「勇人、向こうの方から佐上さんが来ています。あ、今車を降りて来たのは三上くんですよ。校門を抜けて来た三人組は牧さんと相生さんと塩見さんです」
「ちょ、ちょっと待ってくれないか」
「いーえ、待ちません。仮に私が待ったとしても他の人は待ってくれませんからね」
明け方に白む空の下で、五条美城は会長候補の本郷勇人にやいのやいのと言い立てていた。あれは中川くん、あっちは秋山さん、と言った感じで。
口を開けば一年生二年生三年生を問わず人名がすらすらと出てくる白い奴のせいで、本郷は朝から胃がもたれそうな気さえしてくる。
「というかさ、良く覚えていられるな。高等部だけで六百人くらいいるんだけど」
本郷自身も顔が広い方を自覚しているが、それでも全員の顔と名前を完璧に覚えているかと問われると自信ない。
「……? 六百人しかいないではありませんか」
それを、よくもまあこんな事を当然のような顔をして言えるものだ。
「知ってるか? 古代ローマには社交界に入る人の顔と名前を覚える知的労働の奴隷がいたそうだ」
「はい。知ってますよ」
「俺が生徒会長になったらそういう役割としてお前の事を入れてやろうか」
「ふふ、それは素敵ですが……なら分かっていますね?」
「くそっ。こんな事になるなら白銀くんをあげつらう方が簡単だったよ」
「お気の毒ですが……」
「そうすると四宮かぐやが黙ってないって? 本当に、良くできてるよ世の中って」
「そうですよ。だから私達は真っすぐ正攻法で行かなくてはならないのですから」
本郷は朝日を受けて黄金色に輝く髪を整えながら、自分がかなり難儀な道に踏み入れた事を自覚するのだった。
「さあ今日も頑張りましょう」
「分かってるよ」
「「おはようございます」」
◇
子供には無限の選択肢があると言うけど、今僕達の目の前にある選択肢は三つしかない。
何の話かって言われるとそれはアレだ。近々行われる生徒会選挙の話だ。
秀知院学園の生徒会は、小規模の会社を運営するくらいの金を平気で扱うので、それを過不足なく生かす能力と、相応の責任感を求められる。当然、そんな役職に手を挙げようと思う様な奴は高邁な精神の持ち主であるか、会長職でなければ出来ない事を成し遂げようとする野望の徒であるか、どちらかだろう。
前者は前会長・白銀御行の事であると普通の生徒には信じられていて、後者は風紀委員・伊井野ミコの事であると、そう思われている。そしてそのどちらでもなさそうな本郷勇人。
この三つの選択肢が、僕たちの目の前に現れている未来の選択肢である訳だけど、実質的に二択と言って差し支えなく、その二択でさえも結論は一択であるというのが生徒達の通説である。
つまり伊井野ミコの厳しすぎる政策を支持する動機は無いので彼女は脱落し、残る白銀対本郷でも、成績一位の男と上位五十に入っているとは言え後塵を拝する男という構図であり、優秀な人間が上に立つという原則ならすでに白銀に軍配が上がっている状況であった。
戦う前から勝負は決まっている。
これが今回第68代生徒会長を決める選挙の根底に流れる一般的な空気だった。
「よろしくお願いします」
そう言って綺麗なソプラノ歌手のような声で、綺麗すぎる公約を掲げる一年女子の伊井野ミコは僕に何枚目かになるビラを渡してきた。
別にイキった輩のように突っぱねる必要も感じないし、無視するのも後味が悪いので何となく受け取り、一瞬だけ目を通す。
男子は坊主頭、女子はおさげか三つ編み、さらにはスカート丈は膝下十センチという服装規定。携帯電話は持ち込み禁止。男女の五十センチ以上の接触を禁止する前時代的な校則の数々が列挙されていた。
見るだけでうんざりするような内容だ。一応目は通したので義理は果たしたと思い、そばにあったゴミ箱にビラを小さくたたんで捨てた。同じように考えた人がいた様で、数枚のビラがそのゴミ箱の中にはいる。
