「愛、ちょっと放課後付き合ってください」
そう言った五条美城の言葉は朝の喧騒にまみれた二年A組を静まり返すに十分な威力を持っていた。
しんとした教室に、遅めの登校を果たしながらいきなり渦中の人物となった早坂は目を真ん丸に見開いて驚きの声を出す。
「えっ」
「では、確かに伝えましたからね」
呆気に取られて見返すも、美城の真っ白な顔にはいささかの陰りも見られない、そんな笑顔を向けられると何となく早坂は黙りこくってしまうのだ。
それもそのはず、彼が本郷陣営の運動員としての活動を停止させられて、明けて翌日の今であり、その事を話題に元々顔が広い藤原千花が井戸端会議をかましたという内情に詳しい者が見れば外道とも取られかねないムーブをしていた今朝である。なお藤原にそんな気が一切ない事は本人の名誉のために名言しておく。四宮かぐやがそっと彼女の幼馴染の話題に水を向けたのが悪い。
結構な突拍子もない人物で、『こいつ実はバカなのでは……』と疑われる事も折に触れてある美城であるが、基本的に天才のそれである彼が活動停止指示の裏に誰がいるのか分からないはずが無い。そう早坂は思っている。というよりそんな事も分からないにぶちんが恋人であって欲しくなかった。
つまり自分を陥れた四宮かぐやと、その従者・早坂愛にここまでにこやかになれる理由が分からないのが七割で彼女は言葉に詰まってしまった。残り三割は普通にドキッとして口が回らなかっただけである。チョッロ……。
思わぬ形で自分の防御力の無さを噛みしめる羽目に合った早坂は、恋人の言葉にこくりと小さく頷くと、立ち去って行く美城の背中を見送った。
「愛ちゃん、良かったねえ」
「敵対陣営を応援してたからって怒るような奴じゃなくて」
そんな生暖かい声を駿河と火ノ口の二人に貰う早坂だった。
☆
最近はめっきり人が来る事も無くなってしまったボランティア部の部室が、久しぶりに人を飲み込んで明かりを放っている。
この部屋を拠点に置く彼が帰って来た事実に、早坂はらしくなく、あるいは乙女らしいのか、そのどちらか彼女自身定かではないが、胸の内がざわめく事を自覚せずにはいられなかった。
「ふう……」
緊張を抜くように一息入れると、あくまで冷静にボランティア部の扉を開けた。
「お待たせしました」
「あ、愛。よかった。来てくれたんですね」
扉から覗いた金髪の少女を見つけると、五条美城は青空に浮かぶ雲のようなふわりとした笑みを浮かべて恋人の事を歓迎する。
ここ一週間ほどで白銀陣営に対する急先鋒として名を上げた性急さを感じさせないようなふんわり加減だった。思わず早坂も毒気を抜かれたような気分になる。
「それで? どういった理由で私を呼び出したんですか?」
彼の呼び出しと言うのは結構な確率で早坂にとって小さくない影響を与える物であった過去から、今回はどういう事だろうと不安と期待が半々の心境で聞くと、返ってきたのはふんわりで彩られた呑気な言葉だった。
「それはですね、愛に爪を見て欲しくて」
「……はあ?」
あまり期待してはいなかった早坂だが、その呑気すぎる提案に『はあ?』であった。
提案が女子なんよ。
「それは……」
「言葉が足りませんでしたね」
自覚があるなら最初から言葉にしてください。
早坂はそう思ったがグッと飲み込んで彼が言う続きを待った。
「私これから野球部のお手伝いに行く所でして。惜しくもレギュラーに入れなかった方が打力強化のためにバッティングピッチャーを探しているという話を聞き、それに立候補したという訳です」
「よくそんな人の頼みまで聞きましたね」
美城の交友関係の全てを把握している訳ではないが、少なくとも野球部に伝手があったとは早坂も寡聞にして知らない。
「少し前にお話した時にそのような話を聞いたもので。私としても努力の一助になるのなら、尽力する事もやぶさかではありませんし。ですからピッチャーをやる前に爪を整えておこうかと」
少し前と言えば、つまり選挙活動で不特定多数と話し込んでいる時にそのような話になったのだろう。
