風が冷たくなってきた。
衣替えが済んでしばらく、残暑を残した空気が纏わりつくような陽気に文句を言う者もいたが、今は誰もそんな事を言わない。
打ち震えるというほどでも無いが、しかし好んで外に出ていたいと言うほどでも無い秋の空気が少女の体に吹きすさぶ。彼女は冬服であるとは言っても、洒落者なのか自信家なのか、その白く長い足を惜しげもなくさらしているので他の女生徒たちより少し寒そうだ。
彼女が視線の先にある植木を見ながら、自分の髪のように色づくのはもう少し先か、と考えていると「すみません」と声がかけられた。
秀知院学園の朝の正門前と言っただけで、大体の生徒はその人の事は目を瞑っていても当てられる。
「おはようございます。早坂先輩」
風紀委員兼生徒会会計監査・伊井野ミコはそんな風に、年上に相応の敬意を持ちつつも、今までの所業で相応に育まれた敵意を持って早坂愛に話しかけた。少し後ろ暗い所がある生徒は、マークがあちらに向いているならこれ幸いと速足で校舎に入っていく光景が繰り広げられている。
今週のミドジャンは生き延びる事が出来た。石上優は流れに便乗しながらそう思ったほどである。なお放課後にきっちり見つかる模様。
「おはよ、監査ちゃん」
下足場の壁に寄りかかっていた早坂は、身を起こしながらひらひらと手を振って挨拶を返した。普段の彼女を知っている人が見れば、えらく素っ気ないと思うだろう。そんな挨拶だった。
「どうかしましたか? 元気がないようですが」
「元気ないって言うよりー……抑えてるんだし、これは」
「はあ。抑えてるですか」
「うんうん。で、用事ってそれだけ?」
「そんな訳ないのは早坂先輩ご自身が一番理解されてると思いますけど」
ミコにとって早坂は秩序に仇なす天敵である。
破りかけている校則は数知れず、明確に破っているスカート丈の短さを図ろうという段になれば、しれっと長さを戻して違反の尻尾を隠してしまうような、大胆と繊細が嫌な所で入り混じった先輩だった。
今日こそは、と意気込んできたものの、天敵は泰然自若の様相で佇んでいた。
「分かってるしー。ま、やるなら早くしてよね」
「何だかいやに素直ですね。いつもそうならありがたいのですが……あれ?」
いつもは校則違反のラインでK線上のワルツを踊る事に定評のある早坂だが、今日はミコが首をかしげるほどに校則のラインをばっちり守っていた。違反に見えたのは普段からの思い込みと早坂が単純に足が長いからスカートを折っているように見えた、二つのせいである。
それなら、と言っていつも違反のネイルをしている爪先を見せてもらおうとすれば、ここもまた違反に当たらない程度の控えめな桜色のネイルであった。
「すみませんでした。今日の先輩は何も違反されていないみたいで……」
「今日は自分のおしゃれより大事な事があるからだし」
「おしゃれより大事なこと?」
この手の人種にそのような事があるのか。とても失礼な事を考えながらミコは不良女生徒を見つめていた。いや、少なくとも今は不良ではなかったか。
「それは……」
何ですか? そう口にしようとした丁度その時、正門の外に一台の車が乗り付けた。
それ自体は何も珍しい事ではない。ここは上流階級とも呼ばれる子息令嬢が多く通う秀知院学園だ。送り迎えの車が停まるのは見飽きるほどの光景である。
ただこの金髪の少女にとってはそうではないようで、その黒塗りの高級車に向かって駆け出していた。
「先輩!?」
小うるさい後輩が早坂の事を驚き混じりに呼んでいたが、そんな事は彼女の足を止める理由の一つにもなりはしない。
おしゃれよりも大事な事があると言ったのはこの時のためで、だからこそいつも確信犯的に踏みつけている校則を今日ばかりは遵守したのだから。
「ありがとうございます」
物々しい高級車の中から、柔らかく優しい声が響いて早坂の耳まで届いた。彼女と車との距離は決して近いとは言えない物だったが、確かに聞こえていたのである。
何故かと聞かれれば、心の距離が近いから、と他人には下らなく聞こえる響きを口にしたかもしれない。
「みぃ!」
黒塗りの車の中から、これ以上の対比が存在しないだろうと思えるくらいの鮮烈な白が降りてくる。美しい白髪に、白磁も泣き出すほどの真っ白な肌の人。
それに早坂は短く、そして愛しくあだ名を呼んだ。
「おはようございます、愛」
「おはよっ! えへへ、学校では久しぶり」
みぃ、と呼ばれた五条美城は、この世でただ一人自分をそう呼ぶ恋人の方を向いて微笑みを向ける。
何か気の利いた事でも言おうかと思っていた早坂だが、正反対の赤い目の眩しさにやられたように頬を赤くして、ありきたりな言葉しか出てこなかった。
(あれ? 雰囲気変わりました?)
