一学期が終わろうとしていた。
夏の盛りの昼下がり、学年集会を残すのみ、数時間後に鳴る鐘が長い休みの始まりだ。
一月近い休みを前に、クラスメート達はお互いの予定などを聞き合っていた。
それは別れを惜しむような……
などではない!
今この時間と、学年集会が終わり迎えるSHRの後の僅かな時間。これは夏休みの予定が決まっていない者たちの、時間制限ありの駆け込み寺も同然である!
夏休みの予定!!
その期間、七月後半から八月いっぱいにかけて、全国津々浦々でイベントが行われている。
海開き、旅行、花火大会。
これらの様々なイベントに“男女混合”で参加できるかはスタートに全てかかっていると言っても過言ではない。
ここで混合グループを作っておかないと長い休みを同性グループで過ごす羽目に合うだろう。
これに失敗すれば灰色の夏休み!
となれば、男女混合での旅行など無い!
海で水着もバーベキューも無い!
夏祭りで鼻緒が切れて女子を背負うなど無い。
花火の音でかき消される愛の言葉など無い。
田舎に帰ったら幼馴染との再会など無い。
ひと夏の大冒険もあるはずが無い!
現実!
それが現実なのである!
しかし……逆を言うなら、固く結ばれている恋人関係にある男女ならその心配はないのだが。
「ねえ美城、お願い! 夏休みの旅行のプランを考えてちょうだい!」
「どうされました眞妃様?」
長年の想い叶ってめでたく田沼翼と付き合う事が出来た四条眞妃は、長年の友人を頼ってそんな事を言ってきた。
「言葉の通りよ。どこかにこう……いい感じで行ける所が無いか探してるんだけど」
「田沼君から誘われていないのですか?」
誘われてない? だとしたら彼の処遇を改めなければならない。
世界魅力的な女性ランキングで上から数えて一番目にいる四条眞妃を誘わないなど、人間のなせる所業ではない。仰々しくする必要はないとは言え、彼女を楽しませる事は交際している彼の至上命題ではないか。
「誘われてるけど……」
命拾いしたな小僧。
「でも私から誘っちゃいけない道理はないでしょ」
「それはその通りでございます」
「せっかくだからパーッとどこか遠出でもしたいんだけど、二人きりで出かけるのもパパに何か言われそうだし、だったら美城も一緒に行かない? もちろん愛を誘ってもいいわよ」
「いいのですか?」
美城が良かろうと四宮家がまともに休みを取らせているとは思えないと彼は思っていた。いたが、あえて眞妃の言葉に異を唱える必要も感じない。普通ならそう考えるのが自然だし、その変に擦れてない所が眞妃の良い所なのだから。
「もちろんよ。私の周りでそういうのに詳しい人あなたを置いて他にいないから。前の高校でも夏休みとか冬休みにサッカー部の皆と旅行に行ってたでしょう?」
「……あれは旅行ではなく合宿ですよ」
*
(さてどうしましょうか? 私が旅行の幹事を務めるのは一向に構わないのですが……)
五条美城は学年集会の間中、いや終わってからもずっと旅行の事を考えていた。
正直言えば遠出するのは容易い。高校生とは言え、秀知院はピラミッドの上層を構成する富裕層の子息令嬢が多く通う学校である。ネックとなりやすい金銭面のハードルは悠々飛び越えることが可能だ。
しかし金銭面を乗り越えられたとしても、まだ高校生である。未成年の旅行を許してくれるか、という問題が立ちはだかるだろう。
さてどうするか……。
「美城様~」
マルチタスクが出来る美城は考え事をしていても他の事が出来る。旅行計画を頭の片隅で進行させながら、呼び掛けて来た方を振り向いた。
くりくりとした柴犬のような瞳が、爛々と輝いてこちらを見ている。後輩の鹿苑こがねだった。
「こがね。どうかしましたか?」
一声かけると、待てを解かれた犬のように小走りに駆けて、美城の下にやってくる。来た方の向こう、伊井野ミコと大仏こばちがこちらを見ていた。彼女達は一年B組で、鹿苑こがねも一年B組。こんな所で繋がりがあったようだ。
なんとなーく胡乱気な表情でミコは美城を眺めていたが。
何故だろう。美城は納得いかない気持ちを覚えた。この前だって髪をブリーチして真っ白になった頭の生徒に丁寧な説明をして次の日黒髪に戻してもらう大金星を挙げたというのに。
