「そろそろ期末テストですけど、あんな啖呵を切った五条くんの学力はどれほどの物なのかしら? 早坂」
期末テスト。
秀知院では文理混合年五回の試験が実施されている。
四宮かぐやはこの偏差値77を誇る高校で、白銀御行が頭角を現すまで一位の座にい続け、今なお二位のトップランカーだ。
凡人が影を踏むことも叶わぬかぐやという天才が、本気を出してなお勝てない生徒会会長・白銀御行との点取り合戦。
その間に先の『試験に勝ったら愛の一日をください』発言をもって戦いに身を投じようとする五条美城の事が気にならないはずがない。
問題集を見開き一ページしたキリの良い所で、伸びをしながら傍らに控える早坂愛に尋ねた。
「はい。以前に通っていた学校では、眞妃様の弟君・四条帝と共に百点を取り続けていたそうです。とは言っても、秀知院より偏差値の低い公立校での事ですが」
「外部編入試験を潜り抜けているのですから、少なくとも掲示板でしょうね」
秀知院では成績上位五十名の名前と得点が掲示板に張り出される。他の公立校とは言え百点を取り続けている事、編入試験を通っている事からそこに名前が載る事は確実、とかぐやは考えた。
「どこまで秀知院でのテストに対応してくるか、という所でしょうか。早坂、あなたはどちらに勝って欲しい?」
「欲しい?ではなく、単純にかぐや様が勝ちます」
「冷たいこと」
「では泣きつけば彼に負けてくれますか?」
「無理ね」
「でしょう」
『みぃが勝つし』みたいな色ボケられ方をされたらどうしようかと思っていたが、そこまで脳みそ真っピンクではないようだ。
それもそうだ、早坂は成績上位の争いの恐ろしさを知っている。
試験は教師陣が本気になって作り上げた、艱難辛苦極まる問題だ。東大の試験を初めて解いた受験生が面食らってロクに解く事もできないように、慣れてない人にとって実像の難易度より難しく感じるだろう。
さらにそれら全ての教科で九十点以上取る所がトップ層に入るスタートラインだ。その時点で難しい。さらに十傑と呼ばれる位置に入ろうと思うなら九十五点は取らなければならない。ミスの一つも命取りという状況に追い込まれる。
これらが単純に四宮かぐやが勝つと思った早坂の論拠である。
「いつも通りやれば五条くんには私が勝つ。けれど、いつも通りでは会長に勝てない……。今回の試験は勉強時間を増やして挑みます。五条くんには悪いですが、負けという形で涙を呑んでもらいましょうか」
問題集のページを一枚めくりながら、かぐやはいつも通りの声色で言った。
「ああ、だからと言ってお休みをあげない、なんて事は言いませんから安心なさい」
「そうですか」
あまり関心が無い体で早坂は頷いた。休みが欲しいのは事実だが、喜ぶと自分が美城とデートしたくてしょうがないように思われかねない。それは早坂的にはノーである。
相手が頭を垂れて誘って来る分には問題ないが、こちらが媚びるのは宜しくない。早坂愛は四宮の教育を受けた女だった。
「こちらはもういいです。早坂も自分の勉強をなさい」
「かしこまりました。おやすみなさいませ、かぐや様」
スカートの裾を持って一礼すると、早坂は主人の部屋を退室した。
勉強なさい、と言っても今回も114位を取るのでしょうけど。
ある種一位を目指すより難しい事をしている従者の金髪をもう一度だけ見て、かぐやは自分の勉強に取り掛かった。
――――
ああ言いましたけど、気にはなりますね……。
かぐやは自分の才能に絶対の自信があるが、だからといって相手を軽んじていい理由にはならない。成績では圧倒的に下位に位置する藤原千花にすら工作を惜しまないのだから。
「あら、会長」
「四宮。今行くところか?」
「ええ。ご一緒してもいいですか」
「もちろん」
放課後、生徒会室に向かっている最中にかぐやは会長の白銀御行とばったり出くわした。
内心のウッキウキを悟られないように気を付けながら、とりあえず目前に迫った期末テストの事を話題に挙げる。
「そう言えばそろそろ期末テストですね。会長は勉強の方ははかどっていますか?」
「ん……ああ、どうかな。バイトや何やらでな、あまり時間を確保できていないな」
「そうですか……」
嘘である。
この男、最近はバイトも休み起きている時間はほぼ全て試験勉強に費やしている。
一夜漬けどころか十夜漬けに達しようかというほど、勉強時間の確保に本気を費やしている。
「そういう四宮はどうだ」
「私はいつも通りでしょうか。テストは自分の実力を見るものです。無理に背伸びせず、自然体で受けようと思っています」
嘘である。
この女、本気も本気で臨んでいる。
