紅弐式 reboot   作:羽山健次郎

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十六

「なに渋い顔をしているんだ、おまえは?」

 

久しぶりに顔をあわせた柔沢紅香の第一声はそれだった。

そういわれても、真九郎は仏頂面を崩せないでいる。

普通に歩道を歩いていたとところを横付けされたスポーツカーの窓から有無をいわさず車内へ連れ込まれ、わけも分からぬうちにこんな場所まで強制連行されたら、誰だってこんな顔をするしかないと思う。

 

「まあ少々強引な手を使ってここまで連れてきた件については謝るよ。だから喰え。な?」

 

さっぱり悪びれない声で紅香は笑う。

自覚があるのなら改善して欲しいな…と頭の中で呟いて、真九郎は紅香の指し示すテーブルの上を見た。

十人は囲めそうな巨大な円形テーブルには、ところ狭しと料理の大皿が載せられている。

エビチリ、青椒肉絲、エビシューマイ、麻婆豆腐。真九郎が理解できる範囲はそれくらいで、名前は知らないがそれぞれが高級そうな中華料理であることは分かる。

それもそのはず、ここは横浜でも有名な華僑直営の中華料理屋。

真九郎を拉致したその足で店先に車を止めた紅香は、オーナー直々の案内で奥まったこの部屋まで案内されていた。

紅香をVIP待遇する店は都内にも数え切れないから、別段これは驚くに値しない。

真九郎を戸惑わせているのは、紅香が強引な手段でここまで自分を連れてきたその理由だ。

 

「紫に子供が出来たんだってな」

 

…やはりそのことなのか。

煙草に火をつけながら言う紅香の表情は、まさしく悪戯小僧のそれ。

薄々感づいてはいたものの、真九郎は即座に返答できない。

質問を肯定することは、そこに至る経緯も説明しなくてはならないということ。

そしてその説明こそを紅香は欲しているのだろう。

過日、崩月家で一度説明済みだからいまさら躊躇するのも変な話なのだが、紅香に対してはその時とは違う気恥ずかしさを覚える真九郎である。

 

「改めて確認するのも野暮かも知れんが、おまえの子か?」

 

「…はあ、まあ」

 

曖昧な返答をしてしまう真九郎の目前で、紅香のトレンチコートを羽織った肩が小刻みに揺れている。

徐々にその振動の幅は大きくなって、ついにこらえきれなくなったらしい、紅香は声を立てて笑い始めた。

驚きながらもどうしたんですかと訊ねる真九郎に、

 

「どうしたもこうしたもあるか。これほどの痛快事、私の人生でも五指に入るぞ!?」

 

…そんなに笑われるようなことをしたんだろうか俺。

憮然としてしまう真九郎の様子に頓着せず散々笑い倒し、ようやく紅香は肩からズレ落ちかけていたトレンチコートをたくし上げ、居住まいを立て直した。

新しい煙草に火をつけながら次に彼女が放ってきた台詞は、まったく思いもよらないこと。

 

「おまえ、ギロチンと()りあったんだってな?」

 

真九郎は困惑した。

確かに以前ギロチンこと斬島切彦と戦ったことはある。

ちょっとした事情の兼ね合いで、このことは紅香に言っていない。

もっとも厳重な秘密にしたわけでもないから、紅香がその気になったら調べ上げるのは雑作もないことだろう。

問題は、なぜ今頃このような話題を投げかけてきたのか。

なにせあれはもう10年近く昔の話なのだ。

 

「六十六代目の斬島はバリバリの現役だからな。あれから私の仕事とブッキングしたことがないのは、はて、ヤツにとってだけの不幸かどうか」

 

更にわけの分からないことをいって煙草をふかす紅香。

 

「…すみません、紅香さん。話の流れがよく……」

 

「やれやれ…相変わらず世情に疎いやつだな、おまえは」

 

テーブルの対面から、吸いさしの煙草の穂先を突きつけられる。

赤い穂先が紅香の姿を覆い隠すように、真九郎の目には見えた。

 

「ここ最近、裏世界でのおまえの話題はちょっとしたもんだぞ?」

 

「は!?」

 

藪から棒。寝耳に水。青天の霹靂。

知る限りの慣用句が真九郎の頭の中を怒涛のように駆け巡る。

 

