五条美城は白サギ嬢   作:アランmk-2

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早坂愛はどこにも行けない

「酷いんじゃないかしら、おば様」

「あら、何がでしょうか眞妃さん」

 

 四宮かぐやと四条眞妃が相対していた。

 今は昼休み、中庭の見える渡り廊下で、冷たい美貌が向き合っている。梅雨の時期らしく空に雲はかかっているが、薄い鈍色の雲で雨は降りそうにない。

 今ここに、竜が天から降って来そうな剣呑さはあったが。

 

「分からないんですか? お・ば・さ・ま」

「だから何が酷いんですか? 5W1Hをはっきりさせて喋ってください」

 

 言葉だけ聞けば一触即発の様相を呈していた。

 片や資産二百兆円の大財閥の令嬢、四宮かぐや。片や資産一兆ドルに迫る多国籍企業の令嬢、四条眞妃。ただシェアを奪い合うライバル企業というだけでなく、四宮家から袂を分かった四条家、両家の間には張りつめた糸のような緊張感がある。

 そのまま言おうと眞妃は口を開く。しかし中庭の方を見ていた彼女がある一点を見つめてふと表情を和らげると、そっとその方を指さした。

 

「あれよ、あれ」

「あれ?」

 

 眞妃が指さした方をかぐやも見ると、そこには中庭の木陰に向かって歩いて行く白と金の二人組がいた。

 かぐやの侍女の早坂愛と、眞妃の侍従(自称)の五条美城だ。

 

「酷いんですよ、みぃ。あなたの妹が」

「要に会ったんですか?」

 

 そんな会話をしている事は二人には当然届かないが、少なくとも不仲でない事を推し量るには充分だった。

 

「あの二人がどうかしましたか? 仲睦まじい様子に見えますけど」

「そう見えるのね。だったらなおさら酷いわ」

 

 眞妃はもう一度酷いと言ってやれやれと頭を振る。酷い酷いと言われ続けてかぐやは頬を引きつらせた。謂れのない誹謗中傷を四宮に向けるなど許されない事だ。

 

「そろそろ言葉遊びにも飽きてきた所です。早く何が酷いのか言ってください」

「ふん……。あの子達ってそろそろ付き合って一月くらいじゃない?」

「そうですね。それがどうかしましたか?」

「おば様のとこが忙しいから、あの子達一回もデートに行けてないじゃない。って言いたいの」

 

 デート!

 男女交際においてその価値をいまさら説くほどでもないくらいに重要な、恋愛のプロセスの一つである。

 男女が日常を、または非日常を共有する事でお互いの愛情を深め、確認し合う行為であり、これによって恋人達の時計の針は進む。関係性の発展により手を繋いだり、キッスをしたり、神ったりするという段階へ至るのだ。

 そのデートを早坂愛と五条美城の二人は今まで一度もしていないのである。

 

「ほら、愛は生粋の使用人でしょ。デートしたいから休ませて下さいなんて言えないのよ」

「そう言われればそうですね……」

 

 かぐや、納得の頷き。ここ最近は彼から告白された浮かれ調子も少しはマシになって、おおよそ以前の早坂に戻っていたので、デートの一つくらいしたいのでしょうと思っていた事も頭のどこかにしまっていたのだった。

 ……マシになったとはいえ、連絡来たとマウント取ってくるから恋愛にすんなり手を貸してやるのが癪だったとかそういう事はない。

 無いったら無い。

 

「ですが早坂は替えの効かない一番の従者です。そうはいはいと休みを取らせる訳にも行きません」

「そんな事言わないでよ。あの子の……美城の初恋がせっかく実ったんだから、何とかしてあげたいの」

 

つんと張りつめていた眞妃の表情が少しだけ緩んで、らしからぬ弱々しさをのぞかせた。

 

「ま、おば様には分からないかもしれないけど」

 

 一瞬かぐやが同情しかけた所に、眞妃はいつものふてぶてしさを取り戻して言う。かぐやは笑みを深くして、そんな事を思った自分に後悔した。

 

