インフィニット・ストラトス 蒼空に鮫は舞う 作:Su-57 アクーラ機
チュンチュン……
「……ん?」
窓の外では起きろと言わんばかりにカーテン越しに朝日が差している。同じく、目覚めを促すかのようにスズメが鳴いていた。
「(ちと早い時間に目が覚めたな……。もう少しだけ……)」
この微睡み延長はまさに至福の時である。恐らくこの緩やかな一時を楽しまない人間はいないだろう。……あと少し。あと少しで
チュンチュンッ
「(…………あと少し……)」
チュンッ、チチチチッ
………………イラッ
「焼き鳥にして食うぞこの野郎」
どうやら俺に朝の2度寝タイムは許されないらしい。
窓の外で元気にさえずるスズメに悪態をついてからノソノソと緩慢な動きでベッドから這い出た俺は、あくびを噛み殺しながら洗面所へ向かう。
「(ふぅ、さっぱりした)」
顔を洗い、歯磨きを済ませた俺はまだ完全に覚めきらない頭をクリアにするため、インスタントコーヒーの粉が入った瓶とマグカップを取り出した。
「これでよし」
コーヒー粉が入ったマグカップにポットのお湯を注ぎ、スプーンで数回混ぜたら出来上がりだ。
ズズズッと熱々のコーヒーを啜ると口の中に苦味と独特の酸味が広がり、俺は「ほぅっ……」と一息つく。
「やはりモーニングコーヒーは格別……ん?」
椅子に座ってコーヒーを啜りながらホッコリしていると、不意に自分のベッドに小さな膨らみがある事に気付いた。
空気が入り込んで出来た空洞とか単なるシワなどと考えるのが自然だろうが、明らかに不自然な点が1つ。誰もいないはずの布団が規則的に上下を繰り返していたのだ。
そう、まるで
「何だ……?」
眉をひそめながらコーヒーをひと口啜ったその時だった。上下していた布団がモゾモゾと動きだし……
「んぅ……。なんだ……。もう朝か……?」
捲れた布団の中から、なんと全裸の銀髪少女が姿を現した。
「ッ!?!?!?」
ブッフウウウウウッ!!!!
突然起きたあまりの事態に、俺は口に含んでいたコーヒーを高圧スプレーもびっくりな勢いで噴き出してしまう。ぐおぉぉ、鼻にも入った……!
「? 嫁か。ずいぶん早起きだな」
盛大にコーヒーを撒き散らす俺を前に一切動じず、『嫁』と呼んでくる人物。彼女は――
「ゲッホ、ゲッホ! ウェッホッ! ら、ら、ラウラぁ!?」
ドイツ代表候補生、ラウラ・ボーデヴィッヒ。先月転校してきていきなり一悶着。そのあと色々あって――うん、色々あったな。
しかし、問題はそこではない。問題なのは、なぜか衣服を纏っていないという事だ。身に付けているのは左目の眼帯と待機形態のIS――右太ももの黒いレッグバンドのみ。長い銀髪が腰のラインを撫でている。
「って、おまっ……バカ! 隠せ!」
「おかしな事を言う。夫婦とは包み隠さぬものだと聞いたぞ?」
キョトンとした顔で小首を傾げるラウラ。そんな彼女の仕草に一瞬ドキッとしてしまうが、今はそれどころじゃない。
「おい誰だ! お前に変な知識を吹き込んだアホは! 空対艦ミサイルをぶち込んでやるッ!」
「嫁よ、何を騒いでいる? 周りに迷惑だぞ」
「お前のせいで騒いでるんだよ! て言うか『嫁』って何だよ! 俺は男だぞ!」
「日本では気に入った相手を『俺の嫁』や『自分の嫁』と呼ぶそうだ」
「……はあ? 気に入ったから『嫁』? まったくわけが分からん……」
俺の混乱はそっち退け、ラウラは1度目を擦るとそれだけでいつもと同じ顔立ちになる。……スゲェ、1発で目ぇ覚ましやがった。
「それに、この起こし方も日本では一般的なものだと聞いたぞ。将来結ばれる者同士の定番だと」
……誰だぁ? んなぶっ飛び知識をこいつに教えた奴はぁ。
「よーし、ラウラ。お前にその知識を吹き込んだ奴の詳しい位置を教えろ。ちょっと
「ここは日本国内だ。
は? な、何だって?
