五条美城は白サギ嬢   作:アランmk-2

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契約が終わった二人は、本当の恋を始める(夕)

「シロちゃ~ん」

 

 その時早坂は思いだした。

 秀知院には間の悪い人の頂点に立つ女がいる事を。いや、考えないようにしていただけかもしれない。

 

「千花。お昼はTG部に行って新しいゲームをするって言ってなかった?」

 

 千花と呼ばれたその通り、全生徒きっての自由人である藤原千花が美城に話しかけていた。横に早坂がいるのに、である。

 間の悪いとかではなく悪意では?

 

「書記ちゃんどしたし~? ウチらこれからお昼行く系なんだけど」

「まあまあ早坂さん。そんなに焦らないでくださいよ~。早坂さんにも言いたい事があって呼んだんですから」

「言いたいこと……って?」

「シロちゃんのお見舞い任せっきりにしてすみませんでした」

「あー、なんだ。そんな事」

 

 そういえば最初にお見舞いに行った時、藤原からの頼み事という体で行ったのだった。その時に契約解除……つまり別れを切り出されたので記憶の奥底にしまっておきたかったが、復縁できた今となってはいい思い出だ。

 

「ぅぅ……」

「ど……どうしたんですか!? 急に胸を押さえて苦しみ出しましたけど!」

「大丈夫。みぃの当時の体調に胸痛めてただけ」

「そうですか? ……シロちゃん、こんなに彼女さんを心配させて。反省してるんですか?」

「もちろんですよ」

「ならいいんですけど。そういえば、今回も真っ暗で目隠しのパターンですか?」

「そうですね。千花もよく知るあれです」

「じゃあ昔みたいにピアノ弾きにいってあげてもよかったですね」

「ピアノは卒業じゃなかったっけ?」

「友達のためならいいんです。趣味ですから」

 

 自分にとっては初めての事でも、幼馴染の間柄では何度も経験したことをまざまざと見せつけられるのは気分の良いものではなかった。当然の事だが“あれ”で伝わる物事が自分よりもこの桃色の少女の方が圧倒的に多い。それに僅かどころではない嫉妬を早坂は覚える。

今なら藤原をしょっちゅう呪う主人の気持ちが理解できた。

 

「聞きたいな久しぶりに」

「えぇ~そんな、ダメですよシロちゃん。彼女さんがいるのに他の女の子に頼み事するなんて」

 

 仲良し同士のじゃれあいと頭で理解はしていても、ムカつくのはムカつく。特に彼は才能のある人間が大好きで、彼女は他の追随を許さない才能を一つ……あ。

 

「あのさ、もしかして書記ちゃん、昔みぃに様付けで呼ばれなかった?」

「えっ! どうしてそれを!?」

 

 やっぱり。

 

「そういえば早坂さんはシロちゃんと喧嘩して落ち込んでいたって噂が囁かれてましたけど……これのせいですか!?」

「えー、どうかなぁ~」

「誤解しないで欲しいんですけど、ちっちゃい頃の私はきちんと断りましたからね」

「今は?」

「呼ばれとけばよかったかな~なんて」

「は?」

「ヒェッ……あ、そういえば今日部活の皆とテストプレイするんでしたー。じゃあ私はこれで……」

 

 機を見るに敏とは彼女の事を言うのかもしれない。旗色が悪くなった途端に藤原はそそくさと早坂の前から退散していった。名将の引き際であった。

 

「ふう……」

「愛? なにもそんな怒らなくても……小さい頃の話ですし」

「知りませんでした」

「それは、言っていませんからね」

「だから知りたいです。あなたの……」

 

「美城。選挙ぶりだな」

「勇人ではありませんか」

 

「もぉぉぉ!」

 

 今日は極めつけに間の悪い日らしい。早坂は占いはろくに信じていないが、今日の運勢は最悪に違いないと確信した。でなければ基本的に気を回す側の人間な本郷勇人までもが会話を邪魔してこないだろう。

 

「悪かった。あの選挙、倒れるくらいまで協力してくれたのに」

「こちらこそ、力及ばず勇人を会長に就かせてあげる事ができませんでした」

「やめてくれよ。美城の事だから選挙新聞は見てるだろう? 無効票の行方はお前の物って記事だけど、俺もそう思うよ」

「そんな事はありません」

「嘘でも……って嘘をつくような奴でもなかったな」

 

