五条美城は白サギ嬢   作:アランmk-2

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早坂レポート その一

 彼が跳んでいる。

 白色をはためかせて、青と黄の二色に彩られたボール目掛けて体育館の床を踏み切ると、体を弓なりに反らせて腕を振るった。

 バァン! と大きな音が轟いて矢のように相手のコートに突き刺さる。コートにいる誰も、そのボールの影に触れる事すら敵わず、呆然と見送っていた。

 華麗なスマッシュエースに二年B組の生徒達は湧き立つ。

 

「ナイス白銀―!」

 

 彼の友人が笑顔で手を叩いている。

 打ったのは白銀御行だった。

 そこはみぃであれ。

 

 

 梅雨の季節になってくると、体育の授業は外の物から内の物になってくる。それまで太陽光への弱さから一度も体育の授業に出た事のない五条美城が、ようやく授業に参加できると友人達に意気揚々と話していたのは、耳目を集める彼の事、A組とB組の生徒の間では話題になっていた。

 そして当日、体操服を身に纏って現れた彼に注目が集まるのは仕方ない事ではある。

 半袖半ズボンから伸びるすらりとした真っ白な手足には、漢らしい武骨さなど微塵も感じられない。

 しかしヒョロヒョロの訳でもなく、すこしだけ付いた胸筋が服を押し上げている。逆にそのふくらみがあるせいで、彼の印象を胸が小さい女子のように抱かせるのは何とも皮肉な話だと、少し同情しますけど。

 彼のせいでと言うべきか、彼のおかげでと言うべきか、女子達は普段自分に向けられる視線が九割減したのを感じていた。注目の大暴落(ブラックマンデー)だ。かわいいの上場廃止が危ぶまれる。

 もちろん私に向けられる視線だってそうだ。ジロジロ見られたい訳でもないが、感心を向けられないと言うのも、それはそれで面白くない。それが彼氏(という事になっている)のせいならなおさら。

 

「五条とペアだったろ。アイツどんな?」

「何かいい匂いした」

 とか言う輩に、

「キモ……」

 

 と言ってしまったとしても、それは不慮の事故というものではないでしょうか。

 そんな大注目の中バレーの授業でゲーム形式が行われると、視線を集めるのは別の二人になっていく。

 まずは白銀会長。普段からの存在感をそのままコートに持って来たかのように暴れまわり、サーブを打てばノータッチエース、スパイクを打てば下手なレシーバーを吹き飛ばす。

 

「あの子私が育てたんですよ」

「母!?」

 

 その度に書記ちゃんが感慨深く隣のかぐや様にそう言うのは、ある種異様な光景でしたが。

 そしてもう一人は意外や意外、眞妃様の彼氏、田沼翼だった。

 会長と異なり、あまり冴えたプレーというのは無いのに、意識の間を縫うようなタイミングで彼にボールがあげられ、印象に残る得点を挙げていた。

 

「翼く……頑張りなさいよ男子ども!」

 

 別に彼氏を直接応援しても誰も文句はないでしょうに、素直に応援できなかった眞妃様が可愛らしかった事もここに記しておく。

 二大エースのおかげもあって悠々と勝利を掴んだB組だったが、バレー部の生徒などはその二人ではなく、これ以上は無い得点機のお膳立てをした五条美城の方に視線を向けて訳知り顔で頷き合っているのが、私の視界の端っこに映った。

 

 

 

 それを改めて思い起こさせたのは、授業が終わった後に彼の所に来た二人の男子のせいだ。口ぶりからバレー部に間違いないだろう男子達が、通せんぼするように五条美城の前に立ちはだかる光景を見たからだ。

 160ちょっとしかない彼が、180に迫る男達に詰め寄られている光景は、控えめに言って犯罪の香りがする。もしもし警察ですか?

