四条眞妃は認めた人を下の名前で呼ぶ。
人を自分の目で見て、自分を人に見てもらい、それから名前を呼ぶに値するかを判断する。彼女の幼い頃より育まれてきた審美眼によって見定められた人は、善良な人間ばかりである。
であるから、眞妃はそんな友人を転校してきたばかりの、下の名前で呼ぶ古くからの友人、五条美城に紹介しようと思っていた。
「私も転校してかぐや様にお世話していただくから! ちょっと誰でもいいからA組にねじ込んで!」
「考え直してくださいエリカ!」
……やっぱ止めよっかなー。
眞妃は思った。
四条眞妃には特に親しくしている友人が三人いる。
幼稚舎のころからの付き合いである柏木渚。
二年になってクラスが分かれてしまったが、変わらず交友を続けている紀かれんと巨瀬エリカ。この三人だ。
「急に変な事言ってどうしたのよ」
眞妃はいつものように突拍子もない親友の言葉に、いつものようによからぬ事を考えているんだろうなと思いながらも耳を傾けた。
「最近……というか昨日ですわね、転校生が御来しになられたでしょう?」
口を開いたのは金色にほど近い明るい茶髪を真ん中分けにした、いかにもお嬢さまといった風貌の紀かれんだ。
いつも熱心に書き込んでいるノート(取材用なのか眞妃も渚も、エリカすら見たことが無い)を開くと、うっとりとした様子で思いをどこかに馳せた。
そのまま固まってしまったかれんを不思議に思った渚が声をかける。
「転校生がどうしたの?」
「会長につきっきりでお世話をされているとか」
「あー……そうね。会長だからって面倒ごとを押し付けられてるんでしょ」
「それを聞いたエリカが、転校生になってA組に入ればかぐや様にお世話されるのではないのかと……」
「馬鹿なの?」
「馬鹿じゃないわよ! かぐや様のお世話があると思えばもう一度のクラス分けも怖くない!」
ちなみに秀知院高等部のクラスはF組までの六クラス。そこからA組に入れるかどうかは六分の一の16.6666……%。
これを多いと取るか少ないと取るかはあなた次第だ。
「『巨瀬エリカさん。私が学校を案内してさしあげます』なんて言われたら……うっ……」
エリカは想像だけで嘔吐しそうになっていた。
「エリカ食事時にそれは本当にまずいですわ!」
かれんはそんな粗相をさせる訳にはいかない、と背中を丸めているエリカをさすってやり、そっとゴミ箱を引き寄せた。
「そんなんじゃおば様と同じクラスになったら死ぬんじゃない?」
「そう言えば『太陽に近づきすぎたイカロスは死んだでしょう?』って言ってたよね」
「くっ……かぐや様の尊さに耐えきれない自分が憎い」
かれんに介抱されて調子を取り戻したエリカは、しかし自分の不甲斐なさに歯噛みする。
四宮かぐやは家柄の格式高さも彼女自身の才覚の高さもあって憧れの的である。その中でも巨瀬エリカという少女のかぐや信者っぷりは筆舌につくし難い物があった。
「そういえば転校生はマキさんの幼馴染とお聞きしたのですが」
「そうよ」
「お写真などありませんか? 何でもとんでもなく美人だと耳にいたしますわ」
「ん……っと、これなんかどうかしら? 真ん中の白いのが美城ね」
眞妃はスマホを取り出して写真を探し始めて、一番新しい物を画面に表示した。
ジャージ姿でサッカーボールを持って笑みを浮かべ、ユニフォームを着た男子達に囲まれている白い髪の人物がいた。
「あらあら、これはお可愛いお嬢様ですわね」
(男の子なんだけどなあ……)
渚は内心で突っ込んだが、放置しておく事にした。
いじわるではない。たぶん。
その方が面白いなど思っていない。おそらく。
「ですが心配ですわ」
「心配?」
「はい。転校してきたばかり、不安な環境で差し伸べられる会長の優しい手、知らず知らずのうちに惹かれてしまう美城嬢、ですが会長にはすでにかぐや様というお相手が……」
……ふー……
「会長の尊さが罪」
