紅弐式 reboot   作:羽山健次郎

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十八

地方出身者は都会の賑わいに反して緑が少ないと嘆く。

それはとんでもない誤解だ。

たとえば新宿御苑。

いまはやんごとなき御方の御住まいとなっている江戸城など、探せば都心でも十分に緑の匂いを堪能することは可能だ。

その意味においては、真九郎が向かっている塀の向こう側の敷地も、都会に点在する貴重で広大な緑地帯と言えるのかも知れない。

備え付けのインターホンを押す。根っからの小市民をぶりを発揮し、カメラに向けて軽く頭を下げて挨拶。

 

「紅ですが」

 

―――お待ちください。

 

物々しい門構えに反し、驚くほど扉の開く音はしない。

真九郎がくぐると速やかに門は閉ざされる。

門内に展開される光景を見るのは初めてではないのだが、まいどまいど冗談みたいな光景だと思う。

完璧に手入れの行き届いた庭は、芳醇な緑系統の色彩に溢れている。

その隙間を縫うような白い道路は、まるでが真珠が敷き詰められたかのよう。

中央にある屋敷は、外観の高さは抑えられているが、完璧なシンメトリーの瀟洒な洋風建築。

なんとなくフランク・ロイド・ライトの作風に似たものを感じるのは、真九郎の気のせいだろうか?

もっとも、大学時代、大して興味もなかったのに暇つぶしで読んだ建築図鑑がソースだから、自信を持って断言できたものではないのだが。

仮にそうだとしても驚くに値しないか。九鳳院ならそれくらいやってのけるだろう。

屋敷までの結構な道のりを歩きながら、真九郎は周囲に気を配る。

揉め事処理屋の習性といってしまえばそれまでだが、自然と視線は侵入経路などを模索してしまう。

奔放な造りの庭に反し、全くといっていいほど隙を見出せなかった。

 

―――警備してますと声高に主張するような警備システムは、しょせん二流でしかない。

まあ示威効果としては一級かもしれんが。

 

紅香のいっていたことを翻訳すると、『本当に重要なものこそ、あえて厳重に警戒する様子は見せない』といったところか。

真九郎は屋敷の前に到着。

エントランス先に飾られている意味不明だが高価そうなオブジェと一緒に、ホテルと見間違えそうな屋敷を見上げる。

 

…それにしても、たった一人の住まいにこれはなあ…。

 

それだけ九鳳院が紫を重要視している証拠だろう。

だが、万年四畳半住まいの真九郎が萎縮してしまうのもむべなるかな。

建坪だけで五月雨荘が何十軒入るだろう?

ついどうでもいいことを考えてしまい、慌てて頭を振る。

九鳳院は天下に名立たる大財閥で、紫はその娘。

対して真九郎は一般庶民。

いまさら身分がどうとかとか引け目を感じるつもりはないが、やはりこのギャップはいかんともしがたい。

だが、いずれにしろ神経を太くして慣れるしかないのだ。

 

「おかえりなさいまし」

 

触れもしないうちに観音開きのドアが開くと、初老の女性が丁重に頭を下げてくる。

彼女を筆頭に、ずらりと並ぶメイドたちにはただただ圧倒されるのみ。

さっそく神経をへし折られかけたが、真九郎はどうにか踏みとどまった。続いて鷹揚に「どうも…」と頷き返すことに成功する。

 

「本日もお(ひい)さまは按配よろしく、サンルームにいらっしゃいますよ」

 

落ち着いた色の和服を着こなし、白い髪を結い上げているこの老女は、紫の身の回りの世話をする使用人を統括する立場にいるらしい。

とはいっても、どれだけの数の使用人がこの屋敷にいるのか、そもそもこの屋敷にどれだけの部屋があるのか、さっぱり把握していない真九郎だったが。

いまもこうして先導してもらわなければ、サンルームにもたどり着けない自信がある。

 

ガラス張りの長い廊下を渡り辿りついたサンルームは、名前のとおり柔らかな陽光に溢れる部屋だった。

ただ、やはりここも呆れるほど広い。

庭を望める中心に長椅子やクッションや何やらが居心地よさそうに整えられ、そこに紫が横になっている。

 

「真九郎!」

 

立ち上がろうとする紫を、真九郎は慌てて手を挙げて制す。

 

「いいから立つな、大人しくしてろって…!」

 

