「ロイエンタールの大馬鹿野郎!」
「そう言えば、愛の誕生日っていつなんですか?」
穏やかに揺れる車内で窓越しに『お誕生日のラッピング承ります』の文字を見た五条美城は、ふと気になって目の前の彼女に問いかけた。
早坂はそれまで話していた、夏休みに行きたい所の候補地という話題(もちろん自分達ではなく、かぐや・白銀が行きたいであろう場所を考える)から全く異なる話題転換に首を傾げると、さらりと金髪のサイドテールが首すじをくすぐった。
「どうしたんですか、急に?」
「いえ、単純に世間話ですよ。愛の誕生日を知らないなと思いまして。どうせ私の誕生日は知っているのでしょう?」
「四月六日ですよね」
「ほら。そちらだけが知っているのは不公平と言う物ではありませんか?」
何をいまさら気にしているのでしょう。初めて会ってからもう一月以上は軽く経っているのに。
とはいえ別に隠し立てする必要も感じられないので、文句を垂れている彼を黙らせるためにも答えてあげる事にした。
「四月二日ですよ」
「え……もう過ぎてるじゃないですか」
「そうですよ? だから今更だなあ、と」
「言ってくださいよー」
「嫌ですよ。過ぎた誕生日の事を言うなんてプレゼントを催促しているみたいで」
「ちなみに今って何が欲しいんですか?」
「だから言いません」
「もー」
ぷんすかご機嫌斜めになってしまった美城に、ある種の微笑ましさを感じて早坂は少しだけ笑う。
「ですが四月二日なんて、ぎりぎりでしたね」
「何がですか?」
「早生まれのルールですよ」
「ああ。四月一日生まれは一つ上の学年に入るというアレですね」
学年は四月一日に始まり三月三十一日に終わり、翌四月一日に学年が上がる。これは学校教育法の施行規則第五十九条に記されている法令だ。
ではどうして四月一日生まれは学年始まりの日に生まれたのに、上の学年に入れられるのか。
「あと数時間でも遅れていたら私は愛を先輩と呼ばなければなりませんでしたね」
「興味あります。試しに言ってみてください」
「それはまたの機会に。愛はどうして一日生まれは早生まれ扱いになるか知ってますか?」
「確か……民法によると、【誕生日の前日が終了する時(深夜十二時)に歳を一つとる】とされていて、つまり四月一日生まれの人は法律上は三月三十一日の深夜十二時に歳をとっているという扱いになるから、ですね」
何とも小難しい話だが、そう言う風になっているらしい。
ちなみに有名な四月一日生まれキャラは木之本桜やボボボーボ・ボーボボである。
「さすが愛。なんでも知ってますね」
「まあ自分に関わる事ですから」
こんな事はポケットに入れている板を触ればすぐに出てくる情報だが、おそらく美城は堂々とスマホを取り出して調べものをしても褒めちぎったに違いない。褒められ慣れている四条眞妃をして致死量レベルで褒めてくると称された彼はそういう男だった。
褒められる事に乏しい早坂は少し照れたように頬を掻く。家族間の教育方針がどう作用したら、こんな人を平気な顔して褒められるような生物になるのか教えて欲しいくらいであった。
主人をロクに構いもしない
「しかし示し合わせたみたいですね」
「何がでしょうか」
「その年度中に生まれるかぐや様と同じ学年に、従者の早坂家にギリギリ早生まれにならない日付に生まれて来た愛という子供が、です。ちょっとした運命を感じますね。もしかして一日生まれをずらしたりしていませんよね? ……すみません、もちろん冗談ですよ」
「…………」
「えっ何で黙るんですか?」
「あなたのような勘のいい男は嫌いですよ」
「ま、まさか本当に……?」
「あ、停まりましたね。着いたみたいです」
「ちょっと、愛?」
「速く降りてください」
「何でそんな含みを持たせるんですか。じょ……冗談ですよね?」
「ふふっ……」
何かを秘めたような伏し目がちに青い目を向けると、焦り始めた美城が可笑しかったので、そのまま含みを持たせた微笑みで応えた。降りてと言っても彼が降りてくれそうにないので、手で制しながら美城の前を通り、通り過ぎる際に、囁くように短く言う。
「いいじゃないですか。私の誕生日は四月二日ですよ。……という事で」
「だから最後の一言が不穏なんですけど」
