あ、遅ればせながら十万UAありがとうございます!
頻度は落ちますが、更新はしていく所存ですのでお付き合いくだされば嬉しいです。
四宮別邸から少し北に行った所には、東京に詳しくない人でも知っているだろう高級住宅街・白金がある。都会のど真ん中にありながら、高台にあるという立地のせいでどこか喧騒から切り離されたようなほどよい静けさが特徴だ。
五条美城の住まう五条家の邸宅は、彼の見た目の静謐さにも似ている街に居を構えている。
そんなもの静かな街に似つかわしくないような、金髪に青いネイルとネックレス等と言う騒がしい恰好の少女が、大きな屋敷の前で立ち尽くしていた。
私の事なんですけど。
立ち尽くすばかりでは埒が明かないとインターホンを押してみると、すぐに女性の声が聞こえてきた。
『はい』
「あの……早坂です。秀知院の」
『ようこそお越しくださいました。美城のご学友の早坂様ですね。ただいま表に出られない五条美城に代わり歓迎いたします』
短く言うと、目の前の重そうな鉄門扉がゆっくりと開いていく。
中にあったのは、そのまま洋画の撮影にでも使えそうな立派な白亜の城だった。
明治の時代、西洋建築を学んだ当時の五条家当主が実験も兼ねて建てたそうだが、正直日本にこんな城があるという事に違和感を覚える。けど美城が住んでいると思うとこれ以上ふさわしい建物は無いだろう。日の光を浴びて輝く佇まいを見ながら、私は彼と五条邸を重ね合わせた。
「お待たせいたしました」
黒髪に白い物が混ざり始めている初老に差し掛かったころの女性が、枯れない声を響かせて、折り目正しく礼をしながら恭しく口上を述べる姿を見つめると、大した用向きでもないのに手を煩わせた事を少し申し訳なくなってくる。これは完全に職業病だ。
そもそも、何でこんな事になっているのかと言うと……
……
「早坂さん。シロちゃんをお願いします」
「……は? どしたし書記ちゃん。急にかしこまって」
藤原千花はいつも私の理解の範疇に収まらない行動を起こす人間だけど、今日一番に会った時もそれは如何なく発揮された。
ぎゅっといきなり手を繋いできたかと思えば、急にそんなセリフを放ってくるのだから、訳の分からなさも一塩だ。こっちとしてはたまったものではない。
大体なんなのその口ぶりは。彼をお願いしますなんて母か恋人しか言えないセリフ筆頭を誰の許可得て……え、幼馴染だからいい? ……はい。
「え! 早坂さん知らないんですか?」
「なにが?」
「シロちゃんがお休みしている事ですよ」
「あ、そうなん? 昨日のラインじゃ頑張る的な事言ってたのになー」
シロちゃんという彼女が口にしたあだ名で何の事を言っているのかようやくわかった。美城が今日は休んでいる事について教えてくれているようだ。
もちろん知らないなんて嘘だけど。
昨日ばたんと倒れ込んだ彼の為に膝を貸していた現場にやって来たこがねが「美城様はしばらくお休みっす」というような事を言っていたから。
「シロちゃんってば選挙のために色々頑張ってたじゃないですか。昔からそうなんですけど、あんな風に頑張ったシロちゃんは体調崩してしばらく部屋から出てこれないんですよね~」
「へ……へぇ~。詳しいじゃん」
だからと言って無自覚幼馴染マウントにイラつかないという訳ではない。ちょっと後で美城の昔話教えて。
「今日からしばらく真面目にノートとってコピーまとめますから、早坂さん放課後に持って行ってくれませんか?」
「それはいいんだけど……てか今日からって。いつも真面目にやれしー」
「いやいや、私は優等生ですよ。学校では評価されない項目が強いだけです」
「な〇うみたいな事言ってる」
「とにかく、シロちゃんに渡すのは任せましたからね。彼女に来てもらったほうが嬉しいでしょうし」