「早坂先輩! そのスカートは短すぎます!」
「えーミコちんはまだ会長候補だから膝下十センチじゃなくても違反じゃないでしょ?」
「既存の校則に違反してるんです!」
「うっそだあ、ウチがそんな事するような人に見える?」
「過去に何度も……しかかっています! ほら、そこにまっすぐ立ってください」
「はいはーい」
「はい、は一回でいいです」
ゴミ箱にそっとビラを忍ばせた所で後ろからそんな声が聞こえてきた。
振り返ると栗毛の少女が金髪の少女に食って掛かっているのが見える。膝下十センチのスカートを校則に掲げる彼女に真っ向から喧嘩を売るような、膝上十センチのスカートで足を晒しているギャルだった。セーラー襟を取っ払った気合の入った改造服を着ている。
さすがだ。あんな人がいると日本のロックがまだ死んではいないという事を確信できる。
「大体早坂先輩もどうして違反ギリギリを繰り返すんですか!」
「だってミコちんがもしも当選したらこんな恰好できないんでしょ?」
「当然です!」
「だったら今の内にやっとこうかなーって」
「今でも違反ですから、いつの内も止めておいてください」
えー、と金髪の少女は口を尖らせて不満を一しきり言い募ると、やがて観念したのかスカートの丈を手直しする。ひらひらとはためく裾を持って、グッと下におろす姿はちょっと変な気持ちになる。
周りを歩いている女子がそんな厳しい伊井野ミコに鼻白むような空気を出している中、これじゃ駄目だろうなと諦めみたいな物を感じて校舎へ進んでいった。
「おはよう」
そりゃ選挙期間中だからいるよね。としょうもない事を思いながら、二人目の立候補者、白銀御行からありがたく挨拶を頂いた。
皆から恐れられた鋭い目つきのそのままに、威圧感たっぷりの出で立ちは孤高の会長に相応しい。僕の前にも何人かに声をかけたようで、どこか怯えたような雰囲気でこちらを振り返っている人がぽつりぽつりといた。
「おはようございます」
続いてかけられた声は、秀知院に通う者なら誰もが知っている少女の声だ。
四宮かぐや。
日本四大財閥のうちの一つ、四宮家が誇る才色兼備な長女で、隣にいる白銀御行が入ってくるまで学年一位の座にいた天才だ。家柄の良さも、頭の良さも、見た目の良さも名前に恥じぬ端麗さで、『かぐや様』と当たり前のように呼ばれている事は周知の事実である。
「白銀御行をよろしくお願いいたします」
折り目正しく腰を曲げて、見事な令嬢の作法だった。ただ、冷たい訳でもないし礼を失している訳でもないが、その一礼は空々しい物を感じてしまう。僕だけだろうか。
「あぁ……うん。応援してるよ四宮さん。白銀くん」
「ありがとうございます」
美しい礼をもう一度すると、次に来た人の方を向いて、また同じような事を繰り返す。街頭演説と呼ぶのもおこがましいくらいの個々面接だが、顔を売っておくという意味では一番いい方法なのかもしれない。この前の選挙予測で六割近くの支持を集めた彼等が、何を恐れるのか知らないけど。
油断なく行われる選挙運びに、本当なら頼もしさを感じるべきなんだろうけど、どこか冷めている所も否定できなくて。
その場を立ち去りながら、僕は何が気に入らないのだろうと考えた。
外部生だてら学年一位の成績を修めている所だろうか。
いや、でもそれは結局彼自身の努力による物だから責めるのはお門違いだろう。
……と、いうのはやっぱり建前で、やっぱり庶民の出である白銀会長という人間に思う所がないというのは嘘になる。
なんせ秀知院に通うような子供達は生まれた時から将来をある程度嘱望されていて、それに見合うような人物になるべく教育を施されてきた。