「人の幼馴染で遊ばないでくれる?」
「マキさん、こうしてはいられません」
「いや何が?」
「会長に惹かれてしまうのは自然の摂理、そうなってしまった時に助け合う人がいた方が良いにきまってます。マキさんのお友達なら私達にとってもお友達同然ですわ」
「何この素直にありがとうって言えない気持ち」
かれんの優しさは嬉しかったが、それが妄想が先走りまくった結果生まれた心配だと分かってて喜べるほど、眞妃はおめでたい性格ではなかった。
「ちょっと待って、事実みたいに言ってるけどかぐや様と会長の噂……解釈違いなんですけど……?」
想像の中のかぐやにその身を焼かれそうになっていたエリカが復活すると、まずかぐやと白銀が付き合っている、もしくは好き合っているという噂に噛みついた。
「聞き捨てなりませんわね」
かれんとエリカは親友同士であるが、一つ相いれない事があった。
エリカはかぐやはかぐやであるだけで素晴らしいという確固たる思いを抱いている。
かれんは白銀とかぐや、尊い×尊い=∞と思っているカプ厨である、という事だ。
二人の争いはいつも危険な領域(レベル)に到達する……ことは全くなく、かぐやが尊いという落としどころで終着していた。
そういう訳なので二人の言い争いを眞妃も渚も特に止める事はない。
「マキさん、その転校生の方は紹介していただけるのですよね!?」
「え?」
「かぐや様の威光に触れれば尊敬の念を抱かずにはいられないはずよ!」
「会長の尊さに心酔している事に疑いの余地はありませんわ!」
「ええ……」
眞妃は自分の幼馴染が[かぐや単]か[白かぐ]のどちらを取るかという二人の票取り合戦に使われている事に呆れる。
その素晴らしさと気高さ、隔絶した天才性、と白銀とかぐやを褒める言葉は尽きることなく二人の議論は続いていた。
(それにしても、この二人の崇拝っぷりにどこか見覚えあるのよねえ……)
――――――
「五条美城、不肖の身ではございますが、眞妃様のより良い学園生活の為に力を尽くしますので、いかようにもお使いくださいませ」
茜色に染まる放課後の教室で二人が向き合って、片方の女子……に見える五条美城が恭しく目の前の四条眞妃に言った。
五条美城は五条家の長男である。
そして五条家は五条建設という会社を経営しており、四条家はその会社の大株主だ。
五条建設は徳川の治世から続く名家であり老舗企業である。
高度経済成長期に業績を伸ばしに伸ばし、江戸から関東へ、関東から全国へ。その当時にあった進化への無邪気な喜びのままに、事業の手を広げていった。拡大の一途を辿るかと思われていた五条建設に影を落としたのはバブル崩壊の時節であった。
それまで手広く行っていた事業が不良債権となってのしかかり、業績は悪化し、事業の規模を縮小を余儀なくされ、ただの地方の一企業に堕ちるのは時間の問題かと思われていた。
そこを助けたのが四条家だ。
「ですので私が四条に恩義を感じるのは当然です」
とは美城がよく言う言葉である。
そういう訳で四条家と五条家は二人が生まれる前から繋がりがあって、それが個人的にも繋がりを持つようになったのは眞妃が三歳になってからだった。
「ねえ美城。あなたのそれ秀知院の中でだけでもどうにかならないの? 別に五条家は侍従家じゃ無いんだから」
「お気遣い痛み入ります。ですがこれは私が自発的にやっている事、いわば……」
「いわば? なによ」
「趣味です」
「あ、そうなのね……」
「もちろん尊敬している事に嘘偽りはございませんので、そこはご安心頂ければ」
気負う所の何らない真っすぐな言葉に、驚き呆れと言った言葉が隠せない眞妃だった。趣味と言われるとそれを咎めるのに若干の申し訳なさのようなものが立つ。利を受け取る側としてはあれこれ言わず「ありがと」とでも言っておけばいいのではないか、とすら思った。
「まあいいわ。今日は紹介したい人がいるから少し待ってなさい」
