五条美城は白サギ嬢   作:アランmk-2

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お久しぶりです。
今回の話は分けようかと思っていたのですが、たぶんそうすると投稿がもっと空きそうなので一話にギュッとまとめました。
美城ちゃん君の自分語り多めですがどうぞご覧ください


五条美城は天使と呼ばれて

「いいですよ」

 

 ……はい? と思った。

 

 確かに自分は、恋人になって、と目の前の人に言ったはずだ。

 

 早坂愛にとって告白とは、する物ではなくされる物としてこの世に存在していた。天として『告白する』があって、地として『告白される』がある。何しろ彼女は怜悧な青と鮮烈な金に彩られた美辞麗句そのもののような容姿をしており、かつ表向きは気さくな少女として振舞っているからだ。

 自分に過剰に自信が有る者からの物か、あるいは身の程知らずから、いずれにしろ告白というものに困ったことは無い。

 大体の男は早坂が告白でもしようものなら狂喜乱舞を演じるだろう。

 

 それをこの男は、五条美城は淡々と受け取ったのだ。はい? と思うのも当然のことだった。

 早坂愛という少女の十七年培ってきた内心の天地がひっくり返って、そして断らないという確信あっての物だが、一歩踏み出してできた告白の受け止められ方としては最悪と言ってもいい。

 

「あの……私が何と言ったか分かってますか?」

 

 五条美城という人が恋人に欲しいんです、と言った際の頬の赤みを残したまま、好意と期待の狭間に揺れるドキドキが、不安と予感のドキドキに変わることを自覚しつつ、早坂は目の前の人に聞いた。

 

「もちろんです。早坂さんは……いえ、また愛と呼んだほうがいいでしょうか? 私と恋人の関係に戻りたいと仰ってますが……」

「はい。それで?」

「私たち仲良しコンビの復活ということですね」

 

 やっぱり、分かっているようで分かってない。

 心地よい距離感だったとは言え、どこの恋する乙女が打算から生じる虚飾にまみれた関係性に戻りたいと願うのだろう。

 

「となると一言伝えておかなければならない人がいますね。こがねには仲直りしましたとメッセージを送っておきましょう。そういえば、今日もまもるに案内されましたか? さすがにしおらしかったでしょう。あんな風に接した愛でも、恋人でなければいち客人ですからね」

 

 すらすらと前もって用意している口上でも述べるような流暢さだった。

 早坂は何度目か分からない好意の肩透かしを食らった気分に陥ってがっくりと気分が萎えてしまいそうになる。

 しかし、のんきな目元は見えないが、口元がニコニコと朗らかな笑みを描いている美城を見ていると、変わらない態度にほっと胸をなでおろしそうになった。

 

(彼の性格から言って自分が言った約束を理由もなしに反故にするとは考えにくいし……だったらこの辺りが落としどころ……)

 

 美城に全くと言っていいほどこちらの好意が伝わっていなかった事は残念だが、それでも付き合うという形は得られたので、衝動的と計画的が半々で折り合いついたこの五条邸訪問は成功と言っていいだろう。

 早坂はそう自分を納得させようとして、

 

「愛に言われて考えてみましたが、確かに身近なカップル……私達はそういうテイですが……別れるようなことがあると恋愛自粛みたいな空気が生まれます。そうなると困るのはかぐや様と会長ですから、それは愛にとって困ることですね。私の配慮が足りませんでした」

 

 彼のどこまでもご主人本位な考え方に、これを成功とは到底言えない事は火を見るより明らかだった。

 別れたということに関しての心の痛め具合を言えば、美城と過去に付き合った告白しておきながらデート一回目で降った女どもより下だろう。早坂と別れたとて、彼が心を痛めたような節が一つでもあっただろうか。ない。

 これはなかなかに屈辱なことだ。

 早坂という宝石を掌から落としても平気な人間が、一山いくらの石くれがその手から転がり落ちる事の方が心を痛めるという、自分の女性としての自負をいたく傷つける事実が、目の前の男の内心には矛盾せず存在するのだ。

 

 何が足りない? 何が違う? その物珍しさに近づく短慮な女との別れは悲しんで、私との別れに全く心が揺れ動かないのは、どういった理由があって?