相変わらず人に献身を捧げるのが好きな人ですね。と呆れる一方、そういう所が好感の持てる……
「コホン」
「ど、どうかしましたか? 愛」
「いえ。なんでも」
ちょっとキュンと来た心理を悟られないよう早坂は咳払いをして誤魔化した。
「まあ言いたい事は分かりました。ですが……別に朝の教室なんていう目立つ所で話をしなくても良かったんじゃないですか?」
「愛は人気者ですから。早いうちに予約を取っておかないといけませんからね」
「予約、ですか」
これは彼一流の冗談なのか。予約なんて物を言い張っても四宮かぐやが言えばそちらに飛んで行く事を彼も分かっているだろうに。
「構いませんよ」
「ありがとうございます。愛」
とはいえ、そんな事態は起こらないだろうと早坂は楽観的だった。
何しろかぐやの目下の悩みである『他陣営の票が伸びてくる』の原因九割を担っていた美城がこうして選挙活動を封じられているのだから。
後は投票日まで一週間という最後の直線で行われる知名度のたたき合いである。そうなれば圧倒的に白銀陣営が有利なのは誰もが知る所で、焦る必要は特にない。
「では見せてください。邪魔にならないようしっかりと磨いてあげますから」
早坂は一先ず謀を忘れて、少しばかり許された仮初の恋人との時にそっと手を伸ばすのだ。
日々美容に気を遣っている身からすれば恨めしい程に白い彼の指と、その上に乗った真珠のような爪へ、慈しむように手を加えていくと、つい昨日この人を陥れた事さえ忘れたような気になって、少し無責任かもしれないが、心をくすぐられたような心地よい感情になる事は否定できなかった。
◇
◇ ◇
◇
秀知院学園の部活は大体において設備は一流の物が揃っている。それはご存知の通り、生徒のおおよそを占める富裕層が学校に払う寄付金による物だ。
とは言え設備も無限ではなく、
「レギュラーがバッティングマシンを占拠してるから、五条、おまえスポーツが得意なら投げてくれよ」
みたいなあぶれた者も出てくるという訳で、そこに美城は悪い言い方をすれば付け入ったのである。それがつい二日前の事だ。
袖の長いポロシャツのような特注の体操服に着替えた美城は、頭につばの広い麦わら帽子を被って野球部が練習しているバッティングゲージへと向かった。
帽子の君でもマリーゴールドには全然似てないが、日陰で育ったたんぽぽみたいな雰囲気が漂っている。どちらにせよ花みたいな可憐さが隠し切れないのが彼の宿命だった。
五条美城を排除した事で白銀陣営をこっそり応援する業務に追われていた早坂も少し余裕のある放課後なので、美城からは自由にしてていいですよと言われつつも彼について行く事にした。
「五条。悪いな」
「いえ。私が力になれるのなら喜んで」
なんとも畏まって。
バッティングゲージの中で待っていた野球部員にペコリと頭を下げる美城を見て、そんなに時間が経った訳でもないのに懐かしい思いが早坂にこみ上げてくる。感心と同時に不可解な気持ちになる変な胸の内だった。
この人に恩を売る価値があるのかどうか……。
「では早速始めましょうか。大原くん」
そう値踏みをしている早坂とは裏腹に、美城は明るく野球部の……大原と言うらしい、に向かって声をかけた。彼はバッティンググローブを着けて右打席に入って美城の投球を待つ。
「真っすぐから投げてくれ」
「はい」
と言う美城の左手には、授業などで貸し出す用途で野球部に置いている古ぼけた黒いグローブがぶかぶかとはまっていた。
(失礼ですが始球式に出たアイドルのようにしか見えませんね)
バースと岡田と掛布どころではないホームランの連発を見せられた事もある早坂だが、華奢な彼がマウンドに立つとどうしてもそんな風にしか見えないのは事実だった。
そんな彼が、すっとマウンドのプレート両足を揃える。
胸元にグローブを構えて、そこから上に振りかぶるワインドアップ投法で放たれたボールは、糸を引くような真っすぐで、アウトローに収まった。
「みぃすごーい!」
思っていたよりも立派な投げっぷりに早坂は手を叩いて賞賛した。