「品の無いこと……。ですが、そうですね。早坂はいつも頑張っていますし、少しくらい普通の女の子みたいに過ごす日があってもいいかもしれません」

「そういうの素直に言ってあげたら? 愛も喜ぶんじゃないかしら」

「四宮に甘えは必要ありません。それにあなたの従者気取りさんが変わりに誉めてくれるでしょう?」

「確かに致死量レベルで美城は褒めてくるけども。ちなみにいつ休みをあげるの?」

「そうですね……」

 

 かぐやは頭の中にあるカレンダーでスケジュールを確認すると、直近二週間ほどの予定を問題ない範囲で諳んじた。

 

「週末は駄目です。平日も今は季節の変わり目ですから、庭園に手を入れる作業の指揮を執っているので余裕がありませんね」

「四宮別邸の庭師はかかしか何か? 全くお笑いだわ」

「違います。あの子が優秀なだけです」

「じゃあいつならデートできるのよ」

「そろそろ期末試験ですけど、それが終わったあたりでしょうか」

「先じゃない……」

 

 眞妃は不服そうにかぐやの事を睨んだ。

 それは友人の事というよりも、自分の身に降りかかる不幸のような落ち込みようで……。

 

「どうして眞妃さんがそんなに落ち込んでいるのですか?」

「え?」

「いえ、物心ついたころからの幼馴染と言っていましたから分からなくはありませんよ? ですが、どうもあなた自身に不都合があるような気分の落ちこみよう……」

「な……なによ」

「何故かはわかりませんが、眞妃さんはさっさと彼等にデートに行って欲しいんじゃないでしょうか」

「それのどこが悪いの」

「何か目的があるんじゃないですか?」

「無いわよ!」

 

 嘘である。

 滅茶苦茶目的があって眞妃はこんな話を切り出している。

 

「例えば……あなた自身のデートの参考にするとか、ね」

 

 妙な確信があってかぐやはその言葉を口にした。

 確信は大当たり。息を呑んで眞妃は黙りこくった。ぷいっと顔を背けて空を見上げている。

 

「お可愛いこと……」

 

 かぐやは口元に手を当てて言った。この心理戦、地の利を得たのは間違いないだろう。あとはこのまま上から叩けばいい。この場の勝利は目前である。

 

「ふんふん。ここからラブの香りがします! 誰が惚れた腫れたにデートに誘う誘わないですか、かぐやさん!」

 

 よほどの上位者が現れない限りは……。

 

「藤原さん!?」

「はい。ラブ探偵チカただいま参上です!」

 

 整えたフィールドを荒らされる、かぐやにとって藤原の参上は惨状であった。

 しめた、と思った眞妃の思惑も重なり、戦いは新たなステージへと突入する。

 

 

「見てください愛。これが私の家族写真です」

「みぃって母親似なんですね。あなたに色付けたらこういう顔ですよ」

「時系列で言えば母さんから色を抜いたら私と言う方が正しいですけど」

 

 話題の中心であるはずの二人は何ら四宮・四条両名の争いに関わる事無く、呑気に家族写真を見ながらキャッキャしていた。

 

 

「それで何の話をしてたんですか~?」

 

 藤原はかの名探偵シャーロックホームズが被っていた事でも有名な鹿撃ち帽を浅く被って、かぐやと眞妃の二人にそれぞれ目線を送った。ここにくる直前まで友人と夏休みに向けて惚れた腫れたの恋バナをしていたので帽子を被っていたのだ。彼女がここを通ったのは本当にたまたまである。

 

「藤わ……」

「あの二人の話をしていたのよ」

 

 かぐやが話そうとしていたモーションを見て、それを制し、一息に言って後の先を取ったのは眞妃だ。藤原の興味が一気に眞妃の方へ向き、そして指さしている方へと順に動いて行く。

 眞妃の指さした先の中庭の木陰には、寄り添う二つの人影があって、それは藤原も良く知る人物である事、白と金に輝く二つの頭を見て理解した。

 

