五条美城は白サギ嬢   作:アランmk-2

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早坂レポート その二(上)四宮かぐやの夏休み

「はあ~」

 

 会長と(あとついでに私と美城と)プラネタリウムに行く予定が御流れになってから半月ほど。あれからかぐや様の夏休みは時が止まったように何事もなく過ぎていった。

 何事もなく、というよりは、何事もさせてもらえなかったと言うのが精確な所ですが。それはかぐや様もこんなため息を吐こうと言う物です。

 まあ、失意のどん底で腐っているよりずっとマシだと思いますけど。

 

「そんなため息を吐かれていては幸せが蜘蛛の子散らして逃げていきますよ?」

「蜘蛛の子散らして?」

「かぐや様の気の落ち込みようも理解できますが、気分転換にどこかにお出かけされてみては? 車で少し回るくらいなら本家からの二人も何も言わないでしょうし」

「それの何が楽しいの?」

「世田谷区あたりまで行けば楽しい物が見られるかもしれませんよ。会長、今日は家にいるみたいですし」

「そんなストーカーみたいな事……え?」

 

 ぱっとかぐや様が俯かせていた顔を上げて私の顔を見上げてくる。驚きと疑惑のこもった目。先ほどまでの沈んでいた物よりも生気の籠った顔になられてちょっとだけ安心した。

 

「早坂、会長と個人的に連絡を取り合ってるの? え? 五条くんはそれを許してるの?」

「どうしてそこでみぃが出てくるんですか。会長本人がツイッターで呟いていただけですよ」

「ツイッター!? ……いえ、ちょっと待って! 確か藤原さんがやってるとかどうとか……」

「こちらに手順をまとめておきました。では私はお風呂入りますので」

 

 かぐや様は真っ先に広辞苑を開いてツイッターの文字を探すが、それはまだ改訂前の版なので当然ツイッターという単語は載っていない。あっても『呟く』という意味くらいだろうけど。こんな事もあろうかと、ありとあらゆるSNSの登録方法をまとめておいてよかった。

 お爺ちゃんお婆ちゃんでも理解できるように書いたそれがあれば、いくら機械音痴なかぐや様でもスムーズに登録を済ます事が出来るでしょう。

 いやでも『【あなたはロボットですか?】何を言ってるのかしらこのパソコンは。ロボットはあなたでしょう』くらいは言い出しそう……。

 

 

「くぷぇーーほ」

 

 ポケーっと開けた口からどんな辞書にも載っていないような感嘆詞が零れた。

 熱めに入れたお風呂の湯気に乗ってゆらゆらと空中に立ち昇り、耐水性のスピーカーから聞こえるヒーリングミュージックと共に広い浴室に響く。

 独り占めして浸かるお風呂は最高だ。この別邸では私が使用人として一番上の立場にいるので、誰も表立って文句は言ってこないし。

 とはいえ……。

 

「こうして家に閉じこもりというのは、精神衛生上よくない……かな。みぃじゃあるまいし」

 

 ふさぎ込むほどではないが、やはり気落ちした様子のかぐや様を思い出しての感想を言葉にしてみた。

 美城のような、体に問題を抱えて外に出れないならともかく、かぐや様は心身ともに健康そのもので……いや陳腐な言い方だが恋という病を患っておいでか……、ともかく外出する事に本当なら遠慮などいらないはずなのに。

 

 あの本家から来た二人の執事。老紳士然とした男性と、厳しさを張り付けたような若い女性。

 

 四宮長女の下に駆り出されるだけあって有能なのはいいが、雁庵様の名の下に締め付けてくるのは怒りを通り越して呆れてくる。

 今までそんな事は無かったのに……。

 

 おかげで『白銀会長とかぐや様急接近作戦』という頭の悪い作戦名をつけて立てたプランは全て凍結されてしまった。

 早く解凍して実行できる状況になればいいのですが。

 

 

「ふはぁ……」

 

 お風呂から上がった私はもう一度使用人服に着替えて(もちろん下着は替えてますよ?)かぐや様がお休みになるまでの話相手になるべく、主人の自室へと歩みを進めた。

 上手く登録できたでしょうか?

