戦艦探偵・金剛~比叡の悲劇~   作:瀬場拓郎

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消えた三品②

 既に日が傾きつつあった。旅先での時間の流れと言うものは、五月雨が驚くくらいに早かった。懐中時計を見ると、気分はまだ午前十一時だというのに、短針既に午後三時を指していた。

「結局、なんの手掛かりもありませんでしたね。殺人なら、かえって動機が分からなくなりました」

 帰りのバスで五月雨がそう言うと、金剛は笑って、

「ノー、カナコ=サンはやはり我々に重大な示俊を示してくれたネ。ヒグラシ=サンと珍授荘の間には金の貸し借りは無かった、それにも関わらず彼が珍授荘へ行ったのは、きっとカナコ=サンにも知らされていない、旅館の重大な秘密を握っていたに違いありまセーン」

「すると殺したのは旅館関係者だと?」

「ふむ、あるいは本当にただの事故と言う可能性もありマース。まだまだ捜査は始まったばかりだヨ、五月雨。安易に結論に飛びつくのはノー、何だからネ」

 バスが旅館前のバス停へ辿り着く。金剛と五月雨が運賃を払って降りると、旅館の前にパトカーが止まっているのが見えた。聞き込みでもしているのだろうかと訝しむ五月雨をよそに、金剛は満足げな表情で、

「おっ、丁度いいところに来たネ」

 と言った。よく見ると玄関先には、厳しい顔をした大取警部が座っていて、金剛と五月雨を見るとおもむろに立ち上がった。

 

 金剛と五月雨、それから大取警部は、金剛たちの宿泊する一番のテーブルを挟んで向き合っていた。大取警部はあからさまに不機嫌な様子で警察手帳を捲る一方、金剛は涼しい顔で警部に微笑みかけている。

「先ほど女中をしているあんたの妹、えーと何て言ったかな?」

「比叡」

「そう、その比叡から聞いたんだがね。昨日の午後八時五十分から九時の間に、日暮の部屋に行ったそうじゃないか!」

 言われて金剛は、

「ああ、言われてみれば確かにそうデース」

 と言ったが、五月雨は、

 あれ? そうだっけ?

 と無言で首を傾げた。

「そっちのお嬢さんはどうなんだね?」

 大取警部が五月雨に矛先を向けると、五月雨は、

「う~ん、床を這いつくばっていたような記憶はあるんですけれど」

「まぁ、確かに比叡さんの証言では『五月雨、援護射撃に入りまーす!』とかなんとか言いながら、比叡さんの足首をペチペチと叩いたそうだが」

「わ、私、そんなことしましたかぁ!」

 五月雨は恥ずかしさのあまり両手で顔を覆った。

「それで、どうなんだね」

 大取警部がジロリと金剛を睨んだ。

「どうして被害者と最後に会ったことを、話さなんだね」

「確かに記憶はあるデース。比叡が私たちの部屋に日本酒を運び込んで、それから酔った勢いでヒグラシ=サンの部屋へ行ったネ。でも正確な時刻までは記憶していないデース。夕食を食べた後だから、少なくとも七時以降であることは確かデスガ、八時五十分から九時という時間はいったいどこから分かったんデース?」

「隣に停まってた坂田という親子連れの証言だ。例の第一発見者だよ。彼はだいたい、いつもなら八時半ごろに母親を風呂に入れてやるんだそうだが、その日は疲れていたし、うっかりしていたようで時計を見ると八時五十分になっていたそうだ」

「ほう」

「そのとき、隣からドタバタと音がする。坂田の息子さんは、周りに迷惑だろうと思って注意しに行くと、出てきたのは女中の比叡さんだった。そこで比叡さんに手伝ってもらって、足腰の悪い母親を階段の下へ下ろした。それに五分くらい時間がかかった」

「そのとき、サカタ=サンはヒグラシ=サンの姿を?」

「ふむ、障子が閉まっていて姿は見ていないそうだ。そのとき、日暮さんはすっかり酔っ払って前後不覚になっていたらしくてね。客の醜態を見せまいという心遣いだなこりゃ。それから様子を見に再び日暮さんの部屋へ戻ると、ビールを少し零していたので、彼を広縁の椅子に座らせて、手拭いで拭いていたところに、君が現れたそうじゃないか。だから先ほどの坂田親子の話から食んだすると、その時間がだいたい八時五十五分から九時の間となるわけさ」

「でも、私がヒグラシ=サンの部屋に入った時は障子戸が開いていて、広縁に座っていたヒグラシ=サンが見えたデース」

「そりゃ突然、君が入ってくるのだもの。とにかく君は日暮さんが広縁に座って、意味へ手を振るのを、はっきりこの目でみたかね? そっちのお嬢さんは?」

 五月雨は昨日の夜のことを回想するが、やっぱり床の光景しか思い出せずに首を横に振った。

「確かにヒグラシ=サンが手を振るのをはっきりとみたデース。それから比叡に連れられて部屋へ戻ったデース」

「つまり、少なくとも日暮さんの死亡推定時刻は、九時から坂田親子に発見される九時二十分の間と言うことになる。この二十分間に、日暮恭平を殺し、階段へ運んだとなると………」