四宮かぐやにとって敗北は必ずしも屈辱ではない。周囲から疎まれる事を避け、『常に六割』の実力を出さない彼女は、敗北も処世術の一環と考えている為である。
だが勉学に限っては、本気を出してなお白銀には一度も勝てていない。これは彼女のプライドをいたく傷つける事実であった。
これに加えて未知数の五条美城が勝負を挑んで来るのだから、心中穏やかでいられるはずもない。
「会長は防衛王者として一位にい続けていますが、最初の頃は秀知院のテストに戸惑いましたか?」
「そうだな……まず範囲が異常に広いな。それに問題の質が高い。テストでこんな問題を出してくるのかと驚いたよ」
「やはり外とは違いますか?」
「外か……。外と言えば、俺と同じ外部入学の五条は普段は何を考えているのか分からないような奴だが、この時ばかりは勉強漬けって感じだな」
「どうですか? 彼は会長から見て」
これだ。かぐやは見た目が綺麗という事以外の情報が乏しい転校生の事を聞き出そうとする。
「正直に言うと分からん。小テストとかの点数は良いんだが、掲示されるような生徒は大体そうだろ?」
「ですね」
どうやら早坂が持っていた情報以上の物は得られそうにない。白銀と話せたという事以外は有益な情報もなく、今日の授業で教師がテストに出すと言ったとか言わないとかの話題を提供し合った。
生徒会室の前まで来ると、中から可愛らしいソプラノが扉を挟んでくぐもって聞こえた。
「藤原さんでしょうか」
「また何かゲームでも持ち込んできたのか? 全くしょうがない……」
「5メガネ!!」
「なんの! わりばし!!」
「何だこれー!!!??」
メガネを五つ床に並べた藤原千花に、それにわりばしを突き出す五条美城。
中では天才二人でも読めないカオスが広がっていた。
「な……フェイントですか!? じゃあこの明太子は使えません!!」
「そしてこのウーロン茶で私のコンボは完成します」プシュ(缶を開ける音)
「しまった暗黒コンボですか!! 仕方ありません! ここで雑巾を発動です――!!」
「バカな!! 二枚もですって!? 千花正気ですか!!?」
ザッ……
「くッ……私の五目半負けです……」
「フチなしのメガネだったらシロちゃんの勝ちだったかもしれません……」
((全然わからん……))
それを教えてくれる人は誰もいない……。
「会長、四宮先輩、お疲れ様です」
この戦いを見届けていた人物は、意味不明に白熱している二人の戦いから目を離して、今入って来た先輩二人の方に目を向けた。
石上優。本編の裏主人公にあるまじき初登場であった。
美城とは風紀委員の追及から逃れる際に出会い、秘密の抜け道を案内されたが、ゲームを持ってきていると知るや否や普通に伊井野ミコに突き出された過去を持つ。
あまり話が膨らまなかったので二行で二人の出会いを説明するにとどめておく。
「藤原先輩が雑巾を使っていなかったら僕達も無事ではすみませんでしたよ……」
「そーなの!!?」
石上は大真面目な顔をしながら額の汗を拭ってそんな事を言った。
「というか石上! お前がツッコまないでどうした!」
「会長、さっきのを見てどう思いましたか」
「意味がわからん」
「そう言う事です」
「そうか……」
滅茶苦茶な説得力がその言葉にはあった。
白銀も頷かざるを得なかった
藤原がハチャメチャな事は重々承知していたが、気の合う幼馴染と一緒だとこんなのになってしまうとは予想の範疇の外である。
「そもそも何であの二人はあんな変な事をしてるんですか?」
「何でも成績が下がり調子の藤原先輩を心配した親御さんが、勉強を見てくれと頼んだそうですよ。勉強するかしないかで戦っているみたいです」
「「あっ、フーン……」」
白銀、かぐや、両名言葉を濁して明後日の方向を向いた。
藤原の成績が下がり調子なのは二人の試験を少しでも有利に進めようというダーティープレイの結果なので、とてもとても心当たりがあった為だ。
……まあそれはそれとして。
かぐやは自分の行いを棚に上げた。
「今日の所は千花に何も言いません」
「やったー。シロちゃんを打ち払いましたよ」
「ですが第二第三の私が千花に勉強をさせるために誕生するでしょう……」
「えっ」
「覚えておいてください千花。勝つまでやれば負けじゃない!」
「……勉強教えてください」
「はい、喜んで」
藤原と美城は五つのメガネとわりばしを『TG部お楽しみボックス』に片付けると、粛々と鞄から勉強道具を取り出してカリカリ書き込み始めた。
「さっきまでの騒ぎは何だったの!?」
この人もしかしてただの馬鹿なのでは?
