五条美城は白サギ嬢   作:アランmk-2

43 / 73
選挙編なっが……けど今回で終わりです


雌雄を決する時がくる

 醜態。

 

 全生徒の前に立ちながら、ただ口ごもるばかり、名前すらはっきりと言い出せない伊井野ミコの晒した姿を上記のように思う生徒達は少なくなかった。

 意味すら聞こえない虫の羽音の如き囁きに、先ほどまで堂々と場を支配していた四宮かぐや、五条美城のような意図を感じる事は出来ない。

 

『くすくす……』

『ふふっ』

 

 嘲るような笑いが小さく、くすくすと漏れ聞こえる。

 一つ一つは小さくとも、壇上にいるミコは波に晒されるような悪意と無関心の満ち引きに押し流されそうだった。ますます頭が真っ白になって口が回らなくなる。

 見下ろす場所にいるはずなのに、なぜだか見下されている様に感じた彼女は、視線を落として原稿に見入る。しかし耳朶を打つ嘲笑は消えない現実として彼女に襲い掛かっていた。

 

 

 

「これが伊井野の勝てない理由ですよ」

 

 悲劇と言っても差し支えないような惨状を見ながら、石上は隣の白銀に呟く。

 

「もともと人前が苦手な奴でしたけど、選挙に負ける度酷くなってる。今笑ってる人達はたぶん伊井野に取り締まられた奴らなんでしょうね。そりゃそうですよ。学年一位の融通が利かない、普段偉そうに指示してくるクソ真面目ちゃんがこうも生き恥晒してくれるんですから」

 

 それは主観的な感情を持ちつつも、冷静な視座を忘れない石上らしい伊井野ミコへのこの場における評価だった。

 学年主席と正論の高みから下される一声にある種の反感を覚える生徒は少ないという事は当然なく、振りかざされる正しさに飽き飽きしているのだ。

 

「僕だって取り締まられたり、あいつには恨みも多い」

 

 風紀の立場から言えば石上は問題児である。禁止されている携帯ゲーム機は持ち込むし、それを人目を盗んで遊ぶ事も一度や二度ではない。そしてそれを没収された回数も。

 

「でも」

 

 しかし、それは自分が悪いという前提がある事を忘れるほど彼は恥知らずなつもりは無い。何より生徒の取り締まりのように派手な事だけでなく、誰も見向きもしないような花壇の手入れや生徒が嫌がるトイレ掃除を誰に褒められる訳でも無く行う伊井野ミコの姿を知っていると、

 

「イラつくんすよ。頑張ってる奴が笑われるのは」

 

 笑ってる奴らこそ何様だと思うのだ。

 

「だから僕は……」

 

「任せろ」

 

 石上が最後まで言うより早く、白銀は一歩前に出た。

 もう一つ、二つと歩いて間違った事が嫌いな後輩の方を振り返る。

 

 

「伊井野ミコを笑わせない勝ち方をすればいいんだな?」

 

 

 

 ◇

 

 きっとこの後味の悪さを忘れないでしょう。

 

 五条美城は壇上で小柄な体をさらに小さくして細々と演説を行う伊井野ミコを見ながらそんな事を思った。

 

「これで一人脱落だな。白銀くんとの一騎打ちか」

 

 どこか安心したように呟く本郷勇人とは正反対だ。

 だが、その勝手に滑落していく人を見て仄暗い喜びを感じる事を咎める資格は自分にはないという事も理解している。

 美城は全力を出して負ける事に何ら忌避感を覚えない、むしろ喜びを覚えるような人間である事はすでに何度目かの記述であるが、しかし他人の為ならその癖を置いておける人間でもある。

 つまり本郷が勝ちたいと思っているから、美城はあえて醜態ともいえる伊井野ミコの姿を心苦しく思いながらも放置していた。

 直前の予想では白銀支持5割、本郷支持4割、伊井野支持1割という結果であり、ここから彼女が崩れれば票の流れ先によっては分からなくなると考えたからであった。

 