「それにしても、昨晩はずいぶんと激しかったな……」
ポッと顔を赤くして俺の顔から視線を外すラウラ。美人なだけにそんな仕草を取られるとこっちまで気恥ずかしくなってくる――ってちょっと待て。
「昨晩ってなんの事だ? いったい何をしたんだ?」
ふむ。『昨晩』、『激しかった』、そして顔の赤いラウラ……ま、まさか! ベッドに潜り込んだラウラとドッグファイト(意味深)の末にフォックス2(意味深)シてしまったんじゃ……!?
「あ、あれほど激しく抱き付いてくるとは思わなかったぞ。お、お前も存外寝相が悪いのだな……」
あ、あぁ、そっちか。良かった。俺はてっきり取り返しのつかない間違いを犯してしまったのかと――いや待て。寝惚けて抱き付いたとか何してんだ昨日の俺。
「しかし、私も少し早くに目が覚めたらしい。まだ朝食までは時間があるな」
シーツを身に纏い、1度束ねた後ろ髪をファサッと散らす。朝の陽光を受けて輝く銀色の髪はとてもきれいで、俺は不覚にも見とれてしまった。
「(しかしまあ、先月のトーナメント以降こいつはちょくちょくこういう事をするから困る)」
食事中に同伴するのは当たり前。この前はISスーツを着ている時。その前は入浴中に現れた。あの時はヤバかったなあ……。
『ふぅ~~……良い湯だなあ』
ガラガラガラ
『ん? 一夏、遅かったな――』
『背中を流しに来たぞ、嫁よ』
『きゅーそくせんゴボボボボ………――』
……食事の同伴はまったく構わないのだが、このまま放っておくとますますエスカレートしていくに違いない。しかも今日は全裸で俺の部屋に忍び込んで来たのだ。次が想像つかないだけに心配でしょうがない。
「…………」
うーむ、なんとかもう少し彼女の積極性を削ぐ事はできないだろうか。
「どうした? ……あ、あまりそう見つめるな。私とて恥じらいはある」
おいこら、ウソをつくなウソを。だがしかし、そのうそつきが頬を染めてモジモジと恥じらう姿は、少し……いや、かなり可愛かった。
「(う、ぐっ……。ええい! 鎮まれ、煩悩! お前はそれでも『鮫』と呼ばれたファイターパイロットかっ!)」
――おっ、そうだ! ナイスなアイデアを思い付いたぞ!
「なあラウラ」
「なんだ?」
「実はな、俺は奥ゆかしい女性が好きなんだ」
「ほう」
少し驚いたようにわずかに目を開くラウラ。続けて、言葉を噛み締めるように2回頷く。
よしよし、上手くいったようだ。現時刻をもって作戦の終了を宣言する! よくやったな俺くん。君にはのちほど勲章の授与式が待っているぞ! イエッサー! 感謝しますサー! 俺が司令官で、一般兵が俺だ。
「だがまあ、それはお前の好みだろう?」
なっ!? 司令、敵はまだ健在であります!!
「え?」
「私は私。ラウラ・ボーデヴィッヒだ」
しっかりとした意志を秘めた瞳がまっすぐに俺を見つめてくる。
心の在処を指し示すように胸に当てた手が、
「………………」
……えーっと。なんだこの胸のついた男前は。そして俺はどう反応すれば良いんだ?
「だ、大体、お前が言った事ではないか……。忘れたとは言わせんぞ……」
「あー、うん。言ったな」
確かに、俺はあの時『お前という存在は世界に1人だけだ!』みたいなことを言った覚えがあるぞ。
それにしてもさっきまでの堂々たる態度から一転、上目遣いに言ってくる様が異様に魅力的に見えてしまう。これが
そうなると、先ほどから胸に当てている手も、まるで俺の視線から隠しているかのように見えるから不思議だ。――ホーキンス! この煩悩野郎! 罰として貴様はあとで腕立て伏せ200回だ! い、イエッサー!