かぐやは自分の中で五条美城の脅威度が急激に低下していくのを感じていた。
――
「と、言う事があったんだけど」
その日の夜に話したのは当然あの二人の頓珍漢な行動についてであった。
長きにわたり語り継がれそうな意味不明ゲームに興じた後、それまでの流れを無視するように普通に勉強を始めた対象FとM……。
二人の融合FM怪人が放った毒電波は確実に天才達を蝕み、『どうしてメガネをわりばしで防げるんだ……?』という答えの無い問答が頭にチラついて鬱陶しかった。
と、言う事を早坂と共有したかったのだが、
「書記ちゃんが雑巾を使わなければ危ない所でしたね、かぐや様」
「あなたも!? 同列感凄いんだけど良いの?」
この有り様だった。
「まあそれは良いとして」
「まあ、で置いておいていい事!?」
「みぃは他の人にも教えているそうですよ。彼に近い所で言うと眞妃様の彼氏の田沼翼とか」
「随分と余裕ですね。ライバルを増やして勝てるほど秀知院のテストは甘くないというのに」
「ええ、ほんとうに……」
早坂は美城の不可解な行動を主人に教えると、自分ではっと思い出した。
そういえば美城という人は、本気を出して負ける事にかぐやと違って何ら忌避感のない特異な人物である。という事を。
もしかしたら周りを育てて自分を打ち負かす人間を育てているのではなかろうか?
いやいや、まさかそんな魔王みたいな事を……
――
「え? そうですよ?」
する人間だった。
迷いのない真っすぐな瞳だった。
LEDの光をはじき返す煌々たる赤い瞳が、一揺らぎもする事なくこちらを見ていた。
「そうですよって……どうしてですか?」
単純な疑問を早坂は口にする。
今は試験期間中の為、部活動は休止しているが、自習という名目で二人は普段ボランティア部として利用している教室で勉強していた。
部活は休止中だが、生徒会活動は一応あるため主人を待たなければならない早坂への配慮である。
パタリと美城はノートの上にペンを転がすと、机の上で指を組みながら彼は言った。
「ほら、私って負かされる事に喜びを覚える人間じゃないですか?」
「ヤバイ性癖ですね」
「ですが私を負かした人物って四条姉弟のお二方しかいなかったのでもっと欲しいんです」
「ヤバイ性癖ですね」
「私二番目に好きな事が勝つ事と勝たせる事なんですよ」
「ヤバめの性癖ですね」
「成長した人が私を負かしたら、一番と二番が同時に満たされてお得ではありませんか」
「やっぱヤバイ性癖ですね」
「まあそんな訳で他の人と勉強会を行っているのですよ」
「総じてあなたがヤバイという事しか伝わって来なかったのですが」
「やばいですね☆」
「やかましいです」
「はい」
どこぞの腹ペコお姫様のような事を言いだした彼氏(似合ってるのがムカつく)を一喝して黙らせる。しかし内心は彼の行動の裏が分かったためほっとしているのだった。
何の事はない。自分の為にしているのなら理解できる。
「ですが教える、というには大所帯ですね」
美城が勉強会を行う時は、最低でも眞妃と翼、そして柏木渚を含めた四人で行っている。そこに紀かれんや巨瀬エリカが加わったり、生徒会が無い時の藤原が参加したりしているのだった。
「それはあれですね。眞妃様の成績に悪影響が出ないように……」
「悪影響?」
「田沼君はあまり成績が良くないので、眞妃様が一人で教えると、その時間が足を引っ張るのではないかと」
「だから教える人を増やして負担を減らそうと?」
「まあ、そう言う事ですね」
「それであなた自身の勉強はどうなんですか。かぐや様にあんな啖呵を切っておいて」