 

 再び付き合うことを認めさせた事実一つとって満足しようとした早坂は、このような自意識からとうてい今の結果で満足できそうもなかった。美城にとって『協力者A』であるだけの自分を認められるか。

 

 端的に言えば、私はあなたが好きだから、あなたも私を好きになって、というだけの事だった。

 しかし、その『だけ』というのが存外難しい。それが簡単なら世に失恋はないだろう。

 

「あの」

「はい。なんでしょうか?」

 

 早坂が呼べば、美城はすぐさま声の方を向いた。彼の頬に刻まれていた火傷ならぬ日傷がマシになったのか、変わらず向けられるだけで特別な人間になったと錯覚させるほどの微笑みが彩る顔で、である。

 黒の覆いが目元に巻き付けられた状態の彼に、あの麗しき赤い瞳がこちらを射抜いてこない事を残念に思いながら、ある意味では勝利を手中に収めつつも志を半ばしか成し遂げてない消化不良の気分で早坂は話しかけた。

 探りと皮肉を少しずつ込めて。

 

「どんな気分ですか? 六回目の告白は」

「そうですねえ……次のデートで愛がフッて来ないことを祈るしかありませんね」

「冗談が言えるなら大したこと無い、と言う事ですね。過去の女もそうだったんですか? 見かけによらず酷い男ですね」

「ひどいです。私だって人並に傷ついたんですから」

「そんな殊勝な心をしていましたっけ?」

「付き合ってという言葉に浮つく位には私だって男の子ですよ」

 

 なら全く浮ついた所のない今の態度はどういう事だ。

 早坂は少しの怒りを抱いて目の前の人をもう一度見つめなおす。

 

 やはり分からない……というのが正直な気分だった。彼の言葉を真正面から信じるなら、告白される事に相応の喜びを抱くようであるし、そしてフラれる事に人並に傷つくようである。

 では何が私と違うのでしょう? そこが彼女の中で争点だった。

 かつての恋人……と思うだけで嫉妬とも怒りともつかない感情が胸を騒がせるが無視して、努めて冷静に彼女たちと自分の何が違うのかと考える。

 好奇の目線で近づいて、彼の可憐さに自信を喪失してフるような無責任の徒に比べて自分が劣る部分と言えば……。

 

「あ」

「?」

 

 はっと気が付くと思わず声を漏らしていた。それが何の声か分からない美城はコテンと小首をかしげて不思議そうな表情を口元に浮かべた。かわいいが今はそれどころではない。

 簡単な事だった。

 

 早坂はきちんと美城に『好きだ』と伝えていないのだ。

 

 夢の跡になった元カノがどんな告白をしたのか知らないし知りたくもないが、少なくとも好意があると伝えたのだろう。

 対して自分の告白はどうだ。

 確かに『恋人になって』と言えば、普通は好きだと思われるだろうが、しかし早坂と美城の数日前までの関係性は、表向きには恋人で裏側は協力者という普通の関係ではない。それを前提によりを戻すとなれば、好意としての言葉でなく協力者として手を結びたいと受け取られても仕方がなかった。

 

(……仕方がないって程じゃないでしょう! あんまりです!)

 

 早坂は数日前の主人と同じように憤った。

 

 つまるところ美城は、早坂が自分に好意を抱くなどと欠片も思っていないのだから、彼の残した言葉尻に乗って恋人の座に収まろうとすれば、恋愛の結実としてその座に座った者と異なる果実が与えられるのは明らかである。

 美城は元カノ達に対しては心を耕して甘酸っぱいイチゴだったり真っ赤なバラだったりを捧げようとしただろうが、たぶん早坂に対しては米を捧げている気持ちだろうか。捧げるというより納める気持ちかもしれない。米は単位面積当たりの収穫量が多いので実利の作物だった。

 早坂のために心を割いても、そこにロマンチックなあれそれが芽生えないのは当然というか。田んぼにバラは咲かないのだから。

 

「あの……ですね……」

「はい」

 

 それが嫌なら言葉にして伝えなければ始まらない。

 私があなたに求めるのは実利とか良いビジネスとかではなく、ただ愛してくれる事だ、と。

 

「うぅ……」

 

 さっさと告白してください、とは何度もかぐやに思った事だったが、いざ自分がその立場に置かれると途端に臆病な面が顔を覗かせて、好きですの四文字がなかなか出てきてくれそうになかった。

 

「何か言いたい事があるんですか? いつまでも待ちますから、ゆっくりでいいですよ」

 

 真っ赤になってうつむいて、泣きそうな瞳が彼に向けられているのに、目隠しをしているために何も見えない美城はどこか呑気な口調で早坂に語りかけた。とはいえ仮に見えていたとしても同じように早坂にゆっくりと話しかけただろう。