「シロちゃんと早坂さんですか?」

 

 『はてな?』といった感じで藤原は小首をかしげる。二人には特にこれと言って問題は生じていない事をラブ探偵はその人脈の広さから知っていた。

 唯一あるとすれば自分と仲が良すぎて『藤原は早坂から略奪するつもりか』と疑われている事くらいだろうか。心外である。愛のパズルが一人では解けないからと言って友人の恋人をゲットするほどワイルド&タフなつもりは一切ないのに。

 

「二人はもう付き合って一か月くらいになるのにまだデートもしてないのよ」

「それは由々しき事態です!」

 

 義憤に駆られて藤原はふんふんと鼻息を荒くする。あんな風に好き合っている二人がデートの一つも出来ないなど、ラブに対する反逆である。

 

「愛のバイトが忙しくて全然休めないんですって」

 

 眞妃は仕上げの一言を呟いた。

 

「そんなの間違ってます! そう思いますよねかぐやさん」

「えっ」

 

 かぐやが攻め、眞妃は受けに回っていた状況は完全に逆転した。藤原を用いた、シャークさんもかくやという眞妃の完璧なマジックコンボであった。

 

「そ、そうですね。でも早坂さんも納得した上でお仕事をされているのでは?お給料も良いそうですし」

 

 かぐやは早口で言った。

 その裏に少しばかりの言い訳する心があったのは、眞妃には完全に伝わっている。どことなく愉快な気分で彼女は藤原がかぐやを攻め立てる所を見ていた。

 かぐやの欺瞞を見抜いた訳でもないし、早坂の心情を推し量った訳でも無いが、彼女は恋人は一緒にお出かけしたいという一般論を基に根拠を組み立てる。

 

「だとしても、どこにも出かけられないなんて間違ってます! カップルは一緒に何かしたいしどこかに行きたいはずなんです。二人が所属してるボランティア部とかいう妙ちきりんな部活で時間が取れない事は無いと思うんですよ」

「さらっと酷い事言ったわね」

 

 ただ本人がこの場にいたとしても否定はしなかっただろう。

 

「ちなみに早坂さんはどんなシフトかは知ってますか? 平日は?」

「最近は休みなし、という話をしているのを小耳に挟みましたが……」

 

 小耳に挟むどころかかぐやは早坂の耳にシフトをねじ込んだ張本人である。知らないはずがない。

 藤原はそれを聞くと普通の家……ではないが、それなりにまともな家に育った子供らしく普通に怒った。

 

「そんな事ってありませんよ! 高校生にそんなに出勤させるなんておかしいです!」

 

 奇しくもその批判は、一般論からかけ離れた四宮家の芯を貫く行動規範にぶっ刺さりであった。

 かぐや、ひいては四宮家に4のダメージ。

 

「ですが長らく勤めている職場だそうですし……いきなり環境を変えるのも早坂さんの負担になるのでは?」

「そうかしら?」

「何が言いたいんですか眞妃さん?」

「別に」

「ちなみにどんな仕事をしてるんですか?」

 

 鹿撃ち帽を今度は目深に被りなおして、名前も知らぬ早坂愛の勤め先に内心で疑問の矛先を向けた。目つきがらしからぬ鋭さを帯びて、皮肉にも探偵っぽかった。

 疑っている事は探偵というより労基であったが。

 かぐやはアホ面ではない藤原に居心地の悪さを感じながら、早坂が言っていたのを小耳に挟んだ体を崩さないままで話した。

 

「えっと、朝に仕事の書類を確認して登校して、夕方に職場に向かって食器の洗い物や掃除、発注、指示出し、打ち合わせ、お客様の対応……などでしょうか」

 

 細かい所は言うまいと思っていたが、こう考えてみるとかぐやは使用人がどんな事をしているのかざっくりとしか知らないなと思った。将来的に頭を縦に振れば何億が動き、頭を横に振ればいくつかの会社が消し飛ぶ立場に就くであろうかぐやにとって、身の回りの家事は些事でしかない。