球速は120キロを少し超えたくらいだが、野球部でもない人間が投げたにしては上出来だろう。
「今のボールだろ。もう少し真ん中に投げれないか?」
なんだァ? てめぇ……。
「ではもうボール一つ分ほど内に」
早坂が内心で悪態をついたのとは異なり、美城はどこまでもにこやかにオーダーを受け付けていた。
続いて投じた一球は、言葉通りにボール一つ分内に入って来た球で、大原は気持ちよくそれをスイングする。
「今の良い感じでしたよ」
「そう……かっ!」
「体に近い所は左ひじを抜くように」
「こ……のっ!」
「いくつでも付き合いますから、丁寧に」
恋人の投じた球をパカスカ打たれる所は見ていて面白くないが、高低内外と器用に投げ分ける投球技術は一見の価値あり、という面白い面白くないの天秤が丁度釣り合うような時間がしばらく続いていた。
しかしやる事のない早坂は暇でしょうがない。ここ最近の選挙に向けてのピリピリした空気から解放された感じが湧き上がってくる暇さ加減が、こんな事してもいいのかという気持ちに早坂を駆り立てる。
「やってるなー」
良く分からない焦燥感に晒されていると、そんな早坂の心境を無視するかのような元気のある声がすぐ横から響いてきた。
小さく首を傾げて声がした方を見ると坊主頭の男子が立っていて、早坂はすぐに頭の人名名簿から彼の名前を引き出した。
「カンカンじゃん。どしたし?」
ギャルモードの早坂が声をかけたカンカンという男子は同じクラスの菅田という名前で、サードのレギュラーに座っている生徒だった。声が大きくて影響力も大きい。そういう生徒をとりあえず交友関係に組み込んでおくのは早坂の常である。
「そのあだ名やめーって言ってるだろ? パンダじゃん」
「えー、可愛いのに」
「お前の恋人より?」
「調子のんな」
「はい……」
「で、何でこんなとこ来てるし。レギュラーはグラウンドで練習中じゃないの?」
「五条が野球部の手伝いするって言いふらしてたんだぞ。そりゃ見に来いって事だろ」
どうやら自然発生的にという訳ではないらしい。周りを見ると休憩中のレギュラー陣がちらりとこちらを見ている様子で、こんな状況も美城の想定内という事のようだ。
だからといって、何がしたいのか分かるかと聞かれればそうでもないのが美城という男の理解し難い所である。
「みぃがねえ……」
「そういう事。おい海人! もう十分打っただろ。次俺に打たせてくれよ」
球数にして四十球ほど打った大原海人は、残暑の日差しに焼かれて流れる汗をユニフォームで拭うと不満そうに口にした。
「いやいや、いいじゃんレギュラーはマシン使えんだから」
「ケチケチすんなよお前一声かけたくらいだろ」
次元の低い言い争いをしてくれるな、そう早坂は思いたくなる。
ギスり始めた空気に抵抗するような薄い作り笑いを浮かべて、早坂はこの場を乗り切ろうとした。失礼な良い方をすれば、しょせん地方大会を勝ち抜けるかどうかくらいの弱小チームのレギュラー陣の面子がどうなるかなど、早坂にとってはどうでもいいのだ。
「ねえいいじゃん。仲良く順番で打てば。ね? みぃもそれでいいよね?」
何でこんな、かぐやが声をかけづらい諸生徒に対する調略をしたかと思えば、野球部のメンバーの確執も露わな状況を仲裁しなくてはならないのか。ここまで言えば美城もなあなあで済ませてくれるはず……
「そうですね。大原くんも少し休憩しましょうか。その間に……二、三打席か勝負でも致しましょう?」
何とか軟着陸を試みてくれるようでほっとしたが、ちょっとばかり勝負っ気ありありな所が気になった。
「はっ。いいぜ」
ほらもう。そんな言い方をすれば、運動部でレギュラーなんていう血の気が多い連中は乗ってくる事は分かり切っているでしょう。
早坂は人間心理の造詣に深いが、とはいえ男の勝負という物事にかけるプライドというものは履修していない。とりわけしたくもないし、した所で理解できるとも思わないし、それに一番身近な男は負ける事で喜ぶような変態である。
コントロールが良いとはいえ、120そこそこの球。また彼の悪癖でも出たのでしょうか?