 早坂はいかにも戦友な会話を交わし始めた二人を、ジトっと半眼になって睨みつけていた。選挙においては完全に美城と対立する事になって、支持を表明していた白銀派の自分に何が言えるだろう。何もない。勝者が敗者にかける言葉などありはしないのだから。

 

「勇人。後ろ向きな事を言うのはやめませんか。そんな様子では、さっきの言葉も撤回したくなってきますよ?」

「そうは言ってもね」

「勇人は何を言いに来てくれたのでしたっけ?」

「それは、悪かったって」

「聞こえませーん」

「振り回してごめん」

「あーあー」

「……ありがとう」

「はい。私も勇人と一緒に戦えて嬉しかったです。ありがとうございました」

 

 しかしこれはちょっと看過できるか微妙なラインであった。

 言葉だけ見れば男の友情だが、何しろ私の彼氏は可愛いのでイチャついているようにしか見えない。こちらと一緒にいる時間を削られた上にこの仕打ち。どうしてくれようか、という所だ。

 

「まあそれだけ。そっちの彼女が俺を睨んでくるから退散するよ」

 

 察しがよくてと言うべきか、常識的な人で良かったというべきか、早坂の不満を如実に感じ取った本郷は、少し晴れやかになった顔で短く別れを告げると自分のクラスに戻って行った。

 

「愛。そんな怖い顔して人を見たら駄目ですよ?」

 

 本郷のその場を離れる方便と思っていたが、実際に睨みつけてしまっていたようである。「めっ」されてしまった。子供をたしなめる親みたいに優しく叱ってくる美城は、それはそれでどこかママみがあって甘えたくなる不思議な魅力があった。

 

「だって私の事無視して他の人の事ばっかりじゃないですか……」

 

 しかし今の早坂はそんな事に絆される精神状態にない。言っての通り自分の事を構って欲しいのに、肝心の美城が他人に構ってばかりなので、文句の一つも言いたい気分だった。

 

「ふふ、それは申し訳ありません。では今からでも……」

 

――キーンコーンカーンコーン

 

「……放課後にでも」

「そうやって先延ばし続けるつもりではないでしょうね? そうなら」

 

「愛ちゃーん。次体育だよー」

 

「……許さないし!」

 

 一瞬でギャルモードに変貌を遂げると、軽そうな言動の中に芯の通った響きで告げた。

 

 

 

 

(最悪。本当、こういう日に限ってホームルームが伸びるんですから)

 

 放課後になり、解放された生徒たちのざわめきが聞こえる時間になっても、二年A組は時計が少し遅れているかの如く遅々としてホームルームを行っていた。これが重大な連絡事項があるのならまだ我慢できたが、全くもってそんな事はない。単純に担任教師の不手際である。

 

(あ、会長と書記ちゃんが通って……うわかぐや様顔怖っ)

 

 少なくない苛立ちを募らせていたかぐやは、教室の前を白銀に通り過ぎられた事で表に出て来たらしく、空気が歪んで見えるほどに笑みを深めた。そこから発せられる敵意を感じたようで、担任はさっさと終わりを告げて怯えた犬のように教室を後にする。

 

「ごめ、ウチ部活行ってバイト」

 

 急に解散を告げられたA組の中で、一二を争う速さで動いたのは早坂だ。彼女は友人二人にそれだけ伝えると、とりあえずB組に向かって走り出した。

 美城がそこで待っていてくれるか、という実際の問題は置いといて、彼女は待っていて欲しいと思った。

 その方が彼氏彼女っぽいし。

 そんな俗な願いである。

 

 教室を出て数歩、すぐさま彼は見つかった。好きな相手は特別に見えるという理由以外に、単純に彼が目立つ人間だからだ。白い人影が見えた事に安堵しながら、まだここは人が多いのでギャルモードで呼びかける。

 

「みぃ……」

 

 あだ名の頭を舌にのせた所で、彼が一人ではないと気が付いた。

 美城を見下ろす程度には高い身長、長い髪を一つにまとめたポニーテール、人好きしそうなくりくりとした丸い目は、彼の後輩筆頭な鹿苑(ろくおん)こがねであった。

 よく見ずとも彼らが楽しそうに会話をしている様子は分かる。眞妃や藤原には及ばないでも長い付き合いのある幼馴染だから当然であるが。

 こがねが、体育会系らしい溌剌とした声で冗談を言うと、美城はそれを受けて楽しそうに笑った。

 

 たったそれだけの事が、今の早坂には許し難かった。

 