美城はどうも口にした冗談が真実味を帯びてきてしまった事に居心地が悪い物を感じながら、先に下りてしまった彼女の後姿を追いかけた。
二人が入るネイルサロンは商業ビルの二階にあった。
大きな窓が嵌められた白亜風の建物で、同じような目的の若者でごった返している。
一階にあるカフェから、今となっては流行りと言い辛いタピオカミルクティーを片手に通り過ぎていく女子を横目に見た美城が、ツイッターかインスタかは分からないが写真を撮ろうとしている彼女達のスマホに向かって小さくピースした。
「何をしているんですか」
茶目っ気を出して他人の写真に見切れようとしている彼に呆れつつ、階段に足をかけた早坂は振り返る。
えへへ、と困ったように美城は笑って、待たせている早坂の所へ行き同じように階段に足をかけた。そしてゆっくりと登って行く。
「愛はあれ好きですか? タピオカ」
「飲んだ前提ですか」
「だってツイッターに画像上げているのを見ましたから」
「何勝手に見てるんです」
「どうせ見せる用の別アカでしょう? 金髪碧眼の美少女写真をアップすればすぐ伸びそうなものをしないという事は」
「それでも一年近くさかのぼるのはちょっと変態じみてますけど?」
「では十七年近くさかのぼった愛はもっと変態という事になりますけど?」
カツンカツンと革靴とサンダルの固いソールが打ち付ける子気味いい音に合わせるように二人の技の返しあいのような会話が続く。
変態、と女子に言われれば男子なら多少なりともたじろぎそうな物を、平気な顔をしてこちらに擦り付けてくるのは、美城の対女子性能の高さを窺い知れた。腹立たしいほどに。
店主の趣味がそのまま反映されたような色鮮やかな外観を一瞥して店内に入っていくと、受付にいた女性が机に落としていた視線を上げて、
「いらっ……しゃいませ」
そんな風に言いよどんだ。
彼女も長らく渋谷の一等地に居を構える店の一員である。金髪も白髪も、何なら虹色に染められた髪すら見た事があるが、これほどナチュラルな髪色はお目にかかった事がない。
染髪剤を教えてほしい。遺伝子です。
「予約していた五条です」
「五条様ですね。えーっと……はい、奥の部屋へどうぞ」
予約状況を確認すると、一つだけあからさまに特別な色使いで『五条』と書かれている。赤色だ。
美城は示された奥の席に目をやると、受付に会釈して早坂と一緒に進んで行った。その瞳が赤色だった事に気が付くのは、奥に二人が消えてからだった。
突然の予約が図々しくも店長を指名してきた事は従業員の間でも噂になっていた。御坊っちゃんお嬢様学校として知られる秀知院の卒業生であるにも関わらず、自分の腕一本で店を守っている店長。
その人に先輩だからと言って予約をねじ込むのはどうかと、皆の間で議論の的であったが、少なくとも五条と名乗った二人組を見た彼女は何かを言うつもりがなくなってしまった。
大理石から切り出したような白と金の天使像の、美しく白い佇まいに触れる勇気が湧かなかったのである。
「あんなに綺麗だと人生楽しいだろうなあ……」
そんな言葉を思わず漏らした。
「お待ちしておりました」
奥の部屋で待っていたのは三十代前半の女性だった。明るい髪色、煌めくネイル、少し軽薄にも見えそうな姿は、幼少から裏打ちされた教育によって得られた上品な佇まいで少しもそうとは思わせない。
「今日は無理を言って申し訳ありません」
「いいんですよ。先輩にはいつもお世話になってますから、これ位はね」
丁寧ではあるが、すこし砕けた言葉遣いだった。客であるし、先輩の先輩の子どもではあるが、秀知院に通っているなら後輩である。そんな気持ちが出た言い方だった。
「では始めますね。座ってください」
「あ、いえ、私ではなく彼女をお願いします」
「よろしくお願いします」
予約した本人が座らないのはおかしい話だ。と言いたげな表情になった店主に、気まずい気持ちを抱く羽目に会った早坂は、さっさと簡易イスに腰掛けた美城を睨んだ。
どうせ私が受けるのだから、『早坂』で予約を取ってくれればいい物を。……それで彼の方を見ながら「早坂さんですね」と言われたらもっと複雑でしょうけど。
こればかりは仕方ない。耳目を集める姿に生まれた彼が悪いのだ。
そういう事にして早坂は席に座り、青系統の人気のネイルでと伝えて爪を表に手を差し出した。