単純な勉強だけに限っても、家庭教師を付けたり塾に通ったりという生活を物心ついたころから過ごして、将来は帝大か秀知院大のどちらか、あるいはその上か、に通うだろうという道を当然の如く歩き続けている。
そんな人たちが全国から集まり、コミュニティを形成しているこの学校において、庶民の外部生への態度は『むっ』となってしまいがちだ。
潤沢な資金を背景に育って来た自分達にとって、お金が無くても本人の努力でのし上がって来た外部生は、どうも今まで過ごしてきた半生にケチを付けられたような気分になる。ましてや、その外部生が勉強に於いて学年の頂点に立とうものなら……ねえ。
もちろんこんな事は僕自身のしょうもない意識でしかないので、この一年特に失政なしに生徒会を運営してきた白銀会長に投票する事になるだろう。
でも、やっぱり思うのは、どうせなら純院の生徒に上に立って欲しいという気持ちは、心のどこかにじっとりと根を張っている。
言い訳がましく言わせてもらうなら、贔屓のチームには地元のスターが入って来て欲しいというスポーツファンの心理に近いものなので、そう僕の事を特権意識と差別意識の権化みたいに思わないでほしい。
「おはよう」
考え事をしていると、三度声をかけられた。
最初に伊井野ミコ。次に白銀御行。
とくれば最後はもちろん本郷勇人である。
伊井野ミコの政策に真っ向から反旗を翻して踏みにじるような茶髪を尖らせた彼は、陽キャらしく人好きしそうな笑みを浮かべて話しかけて来た。
固い鉄門扉のような伊井野ミコも、鋭い宝剣のような白銀御行も、相対するとこちらを落ち着かせない気分にさせてくるが、その二人とは違う感じでこの本郷勇人はこちらを落ち着かせない気分にさせてくる。
有体に言って、陽と陰すぎるからだ。まぶしい。
いや、まぶしいのは横に控えている人のせいかもしれなかった。
真っ白な髪に真っ白な肌をした、女の子と見まがうほどの美貌を持った五条美城が本郷勇人の横で女子と世間話をしている。でかでかと『本郷勇人』と書かれて名前の人の顔写真が載った恥ずかしいタスキを掛けていた。彼の見た目でギリ許される代物だった。
「もう他の二人に声をかけられちゃったかな? 山谷健くん」
……あれ。どうして僕の名前を。
秀知院は幼小中高大の一貫校だけど、一回も同じクラスにならない人というのも確かに存在している。僕にとってこの本郷勇人だ。ちなみに白銀会長とは一年の時に同じクラスだった。
「おいおい、そんな不思議そうな顔をしないでくれよ。確かに一回も同じクラスになった事はないけどさ」
「あー……いや、その、ごめん」
何となく謝ってしまった。どっちかと言えば謙っているのは相手の方なのに、ついそんな態度が出てしまうのは、陰キャと陽キャの格付けみたいな物が身に沁みているからだろう。
「はは、いや、こちらの方こそごめん。こんないきなり声をかけたら怪しいよな」
「別にそんな……他の二人だってそうだし」
声をかけて、顔を売って。それがいわゆる“実弾”の飛ばない子供同士で争う選挙の最適解なのだから、怒ったり怪しんだりすることはないけど。
「そう言ってくれると気が楽だね。こっちだって声をかけるのは緊張するんだよ?」
と、少し困ったような笑顔を浮かべるのは、他の二人と違っていてちょっと毒気を抜かれる。こちらも肩の力が抜けるというか。
なんせ毅然という言葉が似合う人の後なのだ。伊井野ミコで1毅然、白銀御行で2毅然、その横すぐの四宮かぐやで3毅然という毅然のジェットストリームアタックを仕掛けられた後の本郷勇人というぬるま湯は丁度いい感じだった。
「山谷くんはやっぱり白銀くんの事を応援しているかな?」
「そう……いや……」
「ははは、嫌な聞き方をしたな。でも俺なりに真剣に取り組んでるつもりだから、応援してくれると嬉しいよ」
そう言うと彼は隣の五条美城と一言二言交わして、さっきまでの僕のように通り過ぎようとしている人に話しかけに行った。