「来て」

「え? ちょっ、愛?」

「いいから」

 

 速足に駆け出すと、早坂は真っすぐ美城の下に向かい、ちらりと一瞥こがねにくれてやると彼の腕を取って連れていった。

 後ろからまたも叱るような声が聞こえたが、何にも増して誰にも会いたくないと思っている早坂を止めるに至らない。

 結局彼女の足が止まったのは、ボランティア部の部室として利用している空き教室に入ってからだった。

 

「愛、どうかしましたか?」

 

 急に腕を引っ張られたかと思うと、何も答えてくれないままボランティア部に連れてこさせられた美城は、怒るよりも先に早坂の事が気にかかった。彼女は強気な部分はあるが、しかし従家という生来の環境のせいだろうか、強引になることは無いと言っていい。

 そんな少女がこんなにも強引な手段に出たという事は、何か自分のあずかり知らない出来事が眞妃やかぐやを襲っているのだろうか?

 

「何か問題でも起きましたか?」

「問題……ですか。そうですね、問題と言えば、そうです」

「本当ですか!? それは一体……」

 

 焦りと共に吐き出そうとした気迫は、とん……と軽く胸にぶつかってきた物にさえぎられる。

 夕日を受けて輝く金色。早坂愛の頭だった。

 

「愛……?」

「楽しかったですか? 彼女を放っておいて気心の知れた幼馴染とお話するのは」

「それは、話しかけられたのなら楽しくお話したい物ではありませんか」

「今朝からずっとそんな感じでしたね。何でですか。どうしてですか。美城は私の恋人になってくれたはずですよね。それなのに、他の人の事ばかり構うんですか?」

 

 ぐいっと美城の胸倉をつかみながら彼女は自分の方へ引き寄せると、恨み言をつらつらと語り始める。

 

「もう忘れてしまいましたか? 形としての恋人ではなく、私はあなたとちゃんとした恋人になりたいとはっきり言いましたよ。はい、と答えてくれましたよね?」

「もちろん覚えています。……ですが、どうして愛が怒っているのか分からず困っています。私としてはいつも通り一日を過ごしたつもりなのですが」

「いつも通りすぎます。……何で久しぶりに恋人に会えるとなったのに、いつも通り過ごすんですか? もっと喜んでくれてもいいじゃないですか……。……私は嬉しかったですよ。あなたと久しぶりに学校に通えて」

「私もですよ」

「嘘」

「嘘ではありません」

「じゃあ何で朝はマスメディア部の二人を優先したんですか? お昼に書記ちゃんと楽しく談笑してるんですか? 私が隣にいるから、と断れましたよね」

「今までそんな事は言わなかったではありませんか」

「そうです。今までは、言いませんでした。ですがもう今までの私ではないんですよ」

「……どういう事でしょう? 愛は、変わらず愛ですよ?」

「違います……いや、違うよ。今まであなたが付き合って来た早坂愛は、主人の利益のために仕方なく協力関係を結んだ従者で、これからあなたが付き合うのは、単純に五条美城って一人の男の子が好きな早坂愛だから」

 

 砕けた口調で話すことで、美城の前で被っていた従者の仮面が一つ砕けたような心地よい錯覚を早坂は覚えていた。だが、それで満足するかと問われれば答えは否である。

 従者の仮面とはつまり人のために自分を押し殺す忍耐の仮面であり、それが砕けたという事は、早坂愛という一人の少女が心の奥に隠していた欲求が頭をもたげてくるという事であった。

 

「……だからもっと私に構ってよ。今日みたいに他の子に構ってるなんて嫌」

 

 早坂愛という少女は、一言で言うと甘えん坊である。大人の仮面に押し付けられた、心に根を張る子供の部分がある。それがふとした折に覗くのだ。

 

「大体、彼女がいるなら誰より優先してくれるのが彼氏じゃないの?」

「ですが、人に優しくする私が好きと言ってくれたではありませんか」

「言った。言ったけど……でもやっぱり目の当たりにすると嫌だったから止めて欲しくて」

 

 それは受け取る側からすれば理不尽な要求に聞こえるかもしれない。

 

「勝手な事を言ってるけど、けどね、どうしても美城には私だけを見て欲しい。だってせっかくあなたの彼女になれたから」

 

 わがままを言っている自覚は早坂にもあった。理不尽をぶつけている自覚もあった。これは甘えである。こんな事で美城は自分を嫌ったりしないという、漠然とした確信が甘えの根本にあった。