「綺麗な爪ですね。自分で手入れしてるの?」
「普段は自分で塗っているので」
「え、今の秀知院ってネイルして良いんだ」
「軽めの物なら、ですけど」
「でも愛くらいしっかり塗る人は珍しいですね」
確かに……と言おうとした所でふとある事を思い出し、早坂は美城に語気を強めに問いかける。
「そう言えば、余計な事を言ったのはみぃですよね」
「余計な事?」
「とぼけないでください。マスメディア部の二人が書いたネイルの記事に余計な情報を付け加えたでしょう」
「あー、ネイルは男の趣味でいうとガンプラ、みたいな事を言った記事ですか」
「それです。彼なんかすぐ真に受けてしまうんですから」
「何かあったんですか?」
「私があの子に塗ってあげたピンクのネイルを、後日シャアザクみたいで良いと思うぞと言われたとか。せっかくハズいくらい可愛かったのに」
一応気を遣ってかぐやと白銀の名前を出さないで会話を続けた。
「ラインストーンを一個のせた可愛らしいネイルだったんですね」
「なんで分かるんですか!?」
「一個のストーンをモノアイに例えたんだと思いましたので」
「『シャアザクって何!?』となった彼女の為に、私はガンダムをはしごですよ。はしご」
「まあ楽しそう。私も一緒したかったです」
「あなた十時くらいには寝ちゃうじゃないですか」
「すみません……」
そんな会話をクスクス笑いながら聞いていた店主は、丁寧に磨き上げた早坂の爪に、後でふき取るので軽くオイルを塗って下準備を完了する。
余計な甘皮を切り取って、もはや工業製品のように丸いピカピカに光る早坂の桜貝のような爪を見ながら、美城は感嘆した声を出した。
「やっぱりプロですね。単純な事に一番差が出ます」
「そうですね」
「ではありがとうござい……」
「いや待って!? 終わった感出さないで!」
そのまま席を立ちそうな美城に慌てて店主は呼び掛けた。もちろんふざけているだけとは分かっているが。
「私だったらこれで満足してしまいますね」
「何で男はネイルが嫌いなんでしょう?」
「嫌いという事は無いと思いますけど。ただIKK●さんクラスか、キャッチャーの蛍光ネイル位いかないと興味が無いだけで」
「どんだけ~……って何やらせるんですか!」
「自分でやっておいて」
ノリよく返してしまった。
ここが学校だったらギャルモードで乗り切れたのだが、今は比較的素に近い早坂愛だったのでダメージが直接自分に返ってくる。
「仲が良いね」
店主は愉快な気持ちになりながら目の前の二人を見てそう言った。
嬉しそうに微笑む美城と、納得がいかなそうに顔をしかめる早坂の対照的な顔を見比べながら青系統のジェルネイルの準備を始める。
特に人気なのは、ベースの上にカラーを乗せ、その上に金銀を散りばめて更にトップジェルを塗る物だ。
数ミリの世界でありながら、奥行きさえ感じるそのネイルは、ギャラクシーなどと呼ばれたりもする。
下準備がなされた爪の上に、まずはベースとなるジェルが均一に塗られる。
美城は建築業の息子らしく『コンクリの左官みたいですね』と思ったが、気を悪くされそうなので黙っておいた。
良いのに、左官。このご時世でも五百万近く稼げるのに。
誰に言うでも無いのに、内心言い訳した。
ここでジェルネイルの特徴が美城に牙をむいた。
その特徴とは、ゲル状の樹脂を硬化させる工程にある。普通のマニキュアの、溶剤が渇いて固まっていくのとは決定的に異なる点は、
「じゃあ光当てるねー」
ジェルネイルはUVライトを照射してジェルを硬化させるのだ。身近にある似た原理の物と言えば、歯医者で施術される詰め物だろうか。
UV。ウルトラヴァイオレット。
日本語で言うと紫外線である。
アルビノである彼の天敵だった。
「私ちょっと席を外します」
「ハンディUVライトで!?」
手元を青紫の光に晒しながら早坂は首だけ向けて美城の後ろ姿にツッコんだ。
美城はやはり外的刺激によわよわ彼氏すぎる。
「可愛いお友達ね」
「確かにあれほど見た目が可愛らしい人を見たのは初めてです」
「このビルのオーナーが私の先輩なんだけど、そのさらに先輩が子供の写真を見せてくれないってオーナーが愚痴ってたの。けど、あんなに可愛かったら納得。お兄さんもきっとカッコいいんでしょうね」
ん?
