「眞妃様、お帰りの方ご一緒させていただけないでしょうか?」
帰りの途につく四条眞妃に、五条美城は恭しくそう申し上げた。
目の前の幼馴染が自分信者である、という事に十五年近くかかってようやく気が付いた眞妃は彼を見て変な咳をするが、昔のように一緒に帰る事もやぶさかでは無かったので、その提案に頷く事にする。
眞妃は四条家の運転手に五条の車に乗って帰る旨を伝えると、やや渋られながらも了解を得て、後ろに控えている美城に声をかけた。
「そうね、久しぶりに一緒に帰りましょうか」
「はい! ありがとうございます」
ぱあっと花が咲くと言う形容がこれほどふさわしい人間も珍しい(男なのに)と思いながら下足場に向かった。
眞妃はさっさとローファーに足を入れると、壁にもたれかかって美城が準備をする様を見ていた。
彼は鞄から眼鏡ケースを取り出し、少し色の薄いサングラスを取り出して、赤い目を守るようにかける。もう一度鞄に手を入れると、今度は折り畳み式の日傘が出て来た。黒の上質な布が張られ、ふちは白いレースで飾られていて、おおよそ男が持つ物では無かったが、眩いほどに白い彼が持つと、異様に似合っているのも事実だった。
外に出る時に、この幼馴染が時間がかかるのはいつもの事なので気にしてはいないが、申し訳なさそうに頭を下げてくるのは、眞妃のちょっとした悪戯心を刺激して嫌いではなかった。
キョロキョロと美城は辺りを見渡すと、日傘を差して光の下に出る。
「どうしたのよ? 何か気になる事でもあるの?」
「いえ、私どうやら風紀委員に目を付けられている様で……」
「はあ? まだ入学してすぐでしょう? 何したのよ」
「何もしていないはずなのですが……」
「そう? でもそれなら困ったわね」
「全くです。ただ他校の制服で通学しながら日傘を差してサングラスをかけているだけなのに……」
「いや全部言ってる!」
「え……?」
「『え?』じゃないわよ! 何トリプルプレーしてるくせに私悪くないです面してるの」
「
「アウトの経路は聞いてないけど!」
クセが凄い友人達に囲まれている眞妃のツッコミは今日もキレていた。マエケ〇のスライダーくらいキレていた。
基本的にしっかりしている美城だったが、時々こんな風に大真面目でボケる事があるので、伊達にあの藤原千花と友達してないわね、と心に刻む事にしておく。
「まあ来週には秀知院の制服も届くとは思いますので。あとは明日にでも風紀委員に医師の診断書を持って訪ねる事にします」
「ま、それが無難な所ね」
校門の前に着けた、眞妃の記憶の端っこに残っている五条家の黒塗りの高級車に乗り込む。するとこれまた記憶の奥に残っている運転手に声をかけられた。
「これは眞妃様。お久しゅうございます。四条のお車と比べて手狭かもしれませんが、平にご容赦いただきたく」
「五条の用意する車に文句言うような人間はよっぽどの馬鹿ね」
そう言って、眞妃はニッと不敵に笑う。
偏差値77の高校で三位の成績の彼女が馬鹿であるはずがない。馬鹿ではないのだから、文句などあろうはずもない。彼女の自負からくる真っすぐな言葉だった。
「眞妃様、お飲み物を用意しておりますのでどうぞ」
車が音もなく走りだすと、美城が備え付けられた冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。先ほどカフェオレを飲んだばかりだったのでさほど喉は乾いていなかったが、グラスに少しだけ注がせて一口水を含んだ。
「本日は眞妃様のご友人に紹介いただきありがとうございました。しかし私としては『翼くん』をご紹介いただけると思っていましたのに」
「……ッ! ゴホッ、ゴホッ……!」
心地よい冷たさで喉を潤していた眞妃だったが、突然出て来た名前に思わずむせかえった。
「ああ眞妃様、大丈夫でございますか?」
