「早坂! 今すぐ来てちょうだい! はーやーさーかー!」
「はい。どうかしましたか? かぐや様」
「どうもこうもないわよ!」
時は
ここ四宮別邸でその主は非常に不機嫌な声を響かせていた。
他の使用人が怯えているのを後目に、呼ばれた早坂は、今夜は何事でしょうかとため息すら吐いて主のかぐやが待つ部屋に入って行く。
天蓋付きのベッドの上で、寝間着に着替えた可憐な少女が、柳眉を鋭く釣り上げて、怒りを露わに座っていた。
「調べて頂戴」
「会長の事ならかぐや様があと少し勇気を出していただければ……」
「違うわよ!」
「じゃあ何をですか?」
「あの転校生の事に決まっているでしょう?」
「あーあ」
早坂は呆れとも納得ともとれるような気の抜けた返事を返すと、スマホを取り出して友人が送ってくれた写真を眺める。そこには今まさに主命にて調査をする事が決まった五条美城の写真が収められていた。
シミ一つない白い肌、真っ白な髪、人の良さを表していそうな丸い目には赤い瞳が宿っている。
「怪しい……」
肩口から早坂のスマホをのぞき込んでいたかぐやはそんな事を言った。
「早坂は彼についてどれくらい知ってるの?」
「そうですね。一部の人がざわざわしてたのでそこそこ家格の……え彼って言いました?」
「言ったわ」
「ええ……うそぉ……」
写真に納まっている彼女……いや彼を見てもいまいちピンとこない早坂だった。かぐやが何らかの目的で虚偽を述べているのではないか、と疑うほどだ。確かに制服はパンツスタイルではあるが。
「秀知院学園の会長を取り込む男のふりをしたどこかの会社の女刺客かもしれないわ。距離が近すぎだもの」
「そうですかねえー」
「何呑気な事言ってるの早坂! 放っておいたら会長が四宮の敵対勢力に取り込まれちゃうかもしれないでしょ! そうならないためにも私達で危機がないか調べないと……これじゃ私が会長の事が心配で心配でしょうがないみたいじゃない!」
「違うんですか?」
「違います!」
こほん、と仕切りなおすようにかぐやは咳を一つ。先ほどまで纏っていたアホっぽい雰囲気を振り払って、四宮らしい冷たい空気で最も信頼する侍従に告げた。照れ隠しがあったのは否定しない。
「五条美城を調査しなさい」
早坂は流れるような所作でスマホをしまうと、礼節を持って一礼した。
「かしこまりました。かぐや様」
そんな事があったのが昨日の事である。
対学校用ギャルモードに移行した早坂はスマホを片手に転校生を探していた。
情報畑の人間に調査をするように指示は出したので、彼女に出来る事は資料では分からない人となりを確認する事だ。今なら他のクラスの人間が話しかけても不自然さは無いので、動くなら今を於いて他にはない。
「気になりませんか?」
「どうした五条」
いた。
二年B組の教室内、普段より早く登校していた白銀御行の席に椅子を寄せて、五条美城は一緒に勉強をしていたようだ。今は一区切りついたのか、飲み物片手に談笑している。
「私の毛色の事ですが」
「それか。確かに珍しい髪色をしているが、別に恥じるような事でもないだろう?」
「そうではなくてですね」
「じゃあ何だ?」
「髪の毛と下の毛も同じ色なの?とかそういう話です」
「ブ―――――!!」
白銀は飲んでいたカフェオレを盛大に吹き出した。こっそり聞き耳を立てていた周りも似たり寄ったりな反応だ。
「ゴホッ……お前なんつー事を!」
「そうですか? 私、生まれてこの方その手の事を聞かれなかった事が無いので当たり前の話題かと」
「ろくでもない奴らばかりだな……。だいたい、少し考えれば分かるだろう」
「と、言いますと?」
「体毛の色は部位によって多少の変化はあってもベースの色は同じだろう。特に五条は眉毛も睫毛も真っ白だからな」
ふむふむ、と五条は頷きながら肩にかかっている白い髪を目の前に持ってきていじった。もちろん枝毛一本ない艶やかなストレートである。