そこまで言ったあたりでクラスメートから呼びかけられた書記ちゃんは『頼みますね』と言いたげに見つめて来て、小走りでB組に戻って行った。いいだなんて一言も言っていないのに、ずいぶんと勝手な事をのたまってくれる。
……いや行きたくないとは言ってないじゃないですか。
――
そんな事が今朝方起きたからだった。
美城が休んでいるという報はそこそこの規模の噂になって駆け巡ったようで、今までロクに話した事もないような人から彼への言伝をいくつか頼まれてしまった。書記ちゃんと会長がまとめたノートのコピー以外の荷物を受け取って頭が何だか重たい気がしてくるが、『会長の手作りノートを受け取るですって』と睨んでくる主人から私宛に届くストレスよりは軽い。コピーのコピーはあげたので多少は満足なされるだろう。
しかし満足されたからと言って甘くなるような人でもなく、お見舞いは三十分以内に済ませて帰ってくるようにとお達しを受けている。京都から来客があるために、呑気してる余裕がないからだ。
上記の事情を背負った私は、早々と用事を済ませてしまおうと行動に移した。
目的はこれです、と主張するようにノートのコピーと学園からの連絡事項のプリントを入れた袋を揺らして目の前で微笑む女性の顔を見る。
「みぃ……美城くんのお見舞いに来たんだけど」
あえて一つ、砕け過ぎた言い方をして頭の軽そうな女子高生を演じてみせると、絶対に表には出さないがそこそこに立場のある使用人であろう彼女の気を遣うレベルが急激に下がって行くのが分かった。そして同時に警戒度が上がっている事も。
だからといって怒る気にもならない。私だって『かぐやの見舞いに来たんスけど』とか言う男が来たら警戒するだろうし。
「それは美城も喜びます。ではどうぞ中に」
にこりと穏やかな表情は崩さないまま、荷物を持ちましょうかと言ってくるが、私が手ずから渡すのでと言えばそれ以上言わず、彼女は前を歩き始めた。
門から玄関まで敷き詰められたレンガの上を歩いていると、鮮やかなダリアが美しく花を広げている光景が目に入って来た。
道筋を彩る様に並べられた赤の花と、それに囲まれた青々とした芝が、庭に丁寧に手を加えられている事を物語っている。少なくとも、これを見て不快になる人間はいないだろう。四宮別邸の庭と比べるといささか地味な気もするが、五条家の質実剛健さと取ればらしいと言う物だ。
大きな玄関をくぐって中に入ると、広々と場所を取って下足場が設けてあった。外見は西洋の最先端だったとしても、造った当時の五条はどうしても靴で室内を歩き回られたくなかったようだ。
掃除などなど綺麗にする立場としては非常に理解できる。知らぬ間に踏んづけた虫の死骸から流れる緑色の体液が赤の絨毯に付いた時の憤懣たる気持ちたるや。
恐らく百年近く前の人物に謎の共感を覚えながら靴を脱いで室内履きを貸してもらうと、屋敷の中に控えていたメイドがそこにいるのが自然なように立っていて穏やかに挨拶を交わしてくる。
「ようこそおいでくださいました。主人の意に並び歓迎させていただきま……」
三十付近、アラサーとも言われるくらいの年齢の女性が顔を上げてこちらを見ると、何か言葉に詰まったように、ギリギリ失礼ではないくらいの口ごもりを見せた。
『?』と言いたい気持ちで、きょとんとした顔でメイドを見つめると彼女は何故か感心したように頷き出す。
「これが富の一極集中ちゃんですか……」
「はあ?」
はあ、だった。
「いえ、確かに美城様は美人でありますからご学友が美人である事に何ら驚く事はないのですが。類は友を呼ぶという究極の例です。千花ちゃんも美人だし眞妃ちゃんも美人だしこがねも美人だし、そういえば四宮の令嬢かぐやという人も相当な美人だそうですね。そこの所どうですか早坂さん」
「はあ」
再びはあ、だった。