「どうしてそんな事を気にするのですか?」
「別にいいでしょう」
「まさか、本当に私とデートしたいですか?」
「怒りますよ」
「ふふふ……怖い怖い」
口元に手をやり、忍び笑いするよう小さくクスクスと笑う美城。その美少女にしか見えない容貌を知り尽くしている笑みに、早坂は少しの親近感を覚える。容貌を『使う』のは、私と一緒だな。
「というよりも、ですね」
「何でしょうか、愛」
「いえ。そんなに負けたいなら負けてしまえばいいんじゃないですか? 私が常に113人に負けるようにしているみたいに」
「分かっていませんね」
何てくだらない、とでも言いそうな表情を作って、彼は青の瞳を見つめる。
「何が分かってないと言うんですか」
「えっと、これ女の子に言っても絶対に伝わらない例えなんですけど……」
「言ってみてください」
「バキの最恐死刑囚みたいな感じです」
「全っ然わからない……」
早坂が知っているのは実写化した漫画(見てない)くらいである。それも漫画の内容ではなく主演俳優の出ていた作品、という形で覚えるので、バリバリ男向けの漫画などは彼女の守備範囲外だった。
「『敗北を知りたい』ですよ」
「知れば良いんじゃないですか?」
「ワザと手を抜いて得た敗北に何の価値がありますか? 真剣に努力して、死力を尽くしてなお勝てない相手がいる。それがいいんですよ」
「理解できませんね」
「それでいいと思います」
この話題はお終い、といった感じで美城は再びノートに目を落とした。さらりと流れる白髪が彼の顔にかかって、その表情を窺い知る事は出来そうにない。
普段は軽やかな綿毛のようにも見えるその白髪が、この時ばかりは氷った滝のような重厚さを帯びて垂れていた。
きっとこの奥に、五条美城という人間の底があるのだろう。
自分が誰かの役に立てるような能力を持っている事を疑いもしないような、謙虚な表に反して傲慢とも言えそうな内面に抱えた自信。それだけの自信があればプライドもありそうな物だが、負けても平気なメンタリティー。
……こればかりはやはり心底理解できそうになかった。
まあ自分は美城のカウンセラーでもないのだから、考えるのは止めておこう。しょせん女は男の事を理解できないし、その逆も然りだ。
彼も言ってるじゃないですか、それでいいと思います、と。
「そろそろ時間ですね」
「何かありましたか?」
「いえ、生徒会が終わる時間という事です。この後千花と勉強するつもりなのですが、愛も一緒にどうですか? もちろんかぐや様も」
「申し出は受け取っておきますがお断りします。かぐや様も同じ事を言うと思いますよ」
「それは残念です」
どこまで本気か、美城は残念そうに肩眉を下げて笑うと、鞄に勉強道具を片付けて立ち上がった。手にはこの部屋の鍵が握られている。
それを返却する手間を考えると、そこらへんの教室で勉強しても良かったのでは、と早坂は思った。試験前で人の残る教室だと面倒くさい視線に晒されるかもしれないが。
「あ、シロちゃ~ん」
「千花、ちゃんと逃げずに来ましたね」
「私を何だと思ってるんですか!」
生徒会室に繋がる廊下から顔を出した藤原に、美城は手を振って応えた。
「眞妃ちゃんとその彼氏さんや、柏木さんも来るんでしたっけ?」
「紀さんや巨瀬さんも呼びましたよ」
「あー。だからシロちゃんは自習室の広い所借りてって言ってたんですね」
「そう言う事です」
「そうだ、かぐやさんと早坂さんも一緒にどうですか?」
にぱーっと花が咲くような笑みを浮かべながら、藤原は二人を見て言う。邪気のない笑みに、気の抜けたような表情をかぐやは浮かべた。