「か、隠せと言っている割りにはご
「なっ……!? ち、違う! そういうわけじゃない!」
「で、では、見たいというのか? 朝から大胆な奴だな、お前は……」
「話が変な方向に進んでいるぞ!?」
シーツを緩めたラウラに俺は慌てる。また隠させようとするのだが、ヒラリとかわされて俺はベッドの上をドスンバタンと狭いながらの大立ち回りを強要される。
現在早朝の6時過ぎ。……隣人の諸君、誠に申し訳ない。
「このっ……!」
ようやく捕まえたぞ。子ウサギみたいに跳ね回りやがって……!
なんとかシーツの端を掴んでラウラの動きを取り押さえた。……つもりだったが、俺が上になった体勢を逆手に取って足払いをされた。しまった、これは軍隊仕込みの格闘術だ。クソッ、このファイティング・ラビットめ。
ひっくり返った俺はベッドの上を転がり、その勢いを使ってまた立ち上がる。俺だって軍人なんだ。簡単な体術くらいなら使えるんだぞ。
「ほう、あの状態で復帰するとはな」
「まあ、あれくらいなら俺でもな。――って違う! 先月にあんな事をしておいて、反省点は無しか!?」
「あんな事、とは?」
「い、いや、だから、その……」
くっ、まさか自分の口から言わされるとは……!
「き……キス、だよ……」
畜生。言いながらあの時の事を思い出してしまって、カーッと顔だけでなく全身が熱くなる。そのあとの
「は、初めてだったんだぞ……」
なんとも格好のつかない事だが、あの突然の出来事が俺のファースト・キスなのだ。前世でも今世でも。
……あ゛? 初キッスはどんな味だあ? んなもん知るか! 衝撃的すぎてそれどころじゃねえわ!! おい、今俺の事を茶化した奴は大人しく出て来い。ちょぉっと高度15,000メートルからひも無しバンジーしようか……。
「そうか」
「そうかってお前な……」
シレッとした返事に少し腹が立ってしまったが、俺が声を上げるよりも先にラウラの言葉が続いた。
「わ、私も……初めてだったぞ。うむ……嬉しくは、あるな」
急に頬を染めてそんな事を言い出すのだから、俺としては言葉に詰まってしまう。考えても見ろ、目の前で可愛い(少なくとも俺から見れば抜群に可愛い)女の子が赤面してみろ。これ以上何の文句を言えるってんだ?
「「……………」」
なんだこの沈黙。互いに気まずいというか、変に意識してしまって……ああ、クソッ。取り敢えず一旦落ち着いて――そうだ、部屋の換気でもするか。
「うおっ!?」
窓に向けて1歩踏み出した瞬間、俺はラウラにベッドへと引き倒された。その細い腕のどこにそんな力があるのかと思わずにはいられないほど、鮮やかかつスピーディーに決められた。
これが命を懸けた実戦なら、俺は確実に息の根を止められていただろう。
「しょ、しょうがない奴だな、お前は……。どうしてそう、私の気持ちを煽るのが上手いのか、1度しっかりと訊きたいところだ」
な、な、何を言っているんだこいつは!? ヤベッ、ガッツリとホールドされて身動きが取れん!
「おいよせラウラ! お、おおおちちゅけ!」
頬を朱に染め、朝日を纏ったラウラがゆっくりと覆い被さってくる。
いかん! このままでは俺は違う意味で死んでしまう! メーデー メーデー メーデー!!