「はい。少しと言わずこの身朽ち果てるまででも待ちましょう」
「どんな嫌がらせよ、すぐ来るから」
「あはは……相変わらず強烈だね、マキ」
すぐと言わず、既に来ていた。穏やかな柏木渚もこれには引き気味であった。
「ご無沙汰しております、柏木さん」と美城は小さく礼をする。眞妃の幼少の頃からの友人である渚には、彼も一層の礼を持って接していた。
同級生にそんな態度を取られると困る所はあるが、とはいえ渚も悪い気はしていなかった。
「来てたのね渚。かれんとエリカは?」
「秀知院に珍しい転校生が来たから記事にするかマスメディア部の部長と協議するって言ってたけど……」
「お待たせして申し訳ありませんわ」
「部長に質問内容を確認されててね」
二年B組の扉を開けて二人組の女子が入って来た。もちろん紀かれんと巨瀬エリカだ。
「そちらが転校生の五条美城さんですか?」
「……これは噂されるだけはあるわ」
二人は嘆息を漏らした。かぐやも同じ反応をしたと知ったら、「かかかかkかかぐや様と同じ!!?」とか言いながら喜んだに違いない。
「初めまして、五条美城と申します。どうぞよろしくお願いいたします。紀かれんさん、巨瀬エリカさん」
「あら? 私達の事をご存知で?」
「はい。眞妃様から学校でのお話を聞く際に、よく登場されるお名前ですから」
「ちなみにどんな話をしてるのかしら?」
「ちょっと、別にいいでしょ!?」
「そうですね……」
「美城」
「ふふふ、申し訳ありません」
くすくすとおかしそうに笑いながら美城は謝罪を述べる。そこには言葉の仰々しさの割に親し気な様子が見て取れた。
プライドの高い眞妃と、それを後ろから見守る美城という関係でこれまで過ごしてきたのだろう、とエリカとかれんは思った。
「私達の事を知っているなら話は早いですわ」
「はい?」
「どうしてもこの質問をしたかったのよね」
「構いませんが……」
美城がちらりと眞妃の方をうかがい見ると、その視線に気が付いた彼女は少しばかり肩をすくめて諦めるような表情を浮かべた。何を言っても止まらない部類の人であるらしい、というのはその所作だけで美城は理解する。
白紙のメモとボイスレコーダーをそれぞれ片手に、まさしくマスコミのレポーターの如く二人は質問をした。
「かぐや様に尊敬の念を当然抱いたわよね!?」
「会長の尊さにどのような膨大な感情が湧きましたか!?」
自分の尊敬する人を他人も尊敬する事に疑いの余地なし。
心底そう思っている二人は期待の眼差しのまま、どのような答えを目の前の転校生が言ってくれるか、ずいっと一歩近寄って返事を迫った。
「えっと、かぐや様と会長……ですか?」
「そうですわ。聞くところによると五条さんは会長にお世話をされているとの事。誇り高き責任感を身に纏った希代の会長に、思う物が何もないとは私には思えません」
「この秀知院に通うのにかぐや様の事を知らないなんてモグリの誹りを免れないわよ! あの高貴なる叡智の結晶、秀知院の模範たるお姿、まさに地に下りた天女……!」
なんだか分からないがとにかくすごい熱気だった。圧倒された美城は後ろに一歩後ずさりながら愛想笑いを顔に張り付けた。
「えっと……では会長の事からお話しますが、確かに素晴らしいお方だと思います。このような間の悪い時期に転校してきた私に対しても、とても親切に接してくださいます。まさに上に立つべき人とお見受けいたしました」
「やはり会長は秀知院のヤハウェ……」
「むむ……。かぐや様! かぐや様の事はどうなの!?」
「かぐや様ですか? そうですね……まだあまりお話した事は無いのですが、とてもお綺麗な方でした。浅学な私も音に聞く四宮家のご令嬢であらせられる事は、立ち姿から推して図れるという物です。あ、私もかぐや様と同じ赤い目をしているのですが、それは嬉しい所ですね」