逼迫するような成績ではなく、かといって上位に食い込める成績でもない事を十二分に理解した彼女の、しかしそれでも良いと思っているお気楽な笑みだったからだ。
周りが厳しく、本人も自分に厳しいかぐやでは至れない能天気さ。少しだけ羨ましいと思ったのは嘘ではなかった。能力は全然羨ましくはないのだが。
「ありがたい申し出ですが遠慮させていただきます。友達同士の輪の中に入って空気を悪くするのは嫌ですしね」
「そんな事ないですよー」
「それに、私は一人でする勉強が合ってますから」
「そこまで言うなら……。早坂さんはどうですか?」
「ごめーん、今日これからバイトで」
「またですか!? もう本当……『もう!』ですよそんな職場!」
「まあまあ。落ち着いて千花」
早坂のバイト……もとい仕事はかぐやの従者業なので、彼女が帰るなら早坂も帰らなければならない。しかし当然藤原にとっては知ったこっちゃないので、こんな時に仕事をさせる勤務先に怒りが湧き上がって来ようものだ。
中学からの目の前の親友が顔をしかめた。
「で……では私達は帰りますね」
『もう!』されたかぐやはしかめっ面の渋い所が抜けないような中途半端な顔で挨拶すると、そそくさとその場を後にした。悪口を言われているようで落ち着かなかったからである。
知らず知らずのうちに親友を貶していたとは夢にも思わない藤原は、そんなかぐやの様子に首を傾げながら「また明日―」と手を振った。
「速くテストが終わってくれないかしら」
「珍しいですね。かぐや様がそんな事を言うなんて」
「早坂も分かっているでしょう? あなたがさっさとデートに行ってくれないと、藤原さんはずっと怒り続けるって事」
「まあー……そうですね」
「テストが終わって欲しい普通の学生はこういう気分なのかしら」
かぐやは新たな発見をした所で窓から視線を落とす。五人ほどのグループが自習室に向かっているのが見えた。白い頭と、遠い血のつながりがある鳶色の髪があるので何のグループかすぐに分かった。
眞妃と、その周りの友人は上位五十名に名を連ねる優秀な生徒であるという事は知っているかぐやだが、あんなにも集まって勉強し合うとかえって非効率ではと思う。
一人でこなしてきた自負があるからこそ、美城のああいう姿は理解が出来なかった。
天才とは、孤高の人であるはずだ。
であるならば、五条美城という人間が天才であるはずがない。
「勝たせてもらいますよ、五条くん」
その能力と実績で恐れられながらも慕われる白銀御行も、似たような孤高を抱えている。
その見た目と口八丁で誰からもすぐ愛されるような五条美城という男は、あまりに自分と違いすぎて、孤高とはかけ離れた存在で、少しばかり腹が立つのだった。
――――…
「うう~緊張します~」
テスト当日。
学内は夏の頭にも関わらず乾いた冬の日のような肌を刺す空気に満ちていた。
ここ偏差値77の秀知院学園に於いて成績を気にしない生徒など居ない。
誰か一人でも先んずるため、始まる前は如何に相手に勉強させないかの心理戦を繰り広げていたとしても、事ここに至ってはわずかでも頭に知識を詰め込んだほうがいい。
一ページでも多く、一単語でも多く目を通しておきたい。そんな焦燥と対抗心とが渦巻く人が多くなれば、自然と乾いた空気にもなるだろう。
「もし今回も成績落としたらお小遣い減らされちゃうんですよ~」
焦燥に溢れているが、あまり対抗心はなさそうな藤原はノートをぱらぱら確認しながら、隣で熱心に問題を解いている白銀に話しかけた。返答を期待しているというよりは、何か喋って緊張を紛らわそうという口と頭の運動みたいなものだ。
