他人と競う事を戦争とよく例えたりするが、その中でも選挙と言う物はとびきりの戦争だと四宮かぐやは考える。
賭けるものは己の器量と声望とプライドと。
秀知院生徒会選挙における勝者に送られる特別推薦という未来を目指して、天才達が鎬を削り合う戦場だ。
去年の、白銀御行の大立ち回りで勝利した選挙は彼女は傍観者であったが、今年は違う。何しろ自分が『会長は会長がいい』と言って出馬をお願いし、彼に応援演説を頼まれたのだから、才覚を振るって応援しなければ嘘と言う物だ。
どのような事をしてでも勝つ。かぐやの心には一片の曇りもなく白銀を勝利に導く決意が煌めいており、黒味がかった赤い目は妖しく光っていた。
まずその煌めきが指し示そうとするのは他の候補者の足元なので、『お前の煌めきの色って醜くないか?』と平成アンチおじさんみたいな事を言われそうなのは……うん。
「早坂」
「はい、かぐや様」
かぐやが名前を呼ぶと、優秀な従者はさっと資料を差し出した。中には票を取り合う二人、伊井野ミコと本郷勇人の資料が入っているはずだ。
ペラペラと資料を繰りながら謀略を考えて、とはいえそれを今更恥じる必要性を感じない。四宮かぐやはそういう風に出来ている。
「……これ本郷くんに関する資料だけじゃない。伊井野さんのは無いの?」
「こちらを」
「はい。……ってこれも本郷くんのじゃない!」
「はい。あと彼の実家の会社の財務状況と子会社の財務状況とそれに関わる人的つながりを……」
「本郷くんへの圧が凄い!」
「交友関係と女性遍歴を目下捜査中なので……」
「え何? どうしたの早坂?」
そういう風に出来ているし、その傍には常に早坂愛がいたのだが、今回はちょっと調子が悪いらしい。
叩いたら直るのかしら?斜め四十五度でこう……シュッ!
恐ろしく速い手刀。俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。
「えっと……そういえば五条くんが本郷陣営の応援に行ったんですよね」
ここ最近の彼女が不機嫌になる時は結構な割合で五条美城が関わっている。今回で言えば、彼がわざわざ自分と敵対する勢力に行ったのが気に食わないのだろう。
「いえそれは全くもって関係ありませんし頼まれた事を翻意にするのはボランティア部の精神としてもそぐわないですしみぃが誰を応援しようと構わないのですが本郷は潰します」
「もうそれは圧とかじゃなくて殺意じゃないの?」
だからといって仕事に影響が出て来られても困るのだが。
「だって……本郷はみぃの事名前で呼ぶんですよ!」
「早坂は五条くんの事ダダ甘なあだ名で呼んでますけど」
「あんな馴れ馴れしく肩を組んで……セクハラですよあの絵面は!」
「いや男の子同士でしょう。それを言ったらあなた達……ハッ!」
かぐやは自分の口からセッ……という単語が出てきそうになるのを慌てて抑え込んだ。まだ早坂が主人のベッドで致したのではないかという疑惑は依然としてかぐやの中に残っている。だからシーツもマットレスも新品に取り替えさせた。
「私達がどうかしましたか?」
「いえ、何でも。それで、伊井野さんに関する資料が無い言い訳は以上ですか?」
もう最悪ベッドでシていたとしてもいいが……いや良くないけど……主人の要望に応えられなかった事は明確な失態である。場合によっては叱責しなければこの別邸の主としての面目が立たない。
「それについてはこう言わざるを得ません」
「何かしら」
「もうしばらく時間を頂きたく」
「……理由を聞きましょう」
どうやらまともな理由がありそうだ。
「伊井野ミコにつきましては、父親が高等裁判所裁判官。母親は国際人道支援団体の職員。という事と、その輝かしい遍歴しか分かっていないからです。資料が出そろうまで、本郷勇人を攻めた方が効率的かと」
「そうですか。こういうのは叩けば埃が出る物ですが」