いきなり駆け出した早坂を追いかけて来たミコは甘ったるい雰囲気にきょとんとする。
確かに五条美城と早坂愛が付き合っているという事は秀知院学園周知の事実ではあるが……なんかこう……違った物を感じるのである。
何か艶っぽい。何かあまりにスケベェな気配を感じていた。
「はい。また一緒に学校に通える事、嬉しく思います。あの埋め合わせはきっとしますので」
「ん? あー、いいよ別に。気にしてない……って言ったらウソだけど」
怪訝な目で見られている下でも、早坂も美城も気にした様子なく平気で寄り添うように会話を交わしていた。あの、とミコにはよくわからない指示語が出たかと思うと、早坂はすっと静かに身を寄せて、
「こうして今一緒にいられるから」
美城が日傘を差している手に右手を添えると少し背伸びをして彼の耳元に囁いた。
「な、な、なー!」
日傘に隠れるように耳打ちした姿は、傍から見ればキスでもしたかのように見えて、ミコは戸惑いと羞恥と怒りに声を震わせた。
「あら、おはようございます伊井野さん。どうかしましたか?」
「どうもこうもありません! 五条先輩!」
「はい」
「まずは退院……あれ、違うんでしたっけ?とにかく回復おめでとうございます」
それはそれとして復帰を祝った。伊井野ミコはいい子である。
「ありがとうございます」
「ですが! こんなの快気祝いとして見過ごせませんからね! 不純異性交遊は認められません」
「では問題ありませんね」
「人の話聞いてました?」
「私は真剣に愛とのお付き合いを考えていますから」
「「は?」」
女性陣二人の声が重なる。
さらに“真剣”の意味を深く考え始めた才女たちが、同じ所に行きついて頬を赤らめる姿までが重なった。
「でも不純異性交遊はダメで……いや純な交際なら……?」
小さい体躯がさらに小さく見えるほどに頭を抱えて考え込むミコを横に、それなりにとんでもない事を言った自覚が有るのか無いのか、美城は飄々として早坂に言う。
「さ、愛。伊井野さんはこんなですし、早く行ってしまいましょう」
「え? うん、そうだね」
優雅に日傘をくるりと回し、微笑みを一つ落として彼は久々の校舎へ向かって行った。
この人こう言う所あるんですよね。早坂は手玉に取られたミコを一瞬振り返って同情しながらも、足を止める事なく彼の隣をついていく。
下足場で日傘を折りたたみ、手袋を外してサングラスを取る。女子よりかける手間の多い恋人を見つめながら、登校時間にしては珍しく誰もいないこの場で、先ほど口にしていた真意を問いただそうとした。
「ねえ、みぃ。……いや、美城」
「何ですか?」
「さっき言ってた、真剣にって……」
「あー!五条くんがいましたわエリカ!」
「ああ、よかった」
……真剣に聞こうと思っていた所にこれだ。
どうも間の悪い人が多いこの秀知院学園だが、自分の身の回りは一塩のような気がしてくる早坂である。
少し膨れながら馴れ馴れしく恋人の名前を呼んでくれた不届き者を検めると、巨瀬エリカと紀かれんのマスメディア部コンビがいかにも慌てていますといった風体で立っていた。今二人っきりなの分からない? みたいに言いたい所だが、
「おはようございますお二人とも。どうかされました?」
美城が血相変えて話かけて来た人を無視できるわけない……呆れと諦めと、ちょっと嬉しい気持ちで、少しだけ……少しだけ!彼を貸してあげると余裕を見せつけた。
「五条くん、早速で申し訳ないけど少し付き合ってくれない?」
「は? 付き合う?」
【悲報】余裕、一瞬で消滅。