老女は室内に入ってこようとせず、紫の近くに付き従うようにして立っていた二人の使用人も、真九郎の姿を認めると、そっと頭を下げて姿を消した。

広いサンルームの中に二人きり。

気を使ってもらっているのだろうが、真九郎はかえって落ち着かなかったりする。

 

「どうした、真九郎?」

 

泰然とする紫は、ゆっくりとお腹の辺りを撫でていた。

傍目にもわかるほど迫り出した臨月のそれは、紫の華奢な身体も相まって更に大きく見える。

 

「…よく育ったもんだなあ」

 

「ああ、きっと真九郎に似て元気な子供になるぞ!」

 

真九郎は苦笑する。子供の頃の自分はそれなりにやんちゃだったとは思う。

それでも紫が真九郎の幼少時代を知るわけがないのに。

 

「それより俺は紫に似てくれると嬉しいな」

 

真っ直ぐで純真で、誇り高い。浮かぶのは出会ったばかりの小さいままの紫の姿だ。

そっと真九郎も紫の腹部に手を這わせる。

温かく、柔らかい。紫の心音に合わせて、小さな命の鼓動が伝わってくるよう。

そうしてるだけで、自然と涙が滲んでくる。

自らの分身に等しい存在がそこにあるという達成感と満足感は、生きとし生けるものに共通する感慨。

よくぞここまで無事に育ってくれたという感動もある。

九鳳院一族の遺伝子欠陥により、本来は生まれるはずのない子供だ。

受胎しただけでも奇蹟と言っていいのに、果たしてそのまま無事に成長するのか?

実のところ、子供が出来たと判明した時点で、真九郎、紫ともに、そのことまで思い至らなかった。

不思議なことに、この子はきっと無事に生まれてきてくれるという確信だけがあった。

だからといってこれまで全く不安がなかったのか、と言えば嘘になる。

定期検診で異常が見られないことに、二人して盛大に胸を撫で下ろしていた。

真九郎が強いて他に不安を覚えるとすれば、やはり紫の年齢だろう。

生物学的に、初潮を迎えることイコール妊娠と出産が可能になったことを意味するのは間違いないが、16歳と成熟しきっていない紫の肉体にはどれほどの負担になるものか。

ましてや紫は九鳳院の女。

子供を二人も生むと死んでしまう体質。

妊娠もともかく、出産の際がより母体にかかる負担は大きいとも聞く。

もっとも歴代の九鳳院の中には、もっと若い年齢で懐妊、出産した少女もいたそうだけど…。

 

「心配するな、真九郎」

 

お腹に乗せた手に、そっと自分の手を重ねる紫がいる。

 

「医者の手配は万端だ。いますぐ産まれても問題ないぞ」

 

思わず真九郎は紫の顔を見直してしまう。

どうしてこちらの考えていることが分かったのだろう?

前から鋭い勘の持ち主だと思ってはいたが、最近さらに磨きがかかってきたような気がする。

 

それはさておき、紫の言っていることは紛れもない事実だった。

すわ産気づいたら用意された病院へ搬送―――ではない。

既に屋敷には、24時間体勢で医師と看護婦が詰めているそうだ。

そしてこの屋敷には、完璧に医療設備の整った一室も設けられている。

併設してある新生児室まで真九郎は見せてもらっていたから間違いない。

くわえて屋敷の内外の警備には、騎馬大作を始め、近衛隊らしい腕利きが、真九郎の把握できる範囲で十数名。

不戦の約定の結ばれている五月雨荘も世界屈指の安全地帯だが、今のこの屋敷もそのうちにカウントしてなんら遜色はないだろう。

設備と警護の厳重さは、九鳳院本家の次世代に対する期待が察せて余りある。

 

「…真九郎、出産には立ち会ってくれるか?」

 

「ああ。そのつもりだよ」

 

笑顔の上を、微かな陰が過ぎるのを真九郎は見逃さない。

紫の両手の指を絡めとるように握り、優しく問いかけてやる。

 

「どうした、紫?」

 

「いや、なんでもない。なんでもないんだ」

 

「嘘をつかなくてもいい。お腹の子供にも悪い、正直に話してみろよ」

 

紫は軽く両眼を閉じ、ふーっと長い息を吐く。

 

「お父様がまだ一度も来てくれなくて……」

 

「…そうか」

 