後日、校則違反の白い髪がいるという通報があったが、生来の髪は校則違反ではない。美城とは全く関係ない事のはずだ。
「どうもこうもないっす。昔約束したじゃないっすか。一緒の学校に行けるようになったら応援に来るって。忘れたとは言わせないっすよ」
「もちろん忘れていませんよ」
ふりふりとポニーテールを揺らしながら来たこがねは、上から覗き込むようにして美城の赤い目をのぞき込む。
バレーボール部の一年エースである彼女は当然のように美城より背が高い。つまり美城は大きな丸い目を上目遣いにして見返してくるという事で、こがねは役得役得と思いながら会話を続ける。
「夏休みは美城様にとってお出かけしにくい季節っすけど、バレーボールは室内競技なので観戦しやすいっすよ!」
「そうですね。日が入ってこないのは大事です。それで、どこであるんですか? 東京?」
「三重っす!」
遠っ……。
ダルいとは思わないが、それが美城の素直な感想だった。行くけど。
同じ身内でも、
『アンタ、大会があるって言ってたわよね。どこであるの?応援に行ってあげるわ』
『茨城だよ』
『えぇーっ、遠っ……。急にダルくなってきた……』
『お前ほんとざけんなよ』
となった四条姉弟とは対照的である。こうなった眞妃はマジで行かない。
血の繋がった双子と、付き合いが長いとは言え上司と部下の関係のその子供である美城とこがねでは対応も変わるのは仕方ないのだが。
「分かりました。予定を空けておきます」
「こがねちゃん。そろそろ行くよ」
「はーい、ミコちゃん! では美城様、これで失礼するっす」
ニコニコと屈託のない笑顔を浮かべたこがねは深々とお辞儀をすると、慌ただしく友人の所へ戻って行った。
労せず夏休みの予定が一つ埋まってしまった、と美城は頭の中のスケジュール帳に予定を書き込んだ。その一つを埋めるために世の男子達がどれだけの精神的ハードルを乗り越えているか。女子と話す事に何ら抵抗を覚えない彼には知る由もない事だった。
(しかし応援に行くというのは良いですね。眞妃様は帝様の出場される大会への応援を渋ってらっしゃいましたが、海水浴場近くを抑えれば遊びのついでに来て下さるかもしれません。それに田沼君を引っ張ってくれば)
美城の中で大まかな方針が決まった。大会に乗じて遊びに行く事を四条帝は良い顔をしないかもしれないが、そこは自分が付きっ切りで応援する事で許してもらおう。そういう見通しを美城は立てた。
こんな顔をしていても一応OBなのだから、応援に行く事にさほど不自然さはないはずである。
「愛ちゃん、夏休みどっか行く~?」
「ばっ、五条くんとどっか行くに決まってんじゃん」
「あっ……そっかそっか」
「でもバイトの予定が~」
少し歩くと今度は別の話声が聞こえる。
女三人が集まって姦し筝曲が鳴っていた。
早坂愛と、駿河すばると火ノ口三鈴のトリオが奏でる会話である。
「えーせっかく恋人が出来たのに?」
「マジ働きすぎ~。改革してこ?」
「でも欲しいアクセのためにお金貯めないとだし~」
「いや嘘つけー!」
「知ってんだぞー、ツイッターにあげた画像にでっかいサファイアあんの」
「いやあれは……」
楽しく夏休みの予定を話している様子だったのに、急に風向きが変わって早坂の顔に吹き付けた。彼女は困った顔をして固まった。
「あんな写真今まで無かったじゃん」
「とんだ匂わせしたがりだね」
「だから違……」
「あれ男物の紐シャッてやるネクタイみたいなのの金具だって知ってるから」
「愛ちゃんに忍び寄る宝石が似合いそうな男の影と言えば……」
間が良いのか悪いのか、駿河すばるはそこで美城の存在に気が付いた。目が合ったらバトルを挑んでくるトレーナーのように好戦的な目をしながら、声に出さずに訴えかけてきた。
『そこんとこどうなの?』といった感じの事を言っている。
会話の詳細を聞いていたわけでは無い美城は、良く分からないうちに軽く手を振って答えとすると、大盛り上がりになった二人はそのまま突っ込んだ。早坂に。
(愛は何か楽しそうですし、頼るのは諦めましょう)