「お客様の前で何を言っているのですかあなたは!」
「これは失礼しました。お許しくださいませ」
「いや、別にウチはいいんだけど……どうでも」
「ありがとうございます。寛容な奥方に恵まれた事、感謝の念に堪えません」
「はあっ!?」
ふふふ、とどこかからかうような物言いをしながら、メイドは何やらとんでもない事を言いだした。
本日三度のはあ、だった。語気強めの。
「な、何言ってるし!」
「ほうほう。まんざらでも無いご様子。良かったですね母さん。五条家の男系は何とか繋がっていきそうです」
「子供全員女の子の代があったから五条の男系は絶えて久しいですよ」
「知ってますよそんな事。我秀知院卒ぞ?」
「あなたねえ……」
何やら突然からかわれたかと思えば、目の前で漫才が繰り広げられていた。美城の精神面については理解し難い面が多々あるが、彼があんな感じになったのはこういう周りの人間がいたからか、と理解できるに十分の一幕な気がする。
「それで、みぃに……美城くんに会いたいんですけど」
「聞きましたか、みぃですよみぃ。美城様はあんなクッソ可愛い見た目をしておきながら恋人とドチャクソラブラブなんですよ。それは要様の口からしか早坂さんの名前が出てこないと言う物です」
「口を慎みなさい」
「えっ、いやです……」
「身内の恥を晒す前に」
「しかし彼女は身内になるので問題ないのでは? 私はそう愚考いたします。身内の恥を晒すのと、身内に恥を晒すでは天と地ほどの差がありますから。むしろ晒していきましょう。美城様の乳首を」
「主人の子息の恥部を晒そうとするのは止めなさい」
「死ぬほど綺麗なのに」
本人のあずかり知らぬ所で恥部を晒されようとしていた。というか外堀の埋まって行き方が凄い。出会って五秒でもう身内判定されている。
美城がどこまで『早坂愛』という人物の事を話しているか知らないが……ああ、そういえば彼に全く似ていない妹の要に姿を見られていた。恐らく彼女が何の気なしに話しているのだろう。このメイドを鑑みるに。
……あと私が黄光の部下だという事に、ママの学生時代の顛末から察しがついている五条静花という彼の母親の存在もある。
妹はまだいい。兄の恋人だと素朴に思っているだけなのだろうし。しかし、五条建設の……四宮が躍起になっても奪い取れない関東そこから以北の土木関連を掌握する組織の、ほとんどトップと言って差し支えない女性に睨まれているというのは……
急に帰りたくなってきた。というか早く帰ろう。
「早く会わせて欲しいんだけど?」
「これは失礼いたしました。美城様の部屋に案内させていただきます。……ただ」
「ただ?」
「引かないでくださいね」
「はあ」
そろそろ片手で数えきれなくなる四度目のはあ、だった。
……
………………
………………………………
広い天上にはシャンデリアが、そうでない廊下でも煌々と照らされた館内が嘘のような光景がそこにはあった。
正確に言うと、
今踏みしめる足元に一筋、そして閉じられた扉の一部にだけ施された蓄光塗料がこの闇の中で唯一の光である。
「まもる、インターホンが鳴ってたけど、お客様?」
いや、もう一つ閉じ込められた光がこの部屋には秘められているみたい。雑踏でも、そしてこんな暗闇でもスッと耳を貫くように響く綺麗な彼の声だ。
まもる、と言うのは迎えてくれた初老の女性かその娘のどちらかだろう。
「あの……」
「嫌に歯切れが悪いですね? もしかして、また何か余計な事を言って敦子さんに怒られた?」
どうやら娘の方みたいだ。初対面の人間にあんな事を言う人間が何を『まもる』のか甚だ疑問だけど。かぐや様との約束を守れていない私が言っても笑い話にもならないですが。
「……本当に何かやった? そうなら私からも言ってあげるけど」
黙っている私を、私と気が付かないまま美城は話しかけてくる。