 そのやさしさが心を軽くしたようで、早坂は、ようやくある言葉を口にした。

 

 

「好きです」

 

 

 ……言えた。

 

 それは時間にして一秒にも満たない短さでありながら、早坂愛という少女の万感の思いが込められた一言だった。

 

「はい。私も愛の事は好ましく思っていますよ」

 

 美城は当たり前のようにそれを受け止めて、当たり前のようにそう言った。

 予定調和のように響いた声に、早坂はもはや動じる事はなかった。彼の事を考えれば、これは当然の言葉だからだ。真っすぐで素直な人間であるということは、感情を差しはさまなければ予想しやすいという事でもある。

 美城は好きと言えば好きと返してくる人間だ。

 

「みぃが思っているよりも、です」

「……それは、えっと、つまり」

「つまり、打算など無い普通の恋人になって欲しいんです。そういった意味での好きですよ」

 

 美城は相手の望む物をつぶさに感じ取り、そしてそれを叶えようとする人である事を、早坂は痛いほど知っている。

 気恥ずかしさと共に、達成感で満たされていた。知っている限りであるなら、それと幼馴染の眞妃の言葉を借りれば『付き合いたいと言うこの人に応えてあげたい』と考える彼が、自分の告白を断る道理はどこにも存在しないからだ。

 

「あの……愛の言葉は、とても嬉しく思います」

「はい」

「しかし言わせていただきますが、五条美城という人間は付き合うにおすすめできる人間ではありませんよ?」

 

 ……。

 一拍おいて、

 

「え」

 

 と短く漏らした早坂は、信じられない物を見る目で目の前を睨んだ。

 

「ど……どうしてそんなことを言うんですか?」

「まずこの見た目ですよ。自分で言うのもなんですが、女の子みたいな……というよりその物な見た目をしていますでしょう? ですが私はこんな見た目でも男なんです。女の子として好きになられてしまうと……その、同性愛を否定するわけではないのですが、私は異性愛者なので困るといいますか」

「私もそうだから安心してください」

 

 問題に違いないのだろうが、深刻な顔をして私は男ですと言う美城が少しおかしく見えて、早坂は彼に対しての厳しい目線を解いた。こればかりは他人には分からない悩みだろうし。

 

「少なくとも私はみぃの事を女の子として扱った事はありません。で、他にも何か理由がありますか?」

「ええ。今までは恋人の皮をかぶった協力者という形で隣に立たせていただきましたが、正式に恋人となると発展性がないと言いますか」

「つまり?」

「私は四条の下、愛は四宮の下で生きるどうし、上手くいくはずがありません」

「う……」

 

 家の事を持ち出されると早坂も言葉に詰まるしかなかった。

 

「そもそもどうして私などを恋人にしたいのですか? 愛ほどの女性なら、他に素敵な男性がいくらでもいるでしょう?」

 

 彼女の口が固まった事を察した美城は、攻守を変えるように素早く質問を投げかけ返す。

どんな女性の美点も認める彼であるが、その中でも早坂愛はそれを探す事に何ら苦労しない素晴らしい女性である。こんな女男に執心になる必要などないはずだ。

 

「など、なんて言わないでください。好きな人をけなされるような事を言われれば、私だって腹が立ちますから」

「……それは、申し訳ありません。ですが何故なんですか。どうして私を……」

 

「あなたが臆病と優しさをはき違えるような人ではなくて、行動で優しさを示す人だからです。みぃ……いえ、美城。あなたは好きでやっている事かもしれませんが、少なくともここに一人、救われた人がいます。その優しさを一番近くで見ていたいから、恋人なんてものになりたいんですよ」

 

 欲を言えば独り占めしたいんですけど。そうも言いたかったが早坂は少しだけかっこつける事にした。

 真っすぐな言葉に、美城は言葉を失ったようで桜色の唇をきゅっとすぼめた。相変わらず目隠しはしたままだが、早坂がサファイアの瞳で見つめてきている事を肌で感じている。

 

「……答えを聞いていいですか……?」

 

 眞妃の言っていたような楽観論は消えてしまった。だからと言って恋を引っ込めるほど人間ができていないのだから、出来る事はせめて可愛らしく差し出した恋心を受け取って欲しいと望むだけだ。

 

「優しい……ですか」

 

 常日頃、陰の感情を母のお腹に忘れたかのように明るい表情の美城だが、ぽつりとつぶやいた言葉には少し影が落ちているように聞こえる。

 

「私は優しくなんてありませんよ」

 