「落ち着け。今更慌てても点数は変わらん」
「会長は緊張しないんですか~?」
成績でさほど期待をかけられていない藤原には、白銀の心中は知る由もない。
期待に応え続ける重圧と、失敗は許されない恐怖を。
「当然だ。別にこれで人生が決まる訳でもない。今まで積み重ねたものを出すだけ。俺は自分の力を信じている」
嘘である。
この男、ゲボ吐きそうな程緊張しているし、先刻から謎の震えでペンもロクに持てていない。
「おはよーございます。……ふわぁ」
この期末テストにおいて最大の懸念事項、五条美城が登校してきた。彼が上位に食い込んでくるのかそうでないのか、眞妃以外の生徒は知らないのだ。
しかし、そんな彼はいつもと違って眠そうで、どこかふわふわした雰囲気を纏っている。
「シロちゃんあくびなんかしてどうしました? 眠れなかったんですか?」
「いや、逆。昨日は日差しが強くて暖かい日だったじゃありませんか。目が痛かったので早く床に就いたんです。まあつまり……寝過ぎですね」
本気である。
この男、試験直前の追い込みの時期であるにも関わらず、昨夜は十時間もぐっすりだったのである。
美城スヤスヤでワロタ。
「会長。今回の試験は胸を借りるつもりで挑ませていただきます」
「ああ」
言葉少なく白銀が言うと、それだけで満足な美城は自分の席に歩いていった。
「藤原書記も席に戻った方がいい。大丈夫だ、噂になる程の大勉強会をしたんだろ?」
「そうですね~。頑張りましたから。では会長も頑張ってください」
では、と藤原は頭を下げて席に着いた。
予鈴が鳴ったのと担任教師が入って来たのは同時であった。
いつもよりも簡素で短いホームルームで、試験時の注意をいつものように言う。机を空に、机の上はペンと消しゴムだけ、カンニングは厳重な処罰が与えられる事、どれも耳馴染みがありすぎて誰も聞いていなかった。
そして始まる期末テストの時。
教師が問題用紙と回答用紙を配ると、生徒達の緊張は極致に達した。
ある者は落ち着きなく深呼吸を繰り返し、ある者は余裕を漂わせながら目を閉じて、ある者は射殺さんばかりに問題用紙を睨みつけている。
「始めっ!」
その一言に弾かれたように、皆一斉に問題用紙を表に返した。
今ここに戦いの火蓋が切られた――
――
一階の掲示板にはさまざまな掲示物が貼られている。
地域のボランティア活動のお知らせ。部活動の勧誘ポスター。マスメディア部の校内新聞。
今日は一年に五度ある掲示板の前が賑わう日であるが、彼等の目的はそんな張り紙ではない。
「前開けて」
分厚い巻物を抱えた教師が掲示板にやってくると、皆大人しく二三歩下がって黙りこくった。
それは成績上位五十名の名前が書かれた物で、そこに名前が載る事の価値を、彼等は誰よりも知っていた。
それは知性の証明であり、天賦の証明であり――何より努力の証明である。
それを怠った者に栄光は輝かない。
教師が巻物の端を切り、ゆっくりと掲示板に張り付けて言った。
いつもの文句が冒頭に飾られて、さあ一番に顔を出すのは誰だ。
白銀御行と四宮かぐやは顔を見合わせた。
一学期定期考査
成績優秀者五十名を列記する
ここに名を連ねる者は今後も
後進の標となるべく更なる
講究を望むものである
教師一同
一位 白銀御行 四九二
二位 五条美城 四八八
二位 四条眞妃 四八八
二位 四宮かぐや 四八八
五位 柏木渚 四七九
六位 阿部和音 四七八
七位 荒川たいが 四七五
八位 豊崎三郎 四七四
かぐやの時が止まった。
それとは裏腹に、周りは騒然となって動き出す。
白銀御行と四宮かぐやの、二人の天下に割って入る人が出た!