盛り上がった友人の連携攻撃を受けている早坂を見てそんな事を思いながら、美城はその場を後にした。恨みがましい目線を向けられた気がするが、友人での楽しい会話でそんな事あるはず無いので振り返りはしなかった。 「薄情者……」
しかし楽しそうではあるが、夏休みが早坂と一緒に過ごせないとぶー垂れている二人を見ると恋人のやっかいな立場にこちらが頭を抱えたくなる。
そもそも論として、早坂と夏休みを過ごしたいなら主人の四宮かぐやに聞きに行かなければならないのに。
だがそれを明かす訳にはいかない彼女の置かれた立場に考えを一瞬巡らせた。だったら助けてください。とでも言われそうな内心であった。
窓から離れて壁際を歩きながら美城は先ほどの事をもう一度考えた。早坂の事ではない。眞妃と田沼翼の事である。
応援の名目で、というのは存外いい案に思えるからだ。後でこがねを褒めておかなければ、影を慎重に歩きながら忠義者の後輩を思い浮かべた。
しかし、夏の大会は基本的に八月の中旬から下旬にかけて行われる。となると上旬が寂しい予定になるので、何かもう一つ、もう一回くらい海に行っても良いはずで……
「わっ」
ひゅう、と熱い風に吹かれた紙が、美城の目の前で踊った。軽い驚きとともに小さな声をあげてしまったので、ちょっとだけ文句を言いたい彼はワザとらしくその紙を壁に押し付ける。
少しだけ柔らかい触感の、そこは掲示板であった。
お知らせ、注意事項、“ボランティア”活動について……
様々な掲示物が貼られているのはいつも通りだが、今は一つ、ある紙が考え事の光明のように見えて仕方が無かった。
これだ、と思った美城は、さっきよりも少しだけ足取り軽く駆けて行った。
*
夏休みの予定一つ埋めるに全く苦労しない人間もいれば、持てる知力の全てを出してなお埋められない人間もいる。
四宮かぐやと白銀御行。
早坂愛が言う所の恋愛頭脳戦を繰り広げている二人は、プライドの高さが邪魔をしてお互いを誘えずにいた。
藤原千花を用いて自分の有利状況を生み出そうとするのだが、ド天然の彼女を思い通りに動かす事は出来ずに、休みの予定の進退窮まったかと思われた……その時、
「失礼します」
その声と共に生徒会室の扉が控えめに開かれた。
「あ、シロちゃん」
入って来た白い髪の生徒に一番に声をかけたのは、かぐやへの策に考えを巡らせている白銀御行ではなく、無の境地に至っている四宮かぐやでもなく、俯き加減の石上優でもなく、幼馴染の藤原千花だった。
ウキウキとした様子で応えてくれた藤原に美城は一つ笑顔で返すと、何かしら空疎な所を含んだ空気を彼は感じる。心ここにあらずな一人と、思案にくれる二人。
夏休みを前に浮ついているのでもなければ、どう言えば良いのか微妙に困る空気だった。
ただ一つ分かる事は、元凶はこの幼馴染の藤原千花であるという事くらいか。
「シロちゃんは夏休みどう過ごしますか?」
その恐らく元凶の藤原は、いつものように春の曙のようなほわほわした空気で声を出すと、今に相応しい心が浮つきそうな話題を投げかけてくれた。
「私ですか。そうですね、こがねの出るバレーボールの大会へ応援に行こうとは思っているのですが……それくらいですね」
「そうなんですか? 何か去年は忙しそうでしたけど」
「去年は帝様をお手伝いするため、サッカーの大会に出ていましたから」
「サッカーですか……」
石上優が顔を上げた。敵性言語を感知したからである。
彼にとってサッカー部バスケ部野球部は不俱戴天の敵だった。生徒会会計に就任してからもその思いは変わらず……いや、むしろ深くなっていた。
何しろ偏差値重視の秀知院の部活。活動費の割に大した成果を上げていないという現実が嫌でも見えてくるのだから。
「ちなみになんですけど、去年の秀知院の全国行きを打ち砕いたのは帝様率いる高校だったんですよ。私も一ゴール決めました」
「美城君、ありがとうございます」
石上は心の底から感謝した。
去年の話で、その時は中等部の彼には関係ないと思われるかもしれないが、石上はそうは思っていない。
高校部活動において黄金期と言われる物は、個人による所が大きい。野球で言えばエースで四番の二刀流選手がいたり、サッカーで言えば大空の翼みたいな点取り屋のキャプテンがいたり。