微妙にかみ合わない会話の歯車を回して、回して、カチリとかみ合ったのは要という少女を思い出してからだった。五条家の子供は、兄と妹で構成されている。
そう言えば彼はお兄さんでした。兄と妹の子供二人という情報だけだと、彼の事を妹と思うのも無理はありませんが。
「あの子の方がお兄さんですよ」
「えっ」
――
「お待たせしました」
施術を終えた早坂は美城が待っているカフェに合流した。
どこかウキウキした様子の彼女に対して、美城はどこかくたびれたような顔をしている。
それもそのはず。
「どうしました? 疲れた顔をしていますけど」
「だって、あれから二時間ですよ?」
「大袈裟な。女性の使う時間を過大に言うのは男性の悪い癖ですよ」
「では実際に何分使いましたか?」
「百分です」
「ネイルってこんなに時間かかるんですね……」
所要時間、優に百分を超える『大工事』である。
女性のあれこれに理解がある美城といえど、さすがに堪える時間であった。
それはいつも手頃なマニキュアでお洒落を済ましている早坂もご機嫌になろう物だ。普段の十倍近く時間をかけているのだから。
その丹念に塗り重ねられたジェルネイルは女性の心を捉えて離さない輝きを放っていて、早坂はもう一度視線をネイルに合わせる。
「ねえ、愛、私にも見せてください」
「いいですよ」
光にかざしてキラキラと輝くネイルをじっと見つめていた早坂に、そんなにいい物なのかと興味が湧いた美城は見せてとお願いする。
彼女が選んだのは青の中でも明度の高い物であった。彼女の目よりも少し明るいくらいの色だ。そこに金色のラメが、大小さまざま入り混じって奥行きのようなものを感じさせる不思議な煌めきを放っていた。トップにクリアなコートをかけると海を閉じ込めたようなネイルが、早坂愛の両手に収まりよく十個並んでいる。
夏の日差しに煌めくブルーの海、といった風に美城は思った。
「綺麗ですね。良く似合ってますよ」
ネイルに向けていた視線を上げてそう言うと、喜んでくれていると思っていた早坂が少しだけ困ったような顔をした。
美城は疑問に思いながらこてっと小首をかしげると、早坂はその少し困り顔のまま話し始める。
「こんな感じでいいんでしょうか?」
「何がですか?」
「デートと言う物が、ですよ。何と言いますか、私のために何かをしてくれるのは、それはまあ気分がいいですけど、これがあなたにとってどんなメリットがあるかと考えると……。
……って何を言っているんでしょうか。忘れてください。さあ次はどこに行きます?」
猫カフェのような体験ではなくて、目に見える形となって表れた事で何か思う所があったのだろうか。
美城はそんな早坂の言葉を、腹立たしい気持ちで聞いていた。
与えられる事に慣れていない四宮の教育の歪みの被害者ではとすら思う。だからこんな友達同士で出かける事にさえ、メリットとデメリットの天秤を釣り合わせる事に拘泥するのかもしれない。
【人から貰うな】と御大層な書体で額縁に飾られていた言葉を美城は思い出した。
この歳の女の子なら、自らに降ってくる全ての都合のいい事を無遠慮に受け取っても良さそうな物なのに。
「確かにメリットはないかもしれませんね」
「そうですか……では次に行く所くらいは私が」
「ていっ」
「痛っ」
金髪垂れこめる綺麗な額に、美城はデコピンをかました。
「そんな風に思えるのは愛の美点かもしれませんけど、辛気臭い顔をされては困ります」
「ではどうすれば」
「簡単ですよ。笑っていてください、愛」
「はっ……?」
弾かれた額をさすりながら、美城の言った言葉に早坂は息を呑んだ。
「愛だってかぐや様と出かける事があれば、笑っていて欲しいでしょう?」