「まさか、比叡さんを疑っているんですか!」

 五月雨が、打って変わってテーブルに身を乗り出して大取警部に詰め寄った。その迫力にいささか大取警部もタジタジになって、

「いや、あくまで可能性の話だよ。私と部下が聞き込みをしたところ、その時間にアリバイが無かったのは、女将の息子の敷島宗助と、そちらの比叡さんだけだったからね。私も別に比叡さんが犯人だと思っちゃいないよ。たった二十分の間に酔っ払っていたとはいえ、日暮さんを叩き殺し、あの肥満体を階段へ運ぶなんて、女手一つで出来るもんじゃない。第一、動機がないじゃないか」

「じゃあ、宗助さんの方はどうなんです?」

 五月雨が問い詰めると、

「こっちの方もだね、八時五十分前に実は二階へ行っていたそうなんだよ。当時、受付をしていた井上という女中がその姿を見ている。何でも、女将さんが伝票を持って行ってしまって、それを追いかけたらしいね」

「女将さんはどうして二階へ?」

「何でも日暮さんと何か話があったらしい。昔からの常連だから、積もる話もあったのだろう。ところが泥酔して暴れ回っているから話しどころじゃない。そこで、後からやって来た息子に様子を見るように言って、自分は再び一階へ戻った。宗助の方はそのまま酔っ払った日暮さんの介抱をして、比叡さんが坂田さんの母親を一階へ下ろした後で、部屋を出て旅館裏で九時五分ごろまで一服していたそうだ。だから八時五十分から九時五分までのアリバイを証明するものは比叡の証言以外にない。だが彼が犯人だとしても、比叡さんに見られずに日暮さんの部屋に入って、彼を叩き殺し、階段に放置するのは難しいだろう。昼間、被害者の家で妹さんの、加奈子という人に話を伺ったが、確かに日暮家はこの旅館に金を貸していたそうだが、既に返済を終えている。日暮がたびたびここに来るのは、単に馴染みだからだろう。宗助にしたって、日暮さんを殺す動機が見当たらない」

「待っテ、オオトリ警部。被害者は『叩き殺された』のデスカ?」

「ああ、そうらしい。解剖の結果によると―――」

 そう言いながら大取警部は手帳を捲ろうとして、

「いやいや、何であんたにそんなことを教えなきゃならんのだ」

「まぁ、いいカラ」

「なんてな。実は今朝、警視庁にあんたのことを問い合わせたよ。容姿、風体、しゃべり方、そして助手の髪の青い娘。金剛さん、あんた東京ではかなりの名探偵だそうじゃないか」

「いやぁ、それほどでもナイネ」

 金剛が照れたように言いながら、ただでさえ大きな胸を張った。すると大取警部は、

「やれやれ」

 と、ため息を吐いて、

「警視庁はだいぶ、あんたのことを買っているよ。必要な情報はなんでも与えてやれとのお達しだ。こういうのもなんだが、実際、私もよく分からなくなってしまってね」

「具体的にはどういう点デース?」

「うむ、実は解剖の結果なんだが、これがどうも妙なんだ。まず被害者は、最初に頭部を角材のようなもので横殴りにされている。だが、それでは死ななかったらしい」

「どうしてそんなことが言えるんです」

 五月雨が問うと、すかさず金剛が、

「指先の血痕ネ?」

 と言った。

「さすが、酔っていたとはいえ、よく見ているね」

 大取警部は感心したように言って、

「おそらく、指先の血痕は傷の具合を確かめようと触った時に付着したんだろう。だから被害者は最初の第一撃で死ななかったということが言える。その直後に、被害者は、今度は何か、小さい鉄板のようなもので殴られているらしい」

「小さい鉄板のようなもの?」

 五月雨に訊かれると、大取警部は頷いて、右手の掌を見せながら、

「だいたい片手で握れるほどの大きさで、厚さはせいぜい二、三ミリ程度。それを逆手へ持って、被害者の頭へ………」

 大取警部は拳を握りしめて振り下ろす真似をした。

「ガツン! とやったわけですな」

「一体凶器は?」

「さぁ、それが皆目見当もつかん。金剛さんはどうだい」

「事件当時、ヒグラシ=サンの部屋にあったものは分かりマスカー?」

「ええ、それならここにメモしてあります」

 と、大取警部は金剛へ手帳を開いて見せた。

「意外と几帳面ですねぇ」

 五月雨が言った。

「意外とは余計だよ、君。それで金剛さん。何か分かるかね?」

「うーん、さすがに現時点では難しいネ」

「やっぱりそうか」

 大取警部はそう言って立ち上がった。

「何か分かったら知らせてくれたまえ。それじゃ、私はこれで失礼するよ」

「オー、待ってくだサーイ。比叡が汚れを拭いたという手拭いはどうしましたカー?」

「他のゴミと一緒に、焼却炉で燃してしまったそうだ」

 と、言って、大取警部は金剛と五月雨の部屋を後にした。

 

