ミントグリーンのフリルブラウスに、ネイビーブルーのロングスカート。
初夏らしく爽やかで清涼感があり、普段の制服と違ってあまり足を見せびらかさず、少しだけお堅い雰囲気を纏っている。
友達、と出かけるのであればこう言った恰好の方がいい……のかもしれない。
早坂愛は、彼女なりに考えた結果のコーディネートを身に包み、不安げに鏡の前でくるりと一回転した。
とん、と鎖骨の前でネックレスが躍る。プラチナのチェーンに通された赤の指輪が胸の少し上を打った。
コランダムの赤。ルビー……ではなく、アルミとクロムを溶かして固めた石。残念な事にこれは模造宝石だ。
身に着けるか否か悩んで、結局着ける事にして、だからこうして変ではないか確認している。
なぜこんなにも悩んでいるかと言えば今日一緒に出掛ける相手が相手だからだ。
あの真ん丸お目目の五条美城が、どんな恰好をしてくるか全く読めない。見た目にそぐわない男向けファッションをしてくるのか、フェミニンな恰好をしてくるのか。
「早坂、今から出るの?」
今から出ようかと玄関の扉に手をかけた所で、主人である四宮かぐやに声をかけられて早坂は降り返る。
「はい、かぐや様。今日はお暇を頂き……」
「そんな事を聞きたくて呼び止めたんじゃないわよ。ちょっと出過ぎた事を承知で聞くけど、どこに行くの?」
「どうせなら思いっきりベタに行こうかと思って、渋谷のハチ公前に集合です」
「……? というのに車の準備はしてないみたいだけど」
「電車で行けばいいじゃないですか。私もそんなに乗らないので定期は持ってませんが、大した出費ではありませんよ」
四宮別邸は泉岳寺付近に居を構えている。最寄り駅に行ってそこから山手線外回りに乗って行くつもりだった。
「電車……って、ダメに決まってるでしょ!」
電車に乗った事も無いかぐやは何故か叫んだ。理不尽である。
「どうしたんですか、そんなに興奮して」
「電車……電車ってアレなんでしょう? 痴漢……とやらが出没する危険地帯だともっぱらの噂の」
「誰から聞いたんですかそんな事」
誰が吹き込んだのか知らない(恐らく藤原と思われる)が余計な事を言わないで欲しかった。ただでさえかぐやは純粋培養のお嬢様なのだから、一例をもって世間の常識と考えてしまうクセがあるのに。
「かぐや様、一人が言ったからといって『皆そう言ってる』とかいう小学生みたいな事はやめましょうよ」
「もー! 何ですか心配してるって言うのにその態度は!」
「お気持ちはありがたく受け取って……」
「いえ決めました。送っていきます。誰か?」
パンパンと大きく手を叩くとかぐやの視界の外にいた使用人がすっと目の前に現れた。背広を着た男性の使用人である。
「はいここに」
「運転手はいるかしら?」
「申し訳ございません。今日はお休みをとっておりまして」
「そう……。あなた、免許証は持ってる?」
「はい。大型四輪までの免許をとっておりますが」
10トントラックに乗れる免許だ。ちなみに彼はバスまで運転できる。
「ならあなたが早坂を乗せて行きなさい」
「かぐや様!?」
「かしこまりました。では、どちらに?」
「渋谷駅……あ、北口の方よ、ハチ公前で待ち合わせだそうだから」
「今すぐ準備いたします」
かぐやの言葉に頷くと、使用人は一度頭を下げてガレージへと向かって行った。
その角を曲がって行く姿をしっかりと見送った後、早坂はかぐやに向き直る。
「かぐや様、どういうおつもりですか」
「どうもこうも、五条くんに傷物のあなたをお渡しする訳にはいきませんからね」
「大袈裟な……」
ため息を吐きながらこめかみの辺りを抑えて、自分に対して過保護というか、世の中に対して猜疑に溢れているというか、そんな様子で義憤に駆られている妹を見た。
もう面倒くさいので大人しく車に乗って行く事にする。
……やれやれ。
――
「人が多いですね」
「休日の渋谷ですから……というか、何で付いてきてるんですか」
渋谷駅のすぐ傍に着けた四宮の普段使いの車の中で、かぐやは窓の外の街並みを眺めながら感心したようにそんな事を呟き、隣で聞いていた早坂はジトッと艶やかな黒髪を睨みつける。
まさかとは思いますが、尾行してくるつもりではないでしょうね……。
「かぐや様、車を出していただきありがとうございました。帰りは結構ですので」
早坂は美城がよくやるように、上を褒める事で下の者を褒めた。
それは相手も良く分かっている様で、運転手はサイドブレーキを引いた手を挙げて『お気になさらず』と小さく伝える。
「ではかぐや様、お気を付けてお帰り下さい」
遠まわしに「来るな」と言いながらにっこりとらしくない笑みを浮かべて、早坂はドアを閉じた。車内でもにょもにょ何か言いたそうなかぐやは、やがて諦めたように俯くと、もう一度顔を上げて手を振った。