「ッ……はあ。美城! あなた何言ってるの!?」
「何とは? 私はただ眞妃様のお話によく出てくる、仲の良い友人の一人の名前を言ったにすぎませんが」
「! ああもう」
しれっと、悪びれる様子も全くない美城に語気を荒げるのも無駄と悟った眞妃は、一回深呼吸して気を落ち着かせた。
「勘違いしないでよね。翼くんはただちょっと話す男子ってだけで……」
「はい。私が眞妃様のお言葉を勘違いするなどありえません。それはそうとバレンタインのチョコは喜んでいただけたのですか? そうなら私も眞妃様の背中を押した甲斐があるという物でございますが」
「そうなの……って、だから勘違いしないでって言ってるでしょ!」
「申し訳ございません」
ニコニコと穏やかな様子で美城は佇んでいて、それがなんとも眞妃には居心地が悪かった。
「ただ……」
「ただ?」
「……喜んでくれたわよ」
「それは良うございました」
照れくさそうに頬を赤らめて眞妃は窓の外を見た。幼馴染が相も変わらずニコニコとしているのが手に取るように分かっていたからだ。
「その彼にチョコを渡したのは眞妃様とチョ〇ボール三粒だけあげた柏木さんの二人だけ、という事ですね」
「言っちゃなんだけど渚のそれはチョコにカウントしていいの?」
「何を仰いますか。思春期の男子は落ちた消しゴムを拾ってもらっただけで『もしかしてこいつ俺の事好きなんじゃね?』となる生き物なのですから、チョ〇ボールでも油断できません」
「ふーん…………ん?」
「先んずれば人を制すと言います。眞妃様、翼殿を手にお入れ下さい」
「いやいや、何で渚と争う前提なのよ! そもそも好きだなんて一言も言ってないでしょ」
眞妃はプイっと顔を背けてグラスを差し出して冷えた水を要求した。美城は文句一つなくそのグラスに水を注いで、それが飲み干されるまでゆっくりと待つ。
タンッと荒っぽくグラスを置いて、誇り高く吊り上がったまなじりがお節介な幼馴染を射抜くが、撃たれた本人はどこ吹く風といった様子でそれを見つめ返した。
「本当は好きなのでございましょう?」
「違うって言ってるでしょ!」
「そうですね。差し出がましい事を申してしまいました」
「へ?」
もう一度返しが来ると思っていた眞妃は、梯子を外されて困惑する。美城は新しいグラスを出してそれにミネラルウォーターを注いで飲み干した。
そして笑みを崩さぬまま、美しく旋律を歌うように言った。
「国の心臓たる四宮の血を引く四条家のご令嬢であらせられます眞妃様が、どうしてかのようなヘラヘラとした自主性の低い鼠とお付き合いしなければならないのでしょう?」
「み、美城?」
「彼の祖父の田沼医師は世界で十の指にはいる名医でございますが、必ずしも技術は血によって受け継がれる訳でもありません。ただ一介の町医者程度で終わる可能性も無きにしも非ずでございますから」
「ちょ、ちょっと……」
「それに田沼医師は四宮のお抱えでありますし、四条の身に四宮に近しき者を置く事を良く思わない人間もいましょう」
「わ……私はそんな事……」
「入学するに辺り五条に近い家の物に聞いたのですが、どうやら成績上位五十名の中にも入った事がない様で。これでは眞妃様の横に並び立つなどとても……」
「彼の悪口は言わないで!!」
眞妃は我慢ならないという様子で、裂帛の声をあげた。その声に運転手が驚いて車が一瞬揺れた。
「翼くんの事なにも知らないくせに!」
「はい。知りません。どのようなお方なのですか?」
散々悪口を言ったくせに全く悪気のない美城に、怒りで顔を赤らめたまま眞妃はがなり立てる。
「確かに翼くんはちょっとヘラヘラしてるように見えるかもしれないけど、私がキツイ事言っても笑って許してくれる……何て言うか……包容力があって心が温かい人なんだから!」
「で、好きなのでございましょうか?」
「だから……」
「そうでありましょう?」