「おはよう、三間さん」
本郷勇人は声をかけるのは緊張すると言っていたが、話しかけられる事に慣れていない僕みたいな人間は声をかけられただけで緊張する。ほっと一息つくと、仲良さげに女子と話していた五条美城と目が合った。
チラチラと見かける事はあるが、こう正面きって顔を見るのは初めてだ。噂に違わぬ美貌に変な汗が出始める。
……と同時に、さっき正門付近でスカート丈の長さを検められている早坂愛の、つまり彼の(信じがたい事に)恋人のおみ足をじろじろと見ていた事を思い出して、別の種類の変な汗が出始めた。とても眼福でござりまして候。
「あの……」
にこっと笑顔を浮かべながら声をかけてこようとする五条美城に、罪悪感のような物を強く感じ始めた僕はそそくさとその場を後にした。小走りで.。
「はあ……」
角を一つ曲がった所でまた一息ついた。
もう大丈夫だろうと……何が大丈夫なのかは分からないけど……顔を上げると、本郷勇人の顔があってビクッとした。ただの選挙ポスターだ。
三つのポスターを見ると、不思議な事に今までは何の興味も湧かなかったそれの一つに親近感を抱いている自分がいた。
名前を呼んで、お願いしますと言われたからだろうか。なんとも単純だ。
まあ、でも。
「少しだけ応援してあげるよ」
白銀御行より有能ではないかもしれないけど、伊井野ミコより学園生活を抜本的に改革する気もないのだろうけど、わざわざ人の名前を憶えていようという殊勝さに好感を抱いたのは事実だった。
◇
生徒会長に相応しい人アンケート
伊井野ミコ 16%
白銀御行 50%
本郷勇人 34% (早坂調べ)
「伊井野さんが減らし、それを会長と本郷くんで分け合うという石上くんの推論を早坂はどう思いますか?」
「とてもこの選挙の真ん中を射た意見かと」
「なのにどうして会長の票が伸びないのかしら」
今は主のいない生徒会室を中に抱えた棟の中、空いた一室で四宮かぐやは早坂愛を前に愚痴った。
現状、選挙は元会計で次期会計にもなるだろう石上優の言った通りに事が進んでいるのだが、一つだけ彼の言葉が当てはまらない事があって、それがかぐやの心にさざ波を立てる。
伊井野ミコの票は確かに減っているのだが、それが白銀御行の方に流れてこないのだ。減った伊井野のポイントは、全て本郷の物となっている。
「会長の能力には何の憂いも無いのに」
「まあかぐや様は気分を害されるでしょうが、本郷陣営が伸びてくるのには明確な理由があります」
「何かしら?」
「彼が純院で、白銀会長が混院だからですよ」
「はーやーさーかー?」
あまりにも聞きすぎてそろそろうんざりしている意見が従者の口から出た事で、彼女を見るかぐやの目が鋭くなった。
「私に怒っても何にもなりませんからね」
「もう! 分かってるわよ! 彼等がそんな色眼鏡で会長を見る下劣な愚民どもだっていう事は!」
「そういう事言ってるのが出ちゃうんじゃないですか?」
「それは私の問題であって会長は関係ないでしょう。私の性格が悪いくらい……くらい……」
「言って傷つくくらいなら言わなければいいのに」
「うるさいわね」
そういう性格が悪い所を自覚していて、何とか取り繕おうとしている部分が白銀にとって結構良いのだが、当然本人は知らない。
「純院主義者は私が会長の傍にいる事である程度抑えられると思っていましたが……ん? ならつい五月に転校してきたばかりの、混院の極みみたいな五条くんを傍に控えさせる本郷陣営が伸びているのはおかしいんじゃないかしら」
「それはみぃが秀知院の幼稚園に通っていたという事から『半純院のプリンス』みたいに言われているからでしょうか」
「初耳! 何でそんな彼のパーソナルな事情が噂になって練り歩いているんですか」