早坂の内心新聞にそんな見出しが躍り出た事を感じ取ったのか、恋愛音痴なエリカのクソザコ生存本能に代わってかれんが警鐘を鳴らす。
「ちょっ! エリカ言い方には気を付けてくださいませ!」
「ひぃ、早坂さん!? ごめん私そういうつもりじゃ……」
ようやく友人が青い瞳を宝刀のように鋭くさせている事に気が付いたエリカは、平身低頭どころか五体投地も辞さない覚悟で頭を下げ始めた。こ、殺される……。そんなリアルな危機感がのど元に突き付けられている気がした。
「愛。そんな怖い顔していたらダメですよ」
えいっと美城が皺の寄った早坂の眉間に指を添わせると、宝刀は鋭さをあっという間に失って丸い珠に戻っていった。そう言われると文句も言えないみたいで、早坂は口をむにゃむにゃ喃語を言う子供のようにさせたかと思うと、結局何も言わずに口を噤んだ。
(あれ? なんだか雰囲気変わりました?)
すっかり白銀×かぐや派カプ厨に落ち着いて、恋愛事を四六時中考えているかれんは早坂の発している感情がいつもと異なっている事に気が付く。殺意の波動を向けられていたにも関わらずエリカは『あいかわらずなかがいいのねー』とほんわかしていたが。
「それでお二人は私にどういった要件でしょうか」
「あ! そうそう、大変なの五条くん! ちょっと来て」
「え……はい。それは全然」
あまりに迫真マスメディア部なエリカの剣幕に押されたようにたじろいだが、すぐに落ち着きを取り戻した美城は頷いて見せる。それを見て胸をなでおろしたかれんとエリカの二人は『こちらです』と中庭へと駆け出して行った。
「はぁ……美城?」
「どうしました愛? もし用事があるのなら私の事は気にせず」
「気にならない訳ないでしょう。私だって付き合ってほしい話があるのに……あの二人の方を優先するんですね」
「そう言われましても、お二人は相当焦っている様子でしたから先に話を聞いても罰は当たらないと思います。私達は後でいくらでも話す時間はあるでしょう?」
早坂にしてみれば、美城の言った“真剣”の意味を問いただすより大切な用事があるとは思えない。今すぐにでもその真意を聞きたい所で、そうでなくてもきちんとした恋人関係が始まってようやく会えたのだからこちらを優先してほしかった。
これでは先ほどの言葉もミコを振り切る方便にしか聞こえない。もちろんそれは変に穿ちすぎな考えだと分かっているけれど。
「私は行きますよ? 愛はどうしますか?」
「……ついていきます」
とりあえず今は、彼の言った後で話す時間はあるという言葉を信じよう。
早坂は自分だけが好きで、相手はそうでもない特殊な状況において、自分は敗者だと想わずにはいられなかった。
「こちらを見ていただけますか」
マスメディア部コンビが中庭に行くと、選挙の結果発表でも使用された掲示板の前で足を止めて、そこに張られた校内新聞を指差した。
美城と早坂の二人は何かと思って読んでみるが、別におかしなところは見当たらず、互いに顔を見合わせてからエリカとかれんを見る。
【二期連続当選。白銀会長インタビュー】
【鎬を削った伊井野候補を会計監査に加え、新体制始動】
【過去最高40票の無効票の行方は五条美城の懐!?】
真面目な内容の二つ柱が選挙の結果報告として機能しているに飽き足らず、無効票の行方と称して票の流れを考察した選挙分析が見事だ。
五条美城という良くも悪くも耳目を集めた彼の事を見出しにすることで、普段興味のない層にも読んでもらおうという考えが読み取れた。
「これのどこが問題なんだし?」
「愛に同意です。会長のインタビューに伊井野さんの話。私の名前があるのは少し面映ゆい気分ですが……選挙分析などしっかりした物だと思いますよ」