今まで三位の四条眞妃だけならともかく、牙城を崩した二人の内一人は転校生だ。
興味がそちらに映った生徒達は周りを見渡して目立つ頭を探すが、黒、黒、あって栗色、あの眩い白髪はどこにも見当たらなかった。
「……流石ですね会長」
四番目に自分の名前を見つけたかぐやは、喉の奥につっかえるようなものを感じながらも、前回に引き続き一位を取った白銀の事を褒めた。
彼はいつもと順位が変わらないのに、かぐやの名前が隣にいない事実に若干の寂しさを覚えながら応える。
「四宮こそやるではないか。こういうのは時の運もあるからな、次は分からん」
「いえ、会長の努力は私も知る所です。運などではありませんよ」
「しかし……二位が三人か。まさか五条の奴がこんな出来る奴だとは思わなかったな」
「ええ、本当に。転校生に並ばれるなんて私もまだまだですね。この結果も甘んじて受け入れますよ」
嘘である。
この女、目から血が吹き出しそうな程悔しがっている。
ここが公然の場でなかったら地団駄を踏んで転がり回る所であったが、唇を強く噛んでそれを抑え込んでいた。
「会長はこれで四連覇ですね。やはり嬉しいですか……?」
「いや。やはりプレッシャーが大きかったからな。実際の所安堵しかない。新しいライバルが増えてしまって今から気が重いくらいで、喜ぶ余裕なんかないさ」
「そういうものですか……」
嘘である。
この男、ここが公然の場でなかったら意味もなくシャドーボクシングをしそうなほど喜んでいる。
肩の荷を下ろすように大きく息を吸って吐くと、白銀はトイレのために席を外し、個室で拳を振るいまくったほどであった。
後に残されたかぐやは、チラチラとこちらを窺ってくる視線が気に食わなかったので踵を返した。
一度だけ振り返って、五条、四条、四宮の並びを見る。
ただの五十音順です。
と思っても悔しさは晴れない。順位は同じ二位とは言え、四番目に名前が配されるなど、かぐやの記憶には無かった。
端的に言って屈辱である。
誰も来ない校舎の影に隠れると、先ほど我慢していた地団駄を踏んで悔しさを露わにした。
「かぐや様」
「あ……ご、五条くん?」
「はい」
声のした方向を、敵意と殺意のこもった目で見つめると、建物の角から出て来たのは白い髪の五条美城だった。
二つの害意を意識して薄めながら口元に笑みを浮かべると、余裕のある佇まいを作って言った。
「……掲示板は見ましたか?」
「いえ、見ていませんが、こがね……かぐや様とはフランス校交流会の準備の際一度会った女子ですね、彼女が無駄に張り切って教えてくれました」
「そうですか……。ともかく、二位を取った事、おめでとうございます」
「ありがとうございます、かぐや様。ええと……」
美城は小さく頭を下げる。
さて彼は何を言うだろうか。同じく二位を取った自分を褒めるのだろうか。だとすればとんだ嫌味ではないか?
心がささくれ立っている事を自覚しながら、美城が何か言いそうなのでしばらく待ってみる。
「同着だったので偉そうな事は言えませんが、愛にせめて半休をあげてはくれませんか?」
ぽんと出て来た言葉は、恋人の為の物だった。たしかに表立って約束はしてないものの、早坂の主人がかぐやである事を理解した上でああ言ったのだから、特に否定されない限り約束として受け取られたと美城が考えてもおかしくない。
「みぃー……と、かぐや様?」
また建物の影から、聞き馴染んだ声と共に見慣れた金髪がひょっこりと頭を出した。何とタイミングが良い。
「早坂、どうかしましたか?」
「眞妃様が『美城はどこ?』とお探しのようだったので、少しお手伝いを」
「私を?」
「そうです。『せっかく自分と並んで二位』なん……だから……」
二位、という言葉を口にした瞬間、早坂は自分の主人の順位と同着なのに五十音順のせいで四番目に書かれた事実を思い出す。眞妃のメッセンジャーとして役割を果たそうとはしても、本当の主人の機嫌の前には比べるまでもない。
どうしようか、そう考えるように早坂は口ごもる。