「たまにいるんですよね。清廉潔白な仕事に命を懸ける人種。飛び道具は使えないかもしれません」
「分かりました。とりあえずその輝かしい遍歴が載った資料を見せて。何が使えるか分かりませんからね」
「畏まりました」
言うやいなや、資料の入った封筒を取り出す早坂にポンコツっぽさは見受けられない。脳みそがピンク色に染まった訳ではない事にほっとしながら資料を受け取って、さらっと目を通した。
確かに彼女が言ったように素晴らしい伊井野夫婦の経歴しかそこには載っていなかった。
「伊井野さんを攻めるなら、周りではなく本人を攻めるべきかしら。本郷くんの方が確かに攻めやすいわね」
「はい」
「……ちなみに聞いておくんだけど、本郷くんに関する資料が充実していたのに他意はないんですよね?」
「……」
「早坂?」
「もちろんです」
「私の目を見て言いなさい」
依然として有能さは見せつけている早坂だが、局所的にポンコツになっているようだ。
……非常に不安だが、『本郷を潰す』という意志は確かな物なのでこれでいいや。かぐやは妥協できる女であった。
☾
本郷勇人は秀知院に繋がる道を歩きながら、贔屓にしているパン屋で購入したカスタードデニッシュをかじっていた。
いつもならこんな事はしないのだが、今朝は普段より遅く起きたので余裕が無く、ろくに朝食を取る時間も無かったので仕方なく食べ歩きをしている。伊井野ミコが見たら怒ったに違いないが、いまは選挙期間中なので彼女は風紀委員としての活動を自粛していた。
「よっ本郷」
「おはよう神童」
「何だ食べ歩きして。行儀が悪いぞ」
「悪かったな」
突然本郷の肩を叩いた男子は、そのまま馴れ馴れしく肩を組んだ。いかにも陽気な人間といった雰囲気の彼は、渡辺神童と言う。少々もじゃっとした髪に、厚めの唇と三白眼で、見た目だけなら個性派だが、サッカー部のエースで2年D組の中心的人物だった。
「寝坊だよ。選挙対策を一から考え直したからな」
「前に『白銀くんを引きずり落とす準備が出来そうだ』みたいな事言ってただろ。あの『お姫様』が手を貸してくれるんじゃなかったのか?」
神童は普段から部活で忙しいが、2年D組の渦の中心にいる彼にはあらゆる噂が転がり込んでくる。当然、あの目立つ五条美城が本郷陣営に加入したという噂も。
「それだよ。あいつ、俺がせっかく考えてた案を全部捨てろだとさ」
当初の本郷の選挙活動のプランとしては、白銀支持層の切り崩しが主な内容だった。秀知院の門は外に開かれているとは言うが、どうしても内内で纏まりがちな彼等彼女等はよそ者に厳しい。
それは『純院』と『混院』という呼び名とともに、この学校に根付く文化だ。
本郷の選挙活動は白銀が混院であるにも関わらず異常に高い支持率の裏、そこを突くつもりだったのだが、五条美城がそれを全て捨てろと言って来たので、活動方針を刷新するために遅くまで頭を捻っていたという訳だった。
「やっぱりあの『お姫様』を迎えたのは間違いだったんじゃないの?」
くしゃりとパンの包み紙を後でゴミ箱に捨てようとポケットに収めた所で、今度は別の男子が本郷に声をかける。
「お、真人」
「よう、じゃない方」
「じゃない方じゃない! 僕の方が長いんだってば!」
「ははは」
じゃない方、と呼ばれた怒りで眉を吊り上げた、痩身で小柄であるが中々の美男子であった。
名前を五条真人と言う。
”五条”真人である。
「マジで面倒くさい、何でここで十年五条やってる僕が五条の地位を追われなくちゃいけないわけ? そこんとこどうよ勇人」
「お前にインパクトがないから?」
「いや天然アルビノを超えるインパクトは無理でしょ……」
「染めるか? 別に染髪は禁止されてない訳だしね」
「お、いいな。何色にするんだ。紫とか?」
「おばあちゃんだろう、それじゃ。ここはいっそ真っ赤は?」
「でえベテランじゃん」
「いっちょやってみっか!」
「やらないから。やだよこの歳で野沢を背負って生きるの」