(いや、言い訳ですねこれは)

 

 美城は嘲るような表情を浮かべた。もちろんそれは自分に向けられた物だった。

 そもそも伊井野ミコが皆の前に出ると緊張しいなのは忠犬のごとく慕ってくれている鹿苑こがねから聞き及んでいた事で、どうにかする方法だってあったはずなのに、しない事を選んだのは他ならぬ自分である。

 

 例えば討論会の形式にして、壇上に立候補者三人で向き合えばマシになるのではないかとも考えた。こうすると非情に困った事になるのでその案は無しにしたのだが。

 本郷は会話の頭は回るのに、議論となるとそうでもないという欠点を抱えていた。美城が質疑応答練習の一環として議論を吹っ掛けた時に身に沁みて理解した事である。

 こちらの馬脚を露す前に、演説一本に絞った方が良いと結論を下すにそう時間はかからなかった。

 

(伊井野さんにはここは涙を呑んでもらって後でフォローを入れておきましょう)

 

 どこか後ろ向きな事は否定できないが、これが自分に出来る精一杯だと胸を傷めながら壇上の伊井野ミコを見上げていた。

 

……

 

『もーいいだろ。時間の無駄だ』

 

 彼が壇上でそう言ったのは、そのすぐ後の事だった。

 

 

 

 ◇

 

「こんなアホらしい公約掲げて票を取れると思ってるのか、伊井野」

 

 突如として現れた白銀御行が呆れたように言うと、嘲笑は止んで皆は彼の一挙手一投足に注目し始める。それと同時に質問に共感を覚えたのもそうだった。

 伊井野ミコは馬鹿ではないのに、なぜこのようなアホらしい公約で戦おうとするのか。親しい友人がそんなにいない彼女の内面は謎に包まれており、真意を知る事は叶わないと思われていたが、ここに来てようやく白銀がメスを入れてくれるようだ。

 そんな好奇心も少しあって、会場は聞き入る体勢に自然と入っていった。

 

「アホ……らしい……?」

「アホらしいだろ今の時代に強制坊主とか。みんな嫌がってると思うぞ」

「だからそれは……」

 

 みんな、という言葉に伊井野は“みんな”の方を向いた。

 冷たい光の宿った幾対もの瞳が、無遠慮にこちらを刺し貫いてくるのは相変わらずで、思わず肩を竦めて顔には恐怖の色を濃くする。

 

「反論があるなら俺の目を見て言う事だ」

「私が言いたいのは……!」

 

 

「ん。言ってみ」

 

 彼女が次に顔を上げたとき、目の前にあったのは冷たい光でもなく、嘲る目線でもなく、真っすぐに受け止めようという温かく誠意に満ちた白銀御行の顔だけであった。

 

「この公約は全然アホらしくなんかありません!」

 

 

 

 

 ◇

 

「さすが御行くん」

 

 一瞬で変わった空気に美城は賞賛の声をあげた。自分が勝負に勝つためと言って諦めた物を、彼は見事にすくい上げたからである。

 凛然、毅然、この世のあらゆる背筋を伸ばした言葉が似合いそうな伊井野ミコが、忌々しさすら取り戻してはっきりと物を言い放つ姿は、きっと自分がやりたかった戦いであると思えば少し嫉妬のような気持ちさえ抱いてしまう。

 

「おいおい。こんなの予定にないぞ」

 

 美城の隣にいる本郷は困惑そのものの表情で言った。

 確かに予定にない事だが、しかし盛り上がり始めた壇上二人の討論を予定にはめ込もうとするのは、何とも愚かであるに違いないし、さらに空気の読めない奴と責められる恐れすらある。

 なら、どうするのが最も本郷勇人という男を勝たせるために必要か。

 

 

「勇人。あなたも行きましょう」

「行くって……」

「もちろんあの二人の真ん中に割って入ってさらには意見も真っ二つに割ってさし上げるのです」

 