今のサッカー部には『秀知院のアルシンド』と名高い神童という生徒がいて、彼が勝ち癖を付けてしまうと向こう二年夏休みは応援に駆り出されると石上は思っていたが……。
それはこの男の娘な先輩とその親友が打ち砕いてくれたみたいだった。
「何で優君は喜んでいるのでしょう?」
「あー……、サッカー部の応援行きたくないんですね、石上君」
「何ですかその目! いいじゃないですか不要な外出を控えてて! 大体夏の日差しに外に出るのは偉いなんて価値観は今よりも真夏日の頻度が低い昭和の価値観ですよ!」
「誰もそこまで言えとは言ってませんよ石上君」
一気に捲し立てた事で喉が渇いたのか、この場にいると状況が芳しくないと思ったのか、どちらにせよ石上は『飲み物買ってきます』と生徒会室を出て行ってしまう。そんな彼の後ろ姿を眺めて美城は呟いた。
「私なんて一年中室内に籠っているのですから、優君も気にしないで良いと思いますけど」
「シロちゃんと比べたらダメですよ。それじゃ今年の予定は鹿苑さんの応援だけですか?」
「いえ。実は部活の長として何かしようと思っていて」
「ボランティア部ですか?」
藤原は小首を傾げる。
五条美城という特異な体質が部長を務めるボランティア部は、かなり自由に休みを取る裁量が与えられている。その分与えられる部費は少ないという事情はあるが。
当然日差しのキツイこの時期には休業する物と彼女は思いこんでいたので、時間が経つ毎に頭の上の『?』がその数を増していく。
「ええ。そうですよ。時間が余っているのに何もしないというのは外聞も悪いですし」
そう簡潔に答えを藤原に教えた。
「確かにそうですね。私もTG部として実地調査を試みるつもりですし」
「それ旅行先でゲームを買うだけですよね?」
「んん゛っ! それで何をするかは決めてるんですか?」
「七月の終わりにある、神奈川の方の海岸清掃のボランティア活動にでも参加しようかと」
「海……」
今度は白銀御行が思案の行く先を変えて美城の顔を見上げた。
彼はかつて出かけるなら山派として四宮かぐやと侃侃諤諤の議論を交わし、山は虫が出るから海派に転向した過去を持つ。そんな彼がその単語に興味を示さないはずがなかった。
その決意の固さたるや、浜辺のそこらへんにある石の裏側を見せたらすぐ山派に再転向するほどである。
「実は今日こちらに来たのは、その事でお願いがございまして……」
「「お願い?」」
藤原と白銀の声がハモった。
四宮かぐやが顔を上げる。ソウルのユニゾンを感じたからであった。許してはおけない。
「はい。というのも、私達ボランティア部は二人しかいないではありませんか?」
「まあそうだな」
「わざわざカップルで出来た部活に首を突っ込みたがる人はそうそういませんし」
「しかしそれでは困る事が起きてしまいまして。その海岸清掃のボランティアの企画者は私……というよりも五条家の知り合いの人なのですが、以前その人に部活の人を連れて行くと大見栄を切ってしまいまして」
「秀知院では二人でも部活として認められているが……」
「格好がつかないでしょう?」
自分の不明な点を恥じ入るように頬を染めた美城が、気まずい表情をしながら無理やり笑みを浮かべた。
「ですので、恥を忍んで参加のお頼みを申しあげさせていただきたいのです。会長、かぐや様」
「私もですか?」
いきなり名前を呼ばれたかぐやは少し驚いたように声をあげる。戸惑いをにじませながら自分の顔を指さした。
白銀という男を誘った事は十二分に理解できるが、だが自分を呼んだ事が理解できないという様な表情だ。
「人数が多い方が私としては嬉しいですし、それに……」
「それに?」
「愛もクラスメートの女子がいた方が嬉しいかと思いまして」
「それだけの理由で私を参加させようという事ですか?」
「そう言われると弱いのですが……」
気まずそうな表情のまま、美城がかぐやの方に意味深なアイコンタクトを送ると、聡い彼女の事である、美城が何を求めているのかすぐに理解できた。
(つまり五条くんは、早坂と出かけたいがために私を奉仕活動に参加させたいのですね。私が出かければ、早坂は付いて来るから、と。まったくこの前出かけたのに、こらえ性の無い人……)