 

「待って!?」

「誤解! 誤解だから早坂!」

 

 よく見れば同じクラスの男子達だ。だから何だという話だが。

 

「みぃに何の用だし?」

 

 私は口馴染んでしまった彼のあだ名を呼びながら、じろりと半眼になって二人を睨んでみせた。

 

「俺達は五条さんにバレー部に入らないかって言ってるだけ。なあ」

「そうそう。早坂からも言ってやってくれよ。バレーしてるカッコいいみぃ見たーいって」

 

 あはは、と少し小馬鹿にしたような笑いを二人はする。別に彼がバレー部に行こうがバスケ部に行こうが私は構いませんけど。その場合はボランティア部は立ち消えに、私は前と同じ生活のサイクルに戻るだけ。デメリットというほどの物でもない。

 

「早坂も来るか? マネージャーだけど」

「ボランティア部なんてよく分からない部より内申点も良いぜ」

 

ド正論はやめてください。泣いてるマイナー部活もいるんですよ。

 実際、ボランティア部は碌に部費は出ないだろうし、活動実績を内申点に加えてくれるのかどうかも怪しい。娯楽作品にありがちな謎部ってこう考えると本当に謎ですね。

 かといって他の部活に入るというのはあり得ない。こちらの事情を分かっている五条美城が提供する緩い部活内容だから参加しているだけに過ぎないのだから。

 睨み合いのような状況が少し続くと、彼は申し訳なさそうな声色で言った。

 

「お誘いはありがたいのですが、申し訳ありません。お断りさせていただきます」

 

 ふざけた所はあるが、それなりに真剣な申し出を五条美城はきっぱりと断った。余りにもきっぱり言うので、逆にあちらの方がバツの悪い顔をしたほどだ。

 

 

 

 

 

「いやー、そのバレー部は見る目あるっすね」

「そうなの?……って! 何でフツーにいるの」

 

 付き合っている風を装うとは言え、いつも一緒に昼食を彼と共にする訳ではなく、自分のクラスで火ノ口三鈴と駿河すばるの二人と机を囲む時もある。お喋り好きの二人から、雑談という名目で情報を集めるのは、私が自らに課した重要な使命の一つだ。……というのに、

 

「いいじゃん愛ちゃん」

「そうそう。いつの間にこんな可愛い後輩できたの?」

「いや~可愛いだなんて、先輩達の方が綺麗だし可愛いっす。さすが姐さんのご友人っすね」

「きゃー、姐さんだって」

「うちの早坂はまだお嫁に出さないからね!」

「出ない出ない。出ないから!」

「えー。そんなー姐さーん」

「えー、じゃないし!」

 

 つい先日知り合ったばかりの鹿苑(ろくおん)こがねが、しれっと二年A組まで来て、どういう訳か二人と一緒に机を囲んでいた。ちょっとは身に覚えのない後輩に対して疑問に思って欲しい。

 

「ていうか五条君て運動神経いいんだ」

「そうっすよ。もし日の下に出れる体なら何のスポーツでも代表に選出されるくらいの才能の持ち主っす」

「へー、いがーい」

「全然そうは見えないんだけど」

「みぃってそういう事言わないから。ウチも初めて知ったし」

 

 というより、あの日陰で大事に育てられたもやしみたいな見た目をしておいて、運動神経が良いなどと誰が思うのか。

 

「お? 惚れなおした?」

「そーいうんじゃないし」

「でも、じゃあ何で断ったんだろうね」

「そんなの決まってるっす。姐さんがいるからっすよ!」

 

 鹿苑こがねは言う。疑いを知らないような真っすぐな瞳をこちらに向けて、にへらっと口元がほころんだ。

 

「美城様は仲間を大事にされる方っす。そんな人が自分で選んだ女性をほっぽり出してどっか行くなんて考えられないっすから」

 

 私にはない、彼と昔から築いてきた信頼関係に裏打ちされた言葉だった。恐らく昔から彼はニコニコと穏やかに優しく柔らかく、時には先ほどのように毅然と物事を進めてきたのだろう。容易に想像できる。

彼女の言う事を別に疑う訳でもないが、だとするとそれは私には当てはまらない。実利を求めた打算による関係を仲間と言うのなら、前言を撤回するけれど。

 