「曰く、あの悪宇商会の最高顧問とも引き分けた崩月最後の弟子―――だとさ」

 

このことは紅香が知っているのは、なにもおかしいことではない。

聖夜に行われた強奪戦。

星噛絶奈とかろうじて引き分けることが出来たのは、犬塚やよい、引いては紅香の介入があってこそ。

あの場には多くの裏世界の関係者や観客もいた。

一介の揉め事処理屋と悪宇商会の首領が引き分けたのは、真九郎にとっては勝ちに等しいかも知れないが星噛絶奈にとっては不名誉極まりないこと。

結果としてあの強奪戦の結末は大っぴらに喧伝されることはなかった。

裏世界の暗黙の了解か、悪宇商会のなんらかの圧力が働いたのか、真九郎には分からなかったけれど。

 

「でもなんでいまさら…」

 

先のギロチンの件と同様に、強奪戦も遥か昔の話。

それが今、なにゆえ取り沙汰されているというのか。

誰が何の目的があってそんな昔のことを喧伝しているか見当もつかないが、悪宇商会がこのまま放っておくはずもない。

彼らの古傷を抉るに等しいそれは、まさに命がけの行動といっても差し支えないだろう。

逆にいえば、そうまでして紅真九郎のことを裏世界の俎上にのぼらせるメリットはなんだということになる。

 

「なに、宣伝してるのは当の悪宇商会だからな」

 

「…はい?」

 

「疑うなら、おまえの馴染みの情報屋がいただろう。確認をとってみるがいい」

 

「…………」

 

真九郎は沈黙する。

言われるまでもなく、真九郎の情報源はもっぱら銀子頼みだ。

彼女を通さねば仕事の斡旋もままならないというのに、銀子とは気まずくてしばらく連絡を取っていない。

ここ数ヶ月揉め事処理屋は休業状態だったので迂闊にも気づかなかったのだが、これって何気に死活問題じゃ…?

 

「そ、それはともかくですよ? なんで悪宇商会が俺のことを」

 

「そりゃあ箔がつくからだろ」

 

「箔?」

 

「この業界で私の弟子を標榜したところで、怖気づくのは精々二流三流どころ。柔沢の名前などしょせんその程度にすぎんさ」

 

「はあ…」

 

茫洋と真九郎は相槌を打つ。

裏世界に於いて柔沢紅香は最高最強の揉め事処理屋の名前を欲しいままにしている。

確かに畏怖と畏敬の念を抱いて遠巻きにする連中も多いが、打倒して名を上げようという輩もまた多い。

悪宇商会に属する武闘派には特にその傾向が強く、かの商会最高顧問からして紅香抹殺を試みたのは一切ではないのだ。

 

「だが九鳳院となると事情が変わってくる。個人に比べ、あちらは組織だからな。しかも半端ではない富と力を持った表御三家だ。

 そりゃあ悪宇商会とて正面から事を構えたくないだろうよ」

 

「ちょ、ちょっと待ってください! なんでそこで九鳳院の名前が出てくるんです?」

 

三白眼でジロリと睨まれた。

しかし、いくら睨まれたところで、真九郎が全然事情を察せないことには変わりない。

紅香は煙草を灰皿に押しつぶす。名前と同色の鮮やかな唇から、細く長い紫煙が広い部屋の天井へ向けて立ち昇り薄まって消えた。

 

「真九郎、おまえは既に九鳳院の庇護のもとに組み込まれているのが分からんのか?」

 

「それは…」

 

予想していなかったわけではない。しかし、面向かってそれを指摘されるのとは別問題。

自分が九鳳院家にとってどのように見なされているのか。

それがここ最近の真九郎の至上命題だった。

 

「きっと今も九鳳院の長老どもは、喧々諤々の議論を重ねてるだろうよ」

 

実に面白そうに紅香は言う。事実面白くてしようがないだろう。

 

「よもやおまえがあの九鳳院に吠え面をかかせるとはな。いやはや大したもんだ」

 

「…もしかして、俺、褒められてるんですかね?」

 

「いいや、呆れてるだけだが」

 