 そんな事に時間を取られないようにするために使用人がいるのだから、それはそれで構わないはずだった。

 そんな使用人の中でも早坂愛はとびきり特別な近従だ。やはりそう易々と休ませられない……。

 

「えっ滅べばいいんじゃないですか?(辛辣)」

 

 四宮死すべし慈悲は無い。

 ラブ探偵はラブのない職場に厳しかった。『これね、ラブの平手打ちだよ?』と言って教育を施しかねない。彼女がやってまともな職場になるかは神も保証してくれないが。

 

「ふふふ……」

 

 眞妃は声を押し殺しながら口元に手をやって笑いを押さえようとしたが、目がニヤニヤしているので効果はなかった。

 誰よりも四宮かぐやの味方である藤原千花が、誰よりも四宮の敵である四条と同じような事を言っている。

 あまりの皮肉さに眞妃は少しとはいえ笑わずにはいられなかった。

 

「そんな藤原さん、滅べだなんて口が悪いですよ」

「だってそうでしょー! 一介の女子高生に朝から仕事させて! こーぞー改革、働き方改革が必要です!」

 

「あれれ~? 皆で集まってどしたし~?」

 

 今まさに職場に政治の介入が行われるか否かという瀬戸際とは露知らず、早坂愛はかぐや一団に声をかけた。

 

 助かった……。やっぱり頼れるのは早坂だけね。

 かぐやはそんな事を思って彼女への感謝を深めた。

 

 なお彼女がここに来たのは――

 

「愛の家族写真も見せてくださいよ」

「えぇ……嫌です」

「そんな。どんな両親の下で育ったのか、私とても興味があります」

 

 早坂は自分のスマホの写真データを思い返す。

 家族写真と言われても、パパもママも京都の本邸で仕事してるから撮った事なんて……。あ。

 

「あるんですね」

「いや、これは」

「見せてください。ね?」

 

 あるにはあった。母親に頬ずりするように顔を近づけて、ベッタベタに甘えている写真だ。

 美城の前ではクールな四宮の使用人・早坂愛モードでいるので、この甘えたガールの側面は決して見られてはならない。フリではない。見られてはならないのだ。

 

「駄目です」

「そんな事言わずに」

「駄目ったら駄目なんです」

「見せてくださいよー」

「だ・め・で・す」

 

 ぱっと立ち上がると、駆け足で早坂は木陰から離れて美城から逃げ出した。

 

「愛ー。待ってくださーい」

「待ちません。……ふふっ」

 

 

――みたいな爽やかな青春劇を繰り広げていた最中に、偶然渡り廊下で話しているかぐやの事を見かけたからだった。早坂がここに来たのは本当にたまたまである。

 

 キレそう……(僻み)。

 

 

「書記ちゃん何でそんな怒ってんの~?」

 

 さてそんな逃避中に見かけたからという理由で足を運んだ早坂だったが、藤原はぷんすか怒っていて、かぐやは笑顔がこわ張っていて、眞妃はおかしそうに笑っている状況に、面倒くさい場面に来てしまったと早速後悔した。帰りたい。

 

「早坂さんは今のままでいいんですか?」

「え、何が?」

 

 本当に何も知らない。事前準備を怠らない、仮にそれが出来なかったとしても心の準備はいつもしている早坂には珍しい失態だった。

 

「職場のおかしさについてです!」

「……は?」

 

 だからこうして一瞬頭が付いて行かない事態になる。

 

「えっと、どういう事?」

「聞きましたよ。朝からお仕事に目を通して夕方からやる事がいっぱいなんですよね」

「そうだけど……」

「そのせいでシロちゃんと一回もデートに行けてないとか」

「……まあそう言われればそうかな」

 

 自分はバイト先の事はほとんど言っていない。

 まさか、と思って主人の方に目線を送ると、かぐやの瞳がほんの僅かに揺れた。お前かい。

 まあちょっと厳しい接客業くらいの言い方程度の話をしたのだろう。厳しい、の責任の所在の四割はかぐや自身に帰するのを知って欲しいが。

 