 

「愛」

 

 青色に揺蕩う瞳を呼びかけて来た彼の方に向けると、くしゃっと柔らかく頭を撫でられて嬉しさに顔をほころばせる。

 ほらやっぱり。この人は私を嫌いになったりしない。

 ようやく得られた恋人としてのひと時に確かな満足感を抱いて幸せを嚙みしめる。

 

「——え?」

 

 ふとその幸せが傍からいなくなった。

 さっきまでそこにいた美城が少し離れた位置に立っていたからだ。

 一歩二歩と下がった美城を驚きに満ちた表情で見ていると、くるりと彼は背中を向けてどこかに歩いて行く。

 

「え……あ……」

 

 歩みを止めない後ろ姿に抱いた気持ちは絶望その物だった。

 確かに彼は優しいが、それを他人にも向ける事を許してほしいとはっきり言っていたではないか。しかし自分は止めてと言って彼の心を締め付けようとしている。重い女と過去の自分があきれ果てていた女と同じ事をしており、超引くと誰かさんに思ったように彼が思っても仕方がない。

 

「ま、待って美城。ごめんなさい、もうわがまま言わないから」

「待ってください美城。申し訳ありません。出過ぎた申し出をしてしまいました」

「待ってよ、みぃ。ごめん、あんなこともう言わないから」

 

 美城の背中を追いかけたいと言葉を紡いだ。目的のために自分が生み出したバラバラの性格達が、一つに向かって叫んでいる。

 

「ねえ、何だってしてあげるから」

「私に出来る事なら何でもいたしますから」

「みぃのしたい事なんでもしてあげるから」

 

 少なくとも三つの性格の中からあなたの好きな物になってあげるから、と縋るような響きをもって彼の後ろ姿に向かっていった。

 だが、美城は振り返らない。

 

 余裕も何もとうに無くなっていた。

 最後の最後にようやく喉から絞り出した声は、か細い糸のように風に飛ばされそうな弱弱しいものにしか成らなかった。

 

「嫌いにならないで……」

 

 うずくまるように膝をついた。冷たい床をただ見つめている目が熱くなって、溢れる物に視界がにじむ。

 優しいあなたが好き、という事と、あなたの優しさの全てが欲しいというジレンマを、ただわがままで解き明かそうとした浅はかな女に愛想が尽きたと考えると、美城だって人間なのだから何もおかしくはない。悲観する早坂はそう思った。

 怒りか絶望か、にじんだ視界が真っ赤に染まって、惨憺たる内心が現れたのかと思い込む。

 

 

 

 

「愛。顔を上げてください。嫌いになんてなりませんから」

 

 目の前の赤がその声と共にゆらゆらと揺れた。

 

「すみませんでした。私の態度がはっきりしないばかりに」

 

 優しい美城の気配がそっとやって来て、隣に同じように膝をついている事に声の位置で気が付いた早坂は、頭を上げてそこにいるはずの彼を仰ぎ見る。

 少しにじんだ視界には、相変わらず微笑む美城の顔があって、嘆いていた心に柔らかい光が差し込むようだった。だからこそ、この人を失ってはいけないと自然と思う

 

「申し訳ありません。変な事を言って。あなたと約束したはずなのに無視するような事を言って」

 

 さっきまでの言葉を全て否定するように、早坂は不明を恥じる言葉を述べる。そこには媚びるような響きがあった。

 色恋に敗れたからと言って自暴自棄になるような人を、過去に軟弱と思った事がある早坂であるが、それは正しく自分の事だと嫌に自覚してしまったのである。もしこのまま別れられたら、どれだけ落ち込むか分からなかった。

 

「これからは節度を持って付き合います。ですから……」

「そんな事を言わないでください。悪いのは私です。恋人という物がどういう物なのか、まるで理解していなかった私の……」

 

 媚びるような、あるいは縋ってくるような弱気の早坂を瞳に収めながら、美城はそんな態度を取らせてしまった自分に嫌気すら覚えた。あの冷静と沈着の上に笑顔の鉄仮面をしていると思っていたくらいの四宮の従者が、恥も外聞も捨てて自分を嫌いにならないでと言ってくるのだ。

 これまで『ノリ』で付き合ってきた彼女達と、きちんと好きになってくれた少女との恋愛の違いに理解が追いついていなかったと言わざるを得ない。

 