「まあ愛ちゃんはちょくちょくバイトでボランティア部もフケるしねー」

「今の部活以外だと適当な所で抜けるってヘイトヤバそう。マネージャーとかも出来ないわこれ」

「部活で得られる達成感より、姐さんと過ごす時間を取ったという事っす」

「愛されてるぅー」

「るぅー」

「るぅー、じゃないし!」

 

 必要経費と割り切っているつもりではあるけど、どうも囃し立てられるのはこそばゆい。こんなナリをしておきながら、ほとんど矢面に立ったという経験が無いせいだと思うが。

 

「でも実際どうなの?」

「上手くいってるんでしょ?」

 

 ニマニマした顔が私に向けられる。そういえばキスのふりをして追い払った事があった。その事を思い出してからかってきているのでしょう、と思えば何という事も無い。

 

「どうかな~」

「なにその口ぶりー」

「五条君って滅茶苦茶優しくしてくれそうじゃん」

「どうなんすか姐さん」

「え~、皆が思ってるより結構子供っぽい所あるし~。

 ……でもそういう所がかわいいんだけど」

 

 ぽっと頬を染めながら、右のサイドヘアーを指先でくるくる。

 客観的に見て彼氏との事を気恥ずかしく話す女子高生にしか見えない。恋してるっぽい表情を私はいつでも浮かべる事が出来る。これくらいの演技は朝飯前だ。今は昼食時だけど。

 

「えー、いーないーなー」

「私も彼氏欲しいー」

「眩しいっす」

 

 恋人がいる、というのは圧倒的なアドバンテージである。いる者といない者の間には、浅からぬ溝が存在しているのだ。どこか見上げてくるような三人の視線を見返しながら、少しの優越感に浸る。

 

 た……楽しい。

 

 よくない事かもしれないけれど、そう思わずにはいられないのは、結局私も人間のマウント心を持っている事からは逃れられないという証左だ。

 本来これは恋をするというエネルギーと、交際期間という条件を満たさないと得られない物であるならば、五条美城という人間ほどハードルの低い条件をくれる者はいないだろう。低いを通り越して埋まっている。その意味では彼の事を好きと言ってもいいかもしれない。

 

 何しろ彼は恋愛事のうざったい所とは無縁だ。既読スルーしたって怒らないし、するなと言えば律儀にそれを守るし、あれこれ嫉妬しないし、無根拠にこちらをべたべた褒めてくるのは普通に気分が良い。かぐや様との関係を隠し立てしなくていいのも気が楽だ。

 総合して非常に良い契約相手だったと断言できる。☆5です(購入者のレビュー)。

 

「けど美城様もこんな綺麗な姐さんがいるのに、私に五条の家には言うなって言うんすよ。喜ぶと思うっすけどねえ」

「ウチからもお願いするから止めて」

 

 何という事をしようとしていたのだろうこの後輩は。

 今どき高校生同士の付き合いで将来を誓わせるような家はそうそう無いと思うが、それでも家の人に知られると付き合いにどうしても重みが出てしまう。少なくとも私は目的を達成したなら後腐れなく別れたいと思っているのに。

 あの見た目だ。溺愛されている様を簡単に思い浮かべる事が出来る。

 

「いつか紹介したいっす」

「なんでこがねの方が乗り気なの」

 

 五条くらいの家になると、本人よりも周りの方がやかましいのだろうか。

 早い事別れておかないととんでもない事になりそうな予感がひしひしとする。

 そのためにはさっさとかぐや様と会長にくっ付いてもらわないと。と言っても私に出来る事はそう多くはないのがもどかしい。彼みたいに恐れ知らずの恥知らずならどうとでも出来たのかもしれませんが。

 

 

――――――――――

 

「蒸し暑くなってきましたね」

 

 夜の街で信号に足止めを食らっている間、湿気を帯びて心なしか靄のかかっている空を見上げてそんな事を呟いた。

 カサっと右手に持った袋が音をたてて、どうしてこんな時間に夜歩きなんて事をしているか、あのお可愛い主人の顔と共に思い出す。

 