「ありがとうございます。そう言っていただけたら皆喜びますわ」
「最後の見出しは私達が書いたのよ!」
フンスフンスと鼻息荒くエリカは答える。だが、それならなぜあんなにも焦っていたのか、その疑問は晴れない。著しく誤字脱字がある訳でもなく、内容が差別的かというとそんな訳でもなく、文筆家として焦りを抱くどころか誇りを抱いていいくらいの記事だ。
「では何が大変なのでしょうか?」
「そうでしたわね。……最後の方を見ていただけますか?」
「最後の方……」
言われるがままに下段の最後を見やる、つまり二人が書いた記事とそこに張られた写真と……それでも問題は見当たらなかった。
「えっと……分かりませんでした」
「別に変じゃないしー、このままでいいんじゃない? ほら、最後のみぃの写真なんかいかにも激闘の後って感じだし」
「それよ早坂さん!」
「うわびっくりした」
エリカは急にくわっと大口を開けて早坂に全力で応えた。かぐや様の事以外でそんな大きな声出せたんだと驚くくらいに。
「写真が問題なの? そういえば会長と監査ちゃんの写真はあるのにンゴっちのは無いね」
ほ“んご”う、をンゴっちって呼ぶんだ……。
早坂の大胆すぎるあだ名に三人は舌を巻いた。ドミンゴ以来のンゴっち。
「それは勇人が怒るのも無理ありませんよ」
「違うの!」
「むしろ本郷くんは載せないでくれと頼んできたほどですわ」
「へ? 何でだし」
「本人が言うには『応援演説人に票数負けた候補として載りたくないんだよ』らしいけど」
「じゃあ問題ないじゃん」
「あるのですわ……。早坂さん、五条くんの写真はどんな物ですか?」
「はあ?」
今しがた見たばかりなのに確認されるとは、バカにされているのだろうか。確かに今の自分はバカにされても仕方ない恰好だが。しかし二人がそんな意図で言っているとは思えないので、とりあえず見たままを言う。
「どんなって……選挙終わった後でみぃが倒れてる写真でしょ? いいじゃん迫真で。ま、ウチは気が気じゃなかったけど」
「はぁ……やっぱりそうですわよね……」
「人の不幸は……密に群がるマスゴミよこれじゃ……」
「あ、あれー?」
素直に自分の感想を述べたのだが、異様に落ち込まれてしまった。そんな悪い事を言ったつもりは無いのに。
「つまりそういう事ですわ」
「うん……うん? どゆこと?」
「写真があるって事は誰かが撮ったってことじゃない? それは私なんだけど」
「今目の前で倒れている人がいるのに写真を撮っているなんてけしからんとお怒りの声が来ておりまして」
「何と言いますか、『ハゲワシと少女』の話みたいですね」
「さすがにその記者まで追い詰められては無いけど」
「ちょっとちょっと。そこで通じ合うの止めて欲しいんですけどー」
「有名な写真の話ですよ」
「飢餓で苦しんでいる少女のすぐ後ろに、死ぬのを待っているかのようなハゲワシがいるという写真ですわ。撮影した写真家はピュリッツァー賞を取りましたが、子供を助ける前に写真を撮ったと非難され、それを苦にしたのか自殺してしまうのですわ」
「ヤバじゃん。え巨瀬ちんと紀ちん死んじゃうの?」
「だからそこまでじゃないわよ。けど……」
「五条くんがお休みになられてから、早坂さんが落ち込んでおられたでしょう? ですから余計にお怒りになる人が」
「ああ……」
早坂本人にはそこまでの自覚は無かった虚無期間だが、外から見ると落ち込んでいるのは誰でも分かるくらいだった。あのかぐやでさえ早坂に頼み事をするのを躊躇ったほどに。