何こいつ自分の恋人にファンタジー小説みたいな副題つけているんだと早坂を見るかぐやの目が厳しくなった。
プリンスて。どう考えてもあの見た目はプリンセスだろう。ルッキズムの極みと叩かれそうな容姿をしておいて王子というカッコいい寄りにスタンスを置こうなど片腹痛いにもほどがある。白銀くらい目つきが悪くなって出直してこい。かぐやはそう言いたかった。
「それは私とみぃの馴れ初めとして秀知院中を駆け巡ったからですよ。十云年越しの純愛とか言って。 ……ふふっ」
「あーもう嬉しいのは分かりましたから! え、じゃあ何? 私達の邪魔をしているのは他ならぬ早坂って事?」
「まあ端的に言うと。はい。噂の片棒を担いでいる訳ですし」
「よくしれっとしていられますね……」
「いやまさかこんな形でかぐや様に牙をむくなんて、私も一向だにしませんでしたよ」
「……ちょっとだけ五条くんと別れてくれます?」
「どうしてそんな事言うんですか?(じわっ)」
これには早坂もちょっと涙目。
「冗談ですから。ですが、こうなったから今以上に動いてもらいますからね」
「それはもちろん構いませんが」
「じゃああなたの身の周りから。旗色が微妙な人などはいますか?」
「そうですね。率直に申し上げて、半分はそうです」
「意思の薄弱な事」
「大体の人は生徒会長にこだわりがある訳ではありませんから。普通に学校生活を送れて、それなりに部費を出してくれて、行事もつつがなく進めてくれて。それさえしてくれれば誰でもいいのでしょう」
「その『それなりに』とか『つつがなく』となるようにどれだけの努力が必要なのか、分かっているのでしょうか?」
「仰るとおりです」
そう考えるとますます本郷などという選挙用にお愛想を振りまいている輩を追い落とさねばと考えるのだが、軽薄そうな見た目に反して思ったより身の回りがお硬いのだ。十中八九あの美城のせいだと思っている。
愛想。この一点においてのみ劣る白銀陣営は早急にこの不安分子を取り除かなくては。
「何か彼を追い落とせる材料でもあればいいのですけど……」
「本郷勇人の、と言えば多数の女子に声をかける風聞はありますが、別にそれは違反でもなんでもありませんし」
「そんな所を突っついたら普通を望む支持層は崩れるでしょうね。厳しくする方としない方なら後者を選ぶのが人ですから」
「それと、一つ目を通していただきたい物が。つい昨日の事ですが、こんな写真が裏サイトに流れました」
裏サイト。何ともネット黎明期の響きを感じて、聞く人が聞けばノスタルジックな気分にさせられそうな文言だった。しかし秀知院という特殊な学校においては、意外にもその形を保って今なお存在し続けている。
かぐやなどは機械オンチも相まって少しも見る気は起きないのだが、早坂の口ぶりに興味を示して彼女の持っているタブレットを覗き込んだ。
見ると、真っ白な頭が二つ並んでいる画像だった。その後ろに何人かいたが、今はそれを気にする余裕はない。
「圭……?」
呟いた名前は白銀の妹、圭。
真っすぐな銀髪が眩しいほどに煌めいて、宝刀のように美しい鋭い目つきが白銀御行を思わせる。かぐやが彼の外堀を埋めるためにも、単純に人間としても仲良くなりたい少女だ。
もう一つの白い頭は、最近は忌々しく思えて仕方ない五条美城の物に相違なかった。並べて見ると圭の銀髪は色素が薄くて、美城の白髪は色素が無いという事実が良く分かる。どうでもいい事だが。
「これにどんな意味が……」
確かに自分を差し置いて圭と仲が良さそうなのは気に食わないが、美城は藤原千花と幼馴染なので彼女の友好関係の一部と付き合いがあってもおかしくない。しかしその程度の事を早坂が分かっていないはずが無いので、何か問題が無いかもう一度ゆっくり写真を見ると、
「あっ」