と思うのも無理からぬ事だった。
「菅田、こいつ意外といい球投げるぞ」
「いいじゃん。なんぼ?」
「120くらい」
「へえ。来週ベンチに入れとくか」
もごもごしていたが休憩という言葉に気が抜けたのか、大原はゲージに入ってくる菅田にバットを渡しながら入れ替わると、そんな風に軽口を叩き合った。
「近々試合があるんだよ。本気で投げてくれ」
くるくるとバットを回す手首の運動をしながら菅田は左バッターボックスに入って、少し挑発にも聞こえるような事を言い放つ。
「かしこまりました」
普段の美城からは考えられないような、勝負を堂々と受けて立つような力強い言葉に、少なくとも彼が編入してからは一番近くにいる自負がある早坂は疑問に思った。何となく彼らしくないと思ったのだ。
そして恐らくそういう時は、何かを企んでいるか彼の中で矛盾しない論理が立っているとも思うので、早坂は後で聞き出そうとこの場は流しておくことにした。
「シャッス!」
威勢よく菅田の口から挨拶が飛び出すと、美城はそれに帽子を脱いだ一礼で応えてマウンドに立った。
五条美城が白い髪をなびかせてワインドアップのちオーバースローから放たれる一球目は、
「……っと。何が120だ、もっと出てるだろ」
バッターから一番遠い所、アウトローに真っすぐ収まった。スピードガンがあれば120後半くらいは計測していたかもしれない。速度は大した事ないが、華奢で日を浴びた事もないような真っ白な体の美城からそれが放たれると思うと、認識のずれが実際よりも速く見せる。
とはいえ菅田も一流の設備がそろえられた秀知院の運動部員だ。150越えを投げるバッティングマシンと比べれば打ちごろである。
そんな設備あるのに何で勝てないかって? うん……。
(だがこいつの球筋は分かった。次で打つ)
菅田は野球漫画のキャラみたいな事を思いながらバットを構え直した。お前それ出来てたら野球部はもっと勝ってるからな?
美城が二球目の投球フォームに入ると、菅田は素早く思考を巡らす。
マウンド上の人物の性格から言って恐らく外目に来るだろうという結論だ。何故か、と言えば彼は非常に心優しい人物として名高く、下手すれば体に当てかねない内角へのボールは避けるだろうという、普通にそれらしい考えからだった。
そして、思った通りに外いっぱいに投げられた球がやってくる。
勝ちを確信してバットを一閃……だが返って来た感触は真芯でとらえた物ではなく、先に引っかけたようなそれだった。サード方向に切れてファール。これで2ストライクと追い込まれた。
(曲がった? いやまさか)
菅田は首を捻って考えるが、すぐにその可能性を捨てた。投げたボールがシュート回転したり逆にカット気味の回転をする事はままある事だ。さっきの球もその一つ、再現性のない変化球だろうと思いながら一度バットを振りなおして打席に入った。
三度目の投球、同じフォームで、同じ腕の振りで、同じコースに、同じくらいのスピードで白球が放たれた。
菅田は何の躊躇もなく振りに行く。仮に変化したとしても、さっきと同じ様にファールを打てるだろうという確信があったからだ。
外目の球を、捉えて……
そういう確信は一瞬の間に真下に消えた。
ブンッ!