と、そうこうしている内に誰かがコンコンとドアをノックした。
「ウィル、起きてるのか? 入るぞ?」
「その声、一夏か!? グッドタイミングだ! 手を貸してくれ!」
「こんな朝っぱらから何騒いで……いる……んだ……?」
ドアを開けて室内に踏み込んで来た一夏は俺とラウラの姿を見るなり、ピタリとその動きを止める。
「どうした一夏。そんな所で惚けてないで朝の……稽古……に……」
続いて入ってきた剣道着姿の箒も俺達2人の姿を目にした瞬間、口をあんぐりと開けて持っていた竹刀を取り落とした。
――あっ、これマジでヤバイ……。
「むぅ……。せっかく良いところだったというのに。無作法な奴らだな、夫婦の寝室に押し入るとは」
俺に覆い被さり、唇を奪うギリギリの距離のまま、不満気な声と視線を一夏と箒に向けるラウラ(全裸)。
「い、良いところって、な、ナニがだ!?」
「ふ、夫婦……夫婦ぅ!?」
一夏が顔を赤くしながら後退りし、箒はプルプルと震えながら竹刀を拾って構えた。
「待て一夏、お前は盛大な誤解をしている。そして箒、お前もだ。1から説明するから――」
「て、ててて、天誅ぅぅぅ!!」
「ちょっと待てい!?」
耳まで真っ赤になった箒は、目をグルグル回しながら竹刀を凄まじい速度で振り下ろす。まずい。箒のやつ頭がオーバーフローでも起こしてるのか、完全に混乱してやがる。
ビュン、と風を切る音がして、俺の背中に冷や汗が伝う。
――が、振り下ろされた竹刀はギリギリのところで止まっていた。もとい、止められていた。
「勝手に嫁を傷付けられては困るのでな」
ラウラの右腕だけに展開したISアーマー。そこから放たれた
「た、助かった……。ん? ラウラ、眼帯外したのか」
ラウラの金色に輝く左目が露になっている事に気付いて、俺は少し驚いた。とある事件から変色したこの目を、ラウラはかなり引け目に感じていた過去がある。
その左目にはISのハイパーセンサーを補助的に扱う特殊なナノマシンが注入されているため、使用すれば視覚能力を高める事ができる。ISを展開していない状態でも、最高で2キロ先の目標を狙えるらしい。
「確かに、かつて私はこの目を嫌っていたが、今ではそうでもない」
「そうか、それは良かった。自分の体を嫌っても良い事なんざ何1つ無いからな」
そう言ってニカッと笑う。すると、ラウラの顔が、また桜色に染まった。
「お、お前がきれいだと言ってくれたからだ……」
照れて視線を逸らすラウラに、俺は心なしかドキドキとしてしまう。
「き……」
蚊帳の外になっていた箒が再び口を動かした。
「き?」
「斬り捨てごめんんんんん!!!!」
既にラウラのAICから解放されていた箒は、すぐさま俺の頭に目掛けて竹刀を振り下ろす。
バシィィンッ!!
「ひでぶぅぅ!?」
頭に痛烈な一撃を受けた俺は、某世紀末に出て来るハートの入れ墨をした巨漢のような断末魔と共に2度寝をする事になったのだった。
▽
「……………」
時間は過ぎ、場所は変わって1年寮食堂。箒の竹刀攻撃を受けて2度寝してしまった俺は、少し遅めの朝食を取っていた。
ちなみに隣にはラウラ。正面には一夏と箒が座っている。
メニューは俺がアジのフライと千切りキャベツの定食。ラウラはパンとコーンスープ、それにチキンサラダ。一夏は焼き塩鮭と納豆を手に取り、箒は煮魚とほうれん草のおひたしを選んでいた。どれも美味そうだ。俺は千切りキャベツにドレッシングをかけながら少し目移りしてしまう。
「ん、欲しいのか?」
俺の視線に気付いたラウラが「分けてやろう」といって自分の口にパンを持って行く。うん? なんで自分の口にパンを持って……って、うおぉっ!?
「ん……。どうした、かじって良いぞ?」
「んな食い方できるか! まったくっ……!」
これじゃあまるっきりキスと同じじゃないか……! しかもこんな公衆の面前で! ――ん?