その口調は丁寧だけど、どこか砕けた感じがあって、当然だけど私の知らない彼がここで長く時を過ごしてきたんだという事実がありありと目の前に浮かんでくるようだ。
まあ今は何も見えない真っ暗ですけど。
「いえ、美城様が気になさる事ではありません」
普段とは異なる美城の様子に面白くなった私は、少しだけからかってあげようかと彼女の声真似をやってみた。少しほわんとして呑気な声にちょっとだけ緊張感を載せると丁度いい感じで同じような声が出て来た。声帯が同じとか声優が同じとか、そんな言い回しが出来そうなくらい似ている。
「そうですか? ならいいけど」
かぐや様のように、ほぼ全ての感覚において一流の鋭敏さを持つ彼でも誤魔化せるくらいだ。メイドの仕事をあと腐れなく辞める事が出来たらセカンドキャリアにしてもいいかもしれない。
「で、どんなお客様が来ていました?」
「はい。ご学友の早坂愛という女性が訪ねて来られました」
「愛が?」
「用事があると言ってすぐお帰りになられましたが。ノートのコピーと学園からのプリントを持って来てくださったようです」
「四宮家で来客の準備でもあるのでしょうか」
厚い雲を見上げながら雨が降るでしょうか、と言うような気安さでさらっと美城は言った。
ええ。私もあまりにさらりと言われた物だから頷きを声に出して首肯したが、一瞬で嫌な汗が出てきた。
今、美城はあのメイドと話していると思っているはずなのに、何故こんな簡単に早坂と四宮の繋がりを明らかにするような事を言っているのだろうか。
普段から言いなれて……
「どうですか? 愛」
胸の内に少しの不信感が芽生え始めた所で、見透かすようにそんな声が闇の奥から響いて来た。からかう笑いが遅れてやって来たのを聞いて、私こそ彼にからかわれていたと思い知らされたのだった。
「いつから気付いてたんですか」
「最初……もっと言うと愛がノックした音で、ですけど」
「本当に何ですか。あなたの耳は地獄耳ですか?」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「嫌味として受け取ってください。表示法の観点から、含まれる成分を勘違いされたらこちらの責任ですので」
「それはがっかりです。せっかく愛に褒められたと思ったのに」
ふふっと小さく彼が笑う声がすると、闇の中にいつもの嫋やかに笑う美城を幻視する。
元気そうな声が聞こえたので一先ず安心という所だけど、そうなるともう一つ安心したい所ではある。
顔が見たいな。
……やっぱ今の無し。
乙女じゃん。
ちょっとでも彼の姿を見たい乙女じゃん。
卑しい女過ぎでは?
中山・芝・1841メートル・重馬場で行われる『卑しか杯』堂々の一番人気では?
私は冷静な部分で自分に言い聞かせついでに罵倒しておいた。
「いけませんね、お客様にお茶も出さないで立ちぼうけさせて。どうぞ座って……って、今は真っ暗にしてるんでしたね。」
ふと苦笑するような物言いで放たれた言葉に変な物を感じる。真っ暗という見てあからさまに分かる事をどうして思い出したみたいに言うのか。
青色とか緑色といった虹彩の色素の薄い人種は、茶色や黒の色素の濃い人種よりも暗所で夜目が利くと言うが、この場はそんなレベルではない。私だって青色の瞳で夜目が利くが、この部屋は真っ暗にしか見えないくらいだ。
疑問に思う私の横を小さな足音が通り過ぎると急に部屋が明るくなった。暗闇に慣れ切っていた目をぱちぱちと瞬かせると、美城がどうしてあんな口ぶりだったのかすぐさま理解した。
「申し訳ありません。お見苦しい恰好で」
グレーの絨毯の上でほっそりとした指をスイッチに這わせた彼は、真っ黒な遮光の布地を目の辺りに鉢巻のように巻き付けていたからだ。
「あ……いえ、別にそれは……」