「愛。私だって今日あなたと会う事を楽しみにしていましたよ? 証拠にプレゼントをもって来ましたから、だから自分を卑下するような言葉を零さないでください。笑顔で受け取って欲しいですから」

 

 ほら、と衣擦れる事すら忘れた天衣のように柔らかな声で小さく言うと、右手に持ったそれを抱えるように持ち直した。

 

「あ……」

 

 美城が持っていたのは花束だった。ラッピングの先から覗くのは赤い花びらで、先ほど視界が真っ赤に染まったのは、これを目の前に差し出してくれたから、とようやく早坂は気が付いた。

 胸に一抱えほどの大きさの花束を、束ねられた花に負けない想いを抱いてくれているのか。……もしそうだったら嬉しいと、嘆きの内にあった心が晴れていく心地でそれを受け取った。

 

「私の気持ちです。受け取ってくれますか?」

 

 真っ赤なバラの花束を。

 

 花の剪定までする早坂は知って……いや、そうでない者でも知っているくらいの、愛の言葉を持つ花だ。その中でも赤いバラは恋愛で彩られた花である。

 

「本当に……これを私に?」

「もしかして花は嫌いですか?」

「いえ! ……いえ、そんな事はありません。えっと、嬉しいです」

 

 赤い花びらにふさわしい熱情とも言うべき思いが込められたこれを、嬉しくないと言う女性はそうはいませんよ。

 一度落ち着いて受け取ろうとした早坂は、客観視して平静を取り戻そうとするが、自分で思い浮かべた通り、彼女も女性なので許容範囲を超えて嬉しい気持ちで一杯になった。

 美城が、その朝露を受けて輝くバラの花びらのような瞳を向けながら目の前にいる恋人に渡すと、受け取った早坂の感情は一杯を超えて零れそうになる。

 

「あの、美城」

「どうかしましたか?」

「……私に、赤いバラの花言葉を教えてくれませんか?」

「えっと、それくらいの事、愛は当然知っていますよね」

「いいえ、知りません。ですから、あなたの口から聞きたいです」

 

 寸前の所で涙になって零れなかったのは、とある響きを聞かなかったからかもしれない。

 想いのこもったプレゼントは内心を形にして伝えてくれる物だが、恋する少女ならば、そして恋する相手が目の前にいるなら内心を響きにして伝えてくれても嬉しい物だ。両方あれば尚良いだろう。

 

「甘え上手になりましたね」

「あなたが甘やかし上手なだけです」

 

 そうでなければ、こんな面倒な立場の人間が、こんな面倒な立場の人間を好きになるはずもない。

 観念したように美城は笑みを浮かべると、ゆっくりと歌うように口にする。

 

「赤いバラの花言葉は、『愛情』『美』『情熱』、そして……」

 

 

「『あなたを愛しています』」

 

 

 天使の歌が響いた。

 少なくとも早坂愛はそう思った。

 永遠に歳をとらない少年のソプラノが、そこに入り混じった照れとか文字通りの愛と言った熱量をもって世界を震わせると、間近にいた少女の頭を蕩けさせる。

 彼女の生い立ちと使命が諦めさせていた言葉を、美城は全て与えてしまった。

 

「美城」

 

 だから、あなたが悪い。

 だから、あなたのせいだ。

 

 こみあげてくる思いに耐えられないように『はっ……ぁ』と燃えるようなため息を早坂は漏らすと、花束ごと彼に抱き着いた。

 

「私も……」

 

 胸元にしがみつきながら、同じように返事をしようとした早坂は、愛するという言葉に少しだけ怯えてしまう。幼少から、あまりそれを貰った事のない彼女は、愛という物の輪郭がぼやけて見えて、彼に抱くはっきりとした想いとは少し違うと思ったからでもある。

 それなら、と間違いなく100の気持ちで抱いている思いを素直に打ち明けた。

 

「あなたの事が好きです」

 

 打算もなにも無い、純粋な想いの発露と共に、一人の少女の頬に一筋の雫が流れる。

 それを、何て美しいんだろうと彼は思った。

 

 五条美城は生まれて初めて女性に見惚れたのだ。

 

 

 

 

 細雪のように頬を滑り落ちた涙が乾くまで、そうは時間を必要としなかった。

 しかし想いをあふれさせた少女が落ち着くまでは、まだ相当の時間が必要なようである。

 

「うぅ……」

 