「美城―? ねえ愛、こっちにいるの?……って何だ、おば様も一緒だったの」
またまた建物の影から今度は鳶色の髪が飛び出した。三度目ともなれば驚かない。
「あら、これはこれは、おば様。今回のテストは私と美城とお揃いね」
「眞妃さん……」
「今回は惜しかったわ。あともう少しで一位と思ったんだけど」
地団駄を踏んで転がり回りたいかぐやと違って、眞妃の言葉はあっさりしたものだった。
「それだけですか?」
「そうよ。他に何かあるの?」
「いえ、別に」
「あ、そうそう、約束よ」
「約束……。五条くんが私に勝ったら早坂の一日をあげるとかいうアレですね?」
「そのアレよ。まさか同じ順位だから駄目とかつまんない事言わないでしょうね」
かぐやは、あまりにもからっとした眞妃の態度に、過去にも美城はこれくらいの有能さを見せ続けていたのだろうという事を読み解いた。
だとすると、見る目が無かったのは私の方、ですか。
ふっと胸のわだかまりを吐き出すように息を整えると、眞妃と美城と早坂の顔を見渡した。
「もちろんそんなつまらない事を言うつもりはありませんよ。五条くん」
「はい、かぐや様」
「あなたに早坂の一日をあげます。日取りはちょっと先になってしまいますが」
「構いません」
「来週の土曜日を開けさせます。あなたも予定を開けておきなさい」
「ありがとうございます。私如きのお願いを聞き届けくださり、感謝の念に堪えません」
美城はかぐやの言葉に深々と頭を下げた。
頭を下げられ慣れてるかぐやでも惚れ惚れするほどの綺麗な礼だ。
ちょっと顔が可憐に過ぎるけど、礼節をわきまえているし、能力だって申し分ない。早坂の相手にはこういう人がいいのかも。
姉妹のように育った早坂が取られるのは心中穏やかで無かったが、ようやく認められたかも……
「では愛にこの一日をあげますね」
……
「は?」
「へ?」
「ん?」
あまりにも当たり前のように美城が言った言葉に、かぐやと眞妃は友人の所に行こうと三歩進んだ足を二歩下げた。
早坂など鳩が豆鉄砲を食ったようにポッカーンとしている。
「えっと……みぃ、それはどういう……?」
「? どういうも何も、愛の来週の土曜日はお休みという事ですけど。普段できない事をして存分に羽を伸ばしてください。駿河さんや火ノ口さんは言っていましたよ。全然遊べてない、と。女友達同士で買い物なんて楽しそうでいいですね。愛はお洒落さんですから夏物とかが沢山必要だと思いますので、渋谷や原宿……あ、もしかして銀座とかですか? それとも愛はパソコンとか最新電気機器が好きとも言ってましたから、秋葉原とかでパーツを見たりするのでしょうか? もし人手が必要ならいつでも呼んでくださいね。私もその日は開けておきますから。それにそれに……」
ぺらぺらと美城の口が止まらないのを、早坂は引きつった笑みで眺めていた。後ろにいる二人を見ると、理解できないような目で同じ様に彼を見ている。
何故そこまで言ってデートの一言が出てこない。
じろっと、胡乱な物を見るような目で三人は美城の事を眺めていると、偶然か必然か、皆の心は一つになった。
「……早坂。やりなさい。誰かのためじゃなく、あなた自身のために」
「……眞妃様は?」
そう会話の水を向けられると、いまだ頭の中での東京散策が終わらなそうな美城を見て、呆れつつもどこか楽しそうに言い放つ。
「やっちゃえハーサーカー」
ご主人様のお墨付きを頂いて、早坂は拳を握りしめながら美城の目の前に立った。
「いいですね、お出かけというのは。あ、もちろんお出かけしなくても、お家でゴロゴロするというお休みも一興とは……え? どうしました愛? 何だか目が……目が怖いんですけど……」
「みぃの……バカッ!」
パシーン!
本日の勝敗 美城の敗北(立派な紅葉が咲いた)
「5メガネ!」「なんのわりばし!」が分からない方は伝説のバトルギャグ漫画『ボボボーボ・ボーボボ』を読んでください。さらに分からなくなる事必至です。