紫の妊娠後の経過は、臨月の今日に至るまで詳細に報告してある。

現九鳳院当主であり、紫の実父である蓮丈がそれに目を通していないわけはない。

なのに娘の下を一度も訪なわないのは、世間的には薄情だと断じてもいいだろう。

とはいったところで蓮丈は表世界の公人だ。

権力の大きさと正比例する責務と重圧がその双肩にかかっている。

いくら個人的に紫に会いたくとも、許される立場にないのかも知れない。

蓮丈個人以前に、いまだ真九郎に具体的な処遇を告げずにいる九鳳院は、公に紫の妊娠出産を認めていないはず。

それが建前であったとしても、大財閥の面子や体裁は、一般人の思うところよりずっと複雑かつ大きい。

 

「みんな祝福してくれる。お父様にだって祝福してもらいたいと思う。おかしいか、真九郎…?」

 

「そんなことはないさ、紫」

 

きっと忙しいんだよ、と簡単に慰めることは出来なかった。

事態を複雑化させた原因は真九郎にもある。

もちろん突き詰めてしまえば、紫にも責任があった。

双方合意の結果とはいえ、紫は九鳳院の意向を裏切ったに等しい。

鋭敏な彼女がそのことに気づかないわけはなく、自業自得と断ずるのは簡単だが、父親が顔すら見せてくれないのはやはり寂しいのだろう。

 

「あ…」

 

「どうした?」

 

「ひゃなが…」

 

慌てて真九郎がティッシュペーパーを取ってやると、紫は鼻を噛んで涙を拭う。

以前より涙もろくなってしまっているのは、出産を控えてナイーブになっているからか。

別のティッシュで改めて目尻を拭うと、紫は笑った。

 

「真九郎は今日は泊まっていくのだろう?」

 

「…ありがたいけど、今日も一旦帰るよ」

 

屋敷には真九郎用の部屋が用意されていた。

二十畳にも及ぼうかというベッドルームはともかく、併設されている風呂はユニットバスではない総大理石。

だいたいトイレ自体が五月雨荘の五号室より広いのだ。

貧乏生活が染み付いた真九郎にとっては落ち着くどころではない。

 

「…そうか」

 

苦笑とともに紫が頷く。真九郎の懊悩を察してくれているのだろう。

 

「でも、出来たら、早く慣れてくれると嬉しいな」

 

「努力はしてるんだけどな…」

 

子供が生まれた後、まさか親子三人五月雨荘で暮らすわけには行かない。単純に狭すぎる。

出産後に紫がこの屋敷に留まるのはもちろんとしても、真九郎が通い妻ならぬ通い夫をするのはいささか問題だ。

いや、正確にいえば真九郎はそれでも構わないと思うのだが、紫がそれを許してくれない。

 

何か特別な事情があるのならともかく、同じ場所で暮らせるなら親子三人一緒の方がいいに決まっている!

 

彼女の主張も分からなくはないが、真九郎の内心の葛藤までは俗すぎて察してくれてないようだ。

代わりに五月雨荘の先住者二人が、近い将来を実に的確にコメントしてくれている。

 

『いいなうらやましいなあ逆玉じゃん!』

 

『ヒモは男のロマンだな』

 

『ねえ真九郎くん、二号さんはいらない?』

 

…環、闇絵とも、九鳳院が真九郎の存在を許容してくれたらという前提条件があるはずなのだが、実に好き勝手なことを言う。

ならば揉め事処理屋としてなお一層働かなければと奮起する真九郎だったが、ふと危険を冒してまで金を得る必要があるのか、と思い至ってしまう。

紫の屋敷へ転がり込めば、衣食住には困らない。

もし実行すれば、真九郎はそれこそ闇絵から指摘された男としては最下層の生き物に成り下がってしまうだろう。

そんなのは断固御免な真九郎だったが、産まれてくる子供のことを思えば、揉め事処理屋が危険な仕事であることを意識せずにはいられない。

仮に自分が死んだとしても、紫が生活に困ることは絶対にない。九鳳院もこれ幸いとばかりに、紫の待遇を変えるかも知れない。

後顧の憂いがないというのはある意味幸せなことかも知れないが、結局のところ真九郎は紫を悲しませるのが嫌だった。

紫が望むのなら、ずっとずっと寄り添っていたいと思う。紫の笑顔を愛したいと思う。

とりも直さず、それは真九郎自身の幸せにも繋がるのだから。

しかし、そのことを最大目標として念頭に置いた場合、真九郎は男としてのプライドが微妙な境界線上を右往左往しているのを自覚せざるを得ない。

 

…紫の庇護に甘んじるのは論外として、いっそ職を変えるか?