「それは……まあ、そうですね」
「それと同じです。好きな相手が笑っていてくれたら嬉しい。楽しかったら私も楽しい。それが何よりのメリットです。ですから困った顔をされると、私も困ってしまいます」
そう言うと、鏡合わせのように困った笑顔を美城は浮かべる。抱える思いは早坂の後ろ向きな物から、鏡に映った虚像のように反対の物だ。
愛情いっぱいに育てられた彼らしく、なんとも真っすぐな友情の理屈であった。
それを眩しいと思うくらいに、早坂の育って来た環境は問題を抱えたもので、彼の言葉に素直にうんと頷けない自分は、彼と真の意味で相いれる事は無いのかもしれない。
早坂はそれを、少しだけ惜しいと思ったのだ。
「そう……ですね」
「分かってくれましたか?」
「ええ」
笑っているだけでいい。
楽しんでいるだけでいい。
裏表のないような、そんな事を心地よく思う自分がいる事。
それが分かってしまった。
「では次の場所へ行きましょうか。綺麗なネイルに合う、綺麗な服を見繕いに」
五条美城は早坂愛の手を引いた。
普段なら馴れ馴れしいと言って振りほどくかもしれないが、今だけは素直に受け取って、彼女の唇の端には少し笑みが浮かんでいた。
……
…
「早坂、帰ってきてたのね」
「はい、かぐや様」
夕焼けの茜色が全てを染め上げる時間帯になって帰って来た早坂を、四宮かぐやは出迎えた。
「しかしタイミングがいいですね。まるでずっと待っていてくれたみたいです」
「そんな訳ないでしょう? 五条くんが連絡をよこしたから、そろそろかしらって見に来ただけ」
「冗談ですよ」
意地の悪い返しにかぐやは呆れるように目を伏せる。これでよくやっているものだ。
顔を上げて早坂をもう一度真正面から見ると、どこか雰囲気が違っていることに気づいた。
それが聞きたい。四宮の令嬢、かぐやは御付きが帰ってくるからとわざわざ出迎えに行くほど殊勝な心掛けはしていなかった。
「早坂、話があるんじゃないですか?」
「はい……?」
「あーあ本当はあなたの惚気話なんて聞きたくないんですが、早坂がどうしてもって言うなら聞いてあげますけど?」
素直でなく、迂遠で持って回った言い回し。身の周りで交際している人物が四条眞妃と早坂愛しかいない、さらには四条とは敵対関係でもありおいそれと彼女の方には行けないので、早坂の方から何かしら話を聞きたいのかもしれない。
早坂はそんな主人の思惑を看破すると、しかしあえて否定から入る必要も感じなかった。
「そうですね。かぐや様、話を聞いてくれますか?」
「全く、しょうがないわね」
上機嫌になった様子のかぐやは早く話を聞きたいのか、小走りになりそうなほどの早歩きで自室へと足を運んだ。
お可愛い人……。そう思いながら早坂もその後ろに続く。
「で、どうだったのかしら」
かぐやがベッドに座り、そのすぐ傍で早坂が立って控えている、いつもの恋愛頭脳戦を企てる時のような格好でかぐやは切り出した。いや、切り出すように促した。
主人の思惑する所、過不足なく受け取っている早坂はまず端的に述べる。
「失敗ですね」
「失敗だったの!?」
かぐやは初っ端の早坂が言った言葉に目を見開いた。
「ちなみにどういう所が?」
「そうですね……。まず待ち合わせからケチの付き初めでした。みぃの方が先に着いて待っていたのですが、しつこいスカウトに声をかけられてまして」
「まあ、あの見た目ですからね」
「アイドルに強い事務所だったので、私がその人男ですよと言ったら『可愛い上におちんちんが付いてお得』とか言い出して」
「ブー!!」
かぐやは吹き出した。
彼女はまだ『ちんちん』や『おっぱい』で笑ってしまう期から抜け出せていない!