そのまま上目遣いに白銀を見上げて、話の続きを促すようににこりと笑った。
こんな無駄に可愛らしい見た目の奴に何で下の毛の話をしなくちゃならんのだ、と白銀の方はなぜだか空しい気持ちになったが。
「つまり論ずるまでもなくお前の下の毛は真っ白という事だ」
「生えてませんよ」
「生えてないの!!??」
今明かされる衝撃の真実。二年B組は揺れていた。
「それはもうツルツルです」
「ツルツルなの!?」
「俗に言うパイパ……」
「言わせねーよ!?」
何等かの放送コードに引っかかりそうな目の前の転校生の発言を白銀は全力で食い止めた。頭を羽交い締めにして口元を押さえつける。
犯罪スレスレの絵面だった。マスメディア部が白銀派でなければ飛ばし記事の一つくらい書かれていたかもしれない。
「何でこんな話題を……」
「私、見た目がこうですし外部入学ですから、自らアピールしておかなければ孤立は必至でございましょう?」
「考えすぎ……」
と言う前に白銀は入学してから感じていた疎外感を思い出した。喋る相手もろくにおらず、一目につかない場所で一人食事をしていた日々の事。
そういう思いをさせないために、俺はこの学校の長になったんじゃないか?
「ちなみに会長はいつ頃お生えになられたので?」
こいつ俺がいなくてもぜってー孤立しねーよ。すんごい図太てーもん。
白銀は思った。
(……まあこれで女という線は無いでしょう)
一連の流れを教室の外で聞いていた早坂は、かぐやの懸念の一つが十中八九懸念のままであろう事に安堵した。
デリケートゾーンの話題を同性以外にぶっこむ輩がいれば、それはただの変態だ。
いやまあいないとも限らないのだが。
「下ネタは心の距離が縮まるそうですが、どうでしょうか? 縮まりましたか?」
「心の距離より寿命が縮まるわ!」
転校生という神通力も一発で吹き飛びそうな五条の発言に、白銀のツッコミが朝から冴え渡っていた。
早坂の手帳に調査結果、男で間違いなしと書き加えられていた。しかしとりあえず調査は続行とする。
――
「愛さあ、てんこー生ちゃんのこと見すぎじゃん?」
「思った―」
早坂は三時間目が終わった辺りで、友人達からそう声をかけられていた。
そら(人を監視しながら普段通りの生活をしようとすると)そう(普段と違う様子を見咎められる)よ。
今更言い逃れようとしても無理な事を早坂は悟り、否定する事なくそれっぽい理由を言う事にした。
「えー、でも実際ヤバイしー。SNSのっけたら万バズり確定っしょ?」
「確かに」
「だから行っちゃっていい?」
「私達にも後で紹介してよ」
「分かってるしー」
そう告げて、早坂は昼休みに本格始動する事を決めた。
放課後になれば恐らく五条美城についての報告が一旦上がってくるだろう。その前に自分自身で何かしらの情報を得なければ。
これは早坂のプライドの問題だったが。
「五条ちゃーん」
先手必勝疾風迅雷。
今話題の人物には人が寄ってくるものなので、早坂は先手を期す事にする。
幸いにも幼馴染である藤原千花と世話係のような役割の白銀御行は、生徒会としての仕事のために教室にはいなかった。
「はい。何でしょうか……えっと……」
「早坂だよー。隣のクラスの早坂愛」
「早坂愛さん、ですね。初めまして」
雪の髪をさらさらとなびかせながら、誰に対してもするように丁寧に五条美城は応対した。
(これが男子ですか? さすがに身長は女子にしては高いですけれど)
五条美城の身長は男子の平均よりは低いが、それでも早坂より若干高いくらいだ。
ちなみに十七歳女性の平均身長は157cmで男子は171cmである。こう見るとミコちゃん(147cm)ちっちゃい。
「どのようなご用件でしょうか?」
「用ってほどじゃないんだけど~。転校生ちゃんの事が気になっちゃったから会ってみよっかなって」