「早坂さん、悪い事は言いませんから職場を変えるべきです」

 

 藤原は優しい顔をして早坂の手を取った。突っぱねる事は出来るが、彼女は百パーセント善意で言っているのでそれも良心が咎めた。

 こういう所がずるい。だから藤原千花という少女は好かれるのだ。

 

「そうだね~。朝は早いしー、学校の間も色々考える事はあるしー、夕方からはほんっとに忙しいしー」

 

 彼女の口車に乗せられて、早坂は職場のおかしい所を一つ一つ列挙した。詳しい事は言えない制限の下でも口が快調に走り出している。不満の峠を攻める走り屋だった。

 かぐやなんてちょっと泣きそうになっていた。

 

「……そう、早坂さんは今の職場に不満がおありなんですね……」

 

 しょぼくれたかぐやが恨みがましそうに早坂を睨む。

 お望みなら……と物騒な事を考えるが、実の姉妹のように育った早坂の事、そう軽々に切り捨てられる人材ではないし、単純にそうしたくはなかった。

 そんな内心を読み取ったように早坂は内心で微笑むと、彼女の職場に不信感を募らせる藤原と、なにより少なからずショックを受けている主人の為に口を開いた。

 

「けど……」

「あ、見つけましたよ愛」

 

 ……の矢先、渡り廊下に繋がる扉の影から白い頭が飛び出した。見失った早坂を探しに駆け回っていた五条美城である。

 トコトコと呑気な足取りで渡り廊下に固まっていた主人友人契約恋人その主人の所へ歩いて行くと、何となく淀んでいる剣呑な雰囲気を肌で感じ取った。

 四宮と四条の娘二人が顔を合わせると、両雄相並び立たずという故事を引き合いに出すまでもなく空気が冷たくなる事は美城も知っているつもりだが……ふわふわの権化みたいな藤原千花がいてこの空気は度し難い。

 

「えっと、何かありましたか?」

「いえ。丁度いい所に来てくれましたシロちゃん」

 

 その会話の一度でこの空気の正体が美城には理解できた。

 何故かは知らないけど、千花は怒っているらしい。

 おおよそその通りだった。潤滑油に不備があったら会話の回りがギスギスするのもしょうがないという物だった。

 

「早坂さんがバイトで忙しくてデートに行けない現状をどう思いますか!?」

「どうって……まあ……仕方ない事ではありませんか? 愛にしか出来ない仕事とは思いますし」

「ダメダメです! シロちゃんには早坂さんとデートしたいというエモが足りません!」

「え……エモ?」

 

 美城の答えは藤原の琴線に触れるものではなかったらしい。むしろ怒りを増してしまったようだ。

 そんな事言ったってしょうがないじゃないか。えなりかずきに成らざるを得ない心境に美城は陥った。

 

「そうは言ってもですね」

「何ですかシロちゃん」

 

 要領を掴めないまま藤原の会話に乗っていた美城は、どんよりとした目をしたかぐやと、何故か申し訳なさそうな眞妃と、何か言いたそうに口をもごもごしている早坂の事が目に入った。

 なるほど……こうかな?

 眞妃がそそのかして藤原が乗り、予想外にダメージを受けたかぐやとフォローしようと早坂が何か言うタイミングで入って来た自分。

 という構図を美城はほぼ完璧に描いた。

 となると自分がしなければならない事は。

 

「愛は勤め先のご主人様がかわいくて仕方ないんですよ?」

 

 喋る機会を逸してしまった愛に代わって私が言ってあげる、ということ。

 

「え、ご主人様って……?」

「もちろん、女の人ですよ」

「で、ですよね!」

 