それは虚しく空を切る音であり、菅田と美城の勝負が決着した音でもあった。
「ス……スプリット……?」
呆然と、かする事も出来ずに後ろに転がった白球を見ながら彼はそう呟く。
ストレートに近い速度のまま鋭く落ちる、SFFなどとも言ったりする落ちる球の一種である。
ちなみに秀知院のピッチャーにこれを投げる人間はいない。
「ありがとうございました」
うなだれた菅田の上から、似つかわしくないくらいに朗らかな声がかけられる。
マウンドに立っている美城からの物で、普段なら何の気なしに受け止められる言葉だったが、小高い投手の城から見下ろすように言われると、自分と彼の格付けが終わった様に感じられた。
ふうっと息を吐くと、美城は帽子を脱いで額にかいた汗を拭う。
失礼だと思っているからだろう表に出さないが、涼し気な顔の下にどこか勝ち誇ったような顔が見え隠れして、それを見つけると早坂は何故だか少し嬉しかった。
「さっすがみぃ! 天才!」
パチパチと手を叩いて喜んでみせると、小高い丘に佇む白髪の彼がいつもの笑顔で手を振り返してきて、早坂は黄色い声援を送る女子達の気持ちが分かってしまった。
推しからレスポンスが返ってくると確かに嬉しい。
少し頬を染めて見つめる先の勝利にしばらく喜んでいると、『さて……』と冷静な自分が頭の一部を使って考え事を始めた。
この勝利によって彼が何の利益を得るかという事だ。
確かに彼は負ける事に喜びを覚える特異な性格をしているが、しかし勝つ事は二番目に好きだと言うただの敗北主義者ではない。
とはいえ美城は彼の才能の限りにおいて手助けする事が基本な人間である。となると、この華々しい勝利も誰かの為……?
「おい、お姫様相手に三振かよ」
「菅田、お前船から降りろ」
じっと座って考えていると、隣にあるグラウンドで練習していた他のレギュラー陣が続々とゲージの周りに集まって来ていた。彼等からは三振を喫した菅田を揶揄するような言葉が無遠慮に投げかけられる。
「いやいや。こいつの変化球凄えって。ちょっとお前が打ってみろよ」
「そんな事言って、俺が打ったら赤っ恥だからな」
そう言って菅田と入れ替わりにゲージに入って行ったのはセンターのレギュラーだった。
何も言っていないのに、当然のように勝負をしてくれると思いこんでいる自分勝手な所は正直早坂の気に障るが、しかし美城がこの展開にならない訳がないという事は予想しているはずなので、はやし立てる女子Aになる事にした。
「いけいけみぃー! 全員さんしーん!」
可憐な美少女にしか見えないが一応男の美城に対して、正真正銘美少女の早坂が応援する姿にレギュラーが全員青筋ピキリ侍ジャパンになるとかならないとかだったが、とにかく彼等のボルテージが上がったのは事実である。
そうして頭に血が上った相手は御しやすいというのも、また事実であって。
次にゲージに入った相手を、美城は簡単に切ってとった。
まず真ん中から落ちるスプリットで空振りを奪うと、次に真ん中から大きく曲がるスライダーでファールを打たせ、同じスライダーは外れてボール。次に投げられた真ん中から大きく曲がるシンカーに何とかバットを止め、カウント2-2。次は何を投げる? と変化球の事で頭がいっぱいのバッターをど真ん中のストレートで見逃し三振を奪った。
ある者はアウトローとインハイの投げ分けでピッチャーゴロに打ち取り、ある者はバッターに当たるような球筋から急激に曲がりストライクゾーンに入って行くフロントドアで見逃し三振を奪い、高めから鋭く膝元に落とすカーブで三振を奪ったかと思えば……
そろそろお前何とかしろよ、というオーラが全員から立ち昇り始めたころ合いである。
「休憩終わりだぞ、早くグラウンドに戻れ」
野球部顧問が水を差すような事を言って来たので彼等は『はあ?』となった。