回りくどい事をするのね、かぐやはブーメランを投げた。
「まあ前向きに検討してみよう。バイトを入れようかと思っていたが……」
「それでしたら、会長、じつはですね……」
懐から手帳を取り出そうとした白銀の手をそっと制して、美城は生徒会長の隣に座る。寄りかかるように体を傾けて、会長は真夏でも着用せざるを得ない黄金飾緒をつけた学ランの、その黒い肩へ真っ白い手を置くと、身を乗り出して白銀の耳元に顔を近づけた。
「……で……なんです……」
「それじゃ……は……という事か?」
楽しそうにコソコソ話をしている。かぐやは許し難かった。藤原は『友情いいよね』『いい』とプロ同士の会話みたいな境地に達していた。
「よし。俺は参加しようと思う」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
どうやら話は決したようで、白銀は海岸清掃のボランティアに参加するようだった。そうなれば、かぐやとて黙ってはいられない。
(ですが……)
そう、ここで焦ってはいけないのだ。
奉仕活動に参加する。それ自体は素晴らしい事で大義名分は立つが、白銀が参加の表明をした直後というのが良くない。
ここですぐさま私も、と続こうものなら……
『四宮、さっきは参加する事に抵抗があるような口ぶりだったのに、どうして俺が参加すると言った途端自分もと言い出したんだ?』
『そ、それは……』
『まさか、俺と一緒に海に行けるからと思って頷くのか?
お可愛い奴め』
となるのは必然!(ならない)
さすれば圧倒的なアドを取られてしまう!(しまわない)
そうならないためにも確かなる論理武装をしてボランティアに頷かなければ。
もはや首を横に振るという選択肢はかぐやに残されていなかった。
「かぐや様、夏休みのご予定などはいかがでしょう? お手伝いいただけるなら嬉しい限りですが、これはボランティア、奉仕活動ですから、無理強いは致しません」
返事に窮したように見えるかぐやを気遣って、美城は語尾を優しくそう言う。
かぐやはその言葉に、優しさを感じるでもなく、気遣いを感謝するでもなく、武装する論理が詰まったケアパッケージが降ってきた様に思っていた。つまり、使える、と冷静に思ったのだ。
「そうですね……秀知院の生徒として、そのような奉仕活動に参加する事は価値があると私は思います」
あくまでもボランティアである、という点を強調しながら泰然とした調子を崩さずにかぐやは凛とした声を張った。
白銀が参加するなら私も参加したいという思いを抱えているとは到底思えない完璧なふるまいである。
「私も前向きに検討させていただきます。ですが即答は出来ません。私の予定は相手あっての事なので、後で連絡させていただくというのはどうでしょう?」
そしてここで予定の確認、という一拍を置いた。こうする事で四宮の複雑な事情を匂わせ、白銀が参加を表明したからかぐやも飛びついたという印象は格段に薄くなるだろう。むしろそこを突いたら、
『言葉は願望の表れ……会長、もしかして私が参加するのは自分が参加したからだと思いたいのではないですか?
お可愛いこと……』
と、かぐやの攻めのパターンに持ち込める。ボランティアという基本的に無条件で素晴らしいとされるカードは、かぐやと白銀の両名に握られた。これを奪い合う、暴き出すことはまさしく不毛である。
その事を正しく理解している二人はこれ以上の追及は止めにしておく事にした。まず喜ぶべきは、夏休みの予定が一つ埋まった事だ。
「ボランティアが終わったらその足で近くの海水浴場にでも行きましょう。どうですか?」
そしてさらにおあつらえ向きの提案が美城からなされるので、二人は夏休みの勝ちを確信するに至るに充分であった。
(ボランティアでは五条の言った流木拾いで稼ぎつつ終われば四宮の水着を見れる……? こんなプランがあったとは恐れ入ったぞ)
(帰ったら予定を空けさせておかないと。ふふっ、早坂も喜ぶでしょうね。夏休みにも彼氏に会えるのですから)
普段は冷静で地に足のついた二人であるが、この時ばかりは陽炎の上を舞う羽のように熱に浮かされたふわふわした感覚に陥っていた。