 そこはかとない不安を抱きながら扉をノックすると、入りなさいと聞こえたのでゆっくりと扉を開けて入る。

 

『かぐや様、どうかお考え直しください!』

「少し黙っていてください。それにこれはあなたが言い出した事でしょう」

『それは最悪ですねーあはは、という軽口でございます!』

「丁度いい所に早坂も帰って来てくれましたし、やってみましょう」

 

 ……何か、聞き覚えのある声とお話しされていた。

 

「かぐや様、登録の方は御済みになられましたか?」

「バカにしないで。確かに少しだけ手伝って貰いましたが、本当に少しだけですから」

「どちらに?」

『あ、その声、愛ですか?』

「ちょっと五条くん。あなたは黙ってなさい」

「なるほど……」

 

 かぐや様の友人は少ない。ましてや携帯の電話帳に載っている相手など、片手で数えられるくらいだ。

 書記ちゃん、会長、会計くん。私と、そして五条美城の五人が学校内で四宮かぐやの連絡先を知っている数少ない人物だ。

 かぐや様の心理上のロジックから読み解けばこうなる。

 書記ちゃんは海外で時差がある。

 会長にこちらから電話するのは言語道断。

 会計くんは……うん。

 私はお風呂に入っているので、となれば頼れそうな人物は美城になる、という結論が導き出されるのは充分に理解できるのだが。

 

「ふぅん……かぐや様、私がいない間に彼と通話を楽しんでおられたと」

「楽しむだなんて、ただ相談にのって貰っていただけです」

「ですがこういう事に詳しい会計くんがいるじゃないですか」

「石上君は……って、早坂? 怒ってるの?」

 

 怒る? どうして私が怒らなければならないのでしょう?

 かぐや様が私以外に頼るような人が出来た事を喜びこそすれ、怒るなど。

 

『愛、何か嫌な事でもありましたか?』

「何かとは何ですか。大体あなたも私には電話をよこさないくせに、かぐや様相手だとすぐに応じるんですね」

 

『えっ、電話していいんですか?』

 

 ……? 何を当然の事を言っているのだろう、この男は。

 私達は恋人同士という事になっているのだし、当然、電話の一つや二つ……

 

 ……!

 

 思考を巡らせて、ようやく自分が何を言い出したのか分かった。

 彼は一日だって私とのラインを欠かした事のない筆まめな人物で、おおよそ責められるべきな事は何一つしていない。古代ローマに生きていればキケロのような散文家として後世に名が残ったかも。

 それなのにこの上、電話まで求めるなんて……

 これじゃ私が彼の事を好きで好きでたまらないみたいじゃないですか!

 

 吐いた言葉は飲み込めない。

 聞いていたかぐや様の顔が、少しだけニヤついた物に変わり、電話から聞こえてくる声が喜色を帯びて弾んだ物に変わって行った。

 

『ふふふ、愛からそう言ってくれて、私とても嬉しいですよ。いつにしましょうか? 今日のお仕事が終わってからなら時間ありますか? 少し遅い時間ですが、愛と電話できる――』

 

 プツ……

 

 悪は滅びた。

 

「何してるの早坂!?」

「ご安心ください。危機は去りました」

「あれが危機なら世の電話は全て詐欺よ!?」

「駄目です。みぃは叱るという事を知らない生物です。かぐや様を甘やかしてどうするつもりなのか皆目見当もつかないので、彼の策に陥ってはいけません。ここは私に任せて先に言ってください」

「映画で聞いた事あるセリフ!」

 

 危なかった。

 かぐや様の身に美城の毒牙が降りかかる所だった。

 それは一見甘いので、世間知らずなお嬢様の主人は気付かない間に取り入れてしまうかもしれない。

 彼には後で注意しておかなければ。     ……十一時くらいに電話しようかな。

 

「彼氏が他の女に電話して機嫌が悪いのは分かりましたけど」

「違います」

「文面より電話の方がいいというのも分かりましたけど」

「違います」

「……まあいいでしょう。あと一つ分からない事があったので、早坂にしてもらいましょうか」

「それは構いませんが……あと何が残っているのでしょうか?」

 

 パソコンの画面には新しく出来たかぐや様のアカウントが表示されている。アイコンは初期設定の卵のままだけど。問題は無いように思いますが……。

 

「会長が寝静まっている間にアカウントを乗っ取って私のアカウントを承認して欲しいの」

「堂々と違法行為をさせないでください」

 

 とんでもない事を言いだしたなこのハッキングお嬢様。『何ですのこのファイアウォール!阪〇の内野並にガバガバですわ!』とか言いたいのだろうか。

 不正アクセス禁止法違反ですよ?