 一方そのころ、調理場の隅では田島が、

「あれぇ?」

 としきりに首を傾げていた。そこへ比叡が、客の使った急須と湯飲みを持って入って来た。

「どうしましたか? 田島さん」

「うん、何だか栓抜きが一本足らないのよ」

「栓抜きですか?」

 比叡がそう言って、田島の手元を見た。田島は栓抜きの入った引き出しをガチャガチャと探りながら、一本一本、数を数えているようだった。

「やっぱり一本足らないわ。比叡ちゃん知らない?」

「うーん分からないですねぇ。もしかしたら昨日の宴会のお客さんが、間違って持っていったんじゃないですか?」

 すると田島は残念そうな顔をして、

「そうかもしれないわねぇ。ちょっとさび付いてきているのもあるし、この際だから何本か新調しちゃいましょうか」

「あら、何か無くなったの?」

 そこへ野々江が現れた。

「ええ、栓抜きが一本無くなっちゃんですよ。酔っ払われたお客さんに持って行かれちゃったのかしらって、今、比叡ちゃんと話していたところなんです。女将さんも何か失くしものですか?」

「そうなのよ。昨日、ビールを仕入れたでしょ? そのときの伝票がどこを探しても無いのよねぇ。まぁ、伝票の一枚くらい、内容は覚えているから失くしてもどうと言うことは無いんだけれどねぇ。ああ、そうそう比叡ちゃん」

「はい、なんでしょう?」

「金剛さんの部屋から刑事さんが帰っていったから、お詫びにお茶菓子を出して差し上げて。それから冷たい麦茶も持って行きなさいな」

「はい、ただいま!」

 元気よく返事をする比叡に微笑んで、

「じゃあ、よろしくね」

 と、野々江は調理場を去った。

 比叡は茶菓子とコップ、それから麦茶の入ったポットを盆に載せて金剛と五月雨の部屋へ向かった。見慣れた廊下を、比叡は歩いていく。事件が起こってまだ一日も経っていないというのに、比叡には昨日のことが何だか夢のように感じられた。

 これは心の防衛機構なのだろうか?

 それなら、その方がいいのかもしれないと比叡は思う。自分が『犯人ではない』と暗示をかけ続ければ、態度からボロ出す心配は無くなるかもしれない。

 金剛の部屋へ辿り着く。あれから何か分かったのだろうか? いいや、分かるはずがない。金剛と五月雨は今まで市内観光へ行っていたのだ。しかし、先ほど警察から何か聞いたかもしれない。

 ………こんなところでジッとしていれば、それこそ怪しまれる。

 比叡は意を決して、襖の向こうへ呼びかけた。

「金剛様、いらっしゃいますか?」

「オー、比叡! カモン!」

「失礼します」

 比叡は襖を開けて中へ入る。いつも通り、金剛と五月雨の笑顔が比叡を迎えた。

「わぁ、比叡さん。何ですかそれ?」

 五月雨が訊いた。

「女将さんからのお詫びよ。麦茶と茶菓子。今日は三角どら焼き」

 そう言って、比叡は金剛と比叡に、皿に乗っかった三角形のどら焼きを振舞い、湯飲みに麦茶を注いだ。

「どうだった? 市内観光は? 富山城には行ったのかしら?」

「それがですねぇ、先生ったら市内に着くなりずーっと日暮さんのお宅を探していたんですよぉ」

 五月雨の言葉に、比叡はドキリとした。しかし、日暮の生家を訊ねたところで、彼と自分には何の関係も無いことに気が付いて、比叡は内心ほっとした。昨日のあれは、ほとんど事故の様なものである。動機の線から自分を辿ることなど、出来るはずがない。

「あら、そうなの」

 比叡は平然とした調子で言葉を返す。

「何か収穫はあったのかしら?」

「それがですねぇ、全然ないんですよ。特に誰かから殺されるほどの恨みを買うような人でもないようです。それに日暮さんの家は、方々にお金を貸していて、この旅館にもお金を貸していたそうですが、それも戦前に返済し終えたそうです」

「え? そうなの? 私はてっきりまたお金をせびりに来たのかと」

「以前にもヒグラシ=サンがお金を無心しにきたことがあったネ?」

 金剛が訊いた。

「いえ、私は見たことがありませんけれど、田島という私と同じ女中をしている方が、戦前に何度も来るのを見たと言っていたのを聞いたので」

「ふむ、タジマ=サンネ」

 金剛は口の中で呟くようにその名前を言った。

 後で話を聞きに行くつもりなのかしら。

 比叡はそう思って、

「田島さんに話を聞きに行くなら、あまり迷惑はかけないで下さいよ」

「ふふ、大丈夫デース」

 それじゃ、と比叡は立ち上がって、

「私は仕事の方に戻りますね」

「え~、もう少しゆっくりしていけばいいのに」

 五月雨が言うと、比叡は人差し指を立てて、

「駄目よ。私はこれでお給料を貰っているんだから」

 と言って部屋から出て行った。

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