美城はその髪のような白羽の矢を言葉にして眞妃の正鵠を射る。彼女は真っ赤な顔のまま金魚のように口をぱくぱくさせると、その口をつぐんで椅子に深く座りなおした。
「…………うん」
いつもと打って変わって弱々しい声で、四条眞妃は好意を認めた。
「分かっておりますよ?」
「……あなたねえ……」
かなりの恥ずかしい思いをして言ったのに、言わせた人はけろっとしていて、これでは恥のかき損ではないか。眞妃の心中にそんな思いがふつふつと沸き立つ。
「それなら何故行動を起こされないのですか?」
「恋愛した事もない美城に何が分かるの!?」
「行動しなければ何も起こらない事だけは分かります」
「分かってる! 分かってるけど告白なんて怖くて出来ない!」
どこかの生徒会長と会計が全力で『わかるぅ!』しそうな事を言い放つのと同時に、四条邸の前に車が停まった。
「着いてしまいましたね。お話はまだ長そうでしたのに」
「いいわよ……もう」
いじけるように結んだ二つ結びを摘まんで弄びながら、眞妃は口を尖らせる。
そのいじらしい姿に美城は苦笑すると、所在なさげに放り出された髪をいじっていない方の手を掴んだ。
「眞妃様、何を怖がる必要があるのですか」
「だって……嫌われたらどうするの」
「何を仰います。眞妃様ほど素晴らしい女性はこの世におりません。その鳶色の髪に翠玉の瞳の映える可憐な佇まい。聡明でありお優しく、傲慢な仮面をかぶっておられますがその下には素直で真っすぐな心が隠れている事は少し接するうちに分かる事です。それに……」
「あーーー!! もういい! やめてー!」
「そうですか。まだまだ言い足りませんが」
「私が聞き足りたからいい!」
「……つまりですね、眞妃様の外面にも内面にも、お付き合いするに何ら瑕疵のない事、これは火を見るよりも明らかでございます」
「そ……そうよね!」
しおらしくなっていた眞妃の顔に、みるみる生気が戻っていき、瞳には自信の光が宿って行った。
やはりこちらの方が『らしい』と言う物だ。美城は喜色満面の笑みを浮かべてその目を見ていた。
「翼くんが私の事を好きにならない訳がないわよね」
「はい。ですから……」
「ならあっちが告白してくるのを待ってればいいんだわ」
「あれ?」
晴れ渡っていた空に暗雲が立ち込める様を美城は幻視した。
「ありがと美城! さすが私が認めた幼馴染ね!」
眞妃はそんな美城の心境とは裏腹に、晴れ空を飛ぶ小鳥の羽ばたきのように軽やかな足取りで車から降りた。
四条家のメイドはこんな上機嫌なお嬢様を始めて見た、と日記に記したほどである。
「美城さま……?」
「分かっているから何も言わないで……」
運転手の言葉に、不味い事になったという思いを改めて美城は抱いた。
不味い事に傾いた針を他ならぬ眞妃のために正さねばならない。
一つの決意を新たに抱いて、車を出させた。
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「恋愛相談?」
白銀御行は生徒会室の前で振り返りながらそう聞き返した。
秀知院生徒会の扉は常に開かれている。
それは悩める生徒達に逃げ込める場所を作ってあげたいという、前生徒会長の意思であり、それを白銀も引き継いでいる。
白銀とかぐや、この両名は生徒から少なくない恐れを抱かれているため、実際に訪ねてくる人は少ない物だったが。
「はい」
と言った人は、白い頭髪を春の日差しに煌めかせて、赤い目には強い意思が輝いている。
その珍しい来訪者は密やかに、そっと口を開いた。
「ある人に告らせたいのです」
この話で一年生の頃に眞妃ちゃんがバレンタインチョコを渡せているのには理由があります。
まず幼い頃から美城という見た目はともかく男の子にチョコを渡す習慣があった事。
そして色々察した美城が渡すように強く勧めたという二点です。