 

「会長はギリギリまで睡眠時間を削って勉強に励んでいますが、夏休みは二時に眠っているそうですよ。五条くんが本人から聞いたと言っていました」

「なるほど。私も睡眠時間を削って仕事に従事しているんですけど?」

「夜中の三時くらいに操作をすれば、勉強疲れと眠気でそんな事をしてしまったのかと思うでしょう?」

「という事は私に三時まで起きてろと」

「そこまでは言いませんけど……ね? 早坂、ね?」

 

 ね? じゃねーんです。

 

「かぐや様、聞いて欲しいんですけどそれは違法なんです。罪です。ラスコーリニコフです」

「罪と罰!?」

 

 私の言葉に髭もじゃのロシア文豪にどつかれたような顔をして驚いていた。

 罪を自覚してください。ドツキエフスキーさんもどつく事したくないんですよ?

 

「そうです。それをしたらかぐや様は百万を支払った後で地面にキスして世界に赦しを乞う事になるでしょう」

「重い! 文庫で千ページくらい読んだお話の結論くらい重いわ!?」

「かぐや様選んでください。以上の事をするか、一時の恥を忍んで会長に申請するか」

 

 ぐぬぬ……と羞恥を堪えるような顔をして悩みだした。かぐや様はどちらかと言うと悪人の側だが、しかし犯罪者ではない。

 私は……(夜の秀知院に侵入などなど)……うん! 何も問題ないですね!

 

「そうです! 私も鍵アカにします! そして会長からフォローしてきたら……」

「気づいてください。そのパターンで成功した事ありますか?」

「い、一緒に海行きましたし……」

「みぃが言ったからですよね?」

「プラネタリウムにも誘われましたし……」

「それもみぃのおかげ」

「ほらツイッターを……」

「みぃに電話して聞いたんですよね」

「もう! 何ですか! そんな有能な彼氏がいる事を自慢したいんですか!? 有能さなら会長も負けてませんからね!」

「その言い草は会長を彼氏みたいに思っている言葉ですけど」

「誰が会長の事大好きですか!」

「そこまで言ってません」

 

 はあ……。

 本当にどうしようもない人たち。

 もう少しだけ素直になればお互い幸せになれるのに。

 

 ……けど、周りが見えなくなるくらい、誰かを好きになれるのは少し羨ましい。

 美城の事は……まあ。相対しても普通に過ごせているので、きっとそういう感情ではないのでしょう。非常に役に立ってくれる、契約で結びついた仮初の恋人。

 仮初は仮初だ。

 虚実混じった私の仮面のように、必要だからつけているだけであって、そこに惚れた腫れたは必要ない。

 それが本気に変わる事など……。

 

 

 

 

――☾――

 

 

 今日のかぐや様は朝から楽しそうだった。

 書記ちゃんとその妹・萌葉、そして会長の妹・圭と一緒に買い物に行く予定だったからだ。

 素材が良いので服選びに頓着しないかぐや様でも、姿見の前でいくつか服を着替えて吟味されていた事から、その楽しみ加減はうかがえる。

 そして選んだワンピースに合う帽子は無いかと私に聞かれたので、これはどうかと彼女にお洒落させる事を私も楽しんでいた。

 

 『いた』、だ。過去形だ。

 

 本家からの執事がかぐや様の部屋を訪れた事が、ケチの付き初めだった事は疑いようがない。

 この四宮別邸において、神聖不可侵のかぐや様の部屋を訪れる事が出来る者など、私を於いて他にいない。

 いるとすれば、それはかぐや様より上の立場の人が命令した場合だろう。

 

「かぐや様、当主様がお呼びです」

 

 例えばそう、四宮家当主、彼女の父・雁庵だ。

 