「かぐや様?」
「い、いえ、何でもありません。急に変な単語が出たから驚いただけです」
それを知るのは今の所藤原千花だけである。こんな自身の恥をいくら姉妹同然に育ったとは言え、早坂に見せられる訳がない。
「まあいいですけど……。それでですね、その変なスカウトから逃げた後でカフェに行ったんです」
「あら、いいじゃない」
「猫カフェですよ猫カフェ。かぐや様も会長とお出かけする機会がある際は気を付けてくださいね。彼女を放っておいて猫構いだしますよ」
「だから私は会長の……って猫カフェ? そんな所に行ったのね」
「はい。そこでは頼んだ飲み物を猫に取られましたし、一番人気の猫に触ろうとしたら厄介な常連に絡まれましたし、挙句の果てにみぃは猫の抜け毛でくしゃみして使い物にならないし、散々です」
証拠として早坂はお手製改造スマホの望遠レンズで撮ったオスカーくんの写真を提出した。
猫の気まぐれな所が好きではないかぐやだが、その壮麗たる姿に賞賛の声を送る。
「綺麗な猫ね」
「綺麗なだけです。なんでも、可愛がってくる女性が嫌いだとか」
「……何でナンバーワンなのかしら?」
虫の居所が良い時は撫でさせてくれるらしい。それを目当てに通いつめ、貢ぐのだとか。ホストより質が悪い。
「良かったのは次に行ったネイルサロンですかね。自分では絶対にしないようなネイルをしてもらいました」
「その爪?」
「はい」
「んー……確かに私にしてくれた物とは全然違うわね」
「ええ。やはりプロは違います。……まあ一つケチが付いたのは」
「また何かあったの?」
「ジェルネイルはUVライトを当てて固めるのですが、その光を嫌がって隣で見てたみぃが出て行った事くらいでしょうか」
「あの手に持ってピッてやるやつで!?」
「あの手に持ってピッてやるやつで」
美城のよわよわ具合はかぐやの想像を絶するようだ。食べ物のアレルギーは無いそうだが、それは奇跡に違いない。
「極めつけはその後に行ったショッピングモールですよ」
「今度は何で五条くんは使い物にならなくなったの」
「書記ちゃんです」
「あっ……(察し)」
「ホント信じられません。幼馴染だからって一応デート中なのに付いて行ったりします? ……あんなカッコいい事言っておいて」
「早坂、何か言った?」
「いえ、何でもありません。罰として買い込んだ物をしこたま持たせてあげましたよ」
少しばかり笑みを浮かべるとちょいちょいとスマホをいじって、哀れ荷物持ちに身をやつした美城の姿をかぐやにも見せてあげた。
画面を覗き込むと、そこには余裕の笑みをしながら両腕に整理下手のクローゼットみたいにぎっちりと物をかけている美城が映っている。
こんな顔して意外と力があるのが早坂のお気に召さないらしい。もっと大型メモリとかバッテリーを……と穏やかでない事を口走っていた。
そのまま自分の世界に入り込んだように、早坂は自身がよく行くパーツショップや専門店をリストアップする。
「……失敗だったのよね?」
「そう言ってるじゃないですか」
「カフェにも行って」
「そう言えば最近になってようやくナンバーワン猫に男と認められたそうですよ。ふふっ、損な見た目」
「人気のネイルサロンにも連れて行ってもらって」
「ネイルを落とす時も予約したらすぐ受けさせてくれるみたいです。店主が秀知院卒で、先輩筋にみぃのお母様がいるそうですが、様様ですね」
「買い物にも行ったんでしょう?」
「そうですけど……何が言いたいんですか、かぐや様」
「いえ。ただ、失敗だったと言う割には楽しそうだなと思っただけですよ」
かぐやがそう言うと、そうでしょうか、とどこか呑気な事を呟きながら早坂はデートの枝葉の子細に至るまで話し出した。
お可愛い事、と口走りそうな口元を優雅に抑えながら、何も知らなければ美しく、知っていれば嫌味たらしい笑顔を早坂ににっこりと向ける。
「たいした“失敗”でしたね」
出かける時はルビーの模造宝石が嵌められていた指輪をプラチナチェーンに通していたが、今は大粒のサファイアが輝くアグレットに代わっている事はどういう『失敗』なのか。
かぐやはそれが早坂の口から語られるのを、今か今かと楽しみに待っていた。
本日の勝敗 早坂の勝利