見苦しくは無いが、それとは別に言葉に詰まる情感が彼の姿を見ていると溢れてくる。
雪のように、あるいは光のように真っ白な髪はいつも通り。だけど、その上から黒の帯を巻いて目を隠した姿には痛々しさすら感じる。
おまけに帯に覆われていない頬の辺りが焼けたように赤くなって、ローブのような全身を覆う服装の末端である指先も似たような赤みで塗られていた。
光に嫌われた天使の宗教画と言われれば信じてしまいそうな、不思議な神々しさと痛々しさにあるのが今の五条美城だった。
「ではお茶を用意させましょう。そちらの椅子に座ってください」
全身をしっかり覆っているが天衣のように軽そうなローブの袖をふわりと揺らして、部屋の真ん中にあるテーブルとイスのセットを指し示す。一瞬そちらに目線を送って確かめた私の一瞬の隙を突くように彼は何の迷いもない足取りでそちらに向かった。
「危な……!」
テーブルのほんの手前まで歩いて行った美城に慌てて声をかける、のだが、分かっているようにピタリと止まると、二脚あるうちの一つを引いて、
「愛、こちらに」
と言ってのけた。
気を揉んだのは何だったのか。心配させた事に対して口をついて出て来る言葉は、新鮮味も何もあった物ではないが私の本心だ。
「危ない事をしないでもらえますか?」
「そう怒らないでください。この家の事は扉の位置から部屋の広さ、廊下の幅から階段の数に置いてある家具まで全て覚えていますから」
その言葉に嘘は無い、と証明するように目の見えないまま私のために引いてくれた椅子の反対側に回ると、何食わぬ顔で腰を下ろした。火傷のように焼け付く頬が痛いのか、笑顔は大分ぎこちないけど。
「そう言う問題では無くて、目隠しした人間がフラフラ歩き回る姿は単純に危ないでしょう」
「ふふ、心配してくれるんですか?」
「つまらない怪我をされては困るという話です。私達はそれなりに長い期間仲良しで通ってますから、みぃがいないと困るんですよ」
怒った理由を他人に責任転嫁してしまった。
心配くらい素直にしても罰は当たらないと思うのに、変な所で素直になれないのは、これはもう完全にかぐや様のせいと言っても良いのでは。長らく一緒に過ごしている内に主人の悪癖が染みついてしまっている。
「あ……。そうそう、その事で愛に話があったんです」
「どの事ですか。目隠しした人が不用意に歩く事ですか、それとも赤く焼けた肌の事ですか」
「長らく私達が仲良し二人組である事についてです」
「何か問題でも?」
そうですよ。ただ実利を求めた打算的な関係から始まったけど優しさに絆された私が美城の事を好きになってきてけれどその気は無さそうなあなたにこの立場を利用してちょこちょこアピールしてるだけじゃないですか。
何だこの女!?(驚愕)
問題しかないじゃん……。
というよりこう列挙すると身近にいる面倒な人が一人思い浮かんで微妙な気分になる。頭恋愛頭脳戦かな? と言いつつ自分も同じ穴の狢だったということに。
「皆さんにそう思われている事は行動の副産物として覚悟はしていましたし、特に困った事もないので良いかなと思っていました。ですが、最初の目的から言ってしまうとどうも本流を外れた感は否めないと思いませんか」
絶対表に出せない焦りが私の内心を駆け回っている事はお構いなしに美城は訥々と語り始めた。
「……何が言いたいのですか?」
「そもそもこの関係を結ぼうとした切っ掛けは、私は眞妃様とかぐや様の仲を良化させたいという思惑が始まりですが」
「そうですね。そろそろ浮かれたカップルなら半年記念とか言って準備し出すくらいの期間が経ちましたけど」
「しかしですね」
「眞妃様に思惑を見抜かれてしまったので、もう別にカップルを装う理由は私の方に無くなってしまったという話です」
……
……はあ?
