紅弐式 reboot   作:羽山健次郎

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「お前から私を呼び出すのは珍しいな」

 

柔沢紅香とアポイントメントを取って会えるまで、実に一ヶ月ほどの時間がかかった。

普段は前触れもなく飄々と五月雨荘にやってくるのはあくまで紅香の都合。

実際にこちらから接触を持とうとすれば、そこはそれ世界最高峰の揉め事処理屋。

いくら直系の弟子の頼みとはいえ、依頼でなく私的な相談とくれば、現在進行中の仕事の方を優先するのが筋というものだろう。

真九郎もその点は異存はない。

しかし、紅香を前に萎縮してしまうのはどうしようもなかった。

今から相談しようとしていることも考えれば、なおさら。

 

「それで? 要件はなんだ?」

 

「九鳳院について」

 

 

目を細める紅香。

意外だったろうか。

不安になる真九郎を前に、紅香は弟子の発言を楽しんでいる風でもなく、面白がる風でもない。

一切の意図を真九郎は読み取れなかった。完璧なポーカーフェイス。

 

我知らず、真九郎は唾を飲み込む。

猛犬の尻尾を踏んでしまったような感覚に陥ってしまったが、どうにか振り払う。

まだ具体的な内容すら切り出してないのに、ここで気圧されてどうする?

顎先を軽く動かすだけで、紅香は先を促してきた。

意を決して真九郎は口を開く。

 

「紫は、将来的にどうなるんですか?」

 

「―――意味がわからんな」

 

「現在の九鳳院の奥ノ院について訊きたいんです、俺は」

 

九鳳院の一族は、長きに渡る近親婚で血統を維持してきた。

その弊害の遺伝子欠陥で、近親同士でしか子供は作れない。

 

一族にとって、九鳳院の女は共有財産。血を継がせるための道具。

それゆえの奥ノ院というシステム。

 

そこには一切の労苦は存在しない。

世間のあらゆるしがらみから開放され、ただ穏やかに慎ましやかに幸福に、女たちが生きる場所。

子を産み、育み、それだけで一生を終えることが出来る理想郷。

幽世(かくりよ)の揺籃。

 

全て忘れていたわけではない。

遥か昔、幼い紫を取り戻しにいくとき紅香から聞いた説明。

そして、紫は現当主である父蓮丈の采配で、奥ノ院から出された。

当事者である真九郎は、もちろんそのことを知っている。

でも、それ以上のことは全く知らない。

 

「いまさら何を訊くことがある? 第一、お前がそれを知ってどうするつもりだ?」

 

「………」

 

俄かに真九郎も返答が出来ない。

とりあえず、訊いてみてから色々と考えようと思っていた自分は軽率だったろうか。

いや、間違いではない。

とにかく情報が少なすぎる。

 

答えの代わりに真九郎は真っ直ぐ紅香を見つめた。

見返してきた値踏みしてくるような視線は鋭かったが、決して目は逸らさない。

 

「…何も変わらんよ。奥ノ院は依然存在している。九鳳院が朽ち果てるまで存在し続けるだろう」

 

「そうじゃありません。俺が訊きたいのは、紫の立場というか」

 

確かに紫は奥ノ院から外界―――世間に出ることが赦された。

しかしそれは、あくまで場所的な問題に過ぎないのではないかと、最近の真九郎はとみに思う。

奥ノ院という存在は、九鳳院を存続させるシステムを結実、顕在化させた姿だ。

紫は、そのシステムから解放されたわけではない。

九鳳院の名を負う以上、その血を次代へと繋ぐ責務がある―――はずだ。

 

「そうか。紫も、もう13か」

 

紅香はそういってからようやく持っていた煙草の穂先に火をつけた。

真九郎の言いあぐねていることを即座に察してくれたらしい。

 

 

〝一族の男子といえど、初潮の来ていない女に手を出してはならない。

 一人でも多くの子供を生ませるため――――〟

 

 

「おまえのところに預けに行ったのがついこの間のように思われるよ。はは、私も歳を取るわけだ」

 

真九郎の見たところ、紅香に年齢を重ねたゆえの貫禄は感じるけど、それだけだ。

まだ幼い頃に憧れた揉め事処理屋そのものの姿で目の前にある。老いた柔沢紅香など想像の枠外。

 

「心配か?」

 

紫煙を吐き出し、ようやく紅香は相好を崩したよう。

コクリと頷く真九郎に、

 

「保護者としてか? それとも」

 

「とにかく、紫はどうなるんでしょうか」

 

口早に遮る真九郎を横目で面白そうに眺め、紅香は煙草の先端を灰皿に落とす。

 

「九鳳院の女である以上、紫も子供をなさねばならないだろうな」

 

やはりそうか。

真九郎は胸を押さえる。鼓動が微かに乱れていた。

崩月流で心を平静に保つ術を身に付けたはずなのに。

…紅香が自分の考えを否定してくれるのを、心のどこかで期待していたせいか?

 

「相手の候補としては、そうだな竜士あたりか」

 

「!!」

 

九鳳院竜士は紫の実の兄。

巷間の倫理観に照らし合わせれば非難を免れないことでも、近親姦でしか子を作れない九鳳院では唯一無二のルール。

そうしなければ血統が途絶える以上、紫が実の兄と契るのも、無理なからぬことかも知れない。

しかし、竜士だけは最悪だった。少なくとも真九郎はそう確信している。

まだ幼かった紫を無理矢理犯そうとしていたあの下衆きわまりない醜態は、六年以上昔だというのにはっきりと思い出せる。

 

よりによってあの野郎が紫の夫になるというのか?