こちとら負けっぱなしで終われんのじゃい的な江戸っ子気質が、地方出身者も含めて露わになった瞬間だ。このままでは美城の球を打ち返したのは控えの大原だけという事実は、到底看過できる事では無かった。
「……で、何でグラウンドの方でもみぃが投げてるし」
次の瞬間にはメイングラウンドのマウンド上で『しまっていきましょーう』などと言っている美城の姿があったので、早坂は今日何度目かの疑問を彼に抱きながら見つめていた。
何故かシートバッティングに登板する事になった美城は、ここで相も変わらず優美な笑みなんて物を浮かべている。白鷺たたずむような奇妙な光景に周りで練習している部活の人間も足を止めて見ているほどだ。
そんな注目を集める中、美城はまるで意に介した様子もなく淡々と、しかし圧倒した。
打ち気に逸っている彼等をあざ笑うかのように、緩い低めの変化球でストライクを稼ぐと高めのつり玉で空振り三振に切って取る。
小さく曲がる変化球でファールを打たせると、同じようだが少し変化の大きい球で空振りを奪った。
「あれが噂の五条先輩? ほんとに凄いんだね」
「こがねちゃんの吹かしじゃなかったんだ」
そんな声がちらほらと早坂の耳にも入ってくると、それはそれで嬉しいのだが、やはりらしくないと思う。やはり何か別に目的があるのだろうか……。
「しゃあ初ヒット!」
とかなんとか考えていると、打順二回り目にしてやっとヒットが出たようだ。打ったバッターは一塁上でコーチャーとグータッチしている。
そうなると野球と言う物は不思議な物で、これまで完璧な投球を見せていた美城に動揺でも走ったのか、あっという間に全ての塁が埋まってしまった。
「さっきまで練習して球見てんだろ! 絶対打てよ!」
更に、何の因果か美城が野球部の手伝いに来た切っ掛けである大原が打席に入った。
さっきまで球を見ていたとは言っても真っすぐだけだし……、のような弱気が大原を一瞬襲うが、何故か注目を集めているこの打席で不甲斐ない様を見せるのは御免こうむる。
気合を入れなおして足元を踏み固め、ゆっくりと美城と相対した。
赤い宝石が一瞬だけ大原を射抜くが、不思議とその数万人に一人の目が何を言いたいのか分かっているような気さえして、彼は一回バットを振りなおした。
一球目は外に逃げるスライダーでストライクを奪うと、次にインサイドから曲げてくるスライダーで2ストライク。
追い込まれた打席の彼だが、全く焦りはなかった。むしろ打てる気の方が大きくなっている。野球的に言うと『自信から確信に変わった』というやつであった。
次も絶対にスライダー。
それだけを思って打席に入ると、投げられたのは彼の予想と全く同じスライダー。しかも、右ピッチャーが右バッターに投げる、肩口から真ん中へと入って行く打者にとって最高の球である。
カキンッ!
気が抜けるような感じさえ抱く呆気ない金属音が辺りに響き渡ると、それに弾かれた打球はするすると伸びてセンターとレフトの間を真っ二つ、今日一番の長打がここで飛び出した。
どこか油断していたせいで一歩目が遅れた外野は、打球を慌てて追いかけ出して、その隙に満塁のランナーは皆ホームに帰り、打った大原も三塁へと到達した。
試合に勝ったように大喜びするベンチと、塁上で嬉しそうに手を突き上げた大原。
打たれた美城は落ち込んだように肩を落とすが……
(あ……)
その顔にはどこか嬉しそうな、いつもの五条美城らしい笑顔が浮かんでいるのを、確かに早坂は見たのだった。
☆五条美城
投・捕・一・二・三・遊・外
131キロ コントロールA スタミナE
→ スライダー・カットボール
↘ スローカーブ・ナックルカーブ
↓ SFF・チェンジアップ・ナックル
↙ シンカー・ツーシーム
← シュート
リリース〇・走者釘付・キレ〇・緩急〇・低め〇・球持ち〇