あの非公認の芸人も初めは王道なお笑いを目指していたはずなのだ。それがいつの間にか……気ぢぃたら野沢になっていたという話なので、なぜお笑いを目指してもいないし将来にも困ってない自分が背負わなければならないのか。
ははは、と本郷と神童は黙り込んだ真人を見て一しきり笑い合うと、満足したのか声色を少し変えて真面目に話始めた。
「実際の所、あいつは信用できるのか?」
「そうだよ。あの女男の恋人の早坂は四宮を応援するって……つまり白銀の票じゃないか。もしかしたらあっちの陣営から送られたスパイかもしれないだろ」
「それはあり得ないわ。人の幼馴染を勝手に軽薄な人間にしないでくれる?」
「げ、四条……」
真人は突然割り込んできた声に嫌そうな顔で応え、それはすぐ苦々しい顔にグレードアップした。彼にとって初めて『じゃない方』扱いをしてきた四条眞妃がそこに憤懣した様子で立っていたからだ。横に困ったように笑う田沼翼を添えてバランスがいい。
初等部に上がった頃、同じクラスになった四条眞妃が真人に『あなたに美城っていう親戚はいる?』と聞いてきたのが二人の交流の始まりで、その時は理解し難かったがこの伏線が高校二年になってようやく回収されたので、彼は眞妃に一言で言い表せない感情を抱いている。
「おはよう真人。そんな人をあげつらうような物言いをするから美城に『五条くん』の立ち位置を奪われたんじゃないの?」
「うるさいなあ」
「そうは言うけどね四条さん。こっちは余裕がないんだよ。少しでも危険な因子は取り除いておきたい」
不貞腐れた真人をかばう様に本郷は眞妃の前に出た。
何しろ本郷陣営の支持率は一割と少し。ここからどう挽回すればいいのか、それも本郷肝いりの反抗策を使うなと言われて。
「繋がりがどうこう言うなら、まず四条の事を言いなさいよ。五条建設の上には私達がいるの。そして四条は四宮と敵対している……これ以上の説明が必要?」
「いやあ見上げる女より隣の女でしょ」
「何か言ったかしら真人?」
「あの早坂に甘えられてグラつかないか、っていう事」
「それはあなたがグラつくような男だからそう思うだけよ」
「そうかなぁ。あの子も一応男でしょ」
「それ以上は止めとけ二人とも」
「神童……」
「分かったわよ……」
秀知院にいる純院の生徒で友人となれば幼馴染といって差し支えない。
喧嘩する事も結構。言い争いだってすればいい。しかしあまりにも争いが平行線をたどり始めた事を察した神童は、男女間の意識の食い違いをこれ以上ややこしくならないように割って入った。
さすが神童!
あまりにリーダー的な行動に、横を通り過ぎる2年D組の生徒はそう思った。
「でも本郷くん。僕は応援してるよ」
少しピリッと張りつめた空気を和ませるように、眞妃の横に控えていた田沼翼が柔和な笑みを浮かべながら本郷に話しかけた。優しい……好き……。と四条のお嬢様がうなっている。
「それはありがとう。でも君はたしか白銀くんに世話になっていただろう?」
「だから会長にも頑張ってほしいね」
「それじゃ困るな。どっちに票を入れるんだい?」
「これから考えるよ」
何とも主体性のない……、と聞いている五条真人は思ったが、眞妃がさすが翼君と言わんばかりに後方彼女面して壁にもたれかかっているので、それを腐す事も馬鹿らしくて黙っていた。
そんな事を正門前でしていると、泡沫候補とは言え生徒会選挙出馬を決めた本郷に声をかける人間がちらほらと現れる。どこかあか抜けて瀟洒な彼ら彼女らは、全て本郷自身と交友のある人物ばかり。これが本郷勇人が特に部活や委員会で名を上げてないにも関わらず、秀知院高等部六百人の12%の票、つまり七十弱を集める理由だ。
単純に彼の友人なのである。
☾
「本郷陣営は大体においてこのような雰囲気で、良く言えば和やかで、悪く言えば危機感の欠如といった所でしょうか」
「まったく、何でそんな人が立候補なんかしたんでしょう?」