片手がいっぱいになった五度目のはあ、がそれ以上指折り数えられないみたいに私の頭をいっぱいにする。
装う理由がもう無い、とはどういう事か、私はいきなりバカになったのか、アホの類に身を堕したのか、彼みたいな目隠しを『考える』という部分に当てられたのか、全く分からなかった。
「どういう……」
「カップルを装って眞妃様とかぐや様の二人に丁度いい感じで架け橋となる腹積もりでしたでしょう? ところが言いたい事があるなら回りくどい事をしないで直接言いなさいと最近怒られてしまいまして、であるならば、もう私一人で物を申せばいいではありませんか? そこに他人を巻き込むのは勝手と言うものです」
「それだと……」
「あ、そうですね。口の堅い五条の誰それを口利きする約束がありましたね。ですが愛はもう十分こがねと仲良くなったでしょう。まあ少し口は硬くなるかもしれませんが、かと言って急に関係を捨てるような冷たい人間でもないので教えてくれるでしょう。それで一つ義理を果たしたという事に」
「ですが……」
「もしかしてボランティア部の事を気にしていますか? お気遣いありがとうございます。ですが愛が気にする必要はありませんよ。ただでさえ無い部費がもっと減る事になりますが、同好会という形で残す事はできますし、田沼くんがボランティアに興味があるような事を言っていたので、入ってきてもらえれば今まで通り続けられます。多忙な愛を無駄に縛り付けてしまった事、謝らせてください」
淀みなく流れてくる美城の言葉に、はっきりとした物を言えない私は、下手な子供の言い訳のような事を口走りながら何とか反論を試みようとする。
「このあたりが丁度いい潮時と言う物ではありませんか? 確かに私達の噂が予想より大きくなって学園に流布しましたが、とはいえ人の噂も七十五日、丁度文化祭の頃ですね。そのころには噂も熱も冷めているでしょう。愛のこれからの恋路を考えるなら、こんな女男が傍にいては邪魔ですから」
「そんな事……」
「もし文化祭に向けて、もしくはこれからの学園生活において恋人が欲しいと言うのならいくらでも任せてください。これまでの交流から、旧家に名家、一般家庭まで乙女ゲーム張りの男性陣を揃えてみせますから。仮初の恋人が剥がれたら、本物の友人としてお付き合いしましょう。そしてもちろん、友人としての助力は惜しみませんよ」
何とか反論を、の『何とか』の部分を考えている内に、美城は単純に決定事項を積み上げるようにこれからの展望を話し始めていた。彼の言う所はそこまで間違っていないと半年前の私なら思ったに違いないが、今の私は彼女ではない。
美城の言う言葉が冷たく聞こえるのは、投資で言う所の損切りに似ているからだろうか。早坂愛という少女の価値が、五条美城の色が付く事で落ちるなら早めに切り離そうという、とても冷静な判断だ。冷酷な四宮家の教育が根っこにある私は、それを正しいと思っているのも事実で、それが嫌になる。これに反論するには五条家跡取り以上の人がいますか? という事か、ただ単純に、あなたの事が好きだから離れたくありません、という感情の部分でしかない。
「失礼します。お茶の用意が出来ました」
「ご苦労様」
言い返せないまま鉛のような沈黙を口に詰め込んでいた私なんかお構いなしに、軽快なノックが部屋に響くと、それを主人らしく迎える美城に恭しく頭を垂れた、まもるとかいうメイドが入ってきて、彼女が押すカートに乗せた紅茶の香りが無遠慮なくらい鼻腔をくすぐった。
彼女は紅茶を淹れて私の前と美城の前に置き、目の見えない状態の主人に対して教えるよう手を取ってカップに触れさせた。
「言ってた物は?」
「こちらに」
「ありがとう」
「しかし美城様もおかしな事を申し付けなさります。過去を知らせるなら……」
「まもる?」
美城の言葉を受けて、カップに続いて封筒を触れさせると、先ほど玄関で一しきりこちらを困惑させたように淡々とふざけだすメイドだが、彼がたしなめるように名前を呼ぶと、きゅっと表情を引き締めて一礼したのち部屋から下がっていった。
美城らしくはないが、いずれ一名家の頂点に立つ男らしくはある。
「ではいただきましょう。恋人として席を共にする最後の機会ですね。そう思うと少し寂しい物があります」
