「わかりました」

 比叡は笑顔で男へ返事をした。自分でもびっくりするくらいに自然な声だった。

「ありがとうございます。おっかぁ!」

 男が呼ぶと襖が開いて、少し腰の曲がった老女が風呂敷包みを手に、杖を突きながらゆっくりと部屋から出てきた。その首には旅館の名前が刺繍された手拭いがかかっている。

「聞こえてるよぉ、まったく」

「荷物は俺が持つから」

 男が襖を閉めて、老女に言った。すると老女は男に杖を差し出した。

「杖じゃないよ、風呂敷だよ」

 そう言うと老女は、

「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」

 と笑った。どうも彼女なりの冗談らしい。

 男と共に、比叡は老女を支えて階段を下りる。

「ありがとうございました」

 男が頭を下げる。比叡は両手を振って、

「いいえ、いいんですよぉ。一階の部屋を用意できなかった私たちが悪いんだし」

「おっほっほっ、よく見ると別嬪さんやなぁ。どれ? うちの息子の嫁に来てくれんか?」

 老女が言うと、比叡は顔を赤くして、

「い、いえ、私は!」

「おっかぁ、俺はもう結婚してっから!」

 男が慌てて言うと、老女は、

「そうけぇ?」

 と、首を傾げる。

「一緒に家に住んでるだろぉ?」

「じゃあなんでここにはいねぇんだ?」

「親父さんが危篤で実家へ帰ってんだろぉ?」

「そうだったけ? そうだったかもしらん。そんじゃ、女中さん、孫の嫁にでも―――」

「孫は娘しかおらんだろぉ!」

「たはは………じゃあ、私はこれで」

 さすがに苦笑しながら、比叡は逃げるように階段を上って二階へ向かった。

 でも、二階にはあの死体がある。

 それでも、今一度、現実と向き合うように比叡は再び日暮の部屋の襖を開いた。部屋へ続く障子を開けると、そこには宗助が立っていた。

「はうっ!」

 比叡は驚いて口元を押さえる。

「比叡ちゃん、これは………」

「違う、違う、そんなんじゃないの。その人が酔っ払って飛びかかって来たから、私、私、突き飛ばしちゃって」

 比叡が崩れ落ちる。宗助は彼女に近づいて、優しく抱きしめた。

「分かってる」

「殺す、殺っ、殺すなんて、うう………」

 比叡は宗助の胸に顔を埋めて泣き始めた。その間、宗助は比叡の髪に頭を埋め、背中を優しく撫で続けた。

 しばらく泣き続けた比叡は、多少、落ち着いてきて宗助の胸から顔を離し、

「私、警察に捕まるのかな?」

 と訊ねた。

「いいや、捕まらないよ」

 宗助は比叡のまつ毛に貯まった涙を人差し指で拭った。

「え?」

「誰も捕まらない。こんな奴のために、誰も捕まる必要なんか無いんだ」

「何を言っているの?」

 比叡が宗助の顔を見上げて言った。

「死体を階段のところへ運ぶんだ。事故に見せかければいい。酔っ払って、階段を踏み外しようにするんだ」

「そんな!」

「じゃあ、君はこのまま警察に逮捕されてもいいのか?」

「それは………」

 比叡は困ったように顔を伏せた。頭の中がグルグルと混乱していて、上手く考えがまとまらなかった。捕まりたくはない、だけどそんなことをして許されるのか? ばれたら余計に罪が重くなるのではないか? しかしここで捕まれば、今までの生活を手放さなければならなくなる。きっとこの旅館ではっもう働かせてもらえなくなるし、宗助とも会えなくなる。きっと金剛も自分のことを軽蔑するだろう。

 するとそのとき、

「ヒエー、ヒエー!」

 バンバンバン、と誰かが部屋の襖を叩いた。

「いるなら返事をするデース! ヒエー!」

 金剛お姉様! え? いや、何で?

 比叡が混乱している一方、宗助の行動は素早かった。

「比叡、死体を広縁の椅子に座らせるんだ!」

 宗助は死体を仰向けにして、両脇の下に手を差し入れた。

「ほら、足を持って!」

「ヒエー! 入るヨ? ヒエー?」

「ちょっ、もう少しお待ちくださいお姉様!」

 急いで比叡もテーブルを回り込んで日暮の足を掴んだ。

 日暮の肥満体は二人がかりでも相当な重量があった。それでも何とか広縁の椅子に座らせた。

「それで、宗助さんは?」

「僕はここに隠れているよ」

 と、宗助は障子をずらして死体の頭と自分の姿を見えないようにした。

 あとは何かあるかしら?