そんな泡沫を面白くなさそうに見つめるのは、此度の選挙で盤石の情勢を示しつつある白銀陣営の四宮かぐやと、こっそりと他陣営の動向を窺っている早坂愛だ。
「取るに足らないあだ花に、吹けば消し飛ぶちり芥」
かぐやは対抗勢力の二人を、辛辣にそう評した。
あだ花とは実を結ばずに散り行く花の事で、つまりこれまで小・中と幾度となく会長に立候補しても当選という実を結ばなかった伊井野ミコの事である。残るちり芥とは本郷勇人の事だった。
「二人が会長に勝てる可能性は万に一つあるか無いかでしょうけど、だからと言ってのさばらせておく訳にもいきません。とりあえず本郷くんを先に潰します。早坂は五条くんの事を足止めしておきなさい。不確定要素はあの子だけよ」
「畏まりました、かぐや様」
何しろ秀知院に通う生徒のほぼ全ての家を、五条美城の実家が建てているという事実は重い。家柄カーストでも堂々のトップクラスである。
部活動カーストではギリギリ帰宅部より上だが、容姿カーストでは堂々のトップクラス。総じて高い位置に纏まっている男だった。この点本郷より上だった。
何であんなカーストの五角形がデカいか分からへんねん。
「ちなみに言っておきますけど、真面目な頼み事ですから。『命令で彼に会える。やった』とか思わないように」
「いやですねかぐや様。私がそんな風に思うような人間に見えますか?」
「私の目を見て言ってくれるかしら」
「……」
やはり若干の不安は残るかぐやであった。
……
……
「話しというのは何かな四宮さん」
「そう焦らないでください本郷くん。落ち着いてから話しましょう。お茶を淹れさせていただきますから」
巧遅と拙速の二つがあるなら、四宮かぐやは後者を選ぶ人間である。
朝の一幕を見た後に、かぐやは本郷に話があると持ち掛けて、今は昼休み、まだその主が決まっていない生徒会室に彼を呼び出したのだった。もちろん、事は内密にである。
こんなほんの少し毛艶が良いだけの男と噂されたら困るという、恋する少女らしい可愛い事情もそこにはあった。
「じゃあありがたく頂戴しようか」
その本郷の言葉に、早坂であれば『こわ……何企んでいるんですか?』と間違いなく言われる笑顔で頷くと、勝手知ったる生徒会室の戸棚を開けて茶葉を取り出した。
第67期生徒会が解散する際に全ての私物は持ち帰ったのだが、白銀が選挙への出馬を決めてからと言う物、かぐやは『どうせこの部屋は私達の物になるのですし』という強者の傲慢さそのままに以前置いていた物を持ち込みなおしている。
もちろん本郷はそんな事知らない。
「そういえば本郷くん。どうして今回の選挙に出ようと思ったんですか?」
お湯を沸かしている間、かぐやは軽い世間話を繰り出した。彼女にとって、心底どうでもいい話題であったが、これも戦術の一つだと割り切って穏やかな語り口調を唱える。まずはジャブで相手との距離感を図る必要があるのだから。
「そんなの、分かりきっているだろう? 生徒会長という名誉と特別推薦という利益のためだよ」
「なるほど」
(何ともつまらない出馬理由ですね。利益の為にどこまでも転がる凡俗……)
かぐやの評価が変更された。ちり芥とどっちがマシか、それは各々に寄る所だ。
かれんとエリカならどこまでもちり芥になろうとして、さらには俗にまみれる事も厭わないだろうが。推しに認知された時点で勝ち。これはオタクの絶対的なルールであった。
電気ケトルが沸騰した事を知らせるカチッと言う音が生徒会室に響きわたる。かぐやは手際よく準備を進めると、湧き立つお湯の中で華麗な踊りを見せる茶葉の入ったポットをテーブルの上に置いた。
「本郷くんには特別推薦を手に入れてまで叶えたい夢があるのですか?」
「せっかくなら上を目指してみるのも良いかと思ってね」
「そのために愚にも付かないような事をしても良いと?」