「かぐや様……」

「分かっています」

 

 先ほどまでの浮かれ調子を悲しくも霧散させて、被った帽子も脱いで私に手渡した。鞄からガラケーを取り出して『ごめんなさい』と断りのメールを書記ちゃんに返信する。

 

「着替えるから出ていきなさい」

 

 そう言い放つ彼女は、友人との遊びを楽しみにする女子高生四宮かぐやではなく、四宮家令嬢四宮かぐやの姿をしていた。

 

 

 

 

 東京から京都まで車で七時間。

 四宮家の本邸は京都御所の少し北に位置し、俗に京都カーストと言われる地区の中でも群を抜いて位が高い場所に建てられた平屋の木造家屋だ。

 京都市内にあって一二を争う広さの敷地を持ち、何等かの賞を持っている事が当たり前の庭師が手を入れた庭園は、足を踏み入れた者を圧倒するだろう。文化遺産に登録されていないのは当主の気まぐれにすぎない、と言う言葉がまことしやかにささやかれているが、それは冗談でも何でもない。

 

「こちらでお待ちください」

 

 そう言って通された部屋でどれくらい待たされたでしょうか。

 床の間に掛けられた掛け軸も、花もそれを入れる花瓶も、どちらもひとかどの物である事は間違いないのに、不思議と心休まる事も、感銘を受ける事もないのは、この家にロクな思い出が無いからだと思う。

 

「お……お父様……」

 

 ふっと気配も薄く人が通り過ぎようとしていた。

 かぐや様はそこに杖をつく老人……父である四宮雁庵の姿を見つけると、少しかすれたような声で弱々しくそう言う。

 

「ああ。居たのか」

 

 髪の毛一本ほどの関心も無いような物言いだった。

 そして、そのまま使用人を引き連れて通り過ぎて行き、またこの客間には静寂が戻って来た。

 

 こんな扱いをされて、どうして良い思い出など残りましょうか。

 

「こんな場所まで呼び出してそれだけですか」

 

 失意と失望の二つの底に落とされたかぐや様が、肩を落として悲しまれていた。

 私はそっと傍に寄って、耐えるように握りこんだ拳に自分の手を添える。

 傍から見れば破綻しているような親子関係だけど、かぐや様はそんな父親にも期待しているのだ。それを平気な顔をして踏みつける人に、反感を覚えないという方が無理だと私は思う。

 この国の遥かなる天上の君と言えど、

 

「くたばれクソ爺」

 

 娘を悲しませるような人間は、こう言われて然るべきだ。

 

 ☾

 

 かぐや様は外のざわめきとは無縁の生活を送ってきた事を私は知っている。

 それを物寂しく思っていることも。

 楽しそうに騒ぎながら、煌びやかな装いに袖を通した子供達が屋敷の前を通るたび、興味深そうに幼気な丸い瞳を外に向けていた姿を、ずっと見ていたから。

 

 かぐや様は家族旅行に行った事がない。

 見た目の良い、お行儀の良い人形にあちこちフラフラ出歩かれては困るから。空を飛ぶことを忘れさせるように、ずっと籠の中の鳥であり続ける。

 代り映えしない毎日を、『早坂がいてくれる』と絵日記に描いた姿は、私の瞼の裏に残っていて、離れてくれそうにない。

 

 だから、初めて他の誰かと、かぐや様が気になってる人と、遊びに出かけるこの夏を楽しみにされていた事を十二分に知っていた。

 

 

「早坂、これ短くないかしら?」

「いえ。とても良くお似合いです」

 

 今日は花火大会の日。

 かぐや様は初めて外のざわめきに身を投じようとされている。

 煌びやかな蝶の模様で彩られた浴衣に袖を通して、花柄の帯で締めたその立ち姿は、きっと会長も目を皿のようにして見入る事でしょう。

 

 朝一番に京都を発って、また七時間をかけて東京に戻ってくる。

 何の余韻もへったくれも無い京都行でしたが、本家の使用人二人が今この場にいない事だけが大きな収穫でしょうか。あのまま京都に残ってくれたのなら、あの十四時間は全くの無駄ではないと、多少なりとも慰められるものがある。

 