駄目だ。どうしても紫が幸せになれるとは思えない。

いっそ、あの時殺しておけば―――。

 

続いて、愕然とする真九郎。

俺はいま、一体なにを考えた?

 

「そうおっかない顔をするな。おまえの考えていることは分かるよ。そしてそれは杞憂だ」

 

「何を根拠にそんなことを…」

 

「竜士は真性の変態だ。成長した紫にはもはや完全に興味を失っている。少なくとも以前のように暴力を振るったりということはあるまい。

 いや、出来ないだろうな。紫も九鳳院の表に出た以上、自分の身を守る権利と義務が生じる」

 

「………」

 

テーブルの下で、我知らず真九郎は拳を固く握っていた。

 

それが何の救いになるというのだ?

紫の母親である蒼樹は、実の兄である蓮丈に恋をして結ばれたと聞く。

 

…紫が、あの竜士相手に恋をする?

無理だ。出来るわけがない。

 

幼いころから暴力を振るわれ続け、挙句こちらに興味をなくした相手と、愛情も何もないままに義務的に契りを交し、子を成さなければならないというのか?

そんなのって酷すぎる。

 

「対外的には竜士と夫婦ということは無理だな。かといって九鳳院の家系図に名を連ねてしまった紫を、独り身のままにしておくのも難しい。

 ま、傘下の有力な家系にでも固く口止めをして嫁がせるか、もしくは婿に迎えるというあたりが妥当か」

 

「…どうして、そう淡々といえるんですか」

 

「おまえが訊いたからだ。だから教えてやっている」

 

「そうじゃなくて! 紫は、紅香さんの親友の娘なんでしょう? だったら」

 

「だったらなんだというんだ? 蒼樹への義理はもう果たしている。後はどうするか、どう生きるのか。それは紫の人生だ」

 

容赦のない鋭い声に周囲の温度が下がったような気がした。

同時に、真九郎の頭に昇った血も冷めていく。

 

「すみません、言葉が過ぎました」

 

真九郎は唇を噛み締める。

くそ、情けない。これじゃあ単なる八つ当たりじゃないか。

テーブルに叩きつけるような勢いで頭を下げた真九郎の後頭部に、紅香の言葉が降って来た。

 

「おまえは果報者だな、真九郎」

 

「…え?」

 

「人は生きていく上で様々な難題に直面する。いざ困難に相対して、策を練るだけの時間すら与えられないこともしばしばだ」

 

紅香の台詞は重みがある。

揉め事処理屋の頂点に君臨し、あらゆる事件を解決する彼女にとって、即断即決が求められるのは当然のこと。

 

「おまえには時間が与えられている。それもおまえが作り出した時間だ。誇れ」

 

思いもがけない物言いに、真九郎はきょとんとしてしまう。

もしかして、褒められているのだろうか?

訝しげに見返す真九郎を前に、紅香は深く煙草を吸い込んでいる。

 

「いくら九鳳院が強権を誇るにしても、世間の全てを牛耳られるわけではない。一度手の内を晒してしまえば、どうにもならないことがある」

 

「すみません、紅香さん、意味がよく…」

 

「相変わらず察しが悪いやつだな。紫を奥ノ院から出した張本人が何を言う」

 

紅香は吸殻を灰皿に擦り付けて、

 

「おまえのおかげで紫は小学校に通えるようになったんだろう? 今度は中学校だ。そしてありがたいことに、この国には義務教育というものが存在する」

 

「…?」

 

「やれやれ…。いいか、いかに九鳳院でも、いまだ中学も卒業していない小娘を孕ませるわけにはいかないだろうが。体裁というものがあるからな」

 

そこでようやく、本当にようやく真九郎も納得がいった。

昔ならいざ知らず、現代日本の法律で結婚が許されるのは男性が18歳、女性が16歳ということになっている。

奥ノ院の中であれば、法律に囚われることなく、子供を産めるようになった時点で同族と契り交すのが九鳳院の女のあり方。

しかし、一度家系図に載せられた紫の場合、一般社会の婚姻というシステムに則るのが道理だ。

世間にその存在が周知されている以上、義務教育を終えてからでなければ結婚の年齢に達しない。

また、中学校の在籍中に妊娠するなんてもってのほか。

九鳳院が紫に一族の女の義務を課せるにしても、これらの条件をクリアする必要があるわけだ。

でなければ、社会から九鳳院の倫理観が疑われてしまう。

 

「問題を正しく認識し、取り組める時間があるのは幸せなことだ。違うか?」

 

「…そうですね」

 

紅香の言葉は真九郎の胸を晴らしてくれた。

でも、これは一時的なものに過ぎない。

問題の先送りにも等しいことを、真九郎自身が一番良く理解していた。

残された時間で何をすればいいのか。

紫はどうしたいのか?

 

「未来にあるのはどんな形にせよ希望だけだ。絶望や後悔という言葉は、過ぎ去った未来を惜しむ感傷にすぎない。いいか、そこだけは間違えるなよ?」

 

激励のようで単にけしかけているようにすら思える紅香の台詞にも、真九郎は精彩を欠いていた。

義理を欠かない程度の愛想笑いを返したのみ。

 

なぜなら、真九郎は茫然としていたのだ。

考えていることは一つきり。

 

紅香に諭され。

紫の将来のことを知り。

 

―――じゃあ俺は、何をどうしたいんだろう?

 

 

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