 正に空気を読むしかない。盛り上がる渦中に飛び込んで引っ掻き回し、あの二人よりも痛烈な印象を残さなければ、おそらく彼の勝機はないだろう。

 いままで生徒間での盛り上がりに頼って支持率を伸ばしてきた、つまり空気という物に頼って戦いを演じてきた本郷にとって、何と皮肉な事が今日このときに起こるのだろう。

 

「何言ってるんだ美城。ルールに無い事をしたあっちに合わせてやる必要はないだろ」

「いえ。あります」

「なに?」

「一年生と二年生の学年一位を論理で打ち負かしたとなれば、少なくとも弁舌においてこの学園一の人となれるからです。その印象は当然投票にも優位に働きますよ」

「けどな……」

「けども何もありません。こういうのは流れですから。と言うよりも、この盛り上がりの後に演説をするつもりですか? 誰が聞いてくれましょう?」

「……確かにそれはある……けど」

 

 なおも渋る様子の本郷に、美城は笑顔をチラッと向けてその手を取った。

 あっと驚く表情に変わった事も確かめず、美城の足は白熱の討論が行われている壇上に迷うことなく向かっていた。

 

 

 

「今こそ! 風紀ある秀知院というイメージ改革が求められているのです!」

「坊主が有効なデータは?」

「ありま……え?」

 

 これまで意気揚々と演説を撃っていた伊井野の声がはたと止まる。今目の前で議論を戦わせていた白銀とは異なる声が聞こえて来たからだ。

 

「五条先輩?」

「坊主頭が有効なデータをもちろん伊井野さんはお持ちですよね。どのように我々の利益に寄与するのでしょう」

 

 しれっと議論に参加してきたのは、ルールを守っているのに風紀委員の頭を悩ませて仕方ない五条美城だった。

 

「もちろん私の思い付きなどではありません。……というよりなんで上がって来てるんですか。申し訳ありませんが今は立候補者の演説ですよ」

「そうですね。だとしたら、あと一人足りないとは思いませんか?」

「一人……?」

 

「ほら、勇人。行ってらっしゃい」

 

 突然の乱入者として皆の視線を向けられていた美城は、ライトのギリギリ当たらない場所に待機させていた本郷を掴んで伊井野と白銀両名の議論真っ只中に放り込んだ。

 壇上ど真ん中に躍り出る羽目に合った本郷は、面食らいつつも努めて平静を装い、美城が求めたように議論に平然と参加する。

 

「えーっと、そうだな伊井野さん。坊主を強要してもそれが俺達の利益に繋がるとは思えないけど?」

「ではまずお聞きしますが、本郷先輩のその髪はどれほどの時間をかけてセットされてますか」

「は? これかい? そうだね、まあ十分二十分くらい……」

「坊主頭になればその手間から解放されます。似たようなケースを導入した学校では遅刻者が減ったそうです。むしろ本郷先輩のような方こそ、この校則によって利益を得る人ではないかと思いますが」

 

(ああ、ダメですね)

 一瞬で美城はそう思った。

 本郷の立場で言えば、伊井野の理論の脆弱性を突いて自らの思考の優れたる所をアピールしなければならないのに、逆に相手の理論の補強を手伝う事になっている。これがただの会話であれば、相手を立たせてあげる事も会話術の一つとして受け入れられるが、事議論の場となると、軟弱な印象は否めない。

 

 その後、予定を三十分越えて討論会は行われたが、この会話以上に本郷勇人という立候補者が目立つ事は無かった。

 主役は白銀御行と伊井野ミコの二人に絞られる。

 選挙戦の全てが集約した壇上において存在感を失うという事は、つまり選挙において忘れられたも同義で、あれほどまでに不利を叫ばれた伊井野ミコは一挙手一投足ごとに確固たる理念と論理を元に輝きを増していくかのようだった。

 

 

 

 

……

 

 