 比叡が周りを見渡すと、テーブルの隅に日暮の血痕が付いているのが見えた。

「ヒエー、もういいネ? 入るヨ?」

「ちょっと!」

 金剛が日暮の部屋に入るのと、比叡が長押にかかったハンガーから濡れた手拭いを取るのはほとんど同時だった。

「ヒエー!」

 金剛が部屋に入ってくる。

「ちょっとお姉様、他のお客さんのところに入ってこないで下さい!」

 手拭いで血痕を拭きながら、比叡が注意した。

「うーん」

 金剛は立っているのもどこかおぼつかなく、右へ左へフラフラしている。だいぶ酔いが回ているようだ。ここへ来たのもそのせいだろう。

「ヒエーさーん、えへへへ」

 廊下の向こうでは五月雨が四つん這いで笑顔になっているのが見えた。

 最悪だ。

「す、すみません日暮様」

 自分が落ち着くためにも、比叡はまるで生きているかのように広縁にいる日暮の死体に謝罪した。すると、日暮の右手が「気にしてないさ」というように動くではないか。比叡は一瞬、ドキリとしたが何と言うことは無い。宗助が機転を利かせて動かしたのだ。

 あらかた血痕を拭き終えた比叡は、手拭いを血が見えないように畳んでテーブルの下へ置いて立ち上がり、

「ほらほら、外へ出て」

 と、酔っ払った金剛を廊下の向こうへ押しやった。

「まったく、いったい何の用ですか? 御用がおありでしたら、受付までお願いします!」

「ヒエーと一緒にお酒が飲みたいデース!」

 金剛がそう言って比叡にしだれかかった。吐く息がアルコール臭い。

「私はまだ仕事中です!」

 そう言って比叡は金剛の額を軽くチョップした。

「あたっ」

「金剛、ブリッジに被弾! 五月雨、援護射撃に入りまーす!」

 そう言って床を這いつくばる五月雨が、比叡の足首をぺちぺちと叩いた。

「いい加減にしなさい!」

 比叡は割と本気で五月雨の頭頂にチョップを叩き込んだ。

「あでっ」

「とにかくお二人とも、部屋に帰ってもらいます! 酔いが冷めるまで部屋からでちゃ駄目ですよ!」

 比叡はそう言うと、酔っ払って立てないでいる五月雨を背負い、金剛の手を引いて一番の部屋へ行き、二人をそれぞれの布団へ寝かせた。比叡が先ほど運んだ日本酒は既に空っぽになっていた。

 酔いが回りに回ったのか、二人は布団の上ですっかりおとなしくなっている。

 まぁ、しばらくは大丈夫でしょう。

 比叡は空になった日本酒の瓶を引き取って、裏口の方へ向かった。すると玄関口の方で、野々江と担当の女中がが宴会場の客を送り出しているのが見えた。比叡も若い男と目が合うと、にっこり笑って会釈をした。それだけで若い男は得をしたような顔になって、同僚らしい男に引きずられながら玄関口の方へ向かって行った。

 裏口のケースへ空になった日本酒を置き、比叡は再び日暮の部屋へ戻る。

「宗助さん? いる?」

 比叡が呼びかけると、

「いるに決まっているとも。随分と遅かったじゃないか」

 宗助が広縁の障子から姿を現した。日暮の死体もまだ椅子に乗っかったままだ。

「あの二人は?」

「部屋へ送りました。大丈夫だと思います」

 宗助は額の汗を拭いながらふぅ、と息を吐いて、

「君も酔っ払ったあんな風になるのかい?」

「まさか………」

 比叡の言葉には自信が無かった。

「まぁいい。こいつをさっさと階段の下へ運んでしまおう」

 そう言って宗助は日暮の両脇に両手を挟んで抱え上げる。

「ほら、足を持って」

「うん」

 比叡が日暮の足を掴む。二度目だからあまり抵抗は感じなかった。夏場だからだろうか、日暮の体にはまだ温もりが残っているように思える。

 宗助を先頭に、出入り口の襖へと進む。

「ちょっと待ってくれ。人が来ないか確かめてくる」

 宗助が死体を置いて、入口の襖から首を出して廊下を覗き込んだ。

「よし、大丈夫そうだ。ここから素早くだぞ」

 比叡たちは死体を抱えて左手の、露天風呂へと続く階段を降りる。

「よし、ここでいい」

 踊り場のところで宗助と比叡は位置を変え、死体の足が下を向くように置いた。宗助は丁寧に後頭部の傷と、階段の角を合わせる。それから転落したらしくみせるために、浴衣の裾をそれっぽくはだけさせた。

「よし、誰にも見つからない内にここを離れよう」

 宗助は比叡の手を引いて、二階へ上がった。周囲に人の気配はない。

「君が金剛さんを部屋に案内している間に、部屋は片づけて置いた。証拠はこれぐらいなもんさ」

 そう言って宗助は浴衣の袖から丸まった手拭いを取り出した。比叡が日暮の血痕を拭いたものだった。

 比叡は宗助の言葉を上の空で聞いていた。だが、日暮の部屋の前を通り過ぎようとしたとき、

「いけない」

 ビール瓶の空き瓶を回収する。

「そうだね、君は日暮様の部屋に来たんだから」

 宗助は頷いて、

「ここからはいったん、別行動を取ろう。なるべく、あの階段には近づかないように。第一発見者は怪しまれるっていうし」

「手拭いはどうするんです?」

「焼却炉に放り込んでおくさ。もし………まずないとは思うけど、紛失した理由を聞かれたら、日暮さんが粗相したものを拭いたのでそのまま捨てたと答えればいい」

 それから宗助は事務室へ、比叡は空のビール瓶を裏口の捨て場へ運び、何食わぬ顔で宴会場の片づけへ合流した。

 日暮の死体が見つかったのは、それから三十分後のことであった。

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