でも、揉め事処理屋しか能のない自分に他に何が出来るだろう。

そうだ楓味亭に―――って冗談にもほどがある。

第一、いまさらどんな顔して銀子に頼めばいいんだ。

やっとどうにか仕事の件でやり取りできるようになったってのに…。

 

「…真九郎?」

 

「ん? …ああ、なんでもない。じゃあ、そろそろ行くよ。また明日も来るから…」

 

予定日も近づいているし、そろそろ泊り込んでもいい時期だとは思う。

しかし、仕事の兼ね合いもあるので、ギリギリまで五月雨荘で寝起きしたい真九郎だった。

もちろん急に産気づいたりした場合の緊急連絡網は完璧。

それらを踏まえて、紫は真九郎に好きに振舞わせてくれている。

ありがたかった。

 

紫に、そのまま動かなくていいからと釘を刺して真九郎はサンルームを辞した。

部屋の外では例の老女が静かに佇んでおり、真九郎が声をかける前に誘導。

紫のことを、どうかくれぐれもよろしくお願いします。

念を押してエントランスに出た真九郎の前には、リムジンが横付けされており、騎馬大作が運転席の前に立っている。

 

「紫さまからお送りするようにとのお申しつけです。どうかご遠慮なさりませんよう…」

 

真九郎は好意に甘えることにした。

車に乗り込む寸前、騎馬が紫の警護を統括する主任であることを思い出し、場を離れていいのか疑問に思ったが打ち消す。

つまりは、それだけ警備体制には自信があるということに違いない。

 

「どちらまでお送りいたしましょうか? それと、旦那さまにお渡しした緊急連絡用の携帯電話ですが…」

 

「…あの、騎馬さん、その旦那さまってのは止めてもらえませんか?」

 

この初老の近衛隊副隊長とも、そろそろ長い付き合いだ。

それなりにざっくばらんな会話を交した記憶もある仲なのに、このところの尊称と慇懃な言葉と対応が、真九郎には居心地が悪くて仕方がない。

 

「私は紫さまにお仕えするよう御前に命を下されました。その紫さまが貴方を良人と定めた以上、私にとっても主人であることには変わりますまい?」

 

複雑な顔つきになる真九郎を騎馬は礼儀正しく無視し、要望どおり駅前まで送ってくれた。

リムジンから降りると、何事かと周囲の視線が注がれてくる。

騎馬が一礼して去ったあと、真九郎は我知らず口の中で呟いていた。

 

「良人、か…」

 

本来なら、紫とお互いにそう認め合う関係になるのが望ましい。

紫が紅姓を名乗るにせよ、真九郎が九鳳院姓を名乗るせよ、子供まで作った以上、二人は夫婦だ。

ところがいまだ籍すら入れられないでいる。

真九郎の家族はともかく、紫の家族の了解を得なければならないので、書類上は仕方ないとはいえなくもないが。

九鳳院の意向は未だ不明。その気になれば社会情報の改竄や捏造など平気で可能な力のある一族だ。

対して、真九郎の意思はすっかり固まっていた。

紫と添い遂げる。たとえ九鳳院の全てを敵に回しても。

しかし、今のところその覚悟もから回り気味である。

 

「…まあ、なるようになるしかないか」

 

そう口にする真九郎は、何も『状況の変化を伺うのも立派な戦略』という紅香の教えを金科玉条のように抱えているわけではない。

なにせ彼女の場合、この後に、『こちらから撃って出て状況に変化を起こすのは立派な戦術』が続く。

どちらにしろ、今は待つしかなかった。

紫の出産と同じ。こちらが何をしようと早く産まれてくれるわけではない。

 

「よしっ!」

 

真九郎は頬を叩いて気合を入れた。

ならば自分に出来ることをするしかない。

丁度いまから近くの喫茶店で、依頼人と顔をあわせることになっている。

いずれは紫と産まれてくる子供を養えるくらいの収入を得られるようになるのが、当座の真九郎の目標。

たとえ九鳳院家を離れても、それなりに贅沢な暮らしをさせてやりたい。

親子三人不自由なく暮らせる状況を作りあげるのが、自分に課せられた最低限の義務だ。

そして全く遅ればせながら真九郎は思った。

 

…もしかして、これって父親の自覚というやつの芽生えなのかな?

 

 

 

 

 

 

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