「……おい、一夏。なんで俺のこと見て手ぇ合わせてるんだ?」
「いや、なんというか、ごちそうさまです」
「……? まだメシが残ってるじゃないか。もったいない」
食器にはまだ白米と魚が少しずつ残っているにもかかわらず『ごちそうさま』と言って手を合わせる一夏。そんな彼の隣では箒がラウラを羨ましそうな目で見ていた。
「わああっ! ち、遅刻っ……遅刻するっ……!」
と、不意に珍しい声が聞こえた。
声の主はバタバタと忙しそうに食堂に駆け込んで来て、余っている定食から取り敢えず一番近くにあったものを手に取る。
「よ、シャルロット」
「あっ、一夏。みんなもおはよう」
一夏が手招きして隣の空いた席にシャルロットを呼び寄せる。
シャルロットがこんなに遅く食堂に来るとは珍しい。それは本人の焦りようを見ていても分かる。確かに今から食べ始めたら大急ぎで食べないと遅刻間違いなしだ。
「どうしたんだ? シャルロットがこんなに遅く来るなんて、寝坊でもしたのか?」
「う、うん、ちょっと……その、寝坊……」
俺の問いに歯切れの悪い言葉を返すシャルロット。しかも彼女は微妙に一夏から距離を取っている。
「へぇ、シャルロットでも寝坊なんてするんだな」
空になった納豆の容器をテーブルに置きながら、一夏が意外そうな声を上げた。
「う、うん、まあ、ね……。その……2度寝しちゃったから」
「そうか。ところでシャルロット」
「う、うん?」
「なんか、俺のこと避けてないか?」
「そ、そんなことは、ないよ? うん。ないよ?」
と、言葉では言っているのだが、どこからどう見ても一夏の方を警戒しているような気配がする。明らかに挙動不審な態度がさらに拍車をかけていた。
「い、一夏? ずっと僕の方を見てるけど、どうかした? ね、寝癖でもついてる?」
「いや、ないぞ。ただほら、先月はずっと男子の服装だったから、改めて女子の格好をしているシャルロットは新鮮だなぁ、と」
「し、新鮮?」
「おう。可愛いと思うぞ」
一夏に不意討ちで『可愛い』と言われて、シャルロットの顔がボッと赤くなる。……なんというか、ごちそうさまです。
「……と、とか言って、夢じゃ男子の服着せたくせに……」
「ん? 夢?」
「な、なんでもないっ。なんでもないよっ!?」
ブンブンと突き出した手を振って否定すると、シャルロットは再び朝食に手を戻す。さてさて、いったいどんな夢を見たんだろうなあ? ええ?
「ウィル、ウィル」
一夏とシャルロットのやりとりを見て心の中でニヤニヤしていると、ラウラが声を掛けてきた。
「うん? どうしたラウラ?」
「なに、お前のアジのフライが美味そうに見えてな。良ければひと口分けてくれないか?」
「ああ、別に良いぞ。ひと口と言わず、なんなら1つ丸ごとやるよ」
「そうか」
続けて「では頼む」と言われた俺は、一旦視線をラウラから自分の皿に戻す。そしてもう1度彼女の方を向くと、なぜか口を開けたまま静止していた。
「……何やってんだ?」
「今、手が塞がっているのでな。口移ししてくれ」
は? おい、こいつ今なんて言った? 口移しだと!? なんでその考えに行き着いた!! アウトだアウト!!
「そんなことできるわけないだろう! ほら、ここに置いといてやるからっ!」
はぁ……勘弁してくれ……。
あの暴走事件以降ラウラの性格はかなり丸くなり、クラスメイトと話す姿もちょくちょく見掛けるようになった。それは実に良いことだ。良いことなのだが、いかんせん俺に対してはこういう態度ばかり取ってくるのだから困りものだ。
キーンコーンカーンコーン
そら見ろ予鈴が鳴ったじゃないか。お前が変なことを言うからだぞ。――って、予鈴だと!? まずいまずい!
「うわあっ! い、今の予鈴だぞ、急げ!」
そう言って立ち上がる一夏に背を向け、俺、ラウラ、箒、シャルロットは食堂を猛ダッシュで出る。
「お、置いて行くな! 今日は確か千冬姉――じゃない、織斑先生のSHRだぞ!」
遅刻=死を意味する。だが、だからと言って待ってやることはできない。
「悪いな一夏。俺はもう、織斑先生の『アレ』を喰らうのはゴメンだ」
「私もまだ死にたくない」
「右に同じく」
「ごめんね、一夏」
「ぬああっ! どうせ死ぬなら一緒に死のうぜ!?」
そんな一夏のすがるような声を背に受けた俺は、足を止めて食堂を振り返る。
「一夏」
「うぃ、ウィル! お前、俺を待ってくれて――」
「グッドラック」
振り返って、サムズアップ。そして、また俺は校舎へ向けて猛ダッシュを再開した。
「裏切り者ぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
――
スパァンッ!