にこやかな笑みのまま、しかし本郷は確実に目の前の少女の雰囲気が変わった事を、他でもない自分自身の肌で感じていた。
かぐやの瞳の色をルビーと例える人は多いが、本郷は全くそうは思えない。これは血に濡れた黒曜石だ。
その硬質な双眸を収めるぱっちりとした二重瞼が、ゆるりと笑みのカーブを描くと、何か言い知れようの無い恐怖を感じるのだった。笑うという行為は本来攻撃的なものであり獣が牙をむく行為が原点である、という話を彼は想起する。
「会長の有りもしない裏を探されているそうではないですか。マスメディア部も利用して。そんな事をしていると皆さん幻滅されるのでは?」
「まあ……そうだね。やっていたらね」
浅い。
仕掛けが早かったでしょうか?受け流すとは、凡俗でありながら。とかぐやは内心悪態をついた。
よりにもよって自分が敬愛する白銀御行の、清廉潔白であろうとする努力を踏みにじろうとする本郷の企みは到底許せる物ではないので、これで潰してやろうと思っていたのだが……。
(危なかった……。やってたら良心の呵責から四宮さんのペースに持っていかれていたかもしれない)
受け流して涼しい顔をした本郷の内心は、橋を渡り切った直後にその橋が落ちていく様を見たような、間一髪を噛みしめるような心地だった。五条美城に四宮に裏工作で挑むのは止めろと言われた時は憤慨した物だが、今はそう言ってくれた事に感謝し始めたほどに。
「聞きたい事はそれかな? まあ、そんな事俺はやっていないのだから答える事が出来ないけど」
やってはいないが、言ってはいる。かぐやは屁理屈をこねればまだ攻めれそうな志の薄弱さを本郷と言う男には感じるが、それを言うと管理社会染みてくるので言えないでいた。
少しの悪口もなく人間関係を築ける人というのは稀であるのだから、悪口を言う人間程度許容できなくては。
「一つ質問に答えたから、今度はこちらの質問に答えてくれるかな」
「ええ。構いませんよ」
余裕を取り戻したような本郷の口ぶりは気に入らないが、まだ攻め立てるカードは残っている、だから焦る必要はないとかぐやは考える。
丁度いい具合に色と香りが花開き始めた紅茶を淹れて、彼の前に出してやった。
「本郷くん、甘いの好きでしたよね。この砂糖は羅漢果から取られた甘味料なので太る心配はありません」
「ありがとう。いただくよ」
「温かいうちにどうぞ」
目の前に出されたカップを上流階級の出らしい優雅な手つきで取ると、遠慮なく角砂糖をダージリンの中に投入した。多めに四つほど。
そんな飲み方をしていては茶葉本来の美味しさというのが分からないのでは……。淹れた本人は若干の不満と共に目の前の光景を黙って見ていた。
「それで俺からの質問だけど……これ、何か分かるかな?」
これ、という言葉と一緒に本郷が懐から取り出したのは、手のひらサイズの四角い物だった。
「電池……?」
かぐやは不思議そうに呟いた。もちろん電池が珍しいのではない。こんな当たり前の、誰だって見た事があるリチウムイオン電池を、これが何か分かるかと聞いてきた真意が理解できないのだ。機械オンチのかぐやにだって分かるのに。
疑問に思っていると、本郷は電池に張られているシールを剥がしていく。ゆっくりともったいぶるような手付き。その下から現れたのは、元の半分ほどの大きさの電池と、そこに繋がれた黒い機械だった。
どこか見覚えがある気がした。
「これが何なのか、聡明な四宮さんなら分かるかと思ってね」
得体の知れない黒い機械をじっと見つめると、ふとある事……と言うより、ある人の事を思い出した。自分の為にあらゆる事に通じている従者の早坂だ。
という事は、恐らくろくでもない事に使う機器である事は容易に想像出来るのでその線から探すと……。
(あっ)
思い出した。
精神的盲点を突く電源の確保の仕方と、身近な物への大胆不敵な隠し方。
盗聴器だ。
「本郷くん! ここにかぐや様と一緒に入ったっていう由々しき事態があったとあああああああかぐや様!」