「そういえば、あなたもルビーみたいな目をしてるわね……う、羨ましい……私も赤い目が欲しい……」
エリカの心底羨ましそうな声に、美城は緋色の目を瞬かせながら苦笑いをする。
「では会長とかぐや様のどちら……」
「ですが」
かれんが聞こうとする所をせき止めるように、美城は先に口を出した。
眞妃の方を一瞥して、言葉の続きを紡いだ。
「眞妃様の前には、何者も霞んでしまいますが」
きっぱりと言い切った。
後悔や躊躇や気後れなどという物を微塵も感じさせない言葉だった。
それを聞いた眞妃を除いた三人は聞き間違いかと頭に「?」の文字を浮かべた。
「話をお聞きしていれば、白銀会長がかぐや様がと仰います。私もかのお二方は上に立つ資格ありとお見受けしますが、真に人の上に立つ人間は眞妃様を置いてほかにはいません。質問にはこうお答えしましょう。どちらも眞妃様と相対した時に比ぶべくもありません」
そう続く言葉に三人娘はぽへ~と聞き入るしかなかった。
眞妃は美城の言葉を聞きながら、かれんとエリカと話している時に抱く既視感の正体にはっきりと気が付いた。
そっか私にも似たような奴がいたんだった。
人は自分の事となると客観性を失う物である。それが幼少の頃からの友人との接し方ともなればなおさら。
少し変だな、と思う心と、でも
「いーや! それはあなたがかぐや様の事をまだ知らないからだわ!」
最初に回復したエリカが反撃の狼煙を上げた。
知ればかぐや様の事を尊敬しないはずがない、という彼女の中にある確固たる信念ともいうべき思いから出た言葉である。
「そうですわ。まだ五条さんも秀知院に来て日が浅いのでまだお分かりになっていないだけです」
かれんも同調してエリカの味方をする。
かぐやを尊敬するのは二人とも同じなので、協力し合ってまずはそこから切り崩していく方針を定めた。
「分かっても眞妃様を尊敬する所、一点の曇りもございません。巨瀬さんと紀さんの方こそ、長らく友誼を結ばれてなお眞妃様の素晴らしさにお気づきになられないのですか?」
しかし美城は一歩も引く様子が無い。
「確かにマキは頭も良くて可愛いけど、かぐや様はそれに加え畏れ多くも生徒会副会長として日々その才覚を振るわれているのよ!」
「会長は長きにわたる秀知院学園の歴史の中でも三人しかいない混院の生徒会長。純院の生徒とは異なり、家や幼少から持ち越された交友関係という寄る辺のない所から認められたのです。その自らを高める事に余念ない姿は全ての秀知院生の模範ですわ!」
「眞妃様は誇り高き四条のご令嬢でありながら、それを鼻にかけない謙虚なお方であらせられます。かぐや様に勝るとも劣らない才覚を備えながらも、柏木さん、紀さん、巨瀬さんのような友人に恵まれている事がその証明ではありませんか」
「どうするの、マキ?」
突如始まってしまった美城とかれんエリカ連合軍によるスーパー推しっ娘大戦αに巻き込まれた渚は、熱く語られている当の本人に聞いてみた。
諦めたような顔をしながら、眞妃は買っていた飲み物のパックにストローを刺していた。
そしてカフェオレを一口飲んで一言。
「渚。ちょっと他の場所に行かない?」
眞妃は自分の幼馴染が自分を誉めそやすいたたまれない状況から逃げ出す事に決めた。
「……五条さん、あなた中々やるわね」
「ええ、ここまで私達と議論を戦わせる事が出来た人はいませんでしたわ」
「私もお二人のかぐや様への尊敬の念を甘くみておりました。どうか謝罪させてください」
「いいわよ、そんな事」
「いつか五条さんもかぐや様の素晴らしさに目覚めさせてさしあげますわ。それまで謝罪はとっておいてください」
「それは謝罪をしなくていいという事ですね」
「ん……? あっ……! あなた可愛い顔して意外と言うわね」
「その言葉、覆してさしあげますわ」
「「「あはは」」」
本日の勝敗 眞妃の勝利(なんだかんだ幼馴染と友人が仲良くなったため)