「そんな言う人がいるの?誰だし?」
怒るという感情はエネルギーを使う。交友関係は広く浅くもっている早坂だが、そこまで自分のためにエネルギーを使う人物が思い当たらず、であるならば美城の厄介ファンの可能性が高いのでは?と思いながら聞いてみた。
「それは……」
「選挙新聞てっぱーい!」
「人の不幸で飯が美味い連中を許すなー!」
物騒なシュプレヒコールが中庭に響いてきた。
しかし響き渡らせるというより、目的があって投げかけられている密やかな物ではあったが。
つまり巨瀬エリカと紀かれんにのみ向けられた物である。
掲示板に二人の姿を見かけたその集団……ではなく二人組は反対を叫びながらこちらに向かって来た。威勢のいい少女二人。
「……何してるし二人とも」
「え! 愛ちゃん!」
「いやいや何してる、はこっちのセリフだけど」
現れたのは早坂がクラスで友人として付き合っている火ノ口三鈴と駿河すばるの二人だった。額に『反対』の文字が力強く鎮座している鉢巻を巻いている。
「ウチは巨瀬紀コンビが困ってるってみぃに泣きついたから……ついで?」
「愛ちゃんに下げる頭の後ろ盾を探してたって事?」
なぜか駿河の目が厳しくなった。
「そして早坂が絶対許す五条くんを味方に……マスコミめぇ~! ゆ〝る〝さ〝ん〝」
そして火ノ口の舌鋒の鋭さに語気の熱さは留まる所を知らないようだ。
「ひぇぇ……私はそんなつもりではありませんわ」
「ウソつけーい!」
「だったら早く新聞を回収するか写真を入れ替えるかどうにかしろーい!」
二人はおびえるエリカとかれんに激しく詰め寄っている。かなりエキサイトしているようであった。
確かにこれは困りごとだ。美城に事態の解決を求めた気持ちも理解できる。
「二人とも何に怒ってるんだし」
「「……えっ!?」」
今にも目の前のマスコミに噛みつきそうな二人は、友人のその言葉に信じられない物を見るような目を向けた。
「いやいや愛ちゃん、五条くんが休んでから滅茶苦茶落ち込んでたじゃん」
「そうそう。一番酷かったの新聞が出たころだったし……」
(あっ、これ完璧私のせいですね)
自分のせいではないと一縷の望みをかけて呆けてみたが、言い訳のしようも無く自分のせいだった。
自分の預かり知らない所でこうも物事が大きくなっていたのか。「愛されてますね」と美城が囁いてきたが、そのからかいに応じるつもりはない。「ひゃん!」となって耳まで真っ赤になった後で、まったく締まりない表情で二人に言い放った。
「ウチのために怒ってくれたのはいいけど……そのせいで巨瀬ちんと紀ちん困ってみぃに泣きついちゃったじゃん。せっかく帰ってきたみぃと話したい事たくさんあったのに……どうしてくれるし!」
論理も計算もない話口であったが、早坂はこれで良いと確信して物を言っていた。彼女たちが怒っているのは『早坂を傷つけた』という事が許せないという感情の面でしかないのだから、怒っても傷ついてもおらず、むしろ二人のいざこざのせいで恋人とイチャイチャ出来なくて怒っていると言えば許さざるを得ないだろう。
というか本心だった。なに邪魔してくれとんねん。そんな下手な関西弁でも言ってやればよかっただろうか。いや、キャラじゃなさすぎる。
「まあ愛ちゃんが怒ってないなら……」
「こっちもねえ……」
予想通り二人は折れてくれた。予想よりもしんなりとした折れ方であるが。
「申し訳ありません」
聞きなじみがある声の、聞きなじみのある文言がふと隣から聞こえてくる。美城の物だ。
彼は光のように真っすぐ綺麗な白髪が、つむじも見えるくらい頭を下げてそう言っていた。