 心中を吐露するように吐き出されたそれを、一旦は飲み込もうとしたが、どうにもいままで共に過ごしてきた彼の印象とそぐわず、消化不良を起こしたように腑に落ちてこなかった。

 

「どういう事ですか?」

 

 転校してからこっち、誰に対しても上から出る事はなく、あまつさえボランティア部なんて物を作りあらゆる手伝いをしてきた美城が優しくなければ、この世の大体の人は極悪人だ。そんな思いを抱きながら早坂は聞き返す。

 

「私はただ、他の人に私より凄い人になって欲しいだけで、私欲の大いに含んだ行いを優しいと勘違いされたくはありません」

「……よく分かりませんが、それは教育者のような目線なだけじゃないでしょうか。他人が成長する様を喜ぶ教師は優しくないと言われれば、ほとんどの人は首を横にふりますよ」

「そうではなくてですね……」

 

 美城は頭に浮かんだ物事を簡潔にまとめようと二度三度頭を振ったが、どうやらまとまりきらなかったようで、諦めたように息を吐いた。

 

「幻想を抱かれても困るので、私の内心の成り立ちについて、少し話してもいいですか?」

 

 つまり過剰に見えるほどの四条姉弟への敬意だったり、早坂が『この程度の人』と思って切り捨てるような人間でも成長に心を砕く所だったり、勝つ事よりも負ける事に喜びを覚えるような不思議な感性を持つに至った経緯というわけだろう。

 

「聞かせてください」

 

 もとより彼の事についてなら何でも知りたかった早坂である。向こうから話してくれるなら願ったり叶ったりといった所だ。

 

「……語りだしから少し自意識過剰で恥ずかしくはありますが……」

「それくらいで冷めたりしない想いでここに来てます」

「では、そうですね……」

 

 

「天使と呼ばれた事はありますか?」

 

 美城の独白はそんな大それた言葉から始まった。

 

「あなたがそう呼ばれる事は不思議でも何でもないと思いますが」

 

 本人は自意識過剰と言ったが、早坂はなんて正しく人を評したのだろうと思うのでマイナスの感情は起こりえない。明日からそう呼んであげてもいいくらいだ。

 

「ふふ、ありがとうございます。そんなことを親族一同も思ってくださったのでしょう。『天使だ』『天使だ』と誉めそやされるうちに、自分は天使として生を受けたのでは、と素朴に思うようになる勘違い男が生まれてしまいましたが」

「卑下するよりはよっぽど良い生き方と思いますが」

 

 少なくとも身内に裏切りの使者を送り込むよりは健全である。

 

「私は物心ついたころから大体の事は何でもできました。お話ししてと言われたので言葉をすぐに覚えましたし、母が弾いていたピアノを真似て弾くと褒められました。父が祖父と指していた将棋を横から口出しして勝利に導いた事もありましたっけ。とまあかわいげのない幼少期を過ごしてきた訳ですが」

「ですが?」

「さてここで問題です。天使の役目とはいったい何でしょうか?」

「え? えっと……」

 

 すらすらと流れていた話の水が急に自分の方に向けられたので、少し驚きつつも早坂は考えることにした。

 天使と言えば四大天使の長ミカエルが有名だが、彼が成した事は天使を率いて悪魔と戦った事だろうか。つまり、

 

「悪魔と戦う事ですか?」

「う~ん。それも一つですね。では何故天使はそんなことをするのでしょう?」

「それは神が命じるからですよね。……あぁ、答えは神の命令に従う事ですか?」

「正解です。天使とは読んで字のごとく天に使われる者の事ですね」

「神学の授業を受けに来たつもりはさらさらありませんけど」

「すみません……ですが私の実感の話になるとこう言わざるを得ず……」

「いえ、話の腰を折ってしまいすみません。続きを」

 

 早坂は思ったよりも長くなりそうな話を前に居ずまいを正した。

 

「はい。それで話の続きですが、そんな幼稚な全能感を打ち砕く出来事がありました。私は、私の神に出会ったのです」

「……四条帝と四条眞妃の二人ですか?」

「その通りです。お話しすることも、演奏する腕も遊びでさえも何一つ敵わない事があるのだというのは当時の私には中々衝撃でしたね」

「そう思える情緒が育っている事が驚きですよ」

「ですから可愛くないでしょう?」

「見た目でおつりがくるくらいに可愛い気がないですね」

「誉め言葉と受け取っておきます。それで私はですが、母に聞いてみました。『お母さん、あの二人はだれ?』と。母は『四条家の帝くんと眞妃ちゃんよ。五条家の親会社の一家。仲良くしてあげてね』そう言いました。私は城のような家に住んでいる五条よりも偉い人がいるのだという事を初めて知りました。初めて知った『神』ですね」