「惜しかったなぁあ! 俺お前に入れたのによー!」

「同じ一年なのにあの会長に一歩も引かずカッコよかったです!」

「来年もあるんだ切り替えていけよ!」

「ぼく、伊井野さんがそこまで学校のこと考えてるって思ってなかったよ」

 

「みこちゃん、よかったよぉ~」

「えっ、こばちゃん何で泣いてるの!?」

 

 

 

「まあ、白銀会長には当然及びませんでしたけど」

 

 早坂愛はそう言って選挙を締めくくると、手元のスマホに視線を落とした。

 彼女の言う通りに選挙の結果事態は何ら驚く所のない『白銀御行二期連続当選』という結果に落ち着いた。それが確定したのはほんの十分前の事だ。

 

「じゃあその会長はどうして私の所に見舞いに来ないのかしら」

 

 そしてほんの十分前に表には出さないが歓喜していた四宮かぐやは保健室のベッドで横になりつつ従者に文句を垂れた。その視線に責める所があるのは、早坂に縋っているかぐやを藤原千花に見られまいと突き飛ばした自分のせいである事は重々承知しているが、早坂自身は開き直ったかのようにいつもの調子だった。

 

「まあ選挙の後片付けが生徒会長の初仕事ですし」

「分かってますけど、それでも!」

「もうそろそろ終わる頃ですから、しっかりしてください」

「もしかして会長……私を生徒会に入れるつもりは無いんじゃ……」

「ホント体調にメンタル左右される人ですね。何がそんなに不安なんですか」

 

 顔をあげた早坂が碧眼にやたらと落ち込んだ主人を収めると、いまいち理解し難い精神状態にあるかぐやに言葉を投げかける。ずーん、と沈んだ状態のままでかぐやは訥々としゃべり始めた。

 

「だって私こんな性格じゃない……。他の立候補を裏で蹴落とそうとしていた事に会長は気付いたのかもしれない。いくつかの運動部を丸め込んで票集めしていた事も、選挙管理委員が既に私の傀儡だって事も、もしかしてバレてるんじゃ!!」

「確かにみぃへの投票日まで選挙活動禁止令は露骨でしたね。表でのリスクを嫌って裏でカードを切るかぐや様にしては、今回は前に出過ぎと言いますか……」

「何よその言い方! そんな事をする必要に迫られたのはあなたの恋人のせいでしょう!」

 

 確かに。

 責められているが『恋人』という響きに気を良くした早坂は穏やかな気持ちでかぐやの言葉を聞き入れる。

 

「本郷なんて彼がいなかったら最初の接触で蹴落とせていたんですから!」

「そうですね」

「……そんな発想しか出来ない、汚い手段に頼る最低な女。そんな人間生徒会から外しても……はっ!」

「? いかがされました」

「もしかして会長……五条くんを引き入れるつもりなんじゃ」

「それはまた突飛な発想ですね」

「突飛!? 何がそう外れた物ですか! 会長と五条くんはどんな他人にであっても手を差し伸べるような性根の似ている同士。おまけに彼は可愛くて親しみやすい性格をしてる……だからって私を外すのは無いでしょう! あんまりだわ!」

 

 癇癪とは違うが忙しない感情の動きを見せ始めたかぐやに対して早坂は『見』に回った。

 

「第一、私達がかき集めた票をフイにしかねない行動をして……これって私の頑張りなんてどうでもいいから出来る事でしょ!?」

「不安がるのも結構ですが、かぐや様は応援演説までしたんですよ? そこまでさせた人を生徒会に入れないほど白銀会長という人は薄情でしたか?」

「そこまでは言ってない! けど、見たでしょう」

「何をですか」

「今回の伊井野さんの件よ。会長は誰にでも優しくて、誰にでも救いの手を差し伸べるの。私が特別なんじゃない」

「はあ……」

 