そんな陽気な感覚になると、今度は陰気……とまではいかなくても、黙っている人が気になってくるものである。
先ほどから口を噤んで微動だにしない藤原の事だ。噤む、というよりハムスターのように頬を膨らませて話出したいのをそこでせき止めているような表情であるが。
「どうした藤原書記。いつもだったらズルい~とか言ってくるじゃないか」
白銀はそんな彼女を不審に思ってか会話の切っ掛けを渡してやる。
「いえ、そんな……私はただシロちゃんが楽しい夏休みを過ごせそうでいいなあ、というだけです」
気味が悪かった。
本格的に暑さでおかしくなったのかと思った。
藤原千花は確かに心優しい少女である。あるが、多少こすい事をしても構わないという策士な面や、友人の輪に入れなければ拗ねる年ごろの少女らしい面等なども、当然持ち合わせている。
それらの面や天然さを考慮して予想するのが難しい彼女でも、上記のセリフは言いそうにないというくらいには、白銀もかぐやも彼女との関係性を築いていた。
「どうしたんですか藤原さん? 何だか歯切れが悪い言い回しですけど……」
「いえ、その頃は私は……いえいえ、なんでもありません」
「どうした、五条が来る前は外国旅行を喜々として話していたじゃないか」
「か、会長……!」
「そうですね。まずハワイでしたっけ?」
いつになく歯切れが悪く、御しやすそうに見える藤原に、二人は普段振り回されている意趣返しのつもりで、少しからかいを含んだ口調で話しかける。
「五大陸を渡り歩く冒険少女チカと意気込んでいただろう」
「アメリカはカリフォルニア、南米に行ってサンパウロ」
「シドニーでオペラを聞いて、スペインでトマトを投げるんだよな」
「ドバイ、エジプトと砂漠の国を行脚して……」
「「ケープタウン」」
白銀とかぐやの声が最後にハモった。
からかい混じりとはいえ、同じような事を考えたくすぐったさに二人は頬を染める。
傍から見ていて微笑ましい光景……のはずが、藤原千花は『あっ』と大口を空けてそれを両の手で押さえていた。
初めて見る反応で、二人は戸惑いながら声をかけようとする。
「ひ、ひぃぃ……アフリカ……」
より戸惑い、いや恐怖に揺れるような声にそれをかき消されたが。
「ご……五条?」
「五条くん?」
いつもニコニコ余裕綽々、容顔美麗でありながら文武両道というふざけた存在の五条美城が、うわ言のように「アフリカ……アフリカ……」と言いながらカタカタ震えていた。
「あ……アフリカがどうかしましたか?」
「あっ! かぐやさんダメです」
「……」
そんな恐ろしい事はとてもじゃないが口に出来ない、と言わんばかりに震え出した。そっと藤原を盾にしてその背中に隠れている。
「ま……まあ赤道直下の大陸だから五条には辛い所があるんだろう。しかし……尋常じゃないなその怯え方は。光が合わないのか……水が合わないのか、文化が合わないのか」
「うぇぇぇぇん売られるぅぅぅ!」
白銀としては小声で言っていたつもりだったが、耳ざとく聞いてしまった美城はブワッと泣き出してしまった。言っている事も穏やかではない。
これには白銀もかぐやも困惑を通り越してドン引きの域に達そうとしていた。
「あの、藤原さん。彼はどうしてしまったんですか?」
「幼馴染のお前なら知ってるだろう」
「分かりました。私から話します」
ふん、と藤原は気合の一息を入れると美城の両耳を押さえて音が入ってこないようにしてやった。泣いている人間の頭を引っ掴む、なんとも奇妙な光景である。
マンドラゴラを引っこ抜いたネビル・ロングボトムと絵面の破壊力は同じだった。
そんな面白画像みたいな状況とは裏腹に、藤原は真剣な表情で語りだす。
「アフリカってまだ黒魔術とか呪術の影響が強い地域が多いですよね?」
「確かに」
「充分な医療体制が敷けないから、そういった物に頼る文化があるのは事実です」
「その呪術の中でも重宝される物がアルビノです」
「「あっ」」
白銀とかぐやの声がハモった。今度は全く嬉しくない物だったが。
「昔シロちゃんとアルビノに関する本を読んでいた時に『アルビノ狩り』の話が出て来て……高値で売られるという話を見てからすっかり海外嫌い、とりわけアフリカを怖がるようになってしまいまして」