 相合傘。だそうだ。

 かぐや様は梅雨の時期を利用して会長と無理不合理のない流れで、相手からの誘いによって相合傘をする計画を立てておいでだ。

あらゆる天気予報に目を通すと共に、自らも天気図を読み込み、朝は雨が降らず夕方から降るという好条件の日を見つけになられたようなので、実行に向けて準備を始めている。

 その過程で、傘を使わなければ帰れない状況、つまり送迎の車が動かないような状況にするためタイヤをパンクさせなければならないのに、穴をあける千枚通しが壊れていてタイヤに歯が立たない事が分かった。

 

「なら新しい物を買ってきなさい」

 そういう事だ。

 私は千枚通しと、逆さてるてる坊主のための紙を調達するため、夜道を一人で歩いて買い物に行き、そして今はその帰りという訳だ。健気な事とは思いませんか?

 ぱっと視界に赤がチラつく。足を止めて、しまったと肩を落とした。ここの信号は異常に長いのだ。別の道から行こうと進路を変更した。

 角を曲がって続きから考える。

 かぐや様はもう少し私を大切にしてもバチは当たらないと思うのに……。だからと言って五条美城くらい甘やかせとは言いませんが。

 というか、彼のあの褒める事への躊躇のなさは一体何でしょう。彼自身も言っていたが、褒められた事しかないという、ある意味歪な家庭の教育方針からくる物なのか。四宮の方針と比べれば遥かにまともだけど。

 

「すんません。今こっち夜間工事中で通行止めっス」

 

 えっ、こがね?

 突如聞こえた声に最近纏わりついて来る後輩を感じてはっと顔を上げる。

 そこには『安全第一』のヘルメットに、反射材が貼られたベストを着ている、二十歳くらいの若い男性が立っていた。ただの体育会系だった。

 その作業員とふと目が合うと、彼は「おっ」と小さく言って息を呑んだ。その目は次に私の金髪に視線を映し、そしてもう一度顔を経由して胸元の方へ落ちる。

 気付かれないとでも思っているのでしょうか?

 言葉にして言うほどでもない小さな不快感に眉をひそめるのと、その看板が視界に入って来たのは同時だった。

 【工事のお知らせ】と上に書かれた、よく見かける看板。下にある五条建設の文字が嫌に目を引いた。五条美城の実家である。関東土木建設の王とも言って良い五条建設にしては小さな工事だ。それでも億の金は動いていると思うけど。

 真正面に意識を戻すと、目の前の作業員から顔と胸に舐めるような視線が相も変わらず送られている事に気が付く。

 いいんですかそんな事して? 私、五条建設の創業者一家の長男の彼女ですけど?

 そんな良く分からない偉ぶりが沸々と心に湧いてきたのを感じる。しかし、それは良くないと理性が働きかけてそれは沈静化した。

 

「あ……はは、分かりました」

 

 後に残ったのは、そんな事を思った自分に対しての恥ずかしさだけだ。その一言だけ言って踵を返すと、逃げるように来た道を引き返した。

 近いからと思って行きと違う道を選んだのが間違いだったみたいだ。

あんな事を思ったのは参っているからなのか、自分でも知らず知らずのうちに色ボケているのか、良く分からない。

 

 はあ、とため息を一つ吐いて落ち着かせる。何の根拠があって偉ぶれるのか。自分は、彼氏が出来たからと言ってその彼氏の力をあたかも自分の力のように振る舞う女を軽蔑していたではないか。これではその女と変わらない。

 大きく回り道して進路を変えると、弱り目に祟り目とでも言うのか、タイミング悪くガラの悪い集団が道いっぱいにたむろしていた。片手に火のついたタバコを持って、もう片方の手に持ったストロングなお酒をあおっている。浦田あたりに行けと言いたい。

 

 上手くいかない。

 私はもう一度ため息を吐くと、絡まれないようにそっとその場を後にした。

 どの道から帰ろうか、などと考えていると、キンッと乾いた金属音が微かに耳朶を打つ。振り返ると『バッティングセンター』の文字が夜に煌々と輝いていた。時々利用している、いわゆるいつもの店だった。