「大げさな……」

「大げさではありませんよ。その時私は思ったのです。天使が神に仕えるなら、私は何に仕えるのでしょう。そうだ、目の前にいるこの双子の神に、天(四条家)に生を受けたこの二柱に私のすべてで仕える事が、生まれた理由なのだ、と」

 

 早坂は神話の朗読会にでも来たのかと我が耳を疑った。

 美城の言う、天使と呼ばれた事があるかという言葉は、こう言ってはアレだが子供のうちはよくある事だろう。(私は呼ばれた事ありませんけど)

 大抵の人間はそれを自分は特別な人間だと受け取るのだが、この五条美城はそうではなく、神に仕える人として自分はあると思い込んだようだ。

 だから自分より優れた四条姉弟を特別視する。早坂は少し理解した。納得できるかどうかは別。

 

「そう思ってからは楽でしたね。天使より神が偉いのは当たり前なのですから、私など帝様と眞妃様に敵うわけがないと」

「そんな事は……」

「少し大仰に話しすぎましたね。勝てないのは単純な事で、私が頑張るからお二方も負けじと頑張ったというだけの事ですよ。同じくらい頑張ったのなら、あとは才能の優劣で結果が変わりますよね」

 

 急に雲の上の話から地面に降りてきたのでびっくりした。そのおかげで何とか自分の世界と地続きの話と理解できたが。

 同じ努力をしたのなら、後は才能が物を言う。確かに早坂も、かぐやと同じくらい努力したとして同じ高みに行けるなどとは思わない。

 

「さて、私の世界はそんな風に完結していた訳ですが、それも長くは続きません。幼稚園に一日だけ行った頃でしょうか、妹の要が生まれたのもこの頃です。愛には言いましたよね? 私は体の弱さから五条家の跡取り候補から外されてしまったという話もこの頃でした。父や母は『家の事なんか考えなくていいよ』と言ってくれましたが、私は五条家を大きくすることが上に……四条家の役に立つ事だと思っていたのでショックでしたね」

「世の後継者があなたくらい真面目に考えるならよかったのに」

「真面目とは違いますよ。私に出来る限りで、一番帝様と眞妃様のお役に立てることは何だろうと考えた結果、国内にある五条家が大きくなれば良いと思ったに過ぎません。四条の他の国内企業に行くことがもっと役に立てる方法と思ったら、そちらに飛び込んで『後継者なんだから真面目に考えて』と言われていたでしょう」

「はあ」

 

 四条ありきで自分の進路を考えるというのは、確かに後継者として真面目ではないだろう。

 

「跡を継ぐという夢も、秀知院学園に通うという現実も、どちらもこの体質のせいで失った幼少の私に続いての転機が訪れます。一人で遊んだり勉強したりしている私を不憫に思ったのか、母は親戚の子たちを呼んでくれるようになりました。次期五条家当主候補のそろい踏みと言った所でしょうか。私はその中にお二方のような仕え甲斐のある人を探しました」

「四条帝の事は分かりかねますが、眞妃様は天才です。そうそう匹敵する人はいないでしょう」

「その通りです。帝様や眞妃様と遊ぶようにほかの人と遊べば、誰も私を乗り越えてはくれません。計算する、文字を書くような事にとどまらず、かけっこをしたり、楽器を弾いてもそうでした。どう贔屓目に見ても私が一番うまかったのです。それは小さい頃だけの話ではなく、彼らが小学校、中学校に行ってもそうでした。私が誰より物を知っていましたし、足は速かったですし、芸術面だって優れています。それが許しがたかったんですよ」

「許しがたいとは?」

「帝様のような優れた人が上に立つべきなのに、私程度を超えられないような人が将来は人の上に立つであろう事がです。何が天か、何が神か。この国の土木の頂に立とうという者が、たかが天使に遅れをとるな。……とまあそんな感じです」

 

 光のような柳眉を閃かせ、少し怒りを含んで言った天使という言葉に誇大な思い込みは何ら見受けられない。むしろ当然といった風だ。天に侍るに我在りという強烈な自負であろうか。実際、早坂の知る所では学園で彼が負けたのは白銀御行だけだ。お眼鏡にかなう天という事だろう。会長職にない時は様付けで呼んでいたほどであるし。