ゆっくりと走っていく車を見送りながら、会長とのデートに役立ちそうなお土産話を持って帰りますから、と決意を新たに向かう事にする。
「さて……」
振り返ると人、人、人。
休日らしく人でごった返したハチ公前に、失敗だったかもと早速そんな思いがよぎってくるが、ベタという事はそう言う事だ。
とりあえずもう着いているか連絡を……。
「あれ何? 撮影?」
「外国人のモデルかなー?」
「真っ白だったけど、どこの国よ」
「あれじゃない? ロシアとかでしょ」
……来ているようだ。
先ほど横を通り過ぎて行った女子二人組が来た方向へ向かっていくと、こんな雑踏にあっても「白い」「可愛い」という言葉がカクテルパーティ効果の応用で飛び込んでくる。
すみません。それ男の子なんですよ。
人波をかき分けながら進んで行くと、ハチ公の周りのある一円に人垣ができていた。背伸びをしながらのぞき込む。
日傘を傾けた女子(?)とスーツを着た男性が向かい合っていた。状況が良く分からないので事の成り行きを見守る事にする。
「ちょっとだけ、ちょっとだけでいいですからお話だけでも!」
「えーっと、どうしましょうか?」
「この名刺をちらっと見るだけでもいいので! 先っちょ、先っちょだけでいいので!」
「しょうがありませ……はい見ました先っちょだけ見ました。大なんとかさん」
「ありがとうございます! もう一声、もうちょっとだけ行ってみませんか」
「えぇ? 困りましたね……。もう、ちょっとだけですよ? 大……山なんとかさん」
「崎の部首だけ!?」
何してるんでしょうこの人達?
早坂の素直な感想だった。
「……私そこまで言っていいなんて言ってないですよ」
「ひぃぃ! ごめんなさいぃぃぃ!」
「何女のムーブなんですかそれは」
「あ、愛。ようやく来ましたね。遅刻ですよ?」
「そこは『全然待ってないよ』って言うのがマナーじゃないんですか」
「ポケットの奥にある切れ端みたいな感じで良いんで名刺を貰ってください!」
「……これが待ってないように見えますか?」
「見えませんねすみません」
大の大人に縋りつかれている高校生がそこにはいた。
というか私の彼氏だった。
「はっ! お友達ですか!? どうでしょう芸能の道に興味はありませんか」
「えぇ……メンタルつよ……」
地べたにひれ伏していたスカウトは一瞬でシャンと立ち上がると、清潔感のあるレザーの名刺入れから一枚取り出して早坂の前に差し出した。心がターミネーターと同じ素材で出来ているに違いない。
「いえ、興味ないんで……」
「そこをなんとか! あなた達は二人で組めばアイドル界の天下は取ったも同然の素材ですよ! この道十年の私が保証します」
となると十七の子供に三十以上の大人が媚びへつらっていたのか……(困惑)
早坂と美城は、この美貌という宝石を磨き上げる事の為なら恥も外聞もかき捨てる目の前の男に不思議な尊敬を抱いた。
「というか残念なお知らせなんですけど」
「いえいえ何せ急な話ですからお二人が困惑するのも理解できますよですから私も今すぐに!なんて悪徳なスカウトみたいな事は申しません一度持ち帰って徹底的に調べていただいてから連絡を頂くという形で構いませんのでどうか一枚だけでも名刺を受け取って貰えないでしょうか」
「「こっわ……」」
尊敬は一瞬で霧散した。
二人は身を寄せ合って恐怖にうち震えるのみである。
「いえホント盛り上がってる所悪いんですが、この子は男ですよ?」
「……えっ?」
「はい、証拠の保険証です」
早坂のアシストから繋げて美城は財布から保険証を取り出すと、性別以外の欄を隠しながら目の前の男に見せた。
保険証は公的な手続きを踏んで発行されるものである。そこに嘘は無いし、あったとすればもはや犯罪だ。
「男……」
呆然といった様子で佇む男を見て同情が湧かない訳でもなかったが、しかし芸能界に身を置くよりも重大な事が二人にはあるので、諦めてもらうしかない。
泣いているのだろうか? 肩をぶるぶると震わせる男をこのまま放置するのはさすがに良心が咎めたので、美城はポンポンと彼の背中を軽く叩いてあげた。
そうしていると男は不意に勢いよく顔を上げて、美城をビビり散らかさせた挙句にこう言った。
「という事は……可愛い上におちんちんが付いてお得!!」
「「ヒェッ……失礼しました……」」
マジのガチで恐怖を覚えた二人はそそくさとその場を後にした。
過去一の恐怖である。密室で殺人鬼と一緒に閉じ込められたとしてもこうはなるまい……。
ハチ公像のすぐ傍には有名なスクランブル交差点があるが、そこが丁度青になったので人混みに紛れて逃走を図った。
何事にもその有能さで何事をも乗り越えて来た早坂と、何事も才能とその美貌の神通力で事を穏便に済ませて来た美城の二人をして、何もなすべき事が見つけられない真の逃走だった。
今日のこの日を二人は敗北記念日として忘れない……かもしれない。
