「それで、発見したのはあんたかね」
角刈りの、背広を着た年配刑事が、先ほど比叡が会った男に質問した。
「はい」
「私も一緒に見つけたよ」
隣にいる老女も言った。すると刑事は努めて優しい声で、
「お母さん、お母さんは部屋の方で待っていてください」
「息子は犯人じゃないよ。きっとあの人は階段で滑って頭を打ったんだ。私も階段からあんな風に落ちたことがあるから分かるんだ」
「ええ、分かってます。別に息子さんを逮捕しようってわけじゃありませんよ。これも事務処理上の問題でね、ちょっと話を聞くだけなんです。すぐに済みますから。誰か、この方を部屋までお連れしてあげてくれ」
「あっ、はい!」
宿泊客や同僚と、遠巻きに様子を見ていた比叡が手を挙げた。人垣をかき分けて、老女の手を掴む。それから近くの階段を上ろうとして、
「ああ、そっちはまだ現場検証中だ。すまんが向こう側の階段を使ってくれ」
刑事が受付近くの階段を指さす。
「はぁ」
比叡が踊り場の方を向くと、制服を着た警官が写真を撮っているのが見えた。
救急車の到着も遅れていると聞いたし、まだ死体はあそこにあるのだろうか?
そう思った途端、比叡は死体を運んだときの生々しい感触を思い出して急に吐き気がしてきた。老女の手を引いて、人垣の中へ埋もれようとしたとき、
「おい、あんた! 勝手に入って来ちゃだめだよ!」
という警官の声と、
「むーん!」
という聞き覚えのある唸り声が聞こえた。
「何だ何だ、一体どうした」
刑事が階段を上る。比叡も老女の手を放して後に続いた。すると踊り場では、かけ布が半分捲られた日暮の死体と、警官に羽交い絞めにされる金剛の姿があった。
「何だこいつは?」
飽きれたように刑事が言うと、
「すいません、私の姉の金剛です」
と、比叡が頭を下げた。
刑事は怪訝な顔をして、
「従業員なのかね?」
「いえ、私の家族で今日は客として来ています。まだ酔っているんでしょう」
「ふん、何だかわからんが、関係がないなら出て行ってもらおう」
「はい、私がさっきのお母さんと一緒に部屋へ送ります」
「頼むよ」
比叡と刑事がそんなやり取りをしていると、
「ちょっと待つデース!」
羽交い絞めする警官を振りほどき、金剛はやはりまだ酒が残っているのか、フラフラとした足取りで刑事へ向かってくる。
「えーと、あなた―――」
「大取警部です」
刑事は襟を正して言った。
「大取警部、先ほど下の会話を小耳に挟みマシたが、あなたはこの事件を事故だと考えていらっしゃるのデスカ?」
「それ以外、考えられないじゃないか。あんたには分かんないだろうがね。警察には警察のやり方と言うものがあるんだ。まず下の第一発見者は、八時五十分ごろにあんたの妹と一緒にお母さんを階段から下ろしてる。そこにいる日暮さんは、下の親子が風呂から出た九時ニ十分の間にこけて死んだんだ。その間、この旅館にいるほとんど全員にアリバイがある。従業員は仕事で宴会場の片づけや、料理の後始末、事務仕事。宿泊者はほとんど全員が風呂に入っているか、部屋で遊ぶか話すか、あとは寝ているかだ。下の部屋の住人は、争う物音さえ聞いておらんのだぞ」
そう聞くと金剛は、
「ははぁ」
と、したり顔をして、
「失礼デスガ、オオトリ警部は極めて基本的な事実を見落としていマース」
「何だと?」
大取警部はあからさまに不機嫌な態度を取って、
「なら行ってみたまえ。我々が何を見落としたと言うんだ」
すると金剛は日暮の死体を指さし、
「いったい、この人はどこへ行こうとしていたんでしょう?」
「はぁ?」
大取警部は心底どうでもいいように、
「風呂じゃないかね?」
「だとすれば着替えや、せめて手拭いを持って行くはずデース。現場からは見つかりましたネ?」
大取警部が現場にいる警官に目配せする。警官は首を横に振って、
「いいえ、見つかってません」
「ならトイレだろう」
「トイレは二階にもありマース」
「だったら誰かが入っていたとか………」
「それなら余計におかしいデース。トイレは二階も一階も中央部にありマース。また、受付の近くにもありマース。私だったら遠回りせずに、受付近くの階段を使うデース」
「ふむ」
ついに大取警部は口元に手を当てて考え込んでしまった。
「最後に」
金剛はその場からジャンプして、踊り場に飛び込んだ。
「こらっ!」
思わず大取警部が怒鳴った。金剛が踊場へ着地すると、ドカン、という大きな音が響いた。
「何をするかね!」
「オオトリ警部も聞いたデショー。すごい音がしたデース。私の体重が五十キロでここまで大きな音が出るのデスから、太ったヒグラシ=サンが階段で倒れればもっと大きな音が出ると思いマース。それを下の部屋の人が聞かなかったのはおかしいデース!」
すると階段の下から年配の女性が、
「何ですか、今の音は?」
と訊ねる声が聞こえた。
「すると、いったい君は何が言いたいのかね?」
大取警部が訊ねると、金剛は得意げな顔で、
「ヒグラシ=サンは転んで死んだのではありまセーン。殺された後、事故に見せかけるためにここへ運ばれたのデース!」
と答えた。
比叡は今更ながら比叡は痛感した。敬愛する姉が、とてつもない名探偵であることを。