 ぎゅっと胸にバラの花束を抱きながら、早坂愛は抱いた花の色のように頬を染めて呻いていた。

 下を見れば花束の赤。上を見れば彼の瞳の赤。自分に至っては茹ったように赤。

 花言葉になぞらえて考えると、彼女の周りには愛ばかりだった。

 心地よいのは否定しないが、これが欲しいがために言ったわがままで彼に嫌われたと勝手に思い込み、勝手に悲壮感を爆発させた挙句、美城に余計に気を遣わせてしまった事実から少し引け目を感じている。歓喜とは別の羞恥の赤色でもあった。

 

「愛?」

「ひゃっ」

 

 埒が明かないと思ったのか美城が声をかけると、冷や水を浴びせかけられた猫のような悲鳴をあげて早坂はようやく顔を上げた。

 

「ふふ、愛ったら可愛いんですから」

「か、可愛い……」

「……そう『初めて言われた』みたいな反応をされると困るのですが。言われ慣れているでしょう?」

「だって…………ですよ」

「はい?」

 

 ようやく顔を上げてくれたと思うと、またもや俯き加減になってバラの花に顔をうずめるようにして黙ってしまう。耳までどころか顔全体がバラ色になった彼女に、どうしたものかと美城が考えていると、か細い声で早坂は囁いた。

 

「だって、どうでもいい人に言われる『可愛い』と、好きな人が言ってくれる『可愛い』は全然違うんですよ」

「そ……そうですか? ありがとうございます……?」

 

 虫の羽音のようなごく小さな音であったが、彼の心に台風は起きたようで、珍しく美城は頬を赤らめた。

 

「赤くなってますよ」

 

 悶えていた早坂は目の前の恋人が珍しく狼狽してくれた事で、少し余裕が出てくる。弱り目を見逃さないハイエナみたいだと自己嫌悪を抱かないでも無かったが、初めて見る彼の姿が面白いから仕方がないと自己弁護もばっちりだった。

 

「愛の言葉が身に染みて分かりました。友情とか親愛で言ってくれる言葉と、恋愛感情で言ってくれる言葉は、同じ言葉でも重みが違うと言いますか……」

 

 そもそも普通の人はそんなにしょっちゅう好きと言ってもらえないのだが。少なくとも早坂は数えられるくらいしか言われた事がない。

 美城とかいう不思議な生命体を見れば簡単に好きと口にしたくなる気持ちは分かるけど。と彼女は謎の納得をした。

 

 納得ついでに新たな仮説が早坂の中に生まれると、いつ言っても恥ずかしいのだから今言ってしまえ、と大胆な気分で実験を開始する。

 

「美城」

 

 花束を握っていた手を片方空けて、掌を上に彼に差しだした。

 

「どうかしましたか? 愛」

 

 やはりと言うべきか、そんな仕草を見逃すはずもなく美城は差し出された手にそっと自分の手を乗せた。合わせて安心させるように優しく微笑むのも忘れない。

 

(あっ、良い。良いですよこれ)

 

 早坂はちょっと目的を失いかけた。

 しかしどうにか自分を奮い立たせて、ある仮設につながるアプローチを仕掛ける。

 

「嬉しい……です。やっぱり私は、あなたが好きです」

 

 言うは恥ずかし行うも恥ずかしな作戦であったが、

 

「そ……そう……ですか? それなら、私も、えっと、嬉しいです」

 

 予想通りな答えが得られてくすくすとほくそ笑んだ。証明終了を告げるため、そっと乗せただけの手を握り返した。

 

「美城は愛される事に慣れきっていますが、恋される事には慣れていないんですね」

「……仕方ないではありませんか。こんな見た目ですから、私が望む恋愛を一生のうちに出来るかどうかすら懐疑的に過ごしてきたんですよ?」

「よかったですね。私がいて」

 

 彼の弱気な所を見ると、いけないなと思いつつも攻めっ気な自分が出てきてしまう。早坂は受け身な人間だと思っていたが、ここに来て新たに自分の可能性を見出す所であった。

 

「もう、元気になったのならいいですね。帰りますよ」

 

 くっと手を引かれると、彼の体重の移させ方が上手いのかすんなりと立ち上がってしまった。むっとした顔が自分を見下ろしていて、思わず早坂は謝ってしまう。

 

「あ……。す、すみません。調子に乗りました」

「……ふふっ、別に怒ってはいませんよ。愛の素直な一面が見られて嬉しいくらいです。いつか愛の全てを見せてください」

「ぜ、ぜんぶ……?」

「……あ、変な意味じゃありませんからね。一応言っておきますけど」

 