 ご主人様というワードに不穏で少し退廃的な雰囲気を感じ取った藤原は、しかしすぐに妄想を振り払う美城の一言に安心したようにうなずいた。

 ちなみにかぐやと眞妃は生粋のお嬢様であり、生まれる前からご主人と仰がれる存在になる事が決まっている者なので、ご主人様というワードに何ら恥ずかしがる事はない。

 むしろ何故藤原が焦っているのか理解できなかったくらいだ。

 意図したのかそうでないのか、藤原の心が揺れ動いたタイミングで畳みかけるように美城は続きを口にした。

 

「そうですよ。今の職場に勤めてからずっと一緒のその人の事を、愛は姉妹のように思っているのですから。千花もあんまりいじめないであげてください」

「むう……シロちゃんがそう言うなら……」

 

 ラブ探偵は恋愛でない隣人愛(アガペー)を理解したようだ。

 そこに信じられる愛はあるんか?と早坂に聞くのも野暮な気がして、鹿撃ち帽を脱ぎラブ探偵は一人の藤原千花に戻る。

 

「早坂さん、ごめんなさい。私勝手な事ばかり言っちゃいましたね」

「いやいや、別にいーよ謝んなくて」

 

 平身低頭ぶられてもこちらが困るだけ。という言葉は飲み込んでおいた。

 それに、職場環境に難ありというのは事実だし。

 青い目は黒髪赤目のご主人様を射抜くと、早坂の内心を知って調子を取り戻したかぐやは平然とそれを受け止める。

 

「でもやっぱり付き合ってる二人がデート出来ないのは可哀そうです……。どうにか出来ないでしょうか?」

 

 ポツリと藤原は呟いた。早坂本人はそれでいいとしても、幼等部からの初恋を引きずってそれを十年越しに叶えた幼馴染を思うと、そう思わずにはいられないのが彼女の美点だった。

 

「そうですね……」

 

 実際の所、どうしようもない。

 早坂が従事しているのは、何かを右から左に動かすような単純労働ではなく、徹底した教育の下で磨き上げられたセンスと技術と何より経験が物を言う、上級の人材にしか出来ない仕事なのだから。

 五条家は執事やそれに類する人を雇ってはいないが、その大変さは知っているつもりなので、美城から早坂にこれといって言う事は無いし出来ない。これは契約の際に決めた事でもある。

 しかしそれでは藤原は納得しないだろう。なので、

 

「もし、愛の主人である方がこの場にいて同じ学生だとしたら……」

 

 秘密のベールに仮定を重ねて、美城はこう言うしかない。

 それは愛のため、というよりは、藤原千花を納得させるための方便に近かった。

 

「こう言いたいですね。今度の試験であなたに勝ちます。そうしたら、お願いを一つ聞き届けては下さらないでしょうか……と」

「な……何てお願いするんですか?」

 

 ふいに美城が纏った真剣な雰囲気。朝日に煌めく新雪のような柔らかさが消えて、氷の刃のような冷たさに藤原は息を呑んで続きを促した。

 

 

「愛の一日を私にください」

 

 

 ゆっくりとかぐやと早坂の方に目線を向けると、言葉の切っ先で貫くようにそう言った。

 

「きゃー! もーシロちゃんったら男の子! ほんと聞かせてあげたいですねそのご主人様という人に!」

 

 藤原は大盛り上がりだ。真っすぐな好意。目の前に立ちふさがる壁に立ち向かう姿。そのどちらも彼女の琴線にバシバシ引っかかるものである。

 付き合いの古い眞妃でさえ、その言葉に瞠目した。こういう強い言葉を使う幼馴染では無かっただけに。

 

「愛。あなたの仕事が忙しいのは分かったけどね、美城だって真剣なんだから考えてくれない?」

 

 眞妃は見張った目をふっと細めると、語りを聞かせるように朗々とした声で言った。

 

「あなたのご主人様に、お休みをくださいって言う事。ね?」

 

 最後の方はかぐやの方を見ながらだ。『ですよ。おば様』という言葉が裏に隠れている事は、藤原以外の全員には分かる物言いだった。

 

 予鈴が鳴る。

 

 学業に意識を戻されたそこにいる五人は、はっとして次の授業の事を思い出そうとする。早いのは従者二人だった。

 