あるではないか、でかでかと。肩にかけた【本郷勇人】のタスキが。ご丁寧に写真まで添えられてだ。
「中等部では白銀圭の『お姉さん』が本郷という人を応援している、というストーリーが一部で囁かれているそうです」
お姉さん。
確かに色白な圭よりはるかに白い肌を持ち、円らで真っ赤な瞳が美しい五条美城の事を初見で男性と分かる人間はそういないだろう。
しかし、かぐやはその話を聞くと彼のその美しい顔の下に流れる知略の周到さに何とも言えない気持ちになった。
「今から選挙管理委員会に行きます」
「かぐや様?」
いや、言えないではない。言わなければ。
写真を見て、逡巡したかに思われたかぐやは、次の瞬間口を開くと冷たく言葉を放った。
「もしかして怒ってますか」
「だって高等部に関係のない圭を巻き込んだのよ? こんな家族まで利用した手法を許してはおけないわ」
憤然としていう言葉は理解できないでもないが、正直な所どの口が言うのですかと言いたいけれど、早坂は我慢できる女子だった。
「お怒りはごもっともですが、どういった名目で処罰するおつもりでしょうか?」
「そんなの決まっているでしょう。校舎外で選挙活動をした事です」
「そう言われましても秀知院の中等部の敷地ですから、果断な処理は難しいと思われますよ」
「彼の肩を持つの?」
「そう思われても仕方のない事を言ってる自覚はありますが、違います」
早坂の言葉は正しくかぐやを導こうとしてくれているが、これはそういう事ではないのだ。
彼が訪ねたのは一応『秀知院』の敷地だから、そして中等部の生徒が勝手に裏サイトに流した写真だから。いくらでも言い逃れできる自分に都合のいい状況をきっちりと整えて来た事に、言い知れ用の無い不安にも似た気持ちを抱いている。
「難しいかもしれませんね。だけど、私は正しい正しくないを論ずるつもりはありません」
「つまり、この事を元に彼を追い落とせ……という事でしょうか」
「分かってるじゃない」
やはり早坂はなんだかんだ言っても自分を理解してくれている、とかぐやは少しだけ気持ちが上向いた。
「過去の例を探せば似たような事があったはずですから。前例があれば動きやすいというのは、学生レベルの組織活動でも同じでしょう」
「早急に」
早坂のその言葉にかぐやは頷くと、出来れば今日中にという大分無茶な事を言い添えになられて白銀陣営が居を置く部屋の方へ歩いて行った。
さて置いてかれた早坂は、とりあえず議事録から当たってみるべきだと考えて立ち上がり、この棟の上階にある生徒会室に向かって行く。
大まかな会報であれば図書室にでも行けば誰にでも解放されているだろうが、○○という違反をした者がおり××という処分を下したという子細に至るまでは載っていないだろう。であれば必要なのは詳細な議事録で、そしてそれがあるのは生徒会室のパソコンである。
恐らくかぐやは初めから前例を探させるために生徒会棟へ呼んだに違いないのだろうから、早坂の足は何ら憚る事無く主不在の部屋へと進んで行った。
「さて、最近の出来事であればいいのですが」
生徒会室の重厚な扉を前に呟くのは、少しばかり彼女らしからぬ怠惰な願いだった。
というのも、外と同じ様にデジタル化の波が押し寄せてきている秀知院だが、議事録のデータ化は最近の出来事なので古い時代の出来事だと紙の資料を一つ一つ当たらないといけなくなる。もちろん手を抜くなどあり得ないが、単純に手間だ。
ふう、と一つ息を入れて生徒会室の扉を開ける。
「かぐや様」
そしてすぐ、主人の下へ“出来過ぎ”な吉報を走らせるのだった。
◇
「コミュニケーション能力が高い事を至上命題に置くのなら、人間って何なんでしょうね」
「どうした急に」
「急でもないでしょう会長。ここ最近前に出た時の反応が芳しくないのは感じていますよね」
「まあそれはな」