 

(ああ、だから会長は様をつけて呼ぶけど、柏木さんには様をつけないんですね)

 

 従者を自称する割には少し抜けているなと思っていたが、彼の内面を知れば納得できる部分はあった。轡を並べる友だと親しんでも、見上げるほどに彼が敬意を払うのは自分を負かした相手という事だ。

 

「ですが、他人の無能に怒っている割には無能な他人に優しいですよね?」

「無能だなんて……そんな事を言ってはいけませんよ」

「ほらそう言うじゃないですか。さっきまで自分に勝てない人に怒りも露わだった人とは思えません」

「しかしですね、それが下らないという事に気づかせてくれたのも彼らですから」

「下らない、ですか」

 

 無能は無能で使いどころがある駒である、そんな理論でさえ早坂の中には搭載されているが、そういう事ではなさそうだと美城の普段を見て思う。

 

「ある時にその親戚の子の一人が……仮にAくんとしておきましょう、彼が私に勉強を教えてくれと言ったんです。なんでも学年主席に勝ちたいという話だそうで」

「急にあなたらしい話になりましたね」

「私の原点の一つですから、これ以降の私が愛の思い浮かべる私でしょう」

「負けても平気という変態な性格の原点ですか?」

「その通りです。私は特に断る理由もありませんので、休みの日やAくんの学校が早く終わった日などに勉強を見てあげる事にしました。彼はとても頑張っていましたね。なんでも主席くんとは幼馴染だそうで、どうしても負けたくなかったそうです。さて、努力の甲斐あってAくんは次のテストで一位をとりました」

「いい話じゃないですか」

「私が心打たれたのはそこではありませんよ。その後に私はAくんが一位を取ったテストはどれほどの物だろうと気になり、問題をもらって解いてみました。すると……」

 

 美城は一旦そこで言葉を区切った。思い返す喜びを噛みしめたようで、ふと微笑みがこぼれる。

 可愛らしい目の前の光景とは裏腹に、早坂の胸中には未知の感情が波を打っていた。

 

「今まで一度だって負けたことのないAくんに、私は負けてしまっていたのです」

 

 自身の敗北の歴史を、晴れ晴れとした表情で美城は言い切った。

 

「その時にようやく気が付きました。人は努力すれば成長できるという当たり前の事に、です。私は必ずしも二番目に優れている人間ではないという事に、です。それを理解したとき、私は私の怒りを払拭する方法を思いつきました」

「……なんですか?」

 

「この世の全ての人が私より優れた人になってくれればいいんです」

 

「私は仕事を普通の人よりも出来ません。同じ時間働くと、きっと体を壊すでしょう。今の私のように。それは分かっているつもりなのですが、なまじ能力があるばかりに『負けていないのに』と怒りを抱いてしまいます。ですが皆が皆なにかしらで私より優れているなら『負けているから』と怒りも湧いてこないでしょう。分かりますか? 私は私を諦めたいのですよ」

「だから、無能な人にも優しいと」

「無能な人なんていません。その人は努力の後に、何らかの分野で私を負かしてくれる人です」

 

 歯切れのいい言葉だった。

 本気でそう信じていなければ言い切れないであろう言葉でもある。

 それはあまりにも人を信じている言葉だ、と早坂は思ってしまう。

 

「だから私は誰にだって協力します。勉学が不得手なら協力しますし、スポーツが上手くなりたいならいくらだって私を踏み台にしてくれて構いません。その努力の果てに私は追いつけない……それを望んでいるのです」

 

 ……早坂は初めて知った感情に言葉が出てきそうになかった。

 

「愛は私を優しいと言ってくれました。それは嬉しいです。本当ですよ? しかし、優しいと思ってくれた行動の裏には、自分のエゴがこれでもかと詰まっていますから過大評価ですよ。私はある同級生を神と思っている変な人で、能力が低い人に怒る嫌な奴で、その人達は私が努力の一助になれば優れた人になると考える傲慢ちきです。ですから愛、私を恋人にしたいなどと思わないでください。もっとまともな人はこの世にいくらでもいますから。ちゃんと優しい人があなたを幸せにしてくれます」

 

 美城はそれを言うと、長く語った口を慎みがないと戒めるように一文字に結んだ。仏頂面のままだと早坂に悪いと思ったのか、すぐに口角をあげて微笑みを返す。

 少しだけ無言の時間が広がると、その空気に耐えられないように早坂は話し始めた。

 

