四日目の朝はあいにくの雨だった。五月雨は昨日言った通り、富山市内に表彰状を貰いに出かけ、金剛はシトシトと降る雨の中、傘をさして旅館の周りをウロウロしていた。そして時折、地面の色が変わっている場所を見つけると、しゃがみ込んでよくよく調べ、それからまた立ち上がって歩き始める。
「金剛さ~ん」
そんな金剛を呼び止める者があった。女将の野々江である。金剛が声のする方を向くと、野々江が旅館と露天風呂を結ぶ渡り廊下のひさしの下で手を振っているのが見えた。
「オー、ノノエ=サン!」
金剛は水たまりをヒョイヒョイと避けながら野々江の方へやって来た。
「いったい、何をしてらしているのです? 散歩ですか?」
野々江は微笑みながら訊ねた。もう五十代に差し掛かろうという年齢にも関わらず、野々江には金剛でもはっとするような妖しい色気をたたえていた。それが雨の中ではいっそう、匂い立つようである。
「いえ、ちょっと探し物デース」
「あら? 何か落し物でもしたのかしら?」
「ノー、私が探しているのは事件当夜に消えたという栓抜きネ」
「せ、栓抜きを?」
野々江は少し驚いたように言った。
「いったいどうして?」
「事件当夜にこの旅館から消えたものが三つあるデース。一つは手拭い、二つ目は栓抜き、三つ目は伝票、私の考えでは、三つはヒグラシ=サンの死に何らかの関わりを示していマース」
「手拭いって、ああ、日暮さんが粗相したものを拭いたものでしょう?」
「イエス! まぁ、それは焼却炉で他のごみと一緒に灰になってしまったようデスガ………」
「まぁ、手拭いは分かるとしても栓抜きと伝票はどう関わってくるのかしら? よかったらお聞かせ願えます?」
「もちろんデース! 実は事件当日、ヒグラシ=サンの部屋には栓抜きが二つあったデース。最初の女中がビールを運んできたときに持ち込んだものと、比叡が追加でビールを持ってきたときの二つデース。比叡があの夜、日本酒を持ってきたときに私はしっかりと見たヨ。しかし警察の調べでは、事件後に部屋から発見された栓抜きは一つだけデース。だから消えた栓抜きはヒグラシ=サンの部屋にあったものであり、かつ犯人が持ち去った可能性が高いデース!」
「あら、私はてっきり宴会場で酔っ払ったお客さんの誰かが持って帰ってしまったと思いましたわ。でも、どうして犯人が栓抜きなんか持ち去るのです?」
「それは見つけてみれば分かりマース」
「見つかるかしら? もし、犯人が栓抜きを見つけられたくなければ、遠いどこかへ捨てているんじゃない?」
「うーん、それを言われると痛いデース………」
金剛はそう言って困ったような顔をした。
「それに、伝票は事件に何の関係があるの?」
「それも実はよく分からないデース。でも消えた手拭い、栓抜き、伝票という三つ、三つと言う数字にはちょっとした魔力がありマース。この三つが一斉にあの夜消えたことには、私は何か意味があると思うのデース」
「ふふっ、なら見つけたら教えてくださいな」
そういって立ち去ろうとする野々江の背中に、
「ああ、ノノエ=サン。一つだけ聞きたいことがありマース」
野々江は立ち止まって振り返り、
「何でしょう?」
「裏手の庭を拝見させていただきましたが、何でも昔は立派な日本庭園だったそうネ。確かに大きな池があって、灯籠があって、砂利も高級デース。どうしてほったらかしにしているネ? 綺麗にして公開すれば、もっとお客さんが来るかもしれないヨ?」
「………あの庭は義理の父が作ったものです。義父が死んで、それから夫も死んで―――」
「旦那様のソウイチ=サンは失踪したらしいネ?」
金剛が言うと、野々江は押し黙った。
「申し訳ありませんが、少し調べさせてもらったデース」
「ええ、そうです。その通りですわ。一気に男手を二人失って、それから戦争が始まって宗助も戦争に取られてしまったでしょう? 旅館は療養所に指定されるはで、とても庭の整備まで手が回りませんでした」
「わざわざ辛いことを思い出させてしまって申し訳ないデース」
「金剛さん」
野々江は口を真一文字に結んで、
「金剛さんは、宗助を疑っているのですか?」
金剛は困ったようにため息を吐いて、視線を地面へ向けた。
「ノノエ=サン、あなたの気持ちはよく分かりマース。私にも比叡を始めとして三人の妹がいるデース。あの子たちを守るためなら」
金剛は顔を上げて、野々江の眼を見つめ、
「私はなんでもやりマース」
遠くで遠来が鳴った。雨が激しさを増した。金剛と野々江はしばらくお互いを睨み合わんばかりに見つめ合った。
先に沈黙を破ったのは金剛だった。
「ところで、あの池の鯉は見事デスネー。色が綺麗デース」
「そうですか。でも、最近までは色がくすんでて宗助も悩んでいたそうですけどね」
「ほう、そうなんデース?」
「ええ、だから急に色が良くなって今日も『どういうことだろう?』としきりに悩んでいましたよ」
「ふーむ」
金剛は少し考え込んで、
「サンキュー、ノノエ=サン。大変参考になったデース」
「ふふ、どういたしまして。ああ、そうだ金剛さん」
「ハーイ?」
「金剛さんは、明日でお帰りになられるんですよね? それまでに事件を解決できなかったら………」
「明日の朝までにはきっと解決するデース!」
金剛はそう言って、張り切って玄関の方へ向かって行った。