「なるほど。じゃあ綺麗に撮って下さいね」
「へ?」
五条は胸の前で指を組むと、小首をかしげて笑った。
「こんな感じでよろしいでしょうか」
「え、何してるし」
「あれ? 写真に撮ってSNSにアップするおつもりだったのでは?」
先ほどの会話を聞かれでもしたのだろうか。それ自体は大した事では無いのに、裏に潜めている目的が後ろ暗い物である事から、早坂は冷や汗の一つでも流れそうだった。
「今日だけで百万枚は撮られていますから」
「あー、そーいう」
察知しているとかそういう訳では無かったらしい。そもそも今の早坂はちょっとチャラいがどこにでもいる女子高生というコンセプトで行動しているのだから、同じような行動を取ろうとする人が、それこそどこにでもいておかしくない。
「もしかして早坂さんってあの早坂さんですか?」
「あのって何?」
「千花のお友達の、早坂愛さんですよね」
「あ……そうそう!」
都合のいい事にターゲットからの良いパスが転がり込んできた。一瞬考えて、何か良い会話の流れが生まれそうだったので、早坂はそれに逆らわずに乗っかる事にした。
友達の友達は友達作戦を実行する。
「書記ちゃんと知り合いだったんだ。ねえご飯食べながら話ししない?」
「私でよろしければ」
「ついでに学校案内してあげるしー」
「ありがとうございます。まだ分からない所もあるので……」
嘘である。
この男、昨日藤原と一度校舎を回って内部構造を完璧に把握している。
秀知院学園に入れるだけあって、彼も優秀であるのは間違いなかった。
「食堂は一階のねー」
「あ、待ってください」
どういう距離感で人と接するか、というのは一つの悩みどころだが、早坂は自分の学校でのキャラと五条の意外にも気安そうな感じから距離感を一歩詰める事にした。
ともすれば男に媚ているようにも見られかねないが、彼の見た目はほぼ女の子なのでいやらしい感じはしなかった。もちろんそこまで計算した上での距離感だ。
「速くー、席埋まっちゃうよ」
早坂は少し強引に五条の手首を握ると(うわ細っ)、そのまま引っ張って行った。
ここまで来れば早坂は今回の作戦の成功を半ば確信していた。かぐやの学んだ四宮家一子相伝『純真無垢(カマトト)』には及ばないが、人心掌握術の一つとして異性との接し方は学んでいる。
(もっともこれを男性と呼んでいいのかはかなりの疑問ですけど)
風紀委員に目を付けられないように早歩きで食堂に向かいながら、一瞬後ろを見ると頬に赤みが差した五条美城がいた。もう疲れたという訳でも照れているという訳でもないだろう。早坂自身もそうなので覚えがあるが、色素が薄いとすぐに顔が赤くなるのだ。
はらりと白い髪が跳ねると、それを白い指でかき上げて整える。
本当、綺麗な顔をしている。早坂は素朴にそう思った。
そのまま春の日差しが入り込む窓を抜けて、食堂まで行こうとした。
「いっ……!」
突然後ろの五条美城が立ち止まった事で、その腕を引いていた早坂は前につんのめる。
何事かと振り返れば、空いている手で目元を押さえて今にもうずくまりそうな五条がいた。
「え……何? どしたし?」
「すみません、ちょっと、光が目に入っただけですので……」
ゆっくりと彼が目元から手を離すと、そこから涙が一筋流れていた。その痛々しくも美麗な光景に、思わず早坂は息を呑む。
真珠の海に、浮かんだルビーが、ダイヤの涙を流したら。そんな宝石で修飾過多な言葉が頭の中に流れてきて、そしてすぐに保健室に行かないと、と思い直した。
「ふんふーん♪ あれ、シロちゃん。早坂さんも」
そこにタイミングが良いのか悪いのか藤原千花が登場する。
「お昼ごはんですかー? いつの間……あー! シロちゃんどうしたんですか!?」
わあわあと叫びながら、涙を流す幼馴染の方へ駆け寄って来た。彼の頭に触れ、肩に触れ、自分の頭に触れて異常が無いか確認する。最後のいる?