本日の勝敗 早坂&美城の敗北
「はあ……ここまで来れば大丈夫でしょう」
「本当にあなたという人は。トラブルに首を突っ込まないと死んでしまう回遊魚か何かですか?」
「ひどいです。私だって好き好んでトラブルに突っ込んでる訳じゃないのに……」
「まあ……あれは酷い当たり屋だったと思って忘れましょうか」
スクランブル交差点を駆け抜けて、はす向かいの商業施設に逃げ込んだ二人は休憩スペースのベンチに腰掛け、少し荒くなった息を整える。
走って少し形が崩れたようで、美城は丁寧に日傘を折りたたんで鞄の中にしまった。
深呼吸を一度すると、昂っていた気が収まってきて、さきほどまで出会っていた奇妙な出来事におかしさがこみ上げてくる。
「あーあ、怖かったですね。あははは」
「あはは、じゃありませんよ。大体みぃの服が……」
ここまで来て早坂はようやく美城の恰好の事を気にする余裕が出て来たので、乱れた白髪を整えながら襟もとを直している彼のファッションをじっと見つめた。
裾に向かって広がっていくゆったりとしたスタイルのグルカパンツで、足元は女性物のローファーのような革靴を履いている。
青色のブラウス……と呼びたくなるが普通に男物のシンプルなシャツだ。首回りに黒いセーラー襟が付いていなければ、だが。
これと似た服装を早坂は見た事があった。明るい色の上下に黒のセーラー襟という構成は、秀知院中等部の制服によく似ている。
そしてとどめとばかりに秀知院のセーラー服で言えば、赤いリボンがある胸元の位置にループタイを留める
コランダムの青。サファイアである。
朝にした早坂の予想レースは、メンズファッションに身を包んでくるか、フェミニンな恰好で来るかの一騎打ちだった。
しかし、正解は前者と後者のシンクロ召喚によってミリタリー系のグルカパンツに普通の男物のシャツを着ていてもそういう恰好が好きな女性のようにしか見えない、という合体モンスターが爆誕してしまう結果に終わった。
「無駄に可愛いんですよ。どういう意図なんですかそのセーラー襟は」
そんな恰好してたら変な輩の一人や二人呼んでしまうのも仕方がない気がしてくる。
自分と美城のファッションを見比べて、見劣りするとは思っていないが甲乙つけるなら美城の方に軍配が上がるかもしれない、と考える。彼の白い髪のすぐ傍に、黒いセーラー襟は映えが反則級であった。
「これですか? 今日は明るい色のシャツですから、照り返しを防ぐために付けているんです。これ後付けなんですよ?」
ほら、と言って美城は襟を外した。パタパタと首元に風を送り込んで少し涼むと、また元通りに付けなおす。
体質を理由にされては黙るほかない。
「愛の服も似合っていますよ? 夏らしく爽やかで。ええ、とても可愛いと思います」
「……ありがとうございます」
普段は制服なのでそんな事を思う必要はないのに、こうして私服で並ばれるとどこか負けたような気持ちになって、早坂は少し口を尖らせながらぞんざいに褒め言葉に応じる。
そんな事を気にするでもなく、美城は何かを見つけて嬉しそうな顔を崩さないまま言った。
「おそろいですね」
「何がですか」
「アクセサリーの石が、ですよ」
そう言う美城の目線が早坂の首元にかかるプラチナのチェーンに向けられて、最も注目を注がれているのは通されている指輪の赤い宝石だ。
それから視線を上げて、自分の瞳を指さした。
「ほら。同じ赤です」
そう言ってからくつくつと笑うと、今度は自分の首にかかっているループタイの留め飾りに嵌められた輝く石を見せて、早坂の瞳を覗き込むように眺めた。
「ほら、愛みたいに綺麗な青をしていると思いませんか?」
何ともキザったらしい褒め言葉だったが、美城が言うと不思議と腑に落ちるような響きがある。完全に見た目の暴力でしかなかった。
「冗談はそれくらいにしておいてください」
「はーい」
ここまで“らしい”と分かる物だ。早坂は真剣に捉えるバカらしさに気が付いて突き放すように言い放つ。
やり過ぎたと思っているのか、美城は軽い調子で返事をして、舌を出しておどけてみせた。
「さ、愛。気を取り直してデートを始めましょうか」
ぴょんと飛び上がるように立ち上がると、華麗にくるりとターンして、早坂の目を真っすぐ見ながら彼は白魚のような手を差し出す。
「初っ端からあれでは不安でしかないですけど……」
これ見よがしにため息を吐いてみると、僅かながらに困った表情になった美城に面白味を感じて、唇の端をちょっとだけ上げた。
「楽しませてくださいよ? 私の一日は安くありませんから」
少し嫌味にも取れそうな事を言いつつも、目の前に差し出された手を、早坂愛はそっと取ったのだった。
最近小説版かぐや様を読んだので、その中に出て来た早坂の私物であるルビーの模造宝石が嵌められた指輪を出してみました。