言葉とは裏腹に冗談めいた微笑みは、和ませるために言ったのは間違いないんだろうけど、かえって彼にとって私との恋人としての付き合いはそれくらいの物だという証明で、らしくなく傷ついている自分がいた。
「そうそう。愛の置かれた立場を一方的に知っていて、私の置かれた立場を知られていないというのは誠意に欠けると考えたので、一つ面白くないお話に付き合ってくれませんか?」
「どういう事でしょう? 五条家の長男という立場に、何の面白くない話題があるんですか」
「それは私が五条家の跡取りでは無いからです」
さらりと自然な調子で話した言葉に、そうですかと一瞬流しそうになって、自分の精神状態を忘れそうになる程の爆弾に、慌てて集中のピントを彼に合わせる。
「何故……ですか?」
想像性も何もあった物では無い平凡な質問が私の口から飛び出した。確かに彼は軟弱呼ばわりされても仕方ない見た目をしているが、その才能に疑う所のない天才である。
定期テストではかぐや様や眞妃様と同点の二位につけ、投げて翔平蹴っては建英足の速さはサニブラウンと運動部員から褒められるほどだ。
「五条家の男子は皆現場に出させるのがしきたりなのですが、私は一日と外回りに出る事が出来ませんからね」
その言葉に何の反論も思い浮かびはしなかった。外に出続けて倒れ込み、こんな特殊な恰好で療養する美城を前にすれば、どんな慰めの言葉を言ったとしてもその人は嘘つきだろう。
「そしてもっと単純な事に、私は長時間働けないという、大企業のトップに必要な才能が無いという事です。地位を上り詰めるほど個人の自由が無くなる例は、愛の身近にもいらっしゃるでしょう?」
身近というより身内に。
四宮家当主・雁庵の右腕として働くママは仕事に忙殺されるばかりで、子供の私が言うとわがままに聞こえるけど、家庭人としての時間はゼロに等しい。
美城が単純な話と言った通り、高給取りは忙しいのが世の常だ。
「とまあそんな訳で、私は五条家の跡取り候補から生まれた時から外れているのですよ。きっと要のお婿さんが次代の五条当主でしょうね」
「……なるほど」
「どうです? 耳寄りな情報だったでしょう? 本当なら四宮につながる人間にこんな事を教えたりしないのですが、私の勝手に付き合ってくれた愛だから特別に教えたのですよ」
あなたが嫌いだから別れるのではない、という彼なりの誠意の見せ方かもしれない。事実、後継者問題というのは連綿と続く『家』において重要な課題であり、その伏せられたカードを見せてくれるのは確かに誠意ある行動かもしれないが。
ただ、それを教えられても今の私は全く嬉しくもなんともなかった。
「さて、愛も忙しいでしょうしお開きにいたしましょうか。そうそう、一つ資料を渡しておきますね。何で別れたんだ、と聞かれたら存分に私を悪者にしてください」
言葉が意味する所は正直分からなかったが、机の下で痛そうに手をさする美城を見れば、私の仕事が無かったとしても、彼の肉体的な理由から時間切れだという事は明らかだった。
言われた通りに渡された封筒を受け取ると、
「さようなら。早坂さん」
半年ぶりほどになる呼び方で呼ばれた。
名残惜しい気持ちが一気に逃げ出したい気持ちに変わって襲い掛かってくると、その気持ちのままに動いたのだろう、いつの間にか四宮別邸の自分の部屋でいつものエプロンドレスを着ていた。
主観としてはあまりにも唐突に自分の部屋に戻っているので、これが夢ではないかと疑う程で……
「早坂?」
次に瞬きして目の前を検めると、珍しく気遣わしげなかぐや様が私の目を真っすぐに見つめてきている。
「どうかしたの? 今日はずいぶん上の空みたいな感じだったけど」
「あ……、申し訳ありません。何かご迷惑をかけてしまいましたか?」
「いえ。仕事自体は完璧でしたけど、あなたらしい機転はなかったわね。何でしたっけ……同じ文言を繰りかえすアレ……」
「BOTですか?」
「そうそれ。ま、今日の客人は話すのが嫌いな様子でしたから、多弁でも困りましたけど」
失態、の二文字で済む問題だろうか。全くといって良い程覚えていないだなんて、私の長くもない歴史上初めての事で、どうしたらいいのか分からなくなっている。
「……ねえ。五条くんと何かあった?」
言葉に窮しているとかぐや様は突然そう言った。
何かとは何ですか?