 不思議と偉ぶるのも、変な事を考えるのも、きっとストレスが溜まっているせいでしょう。

 そう自分に言い聞かせると、一回くらい打って行こうと思い、扉を引いて中に入った。

 

 キンッと鋭い音。ボッと鈍い音。時折誰かが「ナイバッチー」と言っている声が聞こえる。

 夜遅くにも関わらず、中にはそこそこの人がいた。

 大学生らしき二人組が二組、一組はバッティングをしていてもう一組はストラックアウトをしている。同じような大学生の、こちらはカップルだ。女性の方が打っている様子をその彼氏は下手くそと笑っている。

 そういった人たちの見世物のようになるのは何となく嫌だったので、人が少ない方に歩いて行った。

 

 仕事帰りの三十代くらいの男性が黙々と打ち込んでいる。一つ開けたケージには私と同年代で、すらりと背の高い女子が興味無さげにバットを振り回していた。誰かに無理やり連れて来られたのかもしれない。

 どちらも周りに興味の無さそうな人だ。そこが良い。

 その二人の間のケージに入り、二百円を機械に投入した。最高百十キロのコースを選び、一番軽いバットを手に取って右打席に入る。一二回軽く素振りをして準備完了。

 マシンの投球口の周りにある簡易モニターがぼんやりとした人影を映す。映像のピッチャーの動きと同じタイミングで投球する、どこにでもあるありふれたシステムだ。

 足を肩幅に開いて、オープンスタンス気味に構える。モニターのピッチャーも投球動作を開始した。高く腕を上げる特徴的なワインドアップ、背番号が見えるほど捻って投げる、日本人で最初に海を渡り活躍した投手の投げ方だ。

 真ん中低めに来た球を弾き返すと、キンッと軽い音をたててライナーで真っすぐ飛んで行った。センター前ヒットだ。まだ腕は鈍っていないらしい。

 来た球を素直に打ち返す事二十球。モニターの電気がふっと消えた。終わりのようだがもう少し打って行こうと思い、もう一度二百円を投入する。

 投げられる白球の事だけ考える。より上手くはじき返す事だけを考える。芯で打った時の心地よい手の痺れが、煩悩とか懊悩とかいった物をはじき返したかのようで心地よかった。

 薄っすらとかいた汗が額に流れる頃には、気持ちもだいぶ楽になってきたような気がする。

 最後の一球が投じられると、真ん中高めに浮いた球だった。上手く打てば女の私でもホームランに出来るコースを振りぬいて……

 

「はい神。今の内角のさばき落合だよー落合」

 

 空ぶった。

 

 それまで静かだった隣のケージがいきなり騒がしくなったので、つい変な力みが生まれたからだ。

 がっくりと肩を落とすが、まあここに来た目的は充分に果たせたので良しとする。

 足元に置いていた買い物袋を忘れずに手に取ってケージを出ると、

 

「はい大谷大谷。そのアウトコースを逆方向に引っ張れるの大谷・筒香・(かなめ)ちゃんだけだよー」

 

 とか言っている人と目が合った。

 

「えっ、姐さん……?」

「えー……っと」

 

 私を姐さんなどと呼ぶ人物は一人しかいない。見覚えのある黒いセーラー服を身に纏っていて、ざんばらな前髪と、後ろはポニーテールにまとめた黒髪。くりくりっと大きな目はこげ茶色で、笑みを浮かべた口元は、やっぱりどこか間抜けにも見える。

 鹿苑こがねだった。

ぱあっと顔色を明るくした彼女が、ポニーテールを尻尾のように揺らしながらじりじりとこちらに近づいてきた。

 

「姐さーん!」

「わっ! だからくっつくなだし!」

 

 飼い主が帰ってくると玄関に飛び出してくる犬のように、こがねは私に飛びついてきた。私より少しだけど身長があって、バレー部に所属していて筋肉もある彼女は色んな意味で大きかった。

 

「ど、どうしたっすか。私何かやらかしたっすか?」

「今」

「あ、はい。すみませんっす……」

 