「……正直に言わせてもらえばドン引いてます」

「はい」

「なんで親戚の子の勉強を手伝ってあげた話から、そこまでぶっ飛んだ理論を導き出せるんですか?」

「返す言葉もありません」

「第一、話の始まりからおかしいですよ。親も親戚も、あなたを天使と呼ぶのは白い髪に赤い目と並外れた可愛らしさの形容でしょう。外見の誉め言葉ですよ。なのに天使の役割を果たそうと思うバカがどこにいますか」

「ここに」

「そういう事を言いたいのではありません」

「信じられないと言いたいのでしょうか。ですが事実として愛の目の前にそんなバカが存在していますよ」

「だから私の好きな人をバカにするのはやめてくれませんか。次言ったら本当に怒りますよ」

「自分で言ったのに……え?」

 

 机に頭をこすりつけんばかりに低頭して謝ろうとした美城は、今さっき耳に入ってきた言葉が信じられないように目隠しに覆われた顔を上げた。その真意を聞こうとする前に、目の前にいるであろう彼女から質問が飛び出してくる。

 

「一つ聞きたいのですが」

「私に答えられる事なら何なりと」

「どんな気持ちで私の味方で居続けます、なんて言ってくれたんですか?」

「味方で……あ、花火大会の時の話ですか?」

「それです」

 

 なぜそんな前の事を? 疑問に思いながらも当時思った事を思い返しながら、素直に言葉を並べた。

 

「どんな気持ちと言われましても……。ただ愛の味方でいたいと思っただけですよ。大好きな主人を裏切る苦しみに苛ませる四宮家を許せないと思ったからでもあります。同情と言われればそうかもしれませんけどね」

「私はあなたの負けたがりのエゴに答えられるような人ではありません」

「何を言っているんですか? 泣いている女を助けたいと思うのに、そんな事を考える人はいませんよ」

「仮に、他の誰だったとしても?」

「はい」

「私が特別というわけでは」

「ありません」

「神への敬愛かと思えば、今度は博愛ですか。ますます天使ですね。正直……」

「ドン引きついでに告白も引っ込めた方が愛のためだと思いますよ」

「腹立たしいです」

「すみません変な人間で」

 

「私が腹を立てているのは、そんな変な人が好きな自分にです」

 

 ……再び信じられない言葉を聞いた気がして、美城は思わず口をポカンと半開きにしてしまった。自分がかなり妙ちきりんな話をした自覚はあるのに、彼女の言葉の端には軽蔑の色は感じられない。

 

「美城は自分が優しくないと言いましたけど、優しくない人は敵対している家の従者ごときなんて気にしませんから」

「……正しく言うと、かぐや様を裏切っているのなら許せないと勇んで行ったのですが、愛が裏切りに苦しんでいるから四宮家許せない、私は愛の味方になります、という変遷を辿った訳ですが」

「まずその一歩目です。どうして敵対する家の子を助けてあげたいと思うんですか? あなたが理不尽に怒って立ち向かえる勇気と優しさがあるからです。強引と言っていいかもしれませんけど」

「なんだか、おもねっていませんか?」

「……とにかく、本当の私を知っても真っすぐそう言ってくれる、あなたの事が無視できなくなっていました」

「失礼を承知で聞きたいのですが、特別な事はしていないと私自身は思いますけど」

「ほら! そういう所ですよ。あなたは人に施して当然と思っているようですけど、天使だからですか? 普通はもっと恩に着せるものですよ」

「誰にも明かせない秘密で恩に着せたらただの卑怯者ではありませんか。気にせず、むしろ当然と思って私なりの善意を受け取っておいてください」

 

 博愛だと早坂は言い放ったが、あながち間違いではないだろうと自己への確信を深めた。彼の中に片手で数えられる程しかいない『神』を除いて、きっと彼が与えうる愛の種類は期待という名に彩られたものだろう。人の可能性に期待を抱く天使は、自分以下の者に愛を平等に与える。そして自分以上の者に平等に愛を捧げる。

 だから、彼は誰にでも優しい。

 しかしそれだけでは嫌だ。

 初めての恋に迷う早坂は、彼からの感情が他の人と同じという事実に耐えられない。

 

「……美城」

「はい?」

「私の事が嫌いですか?」

「そんな事ありませんよ」

「だったら……いいじゃないですか、私と付き合ってください。学生の後に別れさせられる将来性の無い関係だったとしても、それを言い訳に今何もしなかったらきっと一生後悔します」