と紅香はにべもない。

だからといって不服を訴えられる立場ではない真九郎である。

九鳳院家現在唯一の息女である紫。

婚姻してるわけでもないのに彼女と関係を持ち身籠らせてしまった真九郎は、本来社会的にも物理的にも抹殺されたとて文句はいえない。

いくら当事者たちが双方同意していたとはいえ、ごく一般の家庭でもそんな行為に及べば、憤慨した男親からぶん殴られただけで済むかどうか。

そして真九郎には、一般的な解決方法が許されていない。

相手は世界屈指の大財閥。

その現当主である九鳳院蓮丈のもとへ、菓子折りを携えていって土下座。

 

『お嬢さんを僕にください!』

 

…できるか、そんなこと。

いずれ筋は通さなければならないのは承知している。

それでも、未だ九鳳院本家へ足を運べない真九郎であった。

 

では、そんな九鳳院家は、真九郎をどう見なしているのか。

不貞の輩と一刀両断にするのは、九鳳院にとって至極簡単なことである。

仮に紫を身籠らせた相手が有名財閥の子弟であるならば、それなりの責任の取らせようもあるだろうが、幸か不幸か紅真九郎は凡庸な一般庶民。

となれば表沙汰に出来ない不名誉不祥事に分類されるは必定であり、真九郎の存在そのものからして抹消しようとするに違いない。

力を持った組織においては極めて当然の処置である。

いわんや九鳳院ともあれば、真九郎と崩月の関連を考慮しても、躊躇するとは思えない。

むしろ邪魔と判断するなら、崩月ごと真九郎を闇に葬り去ろうとするだろう。

九鳳院にはそれだけの力はあるし、真九郎が崩月の本家へ塁が及ばないよう腐心する所以だ。

だが、いまのところ九鳳院は強硬手段に及ぶ気配は見えない。

それでも油断は禁物なわけで、実のところ、紅香の指摘は正鵠の極みだった。

あくまで紫から伝え聞いた話によるが、連日九鳳院の本家では、おもだった有力者たちが集まって厳粛な会議が繰り返されているらしい。

議題は、紫のお腹の子と紅真九郎という揉め事処理屋の処置について。

 

「結局は、同族婚でしか子供が作れないという九鳳院の業が祟った結果だなこれは」

 

紅香の言うとおり、他の表御三家と比べ九鳳院が決定的に異質なところは、そこに尽きる。

九鳳院の血族婚を重ねた遺伝子欠陥は、同族、しかも近親者同士の交配においてのみ、生殖を可能とする。

本来、九鳳院紫と紅真九郎の間に子供の出来る確率は皆無に等しい。

 

「そんな数百年にも及ぶ血の宿業を、おまえらがあっさり覆したんだ。そりゃ騒ぐなってほうが無理な相談だろ?」

 

改めて指摘され、真九郎は赤面。

我ながら大それたことをしてしまったとは思わなくもないが、雲を掴むように実感が乏しいのもまた事実。

なぜか紫が九鳳院のお偉方に演説をしている姿が浮かんだ。

 

『わたしと真九郎は並の相思相愛ではないからな! 子供が出来たとて何の不思議も無い!』

 

…つまるところ、九鳳院家においては、直系の息女がどこの馬の骨とも知らぬ凡人に手を付けられた挙句孕ませられたのが問題となっているのではない。

いや、やはり世間並みに問題ではあろうが、同族以外との関係を経て妊娠したという事態の方がより重大な関心ごととなっている。

なぜならそれは、九鳳院の血統及び継承問題へと直結するからだ。

 

『九鳳院は同族同士でしか子供を【作らない】のではない。【作れない】んだ』

 

紫がそう語っていたことがある。

名家と呼ばれる家が血統を重んじるのは、現在に於いてもその傾向は変わらない。

更に遡ればより血統を重視する時代があったことは、わざわざ歴史書を紐解かなくても自明のこと。

九鳳院も然り。

九鳳院の長い歴史上、外部勢力に苛まされ、血族同士の結束を守るため、引いては一族を守るため近親婚を重ねずにはいられなかった時期が存在する。

ようやく外敵を平らげたあと。気づいたときには、九鳳院の血は既に取り返しのつかないほど澱んでいた。

血族婚による血統の維持は極めてリスクが大きい。

近代史においてはスペイン・ハプスブルク朝に見られるように、近親婚の繰り返しで発症する遺伝子疾患がまず最も大きな危惧として上げられる。

その時点で血族間でしか子供を作れなくなっていた九鳳院家は、すでに遺伝子疾患が発症していたといってもいいだろう。

また、子供が生まれなくなった時点で家系が途絶えてしまうという致命的な問題もある。

当時の九鳳院とて手を拱いていたわけではない。

積極的に外部の血統を取り入れるよう奮励していたこともあるのだが、やはり同族以外の契りで子供が生まれることはなかった。

結果、さらに近親姦が繰り返される悪循環は、九鳳院として生まれ出る女の身体を蝕んだ。

九鳳院の女は、多くて二人も子供を産むと死ぬ。

いかに奥ノ院というシステムを作り上げようと、血の澱みには抗えない。

莫大な富と権勢に反し、九鳳院の将来はそれほど明るいわけではないのだ。

 