「いや別に五条くんは謝らなくていーじゃん」
「そ、私達の早とちりってやつ?」
「しかし、愛が落ち込んでいた理由は私にありますから、その愛を心配して怒ってくださった二人に誠意を見せるのが筋ではないでしょうか」
相変わらず頭を下げる事に抵抗のない男である。
「どゆこと?」
「実は、この写真……私が倒れているこれですね、この少し後に心配した愛が来てくれていたんですよ」
「「そうなんだ」」
二人は口をそろえて『はえー』と間抜けに口を開けていたが、対照的にマスメディア部の二人は口を閉ざしていた。この写真を撮っていたという事は、そのすぐ後にあった出来事も当然目にしたであろう。
「そこで愛は『もうこんな事しないで』と言ったのですが、私が『それはできません。これが私ですから、嫌なら別れてください』と返してしまいまして……」
間抜けに開いた口がグッと閉まったかと思うと、力を入れすぎてへの字に曲がっていた。その口は飲み込んだ怒りが溢れないようにしているのか。
「後は皆さんご存じの通りです」
「じゃあ愛ちゃんが落ち込んでいたの五条くんのせいじゃん!!」
「何なん心配してくれた彼女にその言いぐさ!!」
「ええ、本当に返す言葉もございません」
あ。
と、思い当たった時には状況は確定していて、早坂の口を挟む余地というのは残されていなかった。
確かに彼の言った事に嘘はあんまり無いが、そんなロマンスの入り混じった感情で放たれていない事は保証していい。入り混じっていないから早坂は彼の家まで言って『私の彼氏になるかイエスかノーで答えろ』と問い詰めたのだ。……これでも嘘はあんまり言っていない。美城の口ぶりはつまりそういう事だ。
「五条くん……あまり人様の恋路に口を挟むべきでは無いと分かっておりますが、それにしても言い方というのがありますわ」
「喧嘩はダメよ五条くん!」
「そう! それだよー、分かってるね二人とも」
どうやら共同戦線を張られたようである。
これも美城の掌の上だろう。早坂は分かっていた。
自分が悪者になってマスメディア部の二人も、早坂のクラスメイトの二人も変な感情を向けあわないように仕向けたのだろう。
「私の配慮が足らず、愛には苦しい思いをさせてしまいました。これからはそのような事が無いように努めます」
「そこまで言うなら信じてあげるけど」
「まー早坂は相変わらず五条くんの事好き好きみたいだし。こっちから何か言っても、ねえ」
「ちょっと!」
とはいえ二人も美城の謝罪に悪感情を放つほど性悪でもないようで、早坂の思っていた何倍もあっさり怒りを取り下げた。矢継ぎ早にからかいの二の矢を放ってきたが。
皆のやり取りを傍観していたと思ったのに、急に巻き込むのはやめてほしい。見事からかいの矢が脳天にぶっ刺さっていた。
「ごめんね紀さん巨瀬さん」
「うちら愛ちゃんが傷ついたのかと思って、でもそっち傷つけるような事してたよね」
「そう言ってくださるなら、私は気にしませんわ」
「まあ友達が傷ついたって思ったら許せないわよね」
四人は反省を互いに述べ合うと、そのままつらつらと会話の流れに向かっていった。どうやら事態は収束に向かっていったようで、美城は安心したようにふっと息を漏らした。
早坂もようやく終わったと白の横顔を眺めて真似をする。
「五条くんありがとう。おかげで問題は解決よ。そうだ! お礼に飲み物でも……」
「エリカ」
「何、かれん。男の子だから食べ物の方がいいって?」
「違いますわ!」
(このポンコツエリカ、あの早坂さんの様子が見えておりませんの!?)