「四宮さん、次って数学?」

「眞妃様、次は視聴覚室へ移動です。急ぎましょう」

 

 時間的余裕がないのは二年B組の方だ。

 藤原は「かぐやさん、また放課後に」と言うと、急いで教室に戻ろうと二人の手を取って駈け出した。美城は一度振り返ってかぐや達に礼をすると、そのまま幼馴染に引っ張られて渡り廊下から立ち去った。

 残された二人は、それぞれ先ほどの言葉を反芻する。推し量り難い外面を持った、あの五条美城という男がどこまで本気で言ったのか。かぐやはそんな風に考えた。

 本気であるなら、白銀以外に後塵を拝したことのないかぐやへの挑発に異ならない。

 

「早坂」

「……」

「早坂!」

「あ……はい、かぐや様。どうかしましたか?」

 

 二回目に鋭く呼び掛けるとようやく気が付いた早坂がこちらの目を見た。彼女の顔を正面から捉えると、怒りとは違う、天才であるプライドを燃やしていたかぐやも毒気を抜かれたように、吊り上げていた眉が下がった。

 

「……どうかしてるのはあなたの方ね」

「何がですか?」

 

 早坂は努めて冷静に主人に返答する。

 しかし、はあ……と呆れたようにかぐやは息を吐くと、ほんの目と鼻の先に立って、

 

「ひゃっ……!」

 

 侍従の頬に触れた。

 冬の首筋にかじかんだ手を突っ込まれた時みたいな、油断しきった叫び声をあげた早坂に今度は呆れたように笑うと、かぐやはそんなどこか優しい顔のまま言う。

 

「そんな顔しておいて、『何がですか?』も何もないでしょう?」

「そんな事は」

「あるの」

 

 それだけ言って踵を返すかぐやに、早坂は釈然としない物を感じながら後ろを付いて行く。

 そんな顔とはどんな顔でしょう?

 ふと当然の疑問を早坂は浮かべると、周りに鏡か何かないか見渡す。

 見渡していた先、良く磨かれたガラスが鏡のようにいきなり自分を映したので思わず息を呑む。

 よく知っている金髪に、よく知っている青い瞳。ただ、リンゴのように真っ赤に染まった知らない頬をしている。

 よく知っているはずの少女の、全く知らない顔がそこにはあった。

 

「ね、あるでしょう?」

 

 目の前を歩く主人は、そんな早坂を振り返るとどこか勝ち誇った顔をして、嬉しいようにおかしいように声を弾ませた。

 

 

 違う。

 かぐや様、あの人はそんな純粋で汚れを知らないような人ではないんです。ある意味真っ直ぐではあるのですけど。

 サッカー部とラグビー部の練習試合を方々の伝手を使って取り付けた時に、

「何で同じ日取りなんですか?」

 と聞いた私に、彼は何て言ったと思いますか?

「だってラグビー部がいたら芝のフィールドが使えないでしょう? せっかく帝様がいる高校を対戦相手にお呼びするのですから。帝様には心置きなく秀知院での練習試合を楽しんでいただきたいですよね」

 そう言ったんですよ。眞妃様の弟君を喜ばせるという、私欲のためです。

 だから、あんな事を言ったのも、少なくとも彼の私欲にそぐうからであって、私のためではないはずなんです。

 とは、分かっているんですけど。

 

『愛の一日を私にください』

 

 あんなにも真っすぐ言われると、嬉しくない、というと嘘であって、けれど彼の打算がどの方角に向いているのか分からないんです。

 打算の下に、実利を求めた契約。

 あの言葉は、誰の利益のために言ったんでしょう。

 自分の為?

 眞妃様の為?

 書記ちゃんの為?

 かぐや様の為?

 それとも……

 

「酷いんじゃないですか? みぃ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そっと呟いた早坂の言葉を、四宮かぐやは聞かなかった事にして窓から空を見上げる。

 相変わらず、薄鈍色の雲に覆われていた。

 

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