「大丈夫、目に光が入っただけだから」
「本当ですか?」
何か怪我をした等の理由で泣いている訳ではないと分かり、藤原はふうーと額の汗を拭って人心地着き、片目を瞬かせる五条に居場所を知らせるように手を握ると、ゆっくりと尋ねた。
「目薬は? 今も持ってますか?」
「教室の鞄に……」
「じゃあ一緒に行きましょう」
早く行こうと藤原は彼の手を取ったまま歩きだす。
どこかいたたまれない気持ちを抱える羽目になった早坂も、このままでは終われないと短く声をかけた。
「あの、書記ちゃん? これってどういう……」
「早坂さん。ワザとじゃないって分かってますけど、気を付けてあげて下さい。シロちゃんの髪が真っ白なのは伊達や酔狂じゃないんですから。シロちゃんはアルビノですから光に弱いんです」
一つ、二つ藤原は早坂に告げると教室へ歩みを進めて行った。
その言葉を飲み込んでいる間に早坂のスマホが震える。これはメールの震え方だ。
画面を見ると、探るよう命じていた調査員からの簡易報告書だった。重要書類を読んでいるとは微塵も思えないような、壁にもたれて少し笑みさえ浮かべながら、友達の連絡を読んでいるかのように目を通す。
「これは……」
「かぐや様。ご報告があります」
本日の日程が終わった放課後。重厚な生徒会の扉を開けて、早坂はかぐや一人きりで作業をしている所へ入った。
「早坂、学校でそれは止めなさい。どこで誰が見ているか分かりませんよ」
「ご心配なく。他の生徒会の面々は帰宅した事は確認済みです」
「その油断が命取りに……まあいいわ。それで、報告というのは?」
「昨夜に指示を出されました五条美城の調査についてです」
かぐやは片眉をぴくりと動かすと、ソファーに座って早坂にもそうするよう勧めた。
主人の好意を素直に受けておく事にした早坂は座り、鞄からタブレットを取り出しかぐやの前に出す。
「五条美城。四月六日生まれ。A型。父、五条彰男と母、五条静花の第一子として、先天性白皮性を抱えて生まれた、間違いなく長男です。白い髪、赤い目はここに起因します。かぐや様の一番の心配は杞憂でしたのでご安心ください」
そう告げると、かぐやは力が抜けたようにソファーにもたれかかった。それを見て早坂は素直じゃないな、とため息を吐く。
「はあ」
「……何ですかその『はあ』は?」
「いえ。そんなに会長に言い寄る誰かに不安がるなら、さっさとご自身が隣に立てばいいのに、という『はあ』です」
「だから私は会長の事なんて好きじゃありませんから!」
「そういう事にしておきましょう」
「で、もう特筆すべきような報告は無いかしら」
「一つ、私達にとって無視できない事態があります。彼の家は五条建設という会社を経営しているのですが――」
*
茜色に染まる秀知院の中を、五条美城は歩いていた。
真っ白な髪に夕日が差して、瞳のように赤く光る。
微笑みが唇の端を彩って、可憐な容貌に妖しい色気さえ漂っていた。
神秘の極みと言って差し支えない容姿の彼が、しかし丁寧に腰を折ってありがとうございます等と言うと、相対した人は疑問に思うのだ。
あれは人に頭を下げる事を苦に思うどころか、喜びを感じる人種で、では彼が頭を下げるべき人とは誰だろう?
聡い人は五条美城の礼が最上級の物でない事に気が付いていた。
ピタと足を止めて、とある教室の扉をノックする。中からの返事を聞いて、彼はゆっくりと扉を開けた。
「失礼します」
教室の窓際に立っていた人はその言葉を聞いて振り返った。
「もう目は大丈夫?」
「はい。ご心配をおかけしました」
「まったく、美城、あなたも大変ね。転校までする必要があったのかしら」
「いえ。私が好きでやっている事なので」
「そうね。あなたはそういう人だったわ」
「改めて挨拶の方申し上げます。こうして同じ学び舎に通える事、望外の喜びでございます」
「ま、よろしくね」
「はい」
眞妃様。
*
「――五条建設は、四条の数少ない国内傘下企業の一つです」
眞妃ちゃんすこ