 冷たく言い放ってやると、手を離してすごすごと身を引いた。肩をすくめて俯いてシュン……となる。強く叱った時の犬と同じだ。

 しかしどうしてこんなに懐かれているのだろう。鹿苑の家が五条に世話になっているのは分かるが、私はその長男の彼女(嘘)というだけで、尊敬に値するような事はしていないと思うのだが。……重い物を持ったから? 何て単純な。

 

「姐さんもこういう所に来るんすね。意外っす」

「まあ私には似合わないしー」

「いえいえそんなまさか。横目でちらっと見ただけでしたけど、カッコよかったっす」

「そう?」

 

 こう正面切って褒められると、さしもの私も少しは照れた。褒めるのは五条に連なる一族の特徴なのだろうか。陽の気が過ぎる。

 

「こがね? 何してんの」

 

 さきほどまでこがねが声をかけていたケージの中から、凛とした女性の声が響いた。少し低くて落ち着き払ったような印象を受ける声だ。

 

「あ、はい、要ちゃん。今行くね」

 

 普段私が聞いている『っす』口調ではない話し方で内の人に声をかけたのを少し驚いて聞いていると、それに気が付いたこがねはバツが悪そうに苦笑いしてケージの方に歩いた。

 さすがに知り合いでもない人のバッティングをかぶりついて見る気にはなれず、近くの自販機で買ったお茶を舐めながら彼女の後姿をみていた。

 

「あ、今の良かった。完全にバース」

「褒めてる?」

「当たり前だよ」

 

 こがねは褒めるので、見る気は無かったが何となくケージの内に目をやった。私には運動はした事あるけど運動神経は良くない人にしか見えなかった。上半身だけで打ちにいく、いわゆる『手打ち』な打ち方だ。けれど腕の力はあるからだろうか、良い打球が飛んでいく。

 背は高いからそれだけでレギュラーになれるタイプの人なんだろうな。と、失礼ながら思った。

 背は低くても運動神経の良さと視野の広さからバレー部に誘われるほどの彼とは正反対のタイプだ。

 ……うわ、今ちょっと誇らしかった。こうして人は男の人のステータスを自分の物のように思っていくのだろう。反省しないと。

 

「要ちゃんどんどん良くなってるよ。近いうちにホームラン賞貰えるね」

「別にいいよ。ただの暇つぶしなんだから」

 

 どうやら打ち終わったらしい。ケージの中からこがねが声をかけていた『要ちゃん』が出てくる。

 175センチはありそうな長身が何よりも目につく特徴の女子だ。手足が長くて羽織った薄手のジャケットの上からでも分かるほど胸も大きい。背が高いとは思っていたが、存在感のある佇まいに想像以上に大きく見える。

 

「さっき何か話してたのってこの人?」

「そう。高等部二年の早坂愛先輩」

「どもー」

 

 ペットボトルの蓋を閉めて軽く手を振る。要という少女は「ふうん」と興味あるのか無いのか分からない声を出すと、すこし屈んで私の顔をのぞき込んできた。愛想笑いを返しながら、私もその顔を見返す。

 切れ長の目はキリッと吊り上がって、中に黒曜石のような黒い瞳が収まっている。真っすぐ通った鼻筋に、少し厚めの唇で、細い顎のラインから始まる頭の形が綺麗なのは、飾りっ気のないショートヘアーから窺い知れる。

男子よりも女子に人気が出る女子だ。バレンタインチョコは間違いなく貰っていると思う。

 

「こんな時間に何してたの?」

 

 彼女は不躾に聞いてきた。会って数分、それも先輩に対して。何ともまあ図太い神経を持った女子なんだなと感心してしまうほどだ。それを言ったのは警察とめんどくさい酔っ払いとあなたで三人目です。

 

「何って、バイトだけど?」

「バイト? 秀知院の生徒が? へえ……」

 

 唇を愉快そうに歪めながら、そばにあったベンチに足を放り出すように腰かけた。そして放り投げた嘘みたいに長い脚を組んで、上にした方の膝に肘をついて頬杖をつく。私を頭の天辺からつま先まで値踏みするように眺めると、皮肉っぽく笑って言った。