「そうだったんですね……」
「知らないとは言え、悪い事を言ったな……」
藤原に耳を押さえられながら小型犬のように震えている美城を見ると、優しい白銀御行はもとより四宮かぐやも同情の念を抑えきれないようである。
二人の表情を見て察した藤原は、そっと耳を押さえていた手を離してあげた。
「すまなかったな五条。知らないとはいえ……」
「ええ。反省しました」
「うらない?」
「売らない売らない!」
「ここは日本ですよ。安心してください」
「ほんと? ザンビアだったりしない?」
「しないから!」
いつものような敬語を言いつくろう余裕が無いのか、幼児退行一歩手前みたいな口調で美城は話し出した。
泣いた瞳がキラキラ輝いて、憂いを帯びて伏せる顔に、どこかたどたどしい口調。不謹慎ながらこんな人間メチャクチャ高値が付くに決まってると二人は思った。日本から出してはいけない人物である。
「……今日は帰ろうと思います……」
「それがいいと思います」
「また連絡しますので……」
ションボリしながら五条美城は部屋を後にしようと歩きだした。心配した藤原が付いて行っている。
男子としては小柄な彼だが、今日はその背中がいつもより小さく見えて仕方がなかった。
「戻りまし……え、どういう状況ですかこれ? 何で美城君泣いてるんですか」
「それには深い事情が……」
「まあ深くは聞きません。あ、帰るんならこれどうぞ。なぜか自販機に全然物無かったんですけど、それだけ買えました」
「ありがとうございます……」
「全然無いって何買ったんですか?」
「コーヒーが二本」
「コービーが日本!? 死んだはずじゃ?」
「残念だったなぁ、トリックだよ」
うな垂れていた美城が突然メイトリックスみたいな事を言いだしたので、石上はオタ心を発揮してコマンドー定型を返すと、『え?』と反応する暇もなく美城は膝から崩れ落ちた。
(何でコーヒーで膝から崩れ落ちたのこの人!? 千鳥の『イカ二貫!?』みたいなギャグなの?)
状況が飲み込めてない石上はさっぱり、飲み込めている二年生組もさっぱり分からない。
どゆこと? と互いが互いの顔を見合わせている間に、いつの間にか美城の姿が消えていて、辺りを見渡すと部屋の端っこでカーテンにくるまっていた。今日日小学生でもやらない隠れ方である。
「シロちゃんどうしたんですかー?」
ぐるぐるにまかれたカーテンから中身を取り出して、藤原は小さくなった幼馴染に語り掛ける。
「コービーは世界を股にかける人身売買組織で……それが日本に来たとなれば何をしでかすか分かりません……」
「よくそんな情報を入手できましたね石上君」
「いや聞いてたでしょう四宮先輩。僕が言ったのはコーヒーが二本、ですよ。というか何で美城君はあんなビビッてるんですか?」
「……アルビノは高く売れるとかいう、面白くない話のせいだよ」
「ピンとこないですね、日本に住んでると」
石上はコーヒーのペットボトルを開けながら、どこか現実味の薄い感じの話題に頭を悩ませる。甘ったるいコーヒーがほろ苦くなった気がした。
「眞妃様臆病な私をお許しください……」
「マキちゃんがどうかしましたか?」
「旅行プランを考えるはずだったのですが……コービーが来てるとなれば私は遊びに出ないつもりです」
「え?」
風向きが変わった。
簀巻きになって小さくなっていた男の目に、大きな炎が宿っている。
「この夏は彼等を潰すために費やします!」
「へ?」
確実に二人に吹いて来ていた風が、今その発生源が降りると言ってしまい、止んだ。代わりに吹き荒れ出したのは、筋肉モリモリマッチョマンの変態がバズーカ担いでデェェェェン!な力強さを内包した、怒りのアフガンに吹きそうなランボーで荒々しい風であった。
怖さがそれを通り越して怒りに転換した瞬間だった。
「臆病の要素が一ミリもない!?」
「いえ。知ってしまったからには撃滅するまで安心はできません。Gを見失ったら殺すまで安心できない女子みたいな感じです」
「それは臆病とは違うんじゃないか……」
午前のボランティアで共に汗を流すのは……?
午後からは湘南辺りで海水浴は……?