ゼハゼハと息を切らしながら3階の階段を登り終えると、聞き覚えのある打撃音が廊下に響いた。
「敷地内でも許可されていないIS展開は禁止されている。意味は分かるな?」
「は、はい……。すみません……」
何事かと思いながら駆け足で1組教室へ向かうと、ちょうどドアの前ではシャルロットが織斑先生の指導を受けていた。そのすぐ横には一夏の姿もあったが、あいつらいつの間に……? いや、さっきの話からして、さてはISを使って遅刻を免れようとしたな?
優等生のシャルロットが予想外の規律違反をしたというのは衝撃的だったらしく、クラスメイトは唖然とした表情でシャルロットを見つめていた。
ちなみに俺は2人が怒られている後ろを難なくすり抜けて着席。箒とラウラは既に席についており、一夏とシャルロット以外は全員間に合ったようだ。
「デュノアと織斑は放課後教室を掃除しておけ。2回目は反省文提出と特別教育室での生活をさせるのでそのつもりでな」
「「はい……」」
すっかり意気消沈した一夏とシャルロットが着席。朝っぱらから織斑先生を怒らせて得なことなど何1つ無い。
キーンコーンカーンコーンと本鈴が鳴って、SHRが始まる。
「今日は通常授業の日だったな。IS学園とはいえお前達の扱いは高校生だ。赤点など取ってくれるなよ」
そう、授業数自体は少ないが、一般教科も当然IS学園では履修する。中間テストは無いのだが、期末テストはある。ここで赤点を取れば夏休みは連日補修となってしまうので、それだけは何としてでも避けたいところだ。
「それと、来週から始まる校外特別実習期間だが、全員忘れ物などするなよ。3日間だが学園を離れることになる。自由時間では羽目を外しすぎないように」
7月頭の校外実習――すなわち、臨海学校。3日間の日程のうち、初日は丸々自由時間。もちろんそこは海なので、そこは咲き乱れる10代女子。先週からずっとテンション上がりっぱなしなのだ。
ちなみに俺の水着はアメリカの実家に置きっぱなし。間抜けなことに忘れて来てしまった。仕方ない、今週末にでも買いに行くとしよう。
しかし海で泳ぐなんて久しぶりだな。実は少し楽しみだったりもする。
「ではSHRを終わる。各人、今日もしっかり勉学に励めよ」
「あの、織斑先生。今日は山田先生はお休みですか?」
クラスのしっかり者こと
「山田先生は校外実習の現地視察に行っているので今日は不在だ。なので山田先生の仕事は私が今日1日代わりに担当する」
「ええっ、山ちゃん一足先に海に行ってるんですか!? いいな~!」
「ずるい! 私にも一声掛けてくれればいいのに!」
「あー、泳いでるのかなー。泳いでるんだろうなー」
さすがは咲き乱れる10代女子、話題があれば一気に賑わう。それを鬱陶しそうにしながら、織斑先生は言葉を続ける。
「あー、いちいち騒ぐな。鬱陶しい。山田先生は仕事で行っているんだ。遊びではない。分かったらさっさと1時限目の準備を始めろ」
はーい、と揃った返事をする1組女子。相変わらずのチームワークだった。
▽
放課後、特にすることも無く自室にて端末で映画を観ながらくつろいでいると、コンコンと誰かがドアをノックした。
「嫁よ、私だ」
この声はラウラか。
椅子から立ち上がり、ドアを開く。
「よう、ラウラ。どうしたんだ?」
「なに、夫婦で談笑するのも良いと思ってな」
「俺は結婚した覚えは無いんだが…………まあ良い。こんな所で話すのもなんだ。取り敢えず上がってくれ」
よくもまあ、そんなこっ恥ずかしいことを淡々と言えるもんだと感心しながら、俺はラウラに部屋へ上がるように促した。
「そこの椅子に座っててくれ。せっかく来てくれたんだからコーヒーでも……おっ、そうだそうだ」