「ですが……」

 

 美城が重々しく開こうとした口に、早坂はそっと指を添えて少し黙らせた。

 

「私の気持ちは変わりません。美城の事が好きですよ。あなたが言わなければいけない事は、私を諦めさせる言葉ではなく、『はい』か『いいえ』しかありません」

 

 黙らせた美城に形式を伝えて、ゆっくりと指を彼の口元から離す。

 

「五条美城くん。私と付き合ってくれますか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はい」

「——! あ、ありがと……」

 

 一拍、二拍、いやもっともっと間を開けて、静かに美城から放たれた答えに、ぱあっと明るい顔をして早坂は駆け寄ろうとした。

 

「ただ!」

 

 ぐっと強い口調に押されるように、足の進みをその場で止めた。もどかしさを抱きつつも、無視もできずに行き場は決まっているが置き場のない思いでそこに留まる。

 

「ただですよ。私は変な人間ですから、愛からのお願いと帝様・眞妃様のお願いが並んだ時にきっと後者を選びます。弱い人間ですから、忙しい愛のたまにある休日でも日が出ているなら易々外に出かけてあげられません。難儀な人間ですから、協力してほしいという声を愛より優先してしまうかもしれません」

「そんな事分かっていますよ」

「そう……ですか?」

「そうです。義理堅い人ですから、一度結んだ約束をそう簡単に反故にしない人という事も知ってますよ? ……だから約束してください。いつか本当に、私の事を好きになってくださいね」

 

 美城は自分なりの信条をもって人を裏切らないと決めているが、だとすると巧みな物言いだなあと感心しそうな約束である。彼女の事を好きになると約束すれば、それを裏切らないとは……。

 

「負けましたよ」

 

 心打たれたのか、胸を震わせたのか、はたまた呆れたのか、美城は穏やかな笑みを口角に載せて、おどけたようにそう言った。

 

「……あの」

「どうかしました?」

「告白が成功した勢いのまま……その……」

「はい」

 

「ギュってしていいですか?」

 

 五条美城は目が見えなくて困った事は生活圏内においてほとんどない。どこに何があるか、廊下の幅は、階段の数は、それら全てを覚えているからだ。

 ただ、当然であるが今目の前に起きている事柄を見る事は叶わない。

 今、目の前の彼女はどんな顔をしているだろう。

 それを口惜しいを思ったのは今日が初めてだった。

 

「ふふっ。いいですよ、愛」

「いい?」

「ええ。もちろん」

 

 嬉しさと恥ずかしさがない交ぜになった感情を胸に抱えながら、早坂はおずおずと彼に忍び寄るように近づいていく。

 想いが報われた安堵にほっと息をついて、目の前の彼に枝垂れかかるように、ゆっくりとその胸元に飛び込んだ。

 細い肩、細い腕ではあるが、美城にすっぽりと包まれると、胸の奥がくすぐられたような、だから笑ってしまいそうな不思議な感覚でいっぱいになる。

 幸せ。という一言が彼女を占める全てだった。

 

「美城」

「はい」

「顔が見たいです。あなたの……私の恋人の顔を。だめ……ですか? やはりまだ目が痛いですか?」

 

 間近に迫った美城の頬にペタリと触れて、早坂は甘えた声で囁いた。

 普段の彼女とあまりにも異なる様子に悪いとは思いながら、つい噴き出しそうになってしまう。

 

「ずいぶんと可愛い事を言ってくれますね」

「幻想を抱かれても困るので先に言っておきますけど、私だって内面はこんなものですよ…………だよ?」

「ふふふ。とっても愛らしいと思います」

 

 それは可愛らしいという意味か、それとも私らしいという意味か……と早坂が思考を巡らせている間に、可愛いお願いのために、美城は光を一切通さない分厚い遮光生地で出来た目隠しをそっと外した。

 

 輝く白髪の下、雪のようなまつ毛が風に吹かれて震えるように持ち上がると、その瞼の中に真っ赤な宝石が輝いていた。

 そのルビーのような輝きを変わらず放つ瞳に早坂は魔法にかけられたように見入っていた。ふと美城は微笑んで目の前の少女……今しがたできた恋人に語り掛ける。

 

「愛」

「何?」

「私の事を好きになってくれてありがとうございます」

 

 目も眩む赤い瞳が、光と恋人の蒼い瞳を映して溶け合い紫色に輝くと、心が繋がったように、錯覚だとしても、確かにそう思った恋人たちは嬉しそうに笑いあった。

 

 


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