 

「夜の蝶……ってね?」

「夜のちょー?」

 

 要という少女が言った事が分からないのか、とぼけたような口調でこがねは繰り返す。

 あんまりな言い草だ。片方の眉を顰めてニヤついてる彼女を睨んだ。

 派手な髪色をしているし、メイクもばっちりだ。四宮の一員として服だって高校生が着るレベルを遥かに逸脱する物を身に着けているが、よりにもよって水商売? そんな事を思われる謂れはない。

 言葉の意味は分からなかったが、私が不快になったのが分かったのだろう。こがねは私を守るように前に出て来て、要に食って掛かる。出来た忠犬だ。

 

「要ちゃん、何か失礼な事を言ったんじゃないの?」

「どしたのこがね」

「どしたの、じゃない。怒るよ」

「へえ、怒るんだ。こがねが、私に?」

「そうだけど……そうっすけど……」

 

 私に対する口調か、彼女に対する口調か悩んでる心境そのままに、こがねの口調があっちこっち行き来すると、怒られそうな状況すら楽しむように要はクスクスと笑った。

 

「何で?」

「何でって……」

 

 その余裕ぶった笑みが癪に障ったのか、こがねは肩を震わせて固く拳を握って、吠えた。

 

「この人は、あなたのお兄さんの恋人だから、です!」

 

 ……

 ん?

 ちょっと待って。

整理しよう。

 『この人』とは私の事だ。『あなたのお兄さんの恋人』は分解できそうにないのでそのまま。

 仮にさっきのセリフを私が言ったとすると、

「私はあなたのお兄さんの恋人だ」という事になる。

つまり……?

 

「えっもしかしてみぃの妹!?」

 

 そういう事になる。ということは……中学生!? これで?

 

「みぃ? ふふっ、兄さんの名前が美城だからみぃなの? あははっ。可愛いあだ名」

 

 心底楽しそうに要はけらけら笑い出した。兄という単語ですぐ美城という名前が出た所から、目の前の少女が五条美城の妹で間違いないだろう。

 しかし似てない。

 マジで似てない。

 かつてないほど似てない。

 彼の髪の色が白だったり目の色が赤いのは親の遺伝子とは無関係なので仕方がないが、顔つき、体格など全くと言って良い程に似てない。

 

「あーあ。お姉さんが来ちゃったし帰ろうか、こがね」

「要ちゃん!」

 

 その五条美城に似てない妹は、彼とは正反対なつり目でこがねに目線をやりながら立ち上がる。いつもそうしてるのか、こがねは大人しく二人分の鞄を持つと、まだ何も私に言ってない事を思い出して要を叱責した。

 つまらなそうに彼女は唇を尖らすと、私の方を向いて口角を上げてクールな笑みを浮かべた。

 

「ごめんね。ちょっとした冗談だよ」

 

 悪いとは思っているのだろうが、いまいち真剣味の感じられない謝罪だったが、中学生だったらこんな物だろう。教科書に載るくらいの建物を見て、『これ家で造ったやつ』と言える家柄の子供の自意識という物は分からない。かぐや様? あの人はずっとそばで見ていたから別。

 

「いーよ。気にしてないって言ったら嘘だけど、忘れとくから」

「ありがと。優しいお姉さんを持って幸せだな」

 

 ふふっ、と彼女は短く笑うと、こがねの持っていた鞄を取って出口へと歩いて行った。

 

「申し訳ありませんっす、姐さん。要ちゃんも悪い子じゃないんすけど……」

「けど? 何だし」

「周りに四宮副会長や眞妃ちゃんみたいな人がいなかったっすから」

 

 天狗になってる、と言いたいのだろうか。確かに自分を脅かす人がいない、ぬるい環境下ではそういう精神が醸造されやすいのかもしれない。五条美城の場合は生まれてすぐ四条姉弟という家柄においても能力においてもトップの二人と関わっていたおかげか(せいで、とも言う)物腰の低い人物になったのだから。

 

「こがね、どうしたの?」

 