 からりと笑ってからかい返されてしまった。やはりまだまだ彼の方が強い関係性が続きそうな予感は早坂の中にあったが、それはそれで甘えられると小ズルい部分で考えていた。しかし、それではいけないとも思っている。

 

 五条美城は早坂愛の事を愛しているが恋してない。

 

 照れてはくれるが、それが恋から来ている物かと言うと、そうでもないだろう。

 付き合うという事は、恋のプロセスを経た後に愛へ至る手順のはずだと早坂は素朴に思っているので、いつか彼に恋をしてほしいと思うのだ。

 

「ねえ、美城」

「何ですか?」

 

 またからかわれると思ったのか、少し警戒しながら美城は赤い目を瞬かせた。

 

「正直に言ってください。私の事、好きですか?」

「何当たり前の事を……」

「正直に、ですよ」

 

 先ほどまでと空気が変わっている事を感じた。からかうつもりは一切ない、彼女なりに真剣な質問だという事に。

 

「愛の事は、好ましく思っています。友愛を抱いていると言っていいでしょう。ですが、愛が私に抱いてくれるような感情があるか、と聞かれると首を縦に振れません」

「そうですか」

「すみません……」

「いいえ、良いんです。あなたは他人を愛する事を知っていますが、きっと他人に恋する事を知らないんだと思います。ですから――」

 

 がっかりしていない、と聞かれれば嘘になる。付き合うという事は、同じくらいの感情を持った二人が行う事だろうという憧れもあった。

 自分と美城はそうではない。

 なら、

 

「――私の一生の恋をあなたにあげます。だから一生の愛を私にください。

  ほんの一握りの恋が愛に至るように、未来の私はあなたを愛します。

  いつか誰でも愛するあなたが私だけに恋をして、

  それが愛に至るまで私は待っていますから」

 

 ……重たいかな?

 真っすぐに宣言した早坂はそんな風に不安になった。

 なにしろ一生、である。自分たちが平均寿命まで生きると考えると、八十年の歳月をかけて恋をして、そして愛すると言ってしまったのである。

 

「愛……」

 

 困惑したような美城の目線とぶつかった。

 やっぱり変な事を言ってしまっただろうか。不安の気持ちはピークに達するが、今更やっぱさっきの無しとも言えない。それに、無しにしてしまいたくなかった。

 早坂愛という少女がおかれた立場を正しく理解して、苦しんでいる板挟みの状況に一緒に心を痛めてくれる。そんな人がこの先に現れてくれると、早坂は思っていないからだ。むしろ、彼以外に現れて欲しくないとすら思っている。

 

 少しの沈黙が二人の間に流れると、それを早坂は永遠にも感じられる心地で、彼の言葉を待った。

 

「確かに私は恋という物がよく分かっていません。淡い憧れを抱きながらも、諦めているうちに忘れてしまったのかもしれませんね。ですから、いつか思いだします。その身が尽きるまで変わる事のないあなたの名前のような想いを抱きますから、そこに恋が芽生えるのを待っていてくれますか?」

 

 早坂の言葉に比べると、少々まだるっこしい言葉で美城は応えた。ただ、それでも彼女には伝わったようで、白磁の頬に再び朱をにじませて、また涙を流しそうになっている。

 

「はい。待っています」

 

 変な事を言ってしまった、重たい事を言ってしまったと思い込んでいたのに、それを真正面から受け止めてくれる人がいたことがこんなにも嬉しいんだ。そう早坂は思ったし、真っすぐ好かれる事がこんなにも嬉しいんだ、と美城も思っていた。

 

「……そんなに待たせないとは思いますけど」

 

「えっと、何か言いました?」

 

「なんでもありません」

 

 

 彼の白皙の頬に夕日が差し込んでくる。

 また焼けては困りますね、と言いながら教室を後にしようとした彼の隣に彼女はそっと身を滑り込ませた。

 少し前に通り過ぎた二つの影と違って、茜色に染まる校舎の中に落ちた影は一つしかなかった。

 























四十八話かけてようやく美城が早坂を好きになる最初の段階まで来ました。
長かったです。私のせいですが。
これからは選挙編前のようなギャグ多めで進行しようと思いますのでよろしくおねがいします。
わざわざスクロールしてここまで読んでくださりありがとうございます。
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