 傍目から見ると何て馬鹿馬鹿しいと思うのだが、かぐやは本気でそう思っているのが、早坂には面倒でもあり、じれったくていじましく、何より可愛らしいと思う。

 そんな訳ない、と言うのは簡単だが、というより過去に何度も言っているが、結局のところ四宮かぐやが納得しなければいけない。だから何度も言ってるから納得してほしいが。

 

「では白銀会長がかぐや様だけを見るようになれば満足なのですか」

「それは当然でしょう。そんな感じの態度であちらが告白してきたなら、まあ考えてあげなくもありませんけど」

「だから長い恋愛頭脳戦(笑)が続くんですね……」

「何か言った?」

「いえ、何も。しかしですね、他の誰にも目を向けない、困っていても、頼られても、泣きつかれたって他者を顧みない会長はどう思われますか」

「意味のない仮定ね。そんなの会長じゃないわ」

「そうです。そんな事を考えられないくらい、会長と優しさは不可分なんです。これはもうそんな人を好きになった私たちのような人間が抱えるジレンマですよ。諦めてください」

「五条くんも頼られたからって全力でしたからね……って何しれっと私が会長の事を好きだと捏造してるの!」

「違うんですか」

「違います!」

 

 カラッ。

 才女とは思えないような言い争いをしている間でも、研ぎ澄まされた感覚を持つ早坂は確かに扉が動く音を聞いた。入って来た人物が男子であると足音で分かる。ちなみに美城の足音は聞いても男子か女子かいまだに分からない。

 

「色々と言いたい事があるようですが、それなら本人に直接仰ってください」

 

 まだ気が付いていないかぐやにそっと耳打ちすると、開いた窓から身を翻して外に出た。顔に差し込んだ夕日に一瞬目を細めると、室内から見えない程度で声が良く聞こえる位置に移動する。

 

「四宮、加減はどうだ」

 

 保健室に入って来た男子は、これは扉が開いた瞬間から確信していた事だが白銀御行だった。彼らしく気遣う言葉からそろりと慎重に会話を始めて行くが、かぐやは先ほどまで怒ってた手前なのか、もぞもぞとシーツの衣擦れ音をさせてベッドに埋もれてしまう。

 それを見ると『怒っているのか?』と慌てたような声が聞こえて来た。

 

「これ自体が特別扱いされているって、どうして分からないんでしょうかね」

 

 やはりこれも岡目八目という事なのだろうか。確かに白銀は誠実で心優しい人間である事に間違いないが、かといってここまでするのはかぐやくらいの物である。

 恋愛頭脳戦など取っ払えばすぐに気が付きそうなものを、いまだに分からないのは彼女が身に着けてしまいつつある愚かしさと、そして愛おしさであった。

 単純に言ってしまえば恋をすれば馬鹿になる、という俗説に集約される。

 

 室内で行われる一幕に耳を傾けている早坂の微笑ましさゲージが最大まで行きついたころ、ふと視界の端っこに真っ白い物が映りこんだ。

 そっと目線だけ向けると、今回の選挙をありがたくない事に混乱させてくれた五条美城が歩いていた。

 あっ、と小さく声が漏れるのと、美城の様子がおかしい事に気が付いたのは同時だった。

 いつも背筋をピンと伸ばして歩いている彼がどこか元気のない様子だ。とはいえ、気が付くのはいつも彼を見ていて相当に目ざとい者に限られるだろう。

 つまり早坂の事だった。

 

「みぃ」

 

 保健室の窓際から離れて今は誰もいない旧校舎の方に入って行く美城を追いかけながら、彼女は短い彼のあだ名を呼び掛けた。

 気が付いてないのか、振り返る事はおろか体のどこかを一瞬でも止める素振りすら見せない彼に、少しだけいら立ちを覚えながら今度は少し大きく呼び掛けた。

 

「みぃー」

 

 再びの呼びかけに今度は気が付くだろうと、早坂は廊下の曲がり角から窺うように顔を出して彼が振り返る所を待っていた。

 今まで接してきた彼なら絶対に気が付くはずだという確信があったからだ。きっと振り返ってくすくすと笑いながら話しかけてくるはずである。

 