夏の海、夢幻の如くなり。
これで美城にやっぱり行こうよとか言い出せば普通に人間としての良識を疑われかねない。犯罪組織が無くなる事は喜ばしい事だからだ。
という事は、これを口実にする事は諦めて自分の力で相手を誘わなくてはならず、振出に戻る状態だった。
かぐやなど、思わず早坂を呼んでしまいそうな程である。
あなたの彼氏でしょう。あなたがその胸に抱きしめて荒ぶる彼を収めるべき……あっ出来ないんでしたねその胸では(笑)
「は?」
「どした? 愛ちゃん」
「今すっごいムカつく事を思われた気がする」
仕事が新たに早坂の肩に乗っかるのかどうかという瀬戸際だった。
「失礼するわよ」
美城の攻撃司令計画が着々と進む中、コンッと開きっぱなしのドアをノックした人影が現れた。
早坂ではない。
「四条……眞妃さん」
かぐやは現れた遠縁の同級生を苦々しい表情で見つめた。ふんっと同じように面白くない顔で眞妃も応えると、
「ご挨拶ね。そんな顔しなくてもいいでしょ、生徒会室は誰に対しても門扉を広げてるんじゃなかったかしら?」
「何の用でしょう?」
「そこにいるじゃない」
ノックした手でそのまま美城の方を指さす。少しだけ生徒会室の空気がこわ張る中、そんな事は知った事ではないと言わんばかりに眞妃は美城の所へ歩みを進めた。
「美城、どう? こんな所にまで来たって事は何か考え付いたんでしょ?」
「眞妃様、その事なのですが……コービーが日本になのです」
「いやだからコーヒーが二本!」
石上は叫んだ。このままでは金持ちの私兵どうしの決闘から始まる第三次大戦の引き金として歴史に名を残しかねない。現代のサラエボ事件であった。
「コービー? ああ、あの人身売買組織の?」
「臆病とお笑いください。私この夏はどこにも行かない覚悟を固めました」
「あはは! バカねえ――
――だってコービーは潰したじゃない。役員のヘンダーソンの令嬢に手を出そうとしたからって」
「え?」
白銀、石上、かぐや、藤原。皆の心が一つになって、一つの音を作り上げた。恐らくこの世で一番美しい『え?』だった。
「あれ? そうでしたっけ?」
「しっかりしなさい。ユーロポールやFBIまで巻き込んだ大立ち回りを忘れるなんて、あなたの怖がりも考え物ね」
「えー……っと、そう言われれば段々思い出してきました。メアリーの件ですね」
「そうそう。引退した伝説の刑事まで呼び戻してどったんばったん大騒ぎだったわね」
とんだジャパリパーク(r―18)もあったものである。ケダモノばかり、のけ者はいない血で血を洗う大冒険がそこにはあった。
「えっ、じゃあ優君が言ってたコービーが日本にというのは……」
「コーヒーが二本しか買えなかったって話よ」
「なーんだ、『組織は死んだはず』と聞いたら『残念ですが』と言われたので勘違いしてしまいました。紛らわしいですよ」
「僕のせいかなあ! 僕のせいなんですかねえ!」
「いやお前は悪くない」
慟哭する石上にそっと白銀は肩に手を添えてやった。
「じゃあ私は心配せずに夏休みを迎えられるということですね」
「そういうこと。まったく来て良かったわ。何いきなり血みどろの戦争を始めようとしてるのよ」
「お恥ずかしい限りで……」
「恥ずかしいで済ませていいの!?」
海外で大規模な抗争があった事はかぐやもニュースで知っていたが、その裏に四条家が絡んでいたとは……海外に伸ばす腕が短い四宮には知る事が出来ない情報である。
「帰るわよ美城。用事はもう済んだでしょ?」
「はい、眞妃様。あ、会長かぐや様後で連絡をさせていただきますので、これで」
美城は先ほどの怒り模様をケロッと忘れた穏やかな顔で二人に向かって言った。あまりにも見事な転身すぎて『あ、はい』としか言葉が出てこなかった。
美城は返事を受け取るとニコリと笑顔で応えて丁寧に頭を下げる。それは完璧に普段の五条美城であった。
藤原と石上にも別れの挨拶をかけると、生徒会室から踵を返して先に出ていた眞妃の背中を追いかけて駈け出す。
「どこに行くか決めた?」
「茨城に行きましょう。九十九里浜です」
「ふーん、いいんじゃないかしら」
「ありがとうございます」
段々と遠くなる会話を、半ば呆然と聞きながら白銀はポツリと呟いた。
「さすが藤原書記の親友だな」
「どういう事ですかそれ!?」
本日の勝敗 白銀&かぐやの辛勝(何とか夏休みの予定を確保)