「そろそろ待ち合わせ時間ですよ」

「もうそんな時間なのね」

「かぐや様、花火大会は人が多いですから足元に注意してください」

「分かってます」

「足踏まれたとか言って誰かに背負ってもらおうなどと思わないでくださいね」

「だ、誰が会長に!」

「私は『誰かに』としか言ってませんよ?」

 

 はめられた、そう言いたそうに眉根を寄せて睨んでくるかぐや様を見ていると、いつもの彼女が戻って来たように思えて、張りつめていた糸の一つが緩んでいくような心地よさがあった。

 

 と、呑気な事を思っていられたのも、この時までだった。

 

 かぐや様の自室を出て玄関ホールに通じる廊下を歩いていると、私は一番見たくない者を見てしまう。

 もう本家の方に戻ったと思いこんでいた、あの二人だ。

 

 女性の方が口を開いた。予想通りすぎてつまらない程の言葉。

『なりません』と。

 

 子は親に逆らえない。

 ベッドに突っ伏したかぐや様を見ていると、そんな事を考えてしまう。

 こんなありふれた事を、こんな醜悪な形で見せられるとは思ってもみなかった。貴種を存する貴族主義も甚だしく、それに翻弄される事が腹立たしい。

 だから、かぐや様、いつものように策を弄しましょう。

 これは、恋愛頭脳戦ですよ。

 

 

「いつまでそうしてるつもりですか。らしくないです。いつもならあらゆる策を講じてみようと言う所ではありませんか」

「何をしたって上手く行かないわ……。皆と買い物には行けない。お父様はこれっぽっちも私に関心がない。会長はメールをくれない」

「ですが……」

「何一つとして上手く行かなかったもの!」

「かぐや様。弱り過ぎて記憶を逸してしまいましたか?」

「何を言いたいの」

「海に行った事、もうお忘れですか?」

 

 はっと息を呑む音が聞こえた。

 机の上に置かれたデジタルフォトフレームに手を伸ばすと、数秒後に写真が表示される。

 海に突っ込んでいく会長の姿と、その後ろに楽しそうなかぐや様が映っている写真。

 

「ふふっ……」

「上手くいった事が一つありましたね」

「そうね」

「一つ例があれば、二例目もあって然るべきでは?」

「そうであって欲しいけど……」

「では二例目を作り、夏休みの総仕上げと行きましょう」

「どういう事かしら?」

「会えない時間が愛を育てる……。会長もかぐや様と同じ気持ちのはずです。最初にあった夏休みの楽しい思い出の種が、会えない事によって愛情の萌芽が起こり、毎日会いたくて会いたくて仕方がないはず。

 そんな中! かぐや様と運命的に出会う事が出来れば!?

 今まで蓄積されてた欲望が……」

「一気に解放される……?」

「そうです。いつもの顔に戻ってきましたね」

 

 いつもの天才性とアホさを兼ね備えた四宮かぐやの姿がようやく戻って来た。あとはもう、状況を転がしてあげればいい。

 

「私にいい考えがあります」

「何かしら、その言葉から感じる若干の不安は……」

「こちらにジップラインを用意しました。外まで一直線で向かう事が出来ます。私で安全は確認済みなのでご安心ください」

 

 窓を開けて木の枝を避けると、私がひそかに取り付けていたジップラインが現れる。本家の人間が来た時から、いつか必要になるのではないかと準備していた物だ。正直こんな物使う必要がある事態にならないでいて欲しかったですけど。

 

「さすが早坂。これを見越して浴衣も動きやすい短い物なのね」

「え? 違いますけど」

「あ……そうなの?」

「はい」

 

 ……

 何か変な空気になってしまった。

 

「それはともかく。かぐや様、早く行かないと花火大会が終わってしまいます。私は着替えて身代わりをしますので」

「ありがとう早坂。行ってきます」

「行ってらっしゃいませかぐや様」

 

 窓枠に足をかけるとかぐや様は滑車を使って軽やかに滑り降りて行く。

 塀の上の赤外線センサーはあらかじめ切ってありますし、着地点にはタクシーを派遣しておいた。後はそれに乗って浜松町まで行けば、目当ての花火を前にして、生徒会の皆と見上げる事が出来るだろう。