選挙対策室としている教室に夕日が差し込んでほの紅く染まっていく中、石上と白銀は顔を突き合わせて話していた。話題はもちろん選挙速報よりこっち、追い風が吹いてこない感が否めない現状についてである。
「本郷は親しみやすそうな雰囲気を出して積極的に生徒と交流しているから、そのぶん俺が割を食っているんだろう」
「こんなの間違っています。会長の実績は何ら疑う所が無いのに。話の上手さだけで上に立たれたら困るのは自分達ですよ」
「その指摘は正しいが、本郷の策の内だな」
「どういうことですか?」
「俺も本郷も、公約はそんなに変わり映えするものじゃない。だが争いだからどこかで勝たなくては」
「ですが本郷先輩が会長に勝てる点は……」
ふと石上は窓の外を見た。ここ最近見慣れてしまった、本郷が道行く人達と楽しそうに会話をしている姿がそこにはあった。隣にいる真っ白な姿が眩しく、その二人を中心に人の輪が出来ている。
「それこそ喋りくらいじゃないですか?」
「あるじゃないか」
「はあ……」
「というよりもだな、本郷陣営は話の上手さで上に立つしかないんだよ。気安さとか接しやすさで俺と差別化を図るためにもな。まあ、目を反らさせているとも言えるが。実務の面を話せばこちらで事足りる訳だからな」
「じゃあ会長もあれ行っときます?」
眼下に見える人混みを指さしながら石上は言った。ある種もっともな言い分ではある。相手が上回っている所を、後出しでそのまま上回ってしまえば後に勝った者の方が記憶に残るからだ。ヒット商品の後追い商品が本家より人気になってしまう現象に近しい物だった。
最後に立っていた者が勝者というなら、途上にあるうちに相手をくじけさせればいい。
「……石上、今正門の方に歩いて行った女子を知ってるか?」
「知りません」
「今本郷と話している生徒の事は?」
「知りません」
「五条が声をかけようとしてる彼の名前は?」
「知りません……。いや凄いな! 全員の名前を憶えてるんですか!?」
「じゃあ石上、俺達もやるか」
「止めましょう。相手のフィールドに乗ってあげる必要はありません。僕達は僕達の戦い方を貫くべきです」
白銀の淡々とした説明に、華麗に掌を返した。なんj民もかくやという掌返しだった。石上の手首はボロボロ。
「そうですよ石上くん。そんな事をしなくても会長の勝ちはそうそう揺るぎません」
「四宮先輩」
くるりと返した掌に賛同するような声がしたので振り返ると四宮かぐやが立っていた。
「四宮。遅かったな」
「すみません。少し用事があったもので」
そう言う声は、選挙速報の度にピリピリしている最近のものとは異なって、どこか喜色に彩られている。
「……先輩、何かいい事でもありました?」
石上は素朴な疑問としてそんな事を口にしてみた。こんな風に上機嫌なかぐやは珍しいと感じたからであったし、何より優れた観察眼の彼に見えたのはちょっとした達成感のような物で、それが気にかかる。
「ええ――――
………………
ざわめきが静寂に変わるのは一瞬だった。
「どいてください。選挙管理委員会です」
その声を聞いた者から、声色に込められた正義感とも使命感ともとれる強い語気に不穏な物を感じて、呑気に会話していた口を噤んでしまう。
またそれに何事かと振り返った人が、選挙管理委員会と書かれた緑色の腕章に目を引かれて黙るという連鎖が起こり、あっという間にそこに広がっていた楽し気な会話は消えた。
「五条美城さん」
「はい」
選挙管理委員会は威圧感をもって……というのは違うかもしれないが、少なくとも周りの人間にはそういう風に見えたのは事実だ。
「選挙管理規定に則り、あなたの生徒会選挙活動への参加を一週間停止します」
…………
――――とっても」
かぐやの赤い瞳が輝いた。
眼下に連行される五条美城を臨んで。