彼女の深慮遠謀を溶かし込んだ黒混じりの赤いルビーの瞳を見つめ返しながら、心配を掛けないように平然と言い返そうと思って一瞬目を閉じてすぐに開くと、また私の部屋に舞い戻って来ていた。今度はパジャマ姿で。
やはり今までの事は夢?
ベッドに深く身を預け、ごろりと転がっていると、あまりに唐突な場面転換にそう思いたくなる。
右に左にベッドの上をごろごろしていると、すぐ傍のサイドテーブルに乱雑に放り投げられた紙に今更ながら気が付いた。私ならこうはしないだろうと、気になって三つ折りの紙を取り上げて身を起こしながら書かれた文面に目を落とす。
1くみのおともだち
あいはらこうや くん
いしだあかね ちゃん
……
……
可愛らしい丸い文字で大きく書かれたそれは、幼稚園の席順表だった。
小難しい書面と睨めっこする機会の方が多くなってきた自分としては、ひらがなばかりの文字列に苦労してしまったが、そのすぐ下にある名前は光っているようにいやに目を惹いた。
ごじょうみしろ くん
この紙が眞妃様が言っていた、幼稚園に一日しか出席できなかった美城の涙を誘う過去だと分かったが、しかしこれを渡した彼の意図は分からない私がいる。
紙面に目を滑らせていくと何の引っかかりも無いまま読み終えてしまった。……つまり、彼は何が言いたかったのだろう。
「引っかからない?」
……いや、それはおかしい。
そもそも彼の話によれば、幼少に見た私の金髪に見惚れて……という話ではなかったか。ならここに私の名前が無いと辻褄が合わない。もう一度名簿を読み返して、そしてやっと彼が『私を悪者にしても良い』と言った理由が分かった。
めありー・へんだーそん ちゃん (Mary Henderson)
一貫校の秀知院学園において私の知らない名前は無い。けど、このメアリーという少女だけは別だった。
嫌な予感に震えそうな指を意志の力でねじ伏せて調べてみれば、出て来たのは五条建設イギリス支部長、ダニエル・ヘンダーソンがパーティーに出席している家族写真が現れて、その中にメアリーという少女がいる。
エメラルドが輝くティアラを載せた、
がくりと無力感が押し寄せてきて、体を支える気力もなくなった私はそのままベッドに倒れ伏す。
そして思い出した。
帰って来てすぐ、私はあの封筒に入ったこれを見たんだ。同じように調べて、同じ様にショックを受けただろう。紙を折りたたむ一手間さえ忘れるくらいに。
悪者。
たしかに悪者だ。
対外的に、初恋の相手じゃ無かったからと別れを切り出すような男が悪者でなければ何なのだろう。今まで仲良く過ごしてきた、あの時間は何だったのだろう。
……けれど、美城は私と『本当の友人』として付き合おうと言ってくるあたり、少なくとも仲良く過ごした部分は嘘ではない。それが一層救われないけれど。
だからこそ苦しくて、私は現実から逃げる様に目を閉じた。
私は、彼の運命でも何でも無かったようだ。