 

「どうか楽しい思い出を作れますように」

 

 私は祈りを込めてそんな言葉を小さく口にした。

 神なんて信じていない癖にこういう時だけ頼るのはとんだ不心得者かもしれないが、後は精々本家の人間にばれないようにかぐや様の振りをするくらいしか出来ない私の精一杯の後押しのつもりだった。

 

 かぐや様が着ていた浴衣と同じ柄に袖を通して、背を向けても不自然ではないように窓辺に立って花火が上がる、東京湾の方向に顔を向ける。

 キラッと何かが光っていたので少しだけそちらを見て、正体に気が付くと少し笑ってしまった。

 

「後は任せましたよ。会長」

 

 私は乙女の部屋を覗き見ようとする不届き者の方に視線を向けて、少し髪をかき上げる。双眼鏡でこちらを見ている迎えに来てくれたであろう白銀御行生徒会長に、今ここにいるのはかぐや様ではありませんよと教えるために。

 気が付いた会長は急いで双眼鏡をしまって、弾かれたように引き返す……つまり花火大会の会場へと向かって行った。

 途中で会えたらいいな。そうしたら、いつか話してくれたように二人乗りで会場まで向かうはずだ。

 不思議と私は、彼がかぐや様と合流できないかもしれないという不安は抱かなかった。

 だってそうでしょう。

 それくらい出来ない人には、かぐや様は任せられませんからね。

 

 

 

 夏の空に火の花が咲いた。丸く開いたその花びらの淵が、キラキラと輝きながら夜に溶けて行く。ややあって、ドン……と体の奥から震えるような破裂音が響いた。

 メインの花火が始まったようだ。

 

 窓の外を眺める、かぐや様の小さな背中しか見てこなかったから分からなかったけど、今この場に立ってみて分かる事があった。この窓辺から眺めると壮大なはずの空の花もちっぽけな物に見えてしまう。

 だからここから飛び出したくなってしまわれたのだ。かぐや様は。

 あの花火は、近づけばもっと大きく花開いて見えて、轟く音に怖いとすら思うかもしれない。けれど、近づかずにはいられない程に焦がれている。

 この窓から見る小さな花では物足りない。包まれる程に広大で、かき抱く程に膨大な、そんな感情があの子の中にはあるから。

 それを、恋とか愛とか人は言うのだろう。

 

 本人は認めていませんけどね?

 

 

「かぐや様、お食事の準備が出来ました」

 

 そっと静かに入って来た本家の女執事が、慇懃な物言いで私にそう告げて来た。

 気取られないよう気を付けながら、弱々しく落ち込んだ籠の中の鳥を演じる。

 

「いらない……」

「ですが」

「花火を見てるの……。せめてこの位はいいでしょ……」

「……畏まりました」

 

 当主直系の令嬢にはさすがに強く出られないのか、それとも屋敷の外に出なければ何でもいいのか、思っていたよりもあっさりと彼女は引き下がった。

 パタンと扉が閉じられると、再び部屋には沈黙が広がる。

 開けた窓から飛び込んでくる喧騒が、やけに大きく聞こえた。

 

 少しだけ、寂しいのかもしれない。

 かぐや様には、あそこまで必死になってくれる白銀御行という男の子がいる。氷の姫を溶かした温かい彼が。

 

 求めている。

 そんな都合の良い夢が私にも訪れる事に。

 焦がれている。

 私の事を見つけてくれる誰かに。

 こんな嘘つきの私でも。

 

「かぐや様」

 

 つまらない事を考えていたせいか、後ろに再び来ていた女執事に気が付かなかった。何たる失態だ。もし気になった彼女が私の肩を叩いたら一発でバレてしまっていただろう。

 

「まだ花火は終わってませんよ」

「承知しております。ですが、どうしてもと言う来客がおりまして」

「来客?」

「はい。立花祐実と名乗る女性です」

 

 立花祐実?

 全く身に覚えのない名前だ。

 かぐや様の身の周りにいる人物の中にも、その関係者の中にもそれにあたる名前は見つからない。

 

 

 

「みぃが来たと言えば分かる、と」

 

 みぃ?

 

 


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