そんな状況に、降って沸いたように起きた紫の懐妊。

それが同族以外の男の血に拠るものであるということは、まさに九鳳院家にとっては青天の霹靂だったに違いない。

だからといって素直に天佑だ福音だと狂喜するわけにもいかないのも九鳳院家の立場なのだろう。

名家にとって、やはり紅真九郎という生い立ちも何もかも妖しい人間は、軽々に信頼に値しないということか。

 

『わたしとしては、真九郎が九鳳院姓を名乗るようになっても構わないぞ』

 

『それ以前に挨拶に行くのが先だろう、常識的に考えて…』

 

この期に及んで常識という単語を口にするのは噴飯もの。

そのことを承知で適当に誤魔化はしたが、紫は本気だったに違いない。

彼女の台詞の意味するところは、真九郎の九鳳院への婿入りだ。

 

…いや、そんなことよりまず結婚する方が先じゃないのか?

婚姻届って、どう出せばいいんだっけ? だいたい保護者の判子もいるはずだし、肝腎のその保護者から紫との結婚の了解も貰っていない。

グズグズしていれば、先に子供だって生まれてしまうだろうし…。

 

何より、紫の希望と九鳳院の判断が一致するのかも疑問だ。

真九郎としても、世間一般の良識に照らし合わせ、出来るかぎりの責任を取りたい。紫の希望に沿ってやりたい。

ふと最悪の予想が頭を過ぎる。紫とお腹の子供はそのままに、真九郎だけが排除される未来。

もちろんそんな結末に唯々諾々と甘んじるつもりはない。

いざとなれば、紫を抱えて、あらゆる理不尽に対抗する覚悟があった。

しかし、そうなったとしても、やはり九鳳院は強大で。

 

「とにかくだ。九鳳院を差し置いて、今のおまえにちょっかいを出そうとする連中はいないってことさ」

 

だからこそ、悪宇商会も真九郎と事を構えないよう、予防線を張る意味で昔の話を引っ張りだしたのだろうか?

真九郎がそう自分の見解を述べると、紅香は紹興酒を一口飲んで顔を歪めた。酒と質問のどちらが不味かったのか、真九郎には分からない。

 

「あいつらがそんな殊勝なわけがあるか。重要なのは、おまえがあの九鳳院に吠え面を掻かせたってことだ。

 そんな大それたことをする人間はそうそういないからな。箔がつくってのはそういうことさ」

 

そういわれても、今ひとつ以上にピンとこない真九郎の思考は、やはり九鳳院本家の動向にむけられている。 

紫は五月雨荘に日参しているし、それどころか新たな屋敷と専属の乳母をあてがわれていた。

出産に向けて最高最大限の便宜が図られているといってもいい。

それでいて、本家からの具体的な通達は一切無かった。

聞くところによれば、紫も妊娠してこのかた蓮丈と直接顔を合わせて話はしていないらしい。

この状況って、考えてみれば生殺し以外の何ものでもないじゃないか…。

 

「なんだ、不安か?」

 

「そりゃそうですよ…」

 

紅香は察してくれるが、真九郎は弱々しく肯定することしか出来ない。

今の自分に手札と呼べるものもなく、きっとあらゆる情報も動向も、向こうには筒抜けのはず。

九鳳院は軍事衛星すら使用できるのだ。

 

相対する真九郎にとって、ドンキホーテすら羨ましい。

少なくとも風車はただ回るだけ。

巨大な権力も持たなければ、壮大な思惑など抱えていないだろう。

 

「まあ、いまこうやって私と差し向かいで飯を喰えてるんだ。とりあえずは様子見ってとこだろうな―――」

 

紅香の意見を否定する材料を、今の真九郎は持たなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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