「……?」

 

 ところが今の美城は普段通りではないらしい。

 早坂の呼びかけを華麗にスルーすると、もぬけの殻な多目的室に静かにその身を滑り込ませた。

 その様子に何か尋常でない物を感じると、同じように扉を開けて彼の後を追う。ぱたん、と軽く物が倒れたような音がしたのと同時に早坂は空き教室に足を踏み入れた。

 音のした方を向くと、季節外れの雪が床に散らばっていた。

 

「みぃ!? どうかしましたか?」

 

 それは冬の精霊と言われても信じてしまいそうな美城の真っ白な髪で、彼が倒れていると一瞬遅れて判断した早坂は慌てて駆けより呼び掛ける。うつ伏せになった彼を仰向けに起こすと、少しばかり呻くような苦しそうな声が零れ落ちた。

 

「熱中症? でも顔は白いのに……」

 

 簡単な治療の手ほどきを受けている経験から検診を始めた早坂は、まず真っ先に日に弱くて熱にも弱そうな彼の状態をそう判断するが、すぐに否定した。

 体温は平熱であるし、仮に色素がない彼がそういう症状になれば、茹でたタコだかエビのように真っ赤になっているに違いないのにそんな様子は見られない。

 じゃあ何が……と頬に触れた所で指先に肌とは違う感触を覚える。さらりとした指触りは女性なら馴染みが深い物だ。

 ファンデーションである。

 

「治療のためですから」

 

 五条の子供が塗るとなると相当に高い物なのだろうが、彼自身には変えられない。メイク落としはあいにく持っていないので、とりあえずハンカチで優しく拭ってあげた。四宮に連なる早坂が持っているハンカチも相当に高い物だったが、一切彼女は気にしていない。

 そして露わになった肌に、早坂は小さく息を呑んだ。

 痛々しい程に真っ赤になった顔に、ところどころ火傷したように水膨れが出来ている。常人がすればのっぺりとしそうな程のエグめに塗られたファンデーションが全てを覆い隠していたようだ。

 

「何でこんな……」

 

 こんな怪我をするような事があっただろうか。早坂はここ最近の美城の行動について振り返る。……と、すぐに思い当たる。恐らく全校生徒に聞いても思い当たっただろうが。

 一般的に秋と呼ばれる季節でも、無遠慮に照りつける太陽の下、本郷勇人の隣で日傘などの影に隠すことなく笑顔を振りまいていた事だ。

 おまけにそれが出来なくなってからは野球部やサッカー部に手伝いと言う名目でグラウンドを駆け回り、一層日の光を元気に浴びていた事は記憶に新しい。

 

 何時からこうなのか、正確な所は早坂の目をもってしても分からなかったが、少なくとも昨日今日出来た痕ではない事は確かである。

 

「……バカですよ。こんなになるまで頑張る必要が、本郷という人間のどこにあったんですか」

 

 日に焼ける、という表現で収まらない、正に火傷の様相を呈した美城の頬をそうっと撫でると、怒っている自分がいる事と、そして度し難い事にそこまで頑張る彼に対して好感を持つ自分がいる事に早坂自身呆れてしまう。

 

「みぃ」

 

 さらりと白髪を持ち上げると、前髪に覆われた額はマシなようで彼本来の肌の白さを放っていた。

 

「よく頑張りましたね」

 

 痛々しくない額を撫でてあげながら、倒れこむまで献身を尽くした彼が、少しだけでも報われますようにと思う。

 美城を探していた鹿苑こがねが飛び込んでくるまでの僅かな間、早坂の膝の上には季節外れの雪が積もっていた。

 

 

 

 今回の勝敗  白銀陣営の勝利

 

 

 




 生徒会長選挙結果

 ❀白銀御行  287票

  伊井野ミコ 240票

  本郷勇人  33票

  無効票   40票

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。