「エリカ落ち着いてくださああああああかぐや様!」
まさかと思い、従者へ疑いの眼差しを向けた所で思わぬ乱入者が現れた。
「あ、あ、あの、お見苦しい所を見せて申し訳ありませんわ!」
「えっと、その、私達は此度の選挙の取材のために本郷くんに付いている特派員で……その……」
生徒会室にいる四宮かぐやを見て半狂乱になるほどのかぐやファン、紀かれんと巨瀬エリカだった。丁度かぐやが思い浮かべている少女が利用しようとしている相手である事を一瞬で思い出し、この二人が突入してきた瞬間に、思わず盗聴器を握りしめた。
そしてそのままポケットに収めて、何食わぬ顔で彼女達に接する。
彼女達は理解し難いほどの憧れを持って四宮かぐやを見ているので、そんな人物が盗聴器を持った持っていないだという姿を見れば幻滅するのではないか、そんな事をかぐやは考えた。
本郷に対して言った言葉が、こんな形で自分に返ってくるとは皮肉と言うべきだろうか。
「本郷くん!何故かぐや様と会談をするのに私達を呼んで下さらないのですか!?」
「そうよ!」
かれんとエリカは小声で叫ぶという器用な事をしているので向かいの席にいるかぐやには聞こえなかったが、彼が何か責め立てられている事だけは分かった。彼は弁明をしようとするが、頭に血が上った二人を相手にするには分が悪すぎる。
(これ以上は無理でしょうね)
かぐやは、今日の目的が何ら果たされていない事実に憤然としながら、しかし表は仏のような柔和な笑みを浮かべて立ち上がった。
「では、私はこれで失礼します。本郷くん、詳しい人に聞いておきますので後ほど」
完璧な笑みに、完璧な一礼を加えてかぐやはその場を後にした。
これから、いの一番に向かわなければならない所が出来てしまったので、後ろでまた喧嘩するような声が聞こえても、かぐやは無視して歩みを進めた。
もちろん、こんな物を扱いそうな人物……早坂愛の下にである。
「早坂! これはどういう事かしら!」
携帯で呼びつけると、一分と経たず現れた従者に対して単刀直入に切り出した。余りに切れ味が鋭すぎて早坂でも『はい?』と言うしかない。
「情報を集めるのは構いませんけど、そのためにこちらを危機に陥らせては本末転倒でしょう!」
「すみません、仰っている意味が良く分からないのですが」
「これよ! この電池に仕込んだ盗聴器!」
ポケットに入れていた電池に偽装した盗聴器を早坂に放り投げた。緩やかなカーブを描いて胸元に飛び込んできたそれを受け取ると、目にかかった金髪を払って盗聴器とやらを見やる。
リチウムイオン電池に繋がった小さな黒い四角の箱は、確かに盗聴器にも似ているが……。
「これ、盗聴器じゃありませんよ」
早坂はそう断言した。
「取り出す事の少ないバッテリーに仕込んで、相手がバッテリーそのものを交換するまで半永久的に盗聴し続ける手法は確かに存在しますが、この黒い箱はただの箱です。そもそもこれはリチウムイオン電池ではなく、ただのアルミ片の詰まった玩具ですよ」
「じゃあ何? そんな物に焦ってたというの?」
「かぐや様の機械オンチを突いた一手でしたね」
かぐやの掌に返しながら、はあ、とどこか感心したような頷きを示すのは、つまり早坂がそんな風に思える相手が打った布石であるという訳だろう。
つまり五条美城の仕業という事になる。
「やってくれたわね五条くん……!」
四宮かぐやは、本郷勇人の事など歯牙にもかけない相手であると思っているし、彼と話した今でもその思いは変わっていないが、その裏にいる五条美城はどうやら無視できない存在であると思いを新たにする。
負けるとは思っていない。だが、白銀の足元を脅かすような人間は排除せねばなるまい。
電池のハリボテを握り締めながら、剣呑な雰囲気を纏って、空に浮かんだ美城の髪のように真っ白な雲を睨みつけた。
☆生徒会選挙予測速報
伊井野ミコ 30%
白銀御行 58%
本郷勇人 12%