かれんは『白×かぐ』に無限の尊みを感じる女だが、その根底にあるのは自分がするより見ていたいという気持ちであり、他人の恋愛事情にもそこそこに興味を抱く質であった。
一般的に野次馬とも言う彼女の勘が囁くに、早坂の「もういいでしょ」感が凄いそうだ。
ついでに言うと、
(持ち掛けられた相談を解決して達成感のさ中にある殿方の横顔を隣で見守る……会長とかぐや様の関係にもピッタリ使える激エモシチュですわー!)
上記の妄想がかれんの中で爆発しているため、早くノートにまとめたい。もちろん早坂が言っていた二人きりで話したい事があるという言葉に気を遣ったのも嘘ではないが。
「では私達はこれで。此度のお礼はまた後ほど改めてさせていただきますわ」
「じゃあうちらも」
「愛ちゃん、後でねー」
かれんはそう言ったかと思うと、まだピンと来ていないエリカを引きずって校舎の中に消えて行った。火ノ口と駿河二人もこの場は撤退を選んだようだ。同じクラスなのだからいくらでも突く時間はあるという、こちらはこちらで打算的な考えである。
「私のせいで色々な人を振り回してしまっていたのですね」
「……いまさら気が付きましたか?」
「はい。よく分かりました。完璧な従者と思っていた愛も、周りが見えなくなる事もあると」
「そういう事は気が付かなくていいんです」
「そんな訳にはいきません。きちんと愛を傷つけていた事を知って反省しなければ、恋人として片手落ちです」
不意に赤い目が覗き込んできた。きちんと知る、を行動にして表したのか彼にしか分からないが、ともかく白色の美少女(男)は金色の美少女を覗き込んだ。
気恥ずかしいどころではない想いに動悸が激しくなってくるが、そこを堪えて、早坂は口にすべき事があった。
「あの……先ほど、正門前で言ってくれた事ですけど……」
――キーンコーンカーンコーン
……ずっこけるような間抜けな響きが、学園中に響き渡る。
「予鈴ですね。私達も早く教室に行きましょうか」
じっと見つめられた事で熱波に中てられたように茹っていた空気が雲散霧消した。自分はともかく、彼はそんな事考えていないかもしれないが。
あっさりと教室に行くよう切り出したのもそういう事だろう。同じクラスなら一緒に行けばいいが、別のクラスなのだから次の休み時間まで会えないというのに。
(……いや私おっも……)
呆れ果てるしかない考えだ。悲劇ぶっても一時間もしないうちに休み時間は来るのだから、それに文句を言うのは相当の病んでいる者か自己中心的な人物だろう。
そして早坂はどちらでもない……と思っている。だから、
「はい。復帰一日目から遅刻するなんて恰好がつかない事を彼氏にさせられませんから」
「お気遣い感謝します」
彼の真似をしてここはあっさり引き下がる事にした。
しかし、内心まで美城の真似を出来るはずもなく、文句は止まりそうもない。
せっかく彼が学校に帰ってきてくれたのに。
別邸の管理に来客の対応と忙しい身だと、仕事の外で彼との時間なんて物は作りにくいから学校で会う事しかできない私を優先して。
前でたなびく絹糸よりも白い美城の髪を見つめながら、不満を口にしそうになった。すんでの所で飲み込んだものの、不満は胸の内でくすぶってしまう。
早坂は好きな人の隣を得たはずなのに、いまいち特別な感じが沸き上がってこない現状が嫌だった。