ふと、この前買ったケーキの存在を思い出して、俺は冷蔵庫の方へ歩いて行く。俺がケーキなんて意外だと言われそうだが、時々無性に甘いものが食いたくなるのだ。
「ラウラ、お前さんはタイミングが良い。実はこの前に買ったケーキがあってな。用意するから少し待ってろ」
そう言って冷蔵庫からケーキが入った紙箱を取り出した俺は、備え付けの食器置きからフォークと皿を2つずつ取り出す。
「いや、嫁にばかりやらせては夫が務まらん」
なんとも男前な発言をしたラウラは「コーヒーは私が淹れよう」と言ってマグカップを2人分取り出した。
「ウィル、コーヒー粉はどこだ?」
「え? ああ、そこの戸棚に入ってるが……」
俺は言葉を途中で切り、ラウラに視線をやる。
「少し高い位置だから俺がやるよ」
彼女の身長は一般的な15歳の平均よりやや低く、戸棚には手がギリギリ届くくらいだった。
「大丈夫だ。この程度……ならっ……!」
「おいおい、無理をするな。それは俺がやるって」
つま先で立ち、プルプル震えながら戸棚の中にある瓶に手を伸ばすラウラ。次から瓶はもう少し低い所に保管することにしよう。
「へ、平気だ。よし、取った――」
と、言葉を続けたラウラがツルッと足を滑らせる。俺は咄嗟に横から体を支え、降ってきた瓶を片手でキャッチした。
「あぶねっ! ……まったく、怪我したら元も子もないだろう。大丈夫か?」
「う、うむ……。
前側に滑ったラウラを横から支えたので、ちょうど抱き寄せるかのような格好になってしまった。さすがに男に体を包まれているのが落ち着かないのか、ラウラは妙に視線をさまよわせる。
「おっと、スマンな。離れる」
「あっ……」
ん? どうもラウラの声がすごく残念そうなんだが……なんでだ?
「べ、別に、私はこのままでも、良かったのだが……」
「? どした?」
「な、なんでもないっ」
「お、おう……?」
普段の彼女らしからぬ不思議なラウラだった。
▽
「(うぃ、ウィルに抱き寄せられて……し、心臓の鼓動が、早く……)」
足を滑らせたところをウィリアムに支えられたラウラは、偶然とはいえ抱き寄せられてしまったことに胸の高鳴りを抑えられずにいた。
顔は耳まで真っ赤になり、痛いほど熱を放っているのが自分でも分かるくらいで、普段の落ち着いた様子は微塵も見られない。
「(くっ……! この沈黙がどうにも落ち着かんっ。何か、何か話題は……)」
「あ、ラウラ」
「な、なんだっ!?」
予想もしていなかったウィリアムからの話し掛けに返事をしたせいで、その声がみっともないくらいに裏返ってしまう。おまけにグリンッと勢い良く振り向いてしまったので、ラウラの首に少し痛みが走った。
「お、おい。どうした?」
「な、なんでもない。なんでもないぞ。そ、それよりなんだ?」
「いや、チョコケーキとミルフィーユ、どっちが良いかを訊きたかったんだが」
「そ、そうか……。では、チョコケーキを頼む」
「ん、分かった」
「……………」
「……………」
特に何か話のネタが浮かんで来ることもなく、2人の間にまた沈黙が走る。
やがてウィリアムがケーキを。ラウラはコーヒーの準備を終えて、テーブルを境に対面する形で椅子につく。――が、この時も2人は言葉を発することはない。
「(うぅ~~。なぜこうも話す言葉が出て来んのだ……!)」
と、内心で頭を掻きむしるラウラは、自棄食いと言わんばかりにフォークを掴んでケーキに伸ばす。
「ああ、そうだ。ラウラ」
――とそこで、またしてもウィリアムから声を掛けられた。
何かを思い出したかのような物言いのウィリアムに、ラウラはケーキにフォークを刺そうとした姿勢のまま「?」とした表情を浮かべる。
「今週末なんだが、もし良かったら一緒に出掛けないか?」
「――なに?」