 いつまで経ってもついて来ないこがねにしびれを切らしたように彼女は声をかけた。顔を突き合わせて話している私達を見ると、困ったようにポツリと零した。

 

「……そっちの方が良いんだ」

 

 そう言う五条要の姿は、なぜだか小さく見えて、落胆の奥に悲嘆をにじませているように見えた。そういえば美城が、こがねは妹の従者みたいな関係と言っていた。昔から面倒をみてくれた姉のような人が、ぽっと出の奴に取られるのは面白くないに違いない。

 

「ごめん要ちゃん。今行くよ。……では姐さん、また明日学校で会えるのを楽しみにしてるっす」

「あー……うん、じゃあね」

 

 ぺこりと私に一礼すると、こがねは要の下へ小走りで駆けて行った。要はそんな彼女の頭をぐしぐしと乱暴に撫でると、満足気に目を細めてバッティングセンターを後にする。

 

「疲れた……」

 

 せっかく人が気分よく汗を流していたのに。晴れやかになった気分に水を差された気分だ。落ちていた気分を上げたのに、また下げられると倍は気疲れしたように感じる。

 何だか気分が上がってこないまま、ぼうっとベンチに座りながらお茶に口につけた。

 

 ああ、ただでさえ一日の最後には最も気分の乗らない業務が待っているというのに。

 

 そんな事を思いながら飲み終わって空になったペットボトルをゴミ箱に投げようとした、

 

 ティロン♪

 

 瞬間に通知が来たのは、もう呪われているとしか思えない。手元が狂った投擲は、当然のように的を外して、緑色のラベルを纏ったボトルが空しく地面を転がった。

 はぁ~……

 私は今日一番のため息を吐いてペットボトルを拾い上げ、改めてゴミ箱に捨てた。

 いきなり音を出した不届き者をポケットから出して、ライン画面を開く。

 さっきの人物……の兄からだ。

 彼はかぐや様と同じで遅くとも十一時には床に就くので、十時か、早い時には九時におやすみのラインが来る。画面右上の時間を見ると十時を少し過ぎた頃だ。

 

『今日もお仕事お疲れ様です』

『今日は少し暑いですね。体調を崩さないように気を付けて』

『ではまた明日。おやすみなさい、愛』

 

 好きだよ、の文字は暗号の合図。それが無いという事は言葉通りに受け取れと言う事だ。

 恋人に送るにしては飾りのない簡素な文字だった。けれどそれは、返信は別にしなくてもいいという彼なりの優しさという事を知っている。というよりも、おやすみを送った彼は本当にその瞬間寝てしまうのだ。

 一日の終わりに彼女とコミュニケーションを取ろうという気なんて無いのだろうか。酷い話だ。

 心の中で彼に文句を言っていると、何だか馬鹿馬鹿しくなってきて、くつくつと喉の奥で笑った。

 荷物を乱暴に手に取って、バッティングセンターを後にする。湿った空気が肌に纏わりついてくるのを置き去りにするように、駈け出す如くにステップした。さっきの酔っ払い達がたむろしていた通りに出ると、もうそこには誰もいない。ツキが向いてきたかな。

 そうだ、明日は文句を言ってやろう。

 酷いんですよ、あなたの妹が。

 それを聞いたら彼はどんな顔をするんだろう。

 すみませんでした、と謝るだろうか。あの子はまだ子供ですから、と笑うだろうか。

 今からあのいつもニコニコ顔が困ったように歪むのが楽しみだ。少し不健全な事を考えていると、それがまた可笑しくて、誤魔化すようにひょいっと縁石を飛び越える。

 帰り道の信号に、今度は一度も引っかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「ただいま」

「お帰り、かなちゃん」

「兄さんは?」

「もう寝てるわよ」

「へえ、いい気なもんだね。彼女はこんな時間まで働いてるっていうのに」

「え!? 彼女!? 何それ何それ。お母さん知らないんだけど」

「私も初めて知ったよ。早坂先輩っていう金髪のハーフ」

 

 

 

 

「……早坂?」

 

 

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